20 食べられる側の草食獣や、小動物は、恐怖を味わい続ける。時々、「憲法九条」と刻印されたシマウマまで目撃される。(迷彩柄で身を護ろうとしているのだ。)
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
はじめに、教典『心眼を開く』より、霊界の裏側の世界についての学びを深めてまいります。
本経典の霊指導は、天御祖神であると言われています。大切な教えですので、教典をお持ちでない方は是非拝受ください。全国の書店・支部・精舎でお求めいただけます。【税抜1500円】
「やや宗教的な面を強く出し、天狗、仙人、妖怪、妖魔の世界にも言及し、日本で「宗教」と思われているもののなかに、世界宗教としての仏教やキリスト教の奥にある考えとの相違があることを示した。いずれにしても、心の清らかさから、物事の真実を見極める、幸福の科学の立場を説明していると思う。」―「まえがき」より―
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」
3 「裏側」の霊界の諸相を明かす
〇山岳の多い日本ではメジャーな「天狗」
これ以外では、「天狗」というものが日本では結構メジャーなのですが、これは山岳が多いことも関係しているのではないかと思います。日本の場合、七割が山であり、山岳修行というものが宗教修行のなかではけっこうポピュラーなものであったので、天狗もけっこう数は多いのです。
要するに、山で修行しているうちに霊力がついてくるわけです。山歩きをする回峰行などをしていてもそうですが、千日も、夜中に歩いたり、山のなかを歩いたりしていると、いろいろな声が聞こえるようになったり、感じたりするようになることがあります。
真っ暗のなか、山道を飛ぶように走っている状態で、赤外線カメラでもつけているかのように、飛ぶように走るので、おそらく時速六キロか六・五キロくらいの速度になるでしょうか。そのくらいの速度で山歩きなどをしているうちに、いろいろな自然霊や宗教霊のようなものと感応しやすくなってくるのです。
それから、回峰行が終わったあとに、「穀物断ち」や「水断ち」等をする修行もありますけれども、そういう段階で、いろいろなものが視えたり聞こえたりするようになるという経験をする人は多いと聞いています。
いずれにしても、山岳修行では、巷の人間界の波動を受けにくく、いろいろな霊が感応してきやすいところがあると思います。ただ、どのような霊が来ているのかを見分けるというものも、なかなか大変なことではあります。
若干“スーパーマン信仰”のようなものがあることはあって、そういうものに惹かれる人も多いので、天狗のなかにもそういう傾向はあるでしょう。
【大川隆法『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『真説・八正道』
5正しく人を見るための判断基準
③相手を相手の立場から見る
そして、第三段階は、「自分の感じたその姿は、相手の立場に立ってみたら、どうなるか」ということです。こういう判定基準があるのです。【※第一段階は「映像を客観的に捉える」、第二段階は「自分の感じ方を知る」でした】
例えば、自分はその人を「きつい人だな。厳しい人だな」と見た。しかし、こういう見方について、その人の立場に立った意見を聞かされたら、どのように感じるだろうか。自分の見方を、その人は「正当だ」と思うだろうか。「半分ぐらいは当たっている」と感じるだろうか。「まったく当たっていない」と感じるだろうか。
こうしたことを推測し、忖度(そんたく)する必要があるのです。
この推論をしてみるだけで、「自分とは意見のズレがあるだろう」と思える人がいることに気づきます。
「自分は、『この人はこういう人だ』と思うが、この意見については、たぶん、この人も納得するだろう」と言える見方もあれば、逆に、「この人は、たぶん、そうは思っていないだろう。きっと『自分はそうではない』と思っているだろう」という見方もあります。このように、いろいろなズレのあることが分かるのです。
ピッタリと一致することもあれば、まったく外れてしまうこともありますし、ある程度、重なっているところもあります。いろいろあるはずです。
【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」p60】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『永遠の仏陀』
第2章 真実の人となれ
〇仏弟子の本懐
多くの人々は、
飽食の時代のなかにあって、
しかもまだ飢えているのだ。
この世には、さまざまな食物があふれているというのに、
