(12/24-1)【基礎教学通信】358『太陽の法』を読む91「太陽のメッセージ2」真理文明の流転と黄金の時代5―『悪魔の嫌うこと』「霊的な生き方」を知っていることが怨霊の発生を防ぐ―『地獄の法』救世主からのメッセージ②―「現代の四正道」第二の原理「知」・第三の原理「反省」

『太陽の法』

98 与える愛となれ。生かす愛となれ。許す愛となれ。存在の愛となれ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、降魔成道記念日を迎えて、あらためて「悪魔」とは何かを、主の御教えから振り返ってまいります。本日は経典『悪魔の嫌うこと』より降魔についての学びを振り返ります。経典をお持ちでない方は、この機会に是非ご拝受ください。【税抜き1600円】

―本書には、エル・カンターレの説く、悪魔の嫌う三箇条が明らかにされている。精読の上、くり返しお読み頂きたい。その価値は無限で、国民全員に、そして、全世界の人々に読んでほしいと痛切に願っている。

大救世主降臨を知らずして、今、知るべきことはない。求めよ、さらば与えられん。真実の智慧を体得するがよい―「まえがき」より
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■『悪魔の嫌うこと』第2章「怨霊の発生」
4 怨霊を発生させず、救っていくためには
〇「霊的な生き方」を知っていることが怨霊の発生を防ぐ

仏教も含め、宗教には「戒律」が多いと思いますが、よく見てみると、結局、肉体を去ったあと、執着しないようにするために、戒律がたくさんあるわけです。

ですから、仏教の教えでも、家族にさえあまり執着しすぎないように言っています。それから、異性への執着、金銭への執着等についてもたくさん言っています。

確かに、この世では、いていくために仕事をし、お金を稼がなければいけないので、その原理は非常に大事ですし、働くことも大事ですけれども、宗教が金銭への執着について言うのは、死んだあとは、お金などまったく通用しないからです。お金をいくら積んだところで、それで罪が許されるわけでも何でもなく、死んだあとは役に立たないのです。

また、異性の問題等に関しても、これによって、この世での幸・不幸を分けることは多いけれども、死んでからあと、霊体になってみると関係がありません。霊になっているので、男女が抱き合ったところで素通りしてしまう関係になり、この世的な性欲の喜びのようなものは実際上なくなるわけです。地獄にはそういう所もありますが、ただ、どこまでやっても満足はできません。要するに、肉体がない状態なので、満足するしかないのです。

そういうことで、歌舞伎町など、男女の関係をお金に換えているようなところに霊が集まってきて、生きている人に取り憑きます。そこに来ている人の肉体に取り憑いている間は、少し似たような感覚を味わえるので、たくさん霊が来るわけです。そのため、そういうところに行くと、霊を”もらって”帰ることが多いと思われます。

これは、悲しいことです。この世で生きていたときの地位や身分、学歴、収入、家柄、あるいは、政治家であるとか、官僚であるとか、学者であるとか、社長であるとか、そうしたことは、まったく何の関係もないのです。

死んだあとは、結局、仏教の基本とほとんど同じです。「この世の生活、肉体に執着した生活が偽物であり、また、それを去ると、『空』になる、あるいは『無』になる」など、いろいろ言われています。

また、肉体中心の考え方とは別に、たとえて言えば、「車の運転手が自分であり、車は自分ではないのだ」という考え方もあります。車が壊れたら、それは”死んだ”ということになるけれども、運転手は死んでいるわけではなく、それからあとの生活があるということです。

ですから、「霊的な生き方」を知らなくてはいけません。その「霊的にどう生きなければいけないか」ということを、当会はいろいろと教えているわけです。

これを知っていることがとても大事であり、それが怨霊の発生を事前に防ぐことになりますし、自分以外の者が怨霊になったときにも、それを諭したり、はね返したりすることもできるようになります。そういうことが大事なのです。

〇密接に関連している地上界と地獄界
幸福の科学が言っていることはシンプルなのですが、非常にたくさんの数の本がでているので、「こんなに読み切れない」と思う人もいるでしょう。けれども、これは必ずしも、「全部読め」と言っているわけではありません。この世に生きている人には、それぞれに関心を持つ領域があるので、その人にとって関心のある本が出たら、手に取って読んでしまうわけです。

