69 「動中静あり。」忙しい時こそ、心は凪(な)いでいよう。
70 タライの水は、向こうに押せばこちらに戻り、手元にたぐり寄せると、向こうに逃げる。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】
この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
本日からは、教典『日本建国の原点』から伊勢支部御巡錫御法話「信仰心と国を愛する心について」を振り返ります。私たち伊勢支部信者にとってはとても大切な経典ですので、お持ちでない方は、是非いただいてください。【税抜1800円】
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■『日本建国の原点』第1章「信仰心と国を愛する心について」
3「神の心を受けた政治」こそ日本の伝統
〇「神がいるなかで科学が発達する」のは当然のこと
現代は、コペルニクスの時代とは引っ繰り返っています。今度は、霊的証明において”コペルニクス”が出て、引っ繰り返さなければいけません。要するに、一度引っ繰り返された価値観を、今また逆に引っ繰り返さなければいけないと私は思っているのです。
例えば、神がいて、そのなかで科学が発展した場合、何か悪いことでもあるかといえば、何もないでしょう。
地球に関する神がいて、あるいは、次は宇宙レベルの神も出てくるかもしれませんが、そういう神がいて、造物がなされ、創造がなされて、その秘密を明かすべく科学が探究して、いろいろな所に行けるようなっていくわけです。そうした未来に、何ら問題はないし、矛盾もないと思います。そのような世界観を当たり前のこととしていただきたいのです。
イギリス元首相のサッチャーさんが、死後、火葬に付されるまでには、一週間以上かかったと思いますが、私は、死後十九時間で、本人が自分の死を分からないうちに呼び出すぐらいの”強引な”牽引力で、イングランドから日本に呼び出して、霊言を収録しました。
こんなことができる人は、今、世界にはほかにいません(前掲『サッチャーのスピリチュアル・メッセージ―死後19時間での奇跡のインタビュー―』参照)。
そういう意味で、私の将来は、「歴史に遺る神近き存在か」、「大詐欺師」かのどちらかでしょう(会場笑)。その判定は好きにしてくださって結構ですが、どちらに結論を持っていくかは、やはり、信者のみなさんのお力やお考え、ご支援によるものだと思っています。
私は、淡々と仕事をやり続けていくのみです。ただ、淡々とやっているだけですが、出てくる実績は、ほかの人とは違ったものになってきているということです。
【大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第一章「信仰心と国を愛する心について」より抜粋】
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このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。また、信仰についてさらに重要な経典が『本物の信仰』です。これは、主のもとに生霊がたくさん来るようになったとき、あらたな信仰論として、私たち弟子に説いていただいた大切な御教えです。お持ちでない方は、絶対にいただいてください。お勧めしています。
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』についてです。
『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。
私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。
それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介します。
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菩提心の言葉『修行の誓い』
仏弟子 ここに 集えるは
三宝帰依を 誓うため
三宝 すなわち 仏・法・僧
仏とは 仏 仏陀なり
法とは 仏の 教えなり
僧とは 仏の 御弟子なり
仏陀ありてこそ 法はあり
法ありてこそ 僧団(さんが)あり
僧団(さんが)は 理想の 担い手なり
仏国土への 導きなり
仏弟子 ここに 誓えるは
三宝を 篤く 敬いて
帰依の心を 示すため
仏・法・僧は 光なり
心を 照らす 鏡なり
帰依は 仏を 頼りとし
法の 力を 信ずるなり
僧団(さんが)の 規律を 守るなり
われら 仏陀の 教団は
三宝帰依を 最初とし
三宝帰依を 守り抜き
永遠なる 誓いと するものなり
ああ
生命は 永遠なり
仏陀と ともに 永遠なり
仏陀と ともに 下生して
久遠の 法を 伝えるなり
地上を 去りても 永遠に
仏陀の 法を 学ぶなり
師弟の 契りは 永遠に
来来世まで 続くなり
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菩提心の言葉『修行の誓い』は英語経文ではこのように訳されています。
