(7/5-2)【阿羅漢への挑戦】186―4『永遠の仏陀』を読む―仏陀の教えありてこそ―『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』与える愛による自己拡大―「反省はなぜ必要か」悟りへの第一歩―『真説・八正道』人間とはどのような存在か―『釈迦の本心』反省

正義の言葉『仏説・降魔教』

3 妖怪の本質は、自分の正体を見せず、相手を翻弄するところにある。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■何を祈るべきか

「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―

このように祈ることが大事です。

【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
はじめに、主の心原点に立ち返るべく、1989年の9月9日に説かれました『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』の教えを振り返ります。経典お持ちでない方は、必ずご拝受ください【税抜1500円】

本書は一種の人生論です。いや、むしろ人生論の解説書ともいうべき趣のある書物であると言ってよいでしょう。本書の表題である、「人を愛し、人を生かし、人を許せ」という短い言葉は、私の人生に大きな転機をもたらしました。(「まえがき」より)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■人を愛し、人を生かし、人を許せ。
一 愛の発展段階説の原点
4 与える愛による自己拡大

他の人から受けたものは、ほんとうに大きいのです。しかし、自分からのお返しは小さなものです。

そのことを考えたとき、私は思いを改めました。「私はいくつかの願いが満たされれば幸福だと考えていたが、もっともっと大きな幸福があるのではないだろうか」と―。

人間が幸福を感じるのは、自分の存在感が非常に強いときです。別の言葉で言えば、自己が拡大していると感じるとき、自分というものの存在感が大きくなっていくときです。

自分が認められたいという気持は、実は自己拡大の思いでしょう。しかし、自己拡大の思いは、他から奪うことでは達成できないのです。それは、自分のえぐれている部分を埋めようとする努力にすぎないからです。

ほんとうの意味の自己拡大とは、自分自身の魂の一部を、精神、心の一部を、他の人びとのなかに種まきをしていくことです。自分の生き方や考え方によって、他の人びとに影響を与えていくことが大事なのです。

普通は「与えれば損をし、もらえば得をする」と思うものですが、心の世界においては、与えれば与えるほど、自己を拡大していくのです。

たとえば、何万人もの人の前で講演ができることは、私にとって一つの自己拡大だと思います。それは、その人たち一人ひとりの考え方に影響を与え、その人生に何かを付け足すことができるということであり、私が自分自身の人生に何かを付け足す場合よりも、はるかに大きな自己をつくっていることになるのです。

したがって、真に自分を生かす方法は、自分の保身を図ることのなかにはありません。そうしたことで得られる満足は、実に小さなものにしかすぎないのです。

ほんとうの意味での幸福が、自分を無限に有用で役に立つもの、真に素晴らしいものだと感じ、自己の拡大感、発展感を味わうことだとすれば、多くの人の役に立つ人間になっていくことのなかにこそ、幸福感があって当然なのです。

それこそが、よい意味でのエゴイストです。それなのに、たいていの人は小さな自分に満足しすぎています。「真に、自分のことを考えるならば、観を転回し、ものの見方をかえていかなければならない」ということに、私は気がついたのです。

【大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第1章「人を愛し、人を生かし、人を許せ」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
ここで一日の終わりに反省をする前に、反省がそもそもなぜ大切なのかについて経典『幸福の科学とは何か』よついて学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜1600円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『幸福の科学入門―初歩からの仏法真理』
第5章「反省はなぜ必要か」
4 悟りへの第一歩
反省を中心に話を進めてきましたが、もう一つの大切なことを述べておかなくてはなりません。それは、「『悟りへの第一歩、第一関門は反省である』ということを、どうか肝に銘じてほしい」ということです。

悟りについて、いろいろな考え方をする人がいるでしょうが、悟りというものは、まず、この反省を通して得られるのです。

第一段階の悟りとは何かというと、本来の自己を取り戻すこと、すなわち、「自分は仏の子であり、実在界から出てきた存在である。また、自分自身は霊的存在である」という事実に目覚めることです。

それが悟りの第一段階なのです。

この霊的自己に目覚めること、本来の自己に目覚めることが、反省の中核をなさなくてはならないと私は思います。

反省というものは、道徳的に教えられた、よいことや悪いことを振り返って、マル・バツを付ける行為ではありません。

ほんとうは、霊的な自己というものがあり、その霊的な自己には、成長していく方向があります。「この方向に伸びていけば成長する。しかし、これと違った方向に伸びていけば失敗する。あるいは、自己のためにはならない。霊的成長を阻害される」という方向があるのです。

この部分を中心に反省しなくてはなりません。

本来、自分の霊性が目指している方向に、すくすくと伸びていけるような努力をこそ、しなくてはいけないのです。
したがって、反省は、真実の霊性に目覚めための手段でなければなりません。すなわち、霊的進化に奉仕しない反省は、真実の意味での反省とはいえないわけです。

たとえば、「他人を自分の思いどおりにしようとして、それできなかったから、反省する」というような反省は、ほんとうの意味での反省ではありえないのです。「他人を自分の思いのままにする」「自分の欲望を晴らさんとする」、こういうことが遂げられないがために、そこに自分の落ち度があったとして、それを反省することが反省ではありません。

