(9/25-1)【基礎教学通信】268【9月25日】『太陽の法』を読む1「太陽の昇る時」仏法真理の太陽―「悟りの挑戦(上巻)」二種類の転生輪廻―『黄金の法』内村鑑三の信仰

『太陽の法』

8 呪いは嫉妬から発生すると心得よ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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10月6日は幸福の科学の40周年を迎える「立宗記念日」です。1986年10月6日、主は全人類救済のために、大手商社を退社後、「幸福の科学」を設立し、立宗されました。

10/4(日)と10/6(火)は、両日とも13時より、東京正心館より、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。(立宗の地・西荻記念館からも一部中継)

立宗記念式典では、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、「時代の北極星たらん」(楽曲「遥かなる異邦人」)という志を胸に、すべてを捨てて、空手にして立たれ、自分自身の考えと行動以外に何も頼りになるものがない中で、自らの心一つを「てこ」にして垂直の壁を登るようなご精進をなされ、幸福の科学を創り、導いてくださっている奇跡に、心からの感謝を捧げさせていただきます。

伊勢支部では10/4(日)~12(月・祝)まで、連日「立宗記念式典」を開催させていただきます。皆様万難を排してご参集ください。
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第4章「無我とは何か」
3 二種類の転生輪廻

確かに、この五蘊(ごうん)の仮和合―仮に和合して創られているというところは、完全に外れているわけではありません。合っているところもあります。

ただ、これが来世に行ったときにどうなるかです。もちろん肉体は置いていきますけれども、それ以外のところに、人間の魂の外側に幽体というものがあるのです。この幽体というものは、心臓、頭脳、内臓その他、いろいろな感覚器官と非常に密接な関係があるものなのです。これが幽体というものなのです。死んだときに、みんなこれを必ず被ってあの世に行きます。幽霊として出てくるときの着物、これが幽体です。この幽体の部分は、いま述べた通り「色・受・想・行・識」の、心と肉体の作用、生きていたときの人間の作用から、かなりできています。

これが、当会が今、脳死による心臓などの臓器移植などを「問題あり」と言っている理由でもあるのです。臓器には意識があります。これがすべて幽体をつくっているものなのです。ですから、四次元幽界に行くときには、この幽体というものを必ず使って生存しているのです。

ところがこの幽体は、四次元から、五次元以降の高級霊界に入っていくときには、脱ぎ捨てていくものなのです。脱ぎ捨てた幽体はどうなるかというと、たいてい四次元に置いていかれるのです。それが迷って幽霊のようになって出ることも、たまにはあります。しかし、しばらく置いておくと、他の目的のために使われていくことが多いのです。だんだん月日が経っていくと人間の形ではなくなってきて、霊体として脱ぎ捨てた衣のようになっていくのです。また、こうした幽体を集めて、生まれ変わりの時の胎児霊体をつくるための材料として、もう一度使うことがよくあります。

幽体の部分、地上にいたときの人間としての属性の部分を脱ぎ捨てた真の霊体として、それ以後のあの世の生活というものはあるのです。この幽体を脱ぎ捨てた残りの部分の霊体というものは、死ぬと消滅してしまうものではないのです。ですから、当然、無我ということは、まったく何もかもなくなってしまうという意味ではないのです。普通の人の場合には、あの世に還っての霊体、魂といってもよいのですが、ある程度人間的な姿をとったものが、あの世でも生活していて、この世との間を転生輪廻しているのです。あくまでも、そのような輪廻の主体としての魂はあります。

ただ、もう一つ述べておかなければいけないことがあります。「悟りを開いた場合に、輪廻的な生存を断ち切って、輪廻の枠から外れて、もはや生まれ変わらないようになることができる」というようなことを、なぜ釈迦が言ったと伝えられているのかという理由についてです。

これはいったいどういうことでしょうか。確かに、人間はあの世でも魂としての形状を持って生活をしており、この世との間を何百年かおきに転生しています。しかし、もう少し上の世界、すなわち菩薩界から上ぐらいの世界に入っていくと、人間的な魂の姿をとっていないことが多いのです。あの世でも、六次元神界ぐらいまでならば、人間的な姿をとって生存しており、そのまま生まれ変わりを経験しているのですが、菩薩界から上になってくると、そうした人間的な形をとることがだんだん少なくなっていくのです。如来界ぐらいになってくると、通常の場合は人間の姿をとっていません。彼らも、生きているときの人間のようなイメージを持っていることはありますが、通常は意識体としてのみ存在しているのです。

このように、確かに意識体としてのみ存在するようになってくると、もはや人間的な生まれ変わりをする魂ではなくなってきます。大きな意識の塊(かたまり)になるのです。それぞれに個性はあります。緑色だとか、青色だとか、黄色だとか、赤色だとか、いろいろな色彩を持ってはいますが、そうした意識体となって作用するだけの存在になるのです。

