(3/29-1)【基礎教学通信】88【3月29日】『仏説・正心法語』を読む29我らこの世に降りてより 真理の太陽昇るなり―『大悟の法』霊界とこの世に働く置換法則―『心の挑戦』心の世界をつかみきる

『正心法語』を読む

41 二枚舌は使うな。嘘つきと仕事をしたい人はいない。
42 仲間うちで集まって、悪口を言い合っている人は、未熟である。

【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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3月23日は45周年を迎えます「大悟祭」でした。皆様誠におめでとうございます。大悟祭とは、1981年3月23日に、大川隆法総裁先生が、霊的覚醒を経て、自らが、根本仏にして地球神であるエル・カンターレであるという大いなる悟りを得られたことをお祝いする日です。

伊勢支部では、本日3/29(日)まで、10時・13時・19時に復活の祈りと共に「大悟祭」を開催いたします。大宇宙の根本仏であり、宇宙のマスターでもあられる主エル・カンターレ大川隆法総裁先生の「大悟の瞬間」(1981 
年 3 月 23 日)に思いを馳せ、人類救済の原点である主の大悟への心からの感謝を捧げます。

信仰は、悟りの高まりと共に深みを増していくものであると教えていただいています。『永遠の仏陀』ならびに、経典『「永遠の仏陀」講義』からの学びを通して、大宇宙を創られた主の偉大さへの理解を深めるとともに、主に向かって悟りを高めていく精進を誓い、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てていく決意を固めさせていただきます。

そして、主が「エル・カンターレの法」をお説きくださる未来を心から願い、主の心と一体となる念いを込めて、「復活の祈り」を捧げさせていただきます。
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さて、ここからは2002年7月7日に説かれました御生誕祭御法話『大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『大悟の法』第4章「大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘」
3エネルギーの本質
〇霊界とこの世に働く置換法則

そして、実は、この世の太陽とまったく同じものが霊界にも存在しています。それは霊太陽といわれる存在です。霊太陽は、地上で見る太陽とは少し色合いが違い、やや白っぽく見えます。この霊太陽が、大宇宙の生命たちに光エネルギーを送り込んでいるのです。

霊太陽の霊的エネルギーと、この世の太陽光エネルギーとは、実は同じエネルギーの裏表なのです。この世に物質化して現れる場合と、物質化しない場合という違いだけで、エネルギーとしては同じものです。

これが、霊界のものと、この世のものとが、行ったり来たりする理由です。

最近の先端的な物理学でも、素粒子のなかには、「物質、物体のような現れ方をしたかと思うと、突如、消えてなくなる」というものがあることが分かっています。「姿が消えては、また現れてくる」という、出たりきえたりする幽霊のような素粒子が、数多く見つかっています。

これは実は、霊的エネルギーと、この世的エネルギーのあいだを、行ったり来たりしているのです。極小の単位、いちばん小さな単位において、霊界とこの世を行ったり来たりしているわけです。

そのようなことが起きるのは、霊太陽のエネルギーと地上の太陽エネルギーとが表裏一体のものであるからです。

霊太陽から出ているエネルギーは、この世の太陽の光エネルギーと一体化して、大宇宙のなかを進んでいます。霊太陽のエネルギーは霊界に生きているものたちを満たし、この世の太陽光エネルギーは植物や動物たちを養っています。そして、その二つのエネルギーが転生輪廻を経て合体しているのです。

共に裏表になりつつ、二つになり一つになりしながら、大宇宙のなかを巡っているのです。

物理学の法則のなかにも、「物質とエネルギーは同じである」というものがあります。「物質はエネルギーの表れにしかすぎない。物質はエネルギーに変換することも可能である」ということが知られています。

これは物理学の法則としては知られていますが、その現実の意味を、大多数の人々は知らずにいます。それは、「霊界とこの世は置き換えることができる。互換しうる。そこには置換法則が働く」ということです。霊的存在が、この世の存在として表れることもでき、また、この世の存在が、霊的存在に移行することも可能なのです。

したがって、虚空のなかから物質が出現し、この世に存在することは可能です。また、この世に存在するものが、蒸発するかの如く消えていくことも可能です。人間は、そのようなエネルギー磁場の中に生きていあるのです。

【大川隆法『大悟の法』第4章「大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。

教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。

七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。

経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています

正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。

私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。

このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。

それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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我ら この世に 降りてより
真理の 太陽 昇るなり

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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。

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Since we came down to this world,
The Sun of The Truth is scheduled to rise.

