97 経営の中に悟りを求めよ。神仏の御手足となれ。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、降魔成道記念日を迎えて、あらためて「悪魔」とは何かを、主の御教えから振り返ってまいります。本日は経典『悪魔の嫌うこと』より降魔についての学びを振り返ります。経典をお持ちでない方は、この機会に是
非ご拝受ください。【税抜き1600円】
―本書には、エル・カンターレの説く、悪魔の嫌う三箇条が明らかにされている。精読の上、くり返しお読み頂きたい。その価値は無限で、国民全員に、そして、全世界の人々に読んでほしいと痛切に願っている。
大救世主降臨を知らずして、今、知るべきことはない。求めよ、さらば与えられん。真実の智慧を体得するがよい―「まえがき」より
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■『悪魔の嫌うこと』第2章「怨霊の発生」
4 怨霊を発生させず、救っていくためには
〇「霊的な真実」を知らせなければ、悟りのよすが(縁)がない
こういうことを考えると、幸福の科学のみなさんも、みな一生懸命に仕事をしているつもりでいて、大教団になったと思っているのでしょうが、「まだ全然足りていないのだ」ということを言いたいのです。
私の説法も、日本だけでも一億二千万人が聴いているわけでもないですし、信者のなかでも、聴いているのは一部の人です。また、私が最初の本を出したころ、取次店が「宗教の本が一万部以上売れたことはない」と断言していたぐらいなので、本を出したところで人気はないわけです。それほど売れないものであり、ほんの数万部でも売れたら、ものすごく売れたような気になることも事実です。
しかし、現実はそんなことでは駄目であり、この「霊的な真実」を、本当に、全国津々浦々に知らせなければいけません。そうしなければ、「悟りのよすが(縁)」がないのです。
すくなくとも、死んだ人が、生前、私の本を何冊か読んでいたとか、霊言を読んでいたとかであれば、「そういう世界があるかもしれない」ということや、「いったい、どういう理由によって天国・地獄が分かれるのか」ということが分かるはずです。
そうした手がかりは、いろいろな本に、さまざまなかたちで書いてあるので、それが少しでも頭に入っていれば、死後も、「自分のいるところが、どういうところか」ということが客観的に見えるようになり、「自分はどうも、悪いところに来たらしいな」ということ、「何らかの悟りを得ないと、上に上がれないらしい」ということが分かるわけです。
幸福の科学の職員のみなさんや信者のみなさんは、「いっぱいいっぱい働いているから、もういいだろう」と思っているかもしれませんが、当会の教えは、まだ全く届いていないのです。そのため、毎年毎年、不成仏霊が大量発生しています。
お盆というのは、JRや航空会社を儲けさせているけれども、実際に「救いの場」にはなっていないことのほうが多いのだということです。
〇死後に迷っている人を救えるのは正しい宗教のみ
先ほど述べたように、私の母はやや霊体質だったので、霊がかかってきたらすぐに反応が出ましたが、そこまで出ない人の場合は、おそらく、田舎に帰って法事をしたりしたときに、”何か”を連れて帰ってきてしまい、戻ってきたあと、子供が病気をしたり、家庭不和が起きたりと、いろいろなことが起きる場合があると思います。
ただ、それは、家庭不和や病気、事故など、いろいろなことが出てくるのを見せることで、その世の人に、「これは何かが障(さわ)っているのではないか。おかしいのではないか。お寺や神社、霊能者のところとかに行って、何とかお祓いしてもらおう」というような気持ちを起こさせることを目的としてやっているわけです。
ですから、「宗教を軽んずるなかれ」ということは、繰り返し言っておきたいと思います。宗教が公益法人である理由を、もう一回、肝に銘じてほしいのです。
死んだあとも迷っていて、救いのない人たちが大勢います。こうした人たちを、役所も学校も救ってはくれないし、誰も救えないのです。
それができるのは、宗教しかありません。
ただし、宗教にも、「詐欺師がつくっている宗教」から、「教祖が堕地獄の宗教」まで、偽物の宗教がたくさんあるので、信じる宗教を間違えたら、まったく話にならないわけです。
だからこそ、正しい宗教は、その教えを広げなければだめなのです。本当に、隅から隅まで広げないと意味がありません。
幸福の科学のみなさんも、ものすごく一生懸命に頑張っているとは思うのですが、まったく届いていないのです。私が出している本のうち、どのほうでも構わないので、自分が読めるような本を一冊でもいいから読んでほしいし、講演会も一回でいいから聴いてほしいし、あるいは、御法話拝聴会などでも構いません。一回でもいいから観ていれば、幸福の科学からの救いの縁がつきます。ですから、「伝道」というものを軽く考えないでほしいのです。
