92 何手先まで読めるかが、経営者の実力である。
95 「出処進退」は難しかろう。自分と時代の流れを客観的に眺め続けることだ。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちの方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第2章「無明からの脱却」
4 「癡(痴・ち)」=愚かさ
それから「癡(ち)」です。”疒(やまいだれ)”が使われているその字の通り、非常に病的な感じがしますが、一言で言うと愚かであるということです。こう言うと、みなさんも胸に手を当てたくなるのがほんとうのところではないかと思うのです。
愚かであるといえば、それは誰もが愚かなのです。ある意味では、本当の意味で悟った人間でないかぎり、本当の意味での全知全能の神でないかぎり、人間というのは愚かな存在なのです。ただ、その愚かな存在であっても病的な愚かさにまでいかないことが大事なのです。
この病的な愚かさとしての「癡」とはいったい何かというと、たとえてみれば、毛鉤(けばり)に噛みつく魚のような愚かさでしょうか。騙されて毛鉤に食いついていくような愚かさが魚にはあります。人間ならば、それを見たらすぐわかるのに、魚にはわからないために餌だと思って噛みつき、そして釣り上げられてしまって、あとで痛い思いをするわけです。智慧が足りません。
あるいは、今はもういなくなりましたが、昔は鼠(ねずみ)がずいぶんいました。この鼠捕りなどもそうです。入り口だけ開けておいて、なかに竹輪などの切れ端を入れておくと、ものの見事に鼠がその中に入っていくのです。竹輪を食べて、蓋が閉まって、翌日は殺される運命となります。鼠はかなり臆病ですから、危険がないようにキョロキョロ見ながら近づくのですが、人はいないし大丈夫だと思うと、餌欲しさについ、なかに入ってしまいます。外から見ても、金網のあるだろうと思って入ると、蓋が閉まってしまうのです。これは、鼠が経験上考えたことのないことなので、わからないわけです。それで捕まってしまいます。こういう愚かさがあります。
あるいは、最近の話で言えば、ゴキブリ捕りがそれに相当するかもしれません。ゴキブリはトンネルを見るとやたらに通りたくなる習性があって、通路をつくっておいてやると、そのなかに呑気に入っていき、捕まってしまうのです。これなども「癡」です。
このように他の生き物の例で言われるとよくわかりますが、自分のことになると、なかなかわからないものなのです。そして、そういうことをしてしまうことがあるのです。
「田舎から上京してきて、『うまい話がある』と言われて、そのまま乗せられていったら、とんでもない目に遭った」というような話はよくあります。それから、宗教をしている人間は騙されやすいという特徴もあります。同情心をそそられると、ついつい同情してしまって騙されるようなこともあります。
この「癡」の部分も非常に大事かと思います。
【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第2章「無明からの脱却」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第4章 太陽の昇る国
7 念仏宗走る
さて、平安仏教には、もう一つの流れが始まっていました。いわゆる浄土教の流れです。浄土教とは、阿弥陀仏の救いを願って、一心に念仏を称えれば、西方浄土に生まれ変わり、永遠の幸福を享受できるとする考え方です。この思想が、いわゆるキリスト教の思想によく似ていることに気づく方がいるはずです。それもそのはずで、実は、この教えは、天上界において、エル・カンターレが仏教的には大乗運動を指導し、その救済の精神をイエスに託した時の、かつてのイエス・キリストの弟子たちが、仏教僧として生まれ変わって、つくっていった仏教思想なのです。
世親の『浄土論』に注釈をして、『浄土論註』を書いた曇鸞(どんらん・四七六年~五四二年)が、まず、難行道と易行道の二つの道に分け、易行道として他力による凡夫往生を説きました。さらに道綽(どうしゃく・五六二年~六四五年)が『安楽集』のなかで、仏教を聖道門(しょうどうもん・自力門)と浄土門(じょうどもん・他力門)に分けて考え、末法の世には、阿弥陀仏にひたすら帰依して、浄土往生を願うのが一番だとします。こうした中国での思想は、さらに、初唐の善導(六一三年~六八一年)に受け継がれました。そして、阿弥陀仏の本願、すなわち、救済力を信じ、それに帰依して、口称念仏(くしょうねんぶつ)、すなわち、南無阿弥陀仏を称えることが正しい行だとされ、中国浄土教の完成に至るのです。
