(9/26-1)【基礎教学通信】269『太陽の法』を読む2「太陽の昇る時」仏とは何か―「悟りの挑戦(上巻)」釈迦の「無記」【毒蛇のたとえ】―『黄金の法』谷口雅春の生命の実相哲学

幸福の科学入門

9 他人を呪わば、穴二つ。自分の墓穴も掘っている。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第4章「無我とは何か」
4 釈迦の「無記」―毒矢の譬(たと)え

このような考え方が出てきた理由が、もう一つあります。

マールンキャ・プッタという人が、釈迦に「人間の死後の生命はどうなるのか。生存はどうなるのか」「宇宙は有限か無限か」というような形而上学的な質問をしましたが、それに対して釈迦は答えなかったという話が『箭喩経(せんゆきょう)』のなかに出ています。これを「無記」といいます。そして語ったのが、有名な「毒矢の譬え」です。これは知っている方も多いでしょう。

どこからともなく飛んできた毒矢が身体に当たって、死にそうな人がいました。そこで、矢を抜いて治療をしようとしたら、その人が言うのです。

「待ってくれ。矢を抜かないでくれ。この矢が、誰が射たもので、どの方向から飛んできたもので、いかなる種類の毒を塗っているのか、その説明を聞かないかぎり、治療してもらっては困る」

そこで、治療しようとした人は、

「しかし、そのようなことを言っていたら、その間に毒がまわって死んでしまう。今必要なことは、そういうことではなくて、まず矢を抜いて、その毒がまわらないようにきつく縛り、血を抜いて、治療をすることである。矢は誰が射たか、どの方向から飛んできたか、矢は何の材料でできているか、何のためにその人を射たのか。そんなことを考えるのはそれから後でもよいだろう。まず治療することが大事だ」

と、応えるわけです。

すなわち、「人生の向上に少しも役立たない形而上学的な議論、この世的な具体性のない抽象的な議論ばかり重ねても、人は良くなることも救われることもないのだ。そういう議論に立ち入ることを避けて、まず、あなた方は自分の人生を正しくせよ。まず、正しき心の探究をしなさい。八正道を究めなさい。そうすれば、あなた方は、その苦しみから逃れて幸福な道に入れるのだ。まず、それを実践しなさい。『霊魂が死後どうなるか』とか、『宇宙は有限か無限か』とか、そんな話をしたところで何になるか」ということを言っているのです。

これが「毒矢の譬え」で語った話なのですが、弟子たちはその真意がわからないため、「では、死後の世界はないのだ。宇宙はないのだ」この世だけなのだ。この世だけきちんと生きればよいのだ」という説明にいなっていくのです。いかに師の真意が理解されにくいか、ここでよく学んでおいていただきたいと思います。

なぜ、釈迦がその議論を避けたかは、皆さんも想像すれば分かると思います。たとえば、実際に、見るからに滅茶苦茶な生き方をして、心の調和もできていないような人が来て、私の前に座って、

「大川先生、どうなのですか。人間の生命はどうなのですか。私の魂は何年周期で生まれ変わるのですか。死後はあるのですか、ないのですか。本体・分身とかいろいろ言うけれども、それはどうなのですか。私は本体なのですか、分身なのですか。宇宙の創造のときに私はどういう状態でいたのでしょうか。私が人間になったのは、いったい今から何億年ほど前でしょうか」

と、いろいろな質問を浴びせかけるとします。

私はたぶん答えるでしょう。

「そんなこと、あなたには関係がない。あなたはまず奥さんと和解しなさい。調和しなさい。それから、ご両親にも親不孝しているでしょう。また、子供がいつも鍵っ子になって泣いているではないか。どうするのだ」

これが対機説法です。

たた、その人に合わせた話をしているのに、すぐ一般化するワン・パターン人間がいます。一般化するときに、知力が弱いと杓子定規になっていくわけです。

ですから、「来世の生存がない」と言っているわけでもないし、「転生輪廻がない」と言っているわけでもないし、「宇宙の果てがあるかないか知らない」と言っているわけでもないのですが、無記―答えなかったということが、後世、悪用されていったという流れがあります。これほど難しいものなのです。何か言葉を出したときに、それに囚(とら)われて、それ以外のことを考えなくなるのです。