献本も大事ですけれども、献本したあと、相手がそれを読んだかどうかまできちんと確認することです。「読みましたか?」と訊いて、「まだ読んでいない」と言われたら、読んでもらわなければいけませんし、「読んだ」と言われたら、一度、相手のところまで行って、その本の内容について少し話をしてみるなど、そのようなかたちで繰り返していかないと、救ません。また、これから発生してくる大量の不成仏霊もどうしようもないわけです。
〇唯物論・無神論の国から、地獄への人口の供給が増えている
私は、講演会や正党系の説法等では、中国などに対してきついことも言っています。仕事で中国等と取引があるようなところも多いので、「中国との貿易関係がまずくなったら、会社も傾くし、政府も困るから、事を荒立てないようにしたい」といったことを思っている人も多いでしょう。「どうしてあんなにきついのだろう。あれでは相手の神経を逆なですることになる」というようなことを言う人もいます。
しかし、どうしてきついことを言うかというと、それは、その国が、唯物論・無神論を、はっきりと国是としているからです。住み綿花では宗教があったり、伝道的なものがあったりするけれども、そうしたものを、国としては認めていません。まったく認めていないので、それらがあまりにも勢力を持ってき始めたら、弾圧したりもしているのです。
そうした唯物論・無神論の国是を持った国の人たちは、死んだあと、どうなるのでしようか。形だけの葬式ぐらいはするのかもしれませんが、”国がまるごと信じていない”ので、これは、「救われない人が大勢出てきている」ということです。地獄への人口の供給が、ものすごく増えています。
また、そこと付き合うことによって、付き合っている国のほうも、だんだんと同じようになってきているところがあるのです。
神様、あるいは仏様がいることを認めること、死んだあとも霊があることを認めることが大事です。また、「生きている人間の肉体感覚が自分だ」と思っている場合は、死後に迷ってしまい、天上界に上がれないことを知ってほしいのです。
【大川隆法『悪魔の嫌うこと』第2章「怨霊の発生」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
今日も経典『太陽のメッセージ』を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。本書は1998年の年末に『太陽の法』の講義としていただいたものです。【現在は絶版となっています】
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■『太陽のメッセージ』Part2
第2章「真理文明の流転と黄金の時代」
8魂修行のためにある時代・環境の変化
このようなことは、スケールがひじょうに大きいので私たちからはよくわかりませんが、彼らにしてみればこうした何十万年、何百万年ぐらいの間での地殻変動等であれば、意外にそう悠久の事ではないという感じであると思います。そのような雄大なスケールの時間の流れのなかで私たちは手の平にのせられて魂修行をしているということを知らなければならないのです。
ですから、このようなことを単なる幸・不幸の感覚でとらえるならば、みなさんは勉強不足ということになってしまいます。このように過去においていろいろな文明が生まれ、栄え、そして滅びたということを繰り返してきたけれども、そのたびに人類はいろいろな魂学習をしてきたという事実があるのです。
この現文明においても同じようなことがあるかもしませんが、またこれも、そのような流れのなかにあるということです。収穫逓減の法則というものが経済にありますが、それと同じように一つの大陸で一つの文明が栄えて固まってくると、魂修行の値打ちがだんだんと低減していって、生まれ変わってもそんなに魂的に学ぶことがなくなってくるのです。
そうしますとやはり、どうしても環境を変える必要が出てくるのです。そのためには何か地球自体の環境を少し変えるか、あるいは違った光線を強くしていって文明の価値観を変えるのです。光線の色が分かってくると、それにつれて、人類の価値観が変わり、新しい文明が興ってくるのです。こういうことが言えるのです。
9 レムリヤ文明と芸術
ミュートラム文明が滅びたのは、水上に顔を出したボールが、くるっと一回転するというような地軸の変化によるものでした。ミートラムの首府ラ・ミュートという都市もすっかり大雪で凍りついてしまって、ほとんど全滅してしまったのです。しかし、ごく一部の人びとは船で逃れて次なる大陸に行くことができました。
