60 直属の部下は、裏表のある上司を、一番、最初に見破る。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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11月18日は、海外初転法輪記念日です。2007年11月18日に主は、ハワイ精舎において海外における初めての説法である『Be
Positive』を説かれました。全世界伝道の第一歩を生まれ、主の教えは全世界に広がっています。主の御慈悲に心からの感謝と、全世界伝道の誓いを共にさせていただきます。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から39年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。
主のご説法は1986年11月23日の第1回目から2023年2月23日に賜りました『妖怪にならないための言葉』発刊記念対談にて、説法3500回を超えました。これは人類史に残すべき偉業です。
この聖なる日に仏弟子相集い、日暮里酒販会館にて賜った初転法輪よりこの日まで、全人類救済のために、不惜身命の覚悟で教えを説き続けてくださっている主に心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、主が初転法輪で説かれた御教えを共に振り返ってまいります。本日は1986年11月23日に東京は日暮里の酒販会館にて開催されました、主の初転法輪(最初の説法)にて説かれました御法話「幸福の科学発足にあたって」を引用して、我々弟子も原点回帰して主への感謝と報恩の誓いを新たにいたします。この御法話は経典『われ一つ立つ。大川隆法第一声』に所収されています。全国の支部や精舎・書店にてお求めいただけます。お持ちでない方はこの機会にご拝受ください。【税抜き1800円】
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■『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」
3 地獄霊からの邪魔にも負けず、商社勤務をやり抜いた「私の修業時代」
〇地獄霊の「憑依の理由を見抜き」、「魔王の正体」を見破る
・普通の地獄霊は苦しくて助けてほしがる
では、なぜ、そうした地獄霊たちは、この世に出てきて、生きている人間に憑依して、彼らを苦しめるようなことをするのでしょうか。
これは、私の書物を読んで、すでに学んでいる方もいらっしゃるでしょうけれども、地獄というのは、はっきり言って、居心地のよいところではないのです。ご経験のある人はあまりいないでしょうけれども、これから、将来、ご経験になる方もいらっしゃるかもしれませんので、早めに言っておきますと、あまりよいところではありません。そして、はっきり言って、明るいところではありません。薄暗いところです。
出てくる地獄霊に話しかけてみます。
「あなたは偉いと思っているの?」というと、「偉い!」などと威張っています。
「それで、居心地はいいですか?」と訊くと、「うん、非常に快適だ」と答えるのですが、「あなたの快適なところというのは真っ暗でしょう?」「うん、そうだ」、「寒いでしょう?」「うん、そうだ」、「苦しいでしょう?」「そのとおりだ」、「それで快適なんですか?」「まあ、考えてみりゃあ、快適じゃないかなあ」などと、いろいろおっしゃいます(会場笑)。
要するに、負け惜しみを言っているのです。
特に、地獄霊でも、普通の”良心的な”地獄霊、良心的と言ったら変ですが、心のなかで、よいところと悪いところを比べたら、悪いところがちょっとだけ多くて、残念ながら失敗しましたという人は、それほどあくどいことをやりません。出てきても、「助けてください。助けてください。苦しいんです」と、このように来ます。
〇「魔王」や「サタン」は苦しいとは言わずに偉そうなことを言う。
それがもっと悪くなってきて、五百年、千年と地獄にいて、そこで居座ってしまっている人には、もう出られないのが決まっているので、せいぜい、悪いことをして威張ってやろうということで、新参者の地獄霊をかどわかして、言うことをきかせるようなことをする者もいます。そういう「魔王」という者がいます。あるいは、「サタン」などもいます。