こうして、日本の平安末期に、高まりつつある末法思想と相まって、浄土信仰が出てきたのです。有名な僧としては、恵心僧都源信(えんしんそうずげんしん・九四二年~一〇一七年)がおります。大和国(奈良県)に生まれ、比叡山の良源のもとで、十三歳で出家、やがて念仏往生の道を説きました。
源信は、過去世では、三十歳のイエス・キリストに洗礼を施したバプテスマのヨハネです。日本に源信として生まれた後、さらに、スウェーデンに生まれて、膨大な霊界探訪記を書いたスウェーデンボルグ(一六八八年~一七七二年)という科学者・神秘主義者となりました。源信は、スウェーデンボルグ時代も、幽体離脱して天上界探訪を得意としましたが、源信の時代も、その魂は肉体を抜け出して、何度も天国や地獄を見てきたようです。そして、そのときの体験が、地獄・極楽・六道の概念として思想的にも結晶し、お経の抜すいである『往生要集(おうじょうようしゅう)』の有名な部分の迫力ある記述となっています。
源信時代の思想の核は、人々を導くのに三段階の道を用意したことです。まず、天台教学の理を観ずる「理観」を勧めます。それに至れない者には、仏の具体的な相状(そうじょう・すがた・ありさま)などを観想する「事観」を勧めます。さらに、それにも耐えられない極悪深重の衆生に対しては、まったくの方便として、「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」を勧めたのです。彼が方便として勧めた「称名念仏」は、やがて良忍(一〇七二年~一一三二年)、そして、鎌倉時代へとつながってゆきます。源信は、如来界の方でした。
さて、この浄土門の流れは、鎌倉時代に入って、黒谷上人、法然房源空(ほうねんぼうげんくう・一一三三年~一二一二年)によって、早瀬のごとく流れ始めます。法然は、美作(みまさか・岡山県)の豪族の子に生まれ、九歳で父の死にあい出家し、十五歳で比叡山に入り、やがて、黒谷の叡空の弟子となりました。四十三歳のとき、唐の善導の『観経疏』と源信の『往生要集』の二本柱をもとに、専修念仏の信仰を確立させます。東山の吉水に移り住んでからは、その専修念仏の教えは、貴族や民衆の間にも広がり、名声を得ました。しかし、奈良や叡山を中心とする旧仏教勢力からは、激しい弾圧を受けます。そして、一二〇七年には、讃岐(香川県)に流されたのです。
法然の教えは、諸行(しょぎょう)を捨て去り、口称念仏(くしょうねんぶつ)を選択するということで、主著『選択本願念仏集』にその考えがはっきりと打ち出されています。法然は、菩薩界上段階の方です。過去世においては、キリストの十二大弟子のひとり、聖トマスでした。南無阿弥陀仏と口で称えるということは、キリスト教のアーメンと同じことです。このとき、天上界から法然を指導していたのは、同じく十二弟子のひとり、『マタイ伝』のマタイです。このマタイが、すぐその後、親鸞の弟子、唯円として生まれ、『歎異抄(たんにしょう)』を遺します。第3章5節で述べたように、法然の過去世は、かつて竜樹の後継者としてインドに生まれた提婆(だいば)でした。いわゆる魂の兄弟であることを附記しておきます。
【大川隆法『黄金の法』第4章「太陽の昇る国」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下主の著書である、経典『幸福の科学とは何か』第7章「阿羅漢をめざして」を引用しながら、幸福の科学の教義をお伝えいたします。
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■経典『幸福の科学とは何か』第7章「阿羅漢をめざして」
〇千人の阿羅漢
さて、「幸福の科学」では、昭和62年の3月に、第一回講演会を行いました。その第一回の「幸福の原理」と題する講演のなかで、私は「千人の阿羅漢が欲しい」ということを述べたことがあります。五百阿羅漢という言葉があるが、いや私はむしろその倍であるところの仙人の羅漢、阿羅漢が欲しいと述べたわけです。
千人の阿羅漢が相集うときに世の中を変えていける、それが私の考えです。そしてその千人の阿羅漢をつくることは、そうむずかしいことではないと私は考えています。阿羅漢をつくることは、そうむずかしいことはないと私は考えています。阿羅漢をこの世でつくるためには、さきに述べたような基準に達する人を数多く出してゆけばよいのです。
