(11/7-1)【阿羅漢への挑戦】310―37『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀の光、いまここに―『不動心』10蓄積の原理(2)―『解脱の言葉「仏説・八正道」』8【正見・「因・縁・果・報」による正しい観察】―『真説・八正道』口に出した言葉が自分と他人の幸・不幸をつくり出す―『釈迦の本心』「空」はなぜ重要なのか

『永遠の仏陀』を読む

42 畳一枚の広さに、針が五十本は突き出している。高い鉄下駄をはいた鬼たちが、鉄棒をぶんぶん振り回しながら、罪人たちを頂上へと追い上げている。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、『不動心』より、信仰において不退転であるための力を主よりいただきます。本書は、アフリカのケニアなどで教科書の副読本としても読まれ、世界中で愛されています。まだお持ちでない方は、是非お求めください。【税抜き1700円】
―「不動心」に盛られた力強い言魂が、読者の人生の帆柱に一陣の強風を与え、苦悩の大海を渡り切るための推進力となることを、切に願うものです。―本書より
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■『不動心』―人生の苦難を乗り越える法 第2章「蓄積の原理」
3 蓄積の効果(2)
蓄積が少ない人は、少々のことで心が動きます。一方、蓄積が多く、自分のなかに絶大なる自信がある人は、多少の不評や挫折ぐらいでは心が揺れません。したがって、それだけの蓄積を、氷山の水面下の部分をつくっていくことが大事なのです。

さらに、蓄積には意外な効果もあります。それは、思わぬところで人生を開く鍵になるということです。現時点では役に立たないことであっても、十年後、二十年後に、思わぬところで、思わぬかたちで、花開くことがありうるのです。

将来、自分に何が必要かは、なかなか分かりませんが、無駄な経験を数多くしてきたように思っても、あるとき、それが役立つことがあります。

私は現在の道に入る前、総合商社に六年ほど勤務していました。

それで働いていながら、「こうした仕事に、どうして一日の時間の大部分を使わねばならないのか。なぜ、仏法真理や心の問題に関係のない世界で、一日の大部分を過ごさねばならないのか」という疑問が、常に頭を去りませんでした。

そして、「私はこんなことのために生まれてきたのではないはずだ」といった思いが、何度も心をよぎりました。

私は商社のなかで、外国為替や国際金融、国内の資金関係を専門にやり、お金の流れというものを充分につかんでいましたが、「こうしたことは、心の世界には何の関係もない」と思っていたので、自分のあり方について一抹の不安を覚えていたのです。

しかし、そうした経験が「幸福の科学」において生きてきているのを、私はいま実感しています。商社時代に、人びとの動き、組織の運営の仕方、資金の流れ、資金の活用方法などを学んだことが、現在の仕事に生きてきたのです。

心の方面に力を注ごうとする人たちのなかには、組織の運営やお金の運用の面になると、意外にもろい人が多いはずです。特に宗教家には、そうしたことに疎い人が多く、知識や経験の不足から、まずい組織運営をしてしまい、本来の意図や意志を実現できないことが数多くあるように思います。

しかし、私には、「無用の用」の部分、仏法真理に必ずしも関係がないと思った部分で、全力を尽くしてきた期間があるため、蓄積があるのです。それが何らかの形で生きてきているのを実感しています。

また、商社時代に、私はアメリカで仕事をしていたこともあります。そこでは、白人や黒人のアメリカ人、韓国人、中国人、フィリピン人など、いろいろな国の人と一緒に仕事をしましたが、それを通じて、いろいろな国の人の考え方や特色、自分とは違った価値観というものを知りました。

現在、私は、真理の多様性、正しさの多様性を説いていますが、その根源を探ってみると、私が国際社会において、いろいろな考え方を持つ人の間で揉まれてきたことが、原因の一つになっているのではないかと思います。

