37 生前、両親や国家のすねかじりをして生きた人々の魂が、ネズミの群れとなってお堂の柱をカリカリとかじっていると、鬼たちがやってきて、鉄棒でたたきつぶすところを見た。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。教典『仏陀の証明―偉大なる悟りの復活』を引用しながら、ともに八正道を深めてまいります。経典をお持ちでない方は、是非拝受ください。【税抜き1942円】
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■解脱の言葉「仏説・八正道」
我に 今こそ 確信あり
人生 まさに 四苦 八苦
欲望の 瀑流(ぼうる)の 中を
泳ぐなり
されど 不動の 境地あり
この悟りこそ 真理なり
正しき 悟りは 八正道
苦・集・滅・道 沈思して
四諦の 道を 究むべし
解脱の 道を 進むべし
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Now I am firmly convinced
That life is nothing but the Four Pains
The Eight Pains
It is like swimming
Across a violent river of desire
But you can achieve a steadfast state of mind
This enlightenment is the Truth
The right way to enlightenment
Is the Eightfold Path
Contemplate and pursue
The Four Noble Truths
Suffering, its cause, its extinction
And the Path
And walk the path to emancipation
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人生というものは、「生・老・病・死」の四つの苦しみや、それらに「愛別離苦」などを加えた八苦に必ず見舞われることになるのです。・・・
「瀑流」(ぼうる)というのは珍しい言葉ですが、この字のとおり、猛威をふるう濁流のことです。これは、洪水の時に流れている水の力を思い出せばよいと思います。・・・
まさしく人生は、洪水の時に、材木や家、草木、あるいは動物など、いろいろなものが濁流に押し流されて、浮きつ沈みつしているなかを、泳ぎ渡っているようなものなのです。
それほど、人生とは厳しくも困難なものであり、四苦八苦に直面しているのです。多くの人間は、そのなかを泳ぎ渡っていかなければなりません。「それは大変なことなのだ」と、まず、自覚しなければいけません。・・・
そうした人生であっても、不動の境地があります。この不動の境地において得られる悟りこそが真理です。
その正しき悟りとは何でしょうか。それが実は八正道です。釈尊が菩提樹の下で開いた悟りとは、この八正道なのです。「四諦・八正道」というだけあって、八正道の前には、四諦すなわち「苦・集・滅・道」という四つの真理があります。
釈尊はこの「苦・集・滅・道」を悟ったのです。そして、「道」が八正道として展開するわけです。
人生は四苦八苦の「苦」に満ちています。しかし、苦しみには必ず原因があります。苦しみが単に苦しみとして立ち現れることはありません。それは、必ず原因があって現われてくる苦しみなのです。
その苦しみの多くは、今世において自分の心に蒔いた種子と、その結果からくるものです。万一、今世において原因がないものであっても、自分が過去世で生きた人生において、その原因があります。こうした原因を「業」(ごう)といいます。
過去世でどういう生き方をしたか。そして今世、生まれてからのち、どういう生き方をしたか。それが、現在において自分に向かってくる苦しみの原因なのです。
「集」では、自分の苦しみは何であるかを見つめ、その原因はいったいどこにあるのかということを、徹底的に探究します。次に、苦しみがなくなった「滅」の状態を、理想として考えます。そして、その苦しみを滅するための方法として、「八正道」があるのです。
結局、「苦・集・滅・道」の教えは、「道」のところに結論があり、八正道の勧めなのです。
しかし、「八正道を実践するといいですよ」という勧め方だけでは、「どうしてですか」と言われるだけです。そこで、「人生には苦しみがあります。あなたにも生・老・病・死の苦しみがあるでしょう」と、まずその苦しみを指摘してから、八正道を勧めているのです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。
