10 妖怪は、自分の実力以上に自分を見せることができれば、大成功だと考える。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
90 正しい言葉を使い、正しい行為をなし、だだしい生活をし、正しい仕事をし、日々、世を照らすことを考えよ。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、『天御祖神の経済学』の教えを確認します。
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■『天御祖神の経済学』
3 大きな力を持つ富の両面性
〇富がつくり出す身分に対しては、何が問われるか
天御祖神
富の概念においても、根本的な人間の問題に戻りますと、基本的には、下手をすれば、間違えれば、唯物論と同じ考え方になることもあるので、富というのが「真・善・美」以外のものとして、例えば「正義の観点から正しいのかどうか」というようなこともあると思える。
また、富というものが身分をつくり出すこともありますので、「それが適切なプロセスで身分をつくり出しているのかどうか」という観点はありえると思うのです。
日本は、「平等な国」といわれてはおりますが、そうした、憲法の十四条で定められている「国民平等」の思想も、最初の第一章が「天皇制」から始まっているのですでに平等でないことから話が始まっているのです。ですから、「皇室の存在はいかなるべきか」という問題はあると思うし、現今では、それが問題になっているところではあるかと思います。
昨日(二〇二一年十月二十六日)は、さる皇室の長女が、民間人と結婚されて、民間に降嫁(こうか)されたニュースが流れておりましたが、基本的な考え方としては、「人間として何をしようが自由ではないか」という考えはあるのだと思います。
ただ、その皇室というのが、「国民の税金によって長年養われている」ということにおいて、特別な身分関係がそこに生じてはおりますので、その部分について、十分にその富に対比されるだけのものがあったかどうかというとは言われるであろうと思うのです。
自由には一般社会においても責任が生じますが、特別な、そうした王室とか、そういうものになってきますと、必ずしも、権力が生み出す自由が何をしてもいい自由にはならなくて、はやり、多くの人々に認めていただけるような努力をせねばいけないというところはあると思うのです。
このへんについて深入りすることは避けたいとは思いますけれども、「日本国憲法の保証している、そうした天皇制以外のところの人権条項と、皇室のなかにいる人の人権との整合性の問題」というのは、憲法自体が持っている矛盾であるので、「憲法のなかにおいて平等権の外にいる人が、日本国民が平等に背負っている責務と機能を有するのか否か」ということは別途議論の余地があると思うし、場合によっては、それは皇室制度の存続の危機が来ているかもしれないというふうに見えるわけです。
世界的に見れば、そうした王族・王室というのは消えていく過程にはあります。たいていの場合、富の独占と軍事力の行使によって、貧しい多くの人たちが虐げられている歴史が多かったので、「革命が起きて、そうした王政が滅び去ってきた」というのが、この近年、数百年の流れでありますので、この流れに抗して存続していくには、それだけの努力は要るであろうと思われます。
【大川隆法 『減量の経済学』第2章「天御祖神の経済学」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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3「正見」の出発点
〇不幸の根源は自他の「理解のギャップ」にある
ところが、実は私たちが見ている「人の姿」あるいは「世界の姿」というものは、ちょうど、いろいろな角度から見ている人間によって捉えられるものに似ています。
「キュービズム」という芸術があって、いろいろなところに目があるようなかたちで立体的に物体を見ています。それが何を暗示しているのか、私にも十分には分かりかねますが、ピカソは、おそらく、「霊的な目で見た視覚世界は違う」ということを実は言いたかったのだと思います。
私たちが見ている二次元平面的な視覚像、この画像には満足ができない。神仏が創った世界は、そういう二次元平面的に捉えてはならない。それは、もっと霊的に、直覚的に、全てを包括するかたちで、見なければならない。そう考えて努力した結果が、おそらくキュービズムの芸術となったのであろうと私は考えます。
私たちはいろいろな人を見ていますが、しかし、必ずしも全方位から見尽くすことができないでいます。もしすべての人を心底分かりえるとしたならば、そこに何の理解のギャップが生じましょうか。そこに何の混乱が起こりましょうか。そこに何の不幸が生まれましょうか。
不幸の根源は「理解のギャップ」ではないでしょうか。「自分自身の自己理解」と「自分に対する他人の理解」との懸隔(けんかく)、あるいは、「自分の、他人に対する理解」と「その人の、その人自身についての解釈」との違い、こうしたことから人間関係の不幸は生まれてきているように思えるのです。
こう考えてみたときに、「実は、これは大変なことだ」ということが分かってきます。恐ろしくて目を開けていられない。そこまでの責任感が出てこなければならないのです。
自分の目に映じている人たちの姿は本当に納得いく姿なのか。自分はその人の印象というものを目を通して受けるが、それをそのままに受け取ってよいのか。その印象は確かか。
「印象に基づく、他人への評価」をその重大さを知ってか知らずか、誰もが必ずしています。印象を通しての人を評価しているが、それははたして正しいのか、これが問われるのです。