それが次なるレムリヤです。このレムリヤの歴史のなかでは、ゼウスの前進でエレマリアという人がひじょうに有名です。このエレマリアは文学芸術の全般にわたる万能の天才で、このエレマリアの名前の由来もレムリヤに降りたる神の光という意味のエル・レムリアという言葉から発しているというほどに偉大な方であったのです。したがって、前のミュートラム文明は食生活文明でありましたが、レムリヤは芸術中心の文明になってきたのです。そして大聖エレマリアは、芸術を通して人びとに生きる歓びと神の栄光を教えていきました。現代でも、芸術方面に優れた才能を発揮している人は、この時代に勉強した人が多く、読者のなかにも思いあたる方もいるのでは無いかと思います。
①マルガリットの芸術至上主義
このエレマリアの後にレムリヤに巨大な光をもたらしたのが、マヌと呼ばれている人です。今から二万九千年ほど前の時には、名前をマルガリットと呼ばれていました。【※天御祖神の日本降臨は3万年前】大師マルガリットと尊称されていましたが、マルガリットとは、「競い立てる者」という意味であり、これには二義があります。一つは全能の神と崇められたエレマリアと競い立つという意味で、もう一つは芸術を通して各部族を競わせるという意味です。ここに現在の民主主義に近い考えが出てきたわけです。
芸術に競争原理を持ち込んだということですが、民族を音楽、絵画、文学、建築、加工技術の分野に分けて、それぞれに最高のものを追究させ、そして三年ごとに最高芸術を決める協議会を開催して最優秀となった部族を支配階級として、三年間治めさせました。そしてまた三年たったのちに競技会を開くというようにしていたわけです。現在のアメリカでも大統領の任期が四年ということになっていますが、それと同じような意味で洗礼を三年ごとにやっていたわけです。
下術を発揮するということは、この当時は神に近づくということでしたから、最高度に神に近づいた部族が支配階級になって治める権利が与えられ、その変わり修行や勉強を怠って芸術性が落ちると、三年後に転落するわけです。そして次の支配階級が出てくるということを考えたのです。
芸術という限られた領域ではありましたが、公平に競争させて、勝者を統治者にするという考えは、競争主義の先駆けとも言えるでしょう。同時に祭政一致という考えでもあるということです。競争させる対象を神に近づいていくということにもっていったわけです。ここが現在の競争原理と違うわけで、単なる得票だけで表すことはなかったのです。
②新しい時代の神政民主主義
現在であればいろいろな政党がありますが、この考え方をとり入れるとするならば、どの政党の主義主張、あるいは実践してきたことが神の心に一番近いかという基準をもうけるのです。それで過去三年間の実績を出されるのです。その政党の過去三年間の主義主張、活動、これが真理にどれだけ近いかということではかられて、その三年間の実績でいちばん神の心に近いと思われる活動をしたところが与党になるわけです。そして政権を与えられて国政をまかされるということになるのです。
このように考えてみますと、現在の民主主義的な考え方を活かしながら、この祭政一致をとるという方法論が、具体性を帯びて浮かんでくるのではないでしょうか。従来は、民主主義のあり方と祭政一致主義とは両立しえないものと考えられてきましたし、霊言集のなかでもそのような見解がずいぶん出ています。日本神道系の考え方と、リンカーンの考え方でではかなり違いがあります。【※この部分は2025年時点において非常に注目すべき点です】
どちらがほんとうによいのかということになると、デモクラシーがやはりいいという考え方があれば、一方においてはそれは最悪を防ぐ制度でしかなく、最高のものではない、徳治主義こそ最高だという考え方もあるのです。しかし、徳治主義は腐敗しやすく、一代限りになって、後が続かないことも往々にしてあります。
このあたりをどのように調整するかという論点から判断すると、ある程度のコンペティション(競争)をしながら、そのなかからもっとも真理にのっとり、神の子に近い主張を持って活動をしているところを選ぶという方法を採用するようにすれば、一番真理にかなうわけです。
したがって、このような方法を活かすとすれば、下剤の選挙制度の方法である得票のあり方を多少変えていく必要があると思います。たとえば単なる得票の数ではなくて、幸福の科学も目指している。地上ユートピア建設へどの程度貢献しているかということを、選挙や国民投票あるいは間接選挙などの方法で競わせたならばどうでしょうか。その政党がどれほど真理に近いか、どれほど活動において、菩薩行としての社会に対する実績があるかということを、得点化して競わせるならば、ひじょうに理想の政治に近づくということです。このように、いろいろと過去に学ぶことによっても、知恵は湧いてくるのです。
10 ムー文明の興隆
①レムリヤからムー大陸へ
このレムリヤの最期は、二万七千年ほどでありますが、あっという間でした。暑い暑い夏の日の午後、人びとが音楽に酔いしれているときに突如、大陸が陥没していったのです。まず、大陸の東端から沈んでいって、午後四時ごろには半分ほどになりました。そして翌朝の七時には、大陸は見る影もなく、そこには朝日がきらきらと青い海原を照らしているだけでした。