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〇四諦・八正道
私の著書でも、「四諦・八正道」ということを述べています。『仏説・正心法語』(幸福の科学の根本経典。信者限定)にも書いてあるとおり、四諦とは「苦・集・滅・道」です。
「苦」とは、「人生は苦しみである」という真理を見抜くことです。
この真理が分かっている人は、ほとんどいません。大部分の人は、人生を苦しみとは思っていないのです。「人生は苦しみである」という真理を悟っているのは一部の人だけです。
なぜ人生は苦しみなのでしょうか。その根拠をたどれば、「この世は仮の世界、仮の世なのだ」ということに行き着きます。仮の世であるこの世を、完全な世界、永遠に続く世界のように思って生きているところに、人間の苦しみが生まれる原因があるのです。
「この世は仮の世界であり、実在の世界ではないのだ」という目で見れば、みなさんが、この世で「幸福だ」「楽しい」「こうなったらよい」などと思っていることは、ほとんど逆であり、実際には苦しみの種をつくっていることのほうが多いのです。世界の真相を知らない人には、苦しみに見えないかもしれませんが、世界の真相を知った人から見れば、苦しみの世界であることが多いわけです。「そういう目で見なさい」ということです。
次に、「集(じゅう)」とは、苦しみの原因を探究することです。
そして、「こういう苦しみは、なくさなければいけない。苦しみから解放された世界に還らなければいけない」と決意することが「滅(めつ)」の心です。
そのための道が「道(どう)」です。これは、伝統的には「中道に入る」ということであり、その中道の内容が実は八正道なのです。
「八つの正しい道(八正道)」と書く場合もあれば、「八つの聖なる道(八聖道)」と書く場合もあります。
八正道について、「正しさの基準が分からない」という人もいますが、実は中道の「中」が正しさなのです。
「中」とは何かというと、物事について両極端を考え、どちらも間違っているとして、その間を取っていくことです。「両極端を否定しながら、その中なる道を探していくなかに、真実の生き方があるのだ」という考えです。
そういう意味で、正しさのところは究めて難しいのですが、実際にこの正しさを求めていく方法が禅定です。禅定によって、智慧を磨いていくこと、智慧を発見していくことが修行なのです。
構造的には「四諦・八正道」と言われてはいるのですが、学者によっては、「四諦と八正道は別々に成立して、あとでくっついたのだ」と主張する人もいます。原始的な仏教では、ここまで固まっていたわけでないので、そういうところはあると思います。
ただ、現在では、「四諦・八正道」として、完成したかたちで伝わっているので、そういう形で理解したほうが、分かりやすくてよいでしょう。
みなさんは、「四諦・八正道」を、「完璧にこのかたちでやれ」と言われても、難しくて、簡単にはできないでしょうが、それは二千五百年前の人々も同じだったのです。
しかし、「正しく見なさい。そうしたら解脱できるのですよ」「正しい言葉を語りなさい。そうしないと、あなたは苦しみから逃れられませんよ」などという言い方をされれば、一つひとつは簡単なので、スパッとわかるでしょう。
そのように、さまざまな説法がなされていて、それがまとめられていき、だんだん、あとになればなるほど固まってきたというように見てよいでしょう。
【大川隆法『八正道の心』幸福の科学出版より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第3章「正思」
6「正思」のための三つのチェックポイント
したがって、「正思」の探究においては、前節で挙げた三つの点について、その思いをチェックすればよいということになります。【※①素直さ ②自助努力 ③謙虚さ】
正しい思いというものを一覧表にして考えるのは非常に難しいことですが、真に神仏に近づいていくための心構えとして、「素直さ」「自助努力」「謙虚さ」というものが必要だとするならば、これに反する思いが「正思」を妨げているというように考えてもよいわけです。
①「素直さ」を妨げるもの―自我の殻
では、第一に挙げた「素直さ」を阻害しているものはいったい何でしょうか。素直に取り組もうとする姿勢、教えを受け、学び、向上していこうとする素直な気持ちを阻害するものは何であるか、ということについて考えてみる必要があります。
そこに出てくるものは、自分が過去何十年かの間につくってきた、”殻”です。「自我の殻」がこれを妨げるのです。それまでに自分が「よし」と思って生きていた、「これでいい」と思って生きてきた生き方のなかに、自分を枠に入れている”殻”が何か付いているのです。この”殻”の部分が、自分を素直になることを妨げているのです。
