83 仏宝護持のための竜神は、黒竜、赤竜、白竜、青竜、金竜などがいる。私は以前、奈良の猿沢の池で、黒竜や金竜を霊視したことがある。全長四十メートルぐらいあった。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
21 臆病すぎて、仕事もできず、家庭も護れなかった者は、ウサギのように、ピョンピョンと逃げ回っている。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神の御教えを振り返るために、二〇二一年十二月十四日にさいたまスーパーアリーナでのエル・カンターレ祭大講演会にて説かれました『地球を包む愛―天御祖神の教え』から学びます。
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『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』
3 「あの世を信じる心」はなぜ大切なのか
〇唯物論の中国にとって「孔子の思想」が使いやすい理由
それは過剰なほめ方かもしれません。そこまで分かっていた人はそう多くはなかったかもしれませんが、中国という国が「孔子学院」というのを全世界につくっておりますけれども、孔子の思想が使いやすいのは、あの世のことについて何も述べていないからです。
(孔子は)「鬼神、死んでから後の幽霊とかお化けとか、そういうものについては語らず」と異様なことを射ていますけれども、これが、今の中国の唯物論思想と非常に”相性がいい”わけです。あの世のことを言わないのですから。
この世のことしか言わないなら、「科学万能」と「物資が潤沢である」ということ、これを目指せばいいわけですから、非常に簡単なことになります。
ただ、それはそれで大事なことだと思います。科学的技術が進化していくことも大事なことだと思うし、地上で生きていく人たちの生活が成り立つように食べものや着るものや住居が手に入るということも大事なことだと思います。それは人生の基礎の部分です。それを無視してはならないと思います。
しかし、それをすべてだと思ったら、これは間違いだというふうに思うのです。
ですから、国是として無神論とか唯物論を立てている国もありますが、それは、「この世の遅れた部分を発展させて、よりよくしていこう」というところに力をかけるということは、よいことではあるのだけれども、「この世しかないのだ」という方向に行ったら間違いです。
これは別に中国だけではなくて、ヨーロッパやアメリカについても同じです。
アメリカなどでも、キリスト教は日曜日の教会でだけ存在して、平日の、仕事をするビジネス時間帯には、あの世のこととか宗教的なことはさておいて、目の前にある仕事だけをやって、お金儲けに邁進している人もいます。
ですから、世界的に見れば、信仰心の中身は薄くなって、「物質の豊かさ」と「お金儲け」中心の考え方がはびこっていると言わざるを得ないと思います。とても残念です。
小さな小さな最初の一歩ですけれども、人間が「この肉体に宿っている自分ですべてだ」と思うなら、そこでもう間違いが起きているのです。
これゆえに、教育だって間違ってきます。この世的に生きやすい教育ばかりを求めるようになっていきます。目に見える結果だけを求めていくようになります。そして、この世で、世間の人々に認められるような地位に就いたり、土地や建物、金銭、こういうものを手に入れたら「成功した」というふうに考える人も多くなりました。
【大川隆法『地球を包む愛―天御祖神の教えと真の世界正義』第一章より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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6 正念の実践【正念】
〇目標達成に向けて「手段・方法・時期」の問題を考える
では、一定の目標を達成するためにはどうすればよいのでしょうか。
例えば、取引先と新たな商売を始めようとしたときに、向こうの担当の課長はオッケーと言ってくれるし、どうやら、その上司も悪くは思っていないようだけれども、どうしても、そこの部長が”ガン”になっているとします。そこで、「これをどうにかしなければならない」と、とにかく、その人を強引にでも説得しようとしたり、あるいは、「それができなければ左遷させてくれ」という思いでやったりした場合は、やはり違っているわけです。
このようなときに、人間として考えるべきことは、どういうことでしょうか。
実は、ここが「正念」のいちばん大事なところなのです。
目的というのは、それが非常にはっきりと固まっていったときに、「手段・方法・時期」の三つの部分が極めて難しくなるのです。
もちろん、手段も方法も時期も限定して断行し、そして成功する人はいます。しかし、そういう人は、ある程度の実力がある人でしょう。過去に成功体験があって、平均打率として八割九割、は打ってきたような自信のある人は、そういうこともできるかもしれませんが、”へっぴり腰”でこれをした場合には、たいてい失敗します。
そこで、この「手段・方法・時期」の問題が出てくるわけです。『漏尽通力』でも、このあたりのことについてはかなり詳しく語っていますが、これは、実は、霊的自己実現のいちばん核にあたるところなのです。
【大川隆法『真説・八正道』第八章「正念」270pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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第六章 転生輪廻とは何か
