(6/28-2)【阿羅漢への挑戦】179―88『真説・八正道』を読む【正定】反省は呼吸法から―「六波羅蜜多3」羼提波羅蜜多(せんだいはらみた)―「反省と霊能力」自分は何者か―『漏尽通力』大調和への道―「反省の原点」思いと行いがつくる地獄

『真説八正道』を読む

97 九十九%の信仰では足りない。仏法真理、霊的真実のために、百%の信仰を目指せ。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―③羼提波羅蜜多(せんだいはらみた)
釈迦の教えの四番目の柱は、利自即利他の教えです。これは、いわゆる六つの完成といわれる六波羅蜜多(サス・パーラミター)の思想です。波羅蜜(パーラミター)とは、内在する叡智という意味であり、多とは、その叡智があふれ出てくるさまをいいます。【※『黄金の法』では仏教思想の一番目の柱は「空間論としての実相世界と地上世界との関わり」。二番目の柱は「時間論」。三番目の柱は「八正道」。四番目の柱が「利自即利他」。五番目の柱が「空の思想」でした。『黄金の法』p144「思想としてみた釈迦仏教」参照】

三 羼提波羅蜜多(せんだいはらみた・クサーンティ・パーラミター)
これは、耐え忍びの完成とも言われ、いわゆる忍辱のことです。他人の不調和な言動や怒りの思いに自分も同調して、怒り始めたら、修行者としては失格だと言わなくてはなません。たとえ他人に原因があるとしても、修行者としては失格だと言わなくてはなりません。たとえ他人に原因があるとしても、その毒を食らってしまえば、その人もまた、心は地獄に通じてしまうのです。しかし、心動ぜずに、聞き流していれば、悪口や嫉妬や怒りは、やがてそれを発した本人に返ってゆきます。これを作用・反作用の法則ともいいます。

【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○羼提波羅蜜多(せんだいはらみた)
羼提波羅蜜多は、別名「耐え忍びの完成」ともいわれます。布施、持戒ときて、次に「耐え忍びの徳」が説かれているのです。

釈迦の人生を振り返って見たとき、ここにも一つの特徴があるように感じられます。長い年月をかけて、みずからの心を開拓し、魂を向上させていくためには、どうしても「耐え忍び」ということが必要です。それゆえ、修行者の大切な徳目として、羼提波羅蜜多が与えられているのです。

考えてみれば、地上に生きている人間の焦りは、ほとんどが忍耐力のなさに起因しています。そして、その焦りが結果的にイライラを呼び、心を波立たせ、他人との不調和へと続いていきます。

人生に勝利していくためには、耐え忍ぶことがどれほど大切であるかを知ったとき、人間は一段高いところにいる自分を知るに至るのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第3章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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■『真理学要論』第3章「反省と霊能力」
5 反省の一方法
③自分は何者か

いろいろな人がいらっしゃいます。私もいちおう生身の人間ですから、彼らに感情を害されることもあります。腹が立つこともあるし、面白くないこともあります。そういうとき、もしカリカリときたら、やはり今と同じように考えるのです。

「おまえは、幸福の科学の主宰者ではないか。もし、そういう人と会ったとしても、もちろんその人を責めることができるだろう。裁くことはできるだろう、しかし、おまえは何者なのだ。おまえの仕事はいったい何なのだ」

「それを考えたときに、おまえはその人を裁くような、そうしたことが今できると思うか。彼は、まだ学びの途中にある人ではないか。おまえは人々を導く仕事をしている人間ではないか。その人間が、学びの途中にある人を見て、心が乱れるようなことがあったり、不愉快に思うようなことがあったら、それはおまえ自身が恥ずかしいのではないのか。相手ではなくて、おまえ自身が恥ずかしいのではないか。自分自身の心に誓って、恥ずかしいとは思わないか」

そう心に問うてみると、「そうだ」となります。

そうしますと、最後は郵便ポストが赤いのも私の責任になります。そこまで考え始めると、もう人類に一人でも泣いている人がいれば、私が悪いわけで、人様の悪いことは何も言えなくなるわけです。

