(6/6-2)【阿羅漢への挑戦】158―67『仏陀再誕』を読む―草笛の音―『八正道の再発見』挫折から「教訓」を身につけ、「優しさ」「謙虚さ」を学べ―『真説・八正道』知識を実践で示せ―『漏尽通力』想念帯の曇り

『仏陀再誕』

72 日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天原は、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓のなかを逃げまどった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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ここで、反省の王道である八正道について学びを深めてまいります。本日学ぶ『八正道の再発見』は経典『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』に収められています。経典をお持ちでない方は、とても大切な教えですのでお近くの支部や精舎、全国の書店にてお求めください。【税抜1800円】
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■『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』
第4章『八正道の再発見』
1 なぜ「反省」は必要なのか
〇挫折から「教訓」を身につけ、「優しさ」「謙虚さ」を学べ

これが実社会で経験を積むにつれて、いろいろと刀が折れたり矢が尽きたり、いろいろなことで敗北というのを経験して、打ちのめされることがあります。挫折をして、「俺もやっぱり満点じゃないんだな」ということを知らされることもあります。

しかし、それでも、まだわからない人もいます。こうして、だんだんだんだん、「我」というものが張ってくるのです。「自我」というのが大きくなってきます。

通常は、人生にはいろいろな挫折があります。『常勝思考』という本にも書きましたけれども、誰であっても、一回や二回、あるいはそれ以上、何らかの挫折はあるのです。言われないだけで、人に知られないようにしているだけで、みんな持っているのです。そして、成功体験ばかりを吹聴する人というのは、そういうものを隠しているだけであることが極めて多いわけです。

そして、そうした挫折を本当に真剣にプラスに受け止める考え方は、そのなかから得られる「教訓」というものを十分に身につけること。そして、今後の自分をさらによいものにしていくために、考え方を変えていくこと。これが、いちばん、挫折のなかから学ぶものとしては大きいわけです。

これ以外に学べるものとしては、やはり、「謙虚さ」「他人に対する優しさ」というような面が強くあります。失敗をした人はだんだん暗い想念に包まれていくことも多いのですが、やはり、失敗を重ねた人の美点として挙げられるものには、「優しさ」「謙虚さ」というものがあるように、私は思います。そういうものを学ばねばならないのです。

〇「自我」が拡張してくると、いろいろな難しい問題が出てくる
それでも、生来の「プライド」というものが非常に強かったり、あるいは、自分を騙し騙し生きてきた人は、そうした挫折をしたても、挫折したということから素直に学び取ろうとせずに、これを何とかねじ曲げて考えようとし始めます。それほどまでに、「自我」というものが大きいのです。自我の大きさが全宇宙よりも大きいぐらいの人もいるのです。

「宇宙即我」という考えもありますけれども、それとはちょっと違いまして、”自我即宇宙”とでもいうような、”その自我が全人類の意見と戦ってでも負けないぐらいの自我””地球よりも重い自我”がいっぱいあるのです。「たとえ世間が何を言おうが、たとえ原爆が落ちようが、俺の考えは間違いではない。自分がもし間違っているというのなら、それはねそういう世の中は悪魔の世の中なのだ」と、こういうものの考え方です。

では、どうしてそういうふうに捉えていくのだろうかと考えて見ると、そういう人自身は、「自分は極めて優秀な人間だ」とか、「強い人間だ」と思っているのです。

「自分は強い人間だ。自分は負けを知らない。決して、他人と戦って負けたことがない。論争して負けたことがない。ジ分は強いんだ、強いんだ」と一生懸命言って固めているのですが、「では、何でそんなに強い方が、そんなに一生懸命、突っ張っているのですか。その胸の蓋(ふた)を開けてみてください」と言って開けると、なかは弱いのです。傷つきやすい、ちょっとしたことで傷つきそう。その、傷つくのが怖くて怖くて、一生懸命カバーしているのです。鉄板を体に巻こうとしているのです。そして、強気でいく。

ところが、その人の強気に接した人はどうなるかというと、その人のなかにそんな弱い部分があるなどとは全然思いませんから、「世の中には、かくも稀なる人間がいるものだ」と思うわけです。もう、「他人を見たら攻撃するような人間はよくいるものだ」と。こういうふうにして、他の人も傷つきます。

【大川隆法『大川隆法初期重要講演集ベストセレクション②―人間完成への道』第4章「八正道の再発見」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第7章「正精進」
3 知識を実践で示せ