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■Words of Aspiration for Enlightenment■
―The Pledge of Discipline―
We, Buddha’s disciples, have gathered here
To pledge our devotion
To the Three Treasures
The Three Treasures are Buddha
Dharma and Sangha
Buddha is the Enlightened One
Dharma is Buddha’s teachings
Sangha is a group of Buddha’s disciples
Only when there is Buddha
Can there be Dharma
Only when there is Dharma
Can there be Sangha
Sangha is the vehicle of our ideals
The guide to the Land of Buddha
We, Buddha’ disciples. Have so pledged
To sincerely respect the Three Treasures
And to show our true devotion
Buddha, Dharma and Sangha are the light
The mirror that reflects in our minds
Devotion is trusting in Buddha
Believing in the power of Dharma
And following the ways of Sangha
We. In Buddha’s order
Begin with devotion to the Three Treasures
Abide by this devotion the end
And embrace it as an eternal pledge
O, life is eternal
With Buddha, our life is eternal
With Buddha we descend to earth
And convey to others the eternal law
We will continue to learn Buddha’s law
For ever
Even when we have left this earth
The bond between master and disciple
Lives on for ever
Through all our future lives
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〇三法帰依とは何か
まず、信仰の大前提の確認ですが、私たちの主はエル・カンターレです。
そして、幸福の科学の信仰対象は、地球神エル・カンターレです。
地球神エル・カンターレは、地球系霊団の最高大霊であり、イエスが「わが父」と呼び、ムハンマドが「アッラー」と呼び、日本神道系では創造神にあたる「天御祖神」(あめのみおやがみ)という名で伝えられている、至高の存在です。その魂の一部が2600年前にインドに下生して釈迦牟尼世尊、仏陀として人類に教えを説かれました。
現在、エル・カンターレの本体意識が大川隆法総裁先生として下生され、すべての人を本当の幸福へと導くために、あらゆる宗教や学問を統合する地球的仏法真理を説き続けています。
三宝帰依とは、幸福の科学の信仰心を具体的に表現したものです。
私たち仏弟子が最も尊い宝物として大切にしているのが三宝です。
三つの宝と書きますが、この宝を、具体的に説明すると
「仏宝=大川隆法総裁先生【主】」「法宝=大川隆法総裁先生が説く教え、直説金口の説法」「僧宝=宗教法人『幸福の科学』」の三つ宝物ということになります。
「帰依」(きえ)という言葉は、尊いものに対して身も心も投げ出して信奉することです。信奉とは信じて捧げるということですが、「尊いものに対して、身体も心も投げ出して、信じ奉ること」です。
別の言葉では、「帰命」(きみょう)ともいいます。命を帰する、ともいって、それほど自分自身を投じていくというのが、この帰依の心です。
参考経典【大川隆法『信仰論』「三法帰依とは何か」】
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『本物の信仰』より重要論点を抜粋いたします。
くわしくは、経典をお求めください。
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〇三宝は「仏・法・僧」の順に尊い
さて、「仏・法・僧」は、この順に尊いと言われています。
仏は教えを説いているものなので、自分の説いた教えによって縛られて、何もできなくなるようなものであってはならないわけです。・・・