「ああ、そういう人がいたということは、仕事がまだ足りなかったんだ。ああ、申し訳なかった」と思うのです。

これは一人芝居のように見えるかもしれませんが、そう思った瞬間に、心の波動は変わるのです。その瞬間に、私は、私の本来あるべき心の姿に戻ってきます。

自分のことを言って申し訳ないのですが、これは、みなさんご自身でも同じようなことがあるはずです。先ほど述べたように、自分の魂の理想郷があるはずです。自分はこういう男性として、あるいはこういう女性として生き、そして死んでいくのが自分としての理想だと思います。そうすると、毎日毎日、さまざまな人に会って、カーッときたり、イライラッとしたり、「困ったなあ」「悩んだなあ」「相手が悪い」などといろいろ思うときに、

「待てよ、おまえはいったい何者なんだ」

ということを問うてほしいのです。

「おまえはいったい何者なのだ。おまえは自分は菩薩だと思っているのではなかったか」、こう思うわけです。

「努力して、如来になりたいと思っているのではないか」
そのように、人によっていろいろな心境の違いはあります。そこで、自分はどのへんが理想であるかということを考えて、その自分であるならば、

「これでいいのか。本当にそうでいいのか」

と問うてみるのです。

みなさんのなかには、五次元が目標という方は、たぶんいらっしゃらないと思います。なぜかというと、五次元からでは霊言が出てこないからです。五次元の霊言というのは、だいたい本になりません。「ああ、きょうは腹一杯食べてうれしかった」というレベルですから、本になりません。しかし、五次元ぐらいまでではちょっと本にならないのです。

「なぜ出してくれないか」と言っても、面白くなくて読んでくれないからです。巷(ちまた)のおじさん、おばさんの話と変わりません。

まともに、多少は人のためになることが言えるのは、だいたい六次元ぐらいからです。

みなさんとしては幸福の科学で学んでいる以上、六次元の上段階が、どう考えてみても、まずスタート目標です。ここまで今世行かずに、いつ行くかというころです。【※六次元上段階とは菩薩の登竜門である阿羅漢の境地です】

これが最初の目標で、何とか努力して、菩薩の世界のほうに入っていきたい気分はあるでしょう。「できれば、頭だけでも入ってみたい。あなたは首から上は菩薩であるというあたりぐらいまで、できたら今世行ってみたい」という願いは、みなあるでしょう。【※阿羅漢向】

そうすると、その辺りは霊言集のなかで、どういう人が出ているかを見ると、光明界【※6次元】ぐらいでは紫式部【※現代にアー・ユー・パッピー編集長が転生しています。2026年時点】、あるいはもともとは菩薩界の方ですが、西郷隆盛、ああいう方が、現時点【※説法当時1988年】では光明界のあたりにいらっしゃる方です。このあたりの心境がだいたい光明界です。少し上に行って、菩薩界【※七次元】に入ったあたりが坂本龍馬のいるところです。【※現代に総裁補佐として転生しています】

だいたいそのへんを見てみて、自分がどのあたりを今希望しているのか、理想郷として思っているのかと必ず問うてほしいのです。あなたは、今理想としているそういう人間になりたいわけです。自分が何になりたいかを、まず自分で確認することです。

いろいろな人と会って話をしていて、だいたい一日のうちに一回や二回は、嫌な思いはするでしょう。嫌な思いはしても、そのときに、

「待てよ、俺は西郷隆盛を目指しているのであった」

と思う。そうすると、心境も似なくてはいけない。

「西郷隆盛は、確か、味噌の入っていない味噌汁を、黙って二杯もお代わりしたというではないか」

お手伝いさんが、みそ汁に味噌を入れるのを忘れたにもかかわらず、西郷隆盛は一言も文句を言わないで、お代わりをしたらしいのです。次の人が「おい、これ味噌が入っていないぞ」と言って、初めてみそ汁に味噌が入っていないことが分かったそうです。それで「やっぱり先生は偉い人だ。お代わりして二杯も食べて、知らん顔して出ていった」「それだけの偉い方だから、多分気がついていたのであろうが、しかしそれを相手に感じさせなかった」と言われました。

