11 男女の愛も、仏法真理から見ると、「与えた」か、「奪った」かで、天国地獄が分かれる。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、教典『心眼を開く』より、霊界の裏側の世界についての学びを深めてまいります。
本経典の霊指導は、天御祖神であると言われています。大切な教えですので、教典をお持ちでない方は是非拝受ください。全国の書店・支部・精舎でお求めいただけます。【税抜1500円】
「やや宗教的な面を強く出し、天狗、仙人、妖怪、妖魔の世界にも言及し、日本で「宗教」と思われているもののなかに、世界宗教としての仏教やキリスト教の奥にある考えとの相違があることを示した。いずれにしても、心の清らかさから、物事の真実を見極める、幸福の科学の立場を説明していると思う。」―「まえがき」より―
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■『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」
2 霊的な眼が開けてきたときの注意点
〇 この世的なものだけでは説明できない「不思議の世界」がある
また、いろいろなかたちでの霊感のつき方はあるし、生まれつき強いという人もいて、子供時代からいろいろなものが視えるということもあります。
ただ、実際は、何歳かまでは霊が視えている人は多いと言われていますし、赤ちゃんは視えているとよく言われています。
この世的な原因は何もないのに、すごくご機嫌で、天井を見ながらニコニコ笑ったりしているにような場合は、天使が来ていたりとか、突如、夜泣きをし始めたり、怖がったりしているときは、自分に対してネガティブなものがやって来ているのを感知していたりとか、わりに小さいときは感じとっていると言われています。言葉がつかえない分、ある意味で、霊的に感知する力、特に、敵味方度を感知する力は強いのかもしれません。
「小さいときに、幽霊とか精霊とかが視えた」という人はわりあい聴くのですが、学校に上がって勉強していくと、他の人に引っ張られてだいたい似てくるので、次第に薄れていきます。生まれつきの霊感というものもあることはあるのですけれども、学校の勉強をしたりクラブ活動をしたりしているうちに、そういうものがだんだん消えていくことが多いのです。
あとは、家族のなかに、霊的なものを感じやすい人、あるいは、そういうものがとても好きで、神社仏閣巡りをしたり、霊能者巡りしたりする人がいると、影響を受けることはあります。
やはり、「不思議の世界」があることはあるので、どうしてもこの世的なものだけでは説明できない所はあるのではないかと思います。
ですから、姓名判断を支持やすいタイプの人とか、星占いやカード占いなどを信じやすいタイプの人とか、こういう人たちも、何か一押し刺激があると、こうした世界に入りやすいだろうとは思います。
【大川隆法『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第2章「正見」
1見ることに伴う責任【正見】
〇「見る」ということに関し、心の改革が必要となる
八正道の最初には「正しく見る」ということを掲げてあります。
この「正しく見る」という立場には、極めて難しいところがあります。それは、みなさんが、「見る」ということを、能動的所作あるいは能動的行為として、ほとんど考えていないからです。
みなさんは、「見る」ということを、「朝起きて眼を開けば、網膜に映像が映ってくる」というように捉えているのです。そのため、網膜に移ってくる映像を漫然と追い続ける一日を過ごします。そうして一日が終わったときには、いったい何が網膜に映っていたか、これすらも忘れ果てているのです。
そこで、まず、そういう心の改革が必要となるわけです。
「目というものをもらっておりながら、すなわち、二個の目を神仏より、あるいは神仏から約束された両親より受けておりながら、目の働きというものをしかと確かめたことがあるか。その二つの目は何のために付いているのか」ということが問われているのです。
目というものは、単に道で転ばないためにあるのか。道を歩くためだけにあるのか。玄関のドアを開けるためだけにあるのか。そんなことのためだけにあると本当に思っているのか。これが問われているのです。
