(3/17-1): 【基礎教学通信】76【3月17日】『仏説・正心法語』を読む17船頭即ち心なり―『発展思考』人間にとって本当の「知る権利」とは何か―『沈黙の仏陀』「己心の魔」と「悪魔」の存在

『正心法語』を読む

10 仕事の「イロハ」も分からず学歴自慢する人は、窓際予備軍となる。
11 新しい部署に移ると、後輩や、格下の者に、教えを乞わなくてはならなくなる。
12 入社三年目までの人には、二十年選手の教えや言葉は、まず通じない。

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より】
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします

そして 主への報恩として 
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります

私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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3月23日は「大悟祭」です。大悟祭とは、1981年3月23日に、大川隆法総裁先生が、霊的覚醒を経て、自らが、根本仏にして地球神であるエル・カンターレであるという大いなる悟りを得られたことをお祝いする日です。

支部におきましては3/22(日)、23日(月)は、両日とも13時より、総本山・正心館(総本山開山30周年)より、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。

伊勢支部では、3/29(日)まで、10時・13時・19時に復活の祈りと共に「大悟祭」を開催いたします。大宇宙の根本仏であり、宇宙のマスターでもあられる主エル・カンターレ大川隆法総裁先生の「大悟の瞬間」(1981 
年 3 月 23 日)に思いを馳せ、人類救済の原点である主の大悟への心からの感謝を捧げます。

信仰は、悟りの高まりと共に深みを増していくものであると教えていただいています。『永遠の仏陀』ならびに、大悟祭に合わせて発刊予定の精舎経典『「永遠の仏陀」講義』からの学びを通して、大宇宙を創られた主の偉大さへの理解を深めるとともに、主に向かって悟りを高めていく精進を誓い、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てていく決意を固めさせていただきます。

そして、主が「エル・カンターレの法」をお説きくださる未来を心から願い、主の心と一体となる念いを込めて、「復活の祈り」を捧げさせていただきます。

さて、ここからは1991年3月24日に説かれました大悟祭御法話『発展思考』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■初期重要講演集ベストセレクション7『許す愛』
第2章『発展思考』
3人間にとって本当の「知る権利」とは何か
〇ジャーナリズムのなかにある大きな落とし穴

先ほどの民主主義の話でも同じです。民主主義のもとになっているのは各人の「参加する意識」であり、各人の参加する意識を確保するためには、「知る権利」というものが保障されなくてはならない。知る権利が保障されなければ意見の決定ができないから、したがって、「知る権利」を保証する者の立場が上がる。こうして、マスメディアの存在感が高まり、ジャーナリズムの尊敬が高まる。そして、彼らが民主主義の旗手のように活動を開始します。

しかし、このなかにも大きな大きな”落とし穴”があります。本来のものを、本来の約束事を、これを無視してやっていることは、大きな大きな反作用を生むことになります。

神が立てられた真理というものは、子供である人間は変えることができないのです。それが「宇宙の根本の始まりのルール」だからです。

ルールを無視したら、定理、公理というものを無視したら、数学は成り立たないのと同じで、この宇宙の根本ルールというものを無視したら、数学は成り立たないのと同じで、この宇宙の根本のルールというものを無視しては、人間の健全な営み、社会の発展ということはないのです。それは「発展だ」と錯誤しているだけであって、やっていることは”崩壊”なのです。混乱に陥れていることをもって「社会が進化した」とか「発展した」とか思っているのです。これは大変なことです。

だから、今、マスコミ関係者で、死んだ方で天国に行く人が非常に少なくなっています。どんどん、どんどん、地獄へ行っています。生きている世界が、”地獄の阿修羅界”だからです。

阿修羅界の世界というものはどういう世界か。「闘争」と「破壊」の世界です。

人を見れば、その不正を暴くという心はよいにしても、「陥れる」―人を陥れる、「裁く」―立場、権限、正しさが分からないのに人を裁こうとする、「追求する」―「不正」と称して、実は人々を傷つけるようなことを次から次へとやっている。