しかし、この時代にこそ、
人々は飢え、苦しんでいるのだ。
飢えているのは、心が飢えているのだ。
心が、魂が、
糧を求めているのだ。
魂の糧を探しているのだ。
あそこにも、ここにも、
飢え死にしてゆく人たちが跡を絶たない。
魂の糧は、まだまだ足りないのだ。
心の糧は、まだ、
全地球に供給するほどはないと言ってよいであろう。
さすれば、仏弟子であるおまえたちは、
日夜、この魂の糧を、心の糧を、
生み出し、届けることに、専念せねばなるまい。
この仕事に終わりということはない。
しかし、仏のこの地上にある時に、
この仕事に邁進できる者たちは、幸いである。
それは、真昼の中を歩く旅人にも似て、
その道を過(あやま)つことがないからだ。
真昼のなかを歩く者たちは、
間違いなく目的地に到達するであろう。
しかし、闇のなかを歩む者は、
やがて足を滑らせて、
その道より谷に落ちることになるであろう。
光ある時に、
真実の生き方に目覚め、
真実の人として生きてゆくことを、
誇りに思わなくてはならない。
その時にこそ、
仏弟子としての本懐が
遂げられるというものであるのだ。
おまえたちは、正直に、
真実の人間として、世を生きてゆきなさい。
懐かしい日のために、
また共に手を取り合って喜び合える日のために、
その名を隠して、
愛のために生きてゆくのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第2章「真実の人となれ」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『釈迦の本心』
第2章 八正道の発見
5 正語
それでは、「正しく語る」とはどういうことでしょうか。
正見のところでは、間違った見解を形成することは心に毒をつくるということを述べましたが、人間は、「語る」ということを通しても、心に毒を受け、毒を売り、毒を広げることが多いのです。「人々の苦しみの大半は言葉に起因している」とも言えるでしょう。
他人から発せられた言葉が自分を不幸にすることもあれば、自分の発した言葉が他人を不幸にすることもあります。言葉は人間の幸・不幸と非常に関係があり、ある意味では、「言葉の調律」ができれば、地上は理想社会となっていくことが可能なのです。
霊天上界においては、高級霊界に近づくほど、言葉の調律ができるようになります。高級霊界には、他人に対して悪しき言葉をはく人はいません。ときどき批判めいたことを言うことはなきにしもあらずですが、その場合は、その人をよくするため、善導するためであることが原因であり、心底から他人を嫌った言葉を発する人は高級霊にはいないのです。
したがって、言葉というものは、その人の人間性を評価するための大きな目安、基準となります。自分の言葉がどういうものであるかは、反省の項目として非常に特徴的であり、わかりやすいチェックポイントだと言えます。
正語の反省においては、「きょう一日、自分はどのように語ったか」ということを具体的に思い出してみます。言葉というものは、たいてい、他人の存在を前提としているので、「どういう人が自分の前に現れたか。その人に対して、どう語ったか」ということを、一つひとつ点検してみるのです。
気分や体調がすぐれないとき、また、悩みのなかにあるときには、たいていの場合、他人に対して否定的な言葉を数多く出していると思います。否定的な言葉とは、相手が幸福にならないような言葉、相手を傷つけ、不安に陥(おといい)れ、前途を真っ暗に感じさせるような言葉のことです。
否定的な言葉を出すことは、不幸の拡大再生産をしているのと同じです。自分が暗い感情に囚われているのは自分ひとりの責任ですが、それを言葉に出して語ることによって、その病原菌が他の人びとにうつっていきます。そうした言葉を一日の比較的早い時点で浴びてしまった人は、不愉快な一日を送ることになり、その人の不愉快さが、また他の人にも伝染していくことになるのです。
したがって、言葉の調律は非常に大事な修行です。よい言葉を出す。正しい言葉を出す。仏の心にかなった言葉を出す。こうして言葉を正していくうちに、言葉のもととなる部分、すなわち思いへも、反省の作業が深く深く進んでいくようになるのです。
言い換えれば、「真実語」を常々語り、「悪口・あっく」(人の悪口)、「妄語・もうご」(うそ)、「綺語・きご」(おべんちゃら・へつらい)の、「両舌・りょうぜつ」(人を仲たがいさせる言葉)を避けることです。
【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
■□■□■□■□
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