どのように努力すれば阿羅漢が出てくるかと言うと、まず、真理を学ぶ必要があると思います。さまざまに私たちは霊言集を出したり、その他の真理の理論書を出していきますが、それらを出している目的は、この書籍を通して、何が神のお心にかなう考えなのか、高級霊のお心にかなう考えなのかということを、まず知っていただきたいのです。知ることなくしては、真実の反省ができないからなのです。まず、知ることです。知ることによって、反省ということができるようになっていくのです。
そして、この真理に照らして、自分の思ったこと、行ったことのどこが一体違っているのかを、点検してゆくことができるのです。たとえば、自分ではよかれと思ってやったことが、真理に反しているということは、ままあるわけです。こうしたところがじつに問題なわけです。
このように、千人の阿羅漢をつくっていくためには、真理学習ということが第一段階にありますが、次には、真理の学習を踏まえて、自分の心を磨くという実践行為が必要です。この実践行為が、反省でありましょう。
みなさんの多くは、仕事のなかに没頭しておられることと思います。そしてそのなかで自由な時間をとることはきわめて難しいことであろうと思います。けれども、お願いしておきたいことは、たとえ通勤時間のなかであっても、真理の本を読んで真理を学習し、そして、夜寝るまえに、十分でも十五分でもよいですから、もちろん三十分でも一時間でも結構ですが、時間の長短は問いませんが、自分の今日一日の間に起きた出来事、思ったことの一つ一つを、反省してみることです。
こうした反省という実践行為を通して、心の透明感がますます増してゆくのです。一日のうちで、かならず何か一つや二つは、マイナスのことを思ったことがあるでしょう。他人に対して、悪く思ったこともあるでしょう。憎しみや思いを持ったり、怒りの思いを持ったり、あるいは悔しい思いを持ったり、そうしたさまざまなマイナスの思いを持ったことがあったことでしょう。こうしたマイナスの思いに対しては、やはり、このマイナスをプラスに変えていく必要があります。
その意味で、心に去来した思いを、これをまな板の上に乗せて、真理という包丁で調理してみ必要があります。そしてグツグツと煮てみるわけです。どうしてそうした思いがでてきたのか、これを探究します。この根っこの探求がだいじです。そして、根っこを探究したら、次はこの根っこから、その念いをまず取り去ること、そして二度とそうした思いを出さないように決意することが大切です。人に対して失礼なことを言ったならば、すぐごめんなさいという心境、また、それが空間的にはたされないことであるならば、心のなかでまずあやまるという心境、これが大切です。このような実践行為が、とても重要であるのです。
さらに、阿羅漢を千人つくっていくための方法論としては、修行者どうしでたがいに切磋琢磨していくということがとても大切です。人間は、自分一人で自分を見つめていると、どうしてもその目が甘くなってしまうのです。自分には甘く、他人には厳しくなるのが人間の性なのです。このように、自分に甘い人間の性がある以上、修行者どうしおたがいに切磋琢磨しあうことがだいじです。お互いに悪いところがあったら注意し合い、そして向上に向けて拍車をかけていくことです。これがだいじです。自分にはわからないことがあっても、他人の目から見れば、岡目八目でわかることがあります。そうしたことが、ひじょうに大切なのです。
このように、まず真理学習をすること。そうして、反省の実践行為をすること。次に真理を求めている者同士で切磋琢磨して、お互いの霊的段階を高める努力をする。そうした方法論が、取られるべきでしょう。
〇菩薩への準備
では、この阿羅漢という境地は何のために必要なのかと考えてみるときに、やはりこれは、菩薩への登竜門であるという考え方抜きに、語ることはできないと思います。
阿羅漢は、菩薩への登竜門であり、菩薩の卵たちの修業の境地です。この阿羅漢の境地で、数多くの人が、天上界でも地上界でも修行しているのです。
菩薩というのは、これは、プロの光の天使と言ってもよい境涯です。愛他、利他の実践行に励んでいる人たちが、その境地にあります。この菩薩の世界に入っていく前の関門として、阿羅漢があるのです。そうして、阿羅漢が真の菩薩になってゆくためには、阿羅漢の心境を長く続けていく必要があります。一生を通じて阿羅漢であるという心境を、まっとうすることができれば、その方は、まちがいなく菩薩の境涯に上がっていくこととなるのです。
この、菩薩への道としての阿羅漢にとって大切なことは、次の二点に集約されると私は考えます。
第一は、菩薩というのは利他行の実践者です。すなわち、与える愛の実践者です。あるいは、生かす愛の実践者です。許す愛の実践者です。こうした利他の実践者が、菩薩なのです。