レムリヤ大陸に住んでいた二百五十万人くらいの人も、全員海の底へ沈んでいったのです。ただ、このときも植民地があって、そこだけが残っていました。この植民地の名がモア大陸、のちにムー大陸と呼ばれる大陸です。現在のインドネシアのあたりにあったのですが、オーストラリアの約二倍ほどの面積がありました。
レムリヤの人びとは帆船で大軍団を組んで、二万八千年くらい前から、この大陸の諸都市を植民地化し始めていました。そして、一部を奴隷化して、レムリヤにつれてきて奴隷階級をつくりました。そして、生活に必要な仕事を奴隷にやらせ、自分たちは、当時もっとも神に近いと思われていた音楽、芸術に酔いしれていて、生産的なことにはいっさいたずさわりませんでした。
この非生産的な傾向が、だんだん狂いを生じさせる原因となって、レムリヤの人びとは驕り、酔いしれるようになり、次第に神の心から離れていきました。そして、その悪想念が巨大化し、それに対する反作用が起きて、大陸の陥没という最悪の事態になっていったのです。
②光の文明
さて、ムーでも二万年くらいまえから、大きな文明の盛り上がりがありました。このときにゾロアスターの前身があらわれて、その名をエスカレントといいました。このエスカレントという名前は、現在の英語のエクセレントの語源となった言葉で、「すばらしい」という意味を持っています。
そして、この大聖エスカレントは太陽の科学エネルギーをひじょうに重要視しました。そして光を、まず第一としては、「聖なるもの」、すなわち、神の栄光を表わすものとして位置づけました。第二は「有用なるもの」、すなわち、神の栄光を表わすものとして位置づけました。第二には「有用なるもの」としての位置づけをしました。
最初の、光は聖なるものということから、太陽や月の光に対して、両手をあわせておじぎをするという、そのようなしきたりが生まれしまた。これは東洋の礼儀の源流になっています。ですから、二万年ぐらい前に東洋の礼儀作法の源流があるのです。
【※これに対してその後の霊査で、約三万年まえにエル・カンターレ本体意識に近いとされる「天御祖神」がアンドロメダ銀河のマザー星から、約二十万人の船団を引き連れて、日本の富士山付近に降臨して、礼儀作法など東洋の源流となる教えが説かれたと教えていただいています】
第二は光のパワーを科学的に利用する方法が研究されていました。エスカレントは、クートフーミー、後にアルキメデスやニュートンと呼ばれる人の指導や、またエンリル(※)の科学的指導を受けて、光のパワーの増幅ということを中心に注力していたわけです。
ここで、この太陽の光エネルギーを使った発電装置についての説明をしてみましょう。都市の中心部には、一辺が三十メートルくらいの正三角形でできたピラミッドがあって、銀色に輝いておりました。そしてそれが各町の中心にある一辺が十メートルくらいのピラミッドに放射されて、それから各家庭の屋上にある一辺の長さ一メートルの小ピラミッドにつながるという方法でした。もちろん電線は使いませんでした。
この装置は巨大なピラミッドのようなもので、銀色に光っていたのですが、これは光を浴びているからそのように銀色に見えるのであって、素材そのものの色は銀色ではなく、近寄って見るとガラスのように透明なものでできていました。
そして、そのなかに金属でできた一つの原子炉のように見えるものが入っていました。それは、透明なものでありましたが、遠くから見ると銀色に光って見えました。それが太陽エネルギーを入れる装置で、ピラミッドパワーとよく言われています。私もくわしくは分からないのですが、どうやらピラミッドの形には、非常に特殊な意味があるようで、光を蓄えたり増幅したりする力があるらしいのです。
この太陽エネルギーの巨大増幅装置をつくって、太陽光線を集めると、その内部にどうやらこの光エネルギーを溜めることができたようです。そして、そのなかからアンテナのようなものを通して、小さなピラミッドにそのエネルギーを放射する装置があったのです。
このような装置によって、現在のような電信柱や電線というものがなくてもエネルギーの転送ができたわけです。その代わりこの中心部のピラミッドは、小高い所にできていたことが多かったようです。それより高い建物を建てるとやはり邪魔になりますので、小高い所に建てて、次から次へと太陽エネルギーを放射していったのです。これは、ちょうど、昔はのろしを上げて次々に合図を送っていったりするのと同じような考えの方法でエネルギーを送っていきました。このピラミッドパワーは、アトランティスにも引き継がれています。
③ラ・ムーの宗教政治
さてラ・ムーの時代です。一九八八年の十月の講演会「反省の原理」のなかにもラ・ムーの反省法の話を少しさせていただきました。本書では、ラ・ムーの教えの中心として、第一に、太陽のごときものを神と考えるという考え、そして第二に、人間は神の子であるから太陽のごとく光を放ちながら、愛と慈悲に生きなければならない。第三番目に、すべてのムー人は向上を人生の目標としなければならない、ということをあげておきたいと思います。
