46 鬼に追われながら、ふもとまで降り、鬼がいいと言うまで、登り下りを繰り返す。たいていの人は、悪口や暴力や、嘘や、恥ずかしい行為が、ここまで裁かれるのを驚きながらも、後悔の涙を流し続ける。両親や先生たちに、無礼であったことの、一つ一つも、確実に裁かれる。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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第二の 道は 『正思』なり
冷静に 己の 内を 見つめては
心の 実相 掴むなり
まず 煩悩の 火を鎮め
執着の 思いを 除き はじむべし
執着とは
心の 中の こだわりなり
貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の 三毒なり
貪とは むさぼりの 心なり
瞋とは 怒りの 心なり
癡とは 愚かな 心なり
自分の 保身に こだわりて
他人を 害し
結局は
自己をも 滅ぼす 所業なり
獅子 身中の虫 己心の魔
仏性の敵 そこにあり
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The second step is ‘right thought’
Look within yourself calmly
And find the truth of mind
First, soothe the flames of worldly desire
And remove your attachment
Attachment is what sticks to your mind
It originates from the Three Poisons
Greed, anger and foolishness
If you are too concerned
About defending your own interests
You will harm others
And will eventually damage yourself
This is a thorn in your mind
Here is the enemy of Buddha-nature
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③癡(ち)
「癡」というのは、愚かさのことです。これも、なかなか深いものがあります。苦しみや悩みの原因には失敗があると思いますが、失敗は何によって起きるかというと、結局、ほとんどが「癡」―愚かさによって起きるのです。
賢い人であれば失敗しないことを、愚かであるために、むざむざ失敗していくのです。賢い人は、「ああ、これは失敗するな」ということが見えているので、その人に対して忠告するのですが、本人は言うことをきかずに、突入していって失敗します。これは、日本全国で、いつも起きています。残念ながら、愚かであることによって、何が正しいかがわからずに、判断が違うほうにいくのです。
よりによって全部、反対のほう、間違ったほうへ判断していくならば、その愚かさには根本的な原因がある、と考えなければいけないと思います。
その愚かさの原因は、一つには、定見(ていけん)、一定の見識を持っていないということです。その見識はどこから来るかというと、もちろん生まれつきの性質もありますが、それは言ってもしかたがないので度外視すると、やはり、その業務に適した知識、すなわち業務知識です。業務に関係のない知識を持っていても、しかたがありません。業務に関する知識を持っていること。それから、業務での経験を持っていること。ほとんどこれから、見識というものは生まれてくるのです。
やったことがないものに対する失敗率が高いのは、誰でも同じです。たとえば、本の出版業をしている人が、魚の種類などに豊富な知識を持っていても、その知識を使って出版業で成功するのは、まず無理です。その知識は、魚の図鑑でも発行する以外には、使えるところはありません。ですから、知識といっても、お門違いの知識なら使い道がないのです。その業務に関する知識を持っていなければ、だめなのです。
さらには、経験を積めば、それに優ることはありません。その経験のなかには、失敗も含まれています。失敗もまた大きな経験であって、あまり偉くなる前に、小さな失敗をしておくことは大事なことなのです。あまり早く偉くなりすぎた場合には、大きな失敗をすると大変なことになります。自分も大変ですが、組織も大変な危機になることがあります。
できたら、それほど偉くないうちに、平社員か主任ぐらいの時に、小さな失敗をしておいたほうがいいのです。ところが、地位が低い時に失敗しないで、支店長になってから失敗を犯すと、大きなダメージになります。社長になってからの失敗は、ダメージがものすごく大きいのです。