さて、この利他は、やはり与えることに、その本質を持つわけですが、人に与えるためには、いったい自分はどうでなければならないのでしょうか。それは、他の人に与えられるほどのものが、自分のなかにあるということが大事なのです。心のなかに、他の人に与えられるだけの、それだけのものがあること、それが大切です。
すなわち、菩薩になる前の阿羅漢において、とても大切なことは、この自己確立ということなのです。自分づくりということなのです。阿羅漢の段階は、とにかく自分づくりなのです。自分づくりができた人が、智慧をもって与えて初めて、人々は導かれてゆくのです。自分づくりができていない人が、知恵なくして他の人に与えんとしても、その愛が、真実人を生かすことにならないことが、数多くあります。そうした例を、数多く私も見てまいりました。真実人を愛するためには、知恵が必要です。この知恵をつくる期間こそが、阿羅漢の修業段階なのです。
したがって、真理学習を通し、そして反省を通して学ぶものは、人生の智慧の蓄積です。それをしているのです。すなわち、自己確立の時期であるということを、明確にしておきたいと思います。
阿羅漢の、菩薩への準備の第二のあり方は、何であるかというと、神により一層近づきたいという熱意だと思います。求道心ということでもありましょう。道を求めるということにおいて、無限であることが要請されているのです。無限に道を求め、求め、求め、続けて行くこと、そうして菩薩になっていくことが、初めて許されるのです。すなわち、菩薩への準備段階として阿羅漢に必要なことは、神への思いをつのらせること、神の愛を感じ取ること、これです。神の愛を感じ取って、初めてそのありがたさをしみじみと分かってくるのです。
六次元神界のなかでは、自力自力ということで、何でも自分でやろうという人が数多くいます。それは、自己確立期においては、とてもとても大切なことです。しかしながら、この上の段階があることは事実です。それは、神から与えられてくる光のありがたさを実感していくときなのです。
神からは、大きなものが与えられます。わたしたちは、多くのものを与えられています。いちばん大切なものは、永遠なる生命を与えられているという真実です。そして、次なるものは、永遠の生命を与えられている私たちが、多くのものの奉仕によって生きていける環境が創られているという事実です。まず、永遠の生命があり、そして、その永遠の生命が個性ある肉体舟に乗って、すばらしい環境のなかで生きていけるのです。こうした立派な優れた知恵が、目の前に展開されているのです。
さすれば私たちは、どうせねばならないのでしょうか。それは、感謝ということではないでしょうか。感謝にもとづく感謝行、報恩行が必要とされるのではないでしょうか。
その意味において、阿羅漢の境地において、菩薩への準備として必要なのは、神の愛に感謝する気持ちだと思います。この感謝の気持ちが強くなってゆかねば、菩薩へと上がっていくことは、むずかしいといわねばなりません。自力で修行し、自己確立をし、優れた人になっても、感謝の念の少ない人は、次なるステップ、次なる向上への道がなかなか開けてこないのです。
どうか心して、向上の道を歩んで言っていただきたいと思います。それは、感謝という行為によって、感謝という思いによって、みずからの天井を高くしてゆくということでもあります。
大川隆法『幸福の科学とは何か』第七章「阿羅漢をめざして」より抜粋】
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この地上において、主は私たち一人ひとりに、天使や菩薩と呼ばれる存在になることを求められています。天使や菩薩とは神仏のためにその身命を擲って人を助けるプロです。それには出家・在家の区別はありません。
私たちも今、主のご復活をお祈りしながら、聖なるものを守るために、主とその教えを守るために、立ち上がった菩薩です。
その菩薩になるために、私たちは、まず阿羅漢の境地を目指さなければなりません。
阿羅漢とは、六次元上段階にあって、頭の後ろから後光が出てくる境地であり、自分の守護霊と対話ができる境地です。に心にひっかかりがなく、透明感が増すこと。霊道が開けるか、あるいはそれに近い状態になること。他人の気持ちが手に取るようにわかり始めること、この三つが阿羅漢の基準でした。
私たち主の弟子に求められるのは、主からいただいた限りない愛を少しでもお返しするために、私たちの隣人を救い助けるために、愛を与え続けることではないかと思います。
主の願いを受けて、私たちも光の天使となり、主のため、世のため、隣人を救うために、さらに一歩を共に踏み出してまいりましょう。