こういう者になってくると、もっと巧妙です。本当は苦しいのですが、「苦しい」なんて一言も言わずに、いろいろと偉そうなことを言っているわけです。
新興宗教等は、現在、日本にも、おそらく何万、何十万とあるはずです。そのなかで、光の天使が指導しているというのは、おそらく少ないと思います。私は、「いない」とは言いません。ほかにも出るはずですから、いるはずです。ただ、少ないと思います。
そして、こういうところで、魔王やサタンの類は、指導しているというのか分かりませんが、いろいろ言っているわけです。ところで、こうした魔王とかサタンの類は、たいてい、過去世で宗教家をやったことがある人が多いのです。たとえば、「真言密教をやって法力をつけている」とか、こんなのがたくさんいるわけです。
こういうものが、指導霊の顔をして、「光の天使だ」と言って語りかけてくると、たいていの霊能者はコロッと参ってしまうのです。よく知っているわけです。あまりにもいろいろなことを良く知っていて、そして、法力まであるのです。
〇過去世で密教の行者だった「地獄の蛇の霊」の親玉のような存在
具体的な名前を言っていけませんが、京都のほうで、火を焚いたりして、念力でやっている密教があります。このなかに、もし、そこの方がいたら申しわけないのですが、念力でどうこう言って、やっているところがあります。
もちろん、やっている教祖本人は、この法力を見て、「絶対、間違いない」と思っているのでしょう。
ところが、その正体は何かというと、私のところによく”遊び”に来ているものです。その正体を見破ったら、もう終わりなのです。見破れないから、やっていられるのです。のそ正体を見破ったら、もう終わりです。
この団体でいう”龍神などというもの”は、指導神とか、守護霊とかにはなりません。”龍神”と言っているのは、たいていは「地獄の蛇の霊」の親玉のようなものです。たいてい、こういうものがやっています。彼らの特徴は何かというと、やたら奇蹟を起こしたがるということです。
また、正体は、過去世で密教の行者など、そういうのをやっていた者ですから、本当に法力は持っているのです。ですから、法力は本当なのです。いろいろなことを起こせます。
〇法力や言葉に騙されず、教えの正しさや実践の裏付けがあるかを見る。
しかし、その法力にコロッと参ってはいけないのです。いろいな現象をこれから見るでしょうし、そうした霊能者と話をすることもあるでしょうけれども、こういった法力だけでコロッと参ってはいけません。「火のなかに龍が出てきた」とか、そんなもので参ってはいけないのです。
やはり、彼らの説いていることのなかに、正しい教えがあるかどうか。こういうことです。
それから、言葉だけで、「愛」とか「慈悲」とか言うところはたくさんあります。たとえば、「慈悲と愛出版社」などというところがあります。表面だけは、「愛と慈悲」を一生懸命説いているらしいけれども、なかを読んだら、全然、「愛と慈悲」がないのです。書いていることを見れば、人の悪口ばかり書いてあります。「誰それは、地獄へ落ちた」とか、「消滅した」とか、そんなことばかり書いています。こんなものが普通であるわけはないのです。
ですから、もちろん法力だけに頼ってもいけないし、法力だけでも本物ではありません。
それから、「愛」とか「慈悲」とか、そういう言葉だけ騙されてもいけないのです。
「愛」を説く人には、その愛の実践があるかどうか。「愛」という言葉に裏付けがあるかどうか。愛を説いて、その奥に、「いったいどうせよ」と言っているのか。それを考えなければいけません。
【大川隆法『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」
3 熱鉄のごとく赤く燃えよ
執着を断つことは、人生における一大決意だといえます。つまり、永遠の人生において、幸福を保証する英断であります。しかし、このことは、人生を消極的に生きよ、後ろ向きに生きよという意味では、決してありません。執着を断つからこそ、積極果敢な人生が開けてくるのです。