ですから、なるべく初期の段階で、失敗はこまめにしておいて、「こうすれば失敗する」という因果の理法を、よく体得しておくことが大事なのです。
それを知らずに、うぬぼれすぎ、勢い込んで、「自分なら、もっともっと大きな仕事ができる。もっともっと高い立場から仕事ができる」と、そのひとがあまりいうので、そのとおりやらせてみたところ、とんでもなく悲惨な結果になることもありまするそれは、少し欲が深かったのです。
このように、自分自身のうぬぼれの心から墓穴を掘ることもありますが、これはやはり自分自身に原因があるのです。
結局、その愚かさの原因は、その人に今必要な知識と経験が欠いていることがほとんどなのです。この場合には、例えば良きアドバイザーを得るなどのように何かで補わなければいけません。あるいは、自分の能力を超えていることに対しては、欲のところを少し抑えなければいけないのです。「自分はそこまでは無理だ」と思うなら、腹八分目ではありませんが、そこまでしないで抑えることが大事です。
ですから、適切なアドバイスをもらい、適切な知識情報を得て考えることも大事ですが、自分の現在の能力からみて無理な仕事に関しては、欲を出しすぎないことも非常に大事なことです。欲を出すと、それが愚かさとなって、悪い結果になることもあります。
得点を挙げることばかりを考えて、失点をたくさん出してしまってはいけません。得点が上がらない場合には失点を抑えるという考え方もあるのです。たいていの場合、分を超えたことをやろうとして失敗することが多いのです。特に事業経営的なものでは、それがあちこちで目に付きます。しかし、国家の運営レベルでも、そういう失敗はあります。
以上が、「心の三毒」です。この「貪・瞋・癡」は、よく理解してください。
また、初心者の方を教える場合も、この「貪・瞋・癡」のところが大事です。相手の悩みを聴くと、結局、その悩みの原因は、「貪・瞋・癡」のどこかに引っかかっているはずです。そして、もう少し宗教的な方、あるいは頭の良い方であっても、「慢・疑・悪見」のところには必ず引っかかっています。
このように、相手の話を聞けば、「心の三毒」、もしくは「六大煩悩」のどれかに、必ず引っかかっているのです。ですから、それを指摘してあげて、そこから抜ける道を教えてあげることが大事です。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。お持ちでない方は是非拝受ください。【税抜き1500円】
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それから、「癡」です。これも難しいところです。「愚痴」というと、今では、「自分のことを愚痴る」というような言い方をしますが、もともとは、そういう意味ではなく、「愚かなこと」という意味なのです。愚かな心、迷妄、迷い、これが愚痴です。
この癡もつらいことです。「私は、なんと愚かなのだろう」と反省できるかどうかを考えると、厳しいものがあります。これも、他人のことはよく分かるのですが、自分のことはなかなか分かりません。
自分の愚かなところが分かるのであれば、すでに直しているはずです。それが分からず、直せないから、誰が見ても失敗だというようなところまで行ってしまうのです。失敗して初めて、「自分は愚かだな」と思うわけですが、失敗しても、なかなか認めず、取り繕って、次のことをしたりします。自分の愚かさが分かる人は賢いと言えますが、なかなか分からないものなのです。
ここで言う愚かさは、学校の勉強における愚かさとは別のものです。賢さや愚かさには、もう一つ、人間としての賢さと愚かさがあるわけです。そのため、世の中には、勉強はできても、愚かなひとがたくさんいるのです。
それは、世の母親たちの多くが経験していることでしょう。「学校勉強はあんなにできて、あんなに良い学校へ行ったのに、どうして、うちの子は、こんなに愚かなのだろう」というようなことが、やはり、あるのです。これは不思議です。
直観というか、ひらめきというか、その時の一瞬の判断において、ビシッと当たる人と、外れる人とがいるのです。これは知識の量とは関係がありません。悲しいことですが、読み筋が当たる人と当たらない人がいるのです。
本当に賢い人は、転落していくような場合には、その転落のプロセスが事前に読めてしまうのですが、そうでない人は、実際に転落してしまうまで分かりません。転落してもまだ分からない人もいます。そういう人が地獄にいるのです。
転落することが自分でわかる人は、ある程度、すぐに反省ができますが、転落しても分からない人は、地獄で一生懸命に亡者をやっています。そのくらい、分からないものです。
悪魔でさえ、自分が愚かであることは認めません。みな、「自分は賢い」と思っているのです。
自分の愚かさを認めるのは難しいことです。