自分以外の考え方のなかにも、筋の通った考え方がいくらでもありうることを、実をもって学んだことが、現在の私の考え方における多様性にもつながっているように思います。

いろいろな宗教家が、いろいろな教えを説いていますが、どの人も「自分たちの教えこそがすべてだ」というような言い方をしています。

しかし、私がそうした考え方を持たずにいられるのは、いろいろな国籍の人たち、肌の色の違う人たちと一緒に仕事をして、彼らの考え方を十分に吸収したことが、「無用の用」として生きているからだと思います。
このように、人間は仕事のなかで磨かれていくのですが、「将来の目標にとって、現時点では役に立たない」と思うことであっても、それがやがて何らかのかたちで生きてくることがあるのです。

したがって、大事なことは、「自分の自己実現の目標や理想から見て、自分はいま回り道をしている。直接には関係のないことをしている」と思っても、そのとき自分に与えられた教材をフルに生かして生きることです。

現在の自分に与えられた問題集をしっかりと解いていれば、やがてそれが生きてくることもあるわけです。

学生時代に数学を習っても、社会に出てからそれが役に立つことはあまりないかもしれません。しかし、それを学んだということが、どこかで必ず、その人の人格や教養のバランスをとることになっているのです。

また、小説家は文学作品だけを読んでいればよいのかといえば、そうではありません。これからは、世の中のいろいろな動きを知っていること、世界を知っていることが、小説家を支える一つの材料になるのです。

蓄積をしていくためには、いま自分に必要なこと以外にも、いろいろなことに関心を持って、常に情報を集めつづけることが大事です。いまは必要でなくても、なんらかの糧になると思われる情報を集めつづけることが、やがて大きな効果となって現われることになるのです。

【大川隆法『不動心』第2章「蓄積の原理」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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■解脱の言葉「仏説・八正道」

まず第一は
『正見』なり
縁起の 理法を 信じては
己れの 道を 正すなり
原因 必ず 結果あり
因・縁・生・起が 縁起なり
自己も 世界も 原因の
種が 蒔かれて  【因】
水を やり   【縁】
果実が 実り  【果】
報いあり    【報】
果実の 甘さ 苦さにも
種と 育ちに 理由あり
己れ 自身の 幸・不幸 
過去に 必ず 原因あり
振り返りみて 反省の
心 起こすは 正見なり

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〇正見―「因・縁・果・報」による正しい観察
何がよくて何が悪いか、結果的には、すべては分からないのです。しかしながら、すべての人が、「因・縁・果・報」の流れの中に生きています。

そして、「報」は、生きているうちに起きることもありますが、死んでからのちに起きることもあります。この世的には栄達しても、あの世に還ってからは違う、ということは当然あるのです。人生は、ここまで考えないと完結しません。

ですから、何度も述べているように、仏教的人生観というのは、「因・縁・果・報」の考え方なのです。そして、この考え方というのは、ほかの原因もあるでしょうが、基本的には、
「自己責任の原則」に戻ってくることは、まず間違いありません。

要するに、「人生における現在の苦しみの原因は基本的に自分にある」ということです。つまり、自分が現在、苦しんでいるのには、苦しむだけの理由がやはりある、ということです。

自分の過去について、両親の段階から辿ってきて、結婚や子供、職業など、現在までのいろいろなことを、ずーっと点検してみて、その原因をよく分析すれば、苦しみの理由がわかります。苦しみの理由がわかったならば、そこでよく自分のうちを見つめてください。たとえば自分の欲によって起こされている苦しみならば、その欲の部分を根元からバシッと切らなければいけません。

それから、時代性と地域性(たとえば二十世紀後半に日本人に生まれたことなど)のように、人間心や人間の力では、いかんともしがたいものに対して、やはり運命を甘受することです。これに対しては、不平不満を言ったところで、しかたがありません。自分自身の欲望などが原因となって起きているものに対しては、その原因を摘んでいくことが大事ですが、自分自身ではどうにもならないものに関しては、あまり悩むのは無駄なことでもあるのです。

たとえば、「自分がほかの人に気に入られるかどうか」ということについては、自分に原因があって、嫌われたり好かれたりするということもあるでしょうが、それを超えて、自分の個性自体が受け入れなれない場合には、人それぞれの考えがあるのでしょうから、そうしたものとして受け取らないといけません。それでよいのだと思います。・・・