それゆえに、まず、「自分は自分固有の匂い、見方、生き方といったもので、なんらかの”殻”をつくってはいないかどうか」ということを点検しなければなりません。これも、反省においては非常に大事な点です。
過去の自分の生き方を見てみると、おそらく、普通の人と違った部分、特殊な部分があるでしょう。その特殊な部分については、プラス評価できる面とマイナス評価となる面の両方があるでしょう。いずれにせよ、そうした特殊な部分があったということ自体が、すなわち、自分のものの考え方、生き方において、何らかの”殻”をつくっていることは間違いないと思ってよいのです。
したがって、過去の自分を振り返るときに、最初に取りかかるとよいことは、それまでの三十年、四十年、五十年、六十年の人生のなかで、自分と他の人とを比べてみて、いちばん変わっていたところはどこであったかを点検することです。
いちばん変わっていたところはどこであったか、その生き方がどのように自分に方向付けをしているかを考えてみると、思い当たることは必ずあります。もし、その生き方がマイナスの生き方であって、それを自力によって克服してきたとしても、それなりのものを必ずつくっているはずです。
それには、いろいろなものがあると思います。
〇肉体的なハンディがある場合
例えば、肉体的なハンディというものがあるでしょう。普通の人とは違うような肉体的ハンディがあった人もいるでしょう。それを克服しようと努力してきたかもしれないし、克服に失敗したかもしれません。どちらかは分かりませんが、その格闘の過程において、何らかの”殻”をつくっているのは間違いないと思います。これも一つの例であります。
〇家庭環境が極端に裕福だったり、貧しかったりする場合
また、別なものとしては、家庭環境が良すぎるがゆえにできる”殻”もあるでしょう。あまりにも家柄がよすぎる、両親が立派過ぎる、あるいは家が裕福すぎといったことゆえにできている”殻”もあります。
その逆に、貧しすぎるがゆえの”殻”もあるでしょう。貧乏ということを味わいすぎたゆえに、心がそこから抜け出せないというような”殻”もあります。
〇肉親にかかわる不幸があった場合
さらには、幼少時における両親の不幸ということもあるかもしません。片方の親が亡くなったり両方とも亡くなったり、あるいは離婚したり再婚したり、いろいろなことで不幸があったかもしれませんが、こうした特異な事件は、必ずその人の心に何かを投げかけています。
〇才能や勉学、学歴等に偏りがある場合
それから、才能の面でも同じことが言えます。
ある面において非常に突出した才能を持っている場合、そこにはおそらく光と影の両面が出ているでしょう。
例えば、学校の勉強ができるというところだけが突出した人にも、もちろん、プラスとマイナスの両方があるはずです。プラスの面としては、それを生かしていろいろな知識職業、知的職業をこなしていけるところがあるでしょうが、その一方では、人間関係において、いろいろなデコボコや、ギクシャクをつくってきていることがあります。ともすれば、暗く引っ込み思案の性格になったり、他の人々のことを本当にはよく思わないような性格をつくったり、人間嫌いの性格をつくったりしていることもあります。
反対に、学歴不足に悩んでいる人もいるでしょう。そのなかには、劣等感だけで生きている人もいれば、「劣等感の克服のために、これだけやってきたんだ」と頑張っている人もいるでしょうが、いずれにせよ、少なくとも何らかの”殻”はつくっているわけです。
したがって、真実の自己と出会うためには、まず、そういった”殻”の部分を見破らなければなりません。
〇自分の「特殊事情」を言い訳にしない
そして、素直な心になるためには、この”殻”の部分を取らなければならないです。さまざまな過去のいきさつ、自分の特殊事情というものを取り去らなければ、本当に真実の心で神仏と対面することはできません。「私は、こういう特殊事情があったために、こうなったのです」という言い訳をしているうちは、いつまでも、決して心を素直にすることはできないのです。決して心を開くことはできないのです。自分になりの特殊事情、言い訳というものを、まず取らなければなりません。これを取らないかぎり、絶対に「正しい思い」などできないのです。
ですから、まずは、誰にも必ずある”殻”を取ることです。プラスもマイナスも含めて、この”殻”の部分が自分に与えていた影響を取り去り、素直な、純粋な人間としての自分を、もう一度考えてみる必要があるのです。素直な、純粋な人間としての自分を、もう一度考えてみる必要があるのです。ここを経なければ、真実の自分というものは決して分かりません。
【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」111pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第5章 永遠の仏陀