そうすると、西郷隆盛という人は、太っ腹ともいうけれども、優しい人だったんだなということが分かります。「優しいんだな。相手を傷つけまいという気持があったんだなあ。で、自分がまずそうに食べたら、あとで相手が気がついて傷つくので、黙ってお代わりをした。れ祖だけの優しい心情があったんだなあ」ということが分かるわけです。

例えば夫婦喧嘩がはじまったときに、「西郷隆盛・・・」と思うわけです。

そうすると、西郷隆盛に負けるわけにはいかない。たとえ、ご飯がおいしく炊けてなくとも、たとえ魚が十分に焼けてなかろうが、たとえウェルダンと注文したステーキがレアで出てきたとしても、知らん顔をして口を拭って、「おいしかった」と言えるぐらいの自分にならなければ、あの心境には達しない。

そういうことを、やはり思っていただきたいのです。そういう考えの人を念頭に置いておくと、もうちょっとのところでブレーキがかかります。これがやはり幸福の基(もとい)です。こういうところで、ちゃんと歯止めが利くかどうか、これが大きなことです。

あるいは、女性であれば、竜宮界に還って、乙姫様になりたい人もいるはずです。本来的には、そういう願望は必ずあるはずです。やはりきれいに見えます。

すると、乙姫様の心境というのは何か。「そういえば弟橘媛(おとたちばなひめ)などは、単純な悟りを説いておられたな」というのが分かりますね。

「ただ、澄みきりなさい」と言うわけです。「難しいことを、あなたがたは考えすぎる。悩みすぎる。住みきりなさい」と教えています。あのへんが、だいたい竜宮界の女性で、ナンバー2ぐらいと言われているあたりです。あのあたりはだいたいそういう思想を持っています。「『澄み切りましょう』と言ったら、澄みきった湖のなかに住めるんだな」と思うわけです。

【参考・「間違えた真珠理論」について、(『「妖怪にならないための言葉」余話』78 
頁参照)この間違った真珠理論は、「たぶん、“お面”にまでつながってくる理論だろう」とも、主は指摘されています。善悪が曖昧で、修行論がない日本神道に対し、仏教では善悪を峻別し、人間として正しく生きる道を説きます。さまざまな人生の苦しみや失敗も「人生の問題集」と捉え、反省や自己変革を通して心を正し、それらの経験を「智慧」や「悟り」に変えていくことが、仏陀が説かれた仏教の本来の教えです。したがって、「自分の中に醜いものがあっても、フェイクの真珠で覆ったり、汚いものに蓋をするようにコーティングをすれば、真珠のような素晴らしいものがつくれる」という日本神道的な考え方は、「仏教の教え」や、主が「真珠のたとえ」として示されている教えとは対極にあるものと言えます。「反省が�


�きない」、善悪や反省を説く「仏教の教えが嫌い」というのは、日本神道の裏側の霊人に共通する特徴です】

【大川隆法『真理学要論―新時代を拓く叡智の探究』第3章「反省と霊能力」より抜粋】
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今日の一日を振り返り、反省を実践するために『真説・八正道』から禅定について学びます。
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■『真説・八正道』第9章 正定 
2反省は呼吸法から
○呼吸を整えることで、心が平らかになり、光が入ってくる

具体的に言えば、まず「呼吸」から入るのが普通です。呼吸を整えることによって、心の波立ち、苛立ちが収まってくるのです。

これは、悪霊の対策としてもまったく同じことが言えます。「悪霊が来たときに、どうしたらよいか」ということですが、よく効くのが「呼吸法」です。大きく空気を吸い込み、呼吸をしばらく続けると、心の苛立ちがなくなり、心が平らかになっていきます。また、呼吸をしているうちに、光が入ってきます。こういう不思議な現象が出てくるのです。

「怒る前に呼吸をする」という話もあります。カーッと怒る前に、一呼吸すると、怒りが収まってしまいます。そうではないでしょうか。手を振り上げたときに、「はい、深呼吸」と言われて深呼吸をしたら、やはり怒りが出なくなります。こういう不思議な現象があり、これも一つの慈悲と考える必要があります。呼吸によって心を整える方法が与えられているのです。

そして、この呼吸には、単に心を整えるというだけではなく、もっと積極的な意味合いがあります。それは、「呼吸によって心を整えることが、天上界へと心の針を向けていくための、一つの誘導、誘因になっている」いうことです。