ただ、どうしても私が言ってきたいのは、「いくら仏法真理を学んだとしても、実生活において奇人変人のように見られる態度だけは、私は許さない」ということです。

私たちが目指しているのは、「どこででも通用する人材の育成です」「仏法真理の空間だけ通用して、それ以外では通用しない」というような人をいくらつくっても、世の中は変わりません。仏法真理を学んで心が変わり、そして、その光を世の中にも還元できるようなみなさんであって初めて、修行が生きていると言えるのです。

女性であれば、仏法真理を学んで悟ったことによって、ますます優しくなり、ますます多くの人に愛されるような女性となって当然であり、学んだことによって自分が偏った生き方をするならば、問題外なのです。

若い男でもそうです。今まで素直に生きていたのに、学んだことによって天狗になり、堕落していくなら、何のために仏法真理を学んだのか分からないのです。

年配の人でもそうです。それで出来上がってしまい、急に威張り始めるようであれば、そんなものは何でもないのです。実力がつけばつくほど、謙虚になり、物腰が柔らかくなり、他の人に愛されるような人間、そして、もちろん、それ以上に愛を与えるような人間となっていかなければ、そういう人格となっていかなければ、この修行の意味はないわけです。

私たちの正精進とは、決して、「千日回峰」のように山のなかを歩いたり、滝に打たれたりすることもでもなければ、仏法真理の知識をたくさん詰め込んで、それを競うようなものでもありません。これらはあくまでも材料であり、仏法真理を学ぶことによって実生活にその光が出なければ、まったく意味がないのです。そういう意味での正精進です。

ですから、
「学んだ仏法真理を、学んだ知識を実生活で示せ。
その悟りが本物であるならば実践せよ。
実践されているかどうかは、周りを見れば分かるはずだ。
他の人の自分への接し方を見れば分かるはずだ。
そして、それが退化することなく、
いっそう素晴らしいものとなっているかどうか、
自己確認する姿勢を持ちなさい」
と言っておきたいのです。

正精進は、決して仏法真理漬けの特殊な人間をつくるためにあるのではありません。むしろ、仏法真理に触れることによって心がくらりと一転し、ここを開き、自己変革に取り組み、自分の欠点を修正し、いっそう素晴らしい、今までになかったような完成度の高い人間になっていただきたいのです。

そして、その途中においては、「悟りの維持はどれほど困難か」ということを決して忘れないでいただきたいのです。入り口に立っているだけで「悟ったつもり」になってはいけません。「悟りはこれからが本番だ」ということを、決して忘れないでいただきたいと思います。

正しい努力のあり方としての「正精進」は、大川隆法著『漏尽通力』なども参考にしてください。

【大川隆法『真説・八正道』第7章「正精進」237pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第5章 忍耐と成功 
○草笛の音

昔、あるところに大男がいた。

この大男は、身長は二メートル五十センチもあろうかという大男で、あった。街のなかを歩いても、だれもかれもがその大男の顔を見ては、恐れおののき、そして家の中に入っては閂(かんぬき)をかけ、窓の隙間からその大男が遠ざかってゆく姿を見ていた。その大男は、頭にターバンを巻き、腕に金の輪を巻き、体は赤銅色、腰から下には何とも言えないネズミ色のズボンをはいていた。そして足首には鉄の鎖がついていて、この大男がどこからともなく逃亡してきた者であるということを推定させた。

この大男は、たいへん力が強く、馬の一頭、二頭をひきまわすのは当然のこと。木造建ての小さな家など、この大男が怪力を発揮すれば、たちまちに壊れてしまうほどであった。動物たちも、この大男が通ると、いつ絞め殺されるかと思って、悲鳴を上げては、逃げまどった。