このように、仏教というものは、「徹底的に、本来の自己を取り戻し、迷える自己を叩き出す」という、自分との闘いなのです。
【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第4章「正語」
3プライドを捨て、素直に謝る
〇反省する姿を見ると、天使は喜び、悪魔は近寄れなくなる
天上界において最も崇高な姿の一つに、反省する姿があります。自分の過去を反省して涙を流している姿を見れば、天使たちも喜びますし、悪魔たちであっても、もうどうにもできません。反省して涙を流している人の姿を見たら、悪魔たちも近寄れないのです。そういう人に対して、そそのかすことはできません。「申し訳なかった」と言っているような人には、もはや何もできないのです。
自分にとって長年の苦しみだと思っていることというのは、実はプライドで引っかかっているだけのことがあります。「上司が自分をいじめ続ける」など思っていても、何のことはない、実際は自分のほうが言うことをきかずに、何だかんだと生意気に反抗したり仕事をしなかったりしているわけです。そのようなことが引っかかっているだけのことであって、態度を改めて「申し訳ございませんでした」と言えば、もうそれで済むようなことを、”永遠の地獄”として自分でつくりだしているのです。このようなことが実に多くあります。
地獄霊たちは特にそうです。「絶対に反省しない」と頑張っています。「絶対に認めない。おれは悪くない!」と言いきっています。こういう者に対しては、「ずっとそこにいなさい」という以外にありません。「申し訳ありませんでした」という反省が、彼らにはできないのです。
これを「自我」と言ってもよいでしょう。あるいは「自己保存欲」「エゴ」と言ってもよいでしょう。美しく言えば「プライド」です。自分のプライドであり、「自分がかわいい」と思う心なのです。
しかし、本当に自分がかわいいのであれば、自分を救うことをこそ考えなければなりません。自分を苦しみから救出しなければならないのです。
そのためには、間違ったと思ったら、素直に「ごめんなさい」という気持ちを出さなければならないのです。これだけのことで、どれほど幸福になるか分かりません。それだけのことで、自分が幸福になり、相手も幸福になるのです。周りの人も幸福になれるのです。
【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」146pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年に説かれた経典『仏陀再誕』を振り返ります。
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第1章 我、再誕す
○わが悟り
我が聞きたる悟りとは、どのようなものであったか。
人間とは何か。人間の使命とは何であるか。
そして、宇宙とは何ゆえに存在し、仏は何ゆえに存在するのか。
仏と人間との関係は、いかようになっているのか。
人間の使命とは、
人生の目的とは、
そして、人間の幸福とは何であるのか。
幸福の奥にある者は何であり、それは、
一生の目標たるに足るものであるのか。
そうしたことを、我は追求し、追求し、その解答を得た。
それが仏陀としての悟りであった。
その我が悟りを、あなたがたの多くは、
今日、さまざまな仏典にて学ぶこともあるであろう。
しかれども、文字にて書かれた文章には、
その形は残れども、匂いがない。
その姿は残れども、内容がない。
あなたがたは、わが悟りとは何であったかを知ることができるか。
あなたがたは、わが悟りが何であったかを
かつて学んだことを思い出すことができるか。
あなたがたは、我が学び来ったる悟りの内容を、
今も確かに思い出すことができるだろうか。
○心の王国
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私はかつて、あなたがたに、
このように教えたはずである。
たとえ、おまえたちは、どのように穢(けが)れた肉体に宿っていようとも、
どのような、汚れた衣を身にまとっていようとも、
たとえ、その体が骨と皮になるとも、
おまえたちの魂は、永遠の王国を築いているのだと。
そうして、この王国の主人たる魂は、
この魂を、魂の動きを、
魂の躍動を統御してこそ、
はじめて本物の王者となるのは、
あなたがた一人ひとりがその資格を有するのであって、
あなたがた以上にその資格を有するものはないのであるということを。
よくよく思い出しなさい。
心の支配者となれ、私は説いたはずである。
心の王国を統御せよと、我は教えたはずである。
心とは、
あなたがたが統御する力をつければつけるほど自由自在となり、
それは、天馬のごとく、空高く駆けることも、
地の上を駆けることも自由自在となる。
私はそのように説いてきたはずだ。