世の人々をよく見てごらんなさい。執着のある人々の、なんと弱々しいことでしとょう。なぜ、自分の地位や名誉、あるいは、他人とくらべた年収などに執着をするのでしょうか。なぜ、学校の名前や会社の名前に執着するのでしょうか。なぜ、見栄や虚栄に執着をするのでしょうか。そんなものに執着して、一体何になるというのでしょう。この世の人々に評価されたところで、一体それが何になるのでしょう。はるか彼方の、大宇宙のはてよりも、さらに偉大な根本仏の存在から見たならば、人間の執着など、いかにはかなく、いかにむなしく、いかにとるにたりないか。そのことが、わかりますか。
すべてのこの世的な執着を断って、熱鉄火のごとく赤く、熱く燃えてこそ、真実の人生なのです。それでこそ、仏の子としての人生なのです。それでこそ、仏に認められる人生だといえるのではないでしょうか。
人間がこの世で築いた地位も、名誉も、、財産も、死んであの世に持って還ることはできないのです。この世の肩書など、あの世では、もちろんのこと通用しません。日本の総理大臣といわれた方たちが、一体何人、あのよう地獄で苦しんでいるか、あなたがたは知っていますか。人もうらやむような大会社の社長が、何百人、何千人と、色情地獄、阿修羅地獄、あるいは、畜生道に堕ちているのです。そのことを、あなたがたは知っていますか。生きていたときに、金儲けばかりうまくて、何人もの女性との快楽をむさぼった人間が、快楽のうちに人生を終えた人間が、そのわずか数十年の快楽のために、一体なん百年、苦しみという名の代償を払い続けているか、あなたがたは知っていますか。地獄は、昔話や方便ではなくて、実際に・
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�るのです。厳然としてあるのです。
仏法真理を体得した人の眼から見れば、あの世で苦しんでいる人々の姿は、金魚鉢のなかの金魚を見るよりもたやすく見えてしまいます。そして、そういう彼らに共通するのは、この世の執着の多い人ほど、苦しみもまた深いということです。
人間は、心です。魂です。ですから、死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです。心がすべてなのです。死んであの世にもって還れるものは「心」しかないのだと気がついて初めて、人間はひらきなおることができるのです。
心しか持って還れないならば、せめて美しい心をもって還るしかないでしょう。では、美しい心とはどういうものでしょうか。もちろん、仏がほめてくれるような心です。仏がほめてくれる心とは、愛に満ちた心です。与える心、生かす心、許す心、感謝する心です。ですから、そういう心を持って還れるように、心を磨き、心を高めることにこそ、熱鉄のごとく赤く燃え上がるべきなのではないでしょうか。
執着の反対は、なんだと思いますか。それは、愛です。なぜならば、愛とは、与えることだからです。他人を生かすために、与え続ける愛のなかに、一体なんの執着があるというのでしょうか。
ですから、執着を断つには、まず、愛を与えることからはじめることです。あなたは、お世話になったご両親に、何をしてあげましたか。兄弟に何をしてあげましたか。また、お世話になった先生の期待に、こたえることができましたか。友人に何をしましたか。縁あって人生の途上で出会った人々に対して、一体何をしてあげましたか。隣人に、何をしてあげましたか。あるいは、子供を育てるときに、自分のご両親の苦労をどれだけ思い出しましたか。心のなかでにくんでいた人を許してあげられましたか。怒っていた人をしずめてあげましたか。仏の愛に、どれだけこたえながら、勇ましく人生を歩みましたか。
【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜き2000円】
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■『永遠の法』第5章 八次元の世界
1如来とは何か
第四章まで、菩薩界の世界について、だいたいの説明をしました。本章では、いよいよ八次元如来界の説明に入っていきましょう。
如来という言葉は、菩薩同様、仏教的な言葉であって、キリスト教的には大天使といいます。また、光の大指導霊という呼び方をすることもあります。
まず、如来とは何かについて定義してみましょう。「如来」という字は、「来るが如し」と書いてあります。どこから「来るが如し」なのかというと、結局、「真如」(しんにょ)です。悟りの妙処から絶対の真理を体現してこの地上に来た人―これを如来といいます。