そこで、村の長老が協議をした。

「あの大男を何とかできないものだろうか。何とか、あの大男の粗暴なはたらきを、やめさせることはできないだろうか」

そうやって、村の長老たちが三日三晩協議をしたが、なかなか結論が出なかった。

そこで、

「結論が出ないが、とりあえずあの大男を生け捕りにして、村から追い出すことにさえ成功すれば、どうにかなるのではないか」

そのように提案する長老がいた。

他の者は、

「なるほど、あの大男を生け捕りにして、村から追い出せば、確かに我らは安全ではあるが、
ところで、その大男がまた帰って来たときには、どうするのだ」

「そういえば、帰ってくるとなると、いつ帰ってくるかわからぬから、それがまた心配の種になる」

「しかして、その前に、どうやって彼を生け捕りにするのだ。生け捕りにするような勇気がある者がいるのか」

そのように言う者もあった。

「ウーン、それでは、大男が帰ってこないようになるためには、殺生の罪を犯すことにはなるが、ひと思いに彼を殺してしまったほうがいいだろうか」

そうやって協議をしばらく続けた。あの大男をどうやって殺すのか。しかし、彼を殺そうとしても、もし、し損じたならば、大暴れされて、村人は何十人となく殺されるかもしれない。もし弓矢で射たとしてもあの鋼のような体に、ほんとうに矢が通るのかどうか定かではないし、もし矢が通ったとしても、そんなものではあの男はビクともしないかもしれない。また、何か罠をかけてつかまえるということもあるが、その罠を見破られて時に、また大変なことになる。

いろいろと議論百出したが、どうしてもよい知恵が浮かばない。

「困ったものだ」「困ったものだ」

その時に、ある若い女性がその話を聞いていて、

「私の意見が皆様に聞いていただけるかどうかは分かりませんが、実は、一つ名案がありますので、私の案を使わせていただけませんでしょうか」

そのように、その若い女性は話を切り出した。

長老たちは意外な思いがした。その若い女性が、どうやってあの大男を始末するというのだろうか。どう考えても分からなかった。

「いいえ、どうか私めにお任せください。必ず、明日以降、あの大男が粗暴なふるまいをしないようにして見せます」

「まあ、そうしてくれるならば、それに越したことはないが、どうしようか、みなの者」

そして、長老たちは議論し合ったが、ほかによい案もないので、とうとうその若い女性の意見を採用し、彼女に任せることとした。

その若い女性には、小さな男の子が一人いて、その子はやっと五つになるぐらいの歳であった。この子はさほどとりえもない子供であったが、一つだけ得意なものがあった。それは、草笛を吹くという技術であった。この賢く若い母親は、自分の子供の草笛によって、あの大男が必ずおとなしくなると考えたのだ。

翌日、また街の外れから大男が、砂煙をあげて、ドッドッドッドッと街の中心に向かってやってきた。街の者どもはまた雨戸を閉めて、オロオロと家のなかにこもっていた。今日は、どこに被害が出るか、だれが怪我をさせられるかと思って、恐れおののいていたが、その街のまんなかに、その母親と子供の二人だけが残った。広場に、二人の姿があって、それをうかがう者たちは、

「だいじょうぶだろうか。若い女性と子供じゃないか。ひとたまりもないかもしれない。食べられてしまうのじゃないか」

そう噂していた。

そこへ、鬼かと思うようなその大男がやってきた。そして、まわりの者の予想通り、その母親と子供につかみかかろうとした。みんなが固唾(かたず)を飲んで、

「ああーっ、これは大変なことになる」

と思って見ていたところが、母親は穏やかな顔で、右側にいる自分の子供にはそっと頷(うなず)いた。すると、その子供は、ふところから草の葉を取り出して、草笛を吹き始めた。のそ「ピーヒョロ、ピーヒョロ」という音が、その大男には何ともいえない感情を抱かせた。

「なんだろう、この音色は。この音色はなんだろう。ああーっ、この音色は懐かしい。どこかで私はこの音色を聞いた気がする。どこかでこの音色を聞いた覚えがある」

その母親は見抜いていた。その大男はきっとインドのほうから来た大男に違いない。そして
インドの法のたぶん身分のある人に仕えていた下僕に違いない。その身分のある人は、おそらく音楽を使って、この大男の、この狂暴な性格を穏やかにしていたに違いない。そう感じていたのだ。

たしかに、大男は昔、逃亡してくる前は、ある若者に仕えていた。その若者は体こそ小さかったが、笛をじょうずに吹いて、その大男をいつもなだめていた。それゆえに、その大男は、しばらく聞いたことのない音色というものを、小さな男の子の草笛を通して感じ取ったのだった。

そして、自分が今までやってきたことを、ふと、振り返った。すると、目から大粒の涙がハラハラ、ハラハラ、ポタポタ、ポタポタと落ちてきた。

「小さな五歳の男の子の草笛に、あの大男が涙を流しているぞ」村人たちは驚いた。そして、

「なんだなんだ。そんな悪者でもなかったのか。子供の草笛で涙を流すとは、そんな悪者ではなかったのか」

と、おそるおそる雨戸をあけて、一人二人と集まってきた。そして、村の広場は人びとでいっぱいになった。

「そうか、その大男は何ひとついいところはないと思ったが、音楽を解するこころがあったのか。それでは、みんなでいっしょに、笛を吹いてみようじゃないか」

村の笛を持ち寄って、皆の者が笛を吹いた。そうすると、大男は最初は涙を流していたが、次第しだいに陽気になり、まわりの者といっしょに踊るようになった。こうして、笛の音色ということを通して、大男の心の優しさが知れ、そしてまわりの者も安心感を得て、いっしょになかよく住めるようになったのだった。