まず、あなたがたは、その教えを、その法の核心を、思い出しなさい。
自らの心を統御するのは、自ら自身であるということを。
そして、その心があなたがたに与えられているということは、
その心を統御しうるのは、統御しつくせるのは、
あなたがた自身であるということを。
そして、自らの努力によって、
精進によって、
統御しつくすことのできない心は、ないということを、
そういうことを、私はあなたがたに教えてきたはずである。
そうしてまた、私はあなたがたに教えたはずだ。
自らの心を鍛えた時に、
そこに偉大なる精神力というものが芽生えてくるのだと。
自らの心を鍛えることによって得たこの精神力こそ、
あなたがたの地上での魂修行の大いなる成果なのであると。
今世の修行は、
偉大なる精神力を得るための修行でもあるのだということを。
あなたがたの筋肉が鍛えられて力強い筋力を発揮するように、
あなたがたの心が鍛えられ、練られて、
はじめて、力強い精神力というものが発揮されるのだ。
そうして、いったん獲得されたこの精神力は、
もはや、隠すことができない。
もはや衰えることはない。
もはや、その価値を減ずることはない。
その力は、あなたがたの不朽の宝であるのだ。
そう、私は説いてきた。
人間の精神力は、鍛えれば鍛えるほどに力を増すものだとも、
私は説いてきた。
そうして、この精神力を鍛えるための方便として、
いくつかの修行があることも、私はあなたがたに説いてきたはずだ。
そう、私はあなたがたに、いくつかの修行目標を与えた。
そのなかの最大のものは、執着を断てという教えであったはずだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第1章「我、再誕す」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第5章 縁起の法
1 縁の思想
本章では、釈迦の教えのなかで特徴的なものの一つである「縁起の法」について、話を進めていきます。これも釈迦の思想を解く鍵の一つです。
「縁起」は「縁が起こる」と書きます。まず、「縁」とは何かについて説明しておきましょう。
「縁」は、仏教の思想として長く人口に膾炙(かいしゃ)してきた言葉であり、いまだに流行から遠ざかっていないと思います。人びとは折に触れて、「ご縁があった」「縁を大切にしたい」「それで振り合うも多生の縁」といった言葉を使います。こうした「縁」の思想が、仏教国である日本には長く伝わってきたのです。
縁とは、「この世に偶然なるものはない」という考え方の表れであり、その奥には愛の思想があると言ってよいでしょう。すなわち、「人間は、目に見えないえにし(縁)の糸によって、深いきずなで結びつけられていたのだ」という考え方です。
非常に運命論的な響きがあるかもしれませんが、これは、他人と自分とをまったく切り離してしまうのではなく、そのあいだにつながる仏の糸、仏縁の糸というものを肯定しようとする考えであり、ある意味で正しいことなのです。
霊界には五百億以上の人口がありますが、そのうちの一部が、特定の時代の、特定の地域に生まれてきます。そして、その地方や国の文明、文化をつくり、そして、人間関係をつくってきたのです。その意味では、同時代の同地域に生きる人びとは非常に限定された魂集団であると言えますし、実際、過去世において何らかのえにし(縁)のあった人たちであることが多いのです。
また、この世で出会う人は数多いのに、なぜか気が合って友人になったり、夫婦となったり、師弟となったりすることがありますが、これは単なる偶然ではありません。過去の幾転生の過程で、親子や兄弟、友人などで会った魂が、繰り返し出てきているのです。
もちろん、今生において新たな縁ができることもあります。それもまた一つの仏縁と言うべきものであり、導きによってつくられる縁なのです。そして、その縁がさまざまなかたちで展開していくのです。
人生の成功、不成功も、実はこの縁に関係があります。人間関係はすべて「縁の連鎖」と言うべきものでできており、さまざまな人とのつながり合いのなかで、事業の成功、不成功も、組織での出世、不出世も決まってきます。
このように、縁は仏教における人間関係学であり、愛の思想の、別の面からの探求の姿でもあるのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第5章「縁起の法」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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60 頭脳があって、一日も休まず働いてくれることに、感謝しよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