〇仏は法なり、仏は教えなり
くり返し、おまえたちに告げる。
このわが教えは、
単に、おまえたちの心を救うがためにのみ、
説かれているのではない。
この教えを本として、全宇宙は統べられているのだ。
この教えを実現すべく、
人類の過去・現在・未来があり、
人類なき過去にも、
この教えは厳然としてあり、
人類なき未来にも、
また、あるであろうということを。
私は明言しておく。
このわが説く法は、
人間の出現に先立ち、
人間の消滅におくれて、
なおもあるものである。
教えとは、姿を変えたる仏そのものであるということを、
おまえたちは知らなくてはならない。
わが教えを読むは、仏を見ると同じなのである。
仏を知らんと欲せば、わが教えを見よ。
その教えこそが、姿形なき仏の実体なのである。
おまえたちは、空を見上げて、仏を見んとするか。
おまえたちは、目を閉じて、仏を見んとするか。
おまえたちは、想像のなかで、仏を見んとするか。
それとも、
おまえたちは、霊的なる目を開いて、仏の姿を見んとするか。
いずれの試みも、虚しく終わるであろう。
そう、真実の仏とは、姿形なきものである。
真実の仏とは、
この地上を超えた実在世界にある高級霊の姿をとった、
その霊的実在でもない。
その霊的実在を超えたものが、真実の仏であり、
真実の仏の姿は、教えに表れているのだ。
よくよく聴くがよい。
手で仏をさわらんとして、目で仏の姿を見んとし、
その体の大きさに合わせて仏を測ろうとする者たちよ。
仏とは、
おまえたちの五官によって捉えられるものではない。
おまえたちの想像するようなものではない。
仏とは、法であり、
仏とは、教えであるのだ。
わが説く、この法こそが、
わが説く、この教えこそが、
仏の実体の本質であるのだ。
わが教えを学ぶ時、
おまえたちは仏の姿を見たのである。
わが教えを聴く時、
おまえたちは仏の声を聴いたのである。
わが教えを理解する時、
おまえたちは仏の心を理解したのである。
くり返し、くり返し、言う。
仏とは、姿形なきもの。
仏とは、人間を超えたるもの。
しかして、霊を超えたるものでもある。
仏とは、人間的なる感覚を超越し、
この宇宙を統べるところの、
教えそのものとなっている存在なのだ。
おまえたちは、
その手にしているページの一枚、一枚に、
仏の姿を見ているのである。
仏とは、何であるかを知りたくば、
わが説く教えを、深く深く、理解せんとせよ。
そこに、
仏とは何であるかという、その問いに対する答えが、
明らかに現れてくるであろう。
【大川隆法『永遠の仏陀』第5章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第4章 空の思想
2 生と死の意味
次に、仏教における「生と死」の意味、死生観を考えてみましょう。
当時のインドは、戦乱が続き、隣国がいつ攻めてくるか分からない時代だったので、人びと自分の生命がどうなるかわからない状況にありました。釈迦が育った城であるカピラヴァストゥも、やがて滅び去りました。釈迦という九次元大霊が出ても、みずからが育った国や、そこに住む人びとを守りえなかったのです。そうした無常の世の中でした。
当時、「生」を保つというものは、戦に勝つことを意味していました。生きていくためには他を犠牲にしなければならず、他を打ち倒してでも生きていく意欲のある者だけが生き残り、そうでないものは死んでいくしかありませんでした。無力であること、平和主義者であることは、すなわち「死」を意味したのです。
そうした世の中であったため、「生」への虚しさと、死後の世界へのあこがれが蔓延したとしても、不思議はないかもしれません。当時においては「生」はむしろ否定され、嫌われる傾向にあったと言えます。
実際、仏道を求める人びとのなかにも、地上で仏になろうと思うのではなく、来世における幸福を願う人が多かったことは事実です。「今世は苦しみの連続だったが、せめて来世では幸福な世界に還りたい」と願う風潮が強かったのです。
それゆえに、釈迦の思想のかなにも、来世への福音がかなり盛り込まれていました。「生」そのもののなかに、醜さや見苦しさ、悲しさがつきまとう時代には、来世への信仰を説く必要もあったのです。
これも一つの方便であることは事実です。当時の人びとに死後の世界へのあこがれを持たせることは、一時的な麻酔剤にすぎなかったかもしれませんが、地上の人々の心を、一時期、どうしようもない悩みや苦しみから遊離させるという点において、非常に役に立った面もあるのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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□■
エル・カンターレ・大好き