大男は、村を外敵から守り、そして村人たちは大男に笛を吹いてやることによって、彼の心を和ませた。

こうして、両者が平和に暮らしたという話だ。

【大川隆法『仏陀再誕』第5章「忍耐と成功」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第2章 霊的現象論
2 想念帯の曇り

今、「心の神秘」という話をしましたが、人間の心を霊的な目で見れば、どうなっているのでしょうか。心は、いわゆる「表面意識」と「潜在意識」との中間地帯、境目のところに、「想念帯」というものがあります。

この想念帯のところに、さまざまな記憶の領域があります。そこには、生きていたときに思ったこと行ったことの記憶が埋蔵されているのです。これは一種のテープといってもいいかもしれませんし、一種の記憶領域といってもいいかもしれません。この部分に、そういう記録があり、また、さまざまな想念の蓄積があります。

こういう想念帯というものがあり、この部分の帯が表面意識と潜在意識とを分けています。これは、いわば、人間の「脳」と「頭の表皮」とを分けている頭蓋骨のような存在といってもいいでしょうか。こうした一種の膜があります。

この想念帯のところには、いったいどういうものが付着していくかというと、結局、人間が数十年生きたときの思いの”カス”が溜まっていくのです。

一日のうちに人間はそうとうの数のことを思います。心のなかに去来した思いは、数千、数万という数に達するのです。こうした思いが全部、テープレコーダー的に記録されているわけです。

その思いが悪しき思いである場合、この想念帯のところに曇りができます。想念帯は、本来、無色透明なものなのですが、これにいろいろな思いが付着すると、色がついてきます。そして、さまざまな悪しき思いにとらわれると、この表面に、いろいろな汚れやゴミがつき、曇ってくるのです。透明であったガラスにいろいろな色がついてきて、透き通っては見えなくなってきます。

大多数の人間は、こういう状況になっているのです。生まれてから後、さまざまな教育や習慣、思想、人の意見、こうしたものによって、透明なガラスの部分が曇っていきます。そして、自分の潜在意識の部分と表面意識の部分が、はっきりと分かれるようになってきます。

この理由を赤ん坊の例で考えてみます。

親の目には見えないかもしれませんが、赤ん坊は霊的世界との交流を持っています。

二歳ぐらいまで、あるいは二歳から三歳の間までですが、赤ん坊が、あらぬ方を見て、微笑んで笑ったり、喜んで手を振ったりしていることがあると思います。これは、あの世の守護霊たちが来て、その子を励ましたりしていて、これに対し、喜んで答えたりしているのです。

このように、本来、生まれたばかりの赤ん坊の心は非常に無垢なものであって、天上界、つまり、あの世の諸霊とも心が通じているのです。

それが、だんだんに欲が出るにつれて曇っていきます。

それは、例えば、「自分は、こうありたい」という気持ち、親の愛を独占したい」というよなきもち、「もっとミルクが欲しい。もっと食べものが欲しい」というような気持ち、「あのおもちゃが欲しい」というような気持ちです。こういう欲が出て、それが自分の思うままにならないと、だんだん、わがままになっていきます。

そういうわがままな心が出てきたところで一つの曇りが生じ、やがて天上界の霊たちと隔絶されていき、非常にこの世的な存在となっていくのです。

そうしてみると、あの世的存在とこの世的存在の違いはどこにあるかといえば、「自我我欲」の部分であると言えると思います。自我我欲、「私が、私が」という気持、「自分が、自分が」という気持によって、結局、窓ガラスにカーテンを引いたようなかたちになっていて、外の世界が見えなくなっているわけです。

結局、このカーテンの部分があるからこそ、本当の霊的世界との交流ができなくなってくるのです。そうであるならば、このカーテンの部分を開けると外の世界は見えるわけです。本来、そのようになっているのです。

そうすると、この「カーテンを開ける」という作業がありえるのではないのかと考えられるわけです。このときのカーテンに当たるものがいったい何であるかというと、これが「想念帯の曇りの部分」です。