ですから、「何もかも自分の思い通りになる」ということが、必ずしもよいことではありません。

「思い通りにならなくて、よかった」ということもあるのです。思いどおりにならなかったことに関しては、「それでよかったのだ」と思っていけ入れる心、そうした気持ちも大事だと思います。

このように、縁起の理法でもって正しい観察をなすことが、正見です。すなわち、きっちりとした真理の法則に基づいて、心の目で見て、正しい観察をするのが正見なのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。お持ちでない方は是非拝受ください。【税抜き1500円】
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〇無常観
仏教学者によっては、「正見は、難しいけれども、結局、無常観なのではないか。『無常の理をでもって見ることができかどうか』ということなのでしないか」という人もいます。これも一つの見方でしょう。

普通に、この世の教育を受け、経験を積んできた人は、残念ながら、無常観でもって世の中を見ることはできません。それは、やはり宗教的な真理を知っていないと、できないことなのです。

「この世は仮の世界で、いずれ過ぎ去っていく世界であり、本当の世界は、あの世の世界である。肉体はいずれ滅びるが、そのなかにあるもの、魂、永遠の生命のほうが生き続けるのだ」という目でもって見る見方があり、それを最も端的に言えば、無常観ということになります。

「諸行無常。この世のものは、すべて流れていき、移り変わっていくものだ」という目で見られるかどうかです。

こういう諸行無常の目で見ると、「執着だ」と言われているものが、全部、網にひっかかってくるのです。・・・

子供に執着しても、子供は、やがて大人になり、自立して、親から離れていきます。

財産は、「いつまでも、そのまま持ち続ける」ということはできません。
【※聖徳太子の言葉 「財物は亡び易くして、永く保つべからず、但し三宝の法は絶えず、以て永く伝ふべし」】

健康に執着しても、腰は曲がり、病気になり、やがて必ず死にます。この予言は外れません。悲しいけれども、誰もが亡くなって、火葬場で焼かれるのです。・・・

禅宗系は、八正道さえも使わず、座禅をするだけで、何万ものお寺が、ご飯を食べています。・・・これは、釈尊の教えの、ほんの一部分しか使っていないでしょう。釈尊の四十五年の説法のなかの、ほんの少しを使っただけでも、二千年ぐらい、ご飯を食べられるのです。
・・・

したがって、宗教というのは、すごいものだと思います。・・・宗教というものは宝の山です。同じく宝の山でも、ダイヤモンドや金の山であれは、大勢で持ち去ったらなくなりますが、宗教というのは無限にわいてくる宝なのです。

なぜかというと、時代が変わり、人が変わっても、人間としての本性は同じであり、人間が生きるべき道というのは、そう大きく変わるものではないからです。昔に説かれた教えでも、人間の心に関するものについては通用するのです。

この世のあり方は違っていても、心のあり方は変わりません。それは永遠にずっとつながっていくものです。生活様式が変われば、それに応じた解釈を、そのつど、新しい指導者が教えなければいけませんが、心の教えそのものは永遠に続いていくものなのです。

だから、宗教は無限なのです。この世のものは、巨大な会社であろうが、お金であろうが、宝石であろうが、何に執着しても、全部なくなりますが、この教えの部分はなくなりません。

体に関することではなく心に関すること、心を生きもののように見るならば、心の育て方、飼い方ということ、これについて教えてくれるものは宗教しかありません。したがって、宗教はずっと続いていくのです。

【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第4章「正語」
1言葉の影響力
〇口に出した言葉が自分と他人の幸・不幸をつくり出す

次に、「正しく語る」ということを話してみたいと思います。これは正見と並んで、共に非常に大切な修行の目標です。しかし、この正語はかなり難しいことです。それは、「八正道」の教えに基づいて自己の心をチェックしている人が、その難しさを感じているのではないでしょうか。

もし、一日が終わる時点において、自分がその日一日に語ったことを録音されていて、就寝前にもう一度それを聞かされたらどう思うか。これが「正語的発想」の出発点です。
一日を過ごし、もし、その日に自分が語ってきたことが録音されていて、それを寝る前に聞かされたとしたら、どう判断するか。自分が語ってきたことを、もう一度、他人の目で見よ。第三者の目で見てみよ。