こうなると、約束ごととして何度も何度も生まれ変わらなくてはいけないという、通常の人間の魂としての生まれ変わり、すなわち、カルマの刈り取り的な修業としての魂の生まれ変わりはないわけです。意識体としてあの世に存在しているわけですから、彼らにとって、魂の修行なるものは、ある意味ではなくなっているのです。

しかし、地上の人々を救済するために、あえて人間の肉体に宿って出てくることはあります。それはあくまでも主体的な活動であって、「何百年経ったら生まれ変わらなくてはいけない」というような、業の刈り取りのために洗濯機のなかで回されているような魂修行ではないわけです。

このような難しい理論を釈尊は説いたわけですが、弟子たちの理解が及ばず、そこまではわかりませんでした。「無我であるというから、死んだらなくなるのだろう」という程度のことしかわからない弟子が数多くいたわけです。これが混乱のもとになっていまきます。

そして、これが悪いほうに流れていくと、「仏教は無我説を説いているのだから、死んだら魂はなくなるのだ」という人が出てくるのです。今、お寺の僧侶に訊いても、半分ぐらいはそう答えます。「仏教では魂を否定しているのだ。死んだら我がなくなるのだ」と言っています。「それでは、あなたは何のために弔(とむら)いをしているのですか」と訊けば、「遺族のためにやっている」という僧侶がかなりいます。地獄に行く可能性がかなり高い僧侶です。学者でもそういう人はかなりいます。

これは、いま述べたような無我説の説明が難しくて、とても理解できないため、「無我というのだから、死んだら魂はなくなるのだ。釈迦は魂を否定したのだ」と考えるわけです。

しかし、その結果出てくるものは何かといえば、唯物思想なのです。唯物論が出てきて、「この世の生存しかないのだ」という話になってきます。現に、インドの伝統的宗教が仏教を批判する際に、「仏教は隠れた唯物論だ」といった攻撃の仕方をしたり、ヨーロッパの宗教学者が、仏教を唯物論的無神論と定義していることも多々見受けられます。

【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第4章「無我とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。本日は、基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の基本教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える「幸福の科学」の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

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〇まえがき
旧版の『太陽の法』(土屋書店刊)を書き下ろしたのは、一九八六年の九月であるから、まもなく八年の歳月が過ぎ去ろうとしている。私の初めての理論書であった同書は、文庫本も含めて、数百万部のベストセラーとなり、大川隆法の名と幸福の科学の存在を全国に知らしめ、その英訳本は、ニューヨーク、ロンドン、カイロ、スリランカ、チベット、シドニーにも多数の愛読者を得た。

私としては、愛着もあり、惜しみて余りある本であるが、今回、抜本的に書き改め、新版として、幸福の科学出版より世の問い直すこととした。この八年間に、私自身の悟りがかなり進んだことが、その理由の一つ。前書を書き下ろした時には、幸福の科学は、まだその姿もなく、一名の会員もいなかったが、現在では、日本を代表する大教団に成長したことがもう一つの理由である。

この新版を刊行するにあたっては、数十時間にわたって、徹底的な霊界検証を行い、新しく発見した事実に基づいて、大幅に書き直した。また、私自身の個人ヒストリーについても、できるだけ詳細かつ客観的に、新たに書き下ろした(第六章参照)どうも、この国のジャーナリストや宗教学者には、謙虚の美徳が理解できないようなので、飾らずに率直に書いてみた。

この『太陽の法』も、限りなく神秘的な書物である。「常識」で理解しようとせず、あなた自身の「常識」を、本書によって入れ替えていただきたいのである。四千万人はゆうに超えうるであろう。大川隆法の愛読者が、本書を「世界の常識」にする日は、ごく近いものと期待する。

一九九四年六月
幸福の科学総裁 大川隆法
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■『太陽の法』第1章 太陽の昇る時
1仏法真理の太陽

「仏法真理」という言葉があります。仏法真理とは、仏の心、仏の掟、仏の生命の流転する姿です。そしてまた、人類の過去、現在、未来をおりなす一本の黄金の糸のことを意味します。

この「仏法真理」という名の黄金の糸は、人類史のなかで、さまざまな織物を織って、人々の心を寒さからまもってくれました。あるときは、その織物が、インドに生まれた釈迦の教えであったり、中国に生まれた孔子を中心とする儒教であったりもしました。また別のときには、イスラエルに生まれたイエス・キリストの愛の教えであったりしました。

