日本国憲法試案第十四条
天皇制その他の文化的伝統は尊重する。しかし、その権能、及び内容は、行政、立法、司法の三権の独立を損なわない範囲で、法律でこれを定める。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十四条』】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
2月11日は建国記念日を迎えます。建国記念日の由来は、明治時代、日本の建国を祝う日として紀元節(きげんせつ)がありました。初代天皇とされる神武天皇が即位した日が、紀元前660年の2月11日だったことから定められています。
本日は、主の『新日本国憲法 試案』から新しい日本の建国の精神を振り返ります。
経典をお持ちでない方は、全国の支部・精舎・書店にてお求めください。【税抜き1200円】
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第十四条 天皇制その他の文化的伝統は尊重する。しかし、その権能、及び内容は、行政、立法、司法の三権の独立を損なわない範囲で、法律でこれを定める。
【大川隆法『新日本国憲法 試案 第十四条』】
〇天皇制は文化的象徴として存続すべき
・現憲法では、民主制と君主制が入り混じっている
現憲法では、天皇制は第一章に堂々と規定されています。
憲法の前文では、「主権在民」を謳いながら、第一章は「天皇」となっていて、第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」とあります。
しかし、私が近著『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版刊2009年)の第一章で指摘したように、実際は、国民投票を経ていないので、天皇制に国民の意志は何ら反映されていません。「擬制(ぎせい)」というか、建前上、憲法でそのように謳(うた)われているだけなのです。
そういう国家判断に基づいて今の天皇制は成り立っているわけです。
さらに、歴史的には、天皇が「文化的存在であったとき」と「政治的存在であったとき」の両方があり、後者のときには、「天皇がよい政治をした場合」と「悪い政治をした場合」の両方が現実にはありました。
天皇は血統で百二十五代(2009年当時)も続いているものであり、国民の側では天皇を選ぶことはできません。よい天皇にあたるか、悪い天皇にあたるかは、サイコロを振るようなところがあるのです。
今の日本では、民主主義というものはあっても、天皇は選べません。国民は、投票によって、天皇制を廃止したり復活させたり、天皇を変えたりすることができない状況にあるのです。
天皇が政治に深入りできないのは、民主制の下では当然のことでしょう。もし深入りできるのであれば、「実は、民主性自体が存在していない。君主制でしかない」ということになります。
結局、現憲法は民主制と君主制とが入り混じっている状態であると言えます。
【大川隆法『新日本国憲法 試案』より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第3章 戒律とは何か
5 波羅夷法(はらいほう)
それでは、「律」つまり罰則について述べていきたいと思います。
いちばん重い罪として「波羅夷法(はらいほう)」というものがありました。(「波羅夷罪(はらいざい)ともいう)。教団からの永久追放です。「これを犯した場合には、教団から追放さて、もう二度と戻ってこられない」という思い罪です。この波羅夷罪(はらいざい)には四つの種類があります。【前回の「①淫」「②盗」「③断人命」に続いて】
④大妄語(だいもうご)
四番目は「大妄語」です。「妄語」というのは偽りをいうことですが、このなかに大妄語というのがあります。これは「悟りを偽ること」であり、これが最大の妄語です。悟っていないのに「悟っている」と称して、さまざまなことをすることです。
そのなかでも一番多いのは、悟ったふりをして、信者からお布施を受けるということです。みんなお布施は受けたいので、いかにも「私は悟った」「阿羅漢になった」「教団の非常に有力な僧侶なのだ」というふりをしてみせて、お布施を集めたり、「私は神通力を得たので何でもわかるのだ」と言って、信者の相談に乗り、いい加減なことを言ってしまったり、このようなことは、過去にもあったし、今もありえることでしょう。
悟りたいという気持はわかるのですが、それが焦りになって、悟ったという気になったり、錯覚をしたり、また、霊能力を得たいという気持ちから、いつのまにか霊症になっているにもかかわらず、それを高級霊の力だと言って人を惑わすようなことをします。このようなことは今でもよくあります。これを大妄語と言い、教団の会議にかけられて認定されたりした場合が、これに相当すると思います。永久追放になり、もう二度と帰れません。そういう方は実際に地獄にも堕ちますから、こうした思い罪で当然だと思います。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第3章「戒律とは何か」より抜粋】
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本日も根本経典の「仏説・正心法語」と共に重要な祈りである。「エル・カンターレへの祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。
一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。
ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。