こう言っているのです。これは、極めて難しいことです。正見も難しいことですが、正語はさらに難しいことです。

自分の語っていることが、他人にどういう影響を与えているのか。そして、その言葉を出すことによって、自分自身がどう影響されているのか。自分が出す言葉によって、自分がどう影響されているか。このことについて分からないとがほとんどです。九割以上の人がそうでしょう。そして、不幸をつくっているのは、自分自身が出している言葉に問題であることのほうが多いのです。

幸福の科学の信者であれば、いろいろな相談を受けることもあるでしょう。例えば「自分は他人から被害を受けている」というような相談です。「いつも上司に怒られている」「いつも夫の暴力で悩まされている」「いつも妻の悪口雑言で苦しんでいる。四六時中、苦しんでいる」という苦情が出されるわけですが、「本当に四六時中ですか」と訊くと、そんなことはないのです。

「よく怒る上司」というのは、実は年に二回ぐらい怒るだけとか、「一日中、朝からベットの中まで小言を言う」という妻は、実際に時間を計ってみると一日に、三十分も言っていなかったとか、そのようなことはよくあるのです。ところが、自分を害するような言葉がエンドレスで頭の中を回っている感じがするのです。

なぜそのようなことが起こるのでしょうか。それは、その事実を自分が口に出して確認していることが多いということです。「おまえは一日中、小言を言い続ける」「いつもいつも聞かされて、自分は参っている」などと自分で口に出して言うと、言葉に出すことによって、その事実が客観化してくるわけです。そうして、自分が出した言葉によって、その事実が客観化してくるわけです。そうして、自分が出した言葉によって、今度は縛られます。いったん、そういうことを言った以上、毎日毎日、妻から責められていないと気が済まなくなるのです。そのように思わないと気が済まなくなるのです。自分が言ったから、その言葉を信じる以上、そうなってくるのです。こういうことは、実に多くあります。

心に留め置かなければ、翌日には忘れられるようなことであっても、それを言葉として表現してしまった場合には、その言葉は自分の心のなかに残り、他人の心のなかに残るのです。

【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」136pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第5章 永遠の仏陀 
〇永遠の仏陀の光、いまここに

行け、
行きて、わが言葉を伝えよ。
永遠の仏陀の言葉を伝えよ。
永遠の真理を伝えよ。
永遠の法を宣べ伝えよ。
永遠の仏陀、東の国にてよみがえり、その声発するを、
この日本に、くまなく伝えよ。
全世界の人々に伝えよ。
億万の民に伝えよ。
幾十億の民に伝えよ。
来世の人々に向かっても伝えよ。
地下にある者たちにも伝えよ。
「おまえたちは、魂の牢獄から、魂の煉獄から、
いま、解き放たれたる時が来たのだ」と、
告げ知らせるのだ。
永遠の仏陀の光が、
ここに、
いまここに、
臨んでいるのだ。

信ぜよ。
見よ。
聴け。
そして、
知るのだ、この言葉の力を。
知るのだ。この言葉の意味を。
知るのだ。この希望の福音を。
すべては、ここに始まり、
すべては、ここに終わる。

永遠の仏陀を信じる時に、
あなたがたもまた、
永遠の生命として
生き続けることとなるのだ。
(完)
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あとがき(旧版)

『永遠の仏陀』とは、永遠の真理であり、永遠の法でもある。

仏陀とは、人にして、法なり。法にして、人なり。しかして、地域を超え、時代を超えた、最大の愛の顕現でもある。

本書は人類の宝である。至宝である。

これを決して無駄にしてはなるまい。あなたがたは、このダイヤモンドの山を無駄にしてはなるまい。それをまた、自分ひとりのものにしてもなるまい。

すべては、ここにある。すべての教えの本が、ここにある。すべての悟りの本が、ここにある。

今、永遠の仏陀、あなたの前に現れ、あなたと共に歩んでいるを知ることだ。

一九九一年 七月
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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改訂新版・あとがき