弟子たちに、あまりにもそういうことが多かったので、その後の流れのなかで禅宗という一派ができてきました。禅宗では「不立文字(ふりゅうもんじ)」といって、文字を立てない、言葉を立てないわけです。言えば、それに囚われてしまうのです。

「無我」と言ったら「無我」に囚われる。「無我でない」ということに囚われる。「無我だ」と言ったら、「では、我がないのだ。魂もないのだ。あの世もないのだ」と、それで終わってしまいます。では、「無我ではないのだ。人間には我があるのだから、その我を磨きなさい」と言ったら、一生懸命磨くほうにいって、我を空(むな)しうするほうにいかないわけです。

これほど難しいもので、その傾向はすでにみなさんのなかにあることを、よく自覚していただきたいのです。すべては知力が浅いところから来ており、これは、第2章で述べた「無明」から来ているわけです。

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第4章「無我とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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第1章 太陽の昇る時
2仏とは何か
現在、この三次元世界に生活しているみなさんは、自分のほんとうの「人生」について、真剣に考えたことがありますか。真剣に考えたことのある方は、その結果、いったいどのような結論を出したでしょうか。人生というものについて考える以上は、何をもって人生を定義するか、ということから始めなければならないと思います。

みなさんは、人生とは、人間がこの地上に生れ落ちてから死ぬまでの、数十年のことだと考えているのでしょうか。もしそう考えているとしたら、私の本を手にしたこの瞬間から、みなさんの人生観は、根本からくつがえされるはずです。

もし人生が有限であり、両親によって名付けられた、特定の名前を持つ人が死ねば、あとには、ひと握りの灰と犬の餌にもならない骨だけが残って、それ以外の大部分は二酸化炭素と水蒸気になって、空中に霧散してしまうに過ぎないものであるとするならば、みなさんは、一体なんのために努力して生きるのでしようか。なんのために学問をし、何のために苦労するのでしょうか。そしてなんのために人生観を磨き、なんのために夢を追い続けてきたのでしょうか。

二千五百数十年前に、インドで、ゴータマ・シッダールタ、すなわち釈尊が説いた教え(仏法)は、まったくのうそであったのでしょうか。釈迦が八十年の生涯を通して説き続けてきた人生の意義と使命、あの世、すなわち、実在の世界があるという教説は、世人を迷わす空言にすぎなかったのでしょうか。そうではないはずです。それは、未発達の人間が考えついた教説ではなかったはずです。

現代の知識人と自ら誇る人々よ。あなたがたのうち、一体だれが、釈尊(釈迦の尊称)を論破するだけの真理を体得し、道破しえたというのでしょうか。

もし、釈尊の教えが、まったくのつくりごとだというならば、では、いまから二千年前にイエス・キリストが説いた真理も、同様に空言だといいきれましょうか。世界人類、十数億の人々が尊敬してやまない、あのイエス・キリストを信じ続けていた「神」は、彼の独断と偏見にもとづくまったくの空理空論だと決めつけられましょうか。ゲッセマネの園で血の汗を流して祈り、いばらの冠をかぶって十字架につけられた、あの真実の真理の使徒に対して、狂人呼ばわりする人がいるならば、その人こそ、世人の前に歩み出て、自らが狂っていないことを証明するべきです。

霊を目の前に出して見せるなら信じるという、一見、科学的合理主義者に対して私は言いましょう。釈迦やキリストという人類数千年の歴史が誇る偉人に対して、あなたがたは、脱帽敬礼してから、その言葉を発しなさい、と。人類数千年の歴史が「尊敬」の二文字をふしつづけてやまない彼らの教説を一笑にふす自信があるならば、彼ら以上の人格者であることを、まず、あなたがたが証明してごらんなさい、と。