そうしてみると、「みなさんは、今まで、目の役割というものをあまりにも漫然と考えてきていたのではないか。目が目として機能しながら、しかし、真実の機能を果たしてこなかったのではないか」と思われるわけです。
〇視覚的映像を通して「神仏の意図」を発見する
みなさんの目に映されているものは神仏の創られた世界なのです。この神仏の創られた世界を、どのように判断するのか。どのように見るのか。これは自己責任の問題です。
世界は創られています。ただ、その世界をどう見るか、その世界のなかに生きている人をどう見るか、これは一人ひとりに完全に委ねられています。そして、「その目に映じた光景をどう判断しているか」について、現在ただいま、みなさんに責任を問う人は誰もいないのです。
「あなたが、あなたの目に映っている映像を、どう判断しているか」について、誰も何も言いません。それぞれの自由です。花を美しいと思おうが思うまいが、外の景色をどう感じようが、それについて何の責任も問われていないかに見えます。
しかしながら、この世の中はそれほど無責任な世界ではないのです。
目というものがついて機能している以上、ここに何らかの目的があります。それでは、その目的とは何であるか。それは「視覚的映像を通して神仏の意図を発見する」ということです。
そして、目が非常に大事である理由は、さまざまな器官のなかにおいては、目と鋳物が世界認識に最適であり、役に立つ器官だからです。
もちろん、鼻で認識する嗅覚もあるでしょう。嗅覚によっても、ある程度、動物であるとか、植物であるとか、人であるとか、これを嗅ぎ分けることはできるでしょう。しかし、嗅覚に頼った世界観は非常に狭く、曖昧なものです。視覚に比べれば、はるかに劣ります。
また、味覚というものもありますが、味覚で理解できる範囲も非常に限られたものです。
それから、聴覚というものがあります。これは比較的重要です。
「聴く」ということは八正道のなかでは明らかにはされていませんが、「聴く」ということをあえて八正道のなかに入れるとするならば、これは、後に語る「正思」のなかに入れれば良いでしょう。「聞き取った情報をどのように分析するか。聞き取った情報をもとに、思いというものをどう組み立てるか」ということですから、「正思」の一部と考えてよいでしょう。
【※正しく聴くことは、が「正思」に含まれることが示されている点、重要と考えられます】
【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」46p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第二章 真実の人となれ
〇正しき価値基準
しかし、考えてもみよ。
おまえたちも、
思ったことを振り返って、
恥ずかしく感じることがあるだろう。
自分の思ったことを振り返って、
誇らしく思うこともあるだろう。
なぜ、あるものを恥ずかしく思い、
なぜ、あるものを誇らしく思うか。
その判断の根拠こそが、
おまえたちのなかに宿りたる良心の存在であるのだ。
この良心があることが、
おまえたちが仏の子であることの証明にほかならない。
仏の子であるから、
善そのものの価値基準が、そのなかにあるのだ。
ゆえに、おまえたちは、
己の心のなかにある「正しき心の探究」基準を
常に知っていなくてはならない。
他人を欺くことはできても、
自分自身を欺くことはできないであろう。
すなわち、自分自身が、
自分の思いと行いをすべて知っているのだから、
その、生地のままの、ありのままの、
思いと行いを自己点検して、
そうして、恥ずかしくない生き方をするということなのだ。
たとえ、その外に現れたる姿が、
良き言葉を発し、よき行動に満ちているように見えたとしても、
その心のなかに思いたる言葉悪(あ)しく、
その真実の願いが、
相手を堕落せしめ、詐術に陥れんとするものであるならば、
それらは、相手が感謝をするかどうかにかかわりなく、
少なくとも、天国の住人のなすべき業(わざ)ではないということになる。
おまえたちは、いち早く、
この正しき習慣を身につけることだ。
やがて来る来世においては、
一切の偽りが通じないのであるならば、
いち早く、今世において、
一切の偽りを排し、正直に生きてゆくことだ。
私の目には、
苦しみながら生きている。
数多くの人たちの生きざまが見える。
私は語りかけたいのだ。
なぜ、そんなに背伸びをして生きるか。
なぜ、そんな上げ底の人生を生きようとするのか。
そんなに上げ底をして生きて、
それでほんとうに、おまえたちは心楽しいのか。