○希望の福音
さすれば、諸々の比丘、比丘尼たちよ。
まず、仏の教えを学びの中心とせよ。
仏の教えを学びの柱とせよ。
仏の教えを、常に学び、常に心に吸収し、
その学びによって日々を正しく生きてゆけ。
日々を正しく生きてゆくということは、何よりも大切なことである。
この時に、仏法真理の知識によって、
己の心をコントロールするということを、間違わないことだ。
仏法真理の知識によって
己の心を統御するということを、
忘れてはならない。
仏法真理の知識によって己自身を支配するということを、
忘れてはならない。
知識は、このように感情を支配するのに役に立つのだ。
おまえたちの間違いの大部分は感情にあり、
情にあり、思いにあり、
このようなところにおまえたちの間違いがある。
それを統御するのは、正しい仏法真理の知識である。
正しき仏法真理の知識を持って、
そうした思いや感情を統御してゆかねばならない。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
しかし、おまえたちには希望の福音がある。
この希望の福音があることを喜べ。
それは、おまえたちが今世において学んだことは、
一つも無駄にはならないということなのだ。
おまえたちが今世において学んだものも、
今世において役に立たないこともあるやもしれぬ。
しかしながら、おまえたちが今世に学んだことは、
必ずや今後、来世において、
また来来世において、役に立つこととなるのだ。
おまえたちは、地上を去って後、
実在界にて数百年、
あるいはそれ以上の生活を送るになるであろう。
そうして、おまえたちの魂が、また次なる修行を欲する時に、
次なる姿となって、おまえたちは地上に肉体を持つようになる。
すなわち、赤子として生まれ、成人し、
またさまざまな悩みのなかを駆け抜けてゆくようになる。
されども、今世おまえたちが、この人生修行で得たものは、
必ず来世の修行にも役に立つのである。
必ず来世修行において役に立ち、
おまえたちを、よき方向に導いてゆけるに違いない。
さすれば、今世、獲得したるものは、今世のみの功徳ではない。
今世を超え、来世、来々世において、
必ずやおまえたちを幸福にするに違いない。
さすれば、修行の期間、努力において苦しみがあったとて、
それを苦にしてはならない。
それは、今世のみの成果ではない。
おまえたちの魂を根本的に変えてゆくための力となるのだ。
おまえたちの魂が根本的に力を得てゆくための修行となるのだ。
そのための尊い修行を今なしているのであるならば、
決して怯(ひる)んではならない。
おまえたちは、精神の力ということを知っているか。
おまえたちは、精進の力というものを知っているか。
人はここにて力尽きたりと思うことがあったとしても、
さらに心して努力に励めば、その内に秘めたる力が、
次から次へと噴き出してくるのだ。
おまえたちの力は、無限である。
なぜならば、おまえたちには仏性が宿っているからである。
この仏性の力が顕(あら)われてきたときに、そのエネルギーは無限である。
その光は無限である。
仏に向かって進んでゆく時に疲れるということはない。
倦(う)むということはない。
傷つくということもない。
もし、この地上において、仏の教えを学び、
その教えを広げていると途中で、
おまえたちが悩み、苦しみ、疲れ、倦むことがあったとしても、
そうした努力を積み重ねていったおまえたちは、
地上を去った時、必ずや、光と安らぎのある国へと、
連れてゆかれるのだ。
先は、そう長くはない。
わずか数十年である。
あるいは、わずか数年である。
その間を、この教えのために生きてみようと思わないか。
その間を、この教えを体(たい)して生きてゆこうと思わないか。
その間を、この教えのもとに魂を燃焼し尽くそうとは思わないか。
諸人よ、これより後、
この真実の法を体(たい)して日々努力してゆくがよい。
仏の教えは、嚙めば嚙むほどに味が出、
聴けば聴くほどに味が出、
実践すれば実践するほどに、
その悟りの芳香(ほうこう)が、あたり一面に漂うものとなる。
おまえたちは、ほんとうに悟りの味というものを知らねばならない。
ただ単に活字を読んでも、
ただ単にテープを聴いても、
それが真実、魂の糧とならないならば、
ちょうど銀の匙(さじ)がスープをすくっても、
スープの味を知らないのと同じだ。
おまえたちは、悟りの味を味わえる人間とならねばならない。
悟りの香りをかぐことができる人間にならねばならない。
悟りの音色を聴きわけることができる人間とならねばならない。
そうであってこそ、はじめて、
おまえたちは真実の修行者ということができるのだ。
悟りへの道は、目の前に開けていると言ってよい。
【大川隆法『仏陀再誕』第六章「転生輪廻とは何か」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第四章 漏尽通力
6 漏尽通力の極致
本章を閉じるにあたり、漏尽通力の極致についての話をしておきたいと思います。
釈迦の持っている六大神通力のなかで、最大のものと言われたこの漏尽通力。この世的にもすぐれた生き方をしながら、霊的能力を最高度に発揮する生き方。これをどのように究めていけばよいのでしょうか。
生きている人間が漏尽通力を究めんとするならば、まず、その意識を高めていく必要がどうしてもあります。すなわち、肉を持った身でありながら、高級霊たちと同じだけの意識の高さを持つ必要があるのです。「高級霊からの啓示」を、単に「教え」として受け止めるのみならず、彼らの垂れんとしている教えそのものの輪郭が分かり、その高低が分かり、その広がりが分かる。その個性の違いが分かる。こういう必要があるのです。