ただ、守護霊本人などに対しては、「どうせ、この世の人のことを勉強して書いているのだろう」といったことを言う人がマスコミなどにも多いのですが、そんなことはありません。全員個性が違いますし、私が実際にあったこともない人の守護霊本を出しています。それを(創作で)書けるかといえば、書けるわけがないのです。

「守護霊」だけでもいいので、「霊が存在する」ということを知っていれば、少しは違うところがあるでしょうし、あの世に還ったときに、「助けに来い」と言って、自分の守護霊を呼ぶこともできるでしょう。何らかの「よすが」となるように、とにかく面積を広げて、大勢の人にアプローチをかけていかなければいけないのです。

日本神道も、すでに形式だけとなり、ほとんど救いができない状態になっています。正月に、「何々を叶えてください」とお願いするといった、ご利益だけになっていることも多いでしょう。

また、仏教も先ほど述べたように、仏教大学等では、ほとんど唯物論・無神論を教えているような状態です。漢文を朗読したり、あるいは初動の訓練をしたりして、生きていく生業を立てる術は教えてくれるけれども、現実上は「救う力」を持っていな人が大勢います。

神主にもそういう力がありませんし、陰陽師も、昔に流行ったことがあり、現在もいますけれども、非常に細々と生きています。ときどき、霊能者がテレビで取り上げられたりはしますが、信じていない人のほうが多いので、そういうものにこだわると、「頭がおかしくなった」などと言われたりすることが実際のところです。

そのように、みな、「この世の実業のほうが大事だ」と考えるのですが、死後は、この世の家族の生活も、会社の生活も、すべてなくなります。それらがなくなっても、あなたの心が実体になって存在しつづけるのです。

それが分からない人はどうなるかというと、昔から言うように、平家の亡霊のごとく人魂になって、お墓のあたりを飛び回るようになるわけです。そのように、この世をさまよう状態になっているのです。

この世の地上界と地獄界は、わりに密接に関連しています。地上を縁として地獄霊ができているので、そこに行く人の供給を減らして、地獄界を減らすためには、この地上において教えを広げ、しっかりと考え方を正さなくてはいけません。人間として、そういう悪の道に入らないように教えなければいけないのです。

したがって、「幸福の科学の教えをいくら広げ、しっかりと考え方を正さなくてはいけません。人間として、そういう悪の道に入らないように教えなければいけないのです。

したがって、「幸福の科学の教えをいくら広げても、十分ということはありえない」ということをどうか知っておいてください。「教団の生活、生業が立てばよい」とか、「信じている人の家業が繁栄したり、家族の病気が治ったりしたら、それだけでよい」などと思うなら、それは、まだ、信仰としては、かなり浅いのです。「もっと大きな使命感を持たなければいけない」ということを言っておきたいと思います。

〇「天変地異」や「人を間違った道に導くもの」との対決も宗教の仕事
いま述べたことは、人霊が迷ったときの”後始末”の話であり、大部分の人はこうなります。

しかし、これ以外にも、あの世の世界には、悪さをする者、昔流に言えば「あやかし」ですが、人を惑わしたり、怪奇現象を起こしたりするような者もいます。人間として生まれ、死後、地獄に堕ちて長くなった人、千年以上ずっと地獄に堕ちているような人は、だいたい、”悪魔の仲間入り”をし始めるのです。

そうしたものは、「魔王」や「小悪魔」など、いろいろと言われます。そして、再び人間に戻れないようなものは、その心に合わせて姿形も変わっていき、「妖怪変化」の類になっているものあれば、地獄の「鬼」のようになっているものもあるし、いわゆる「悪魔」のようになっているものもあります。人間に生まれ変わることも、ほとんど諦めたような人たちがいるのです。

こういうものと心が引きあうと、最初は、先ほど述べたような、「死んだ人間が祟(たた)ってきて迷わせている」と思っていたところ、だんだんと「それに続いているもの」「あの世で、それらをさらに迷わせているもの」などが出てき始めて、その人の人生を、もっと”ジェットコースターが落ちるような感じ”にしていくことがあります。そういう「あやかし」があり、大きくは、国家レベルまで混乱に陥れるような場合もあるのです。

ですから、この世に不幸を起こすと、大量の地獄が発生するわけです。地獄行きの人がたくさん発生します。

また、本章の説法を行なった二日前(二〇一九年八月七日)には、浅間山が噴火しました。大したことはありませんでしたが、例えば、いきなり溶岩がたくさん流れてきて、何千という大勢の人が死んだりした場合、心の準備はないでしょう。これは、すぐに成仏できるかといえば、そんな簡単なことではないわけです。