○考えがまとまらないときは、呼吸を下まで下ろしてみる
みなさんのなかには、反省ができない人、考えがまとまらない人もいるでしょうが、そうした人は、おそらく呼吸が喉から肺のあたりで出たり入ったりしているだろうと思います。これをスーッとお腹のほうまで下ろしてくることによって、いろいろなことを考えられるようになるのです。

ですから、反省ができないとき、呼吸をグーッと下まで下ろしてみることです。息を深く吸い込み、そういうことを繰り返していくと、雑念がボロッと取れていきます。

反省ができないとき、もちろん、頭に悪霊が憑いている場合もありますが、悪霊でなくても、一日中、いろいろなことで頭が回っているときには、頭の周りに、泡のようにプチプチと雑念が出ています。それが薄い膜のようなものをつくっているので、これを取らないと駄目なのです。頭の周りからブクブクと出ているので、これを取る必要があります。そのために、呼吸法は非常に有効な方法の一つなのです。

呼吸をすることによって、血液の循環への影響があり、酸素量が増えます。肉体的に言えば、酸素の摂取量が増えることによって、体が活性化し、頭がしっかりとしてくるのです。また、新鮮な空気を吸うことによって、同じく頭がしっかりすることもあります。外的条件でありますが、そういうものを整える必要があるのです。

3 天上界の光を受ける
呼吸法による精神統一の深さは、実は、「どの次元まで意識を通じさせるか」ということと極めて関係があります。

そして、精神統一の上手な人は、ごく短時間の呼吸法によって、心の統一を果たしていきます。目に見えて落ち着いてくるのです。かなり瞑想が上手になってくると、二呼吸か三呼吸ぐらいで完全に雑念を切れるようになっていきます。できれば、こういうことを目指していただきたいと思います。

ただ、呼吸法だけでは、精神統一ができない場合もあります。それは、肉体疲労が極端な場合です。極端に肉体疲労をしている場合は、呼吸法だけでは駄目になってきます。ある程度の肉体疲労であれば、呼吸をしているうちにだんだんとしっかりしてきますが、極度の肉体疲労の場合には、やや無理になってきます。そういうときには、とりあえず、体を休める必要があります。まだ体を休め、そのあとで、呼吸法によって精神統一を図っていくのがよいのです。

「精神統一をした結果はどうなるか」ということですが、「天上界からの光を受けられるようになる」ということです。これははっきりしています。心が統一されたとき、光が入るのです。この光を受けることによってどうなるかをというと、その人自身の人格がカッと明るくなります。

みなさんは、青ざめた顔をしている人や、不健康そうな顔をしている人と話をしているうちに、その人の顔がポッと赤くなるのを見たことがないでしょうか。私はたびたびそういうことを経験していますが、その瞬間に光がバーンと入っているのです。心のなかの悩み事が解け、心が明るい方向に向いて、苛立ちや波立ちが止まったのです。そして、守護霊などが合図を送ってきているのです。そういうときには、パッと顔が明るくなります。「ルンルン気分」と言ったら言い過ぎでしょうが、そういう気分に近づいていきます。

【大川隆法『真説・八正道』第9章「正定」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』第6章 心の平静と祈り
6 大調和への道

さて、本章の最後の節となりました。

いろいろな角度から話をしてきましたが、結局のところ、私は、「漏尽通力」を語ることによって、「大調和への道」を説いてきたのです。「大調和とは何なのか。おおいなる調和への道とは、いったい何なのか」ということを説いてきたわけです。

人間は、ともすれば霊的世界を忘れ、この世のままに生きていきます。そして、霊的世界観・人生観というものを忘れていきます。そうしたことを忘れないがために、時たま、霊能者のような人が出て、あるいは、光の指導霊が出て、いろいろな奇跡を起こしていきます。

ところが、そうした奇跡を起こすと、その奇跡にとらわれて、人間は足をすくわれていきます。奇跡にとらわれて、超能力信仰に陥ったり、欲望を募らせたり、摩訶不思議な運命のいたずらのままに生きていく人生を送ったりすることになります。

