(4/5-2)【阿羅漢への挑戦】95-4『永遠の仏陀』を読む―仏陀の教えありてこそ―『天御祖神 武士道を語る』自分個人に対しては「無我」、仕事においては「大欲」を持て―「反省はなぜ必要か」悟りへの第一歩―『真説・八正道』人間とはどのような存在か―『釈迦の本心』反省

『永遠の仏陀』を読む

4 この世の机とか、肩書きを取り除いたあなたは、一体何者か。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、一日一生の精神をあらたにすべく、『天御祖神 武士道を語る―現代に求められる真実の死生観』の教えを確認します。とても大切な教えですので、教典をお持ちでない方は、支部・精舎・全国の書店にてお求めください。【税抜1700円】
―今日、命がなくなったとして、おまえはそれで満足できるかどうか」ということを、日々、自らに問うということだな。そういう生き方をしなさいということだ。―天御祖神

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■『天御祖神 武士道を語る』
二、武士道における「死」と「正義」の考え方
〇自分個人に対しては「無欲」、仕事においては「大欲」を持て

質問者A 以前、いろいろな、『葉隠』的精神を持っている方々ともお話をさせていただいたこともあります。

天御祖神様が今お話しくださったような深く考えた上での、「死ぬことと見つけたり」だとまったく軽くはないのですけれども―人生でこの世につまづいたときに、ある霊人は”リセット”という言葉を使っていましたが、「死ぬこと」ということに重きが置かれすぎると、逆に「じゃあ、この世に生まれてくる意味があるのかな」と思うようなところも、個人的にはあったのです。そのへんはどうでしょうか。

天御祖神 逆に言うとどうかな。
「自らでそれを考えない」ということにより―
人々は、医学で寿命を延ばし、食糧の供給で寿命を延ばしているが―
結果、間違った考え方を持った人が地上にはびこってきて、
彼の命を奪うべく、
天変地異や、
さまざまなウィルスや、
いろんなものが出てこようとしている。

だから、本当、腐ったものに生えるカビのような存在に
人類がなりつつあるということに対して、
もっと、自らの生き方というものを
真剣に出していかねばならないのではないか。
日本人でありながら、
「正しいことを正しいこととして言えない」
という時代を生きているということは、
実に、奴隷根性のなかを生きているというふうにもなるだろう。
だから、やはり、この世への執着、
「生き長らえることへの執着」が巣よすぎるということは、
問題はあると思う。

質問者A それは問題だと思うのですけれども、では、今度は、死にとらわれ過ぎないようにするには、どうすればいいのでしょう。

「死ねば、次の転生輪廻もあるから、すぐ生まれ変わってこられる」というような安易な考え方をもって「武士道だ」という感じになると、それはそれで、「この世が創られた意味」といいますか・・・。誤解されると、人生は、リセットしてやり直すゲームみたいに聞こえないこともなくて・・・。

「何か問題がおこったときに、『死をもって臨む』」というのであれば、「それを『生きて克服する』ことはできなかったのか」とか、そういう論点はあまりないところもあるのかなという気はしたのですけれども。

天御祖神 まあ、三島由紀夫的なものもあるかもしらんがなあ。

質問者A そうですね。そのへんはいかがでしょうか。

天御祖神 仏教的なるものが入って、
まあ、「四十九日」の話が
“四十九日で生まれ変わる”ぐらいの思想になってしまって、
「今、死んでも、四十九日で生まれ変わる」と思えば―
「『この人生、もう行き詰った』と見たら死んでしまう」とか、
「戦争でバンザイ突撃して死んでしまう」とか、
そういうふうになるということだな。
まあ、そういうふうに軽んずることのほうが強くなるという面も、
あることはあるわな。

ただ、うーん、何て言うかなあ、
死して地獄に堕ちている者の大部分は、
そうした、
「死んで、転生輪廻があるから、こういうふうに自分の生き様を決めよう」
と思っている人は極めて少ないんだな。

この世に執着して、
「もっと生きたい。もっと生きたい」
と思っているひとほど、
地獄というところに数多く行っていることは間違いない。

だから、大事なことは、
「無欲」でありながら「大欲」を持つことであるので、
自分個人に対しては無欲で、
しかし、この世に命を得て、生きて、
仕事をすることにおいて大きな業(わざ)をなすということが大事で、
桜が散るは風に任せるようなところもあってもよいのかなと思う。

