新日本国憲法試案 第十六条
本憲法に規定なきことは、大統領令もしくは、国会による法律により定められる。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十六条』】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
本日、2月11日は建国記念日です。皆様おめでとうございます。本年2025年は皇紀2685年にあたります。建国記念日の由来は、明治時代、日本の建国を祝う日として紀元節(きげんせつ)がありました。初代天皇とされる神武天皇が即位した日が、紀元前660年の2月11日だったことから定められています。
本日は、主の『新日本国憲法 試案』から新しい日本の建国の精神を振り返ります。いよいよ最後の十六条です。
経典をお持ちでない方は、全国の支部・精舎・書店にてお求めください。【税抜き1200円】
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第十六条 本憲法に規定なきことは、大統領令もしくは、国会による法律により定められる。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十六条』】
〇行政権を強化し判断速度をあげよ
・「大統領令」の仕組みは、現状と大きくは変わらない
私の試案は以上の十六条となります。
前文を入れて十七条に絞ったので、細かい手続き的なことについては、かなり欠けているものがあります。それについては、必要に応じて、大統領令、もしくは、国会による法律によって定めてよいのです。
大統領令と法律の二つがあり、「複雑になる」という人がいるかもしれません。
ただ、今の日本国憲法では、国会は「国の唯一の立法機関である。」とありますが、現実には内閣からも法案がかなり出ています。実際に内閣で法案をそうとうつくっているのです。
主要法案は、けっこう内閣から出ているので、現状とそれほど大きくは変わりません。
大統領令といっても、大統領独りで全部つくることはできません。「大統領令とは、内閣や行政の方で作った法律である」と考えてよいと思います。
今も、現実には二種類の法律が出ています。そして、内閣がつくった法案とはいえ、実際は、国会で多数を取った政党が総理大臣を出しているので、国会の多数派が法案をつくっているのと同じ効果が出てはいるのです。
【大川隆法『新日本国憲法 試案』より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第3章 戒律とは何か
7 捨堕法(しゃだほう)・波逸提法(はいつだいほう)・悔過法(けかほう)
さらに軽いものとして、「捨堕法(しゃだほう)」があります。これは、所有を禁じられているものを持っていた場合の罪です。たとえば、「衣は三枚しか持ってはいけない」「こういう種類の鉢を一個しか持ってはいけない」など、さまざまな決まりごとがあるのですが、信者に寄進(きしん)されて財を蓄える人がいるのです。「冬物はちょっといい着物を持っておこう」「お鉢もいいものを持っていよう」と、禁じられているものを持っていて見つかった場合、これを捨堕法(しゃだほう)によって「出しなさい」「捨てなさい」と言われているわけです。そして、それを教団に差し出して、懺悔(ざんげ・さんげ)した場合に許されます。一種の没収であり、軽い罪です。
また、「波逸提法(はいつだいほう)」というものもあります。これは妄語(もうご・嘘をつくこと)、悪口(あっく・あっこう)、それから教団の備品の持ち出しに対するものです。サンガーのなか、あるいは家のなかから座布団や椅子、ベッドなどといった備品を外に持ち出して、そのまま整理しないで家に帰って寝てしまった、というような整理整頓をしなかった罪です。こういう微罪を「波逸提法(はいつだいほう)」といい、人前で懺悔させられるわけです。
それから「悔過法(けかほう)」というものがあります。これも軽いものですが、「受けてはならない食物を受けて食した場合の罪」というのがあります。これも懺悔(ざんげ・さんけ)です。たとえば、「見・聞・疑」の三種の肉は食べてはいけないという決まりがありました。(『悟りの挑戦(下巻)』第4章6節参照)。「疑いのある肉は食べてはいけない」と知っていながら、おなかが空いたのでもらってしまった。というような場合に、他の人がそれに気がついて、あとで言ってくることがあります。そうするとこれに引っかかり、軽い罪ですが、反省させられるのです。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第3章「戒律とは何か」より抜粋】
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本日も根本経典の「仏説・正心法語」と共に重要な祈りである。「エル・カンターレへの祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。
一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。
ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。
「エル・カンターレへの祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。
それでは前回の続きです。「エル・カンターレへの祈り」はこのように続きます。
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われら子々孫々に至るとも
