47 「仕事が遅い。」といつも言われる人は、「お前、出世しないぞ。」と言われているのだ。
48 「報告」「連絡」「相談」は、仕事の基本である。長くかかるものは、途中報告が要る。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】
この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
本日からは、教典『日本建国の原点』から伊勢支部御巡錫御法話「信仰心と国を愛する心について」を振り返ります。私たち伊勢支部信者にとってはとても大切な経典ですので、お持ちでない方は、是非いただいてください。【税抜1800円】
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■『日本建国の原点』第1章「信仰心と国を愛する心について」
1今、日本の”深層”で起きつつある大きな「精神革命」とは
〇伊勢神宮は「日本の中心」にある、天皇や首相も参拝する神社
伊勢神宮では、二〇一三年に「式年遷宮」という、二十年に一回の大きな行事が行われ、秋には、一千万人を超える参拝者が訪れました。
私は、本章の法話を伊勢支部精舎で行う前日から当日にかけて、「なぜ伊勢神宮に天照大神が祀られているのだろう」ということを、ずっと考えていたのですが、歴史書を読んでも、その理由がはっきりとは出てきません。
ただ、いろいろと考えた結果、やはり、「伊勢のあたりは、日本列島の中心なのかな」という感じが、支部に来る途中でしてきました。「日本列島全体を見るには、このあたりがよいのかな」という感じがしたのです。
それと同時に、伊勢支部に来るまでの間、車で周りを見ていると、けっこう広い平野があって、水田で稲作の準備が進んでいました。
また、海が近いので、海の幸も豊かだし、農耕でもかなりの収穫があって、豊かな地域だったのではないかという気がします。そういう意味で、神に祝福された地だったのではないでしょうか。そのように感じます。
いまだに、年初には、総理大臣以下、閣僚が伊勢神宮に参られることも多いですし、「たまたま、その年だけ行かなかったら、阪神・淡路大震災が起きた」というのが、村山富市さんのときでした。
村山さんは首相のとき(一九九五年)、正月には参拝に行かなかったのですが、一月十七日に阪神・淡路大震災が起きたために慌てたのか、そのあと遅ればせながら参拝に行きました。やはり、社会党の委員長でも、”神の祟り”を感じたのでしょう。
震災が終わってしまったあとではあるものの、念のために来たような感じを受けたので、伊勢神宮は、よいことで「霊験あらたか」と感じさせるだけではなく、悪いことでも反省させる面もあるのかと思いました。
確かに、明治神宮ぐらいであれば近いのですが、伊勢は、東京から来ると、かなり距離があるのかもしれません。ともかく、そのようなこともありました。また、天皇家の方々も、参拝はよくなされているのではないかと思います。
【大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第1章「信仰心と国を愛する心について」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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地上に 悪事 あるべからず
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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There shall not be Crime in this world.
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本日の解説は、経典『信仰論』から引用させていただきます。
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当会は邪教に対して、理論的根拠や具体的事実を提示し、間違いは間違いとして、きっちりとした批判をしています。
この世には、許すべからざる悪事がいろいろとあるでしょう。そうしたものは「あるべきではない」ということです。
世の中の人々が、私たちと同じようにユートピアを目指す人ばかりであればよいのですが、中にはそうでない人もいます。
たとえば、「一匹の羊か迷っているのだから、九十九匹の羊を放っておいてでも探しに来い」という人がいるとします。しかし、みずからを羊と称するその人が実は狼であることもあります。【※『新約聖書』マタイ18章10~14・ルカ15章3~7参照】
また、「あなたがたは許す愛を説いているのだから、どんなことをされても許すべきだ」などという人もいます。
教えというものは、言葉だけにとらわれると非常に皮相な解釈になっていくので、
また、「あなたがたは許す愛を説いているのだから、どんなことをされても許すべきだ」などと言う人もいます。
教えというものは、言葉だけにとらわれると非常に皮相な解釈になっていくので、ひとつひとつ、きちんと解説を立てておく必要があるのです。