しかし、「仏・法・僧」については、この順で行けば、仏が法を説いている間は、仏のほうが優先になるわけです。すなわち、仏はその法を発展させたり改変させたりしながら、進化させていくことが許されていると言えます。
【大川隆法『本物の信仰』第一章「三宝帰依について」より】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第4章 般若と許す愛
3 善悪の起源を見つめる
しかし、この識の立場から一段上がった般若の立場になりますと、「そもそも、そのルールの起源はいったいどこにあるのか。何ゆえに、そのようなルールが現われてきたのか」ということが、はっきりと分かってくるようになるのです。この般若の立場というものを知るためには、まず、なぜそのようなルールが必要なのかを考えなければなりません。
たとえば男女には違いがあります。この男女の違いについても、これを単に認識している、という段階があります。また、「男女というものの違いがあることはいけないのではないか。平等にしなければならないのではないか」というような認識もあります。そのように、男女のあり方というものをさまざまに研究していくなかに、この世的なルールというものも現われてきます。
しかし、男女のあり方というのは、この世的なる価値基準だけでは、最終的には解決がつかないものです。なぜ男女があるのかということは、もっともっと深い神仕組みというものを見てみなければいけません。「肉体のその姿でもって男女が分かれているのではなく、霊体として男女に違いがある」というところまで認識するに到ったときに、この世の修行のあり方についての認識が、また違ったものになってきます。そういうことを一つのルールと言えましょう。
また、刑法には「人を殺してはいけない」「盗んではいけない」というようなルールがあります。これがなぜいけないのかというと、主観的には、「自分がされれば嫌なことを、他人(ひと)にしてはいけないのだ」というような理解になるかと思いますけれども、もっともっと深いレベルから見てみると、結局、「もともとの、仏が人類を創られたときの理想に反しているから、そういうことをしてはいけないのだ」というようなことが、わかってくるようになります。
「肉体的な生命の存続か否か。存続は善で、その消滅は悪である」という考え方から、「この世においては、もちろん、生命というものは有限であり、誰も彼もが信じていくものではあるけども、もっともっと奥深い理解からいえば、そのなかで、自他ともに尊重しながらユートピア世界を創っていくことこそが、仏の本来の理想であって、それを託されたのが個性を持った人間である」ということを悟ったとき、そういう深い理解に達して言ったときに、また違った見解も現れてきます。
要するに、この世的な善悪というものがあり、それは、古くは哲学や道徳によって、近代では、法律によって定められ、また、法律によって定められていないものについては、世間法、いわゆる世間の常識というものによって、ある程度、善悪というものが測られています。そして悪なるものとたいしては、人は反発をし、怒りをおぼえ、行動をします。
けれども、そのもっともっと奥のところ、深い深い、魂の奥深くにある本来の記憶、つまり「仏性」なるものとは、いったいどのようなものであるか、そして、その仏性、仏の子としての性質に照らして、それを光らせる方向の思いであるのか、行かないであるのか、それともその逆のことであるのか、これを読み取っていくことが実は般若の智慧なのです。
もちろん、その境地に到る前においては、当然、この世的に善悪なるものを勉強し、身につけていく過程が必要ですけれども、般若の立場に立つには、さらにその奥深いもの、善悪の起源というものを見つめていく力が必要になってきます。
そうしてみますと、この世に悪というものの姿が、はっきりとわかってきます。「悪というものが、実際は実在するものではない」ということ、「悪とは、それぞれの人間が、自分の個性のままに、自由に生きよう、伸びていこうとするときに、お互いにぶつかり合って生じるものである」ということが、わかってきます。
よく「人・時・所」と言いますけれども、人との関係によって、あるいは、時をわきまえないことや時期を逸したこと、時間が違うことによって、また、場所を間違えたことや、その置かれた立場が違うことによって、悪は起きてくるということがよくわかります。
「人」が違うというのは、「その人に対しては、そのようにしてはいけない」ということをしてしまうことで、それが悪になることがあります。
自分の妻や夫に対しては、してもよいことでも、他の人にしてはならないことがあります。自分の子供に対しては、してもよいことであっても、他人の子供に対しては、してはならないことがあります。自分の商売の相手に対しては、してもよいことであっても、そうでない人に対しては、してはならないこともあります。これは「人」が違うわけです。
あるいは、「時」によって変わってくることがあります。
朝一番ならしてもよいこと、昼間ずっと寝ていて夜になったら活動する、といった生活をしていけば、当然、社会的不適応を起こすこともあります。