如来とはどの程度の格を持った霊人であるかを、一律に表現することはなかなか難しいのですが、少なくとも人類の歴史において傑出した人であることだけは疑いのないことです。
ところで、如来といわれる人がどのくらいいるのか、みなさんはご存じでしょうか。霊界の人口は一説では五百億人を超えるとも言われています。しかし、その五百億人ほどの霊人口のなかで、如来といわれている人の数は、わずか四百数十名、すなわち五百名たらずです。これだけしかいないのです。
そうすると、一億人に一人ということになります。ということは、現在の日本の人口は約一億日本万人ですから、確率的に言うと、そのなかに如来は一人ぐらいしかいないことになります。
もっとも、おおきな法が説かれるような時期には、如来と呼ばれる方々が集中して出てくる傾向があるので、地上でのその数は必ずしも特定できません。
ただ、いつの時代であっても、同時代に生きている如来の数はせいぜい数名であって、数十名、数百名の如来が同時期に肉体を持つということはありません。というのは、如来といわれる方は、やはり一つの巨大な山の頂(いただき)だからです。
たとえば、富士山のような山が日本列島の各地にあれば、大変なことになります。しかし、富士山のような山が日本列島の各地にあれば、大変なことになります。しかし、富士山や阿蘇山といった大きな山は、ところどころにポツリポツリとあるだけなので、全体として景観のつり合いが取れているのです。ここもあそこも如来だられというのではなく、その時代のなかで、富士山のようにそそり立つ人物が如来なのです。
大きな文明の興隆期というのは、如来が競って肉体を持つ時代になります。
そうした時期としては、ギリシャでいえば、たとえばソクラテスのころがそうです。ソクラテスは如来ですし、弟子のプラトンも如来、プラトンの弟子のアリストテレスも如来です。同じころにピタゴラスもいました。しばらく時代が下ったころには、アルキメデス(九次元存在)もいました。こうした諸如来がギリシャという地を中心に出ていたわけです。
古代中国では、孔子(九次元存在)、老子、墨子が如来です。こうした方がたが古代中国の文化をつくってきたのです。
キリスト教系でいえば、イエス・キリストが如来(九次元存在)ですし、イエスの先触れをなしたバプテスマのヨハネも如来です。また、ユダヤ教系の預言者の歴史に出てくるエレミヤやエリヤにしてもそうです。こうした方々は如来だったのです。
また、仏教系でいっても、釈迦牟尼仏【しゃかむにぶつ】(釈迦如来。九次元存在)をはじめとして、やはり、いくたりかの如来が出ています。
このように、文化的な高み、時代の高みをつくるために、如来が出てくるのす。そして、法の中心、あるいは文化や芸術の中心として活躍し、時代を押し上げることになります。
やがて、如来がつくった文化や文明が衰えると、次に諸菩薩がポツリポツリと出現して、それを復興します。それがまた衰えると、再び如来が出てきて新たなものを起こしていきます。こうしたくり返しとなっているのです。
【大川隆法『永遠の法』 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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本日の『太陽の法』の学びも、経典『地獄の法』を理解を深めるうえで重要な教えでした。
『人間がこの世で築いた地位も、名誉も、、財産も、死んであの世に持って還ることはできないのです。この世の肩書など、あの世では、もちろんのこと通用しません。日本の総理大臣といわれた方たちが、一体何人、あのよう地獄で苦しんでいるか、あなたがたは知っていますか。人もうらやむような大会社の社長が、何百人、何千人と、色情地獄、阿修羅地獄、あるいは、畜生道に堕ちているのです。そのことを、あなたがたは知っていますか。生きていたときに、金儲けばかりうまくて、何人もの女性との快楽をむさぼった人間が、戒らのうちに人生を終えた人間が、そのわずか数十年の快楽のために、一体なん百年、苦しみという名の代償を払い続けているか、あなたがたは知っていますか。地獄は、昔話や方便ではなくて、実際・
・