昔であれば、イタリアのポンペイで起きた噴火でもそうでしょう。つくっていたままの食事など、いろいろなものが灰になって遺っていたり、跡が遺っていたりしていますけれども、普段の生活をしていて、一瞬にして灰に埋まってしまったような人もいます。そういう人々を導くのは、なかなか大変でしょう。

そうした国家レベルでの「天変地異」および「災害」、あるいは、大人物、つまり、宰相や大臣、大会社の社長、影響力のある思想家、医者、学者など、いろいろな人をたぶらかして、「人を間違った道に導いていくもの」がいるので、こういうものとの対決も、宗教の仕事としては残っているのだということを知っておいてください。

【大川隆法『悪魔の嫌うこと』第2章「怨霊の発生」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

今日も経典『太陽のメッセージ』を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。本書は1998年の年末に『太陽の法』の講義としていただいたものです。【現在は絶版となっています】
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■『太陽のメッセージ』Part2
第2章「真理文明の流転と黄金の時代」
11 アトランティス文明と光
①生命エネルギー転換法
アトランティスとは大西洋にあった大陸の名前です。この時代には、クートフーミーという名の偉大な科学者が生まれました。そして、植物の生命のなかの神秘の力に気づきこれを利用することに成功しまたのです。

これも、おもしろい発見でありますが、ようするに、生命エネルギーを私たちの活動エネルギーに変えるという、エネルギーの質的変換の方法を発見したわけです。たとえば花の蕾(つぼみ)を花瓶などにさしておくと、水だけで花が開きますが、これは実に不思議なことなのです。小さな白い蕾などが、真っ赤な花を咲かせるのは、いったいどこにそのようなエネルギーを秘めているのでしょうか。

この成長と活動のエネルギーに、エジソンなどの発明家が着目し、ずっと眺めていると、何かに使えるのではないかと思うわけです。そしてこの生命エネルギーを何か他のエネルギーに転化しようと考えても不思議はありません。

この時代には、植物のこの旺盛なる生命エネルギーが、生活のためのものすごいエネルギー源に転化しようと考えても不思議はありません。

この時代には、植物のこの旺盛なる生命エネルギーが、生活のためのものすごいエネルギー源になることが発見されていたわけです。そうすると、自宅に球根をおいておくだけで、それさえあれば、その球根が発芽していくエネルギーを転換して、家の必要とするエネルギーをほとんどまかなえるという方式がありました。

今後このようなエネルギーが、発見される可能性はあります。ウランから取り出す原子力エネルギーも原子核分裂の連鎖反応で生じる大量のエネルギーを取り出すことに成功したものです。水素爆弾は、水素のなかでも特殊な水素が核融合してヘリウムに変換するときの核エネルギーを使うわけです。そういう物質の根源的な質変換の反応のエネルギーには、ものすごい力が実はあるのです。鼻なども匂いが漂ってきて、そこには化学反応が起きているわけですけれども、それ以外に根源的な「生命エネルギー反応」というものがあるわけです。生物学が好きな人は、ぜひこの分野で研究してみてください。必ず何かできるはずです。

②クザーヌスの理神論
ムー大陸が沈み、その末裔(まつえい)が、アトランティスに落ちのびて、ムー文明のピラミッドパワーを、アトランティス人に授けたところ、またマイトレーヤー如来という方があらわれました。その名はクザーヌスと呼ばれ、ピラミッドパワーと太陽信仰をあわせた「理神論」と言う信仰を説きはじめました。

この思想は、理性的なるもの、科学的なるものは、すなわちそれは神の心にかない、また神の心は、理性的、科学的なものを欲するということであり、そしてその最もたるものとして、太陽の光をあげた思想なのです。

太陽というのは、よく信仰や崇拝の対象にされますが、その太陽は、そうした信仰の対象であると同時に、私たちに実際の恩恵を与えてくれている、つまり科学的に見てもそうとうのエネルギーを供給している私たちを養い、導いているものであり、これが神の存在そのものではないかという考えです。ほんとうに素晴らしい信仰は、科学的な有用性に裏付けられているという考え方であり、これが一斉を風靡しました。

このような考え方は、後のヘーゲルなどの考え方ものあるのです。「理性的なるものが現実的であり、現実的なものが理性的である。」という言葉でありますが、それを思わせるような感じがします。太陽エネルギーについてはこれはこれで、そのとおりの発見なのですが、ほかのところにもってきますと、もちろん違ってくることもあるわけです。それゆえに考え方のうえにおいて、後々の宗教家たちを縛ることにもなっていきました。