この三番目の教えにある向上とは武芸、学業だけに適用されるのではなくて、いかに霊性を高めるかというところがポイントだということで、これは、釈迦の教えの源流にひじょうに近い考え方です。何度も言っておりますが、ラ・ムーの考え方と生涯そのものについては、やがてまた書に表わしたいと思っています。
この時代も政治と宗教の一致がだいぶ問われていて、政治をする人はやはり神近き人でなければなりませんでした。その意味でいつの時代でも大宗教家は政治家にならなければ、話が合わないということです。ところが、現在は政治もだいぶ技術的な部分、専門的な部分が増えてまいりまして、かなり難しくなってきたことは事実です。
ですから官僚組織のようなもので、専門的な部分をしっかりさせて、政治家は大きな判断のほうを主としてやっていくようにすればよいのではないかと思います。大宗教家が政治家になる時代が、やがて日本にもやってきます。それは幸福の科学の裾野から必ず出できます。今後何十年か、かかりますが、必ず国教をになう大人物がとうじょうしてきます。
このようにしてある意味での祭政一致、つまり地上において国のトップに立つ人が真理を悟っていることは大事なことなのです。それを知っていて施政方針や本年度の方針などの話をされればよいのです。真理を悟ってくださればこんなによいことはありません。新聞にも全部載りますし、テレビにも出ます。ラ・ムーの時代のように、真理を悟った人が国民の前で真理を話す、やはり、これを目指さないという手はないのです。
政教分離などと言っておりますが、そのような自烏口は四十数年前のアメリカ人と日本人の憲法学者が話して決めただけのことですから、必ずしも真理とは言えないのです。浅い知恵で見れば、宗教と政治が一緒になればおかしくなると考えることができます。そして、そのような例が過去にあったとこともあります。しかし、それは間違った宗教で、間違った行き方をしたからであって、正しい時代には、真理と政治が一致していた時期が確かにあったのです。間違ったところばかりをとらえていたのでは、性悪説になってしまいます。
この政教分離の考え方のなかに、宗教をいかがわしいものと思っている考え方が明らかにあります。それが、戦後の宗教の地位低下を確かに招いています。今の日本では制度的に宗教が存在悪ととらえているのです。やはり、これは何とかしなければいけない問題であると考えます。その意味でも、近い将来に、閣僚を組織するためには、最低十人は幸福の科学の会員ではなければならないと明文化されるくらいの価値のある団体にしたいと考えています。
ラ・ムーによって、その最盛期を迎えた、ムー文明もレムリヤの最期と同じように今から一万五千三百年前の大陸の沈下によって滅びてしまいしました。
【大川隆法『太陽のメッセージ』part2 第2章「真理文明の流転と黄金の時代」より抜粋】
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ここからは、経典『地獄の法』より、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道ついて主より教えていただきます。経典をお持ちでない方は、この機会に是非ご拝受ください。【税込2200円】
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■第5章「救世主からのメッセージ」
〇人間性を取り戻す「精神的な戦い」を始めよ
・現代において世界各地に「エル・カンターレ信仰」を打ち立てる
私からのメッセージは、まず、「人間性の回復」ということになります。「人間が本来持つべき使命、それを取り戻すことが大事である」ということです。
人間には、信仰する本能があります。小さなアリのような動物がどうであるかは別にして、人間が人間であるゆえんは、やはり「神仏の存在というものを信仰する本能がある」ということであり、それが魂の前提なのです。
というのも、「この世に生きている人たちの魂も、もう一段大きい魂の片割れであり、そのもう一段大きい魂もまた、もっと大きな魂のかたわれであり・・・」というかたちで、だんだんに分光してきているものだからです。
もともと、人間のなかに宿る光は、神仏の魂の光の欠片(けっぺん)です。「かけら」です。ですから、それを単なる塵芥と同じにしてはならないというのは、当然の義務であるわけです。
だから、今こそ、「精神的な戦い」を始めなくてはならないと思います。
特に、これから戦争を始める国たちにとっては、自分たちが、自分たちの国の指導者の言うとおりに動いていると思っているのかもしれないけれども、自分たちの国の指導者もまた、宇宙から来ている暗黒の使者たちにあやつられているということを知らねばなりません。