�るのです。厳然としてあるのです』
また、地獄の法のあとがきでは、国葬された安倍元首相は、生前たくさんの嘘をついていたために、死後鬼に舌を抜かれて地獄に堕ちていることが分かっています。とても残念なことです。
地獄の実在についてはすでに『太陽の法』で教えていただいた点で、あらためて驚きです。本日の御教えで特に感動的だったのは、
『人間は、心です。魂です。ですから、死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです。心がすべてなのです。死んであの世にもって還れるものは「心」しかないのだと気がついて初めて、人間はひらきなおることができるのです。
心しか持って還れないならば、せめて美しい心をもって還るしかないでしょう。では、美しい心とはどういうものでしょうか。もちろん、仏がほめてくれるような心です。仏がほめてくれる心とは、愛に満ちた心です。与える心、生かす心、許す心、感謝する心です。ですから、そういう心を持って還れるように、心を磨き、心を高めることにこそ、熱鉄のごとく赤く燃え上がるべきなのではないでしょうか。
執着の反対は、なんだと思いますか。それは、愛です。なぜならば、愛とは、与えることだからです。他人を生かすために、与え続ける愛のなかに、一体なんの執着があるというのでしょうか。
ですから、執着を断つには、まず、愛を与えることからはじめることです』
執着の反対が愛である
この言葉が私にとっての一転語でした、
本日の学びも、幸福の科学の基本教義を学ぶ上において、極めて重要なものでした。しっかり心に深く落とし込んでまいりましょう。
また、後半の『永遠の法』では、いよいよ仏と神の世界の真実に迫ります。現存する地上の書物で、このように詳細に如来の世界を描き出されているものは『太陽の法』以外ありません。『永遠の法』第五章「八次元の世界」と第六章「九次元の世界」はまさに、人類の宝です。そこに描かれているのは、まさに仏の御心であり、神の計画であり、光そのものです。私たちも謹んで学びを深めてまいりたいと思います。
如来の名前の由来が、真如と呼ばれる悟りの世界から来るから「来るが如く」で如来ということでした。また如来の別称は如去(にょこ)という言葉もありますが、原語は「タターガタ」(tathāgata)というサンスクリット語の漢訳を「如去」「如来」と使い分けています。
〇「如来」=悟りを求めて「如去」した者が、今度は「真実の世界から(迷いのある世界へ)来られる」者として説法を行う状態。下化衆生の側面という菩薩行
〇「如去」=悟りを開き、迷いのある世界から離れて「真実の世界へ去っていった」状態。上求菩提(自己を磨き、悟りを求める)という菩薩行
「如去」と「如来」は、真理の世界に到達した者(仏陀)が、衆生を救済するためにこの世へ戻ってくるという「往相」と「還相」の二つの側面を表します。
私が注目しているのは、最後の言葉にこのようにありました。
『このように、文化的な高み、時代の高みをつくるために、如来が出てくるのす。そして、法の中心、あるいは文化や芸術の中心として活躍し、時代を押し上げることになります。
やがて、如来がつくった文化や文明が衰えると、次に諸菩薩がポツリポツリと出現して、それを復興します。それがまた衰えると、再び如来が出てきて新たなものを起こしていきます。こうしたくり返しとなっているのです』
このように、一度文明の高みをつくるために如来が下生して、その後文明が衰えたところで、再び八次元の如来が下生するのではなく、七次元の菩薩が下生して復興していくという繰り返しで文明がつくられ、維持されているということでした。このように、九次元大如来が計画・設計した世界を如来と菩薩でのチームワークで現実化していることがわかります。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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(11/16-1)【基礎教学通信】320『太陽の法』を読む53「エル・カンターレへの道」熱鉄のごとく赤く燃えよ―「幸福の科学発足にあたって」地獄霊の「憑依の理由を見抜き」、「魔王の正体」を見破る―『永遠の法』【八次元】如来とは何か
『真説八正道』を読む