現代の科学は、
これに逆行する方向にすべて行っているとは思うんだがな。
どうやって人の命を延ばすか、
それがもう絶対的な善として、
医学を中心とする科学では築かれていると思うし、
人道主義や人権論というものも、みんな、
この世の命、生き長らえることのみを善としている
とは思うんだけどな。

なかなか分かってもらえぬかのう、生きているところが違うと。
この世に生きていると、(生き長らえることのみ善と)そう考えて、
あの世に生きていると、
「こんなつまらない人生で、おまえ、いいのか」
という気持になるのだけれども、
どうしても、その気持ちはわかってはもらえない。

【大川隆法『天御祖神 武士道を語る』より抜粋】
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ここで一日の終わりに反省をする前に、反省がそもそもなぜ大切なのかについて経典『幸福の科学とは何か』よついて学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜1600円】
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■『幸福の科学入門―初歩からの仏法真理』
第5章「反省はなぜ必要か」
4 悟りへの第一歩
反省を中心に話を進めてきましたが、もう一つの大切なことを述べておかなくてはなりません。それは、「『悟りへの第一歩、第一関門は反省である』ということを、どうか肝に銘じてほしい」ということです。

悟りについて、いろいろな考え方をする人がいるでしょうが、悟りというものは、まず、この反省を通して得られるのです。

第一段階の悟りとは何かというと、本来の自己を取り戻すこと、すなわち、「自分は仏の子であり、実在界から出てきた存在である。また、自分自身は霊的存在である」という事実に目覚めることです。

それが悟りの第一段階なのです。

この霊的自己に目覚めること、本来の自己に目覚めることが、反省の中核をなさなくてはならないと私は思います。

反省というものは、道徳的に教えられた、よいことや悪いことを振り返って、マル・バツを付ける行為ではありません。

ほんとうは、霊的な自己というものがあり、その霊的な自己には、成長していく方向があります。「この方向に伸びていけば成長する。しかし、これと違った方向に伸びていけば失敗する。あるいは、自己のためにはならない。霊的成長を阻害される」という方向があるのです。

この部分を中心に反省しなくてはなりません。

本来、自分の霊性が目指している方向に、すくすくと伸びていけるような努力をこそ、しなくてはいけないのです。
したがって、反省は、真実の霊性に目覚めための手段でなければなりません。すなわち、霊的進化に奉仕しない反省は、真実の意味での反省とはいえないわけです。

たとえば、「他人を自分の思いどおりにしようとして、それできなかったから、反省する」というような反省は、ほんとうの意味での反省ではありえないのです。「他人を自分の思いのままにする」「自分の欲望を晴らさんとする」、こういうことが遂げられないがために、そこに自分の落ち度があったとして、それを反省することが反省ではありません。

仏の心に反した行為を反省せねばならないのです。

また、「仏の子」ということから引いてくることのできる結論として、本来、一人ひとりの人間には心のなかに良心というものがあります。この良い心、善我(ぜんが)なる自分、仏性をふくんだ部分が、その本来の姿に立ち返るために、その良心自身の要求するもの、仏性自身の要求するものがあるはずです。それが、ほんとうの方向なのです。

それゆえ、反省のもう一つの視点は、自分自身の奥深い心、真心との対話ということになりましょう。

「ほんとうに心底から、『自分は、こうありたい』と思っているのかどうか」、これを考えることです。「人の評判、人のつくり出した価値、さまざまな人間的な思いやレッテル、こんなもので自分の価値観が振り回されているのではないか」という点を、よくよく考えてみなければいけません。

自己実現といっても、間違ったレッテルなどに基づく自己実現であってはいけないのです。

真実の自己実現は、やはり、霊性の実現です。霊性の目覚めです。その到達です。これこそが、本当に望まれるところなのです。

それゆえに、みなさんは、まず、自分というものを謙虚に見つめていかなくてはなりません。人間は、どうしても、謙虚さというものを忘れて、「自分が巨大化すればよい。自分の活躍の場面さえ増えればよい」というように考えがちですが、それは、ともすれば、悟りの逆に近づいていくことになります。