霊的には、「憑依」というかたちもありますし、「インスピレーションを与える」というかたちもありますし、もう一つは、「宇宙船のなかにあって、地上の肉体にウォーク・インする」というかたちで入ってくるスタイルもあります。そういうふうに、今、支配を受け始めている者たちが増えてきているというふうに思います。
そのための「最終決戦の日」は近づきつつあるよう思いますが、残念ながら、光の勢力はまだまだ弱すぎて、悪の勢力がいつのまにか地下茎のように地面の下で広がっていることに対して、とても残念な気持ちでいっぱいです。
「神は死んだ」と言ったニーチェの本なども初版四十部とか百部とかを自費出版したレベルであったのに、いつの間にか、ますこみもその「拡散の道具」に使われて、あるいは教育も使われて、世界中にいろいろなかたちで浸透してきております。哲学も科学も「神は死んだ」ということを前提にしてつくられていくならば、あらゆる学問体系も同じようになっていきます。
こういう地上になり、もはや思想戦でひっくり返すことが出来なかったら、人類の絶滅もありえるということです。
それはかつてのアトランティスやムーやレムリア(ラムディア)で起きたことと同じことですが、最終的にそこまで行くこともあるということです。わずか一万年余り前にそういうことも起きましたので、今も起きないわけではないということです。
その日は突然やって来ます。突然にやって来て、人間たちに準備させないことになるだろうと思います。だから、みなさまがたに言いたいことは、「力を尽くして、今、生きている寿命のなかで、やれるだけのことをやっていただきたい」ということです。
では、何をやっていただきたいのかということを明確に言うとしましょう。
それを明確化するとするならば、今、現代においては、「エル・カンターレ信仰」というものをキチッと立ててもらいたいと思います。それは、日本だけでなく世界各地にキチッとエル・カンターレ信仰を立てるということです。
「このエル・カンターレと今呼ばれているものが、かつて地球の造物主だったアルファであり、この地上に善悪を立てたエローヒムであるということ、そして、今、地球の最終危機と戦おうとしている存在であるということ」を信じることです。これを立てていただきたい。
〇「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践せよ
そうした信仰心を持って生きていくことを、大きな意味において「正しき心の探求」といいます。
そして、その「正しき心の探求」の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています。
●愛―「奪う愛」から「与える愛」へのパラダイムシフトを
まずは「愛」の教えですが、この考え方がほとんどの場合、誤解されています。「愛とは他人(ひと)から奪うもの、もらうもの」とばかり考えている人が増えています。
この考え方は共産主義のなかにも蔓延しております。共産主義の場合は、経済的な意味が多く、「持てる者から収奪して、持てないものがそれを奪う」というかたちですけれども、考え方に誤りがあると思います。
人がこの世に生まれるのは、やはり、その人の努力や実績というものを通して魂的に向上させることが目的ですから、いわゆる「働かずして、人が汗水垂らして手に入れたものを奪い取る」「システム的に奪い取る」ということは良いことではありませんし、本人たちを堕落させることにもなりかねません。
もう一つは、自由主義社会といわれるなかにある「社会福祉主義」です。これらも、一定の人類の知恵として社会福祉思想があること自体まで否定しているわけではありませんが、結果的には共産主義の代わりになって不平不満を吸収するためだけに、そういうふうになっているともあります。
ですから、これは、神仏の力を使わずしても、この世において、国家が財政破綻し、国が崩壊していくきっかけにもなっていると思います。
この日本という国においても、国民が納める税金の二倍の金を政府が使い続けているという状態です。これが何を意味するかということですが、「いずれかの時点で、国家が破綻する」ということを意味しています。これは、アメリカにおいてもEUの大部分の国においてもそうだし、アジアやアフリカの貧しい国においてもすでに起きていることです。
結論は、「足るを知る」ということで、自分の働きに見合った生活をすることを考えていかねばならないということです。
愛を、「奪う愛」から「与える愛」へとパラダイムシフトしていくことが大事であることだし、この「与える愛」こそ、神仏が人類を生かしめてきた力なのだということなのです。あの太陽の光のように、あまねく光を降り注ぐ、その一翼を担うということが、人類の行ずべき「愛」という言葉の意味になります。
【大川隆法『地獄の法』第5章「救世主からのメッセージ」より抜粋】
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続きまして、経典『メシアの法』より、救世主の思いを学び深めます。