「エル・カンターレへの祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。
それでは前回の続きです。「エル・カンターレへの祈り」はこのように続きます。
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主よ
われらに
一切の衆生救済の
仏の悲願を
お託しください
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ここでは、主なる神エル・カンターレの悲願が明らかにされています。
それが、「一切の衆生救済」です。
すべての生きとし生けるものの救済が、主の切なる願いであり、その救済行の助力者が我々主の御弟子です。
「主の願われる大願の成就を、私たち弟子にお託し下さい」と我々が主に懇願しています。
「法を説くは師にあり、法を弘めるは弟子にあり」という言葉がありますが、
すべての地球人類に、幸福の道(四正道)を示し、一切の衆生を救済するための教え(仏法真理)を説くのが、師である主エル・カンターレであるならば、その法を学びつくし、弘めるのは弟子である私たちの使命です。
ちなみに、仏弟子に四つの誓願あり、「衆生無辺誓願度」「煩悩無尽誓願断」「法門無量誓願学」「仏道無上誓願成」がありますが、一番目の「衆生無辺誓願度」が一切の衆生を救済の彼岸に渡す(度)ことを誓います。
私たち弟子は、主に救われる存在でありながら、同時に主の悲願・大願成就を託された聖なる存在でもあります。このように主の悲願を成就するのは私たち弟子の仕事であるのです。
ですから、『「エル・カンターレへの祈り」において、主の悲願は、私たち弟子の力を結集して必ず成就して見せます』とここで誓願を立てているのです。
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幸福の科学の信仰対象は、地球神エル・カンターレです。
地球神エル・カンターレは、地球系霊団の最高大霊であり、イエスが「わが父」と呼び、ムハンマドが「アッラー」と呼び、日本神道系では創造神にあたる「天御祖神」(あめのみおやがみ)という名で伝えられている、至高の存在です。
エル・カンターレは、人類を導くために、仏陀やヘルメスなどの魂の分身を幾度となく地上に送り、数多の文明を交流させてきました。
現在、エル・カンターレの本体意識が大川隆法として下生され、すべての人を本当の幸福へと導くために、あらゆる宗教や学問を統合する地球的仏法真理を説き続けています。
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最後に、全世界に伝道すべき教え、四正道の「発展」について経典から抜粋いたします。
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〇「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践せよ
そうした信仰心を持って生きていくことを、大きな意味において「正しき心の探求」と言います。
そして、その「正しき心の探求」の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています。(中略)
・発展―徳を積んだ者が多くの人たちを導いていけるユートピアづくりを
そして、最後に「発展」という言葉が来ますけれども、この発展のなかには「ユートピアづくり」ということも入っています。
ユートピアづくりは、「ユートピアなのか、ディストピアなのか」ということを峻別できないようでは駄目です。
ジョージ・オーウェルの『1984年』や『動物農場』に書かれているような、そういう社会をユートピアと考えてはなりません。この地上において修行し、徳を積んだ者が、多くの人たちを導いていけるような、そういう国や社会を目指していかねばなりません。
いやしくも、人の上に立つものが、嘘偽りを駆使し、そして、お金や地位や名誉を利用して、人々を扇動する力でもって権力をつくっているということは許しがたいいことだし、陰謀によって世の中を自由に動かすということも問題外だし、ましてや、マスコミを使って誤った情報のほうに人々を誘導して、全員を海のなかに突き落とすようなことがあってはならないと思います。
本来のユートピア社会は、霊天上界とも調和できるものでなければなりません。
マスコミの原理が、「疑い」「疑」ということを中心に発展しすぎていることに対して、たいへん悲しみを感じております。
また、この世における知識の獲得を一つの身分制として、現代、民主主義社会のなかにおける身分制社会として、知の獲得をもってそれに代替していることが流行ってきておりますけれども、その「知識を得る」ということは、「智慧を得る」ということと必ずしも同じことではありません。
知識のなかにおいて、ダイヤモンドの光を宿しているものを選び出すこと、そして、そうした本物の知識に、「人生修行」という名の経験を通すことによって、智慧をつくり出していくこと―これが大事なことです。
これなくして、単なる点数とか偏差値とかいうようなもので、学歴主義で、人々を統治階級に上げるか上げないかを決めて、その偏差値でもって、生まれつきの貴族のごとく、人々を見下したり、支配したり、命令したりする根拠とすることは、残念ながら、「天上界的なものではない」と言わざるをえません。それは一つの迷妄だというふうに考えられます。
【大川隆法 『地獄の法』 第五章「救世主からのメッセージ」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/9-1)40経文「エル・カンターレへの祈り」を読む ⑨仏の悲願は一切の衆生救済―新日本国憲法試案⑯