天において
主がおられ
地において
仏弟子ある限り
大願成就を
果たします
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前回に引き続き主への誓いの言葉が続きます。
今回の引用箇所で、
主の大願である、私たちの救世事業は、私たち一代だけでは完成しない事がわかります。
主の悲願である全人類の救済と仏国土ユートピア実現という大願は、
私たちの子孫たちにその使命が私たちの伝道によって転じられ、受け継がれ、広がりながら成就されるものです。
この観点からも、信仰の継承はとても大事なことであると考えます。伝道は、世代を超えて続けていくものであり、信仰の継承を通した、世代を超えた伝道活動の中で、私たちの次なる転生のステージも存在します。
私たちは、たとえ私たち一代で主の大願が成就できなくとも、信仰を次の世代に拡大しつつ、移譲して世代を超えた法輪の拡大に日々努めています。
天においても、地においても最高の権能を持つ主の大いなる願いは、
天において主がおられ、
地において仏弟子ある限り
その成就に向かって、永遠に続いていくことを誓願しているのが本日の箇所です。
ここで注目すべきは、この祈りが幾千年と祈り続けられることを前提に編まれているということです。それが、現在において地におわす主が、この祈りにおいては、天にましますという文脈から察することができます。それだけ大きなスケールの祈りであるということです。
ここで一つ大きな懸念が、信仰の継承の問題です。
全国の精舎におきましては、「子孫繁栄お百度参り祈願」があり、全国の支部においては、「来世成仏お百度参り祈願」がございます。自らの修行の完成と後進の仏弟子の育成、来世の成仏を願い、信仰の継承による子孫の繁栄を願う機会が主より与えられていますが、発願されている方が少ないのが現状です。
私は、今世、只今において、信仰をもつ身ではございますが、私が父と母に心から感謝するのは、エル・カンターレ信仰を継承してくださったこと、この一点です。父が一家で初めて信仰の道に入り、支部の活動を母が支え、子孫の繁栄を願い、「子孫繁栄お百度参り祈願」を満行くださった果実として、私が今ここにあると確信しています。
主の法輪は世代を超え、時代を超え、国境を越えて拡大する主の愛そのものです。その法灯を自らの家庭に点じ、子孫繁栄を共に主の方が広がることを願うことも私たち仏弟子の重要な使命ではないかと考えます。
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最後に、経典から抜粋いたします。
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〇最も尊い愛は「真理を伝える」という愛
私は、たとえこの身に、いかなる弾圧が臨もうとも、「真理は真理」「善は善」「正しいことは正しい」という、その信念を決して曲げることなく、決して膝を屈するつもりはありません。
常識が間違っているならば、その常識を撃ち砕くまでです。
では、それを、いつやるのでしょうか。今年ですか。来年ですか。五年後ですか。十年後ですか。死んでから後のことですか。
そんなことを考えている場合ではありません。あなたがた一人びとりが、心のなかに一灯を輝かせる必要があります。一灯を捧げ、闇夜の中を進んでいく仕事があるのです。
あなたがた一人びとりに、光が与えられています。
私から受けた光は、あなたがたに必ず点火されているのです。
その松明を頼りに、闇夜のなかを、ただひたすらに行進してください。全世界の闇夜を照らし切るまで、あなたがたの仕事に終わりは来ないのです。
この日、このとき、この夜に聴いた言葉を、どうか忘れないでください。
私は、今しばらく、あなたがたと共に、この地上にあり、この地上を照らし、法輪を転ぜんとする者でありますが、わが説く法は、五百年たっても、千年たっても、二千年たっても、三千年たっても、滅びてはならない「永遠の法」であるのです。
どうか、この「永遠の法」を聴いた者として、その誇りを胸に刻み、日々の生活を切り拓いてほしいと思います。
そして、みなさんが理解した真理を、どうか周りにいる人たちへ、手の届く人たちへ、声の届く人たちへ伝えてください。伝え切ってください。それが、「愛」なのです。
人々に対する愛として、いちばん尊いものは、「真理を伝える」という愛です。真理を伝えることが、最も尊い愛であるのです。
確かに、世界に飢えている人がいるでしょう。病気で苦しんでいる人もいれば、さまざまな苦労のなかにいる人もいるわけです。
しかしながら、そうした苦労や苦難、逆境があるから、神がいないということではありません。そのような苦難のなかを、多くの人々が生きているからこそ、神は必要なのです。
そして、神は実在します。
どうか、もう一度、初心に戻って、信じるところから始めてください。
スタート点は「信じる」ことです。
そして、最終点は、「信じ切る」ことです。
信じるところから始まって、信じきるところが、あなたがたの最終点になります。
「信じ切った」とは、この世において、どういうことになるのでしょうか。それをあなたの考えで言葉で、行動で、示してください。
これが、本章での、あなたがたへの問いかけです。
【大川隆法 『伝道の法』第六章「信じられる世界へ」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/11-1)【建国記念日】42経文「エル・カンターレへの祈り」を読む ⑪子々孫々に至る大願成就―新日本国憲法試案⑱