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〇人類よ、信仰心を持て、神の言葉を聞け
・世界には、宗教によって考え方が違うものもあるし、法律制度によって違うものもあるし、いろいろと、まとめるのは難しいのです。ただ、そのダイバーシティというか、多様性自体をある程度受け入れていくのが「地球の歴史」だったので、受け入れてはいきたいと思いますけれども、どうか、「私から発信している価値判断が、考えるもとになるのだ」ということを世界の人たちに伝えていっていただきたいと思うのです。(p56)
・最初の人類創成のときに男女を分けました。これは「地球の方針」なのです。これについて、人間の世界で「生物学的、医学的に変えられる」という技術で、考え方を変えている人もいるけれども、「魂の側から見て、それは正しい選択なのかどうか」という判断はもう一つ要ると思っています。
ですから、人権もだいじだけれども、これがリベラルに行き過ぎると、また悪魔の手に堕ちてしまうこともあるというふうに思っています。
まず、信仰心を持ってください。
神の言葉を聞いてください。
長い「人類の叡智」を無視しないでください。
そのなかで科学や物質的な繁栄もあってもよいと思いますが、
この世は人間の最終的な住処ではありません。
あくまでも魂のトレーニングの場所です。
それを忘れずに、どうか、多様な価値観のなかで正しいものを選びとっていく―そういう智慧を磨く修行の場として、この地上を長く浸かっていけるように維持することも、私の仕事だと思います。(p59)
どうかみなさん、ああしたコロナ等の病気の問題も、
ある種の唯物論であることは事実であるので、
それに負け切らないで、
「やはり、精神的に強くならなければいけないことがある」ということを、
伝えてください。
本当にお願いします。
地球人類が、今、八十億人近い人口になろうとしているなかで、
半分以上の人たち、過半数が、間違った思想を持ち、
要するに、信仰を持たない世界を創ろうとしているなら、
これに対する反作用が始まりますので、
「その前に人類の考え方を変えていきたい」と思っています。
私は、それが「救世主の仕事」だと考えています。
今回は仕事が重い。
世界の国の数がかなり多く、広いのです。
また、こんなウィルスがたくさんはやっている時代は、
自由に動けない時代です。
しかし、どんなことがあっても、
思想は、そのなかを貫いて広がっていくべきだと思っています。
どうか、信仰心を中心に、
「人生」と、それから「自分たちの仕事」を組み立てていってください。
そして人間としての正しい生き方を一人でも多くの人に伝えてください。(p62)
【大川隆法『メシアの法』第一章「エローヒムの本心」より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学の十大原理(上)』の第一章「幸福の原理」より、学び深めます。
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〇幸福の原理とは
・「この世とあの世を貫く幸福」の出発点となる「正しき心の探求」
幸福の科学はでは、「幸福の原理」というものを考えているわけですが、この幸福の原理には幾つもの道筋があります。それは数限りなくありますけれども、私たちが考えている幸福というのは、「この世とあの世を貫く幸福」であるわけです。私たちは、「この世のみで幸福で、あの世に行ったら不幸のどん底」というような幸福ではなく、「過去・現在・未来を貫いて通用するような幸福の原理」を探求しているのです。
この幸福の原理の出発点は、先ほども述べたように、「自らの正しき心を探求する」という姿勢であります。これが出発点です。
では、この「正しき心」とは何でしょうか。私が言っている「正しい心」というのは、みなさんの心のなかにある「如来」の部分を探求しようではないかといっているのです。
みなさんは、段階知で物事を考えるかもしれません。「如来は菩薩より偉い。菩薩は光明界の霊人より偉い」と思っているかもしれませんが、差別知だけでものを考えてはならないのです。
ダイヤモンドが違うのではなく、人間はみな、おなじダイヤモンドなのです。みなさん、同じダイヤモンドであるのです。ただ、転生輪廻の過程において、そのダイヤモンドの光り方が違うのです。磨き方が違うのです。
光の指導霊というのは、結局、そのダイヤモンドの原石を、自らの努力でもって磨いた人のことを言うのです。磨いていないから光を放っていないだけで、光ればみな同じなのです。
ただし、その光る過程においては、一跳躍入如来地(いちちょうやくにゅうにょらいじ)とはいかないということを言っているのです。いきなり、ピカピカのダイヤモンドにはならないのです。やはり、その間には、努力・精進というものが必要なのです。