そして、問題提起をすることをもって「ジャーナリズムの本質だ」と言って吹聴しておりますが、それが地獄への道なのです。

その地獄への道に生きている人が、どうして民主主義の基礎をつくれましょうか。どうして多くの人々の健全な判断の基礎を提供することができましょうか。大変なことであります。

健全な人々の思想を曇らせて、自分に一人なら結構だけれども、多くの人々を地獄に連れていくことだけはやめていただきたいのです。

神が最初に立てられた理(ことわり)は、人間は変えることができないのです。
これを変えることができるのは、神だけなのです。
神ご自身がそのルールを変えないかぎり、
人間はそのなかで最高の人生を選び取っていかねばならないのです。
それが、
「神の立てられた法則」を自分たちの都合や考えで変えられると思うことは、
これはサタンが考えていることなのです。
悪魔が考えていることなのです。
彼らは神が創られた法則に承服しないのです。
「自分たちが生きたいがままの、やりたいがままの人生を生きてきて、何が悪い」
と開き直っているのです。
そして、「それを悪いとするなら、神のほうが間違っている」
と言っているのです。
これが地獄に巣くっているサタンたちの本質です。
「最初の約束事を忘れている」という、ただこの一点なのです。
偉くなりすぎているのです。
自分というものが分からなくなって、
本当に偉くなりすぎている。
その傲慢の罪がそこに現れてきているのです。

【大川隆法 初期重要講演集ベストセレクション⑦『許す愛』第2章「発展思考」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。

教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。

七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。

経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています

正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。

私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。

このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。

それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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小舟は あくまで 小舟にして
船頭 なくば 座礁せん
船頭 即ち 心なり
心 もし過てば
小舟は 岩に 砕かれん

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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。

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Each of you sails down as a small boat,
So. you need a boatman.
If it were not for your own boatman,
You surely go aground.
If your Mind makes a Mistake,
The boat breaks into pieces by a large Rock.

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本日の引用箇所も重要なので、経典『信仰論』から引用させていただきます。
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「船頭」とは、魂の中心である「心」のことを言っています。そして、肉体のほうは「小舟」です。・・・この小舟だけが急流のなかで流れているのであれば、すでに述べた常楽我浄の世界に入ってしまいます。【常楽我浄とは、四顛倒(してんどう)といわれる、霊を否定して、この世の存在や肉体のみが実在すると考える間違えた人生観-「あの世を否定して、人生が常なるものであるとする考え」「人生とは肉体中心の快楽であるとする考え」「人生とは自我我欲であるとする考え」「肉体は清く汚れないものであるとする考え」】

しかし、人間には心というものがあります。心は魂の中心部分であり、それが船頭にあたるものです。その船頭が上手に人生の大河を漕ぎ渡っていくことによって、小舟は岩に砕かれることなく、人生を大過なく過ごすことができます。・・・

当会の基本的な考え方として、「運命というものがすでに決まっていて、すべてそのとおりになるのだ」という運命論はとらないことを明言しているのです。また、「仏神がこのように決めたのだから、そこからは逃れられない。運命は仏神の決めたものだ」という予定説もとりません。

幸福の科学では、「人間、自分の思いと行いについて責任をとらなければならない存在である」ということを明言しています。ここのところをよく知っておいてください。・・・

ただ生活環境や人間関係等のなかには選べないものもあります。それは大きな意味での運命といえるかもしれません。また、時代環境も、自分で変えることは困難です。そうしたものはあります。しかし、そのなかで、「あくまでも自主的に生きていきなさい」ということです。

結局、これが反省の根本なのです。自分の人生に責任をとれるからこそ、反省というもがあるのであり、天国・地獄という裁きがあることも妥当なのです。もし責任が取れないのならば、そうした裁きがあることは不当です。