といっても、人々の心を寒さからまもるためのこの織物は、いまから二千年、三千年前の時代にだけ織られていたのではありません。何千年も前の時代から現代にいたるまで、大小さまざまな織物が、世に送り出されてきたのです。

たとえば、仏教においては、インドでは竜樹、中国では天台智顗などの高僧が輩出したことはいうまでもないことですが、日本においては、空海らの平安仏教、法然、親鸞、栄西、道元、明恵、日蓮、一遍といった方たちによる鎌倉仏教の復興なども、「仏法真理」という名の織物です。室町期の蓮如による浄土真宗の中興も同様です。現代日本においては、幸福の科学による第五次宗教ブームが到来しておりますが(※発刊当時)、いま、最高の仏法真理の織物ができつつあるのです。

このように、仏は、人々の心を、「人生はこの世かぎりなのだ」といった、唯物主義で刹那的な考えからまもるために、色とりどりの温かい衣類で、くるんでくださっています。言葉をかえて言うならば、仏は、人々の心に熱と光を与え続けるために、「仏法真理」という名の太陽を照らし続けた大恩人なのです。

この仏法真理の太陽は、いつもいつも、人類に無限の光のエネルギーを機要求し続けてきました。そうです。太陽は、いつも天空に輝いていたのです。燦然と輝き続けていたのです。

しかし、ときたま、雲が太陽の光がさえぎり、雨が人々をぬらし、風の寒さが人々を怯えさせたように、仏法真理の太陽は、その姿を人々の前から隠し、沈黙を守っているかに見えたときもありました。

とはいえ、はてしない雲海の上には、毅然として黄金の光を放射している太陽がいつも存在しているのです。ですから、たとえ一時期、地上の人々の心に混乱があって、この世から仏法真理の光が消え失せたように見えたとしても、雲のあいだから、必ず一条の仏法真理の光が照射してくるのです。

この光こそ、救いの光なのです。救世の光であり、人々を暗黒の時代から救い出すための生命の光なのです。

私が人々に、これから述べ伝えていく『太陽の法』は、ひとたび沈んだかに見えた仏法真理の太陽が、二千数百年ぶりに、さらに巨大な光の玉となって、遥かなる地平線から昇りきたるありさまを、真実の言葉でもって描写し、現代の人々に希望を、そして、のちの世の人には黄金の財宝を遺さんとするものです。

これよりのち、仏法真理の太陽の昇りくるにつれて、この地球の一角からおおいなる光がほとばしり出るでありましょう。その一角こそ、『仏陀再誕』の地、日本なのです。ですから、今後、日本を中心として、仏法真理の太陽が、燦然と、悠然と昇りくる姿を、数多くの人々が見ることになるでしょう。世界はいま、光を欲しています。人類が営々と築き上げてきた「迷妄」という名の闇の砦を打ちくだくために、旭日昇天の勢いで、仏法真理がひろがっていくことが急務となっています。

その仏法真理の流布を、人生の偉業とすべく、ひとりでも多くの人々に立ち上がっていただきたいがために、この『太陽の法』は書かれていくのです。

私は、救世の悲願を込めて、一語一語をつづってゆきましょう。この一語一語が、生命の言葉となって、光の言葉となって、地球の同胞たちに親しまれることを願いながら、つづっていきます。

【大川隆法『太陽の法』第1章「太陽の昇る時」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
8 内村鑑三の信仰

話を日本に転じて、近代日本に現われた預言者として、まず、内村鑑三(一八六一年~一九三〇年)を挙げておきたいと思います。内村鑑三は、明治・大正・昭和と三代に渡って活躍したキリスト者で、日本にキリスト教を根づかせ、その思想的高みへと導いてきた第一人者と言えるでしょう。

彼は、江戸末期に高崎藩(群馬県)の下級武士の家に生まれます。一八七七年、札幌農学校に入学。クラーク博士の遺風に感化され、キリスト教の洗礼を受けたのです。この農学校の同期として、新渡戸稲造がおりました。一八八四年からの四年間、彼は、アメリカのアマースト大学に学びます。帰国後、第一高等中学校講師となり、歴史の授業を受け持ったのですが、教育勅語に対する敬礼を拒み、いわゆる不敬罪事件によって、免職となりました。

その後、フィレンツェを追放されたダンテのごとく、京都、大阪、熊本などを流浪。一八九七年には、「萬朝報(よろずちょうほう)」の英文主筆となったのですが、やがて、非戦論を唱えて、同社を退きます。「東京独立雑誌」を刊行して以後は、自宅のある柏木の里を拠点として、「聖書之研究」誌を出し続けました。晩年は、「キリスト再臨運動」を起こし、全国各地で講演会を連続して開きます。主著として、『基督(きりすと)信徒のなぐさめ』『求安録』『余は如何にして基督(きりすと)信徒となりし乎(か)』などがあります。