今世において、私たちが、人助けのプロとして菩薩や天使になることを主は期待させています。主の期待に応え、主の御手足として私たちの隣人たちの心を、エル・カンターレ信仰によって救い助けてまいりましょう。
正しき心の探究による心の修業を通して、「愛・知・反省・発展」の四正道と隣人を救い助ける愛の実践を通して、自らの背中や頭の後ろから後光が出るように、共に修業を重ねてまいりましょう。
本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■2025年「立宗記念式典」開催概要
○10/6(月)~8(水)まで、「立宗記念式典」を開催させていただきます。
✧日 時 10/6(月)~8(水)
✧場 所 全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)
✧対 象 信者および一般
✧奉 納 式典のみの場合は、感謝奉納。
【趣 旨】
○立宗記念式典では、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、「時代の北極星たらん」(楽曲「遥かなる異邦人」)という志を胸に、すべてを捨てて、空手にして立たれ、自分自身の考えと行動以外に何も頼りになるものがない中で、自らの心一つを「てこ」にして垂直の壁を登るようなご精進をなされ、幸福の科学を創り、導いてくださっている奇跡に、心からの感謝を捧げさせていただきます。
○原曲「ただ一人往く」の「自分一人が自分を鍛え、鍛え、鍛え続ける」「ただ粘り強く不撓不屈の精神で生き抜くしかない」という、立宗から現在に到るまでの主の御姿に学び、私たちもその主の御姿につき従っていく決意を新たにさせて頂きます。
○そして、「夜明けに向かって進むしかない。そうだ、必ず、日は昇る。」(原曲「ただ一人往く」)と詩われているように、主がご復活され、人類の夜明けがやってくる希望の未来を確信し、立宗記念式典版「復活の祈り」を捧げさせて頂きます。また、立宗記念発刊予定の『菩薩に向けての第一歩』の学びを通して、主のご使命をお支えできる菩薩としての使命を果たすために、不撓不屈の精神で、ただひたすら精進を重ねていく決意を固めさせて頂きます。
・式典では、はじめに、楽曲「遥かなる異邦人」を奉納させていただき、時代の北極星たらんとして、「愛」や「正しさ」を人々に伝えんとされる主の御心に思いを馳せさせて頂きます。式典映像の中では、語り下ろし音声「非凡なる愛の高みへ」(経典『若き日のエル・カンターレ』)などの御法話を抜粋拝聴させて頂きます。そして、大川隆法精神(スピリッツ)ソングの原曲「ただ一人往く」を特別に拝聴させて頂き、すべてを捨てて空手にて立たれ、立宗以来、全人類への愛のために断崖絶壁を登るような不撓不屈のご努力を重ねてこられた主の御姿を心に刻み、主への感謝を深めさせていただきます。その後、主の立宗の御心と主のご復活への念いを深める映像を上映し、主のご復活を心から願い、立宗記念式典版「復活の祈り」を
執り行わせていただきます。
・立宗記念式典版「復活の祈り」では、『異次元パワーを得るための祈り―本体霊「アルファ意識」特別霊指導―』を全員で唱和し(本会場参加者限定で経文を配布致します。※衛星会場はモニターに経文を表示させて頂きます)、主が、天においても地においても無敵であられ、「エル・カンターレ信仰」のもと、あらゆる既成の常識が打ち破られることを確信し、祈りの力を強めてまいります。そして、純粋な信仰心を結集し、主のご復活を心から祈念し、『新復活祈願―オフェアリス神特別霊指導―』を唱和します。そして、導師及び持参者一同で半袈裟を着用してケリューケイオンの杖を振り、そののち、修法「エル・カンターレ
ファイト」を行じます。最後に、主と共にある希望の未来が実現していくことを願い、『未来成功祈願―ヘルメス神特別霊指導―』を全員で唱和します。
【祈願について】
・『幸福な人生のための祈り』(奉納目安:3万円、学生1万円)については、全国・全世界の精舎で、10/1(水)~8(水)の期間、承ります。
・『精進必達祈願』(奉納目安:3万円、学生1万円)については、全国・全世界の支部(HSU・学園含む)の式典第二部で、10/6(月)~8(水)ならびに12(日)限定で、承ります。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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(9/14-1)【基礎教学通信】257幸福の科学入門37「幸福の科学とは何か」千人の阿羅漢―「悟りの挑戦(上巻」)「癡(痴・ち)」=愚かさ―『黄金の法』念仏宗走る