心の錆止めということにも関係すると終えもいますが、ここで、もう一度、謙虚さということが、どうしても中心になっていかざるをえないのです。

すなわち、反省は、また別の基準から言うとするならば、「自分自身に対しては謙虚であれ。人に対しては優しくあれ」という言葉に翻訳することが可能でしょう。「何をどのように反省したらよいかが分からない」ということであるならば、この二つの言葉を中心に考えていただきたいのです。

一つには、「自分自身に対して、謙虚であったかどうか。仏神の前に謙虚な自分であったかどうか。傲慢でなかったかどうか」ということを振り返る必要があります。もう一つは、「他人に対して、真実、優しかったかどうか。愛を与えたかどうか」ということです。

「自分に対して謙虚で、他人に対して優しく」ということを実践することが一つの反省でもあります。日々、要求される、反省の積み重ねとは、結局、「自己に対して謙虚に」、また、「他人に対して優しく」、この二つの言葉に帰結するかもしれなせん。

これは、「己に厳しく、他人に寛大に」という言葉にもなりましょう。

いずれにしても、こういう心構えを持っていることは、無限の悟りを得ていくための方法でもあるのです。悟りは無限です。それは無限の階梯を持っています。

この二つのことを基準に考えてください。人間は、ともすれば、他人に対しては要求をし、自分に対しては甘く手ぬるい考え方をしがちです。しかし、そうであってはいけないのです。

こういう考え方をしてみると、「悟りを求める」という行為は、結局、「無限に人格を向上させていく道でもあるし、無限に器の大きい人格をつくることでもある」と言い換えることもできましょう。ここに、みなさんの研究課題がまだまだあると言わざるをえないのです。(完)

【大川隆法『幸福の科学とは何か―初歩からの仏法真理』第5章「反省はなぜ必要か」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第1章「序論」
2人間とはどのような存在か

かつて、はるかなる昔に、神仏の意識体の一部が散乱し、大いなる「人間を創るという理念」の下に、個性化して現われてきたみなさんです。「そうした生い立ちがあり、いろいろな星において肉体を持ち、魂修行をしてきた」という歴史があるわけです。あるいは、なかには、「地球だけで初めて生きた」という人もいるかもしれません。しかし、本来の魂の流れから見れば、はるかなる昔に、他の星においても魂修行をしてきたみなさんであったのです。

なぜ、「地球だけの転生」と言わず、「惑星を超えた転生」がありえるのでしょうか。そうした経験を通して、神仏はみなさんに、いったい何を与えようとしているのでしょうか。これを考えなければなりません。

そこに、この「宇宙創造の秘密」と「人類創造の秘密」があるのであり、「この両者の秘密について深く考える」という視点なくして、みなさんは人間であることを許されなくなってくるわけです。

したがって、「人間である」という事実そのものを、まず、みなさんが受け入れるかどうかを考えていただきたいのです。

「自分が人間として生まれ、かつ生きている、考えている、現に生かされている」ということを発見し、認めるということは、それ自体、いったい何を意味するのでしようか。
それは、みなさんが「創られた存在である」ということを、まず知らなければなりないということです。「創られた存在である」と同時に、「目的性を持った存在である」ということを知らなければならないのです。

【大川隆法『真説・八正道』第一章「序論」31p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第一章 目覚めよ
〇仏陀の教えありてこそ

そして、考えてみるがよい
あなたがたが人間として物事を考えてゆけるということが、
何ゆえに可能になったのかを。
なぜ、あなたがたは、考えることができる。
なぜ、あなたがたは、判断をすることができる。
なせ、あなたがたは、行動をすることができる
その根本には、あなたがたに、信ずる理想があるからであろう。
「かく思い、かく行動することが、
人間としての自分がなすべき仕事である」と思うからであろう。
では、なぜ、そう思うに至った。
なぜ、そう考えるに至った。
そもそも、考えるということが、なぜ、できるようになったか。
それは、あなたがたの魂の親が、この地上に降りて、
偉大なる仏陀として、教えを説いてきたからではないのか。
仏陀の教えがありて後、
人々は、
何が正しくて、何が正しくないのかということを、
知るようになったのではないのか。
その法ありてこそ、
すべての学問が、そこに興(おこ)って来たのではないのか。