したがって、漏尽通力の極致は、「霊的現象に振り回されず、その本質をすべて見通せる」ということにあるのです。高級霊たちの言葉であっても、その個性の違いが分かる。その教えの高低が分かる。その教えの優劣が分かる。そうしたことを瞬時に見抜ける能力まで持っていれば、そういう人が、この世的に生きていくということは非常に簡単なことです。「高級霊たちの個性の違い」が分かり、「教えの違い」が分かり、「考え方の差」が分かるのであるならば、「この世的な人々の考え方の差・意識の差」は、はっきりと分かってきます。したがって、「どのようにそれを実現していけばよいか」ということも分かるのです。
ここに、対機説法の出現の場があります。釈迦の教えのなかでも、対機説法が非常に大事であったと言われています。「その人に応じた話をする」「その人の心根に応じた話をする」「釈迦の性格が救済のために変容する」ということがよく言われていました。相手によって、導き方が変わってくるのです。
その高低に差がつく。広がりに差がある。話の内容に差がある。あるときには、まったく違ったようなことを言う。ある人に対して話した内容を、別の人にはまた違った角度から言う。そのため、教えを受けた者は、必ずしも釈迦の本心が分からない。そういうことが言われたわけですが、これは対機説法能力があったからです。
その対機説法能力の根源は、いったいどこにあるかというと、「すべての人間の心、考え方が分かり切る」ということは、「その根源において、神からわかれた光をすべて知り尽くしている」ということです。「神の属性として、どういう光があるかを知り尽くしている」ということです。「神の属性として、どういう光があるかを知り尽くしている」ということ。これが根拠となるわけです。
したがって、釈迦の自身、対機説法すべき自身の根拠、根源にあったものはいったい何であるかというと、結局のところ、「高級霊たちの教えをも篩(ふるい)にかけて聴くことができた力」です。ここに、力の源泉があるのです。
すなわち、生きながらにして、肉体を持ちながらにして、高級霊たちの教えや考え方を見抜くことができたのです。こうした能力を持っていれば、高級霊はもちろんのこと、いわゆる悪霊、邪霊、悪魔の類の正体を見破ることは簡単です。どのようにして彼らの正体を見破るか。それはいとも簡単なのです。
特に、悪霊の正体を見破るためには、欲望に流れさないことが大事です。欲望に執われていると、悪霊たちの正体を見抜けません。しかし、欲望に執らわれず、淡々として流れていると、そうしたものを見抜いていくことができるのです。
したがって、霊たちの考えを見抜くという考え方のなかで、悪霊たちの考えを見抜くというやり方は、「日々、淡々とした生き方をする。日々に引っ掛かりなく流れていく。感情の起伏をつくらない。感情の起伏ができたときには、それをいち早く修正する。そして、元の心の平静さを取り戻す」ということです。
「心の平静さ」がいちばん大事です。悪霊に取り憑かれないためには、悪霊たちの支配を振り切るためには、心の平静、どんなことが起きてもただちに平静に戻る心が大事です。そうした心がなければ、霊的な本質を見抜く力はなかなか湧いてこないのです。
また、高級霊たちと十分に話ができるようになるためには、それだけ自分の魂を磨いていく必要があります。それには、この世に生まれた人であるならば、この世的に学んでいく必要もあります。
学びに関しては、確かに、書物などで得た知識もあるでしょう。それ以外に、いろいろな人に接して学んだ知識もあるでしょう。あるいは、「さまざまな経験、トータルな経験のなかから、自分の心の糧になるものをどう学び取ってきたか。人生の教訓をどのように得てきたか」、こうしたことも大事であろうと思います。
結局、高級霊たちが、それだけの見識を持ち、認識力を持っている理由は、数多くの経験のなかから、それだけの珠玉のごとき光の教訓を学んでいる。得ている、そして、その光でもって自らを包んでいるからです。そうした高級霊の心境に近づいていくためには、地上に肉を持って生きている人たちも、地上において経験した事柄のなかから、珠玉のごとき光を取り出し、身につけることです。
毎日、毎日、日々の生活のなかから、どれだれ、心の糧となるものを引き出していくか。これが根本です。どのような人にとっても、一日は二十四時間です。その二十四時間から一体に何を学びとっていくか。何を引き出していくか。これが、その根源です。毎日毎日の生活のなかから、高級霊たちと同じようなエキスを抽出できるだけの力があれば、「その人もまた、高級霊たちと同次元に立っている」ということができるのです。
やはり、人間の修業としては、ここまで行かなければいけません。すべての霊、すべての人間の心が分かる。それに合わせた話ができる。そして、そのなかで、自分を磨いていける。教育者としての自分を磨いていく。指導者としての自分を磨いていく。そういう境地に立てたときに、初めて漏尽通力も極致にと至るのです。そういう極致こそ、やはり、この世的な修行の最高の目的である。目標である。私はそのように思います。
【大川隆法 『漏尽通力』第4章「漏尽通力」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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エル・カンターレ・大好き
(3/17-2)76『仏陀再誕』を読む―転生輪廻とは何か―希望の福音―漏尽通力の極致