仏の心に反した行為を反省せねばならないのです。

また、「仏の子」ということから引いてくることのできる結論として、本来、一人ひとりの人間には心のなかに良心というものがあります。この良い心、善我(ぜんが)なる自分、仏性をふくんだ部分が、その本来の姿に立ち返るために、その良心自身の要求するもの、仏性自身の要求するものがあるはずです。それが、ほんとうの方向なのです。

それゆえ、反省のもう一つの視点は、自分自身の奥深い心、真心との対話ということになりましょう。

「ほんとうに心底から、『自分は、こうありたい』と思っているのかどうか」、これを考えることです。「人の評判、人のつくり出した価値、さまざまな人間的な思いやレッテル、こんなもので自分の価値観が振り回されているのではないか」という点を、よくよく考えてみなければいけません。

自己実現といっても、間違ったレッテルなどに基づく自己実現であってはいけないのです。

真実の自己実現は、やはり、霊性の実現です。霊性の目覚めです。その到達です。これこそが、本当に望まれるところなのです。

それゆえに、みなさんは、まず、自分というものを謙虚に見つめていかなくてはなりません。人間は、どうしても、謙虚さというものを忘れて、「自分が巨大化すればよい。自分の活躍の場面さえ増えればよい」というように考えがちですが、それは、ともすれば、悟りの逆に近づいていくことになります。

心の錆止めということにも関係すると思いますが、ここで、もう一度、謙虚さということが、どうしても中心になっていかざるをえないのです。

すなわち、反省は、また別の基準から言うとするならば、「自分自身に対しては謙虚であれ。人に対しては優しくあれ」という言葉に翻訳することが可能でしょう。「何をどのように反省したらよいかが分からない」ということであるならば、この二つの言葉を中心に考えていただきたいのです。

一つには、「自分自身に対して、謙虚であったかどうか。仏神の前に謙虚な自分であったかどうか。傲慢でなかったかどうか」ということを振り返る必要があります。もう一つは、「他人に対して、真実、優しかったかどうか。愛を与えたかどうか」ということです。

「自分に対して謙虚で、他人に対して優しく」ということを実践することが一つの反省でもあります。日々、要求される、反省の積み重ねとは、結局、「自己に対して謙虚に」、また、「他人に対して優しく」、この二つの言葉に帰結するかもしれなせん。

これは、「己に厳しく、他人に寛大に」という言葉にもなりましょう。

いずれにしても、こういう心構えを持っていることは、無限の悟りを得ていくための方法でもあるのです。悟りは無限です。それは無限の階梯を持っています。

この二つのことを基準に考えてください。人間は、ともすれば、他人に対しては要求をし、自分に対しては甘く手ぬるい考え方をしがちです。しかし、そうであってはいけないのです。

こういう考え方をしてみると、「悟りを求める」という行為は、結局、「無限に人格を向上させていく道でもあるし、無限に器の大きい人格をつくることでもある」と言い換えることもできましょう。ここに、みなさんの研究課題がまだまだあると言わざるをえないのです。(完)

【大川隆法『幸福の科学とは何か―初歩からの仏法真理』第5章「反省はなぜ必要か」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『真説・八正道』第1章「序論」
2人間とはどのような存在か

かつて、はるかなる昔に、神仏の意識体の一部が散乱し、大いなる「人間を創るという理念」の下に、個性化して現われてきたみなさんです。「そうした生い立ちがあり、いろいろな星において肉体を持ち、魂修行をしてきた」という歴史があるわけです。あるいは、なかには、「地球だけで初めて生きた」という人もいるかもしれません。しかし、本来の魂の流れから見れば、はるかなる昔に、他の星においても魂修行をしてきたみなさんであったのです。

なぜ、「地球だけの転生」と言わず、「惑星を超えた転生」がありえるのでしょうか。そうした経験を通して、神仏はみなさんに、いったい何を与えようとしているのでしょうか。これを考えなければなりません。

そこに、この「宇宙創造の秘密」と「人類創造の秘密」があるのであり、「この両者の秘密について深く考える」という視点なくして、みなさんは人間であることを許されなくなってくるわけです。

したがって、「人間である」という事実そのものを、まず、みなさんが受け入れるかどうかを考えていただきたいのです。

「自分が人間として生まれ、かつ生きている、考えている、現に生かされている」ということを発見し、認めるということは、それ自体、いったい何を意味するのでしようか。
それは、みなさんが「創られた存在である」ということを、まず知らなければなりないということです。「創られた存在である」と同時に、「目的性を持った存在である」ということを知らなければならないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第一章「序論」31p】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『永遠の仏陀』
第一章 目覚めよ
〇仏陀の教えありてこそ