何ゆえに、
大宇宙から観れば、砂粒にしかすぎないこの地球に、
生れ落ちた魂たちが、
偶然に、高度なる価値観を有することができるであろうか。
それらはすべて、
過去、幾千年、幾万年、幾週万年、幾百万年、
いや、それ以上の歳月にわたって、
地上に肉体を持ちたる仏陀が、教えを説き、
そして、法として遺してきたからではないのか。

それが人間としての魂の確立の初めにあったのではないのか。
この法ありてこそ、
悩むことなく、日々、幸福に生きてゆけるのではないのか。
何を基準に生きてゆけばよいかが分からないとするならば、
あなたがたは、日々、困惑のうちに置かれるであろう。
しかし、そこに、正しき道を指し示す法があるからこそ、
あなたがたは、安心して、
暗がりの道であっても、歩んでゆくことができるのであろう。
このように、
仏陀の説いた教えが法となり、
闇夜を歩む旅人に―そう、あなたがただ、
無明の世界を生きてゆくあなたがたに、
光を与えているのだ。

信仰とは、
この光を知ることである。
信仰とは、
この光が、法の光であるということを知ることでもある。
信仰とは、
この法の光が、愛の光であるということを知ることでもある。
信仰とは、
この法の光が、慈悲満つる光であると知ることである。
信仰とは、
この光が、仏陀より射し来たっていることを知ることである。
信仰とは、
この光が、大宇宙の根本仏である仏陀を通して、
地上を照らしていると信ずることである。

これがすべての根本であるのだ。
この事実を認めることなくして、
今世、人間として生き切ったと言うことはできないのだ。
人間として生き切ったと言うためには、
正しき心を探究しつつ生き抜いたという、
その魂の歴史が必要であるのだ。
正しき心の探究は、人間としての義務であり、
その義務を果たすためには、
仏陀の教えに帰依することが必要であるのだ。
帰依ということを通して、初めて、
すべての事実が明らかにされるのだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第一章 菩提樹下の悟り
4反省
洞窟のなかで一日の大半を過ごし、二、三時間だけ洞窟の外に出ては、食糧を探すための時間にあてるという生活を続けるうちに、何年かの歳月が流れていきました。

この間、ゴータマが徹底的に考え続けたのは、以下のようなことでした。
「人間は何のために生まれてきたのか。なにゆえ、このような戦乱が打ちつく世に、この下界に出てくるのか。

また、世にいう覚者となる道は、ほんとうに幸福の悲願に通じるものなのか。戦乱の世をはかなんで、多くの人が次から次へと出家していくが、出家して、それでどうなったというのだ。

彼らの多くは悟りを開いたのか。あるいは、この世を去ったあとで、苦しみの世界から逃れ、ほんとうの安らぎの世界に入っていったのか。それを確認できた人は、いないではないか。確認できていないにもかかわらず、そうした幻想に酔いしれているだけではないのか」

また、自分自身のこともさまざまに考えました。

「カピラヴァストゥを出て、すでに数年の歳月が流れた。父王シュッドーダナ、義母マハーブラジャーパティ―、そして、さまざまな取り巻きの者たちは、どうしているだろうか。妻のヤショーダラーは、さぞ悲しんでいるであろう。一人息子のラーフラは、どうしているだろうか。

世俗的な意味における、人間としての義務を捨て、家族のきずなを断ち切ってまで私が求めた悟りは、はたして得られるのだろうか。得られる可能性があるだろうか。出家してよりこのかた、多少なりとも悟りに気づき、人間性が向上しただろうか。また、人生の目的と使命をつかみえただろうか」

しかし、結局のところ、煩悩を断とうとすればするほど、執(とら)われが増し、多くの人間関係も、忘れようとすればするほど、気にかかりました。あばら骨ばかりのような姿になり、洞窟のなかで、天上からポタポタと落ちてくる滴(しずく)の音を聞くにつけとも、「これが本当に修行の姿なのだろうか」ということが、深く深く、反省されたのです。

そうしたなかで、「自分ひとりだけで、どこまで不退転の気持ちでやっていけるのか。カピラヴァストゥに帰城するときが来ているのではないか」という思いが、何度も何度も突き上げてきました。そして、いつのまにか意識がもうろうとしている―。そのような日々が続いていたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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5 心と体の調和について考えてみよう。

【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

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