つまり、科学的に証明ができないようなことは、おかしいというような現代によくある考え方です。クザーヌスという人は理性的なものが神の心にかなうのだと言っているのだから、それに反する理性的でないものは、すべてまやかしだ、インチキだという、宗教狩り、悪魔狩りにつながっていく危険性を含んでいたわけです。

アトランティスの時代の飛行船や、船についていたシンボルのシャチは、この当時のアトランティスの象徴であり、このことは『太陽の法』に、くわしく説明されています。

12 宗教政治家アガシャーに学ぶ
さらにアガシャーの時代に入ります。これは、アトランティス末期に出られた非常に有名な方です。アトランティスの首都にポンティスというところがありました。このポンティスという都市は、現在のスペインのマドリッドから斜め左下の沖のほう、距離にしてマドリッドから一五〇キロくらいの位置にありました。その当時は人口七〇万人の都市で、そこには代々王家が住んでいてその名をアマンダ族といいます。

アガシャーは、このアマンダ族の王子に生まれて、幼名をアモンと呼ばれておりました。そして二十四歳で名をアガシャーと変え、その名の意味は「叡智を秘蔵せる者」というものでありました。これは、イエス・キリストの生命体です。イエス・キリストもアガシャー系団の一人なのですが、どちらといいますとアガシャーと言うほうが本体に近い部分で、そうとう大きな力を持っています。またなんらかの形でこの人の考え方なり、力というものを紹介してみたいと思ってます。

アガシャーは、ラ・ムー同様に政治家兼宗教家でした。彼の治政での特徴は、毎月一回十万人以上収容できる大広場に市民を集めて説法したということです。そのころにもワイヤレスマイクのようなものがあったようです。そして愛の説法を主として説いておりました。

前節でも日本の宗教政治家の出現について触れましたように、このようにアガシャーのような人があらわれて毎月、国民を集め、説法をすることは大切なことなのです。

これがほんとうに人々を心から神の御心に帰依させ帰順させることになり、彼らが生きていくためにひじょうによい結果をもたらすことができるのです。国を治める人がそのような生き方を指導することが一番よいのです。

ですから、このあたりが、現在の政治制度に欠けていると言わざるをえない点であると思います。やはり、心の教えを説いてほしいのです。このような愛の教えや、隣人愛、そして一日に一度は一人で静かに祈り、守護・指導霊と対話する時間を持つことの大切さ。また、人の偉さは愛の量ではなく質ではかられるということ。このようなことを政治家が話をするのにならば聴きに行くこともできるのですが、実際は、票集めの演説や、他党批判ばかりをしていて肝心の中身がありません。ですから、本当は選挙のための演説ばかりをするのならば、真理の話をどんどんしてくだされば聞くほうも、話すほうも身になります。あるいは、町長さんや村長さん市長さんがいて、時どき人々を集めて真理の話をしてくだされば、どれほど住民の・
・が潤うかわかりません。

したがって、このような人たちが、表に出ていけるような時代風潮を創らなければなりらないと思っています。その前提としてやはり今、この逆になっている価値観をもう一度引っ繰り返すことが必要なのです。逆ピラミッドを引っ繰り返すということです。

いちばん頂点に立ち、立派であるべきものが、今いちばん底辺に置かれている状況でありますから、このピラミッドをもう一度ひっくり返すというのが幸福の科学の運動であるわけです。そのためにいろいろな時代背景のなかがそのような風潮を創っていく必要があります。それゆえに値打ちのあるものをつくろうという点でいろいろな努力を現在しているわけです。

これがあやしげな団体と言われないように、あるいは、評判の悪い団体ならないで、評判のよい団体になるように、一人一人がすばらしくなるように、できればそのような感じに持っていきたいと思っています。そうでないとこの状況は変わらないのです。絶対に変わりません。

13 現文明への流れ
さて、聖クザーヌス派とアガシャー派が対立して、最後はアガシャー派が生き埋めにされてしまうのですが、このアガシャーの長男アモン二世は、逃れることができました。これが『キリストの霊言』に出ているアモンです。

彼は飛行船で逃れてエジプトに行きました。そしてエジプトで太陽信仰のような教えを説きました。アトランティスの信仰をエジプトに持っていったのです。このエジプトから次にギリシャ、ギリシャからヨーロッパへと文明がまわっているのです。