※「The True Words Spoken By 
Buddha」では、直訳すると「(菩薩である)われらがこの世に下生するとき、真理の太陽が昇ることが予定された」となっており、「正心法語」と少しニュアンスに違いが見られます。
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本日の解説は、経典『信仰論』から引用させていただきます。
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これは、幸福の科学としての「仏法真理の広宣流布」です。
「我らは約束した縁生の弟子であり、誓いし我らが、今地上に出てきているのである。我らがこの世に降り、地上に生まれたということは、地上ユートピア建設のために生きることを決意したということなのだ。これより、真理の太陽は昇るしかないのだ。闇夜は消えていくしかないのだ。光を高く掲げれば、闇夜は消えていくのだ」こうしたことを言っているのです。
【大川隆法 『信仰論』 より抜粋】
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仏法真理とは、仏の教えであり、より具体的に言えば「大川隆法総裁先生の説法」です。「広宣流布」とは、その教えを広く延べ伝えること―「地の果てまでも伝道する」ことです。

経典『仏陀再誕』や経典『永遠の仏陀』などを紐解くと、圧倒的な言魂に心が打ち震えるときがあります。久遠実成の仏陀―永遠の仏陀から、これまでの転生の中で幾度となく生まれ変わってきた仏弟子たちへの獅子吼が綴られています。私たち、仏・法・僧への三帰誓願した仏弟子は、根本仏である主エル・カンターレの御名とその御教えを知っています。
また、2024年『大悟祭』記念経典として『「永遠の仏陀」講義』が頒布されていますので、直弟子の皆様、この経典は必ず拝受ください。全国の支部や精舎にて拝受できます。この経典は私たちに仏弟子にとって何にも代えがたい大切な教えです。

その私たちは、主の悲願である、地上仏国土ユートピア建設のために、根本仏である主と共に生きることを許されました。私たち幸福の科学メンバーは「愛」と「悟り」によって「ユートピア建設」実現に向けて「智慧」と「勇気」をもって、日々努力する永遠の修行者です。

私たちが、本物の信仰と共にある時、私たちは、仏と一体であり、仏の教えと一体であり、仏を信じるサンガとも一体です。経文「菩提心の言葉―修行の誓い」では、「仏・法・僧は光なり」と教えていただいています。主と共にある時、私たちは光と一体です。

主が教えを説かれることで、真理の太陽は昇り、地上の闇を薙(な)ぎ払います。私たちの日々の布教誌の配布や、経典の献本活動、などを通した伝道活動は、主の光を広げる力となります。闇夜に巣くう悪霊、悪魔はその光の前にただ消え去るしかないのです。

本日の引用箇所の二行のなかに、主の伝道への願いがたくさん込められています。
『我ら この世に 降りてより
真理の 太陽 昇るなり』
主は太陽のような存在であり、光であり、仏法真理という名の宇宙の法則です。その光を、その御教えを伝え広げることこそが私たち仏弟子の使命なのです。

そして、「The True Words Spoken By 
Buddha」にあるように、「(菩薩である)われらがこの世に下生するとき、仏陀と共に真理の太陽が昇ること、つまり仏法真理が地の果てまでも伝道されることが予定されているのです。
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救済の仏の助力者・地涌の菩薩について、経典『永遠の法』より抜粋いたします。
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〇地涌の菩薩
おまえたちには、不滅の力が与えられている。
その不滅の力は、
第一は、
本来、おまえたちが仏の子であるという事実に起因し、
第二は、
過去、幾十転生、幾百転生、幾千、幾万転生を、
仏の弟子として生き、
学んできたという事実に起因するのだ。
仏の子が、仏の教えを学び続けてきたのだ。
さすれば、その力は無限に近いものであるといってもよいであろう。
この、湧出してくる力を楽しめ。
この、噴き出してくる叡智を悦べ。
この、噴出してやまぬ愛の力を尊べ。