ある時には、静かに淡々と語られ、ある時には、厳かに胸を打つ言葉がつづられ、仏陀の説法とはどのようなものであるかが、本書によって、あまねく人々に伝えられたと思う。

言葉の流れは、第五章『永遠の仏陀』に入って、激しく、かつ、急となる。読者は、仏陀の奥にある「エル・カンターレ」の意識と姿を、一瞬、垣間見ることができる。しかし、深くは理解しなくてよい。釈迦とキリストの奥に存在(あ)る「光体」の煌きを、かすかに、感じ取るだけでよい。それから後は、実在界の神秘のままでよいのだ。

この十数年の活動で、何かと世紀末の闇を打ち砕くことに成功を収めつつあると思う。外には、ある時には華々しく見えたことであろうが、内にあっては、真剣かつ、緻密かつ、着実な毎日の積み重ねであった。

一九九一年に語られた私の本書での呼びかけに馳せ参じ、地涌の菩薩として身命を惜しまず活躍された、幾万、幾十万の光の子たちに、心からの感謝を捧げる。

一九九七年 7月末 
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法

【大川隆法『永遠の仏陀』より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第4章 空の思想
7 「空」はなぜ重要なのか

それでは、「空」の思想はなぜ重要なのでしょう。仏教は「空」の思想をなぜ持ち出してきたのか。なぜ、目に見えぬ世界の話をするのか。なぜ、目に見えぬものが現われたり、現われたものが目に見えぬものになったりするのか。そうしたことについて考えてみましょう。

実はこの領域に、後代において禅宗が発生する源流があると考えられるのです。禅では、「禅問答」といわれる奇抜な問答をすることによって、相手に仏性や実相世界を悟らしめることが、往々にしてあります。「まったく別のものを持ってくることによって、現在の自分の立場や考え方を、鏡に映すように悟らしめる」という方法が、禅にはあるのです。

その意味で、「空」の思想は禅の源流をなしていると言えます。ただ、禅の思想そのものは、釈迦の思想から少しそれていった面があります。

結局、目に見える世界を実在だと思うからこそ、それに執(とら)われるのです。人びとは、肉体を見れば肉体に執われ、異性を見れば異性に執われ、食物を見れば食物に執われますが、執われのなかには、決して心の安らぎはありません。

心の安らぎは、執われを取り去ったときに現われます。無執着の境地にこそ、幸福感はほとばしり出てくるのです。釈迦はそれを知っていました。

それゆえ、釈迦は第一段階の否定として、「諸々の比丘、比丘尼たちよ。おまえたちの目に見え、当然のごとく実在だと思われる、おまえたちの肉体やさまざまな物質、山川草木(さんせんそうもく)などは、ほんとうは『空』であり、仮の姿にしかすぎないのだ」と、「色即是空(しきそくぜくう)」を説いたのです。そのときの仏弟子たちのショックは、どれほど大きいものだったでしょうか。

物質を電子顕微鏡で見たことがある人ならば、それが事実であることが分かります。物質という固形化したものであっても、拡大して見れば、隙間だらけの小さな粒子の集まりにかすぎません。人間の目の前に実在しているように見えているのは、目の錯覚にしかすぎないのです。

このように、釈迦はまず、この地上にしばられる心を地上世界から遊離させ、真実の価値世界に目覚めさせるために、「空」を説いたのです。この第一段階の否定は、禅の根本と相通じています。

しかし、「色即是空」を説くだけではまだ不十分であり、次に「空即是色」を説かなければなりません。そこで、釈迦は次のように説明したのです。

「地上のありとあらゆるものは、実は仏の念いによってできているのだ。仏の念いは、目に見えるものでも、手に触れることのできるものでもない。しかし、仏の念いが言葉となったとき、それはやがて具象化し、現われてきたのである。

この地球という星も、そこで生きるさまざまな動植物も、仏の念いがあってできてきたものである。そうした仏の念い、また、その念いを伝えるための高級諸霊の活動があって初めて、この世界ができてきたのだ」

ここには、釈迦の思想の特徴である、バランスのとれたところ、偏らないところが、明らかに表れています。

結局、「空」の思想とは何かと言えば、一つには、執着を取り去るための修行方法であり、もう一つには、世界や人生の成り立ちを教え、天地創造の秘密を解明するものなのです。この二つの意味合いがあるために、「空」は大切な思想とされていたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第4章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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