だれひとりとして、そんなことはできないはずです。なぜならば、人類最高の悟りを得た釈尊、そして、釈尊の本体、する・カンターレから指導を受けたキリスト以上に、仏法真理を極めた人間は、かつていないからです。

そこで、あなたがたは、まず、虚心坦懐に、「仏の教えとは何か」ということを学んでいくべきではありませんか。そのことこそが、真の意味での科学的実証精神ではないのでしょうか。

人生の 
と探究は、どこかで必ず仏の導きに巡り会わざるをえません。仏の教えを知る手掛かりは、人生の随所にちりばめられています。誕生のとき、死ぬときとがその最大の手がかりではありますが、それ以外にも、病気、恋愛、挫折のときにも、仏はちらちらとその姿をのぞかせるのです。

私は、本書全体を通じて、「仏とは何か」という問いに答えていこうと思います。その途中において、「人生の目的と使命」にかんして、数多くのヒントと回答をみなさんに呈示(ていじ)することとなるでしょう。

【大川隆法『太陽の法』幸福の科学出版 より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
9 谷口雅春の生命の実相哲学

谷口雅春が生まれたのは、明治二十六年(一八九三年)十一月二十二日でした。生誕地は、神戸は烏原村です。そして昭和六十年(一九八五年)六月、九十余歳の長寿を全うして亡くなりました。

谷口雅春は、青春時代、大本教の出口王二三郎の弟子として活躍していた時期があります。しかし、大本教では、やがて最後の審判の日がきて、神が人類を処罰さるのだという異常な信仰で持ち切りになったので、それに疑問を持ち、大本教を去ったのです。後年に、出口王仁三郎の予言どおり、確かに日本には火の雨が降って、第二次世界大戦は敗戦となったのですが、若き日の谷口雅春には、神が人間を罰するという考えがどうにも納得いかなかったのです。彼が信じていた神は、愛の神です。ですから、その大いなる父が、どうして子を処罰するものかと考えたのでした。

病気、あるいは、災難というものは、もちろん、個人あるいは集団の発する、仏法真理に反する想念への反作用として起こるのであり、神が罰するわけではありません。しかし、まだ彼は、この頃、こうした原理に気づいていなかったのです。かれは、さまざまな試行錯誤の後、ついにある日、高級霊からの啓示を受けて、悟りを開きます。彼の悟りとは、次のようなものです。

一 仏教に言う「色即是空・空即是色」の本当の意味は、あの世とこの世、あるいは、魂と肉体とを二元的に捉えるのではなく、本来、実相のみありと一元的に捉えるべきである。

二 したがって、この世の事象は、実相の影にしかすぎず、実相は、神と同一のものであり、光明そのものであるから、本来、肉体もなければ、病もないのである。

三 したがって、地上の人間の心すべきことは本来の生命の実相たる光一元の光明の心を持って生きてゆくべきであり神の子としての神性を顕現してゆく道こそ、本当の人間の生き方なのである。

大まかに言うとだいたい右のようなことが、谷口雅春の悟りの中心でした。谷口雅春は、その思想の根本を、光一元の光明思想に起き、万教帰一を唱えて、キリスト教、仏教、神道も、唯一の神から出た、説明の仕方が異なる教えであるとし、すべてを合わせ呑む寛容な態度をとることとなったのです。こうして五十五年の長きにわたって、谷口雅春は、生長の家という宗教団体を率いてきたのです。

彼の特徴のまず第一は、アメリカで流行ったニューソートという光明思想をいち早く日本に取り入れ、それを独自の思想なのなかに昇華してしまったことにあります。そして、その教えは、非常に啓蒙的な色彩をおびるに至ったのです。特徴の第二は、心理学的な手法を多用した点にあり、この点に、従来の宗教にはない斬新なものがあったと言えます。そして特徴の第三は、書物の出版による布教ということに大々的に取り組んだことです。