おまえたちが、その心に、聖なる使命を刻み、
そして、その使命を遂行せんとして、
強く、心に決意した時に、
おまえたち一人ひとりが、地涌の菩薩となるのだ。
あたかも、大地から菩薩が湧いて出たかのように、
次から次へと、この地に菩薩があふれるであろう。
我は、この目にて、その姿を見たい。
地涌の菩薩が、ここにも、かしこにも、
大地からわき出してくる姿を見たい。
そして、菩薩の集団が地に満ちて、
大きな仕事をしてゆくことこそ見たいのだ。
そうであってこそ、
この地上に仏国土が建設されてゆくのではないか。

おまえたちの使命は、仏国土の建設である。
仏国土は建設せねばならぬのだ。
しなくては許されないものであるのだ。
そうであるならば、
きょうよりの道のり、
決して、怠けることは許されぬ。
一刻一刻を、その一歩一歩を大切にして、
地上仏国土造りに邁進してゆくことこそ、
仏の弟子たちの、最も光り輝いた姿であるのだ。

これよりのち、
一切の言い訳を排除し、
一切の邪心を排除し、
ただひたすら、この道を歩み続けることだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より】
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■「釈迦如来の意識で書かれた経典です!」
『仏説・正心法語』は、全編を私の潜在意識である釈迦如来の意識で書いた経典です。古い伝統的な仏教教団では、毎日、さまざまなお経を読んだり、題目を唱えたりしていますが、『仏説・正心法語』という経典が出されたということは、そうした古い経典類はもう要らなくなることを意味しています。
【大川隆法『信仰論』p.114より抜粋】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第2章 仏性とは何か
3 心の世界をつかみきる

心の世界というのは、確かに目に見えない世界です。しかし、だからといって、「目に見えない世界は存在しなのだ」と思ってはいけないのです。眼に見えない世界こそが、人間の本質なのです。

それを、実験か何かで確かめられるような、化学反応を起こせるようなものが心だと思っているのなら、そう思うほうが間違っているのです。そうではありません。心の世界というのは確実にあります。それをつかみきることができるということが、まず最初の悟りの段階なのです。

目には見えない、手には触れることのできない、「心」というものが、人間にはあります。自分にもあり、他人にもあります。そして、よくよく見るならば、次元は低いかもしれないけれども、動植物にも心は存在します。それに気づくということが、まずは悟りの第一歩なのです。もし、これがわからないとするならば、その人は、「まさしく機械の一部として生きている」と言われてもしかたがないと思います。

「なるほど、心とは難しいものなのだな」と思われるかもしれませんけれども、簡単に言うと、まずは「人間は幸福感というものを感じることができる。なぜ感じることができるのか」ということを、もう一度、問い直していただきたいのです。

たとえば、子供であれば、おいしいものを食べたら幸福になったり、親や先生から褒(ほ)められたりしたら幸福になることもあるでしょう。ても、それはなぜでしょうか。

たとえば、おいしいものを食べたら幸福に感じるのは、人間を機械の一部とみて、「一定のものを投入すると、その神経作用でもって喜びが出てくるのだ」というように考えるのでしょうか。もちろん、そういう科学的な作用もあるかもしれません。しかしながら、みなさんは機械が喜ぶのを見たことがあるでしょうか。たとえば潤滑油を注(さ)したら、「ああ、これで滑らかに走れるようになった」と言って、歯車が大喜びするようなことを聞いたことがあるでしょうか。あるいは、ガソリンを満タンにしたら自動車が笑った、というようなことを聞いたことがあるでしょうか。おそらくはないでしょう。それと一緒です。

しかしながら、人間は喜ぶものなのです。なぜ喜ぶのでしようか。そこに、「自分自身の求めていたものが満たされた」ということに対する認識、「求めていたものが得られるということは、うれしいことなのだ」ということに気づく心があるのです。それに気づかないものは、機械と一緒です。結果として、油を注げば滑らかになるだけのことで、それを感じとる力があるということは素晴らしいことです。感じ取る力があるということは、感じ取ることのできる実体がその奥にあるということなのです。