【大川隆法 『信仰論』 より抜粋】
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さて、本日も聖徳太子の十七条憲法から経文の理解を深めるヒントにしてまいりましょう。
十七条憲法の第六条は。「六にいわく、悪を懲らしめ善を勧むるは、古の善き典(のり)なり」です。これを現代語訳にすると
「悪を懲らしめ善を勧めるということは、昔からの良いしきたりである。だから他人のなした善は、これを隠さないで顕わし、また他人が悪をなしたのを見れば、かならずそれをやめさせて、正しくしてやりなさい。諂(へつら)ったり偽ったりする者は、国家を覆し亡ぼす鋭利な武器であり、人民を断ち切る鋭い刃のある剣である。また、おもねり、媚びる者は、上の人びとに対しては目下の人びとの過失を告げ口し、また部下の人びとに出会うと上役の過失をそしるのが常である。このような人は、みな主君に対しては忠心なく、人民に対しては人徳がない。これは世の中が乱れる根本なのである」
【世界の名著2「聖徳太子」より抜粋】
勧善懲悪という世界観や倫理観は仏教に由来しています。時代劇の「水戸黄門」のように、悪事は必ず、生きている間にその報いが来るというような考え方は、生きている間に悪を抑止する力に確かになっていました。戦前には当たり前のようにあったこの考え方は、今はすたれて、現代では、「ばれなければ何をしてもいい」というような風潮が蔓延しています。これが人間性を著しく低下させています。
主におかれましては、地上から信仰の力によって悪事を一掃したいと願われています。
「正心法語」では、「不和はあるべからず」「不信あるべからず」「悪事あるべからず」「悪霊あるべからず」「悪魔あるべからず」と五つの「あるべからず」が説かれています。
このように、不和→不信→悪事→悪霊→悪魔というように、不和から始まる悪想念が悪魔になる衰退段階が示されています。これもネガティブな原因と結果の法則です。これらの五つの「あるべからず」を実現して、地上から闇を一掃するのが、私たち菩薩の地上や天上界での仕事になります。
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仏の国への導きについて、経典『大悟の法』より抜粋いたします。
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■『大悟の法』第5章「常に仏陀と共に歩め」
6縁起の理法
〇原因・結果の縁起は必ず完結する
仏教の悟りのなかには、これにくわえて「縁起の理法」というものがあります。縁起の理法は、自由と平和のうち、自由の部分と深い関係があると言えます。
縁起の理法には、まず、時間的な縦の系列である「時間縁起」というものがあります。原因・結果の流れ、過去・現在・未来の因縁の連鎖のなかで、人は生き、社会は流れ、歴史は流れているのです。
みなさんが、きょう何をするかによって、みなさんの人生は変わり、みなさんのまわりの人の人生も変わります。そして、それによって、世界が部分的にかわっていきます。さらには、みなさんが重要な立場に立てば、みなさんの下した判断によって、会社、あるいは社会や国家、世界の方向が変わることさえあります。
このように、未来というものは選択の積み重ねの結果なのです。この重要性を深く認識する必要があります。
仏は、心の自由性と、原因・結果の「縁起の理法」を人間に与えました。心の自由性には、その反面として、必ず責任が伴います。したがって、人間は、自分がなした原因行為による結果については、甘んじて受けなくてはいけません。それは覚悟すべきです。
原因に対する結果は、この世においても来ますし、また、この世で縁起が完結しない場合には、この世を超えた世界において、それは必ず完結します。
この世においては、「努力しても報われなかった」ということもあるでしょう。その一方で、「努力しなかったのに非常に成功した」という人もいるかもしれません。それだけを見ると、非常に不公平であり、原因・結果の時間縁起が必ずしも働いていないようにも思えます。
しかし、この世において縁起が完結しないからこそ、実は、この世を超えた実在の世界において縁起が完結しているという論理が、そこにあるわけです。
この世において、善人が不幸な死に方をすることもあります。しかし、それは、ほんとうの意味での不幸ではありません。そういう人は天上界において必ず報いられることになっているのです。
この世において、悪人が栄えるように見えることもあります。しかし、その繁栄は永遠のものではありません。それは必ず、大きな執着となって、来世の苦しみを生むことになるのです。
そのように、この世においては、必ずしも「善因善果、悪因悪果」になっておらず、その正反対に見えるようなことがあります。仏教では、これを「異熟(いじゅく)」といい、その結果のことを「異熟果(いじゅくか)」といいます。
それはいろいろな場面で見られると思いますが、そのような現象が起きるということ自体が、実は、縁起の理法がこの世で完結せず、来世まで行って初めて完結するということを意味しているのです。
いま述べたことは、人生の終わりについての話ですが、人生の始まりについても同じことが言えます。