しかし、万教帰一の大前提とは別に、晩年に至るまでの彼の教えを見てみると、それが、日本神道系の復興運動であり、外国の宗教や思想を取り入れての、日本神道の一大革新運動であることが分かります。すなわち、黒住教や金光教、天理教、大本教と続いてきた日本神道系の復興運動が、谷口雅春の生長の家によって、一大発展、完成を迎えたのだと言えます。

谷口雅春は、生前、自らを指導していた霊が誰なのかが分からず、成長の家の大神と称して、それを住吉の大神であるとか、あるいは、観世音菩薩であるとか説明していましたが、彼を指導していたのは、実は、日本神道の主宰神・天御中主神(命)だったのです。谷口雅春の思想を代表する『生命の実相』全四十巻は、天御中主命中心とする霊人が谷口雅春に入って、自動書記のような形で、書き上げた思想なのです。

日本神道系の教えの核心は、言うまでもなく、光一元の思想にあります。それは、この世を光と闇の対立とするのではなくて、すなわち、光の当たっているところと当たっていないところがあるにすぎず、本来闇なし、光を燈(とも)せば闇は消えるという思想なのです。この思想の背景には、地上を光明化しようとする深い愛の思想が流れております。しかし、そこまで考えの至らない者にとっては、善悪の差別心に対して、目をふさぐ面もあり、功罪の両面があると言えるかもしれません。【※この論点は経典『地獄の法』箴言集『地獄に行かないための言葉』『妖怪にならないための言葉』に詳しい】

天御中主神の光の一元の思想が、天上界の教えの総意であるとか、すべての人を救いえたとは言えないでしょう。つまり、善悪二元を知ることが智慧の始まりであるという真実に対して、取り組みが甘いのです。また、救済の原点である地獄からの脱却という思想や、悪霊現象に対して、説得的説明を欠く点、一考を要すると言えます。過去世で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と言われた方でしたが、プロティノスという名で、ヨーロッパに哲学者として出たこともあったため、その教えにも哲学的色彩が強いのだと言えます。

【※その後の霊査で谷口雅春の転生は伊邪那岐命ではなく、三輪山の一神官であることが分かっています。また伊邪那岐命は現代に大川家次女として転生しています。転生に日本武尊、天武天皇、平田篤胤、柳田國男がいます。また、天御中主命は現在、大川家三男として転生しています。魂の兄弟に、桓武天皇、明治天皇がいます。また、日本神道の善悪を明確に分かつことができない思想的弱点を、その後聖徳太子などが日本に仏教を入れることで日本霊界を教化することを意図しましたが、その後、日本神道の廃仏派の強い反発により、崇仏派とのせめぎあいが歴史上続くことになります。】

【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
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幸福の科学の教えは『仏法真理』と言われています。

本日の学びでは、
『人生の探求とは、どこかで必ず仏の導きに巡り会わざるをえません。仏の教えを知る手掛かりは、人生の随所にちりばめられています。誕生のとき、死ぬときとがその最大の手がかりではありますが、それ以外にも、病気、恋愛、挫折のときにも、仏はちらちらとその姿をのぞかせるのです』

という言葉がとても印象的でした。そして、『太陽の法』全体において、「仏とは何か」「人間の目的と使命」に関するヒントと回答が詰まっていることを教えていただきました。

幸福の科学の考え方と教えの基礎である基本三部作の『太陽の法』は、「仏とは何か」ということを教え伝える経典であると同時に、私たちの人生の目的と使命に関するヒントを教えていただくことができます。

「人生は一冊の問題集」という言葉があるように、私たちの人生は、仏からいただいたものであり、果たすべき使命があります。そして、人生に様々な悩みや苦しみがあるのは、解決すべき問題集が仏から与えられているからです。その問題解決の智慧を共に学んでまいりましょう。

「私たちはこの『太陽の法』と出会うために、この地上に生まれてきました」私たちの人生には折々に仏と出会うチャンスがちりばめられています。この地上における根本仏との出会いとその教えに触れることができるという魂の悦びを、一人でも多くの方に伝えて、主の御名を、エル・カンターレの御名を全世界に広げてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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