感覚器官は確かにあります。それを「眼・耳・鼻・舌・身・意」といいます。「眼識(けんしき)」という眼の意識、「耳識(にしき)」という耳の意識。「鼻識(ひしき)」という花の意識、「舌識(ぜっしき)」という舌で味わう感覚。「身識(いんしき)」という身体で感じ取る感覚。「意識」という、頭脳的判断、神経作用としてする判断も、もちろんあります。この「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」という六識(ろくしき)は、確かにあります。

たとえば、おいしいものを食べたらうれしいというのは、舌識、舌の感覚によって起こされている現象ではあります。しかしながら、舌の感覚が、それを「おいしい」として伝えるのは、伝える相手があるからなのです。いったいどこに伝えているのでしょうか。その喜びを、この快感を、快楽を、楽しさを、うれしさを、どこに伝えているのでしょうか。それをキャッチするものは必ずあるのです。

感覚があるということは、感覚を受けとって、それを判断する先があるのです。同じ舌であっても、甘いものを嘗(な)めればおいしいと感じる。すっぱいものをなめれば酸っぱいと感じる。塩辛いものは塩辛いと感じる。熱いものが舌に触れたら、火傷をして大変な苦痛がくる。そうした感覚を送っている送り手と、その送り先である受け手がいます。その受け手が、実は「心」と言われるものなのです。簡単に言えば、そういうことです。

いま述べたように、舌の意識の場合はわりに簡単に分かりるでしょうが、「親に褒(ほ)められてうれしい」とか、「先生が『よくできるね』と言ってくれた、その言葉を聞くとうれしい」などというのは、これはなかなか高度な判断です。「六識のなかの耳識が、鼓膜の揺れを感じるのだ」とは言えますが、鼓膜がどのように揺さぶられたらうれしいと感じるかというのは、これは難しいことです。鼓膜そのものの揺さぶり方で、はたして幸・不幸が決まるでしょうか。

たとえば、大柄な男の先生が、「よう、○○君、百点だ、よかったね」と大声を出したとします。それ声は、ガラスも割れんばかりの大声だったとします。すると、鼓膜の揺さぶり方は非常に激しいですから、鼓膜は痛むかもしれません。そういうときには、不愉快な感覚が起きてもいいはずですが、「テストで百点取っておめでとう」という大声を出されると、それをきいて不愉快には思わずに、うれしいでしょう。

あるいは、優しい女の先生が、「○○君、よかったねえ。百点ですねえ」と優しく猫なで声で言ってくれれば、それを聞いても、やはりうれしく感じます。鼓膜の震え方は男の先生とは違うはずです。まったく同じではありません。今度はそよ風のように感じられるかもしれません。

北風のようにビュンビュン吹くその音も、そよ風のように吹いてくるその音も、内容が自分を褒めているものであったら、ともに快感でうれしいわけです。

ところが、同じ大声で言ってくれたとしても、いい内容ならばうれしいのですが、大声で叱られると、身体も縮まんばかりに委縮します。怖いです。あるいは、厭味(いやみ)などは、小声で言われても嫌なものは嫌です。涙が出てきたりすることもあります。

すなわち、物理的な振動そのもので快感を感じているのではない、ということです。音楽の音というものも、物理的な振動のように感じるかもしれませんが、やはり、鼓膜を経由して、脳のなかを通して、さらにその奥にある意識が、じつはその喜びを味わっているのです。

もし人間が機械であったならば、バケツの音とドラムの音に、それほど大きな違いを感じるとは思えません。やはり、人間の心というものは存在していて、そうした感覚作用を通じてきた情報を感じとって、価値判断して、自分にとってうれしいことであるのか。そうでないのか、ということを分けているのです。【※六根・六識の論点関しては、『信仰告白の時代』の第三章「反省の原点」にも詳しいので参照ください】

【大川隆法『心の挑戦』第2章「仏性とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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