「人間はみな仏子であり、平等である」と言っても、生まれにおいて違いがあります。ある人は金持ちの子に生まれ、ある人は貧乏人の子に生まれます。また、ある人は生まれつき体にハンディがあり、病気を持っていたり、体が不自由だったりします。あるいは、知能や体力に差があります。人間には違いがあり、人間は必ずしも平等ではありません。
これも、現時点だけを見れば、「平等ではない。公平ではない」と思えるのですが、実は、過去世からの転生輪廻の結果が、ずっとつながってきているのです。今世だけで考えると理解できず、説明がつかないものについては、その前の時代から原因行為が始まっていると考えるべきなのです。
そうであって初めて、生まれにおける違いに説明がつきます。もし、そうでないならば、人間はみな、生まれつき同じでなければいけないはずです。しかし、実際には、同じく赤ん坊であるということ以外は、与えられ能力や才能、体質その他について、差があります。今世だけではないものが、そこにあるからです。
生まれてきた時点は、スタートであると同時に結果でもあります。各人の過去の人生における、さまざまな歩みの結果が、今世のスタート点になっている面もあるのです。
因果の理法は一代では完結せず、無限の過去から無限の未来まで流れているものなのです。
【大川隆法『大悟の法』第5章「常に仏陀と共に歩め」より】
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■「釈迦如来の意識で書かれた経典です!」
『仏説・正心法語』は、全編を私の潜在意識である釈迦如来の意識で書いた経典です。古い伝統的な仏教教団では、毎日、さまざまなお経を読んだり、題目を唱えたりしていますが、『仏説・正心法語』という経典が出されたということは、そうした古い経典類はもう要らなくなることを意味しています。
【大川隆法『信仰論』p.114より抜粋】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第2章 仏性とは何か
6 仏の理想を実践していこうとする心
人間にはまず、この地上における自分というこの存在があります。この自分一人の存在も、もともと仏の光から岐(わか)れてきた自己存在であるならば、「この自己存在を最高度に発揮させて、幸福を得なければならない」という要請が一方にはあります。
また、もう一方には、人間というものは一人だけで生きているものではなく、他の多くの人たちと一緒に手を携えて生きているものである、ということからくる、「共通の幸福のために生きなければならない」という要請があります。
この「個人としての幸福」と「共通の幸福」の二種類の幸福に、どう兼ね合いをつけていくか。実はこのために、宗教というものも、哲学というものも、道徳というものも、過去つくられてきたのです。これらは、複数の人間が幸福に生きていくための原理としてつくられてきたものです。そして宗教は、それを仏や神の観点から見てつくったものです。
哲学は、それを頭のなかでの、知性や理性の作用として考えています。道徳は、日常ルールのなかで、それを考えようとします。そして宗教は、仏や神の眼から見て、仏や神の価値観から見て、大勢の人が幸福に生きていける方法というものを考えてきたのです。しかも、この世とあの世の両方を関わらせるという幸福をも考えてきました。これが実は宗教の成り立ちなのです。
結局、この世に生命を持っている一切の衆生―環境問題が盛んな今日であれば植物もそうでしょう。すべての生きものは、それぞれが自分の幸福を求めているとともに、その生命を他の多くのものの幸福のために費やさねばならないという要素を持っているのです。
その二つが矛盾するときには、それを一致させるための努力をしなければいけないのです。
実は、それが「仏の理想」であって、その仏の理想を価値あるものとして、素晴らしいものとして、それを肯定する心、それが、実は「仏性」というものなのです。仏の理想に呼応して生きていこうとする心、意欲、これが仏性なのです。
それを捨てた人、要するに、仏の理想というものを悪(あ)しざまに罵(ののし)り、それを足蹴(あしげ)にして、逆方向に生きていこうとする人が、「悪魔に魂を売った人間」と言われるわけです。これも、もともと仏性がない人間ではなくて、仏性に反するようなことをしているということは、目に鱗(うろこ)がかかって見えないでいる、惑わしを受けている、それだけのことであるわけです。
ですから、仏性は全員に備わっています。その仏性とは何であるかというと、仏の理想を自ら実践していこうとする心のことをいうのです。そして、その理想とは何であるかというと、結局は、一人ひとりが自分の生命を最高度に輝かせながら、社会の理想と一致させていこう、それを前進させていこうとする心なのです。
一般的な話とかみ合わせて、かなり大きく、「仏性とは何か」ということについて述べてみしまた。本性が悟りのための手引きになれば幸いです。(完)
【大川隆法『心の挑戦』第2章「仏性とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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