この点はしっかりと押さえておいてください。世の中には、「神や仏がいるのならば、自分がこんなに不幸なのはおかしい」などという人もいますが、その考えは正しくありません。人生は自分の責任で渡っていくものなのです。

【大川隆法『信仰論』より抜粋】
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本日の論点は、経典『地獄の法』にとても関連深い箇所です。ところで、支部長の私は、日ごろ霊症問題で悩んでいる方へ、憑依現象の説明をするのに、肉体を自動車にたとえてお話をよくします。肉体は車にあたり、運転手に当たるのが霊であり、魂であり、心の部分です。

私たちは普段の生活の中で、自らの判断の基にハンドルを切り、ドライブ(生活)をしています。正しい霊的人生観の下で運転しているならば、快適なドライブをすることができます。私たちは自分のほんとうに望んでいる目的地へと向かうことができるでしょう。
ところで、車には助手席や後部座席がありますね。霊症問題では、自分の車(肉体)の助手席やバックシートに誰を乗せるのかが問題になってきます。

普段から、正心法語を全編読誦して、主の教えを学び、心の過ちや悪を反省し、神仏とつながる時間を瞑想で持ち、主のため、世のため、人のために祈る習慣がある人は、自家用車の助手席に、私たちの守護霊や天使・菩薩が座っているので、ちゃんと神仏の望まれる目的地に向かってナビゲーションしてくれます。私たちはその声に従って正しく運転をすればよいのです。また、宗教的修行がさらに進めば、守護霊よりも霊格の高い指導霊が私たちを導いてくださることもあります。行先はこの世における天国世界です。指導霊のナビに従うことができれば、さらに高次な世界に行くことができるようになります。これは大変ありがたいことです。

一方、信仰心なく、人間はこの世かぎりで、あの世も神仏もないと、勘違いしている人、もしくは、信仰心はあるけれども霊体質で、本当は人の10倍くらい宗教的精進を重ねないと、悪霊の侵入を防ぐことができないような方が、普段の宗教的精進を怠ると、肉体にたとえた自分の車の助手席やバックシートに、悪霊や悪魔を乗せてしまうことになります。これがいわゆる霊症の状態です。悪霊や悪魔は運転手にささやき、働きかけて、私たちを破滅の方向にナビをします。その行先は決まって地獄といわれる場所です。助手席に乗せた悪霊・悪魔の種類によっていろんな地獄へ私たちを連れて行こうとするのです。

これが問題なのは、誰のナビによって人生が導かれているのかを、私たちは知ることなしにドライブをしているという点です。これを知るためには、自らの心の中を知る必要があります。主が反省を強くお勧めするのは、反省の修法によって、助手席に誰が要るのかがわかるということです。

また、さらに最悪な状態になれば、運転手と助手席の人間が入れ替わることがあるということです。こうなれば完全憑依となります。

だから、まずは、自分の車(肉体」のハンドルは、自分がしっかりと持つことが大事であり、心を浄化して助手席に守護霊や天使や菩薩に座っていただけるだけの心境を維持することがとても大切です。

私は、憑依現象をこのように説明しているのです。

自分は肉体である、心なんか脳の作用でしかない。なんていう方には、この憑依現象がまったく理解できません。それはそうですね。自分は自動車と同じで、脳が運転しているとしか考えていないのですから。ただ、病気の原因の八割くらいまで、何らかの憑依現象であると私たちは主から教えていただいていますので、本日の論点は、超重要です。

このことを、真理の言葉『正心法語』では、肉体は霊の影であり、人生の大河を流れる小舟に象徴しています。心とは何なのか、正しく知ることがとても大切なことなのです。

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■「経文を解説できるほどの理解力がつくと、祈願や悪霊払いなどができます!」