東洋文明の源流はムーにあります。ムー文明が東洋に広がり、西洋はアトランティス文明から始まっています。おもしろいと思います。両方とも私が関係しているのです。

【※その後の霊査で、約三万年前にアンドロメダ銀河から20万人の大船団にて、主の宇宙根でありエル・カンターレ本体意識に近いとされる「天御祖神」が日本に降臨しています。天御祖神は古代日本からレムリア文明後期に大きく影響を与えており、東洋と西洋文明の始原にあたる教えを説かれたことが明らかにされています】

ここで釈迦の生命体の転生を少し説明すると、クラウド、ヘルメス、ブッダ、トス、ラ・ムー、あとはオフェアリスという魂がおり、ギリシャでヘルメスの前に出ています。彼はいまからちょうど六五〇〇年前に出ています。これがヘルメスの前身として出てギリシャ的精神の礎を創りました。そして、その後四二〇〇~四三〇〇年前にヘルメスが出ました。だんだんこのあたりの秘密は明らかにしていきたいと思っています。そして、ゼウス、モーゼ、イエスと時代は下っていくわけです。

【その後、現在の第七文明の前、第五文明のアトランティス文明の後、現在のヨーロッパを中心とした第六文明を指導して存在にオーディン神がいて、主の魂の分身であることが明らかにされています。オーディン神がつくったアズガルド文明は宇宙文明であると言われています。】

14 百万年の歴史をふり返って
この章の最期に、けっきょく何が言いたかったかということを整理してみましょう。
(1)文明には、必ず栄枯盛衰がある。

(2)神は、必ず各文明に、偉大な光の指導霊を出している。

(3)文明が最盛期を迎え、最後の光が輝いているころ、魔が競い立ち、暗い想念エネルギーの雲に人類がおおわれるようになると、地軸の変化とか、大陸の陥没という大異変が必ず起きている。

(4)新しい文明は、古い文明の流れを受け継ぎながらも、必ず異なった価値尺度を求める。

(5)しかし、どのような文明であろうとも、魂の修行のために転生輪廻の過去で必要な修業の場であったという事実には変わりない。

ということです。

以上に書かれたことは、いったい何を意味しているのでしょうか。この五項目は、何のためにあるかというと、これからは危機の時代が来るかもしれないが、過去においてもそのようなものがあった、そのつど人類は、その危機を切り抜けてよりいっそう高い魂の境地を目指して努力していたのだということです。

この過去の文明、ここに生きていたのは、他人ではなくてみなさん自身なのだということです。みなさん方はいろいろな時代に生きたのです。そして現代にも生まれかわってきているのです。これを知っていただきたいのです。

ですから、この、いったん沈んだ真理の太陽がまた昇る、というところに救世の書『太陽の法』ならびに本書『太陽のメッセージ』のメイン・テーマはあるのです。過去に昇っていた太陽が今また昇っているのだということをみなさんにお教えしているのです。これが一つの大きなテーマなのです。

【大川隆法『太陽のメッセージ』part2 第2章「真理文明の流転と黄金の時代」より抜粋】
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ここからは、経典『地獄の法』より、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道ついて主より教えていただきます。経典をお持ちでない方は、この機会に是非ご拝受ください。【税込2200円】
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第5章「救世主からのメッセージ」
〇「知」―霊的な真実に裏打ちされた「仏法真理」を学ばなければ、魂の向上にならない

それから、「愛・知・反省・発展」の「知」は何かということですけれども、これは「仏法真理」のことであって、ほんとうの世界観や霊的な真実、神仏の教え、こういうものに裏打ちされた知識でなければ、この世で学んでも魂の向上にはならないということです。

だから、「神は死んだ」とか、「唯物論がすべてだ」とか、「この世の利便性だけが、もう最高のものだ。幸福なのだ」というふうにだけ考えていくならば、間違っていると言わざるをえないし、「自分がどこから来て、どこへ行くのかさえも知らない人類」というのは、ちょうど、「駅のホームに立って、自分が何のために駅のホームに立っているのかを知らない人間」と同じです。

それは、次に来る列車を待っていて、それに乗ってどこかに行こうとしていることであり、「どこから来て、どこへ行くかを知らない」ということは、「自分自身を見失っている」ということと同じなのです。