それが自らの「正しき心の探求」であり、生命の実相に辿り着くまでの自らの修業であるわけです。この過程を経て、そうした日々を送って、次なる段階が来るわけです。これが、幸福を求める段階です。
①第一の原理「愛」―与える愛から始める
「幸福の原理」の第一は、「愛」であります。しかし、この愛というのは、「あなたに愛してほしい」というような愛ではないのです。私が書いているように、幸福の科学で言っている愛とは、「与える愛」なのです。与える愛とは何でしょうか。お金をあげることですか。そうではありません。
与える愛の本質というのはいったい何かというと、まず、そこに「自他一体の悟り」があるのです。「人間は、同じ神から分かれてきた神仏の子である」という悟りがあるのです。「彼とわれとは別の個性を持っているように見えても、その本質は一体である」という悟りが、愛の基なのです。
「他人と自分とは違う」と思っているからこそ、いろいろな摩擦があり、軋轢があるのです。「自他は一体であり、共に神仏の子である」ということ、「唯一の神から分かれている」ということを知ったときに、人間は愛さざるをえないのです。
その愛とは何でしょうか。他人をよく思うことです。「他人を育みたい」と思うことです。「無私の愛」です。「無償の愛」です。「見返りを求めない愛」であります。それは、結局、自分と他人が同一のものだからです。自分を愛するがごとく他人も愛さなければならないのです。
「自分を愛する」ということは、教えられなくとも、みな、ある程度はできるのです。ただ、「他人を愛する」ということは、肉体を持てば、悲しいことに忘れてしまうのです。ですから、これを説く必要があるのです。
この与える愛というのは何でしょうか。これは、「慈悲」のことを言っているのです。「愛を説いているから、幸福の科学はキリスト教か」というと、そうではないのです。与える愛の本質は慈悲であり、これは、釈尊の教えの根本なのです。現代的に言うならば、釈迦は「与える愛から始めない」と教えたのです。これが慈悲であり、幸福の原理の第一です。
【大川隆法『幸福の科学の十大原理(上)』の第一章「幸福の原理」より抜粋】
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本日から、教典『地獄の法』第五章「救世主からのメッセージ」を学んでまいります。
救世主のメッセージとして、初めに私たち仏弟子に、人間性を取り戻す「精神的な戦い」を始めてくださいと伝えたうえで、このように説いてくださいました。
『それを明確化するとするならば、今、現代においては、「エル・カンターレ信仰」というものをキチッと立ててもらいたいと思います。それは、日本だけでなく世界各地にキチッとエル・カンターレ信仰を立てるということです。
「このエル・カンターレと今呼ばれているものが、かつて地球の造物主だったアルファであり、この地上に善悪を立てたエローヒムであるということ、そして、今、地球の最終危機と戦おうとしている存在であるということ」を信じることです。これを立てていただきたい』
救世主からのメッセージのはじまりは、人間性を取り戻す「精神的な戦い」を始めるに当たり、エル・カンターレ信仰をキチッと国内、全世界で打ち立てることを求めるものでした。それは主の光を全世界に広げるということではないかと思います。
主の光を広げる伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることです。これは大切な点です。
そして、エル・カンターレという根本仏である神の名を伝えることが今とても大切です。
経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探求』といいます。そして、その『正しき心の探求』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。
そして、経典『「正しき心探求」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。
主は、「現代的四正道」を説いています。この「愛・知・反省・発展」の四つの考え方をまとめて、「正しき心の探究」と呼んでいます。正しき心の探求とは、「愛・知・反省・発展」の探究なのです。だから、伝道において四正道をしっかりお伝えすることがとても大事なことであることが分かります。
本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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(12/23-1)【基礎教学通信】357『太陽の法』を読む90「太陽のメッセージ2」真理文明の流転と黄金の時代4―『悪魔の嫌うこと』怨霊を発生させず、救っていくためには―『地獄の法』救世主からのメッセージ①―人間性を取り戻す「精神的な戦い」を始めよ
『太陽の法』