そして、考えてみるがよい
あなたがたが人間として物事を考えてゆけるということが、
何ゆえに可能になったのかを。
なぜ、あなたがたは、考えることができる。
なぜ、あなたがたは、判断をすることができる。
なせ、あなたがたは、行動をすることができる
その根本には、あなたがたに、信ずる理想があるからであろう。
「かく思い、かく行動することが、
人間としての自分がなすべき仕事である」と思うからであろう。
では、なぜ、そう思うに至った。
なぜ、そう考えるに至った。
そもそも、考えるということが、なぜ、できるようになったか。
それは、あなたがたの魂の親が、この地上に降りて、
偉大なる仏陀として、教えを説いてきたからではないのか。
仏陀の教えがありて後、
人々は、
何が正しくて、何が正しくないのかということを、
知るようになったのではないのか。
その法ありてこそ、
すべての学問が、そこに興(おこ)って来たのではないのか。

何ゆえに、
大宇宙から観れば、砂粒にしかすぎないこの地球に、
生れ落ちた魂たちが、
偶然に、高度なる価値観を有することができるであろうか。
それらはすべて、
過去、幾千年、幾万年、幾週万年、幾百万年、
いや、それ以上の歳月にわたって、
地上に肉体を持ちたる仏陀が、教えを説き、
そして、法として遺してきたからではないのか。

それが人間としての魂の確立の初めにあったのではないのか。
この法ありてこそ、
悩むことなく、日々、幸福に生きてゆけるのではないのか。
何を基準に生きてゆけばよいかが分からないとするならば、
あなたがたは、日々、困惑のうちに置かれるであろう。
しかし、そこに、正しき道を指し示す法があるからこそ、
あなたがたは、安心して、
暗がりの道であっても、歩んでゆくことができるのであろう。
このように、
仏陀の説いた教えが法となり、
闇夜を歩む旅人に―そう、あなたがただ、
無明の世界を生きてゆくあなたがたに、
光を与えているのだ。

信仰とは、
この光を知ることである。
信仰とは、
この光が、法の光であるということを知ることでもある。
信仰とは、
この法の光が、愛の光であるということを知ることでもある。
信仰とは、
この法の光が、慈悲満つる光であると知ることである。
信仰とは、
この光が、仏陀より射し来たっていることを知ることである。
信仰とは、
この光が、大宇宙の根本仏である仏陀を通して、
地上を照らしていると信ずることである。

これがすべての根本であるのだ。
この事実を認めることなくして、
今世、人間として生き切ったと言うことはできないのだ。
人間として生き切ったと言うためには、
正しき心を探究しつつ生き抜いたという、
その魂の歴史が必要であるのだ。
正しき心の探究は、人間としての義務であり、
その義務を果たすためには、
仏陀の教えに帰依することが必要であるのだ。
帰依ということを通して、初めて、
すべての事実が明らかにされるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『釈迦の本心』
第一章 菩提樹下の悟り
4 反省
洞窟のなかで一日の大半を過ごし、二、三時間だけ洞窟の外に出ては、食糧を探すための時間にあてるという生活を続けるうちに、何年かの歳月が流れていきました。

この間、ゴータマが徹底的に考え続けたのは、以下のようなことでした。
「人間は何のために生まれてきたのか。なにゆえ、このような戦乱が打ちつく世に、この下界に出てくるのか。

また、世にいう覚者となる道は、ほんとうに幸福の悲願に通じるものなのか。戦乱の世をはかなんで、多くの人が次から次へと出家していくが、出家して、それでどうなったというのだ。

彼らの多くは悟りを開いたのか。あるいは、この世を去ったあとで、苦しみの世界から逃れ、ほんとうの安らぎの世界に入っていったのか。それを確認できた人は、いないではないか。確認できていないにもかかわらず、そうした幻想に酔いしれているだけではないのか」

また、自分自身のこともさまざまに考えました。

「カピラヴァストゥを出て、すでに数年の歳月が流れた。父王シュッドーダナ、義母マハーブラジャーパティ―、そして、さまざまな取り巻きの者たちは、どうしているだろうか。妻のヤショーダラーは、さぞ悲しんでいるであろう。一人息子のラーフラは、どうしているだろうか。

世俗的な意味における、人間としての義務を捨て、家族のきずなを断ち切ってまで私が求めた悟りは、はたして得られるのだろうか。得られる可能性があるだろうか。出家してよりこのかた、多少なりとも悟りに気づき、人間性が向上しただろうか。また、人生の目的と使命をつかみえただろうか」

しかし、結局のところ、煩悩を断とうとすればするほど、執(とら)われが増し、多くの人間関係も、忘れようとすればするほど、気にかかりました。あばら骨ばかりのような姿になり、洞窟のなかで、天上からポタポタと落ちてくる滴(しずく)の音を聞くにつけとも、「これが本当に修行の姿なのだろうか」ということが、深く深く、反省されたのです。

そうしたなかで、「自分ひとりだけで、どこまで不退転の気持ちでやっていけるのか。カピラヴァストゥに帰城するときが来ているのではないか」という思いが、何度も何度も突き上げてきました。そして、いつのまにか意識がもうろうとしている―。そのような日々が続いていたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
■□■□■□■□
97 日々、「正しき心の探究」が続けられる喜び。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

タイトルとURLをコピーしました