あるいは、時期的に見て許されないこと、たとえば未成年なら飲酒や喫煙をしてはいけない、というようなこともあります。要するに、子供が飲めば身体に有害であったり精神行動において有害であるために、青年に達すれば罪のないことでも、未成年では許されないことがあります。
あるいは、「所」が違うことがあります。
幼稚園では、子供たちは悪ふざけをしてもいいかもしれませんが、会社でみんなが仕事をしているところで悪ふざけをしたら、それは悪になりかねません。あるいは、満員電車のなかでは、大声で叫べば悪になることもあります。そのように、場所によって善悪が分かれることも当然出てきます。
このように、善悪というものは、「人と時と場所」の組み合わせによって、いろいろと変わってくるものなのです。
【大川隆法『心の挑戦』第4章「般若と許す愛」より抜粋】
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とりもなおさず、私たち仏弟子いや、直弟子にとって、この世の生命よりも尊く、そして大切なものが、仏弟子の持つ三つの宝です。それが、仏(ブッダ)と法(ダルマ)と僧(サンガ)です。つまり、主なる神エル・カンターレとエル・カンターレの法と、エル・カンターレの教えをまっとうに護持する幸福の科学です。
この三つが、私たちの生命そのものです。このことをこの世のあらゆる苦難困難の中で、貫き通すことができるかどうかが、私たちの今世の修業の成果となります。その意味においては、さまざまな迷いや誘惑がこれからの私たちの人生には待ち構えているのですが、その時に、「菩提心の言葉『修行の誓い』」を繰り返し読んで、三宝こそが、私たちの所依すべきものである。この世の生命はやがて尽きることがあるが、三宝は永遠に不滅である。
この尊きものを信じ、帰依する。という心がけが大切です。
大乗経典で聖徳太子が愛したお経に「勝鬘経(しょうまんぎょう)」があります。このお経は、インドの在家の王妃であるシュリマーラーが仏陀から悟りを授けられるというお経です。聖徳太子が推古天皇にこのお経を講義したことでも有名です。聖徳太子は、推古天皇とシュリマーラーを重ね合わせて教えを説いていたのではないでしょうか。
このお経は、第一章に仏の真実の功徳をたたえることから始まっています。本日は、その八つの偈(詩による教示)をご紹介いたします。
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如来の、世に示された美しい身体は世間に与(とも)に等しきものはなく、無比の不可思議(神秘)なり。このゆえに今、敬礼したてまつる
(第一偈)
如来のすがたは尽きることなく、智慧もまた尽きず、
一切の法は常住(教えは永遠)なり。このゆえに我(われ)は帰依したてまつる。
(第二偈)
世尊には心の過悪(煩悩)と身の四種の苦(生老病死)を降伏し、
すでに難伏地(涅槃)に到りたまえる。このゆえに法王たる世尊(仏陀)に礼したてまつる。
(第三偈)
世尊には一切のしるべき事柄を知り、智慧の身は自在にして、一切の法(教え)を保持したまう。このゆえに、敬礼したてまつる。(第四偈)
はかり知れない如来に敬礼し、
たとえることもできない如来に敬礼し、
果てしない真理に通じた如来に敬礼し、
不可思議な如来に敬礼したてまつる。(第五偈)
世尊には哀愍(あいみん)して我を庇護(ひご)し、悟りの種子を増長せしめ、
この世と後生において、願わくは如来、
常に摂受(善悪を包括して導くこと)したまえ。(第六偈)
王妃よ(※シュリマーラーのこと)
我は(仏は)遠い過去世からあなたとともにあって、汝に悟りを与えた。
今、再び汝を摂受する。未来の生においてもまた然り。
(第七偈 ここの偈のみ仏の詩であり、それ以外はシュリ―マーラーの詩)
わたくしが過去世に善をなして功徳を積み、現世にも未来世にも、
かのごとき善の源があるのならば、世尊よ、どうか、わたしをお導きください。
(第八偈)
このように、仏を心から信じ、仏の教えを愛する勝鬘夫人(シュリ―マーラー)が仏の徳を讃えています。仏の徳を礼讃することは、仏に対する帰依の信心から起こります。聖徳太子は注釈において、過去と現在と未来の三世にわたって、仏は勝鬘夫人を救護しつづけていく存在者であり、夫人に帰依心が生じたのも、実はそうした仏の願力によるものであると解説を加えています。
私たちも信仰心篤き勝鬘夫人(シュリ―マーラー)のような信仰者となれるよう祈念して
「菩提心の言葉『修行の誓い』」を繰り返し読み込んでいきたいと願います。
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『仏説・正心法語』は光であり、仏の生命です。今日も『仏説・正心法語』の全編読誦を通して
仏の生命を日々、心の糧として、主からいただく奇跡の一日一日を大切に生きてまいりましょう。
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史
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