大事なことは、「本当の世界の証明、実在界の証明をなしつつ、この世的にも素晴らしく生きていくこと」です。「この世的にも素晴らしい」というのはどういう生き方かというと、「心が調和された生き方をする」ということです。

霊能力を持って、この世的に成功することは、素晴らしいことであるとは言えますが、それは決して、「霊的な能力を持ちつつ、この世的な地位や肩書がある」ということを意味してはいけません。「霊的能力を持ちながら、この世的に金銭を持っている」ということを意味しません。

大調和への道とは、決してそうしたことではなく、神仏に認められるような生き方をするということです。特殊な能力を持つことはあっても、それによってうぬぼれることなく、また卑下することもなく、人間としての大いなる完成を見ていくということです。より大きな心の境地、より寛大な心、より寛容な心、より多様な心、より優れた心、より優しい心、より静かな心、より立派な心、より光に満ちた心をつくっていくということです。

例えば、社会的に偉くなるとか、人の上に立つというようなことは、その結果です。収入が増えるというようなことも、その結果です。「結果であって原因ではないと思いなさい。結果であって目的ではないと思いなさい」ということです。

その意味において、漏尽通力の極致は、結局のところ、「大いなる自己の心の調和」と、「自己が修行し精進していく過程における多くの人々との出会いのなかにおける大調和、全世界のユートピア化」というところにあるということです。

こうした大調和に至るための方法論として、私は本章で、「心の平静の大切さ」、そして、「神仏の心に適った祈り大切さ」を説いたわけです。

どうか、自分が惨めに思えたり、あまりにもうぬぼれていたり、心のなかが苦しくてしかたがないときは、まず、「心の平静」ということを心掛けてみてください。心の平静を心掛けることができたならば、「神仏への感謝」ということ、「感謝の祈り」ということをしてみてください。そして、「神仏の心に適った願い」というものを打ち出してみてください。

そこに、大いなる「発展への道」があるでしょう。そこに、「大調和への道」があるでしょう。そうしたことを語って、本章を閉じるとしましょう。

【大川隆法 『漏尽通力』第6章「心の平静と祈り」より抜粋】
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ここで、反省の基礎を学ぶべく経典『信仰告白の時代』より第3章『反省の原点』を学びます。経典をお持ちでない方はこの機会にぜひご拝受ください。【税込み1800円】
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■『反省の原点』
4 思いと行いがつくる地獄

やがて、思春期を通り越すころには、さらに大きな心の曇りをつくっていきます。その大部分は異性を通じてのものですが、それ以外にも、学校、受験、就職、そうしたものを通して他人との比較をし、心に曇りをつくっていき、それが毒素となって溜まっていきます。そうした毒素に染められた判断力でもって人生を生きていくと、ある人は、雪だるまのように、次から次へと悪い思いと行いを積み重ねていくようになります。そして、心の曇りというものが、はっきりと出てくるようになります。恐ろしいことです。

さらに、その心の曇りが一定の偏りを持つようになります。その偏りの方向は、地獄という世界で展開している姿を見ればよく分かります。

青少年であれば、まず情欲というものが頭をもたげてきます。異性のことが頭から離れず、だんだん、眼の楽しみ、耳の楽しみ、それから肉体感覚の楽しみのなかにのめり込んでいって、魂の純粋さを失っていくようになります。

そして、「人間はこの世かぎりの存在であり、この世を享楽的に生きればいいんだ」という浅薄な人生観が、早い人だと十代の半ばぐらいから始まり、転げ落ちていくよう、そうした人生観にどんどんと染まっていきます。

生まれてくる前には、どの人も、地上での人生計画というものを立ててきています。その際に、自分の伴侶となる方を約束してきています。十数年、二十数年前に、そうした約束をしてきているのです。もちろん、なかには複雑な人生計画を立てて、過去世の魂がやり残した修行をするために、離婚・再婚をするような人もいます。しかし、通常は結婚の相手を決めてきています。その方と一生を誓い合って、家庭を営み、子供を育て、一緒にやっていこうと決めてきているのです。