私は、近代日本に、内村鑑三のような偉大な精神を持った人が現われたことを誇りに思っております。彼は、もちろん、キリスト教系の魂です。ですから、その目的も、キリスト教的信仰を日本の地に広げることに当たことは、明らかなのですが、彼が残した遺産のなかには、それ以上のものがあります。

まず第一に、内村鑑三は、「無教会主義」という考え方を打ち出しました。ヨーロッパでは、マルチン・ルターが「人の義をせらるるはその信仰のみによる」として、聖書中心の信仰を唱えましたが、カトリック教会制度に対抗して、プロテスタントの教会制度をつくり出してしまいました。しかし、内村鑑三が行ったことは、もっと徹底しております。すなわち、まさくし、信仰のみの信仰を説き、自らの良心と神との直結ということを重視したのです。

第二に彼は、偶像崇拝的なものの考え方に対して、痛烈な一撃を加えております。それは、たとえば、教育勅語という「モノ」に対して、クリスチャンたる精神の独立を守るために敬礼をしなかったという一事にも要約されると思います。この事件に対しても、さまざまな考え方があるでしょう。クリスチャンだからといって、日本人の尊敬を集めているものに対して敬意を表さないというのは、それ自体が、逆の意味での形式主義だとの批判もあるかもしれません。また、内心の自由は、あくまでも内心の自由であって、外見上は大人の態度を取っていればようという見方もできるでしょう。しかし、私は、このときの内村鑑三の姿に、偶像崇拝のバアル信仰と戦った予言者エリヤの姿を二重写しのように見るのです。

第三に彼は、民族と宗教の関わり方に対して、ひとつの方向を与えていると思います。札幌農学校へ入学するために、札幌に来た若き内村鑑三は、当初、キリスト教信仰を不愉快な目で眺め、札幌神社で、「このいまいましき邪教を神国日本から打ち払い給え」と祈っているほどです。しかし、ひとたび彼がキリスト教の信仰に目覚めてからは、「二つのJ」に仕える決意をしております。二つのJとは、イエス(Jesus)であり、日本(Japan)です。

彼の墓碑銘には、

「吾は日本のために
日本は世界のために
世界はキリストのために
そして、すべては神のために」

【※原文
I for Japan,
Japan for the World,
The World for Christ,
And All for God.】

という内容の英文が刻んであります。これは、彼の思想的な発展、キリスト者としての内心の信仰と、国家的、世界的使命とを弁証法的に止揚する立場を雄弁に物語っていると言えるでしょう。【※止揚・しよう・ヘーゲル弁証法で、低い次元で矛盾対立する二つの概念や事物を、いっそう高次の段階に高めて、新しい調和と秩序のもとに統一すること。揚棄(ようき)】

第四に内村鑑三は、社会正義ということを掲げて戦ったクリスチャンでした。それは、日露戦争に対する非戦論や、足尾銅山の鉱毒事件に対する痛論、黒岩涙香や幸徳秋水とともに理想団を結成したことに表われております。

内村鑑三にも、もちろん性格的な欠点はありました。たとえば、妥協を許さぬ独立不羈(ふき)の精神は、彼をキリストの使徒としての「鉄の柱」にはしたでしょうが、彼を偉大なる大成の人、完成の人とはしませんでした。彼に常につきまとっていたのは、「独立」「自由」、そして「孤独」だったのです。また、キリスト教的受難礼賛の気持ちがあったことも、彼の人生に多くの不幸が彩った理由の一つだったと言えます。内村鑑三は、旧約の預言者エレミヤの再出でした。彼の弟子の矢内原忠雄がペテロの再出であったように、彼らは、日本にキリスト教を広めるために出た高級霊だったのです。

【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
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幸福の科学の教えは『仏法真理』と言われています。
「仏法真理」とは、仏の心、仏の掟、仏の生命が流転する姿であると教えていただきました。
本日の学びでは、仏法真理が太陽のようにこれから昇って、暗闇を照らし、人々に希望と後世への宝を残すことが語られました。仏法真理とは、救いの光です。「仏法真理」とは人類の過去・現在・未来を織りなす一本の黄金の糸であり、この黄金の糸で、何千年も前の時代から現在に至るまでに、たくさんの時代と文明の織物が送り出されてきたという言葉がとても印象的でした。

『太陽の法』を読んでみると、『仏説・正心法語』の理解が進みますので、大切に読みこんでまいりましょう。

太陽の法が説く「仏法真理」こそが、我々人類にとって救いの光です。根本仏の生命である主の教えを、世界中に広げてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。

■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】

■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える

■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする

信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 
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