そんなことであってはならない。
自分の真実の姿に誇りを得てこそ、
人間は真に幸福であるのだ。
劣等感を持っていない人間はいないであろう。
しかし、それを隠すためには、
ことさらに自分を偉しと表現するために、
上げ底の人生を歩んではならない。
このような上げ底人生は、
やがて、つまずきを招くことになるのだ。
人には、それぞれ、
自然なる生き方というものがある。
自然体の人生というものがある。
そのなかに生きてこそ、
幸福に、伸びやかに、日々を過ごすことができるのだ。
それぞれの人に、それぞれの中道がある。
その中道を見いだすことこそ、
大切なことであるのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第二章「真実の人となれ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第一章 菩提樹下の悟り
9 偉大なる悟り
悪魔・波旬(マーラ・パーピーヤス)との対決を通じて、「どうやら、欲心を持つことが魔を呼ぶらしい」ということをゴータマは知りました。
「心の奥の世界、深層心理の世界には、守護霊や指導霊といった偉大な者だけでなく、魔も跳梁(ちょうりょう)しており、心のなかに巣くう暗い想念を目掛けて魔は寄ってくる。その暗い想念を食物とし、あわよくば、心の隙に乗じて、その人間の心を手中に収め、自由に操りたいという征服欲を持っている者がいる」ということを知ったのです。
こうして、反省的瞑想がその精度をますます深めていきました。
「どのような思いであったとしても、思いが一点にとどまり、心がその思いに集中して、粘着質のごとく離れなくなると、それは苦しみの原因となる。
それゆえ、心はいつも執(とら)われずに自由でありたい。春の小川のように、サラサラと流れていく心でありたい。無執着の境地でありたい。
善念であれ、悪念であれ、その思いにあまり集中しすぎると、心の自由性をなくし、幼子のごとき自由な心を失ってしまう。その結果、思いが一点にとどまったところを魔に狙われやすい。
しかし、そうであってはいけない。努力しなければならないという気負いを捨てて、もっと伸びやかにで、もっと開放的な、豊かで安らかな境地に入っていかねばならない」
このようにゴーダマは悟ったのです。
過去の三十五年数ヵ月、すなわち三十六年近い歳月をふり返り、一通りの反省を終え、しかも、単に反省するだけではなく、現に心に引っ掛かっているものを捨てて、無執着の境地、執われのない境地に達したとき、大いなる安らぎがゴータマの身にしみてきました。
それは先日マーラが現れたときとは大違いであり、天上界から暖かい光がサーッと胸に入ってくるのをゴータマは感じました。そのとき、梵天の声が聞こえてきたのです。
「ゴータマよ、よく悟りました。あなたがその悟りを得るのを、私たちはいままで待っていたのです。長いあいだ、私たちはあなたを見守ってきました。よくぞ、そこまで悟りました。これがあなたの悟りの第一歩なのです。この悟りを得なくては、今世のあなたの使命は果たせないのです。
あなたが歓楽の世界のなかにいたとき、私たちはずいぶん心配しましたし、あなたが出家した当初も、『苦行のあまり、栄養失調で死んでしまうのではないか。あるいは自殺するのではないか』と、ずいぶん心配していました。しかし、あなたが私たちの声を聞ける段階にまで達したことを、うれしく思います」
このような声を伝えていたのは、釈尊の過去世であり、魂の兄弟でもある、リエント・アール・クラウドやヘルメスたちでした。こうした高級霊たちが、「梵天」を名乗ってインド的に現れたのです。
このあと、ゴータマは、宇宙の起源、地球の誕生とその歴史、文明の興亡、そのなかでの幾転生、幾十転生の自分の人生の姿、人類の未来についての予見などを、三世を見通す目でもって洞察しました。また、心が穏やかで、執われがなくなったとき、ピッバラの樹の下に自分の肉体を置きながら、霊体が宇宙大に広がっていくという体験もしたのです。
これが、心の王国の鍵を開いた人の特徴であり、自由自在になった魂の存在を、霊的実感としてつかんだ証拠でもあります。
このときのことは、また改めて話すこともあるでしょう。
結局、「肉体と魂は違う」ということをしっかりとつかむことが、大いなる悟りの第一歩ともなっていったのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