仏法真理の学習が進み、ある程度の悟りを得た、講師レベルぐらいの人が『仏説・正心法語』を読んでいるところを霊視すると、金色の光の珠のようなものが口からパーッと出ているのが見えます。そうした人がこの経文を読誦すると抜群の効果がありますし、各種の祈願や悪霊払いなどができるのも当然のことです。経文に対する理解力が備わり、解説できる段階まで行くと、そうした力が身についてきます。

【大川隆法『信仰論』p.117~118より抜粋】

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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。

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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。

【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第7章 魔とは何か
3 「己心の魔」と「悪魔」の存在

では、真実は何であるかというと、「真実は両方である」というのが結論です。

すなわち、「色・受・想・行・識」という肉体生活に基づいて、心と肉体の調和が妨げられることによって、魔が立ち現われてくるような現象に見舞われることも真実ですが、いわゆる三次元世界を超えた霊界において、魔と言われる霊的存在がいることも事実なのです。この両方が、実際はほんとうにあるのです。

主体性を持って生きている人間としての自分の原因があって、魔を引き込むという現象を、「己心の魔」といいます。己の心のなかに住んでいる魔です。

要するに、自分自身の心と肉体の不調和という、魔に同通する原因が己自身の心のなかにあることも真実ですが、それに呼応するかたちで、まるでカンテラで相照らすかのように、外部から、すなわち四次元の霊界(地獄界と言ってもよい)から、迷いを増幅させ、悟りを開こうとしている者を迷わせ、狂わせようとする現実の勢力があることも事実なのです。私はこれを発見しました。

また、通常の人間であれば、心が迷ったり苦しんだりしたときに、不成仏の死者の霊、悪霊が取りついてきて、その人の身体をもっと悪くさせるとか、あるいは神社仏閣巡りをしていて、狐、狸等の動物霊に憑依されるというような現象はよくありますが、仏道修行をしている人、「悟りを開こう。宗教的指導者になろう」と心がけている者のところには、「悪魔」と言われる、それ相応のものが現われてくるという現象が現実にあります。

彼らも、自分たちの標的にすべき相手をよく知っているのです。ある意味で、天上界の諸霊よりよく知っていることがあります。天上の諸霊は、比較的ゆっくりと見守っているのですが、悪魔の側からすると、「この人が悟りを開くとたいへんなことになる」ということがわかるわけです。そこで、「悟りを開く前に、何とかして妨害しなければいけない」と、躍起になって妨害に来ることがあります。

それはちょうど、朝の日の出前のようなものです。陽が昇ってしまうと、周りが明るくなってしまい、ゴキブリのように夜中にごそごそと動いていたものは、もはや現れることができないのです。陰に潜んでしまわなければいけないので、光が出る前に何とかして光を止めようとする本能を、彼らは持っているわけなのです。

また、そのような地獄の悪魔、あるいは悪霊と言われる者たちも、生き物である以上、何らかのエネルギー源があって活動しているわけです。そのエネルギー源とは、地上の人間が持っている悪想念です。地上の人間はさまざまな悪想念を持っています。憎しみや怒り、貪欲、愚痴、不平不満といった悪想念こそじつは彼らのエネルギー源であり、ガソリンなのです。この悪想念が供給されているかぎり、彼らはそれを身体のなかに取り込んで、ますます狂暴化して生きていけるのです。

ですから、地上の人間が穏やかに明るく光りに満ちていくと、悪想念の供給源がなくなり、彼ら自身も弱ってくるのです。

そのような悪想念の供給源を確保するためには、地上の人間一人ひとりがみんな悩んでくれるのがいちばんよいのですが、それだけの多くの人を悩ませるためには、「悩みのもとになる人をつくりだそう」ということを考えるわけです。ですから、その人を狂わせ迷わせることによって周りの人を巻き込めるような、効率的な人のところに攻め込んでいくわけです。これが、宗教指導者や軍事的指導者、政治的指導者などに魔が入り込んできて、混乱を引き起こす理由なのです。そのようなことが現実にあります。

【大川隆法『沈黙の仏陀』第6章「解脱の意味」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りを得るために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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