〇「反省」―犯した罪や思い、行いを振り返り、心を磨く
さらに、「反省」という言葉を述べております。

人は地獄に堕ちることがあります。仏法真理に反した生き方をしたときに、地獄に堕ちます。

ただ、そのときに、いたずらに反逆心を起こして、神への犯行に加担するだけであってはならないということです。自分自身が、自分自身の犯した罪や思い、行いを振り返り、反省することによって、心を磨いて天上界に還っていくという機能を与えられているのです。

だから、その力を、もう一度、取り戻してほしいと思います。それを、生きていくうちの学習の中心軸においてほしいと思っています。

【大川隆法『地獄の法』第5章「救世主からのメッセージ」より抜粋】
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本日は、幸福の科学の大切な教えのひとつである「知」と「反省」について、学びました。

『「神は死んだ」とか、「唯物論がすべてだ」とか、「この世の利便性だけが、もう最高のものだ。幸福なのだ」というふうにだけ考えていくならば、間違っていると言わざるをえないし、「自分がどこから来て、どこへ行くのかさえも知らない人類」というのは、ちょうど、「駅のホームに立って、自分が何のために駅のホームに立っているのかを知らない人間」と同じです。

それは、次に来る列車を待っていて、それに乗ってどこかに行こうとしていることであり、「どこから来て、どこへ行くかを知らない」ということは、「自分自身を見失っている」ということと同じなのです』

という言葉は、現代人に対する痛烈な一転語ではないかと思います。幸福の科学の「知」の教えは、根本仏の教えである仏法真理のことですが、現代人はこれを見失ってしまっています。これに警鐘を鳴らしているのが幸福の科学の使命ではないかと思います。

主の光を広げる伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることです。これは大切な点です。
そして、エル・カンターレという根本仏である神の名を伝えることが今とても大切です。

また「反省」ついての学びで、本日の引用で印象的だった教えは、

『反省の教えというのは、まず「阿羅漢(あらかん)」に至るための教えなのです。阿羅漢というのは、六次元上段階の境地です。光の天使の予備軍であり、菩薩になる前の登竜門です。菩薩になるためには、その前に、「反省行」という道を通らずしてはなれないのです。阿羅漢の境地に至るためには、自らの心の塵や垢を落として、後光が射してくるようにならなければなりません。そうでなければ「阿羅漢」とは言えないのです。・・・

だから、まず阿羅漢の境地を目指していただきたいのです。この段階は、みなさん、全員可能なのです。過去の転生輪廻でいろいろなカルマはあるでしょうし、修行もあると思いますが、阿羅漢の境地までは、今世において誰でも到達できるのです。ここからあとは難しいですが、阿羅漢までは行けるのです。そうした、頭から後光が出る段階までは、誰でも修行すれば来れるのです。そのために、反省というもがあるのです』

『正しき心の探究としての四正道、特に「反省」を実践すれば、今世において誰でも阿羅漢になることができる』―これは私たち仏弟子にとって最大のチャンスを主からいただいたことを意味します。

かつての小乗仏教においては、出家修行者にしか悟ることはできないとされており、限られた者でなければ阿羅漢にはなれないとされていました。その意味において、今世は、出家・在家の区別なく、「正しき心の探究」と「四正道の実践」による心の修行を積めば、誰にでも阿羅漢になるチャンスはあると教えていただいています。まさに、主の教えが説かおれている今が奇跡の時代です。このチャンスを逃すことなく、悟りの道にともに至りましょう。

幸福の科学の教えは「愛と悟りとユートピア建設」に集約されます。愛と、反省が導く悟りの力によって、私たちの隣人を救い助け、この地上世界をユートピアに変えていくことが、主の悲願であり、仏弟子の願いです。共に精進しましょう。

主は、「現代的四正道」を説いています。この「愛・知・反省・発展」の四つの考え方をまとめて、「正しき心の探究」と呼んでいます。正しき心の探究とは、「愛・知・反省・発展」の探究なのです。だから、伝道において四正道をしっかりお伝えすることがとても大事なことであることが分かります。

経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探究」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探究』といいます。そして、その『正しき心の探究』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。

そして、経典『「正しき心探究」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。

主は、「現代的四正道」を説いています。この「愛・知・反省・発展」の四つの考え方をまとめて、「正しき心の探究」と呼んでいます。正しき心の探究とは、「愛・知・反省・発展」の探究なのです。だから、伝道において四正道をしっかりお伝えすることがとても大事なことであることが分かります。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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