こうして考えると、「人を見る」という一つのことでさえ、大変なことになってきます。
【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」55p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第二章 真実の人となれ
〇自分の人生を生き切る
おまえたちは、いたずらに他の人をうらやんではならない。
その人が、たまたま、いい家(うち)に生まれたとか、
その人の両親が、たまたま優秀であったとか、
その人が、たまたま都会に生まれたとか、
その人の兄弟が、恵まれた経歴を持っているとか、
その人の肉体が、たぐいまれなる美しいものであるとか、
このようなもので、心を嫉妬で曇らせてはならない。
人には、それぞれの過去があり、
過去、積み上げてきたものがある。
そのすべての結果が、現在というものに表れているのだ。
他の人の人生にとってかわることはできないのだ。
自分は、自分の人生を生きなければならないのだ。
おまえたちが心しなければならぬことは、
自分の名前で他人の人生を生きるのではなく、
自分の名前で自分の人生を生き切るということなのだ。
自分の人生は、自分以外には、生きてくれる人はいないのだ。
それを大切にしなくてはならない。
自分の名前を大切にするように、
自分の人生を大切にしなくてはならない。
他の人とその身を置きかえたところで、
いかばかりの幸福感があるであろうか。
人には、それぞれの悩み、苦しみもあるのだ。
それらの人々の幸福なる点のみを見て、
悩みや苦しみを見ていないのが、
自分の、その迷いの姿であるのだ。
他の人のよいところのみを見て、
それを、おのが惨(みじ)めさと引き比べてはならない。
あなたが、あなた自身をいかに低く評価しているとも、
他の人のなかには、それを高く考えている者もいる。
このように、すべて、お互いの目からは、
物事は相対的に見えるということを忘れてはならない。
【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
1 八正道とは何か
本章では、釈迦の思想のなかで最も有名なものの一つである「八正道」について、説明をしていきましょう。なお、本書での記述は、一般向けの入門レベルのものとし、仏教的に専門的な解釈は、拙著『仏陀の証明』(幸福の科学出版刊)に譲ります。
さて、菩提樹下において釈迦が悟りを開いたとき、八正道の原型にあたるものはすでにあったのですが、方法論としてはまだ確立しておらず、八正道として人びとに説かれるようになるには、その後、約一年の歳月を要しました。
菩提樹下で禅定し、悟りを開いてより一年―。仏陀は、身近な弟子たちや出会った人たちと話をしながら、次第に悟りを深めていきました。
そして、「この悟りを人びとに伝えるためには、ある種の方便、つまり、ひとの心に訴えるための方法論を持たねばならない」と感じていました。また、当時は、「六師外道」といって、さまざまな法を説く人たちがいたのですが、「彼らの教えとは違う独自のものを編み出さねばならない」という気持も強くありました。
こうして、考えに考えた結果、「自分の教えのいちばんの根本は、心を正すという点にある」という結論に達したのです。
それでは、いかにして心を正せばよいのでしょうか。いかにして、自らの心を調律していけばよいのでしょうか。結局、心を調律するためには、自らの心を、より澄み切った心、すなわち、仏に近い心でもって見つめ直す必要があるのです。そして、仏に近い心のことを、釈迦は「仏性」とか「真我」とか呼んでいたのです。
人間は、人びとのあいだで生きていると、さまざまな思いが去来して、「何が自分の本心であり、本領なのか。何が心の奥にあるものなのか」ということが、なかなかつかめないものです。
しかし、だれしも、人びとの目を去り、人びとの波動を受けない所に引き下がって、静かに己の心と対面したときには、うそをつけない心、真実なる心に至ることができます。
虚栄心や劣等感の裏返しなどから、人前で自分を取りつくろってみても、ひとりで静かに坐したときには、深く思いあたるものがあるはずです。それが真実なる心なのです。それはまた、仏の心、白紙の心と言ってもよいし、あるいは、自分自身のなかの本当に純粋な部分、うそがつけない部分だと言ってもよいでしょう。
この真実なる心でもって、みずからの思いと行いを振り返って見ることが、八正道の出発点です。
思いと行いをふり返る方法として、仏陀は八つの点検箇所を考えました。それが有名な八つの徳目、すなわち、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」なのです。
「見る」「思う」「語る」「行う」「生きていく」「精進をする」「念う」「定に入る」という、八つの心の方向性、あるいは肉体の行動に、「正しい」という言葉がついていますが、この場合の正しさとは、単なるマルバツの正しさではなく、内を深く見つめていくこと言う意味での正しさです。この八項目を一つひとつ静かに点検していくことが、反省の主な方法でした。
釈迦の反省は、夕方もしくは明け方に行われることが多かったようです。その際、八つの徳目について、それぞれ二十分程度の反省を行っていました。こうした反省を行うにつれて、みずからの心が軽くなり、浄化されていくという現象を感じ取っていたのです。
以上が八正道についてのあらましです。
【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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