今、赤ん坊の例で話をしましたが、例えば学校に上がるようになると、またさまざまな悩みをつくっていきます。

それは主に、「他人と自分との比較」というかたちでの悩みです。「他人は自分よりいい服を着ている」「隣の子の弁当のおかずは自分のものよりいい」「隣の子は自分よりよく勉強ができる」「前の子は自分より走るのが早い」「一列目の子は先生にいつもほめられている」などということで、他人と自分との比較をし、自我のカーテンをかけるようになっていくわけです。

こうしたカーテンは、実際には、薄いレースのカーテンなのですが、一枚、二枚、三枚と重なっていくと、だんだん光を通さないようになってくるわけです。

また、小学校の高学年ぐらいから、「異性への目覚め」というものもあります。異性へのあこがれが純粋なうちはいいのですが、それだけではないものになってくるのです。

中学校ぐらいになってくると、「性へのとらわれ」ということが出てきます。そういう「煩悩」というものが出てきて、なかなか苦しみが心から去らないのです。一つのことを考えようと思ったり、勉強をしようと思ったりしても、異性への思いが脳裏を去来して離れないわけです。

こういう思いが、高校時代になるともっと強くなってきます。

また、高校時代には、さらに「社会への関心」というものが出てきます。この時期は、「自分自身の位置づけ」というものを決めるための大変な試練の時期です。実社会に出て、どうするか。大学に進学するか。高校を卒業して就職するか。これを決めなければいけない時期になるわけです。そこで、「社会とのかかわり」ということについて、この時代にも、いろいろな苦しみをつくることがあります。

大学入試などもありますが、浪人をする人も少なくなく、十八歳、十九歳のときに、「挫折」という体験をします。こういうときに心に曇りをつくっていくことがあります。

また、挫折しなかった人には、今度は「驕り」という感情が出てきます。驕りとは、「自分は優秀であり、特別な人なのだ」という思いです。そして、また心に曇りをつくりっていくこともあるのです。

大学時代には、今度は逆に、いろいろな社会とのかかわりのなかで、また自我の思いが出て、闘争と破壊に心が向かっていく場合もあります。勉強をしないで、学生運動など、いろいろな社会活動に加わり、反抗心のままに生きていく人も出てきます。また、学生時代には、勉強をしないで放恣(ほうし)な生活をしていく人もいますし、これとは反対に、勉強、勉強で追いまくられ、心が狭くなっていく人もいます。

こうして社会に出ていくわけです。

社会に出たら出たで、上司と部下との関係の問題、同僚との問題、異性との問題、こうしたもので人間は心にいろいろな曇りをつくっていきます。

また、適齢期になれば、結婚の問題が待ち構えています。自分の理想の相手と結婚できなければ、苦しみをつくりますし、理想の相手と結婚したらしたで、今度は、結婚した後、理想と現実とのギャップで悩みます。子供ができると、生活費がかさみ、生計が苦しくなってきます。

それから、転勤の問題や海外赴任の問題があります。また、同僚との付き合いの問題もあれば、出世の問題もありますし、左遷をされたりすることもあります。

こういういろいろな試練を受けるわけです。

家庭のなかでは、病気の問題がありますし、親やきょうだいとのかかわりの問題などもあります。これ以外でも、やがて子供が大きくなるにつれ、自分がかつて味わったのと同じような、子供の進学問題についての悩みが出てきます。また、子供が大きくなってくると、今度は子供の結婚の問題があるのです。

そして自分が四十代や五十代になってくると、社会で定年が近づいてくるので、第二の人生についての悩みが出ます。「定年後、どう生きるか」という悩みが出るのです。退職金の悩みや、「年金がどうなるか」「借金が払えるだろうか」という悩みなど、いろいろな悩みが出てきます。

老後には、今度は、子供とうまくいかない悩みがあります。孫はかわいいが、子供の嫁が言うことをきかない。こういう問題があるわけです。

このように、一生を捉えてみると、ネガティブな方向からのアプローチには違いありませんが、さまざまな悩みがあります。そして、そのなかで、人間は曇りをつくっていきます。

その曇りを、そのつど、そのつど、晴らしていけばよいのですが、やはり、曇りがだんだんに集積していき、ますます、どす黒い色に心が染まってくるわけです。

そうしてみると、その想念帯のガラスを通して天上界の姿を見ることはできなくなってくる、こう言えると思います。

【大川隆法 『漏尽通力』第2章「霊的現象論」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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34 あなたが、できの悪い息子、できの悪い娘であるなら、世界の人々に謝ろう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
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