ところが、唯物的、この世的なる考え方に染まり、軽薄な風潮を流す週刊誌その他の情報に染まっていって、欲望で心が真っ黒になっていきます。

そのころの青年の心の曇りを霊的に見てみると、灰色やピンク色に染まっているようにさえ見えます。それも、一時期の間違いですめば、それほど問題はないのですが、それが人生の習い性になってしまい、学生期を終わり社会人となっても、異性との葛藤のなかに人生を渡っていくようになると、来世で行くところは恐ろしい世界です。

男女の正しい営みといったことを、まともに教えてくれるところは、現在、地上ではもうほとんどなくなりました。本来、キリスト教徒はそれを知っていたはずなのに、そのキリスト教国でも、今は乱れに乱れています。しかしながら、邪淫(じゃいん)といわれる正しくない男女の交わりは、深い罪になるのです。それが魂の傾向性としてしみ込んだ場合、来世では、地獄という厳しい世界が待っています。それを教えてくれるところは、地上ではもうなくなりました。

その「邪淫界」とでもいうべき来世の地獄は、大きく三つに分かれています。

一つは、「色情地獄」ともいわれる、有名な「血の池地獄」です。血の池の地獄が、ほんとうにあるのです。あの世では肉体はなく、すべてが意識の世界ですから、その人がいちばん、繰り返し繰り返し心のなかに描いた世界が、その人の目の前に現われてくるのです。そして、そこには、その人だけではなく、そうしたことばかりを心のなかに思い描いてきた人たちが、ほかにもたくさんいるのです。そうした人たちが集まって、色情地獄、血の池地獄といわれる恐ろしい地獄をつくっています。血の池のなかで喘(あえ)ぎながら、彼らはいったい何を楽しんでいるのか、私にはわかりません。

邪淫界のもう一つの地獄は、「畜生道」といわれる、動物の世界です。あまりにも乱れた男女関係のなかにある人間の顔をよく見たときに、獣の顔に見えることがあります。生きている人間であってもそうなのです。邪(よこしま)なる情欲のままに生きた人間は、生きながらして、その顔や額に獣の印が刻印されているのです。それは、霊的に見ればよく分かります。しかし、肉の眼で見た場合でも、そうした好色な人の顔というのは、やがて誰の目にも明らかになっていきます。

そうした人があの世に還り、来世、その心が本性のままに姿を現わしたとき、人間ではなくなり、動物そのものの霊体の姿となるのです。

ある者は、恐ろしいことに、蛇の姿になっています。こうした者は、執念や愛着といったものに心が執(とら)われたのです。三角関係、四角関係、そうした複雑な男女関係のなかで心を焦がし、苦しんで生きてきた人は、あの世に還ると、来世では蛇のような姿になって悶(もだ)え苦しんでいます。人間の男女であるにもかかわらず、私が見れば、二匹の大きな蛇が絡み合っているようにしか見えません。そんな姿をとって、何をよろこび、何を苦しんでいるのか、彼ら自身も分からぬまま、ただ心の傾向性のままに生きているのです。このような世界もあります。

さらにもう一つの地獄では、恋愛、情欲の焼けるような苦しみのなかで亡くなった人が、生皮を剥がれ、そこに熱湯をかけられたり、そうした苦しみを味わっています。これは決して、仏神が人間をいじめようとして、わざわざ道具を用意して苦しめているわけではないのです。あの世の世界は、心の姿が一〇〇パーセントそのままに現われるのです。

先ほど言ったように、あの世の世界は、「あの花が咲けばいい」と思うと、その花がパッと咲くような自由自在の世界なのです。生きていたときに、繰り返し繰り返し同じような行いをして、それを心に刻み、魂の傾向性をつくった場合には、あの世に還っても、それ以外のことは考えられなくなります。そのため、その人の目の前には、その人にふさわしい世界が現われてくるのです。

そうした結果について、誰を責められましょうか。自分が望んでいた世界が現われているだけなのです。一〇〇パーセント自由な世界に置かれたのです。それが血の池地獄であったとて、いったい誰に不満を言えましょうか。

すべての人は、同じように人間として生まれ、六根を使って魂修行をし、わずか数十年を生きていきます。そのなかで、菩薩としての心を築いてあの世に還る人もあれば、まったく逆様の人生を生きていく人もいるのです。

【大川隆法『信仰告白の時代』第3章『反省の原点』より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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