96 あらゆる不幸と、あらゆる苦しみ、悲しみの中で、闇夜の一灯であり続けよ。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、降魔成道記念日を迎えて、あらためて「悪魔」とは何かを、主の御教えから振り返ってまいります。本日は経典『悪魔の嫌うこと』より降魔についての学びを振り返ります。経典をお持ちでない方は、この機会に是非ご拝受ください。【税抜き1600円】
―本書には、エル・カンターレの説く、悪魔の嫌う三箇条が明らかにされている。精読の上、くり返しお読み頂きたい。その価値は無限で、国民全員に、そして、全世界の人々に読んでほしいと痛切に願っている。
大救世主降臨を知らずして、今、知るべきことはない。求めよ、さらば与えられん。真実の智慧を体得するがよい―「まえがき」より
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■『悪魔の嫌うこと』第2章「怨霊の発生」
3 怨霊の発生原因
〇お墓や法事には、死者にとって一定の意義がある
お盆にちなむ話を少ししてみました。
生前、あの世の存在を信じていない人もいるわけですが、そういう人は、死んでからあと、あの世があって困り、どうしたらいいかわからなくて迷うことになります。その場合、だいたい子孫のところに来るしかないので、お盆や先祖供養、法事などもバカにしたものではないと思います。
ただ、本来は、お経に功徳があって、お経をあげる導師に法力のあることが必要で、そうでなければ、地獄に堕ちているものを救えないのですが、形式的にやっていることが多いのです。
それでも、親族が集まり、遺影を掲げて法事をしていると、霊のほうでは、「自分は死んだらしい」ということが何となくわかりますので、そういう意味では、まだ意義はあると思います。
今、老後の資金がだいぶなくなってきて、年金に不安が起きているので、法事や葬式、戒名などをどんどん省略していこうとする傾向があります。
そして、自然葬、樹木葬などと言って樹の周りに遺骨を埋めたり、海に遺灰を撒(ま)いたりして、お墓を残さない場合もあります。お墓をつくるためにはお墓代が要るので、「お墓」と「法事」の分のコストカットをして済ますこともあるのです。
しかし、死後、実際に迷っている方もいるわけであり、そうした方にとっては、自分の位牌(いはい)もなければ、お墓も法事もないとなると、なかなか大変でしょう。
現代では、唯物論のほうに傾いている人が、ざっくり言って五割、もっとて言えば七割近く入ると思うので、そうした人たちは、実は困っているのではないかと思います。
また、手抜きをし、複数の人の遺骨を集めて、まとめて供養する場合もありますが、個別に届いているかどうかはわからない面もあります。
やはり、マンツーマンというか、個人としてアイデンティファイ(識別)するというか、「その人のための供養」ということを意識しないと、供養する相手に伝わらないものはあるのです。
いちばん効果があるのは、「幸福の科学の経文」で供養してあげることです。これは現代語で書かれていて分かりやすいですし、言葉に言魂があるので、供養できるのです。そういうことは実際にありました。
〇あの世を信じていない人では怨霊等は祓(はら)えない
学校で勉強がいくらで来ても、例えば、高校時代に「ものすごく優秀だ」と言われたり、大学で「優秀だ」と言われたりしても、「死んだあと、どうなるのか」ということについては、知らないものは知らないのです。
センター試験で何点を取ろうが、大学で「優」を何個揃えようが、まったく、かすりもしません。「出題範囲」に入っていないのです。もちろん、司法試験の出題範囲にもなれば、医師の国家試験の出題範囲にもありません。授業もなければ、試験もないのです。
そのため、そうしたことを知らずに、かなり唯物論的にやっているはずです。
しかし、本当は、死んでからあとのほうが大事というか、肉体に宿っている数十年の時間は「仮のもの」であり、肉体に宿っていない「魂の時間」のほうが長いのです。
この世に生まれ変わる前は、霊的には、いちおう完全なままですが、肉体に宿って何十年か生きている間に、この世の諸事に紛れて霊的な自覚を失っていきます。そして、あの世へ還ったときに、その感覚が抜けきらなくて迷います。
迷ったら、誰かに助けてもらいたくなり、自殺の名所や自宅などの「場所」に縁のある人、あるいは家族や親族、友人のところ、会社、こういったところへ、「何とか助けてくれ」と言いに来るわけです。
ところが、この世の人には霊の声が聞こえないので、その人を供養することができないのが現実です。
さらに、今の人は昔の人に比べて霊的な感性がひじょうに落ちているので、感度が悪く、霊的なものが分かりません。
また、お坊さん等も、唯物論の影響をそうとう受けています。ほぼ唯物論思想を教わっている人が多く、”古文・漢文のお経”をただ読んでいるだけで、実際には、祓えないことがあるのです。
これは非常に残念なことです。昔に比べて、あの世を信じていない人が多いため、祟(たた)ってくる怨霊等を退散させることが、昔より難しくなっているのです。
昔は、みなが、「人間には魂が宿っていて、死んだら幽霊になり、天国か地獄のどちらかに行く」ということを知っていました。そのため、周りの様子を見て、自分の具合の悪さを見れば、いちおう亡くなった人自身が、「これは迷っているな」ということが分かるので、「成仏したい」と思って、お盆や法事などに来て、偉いお坊さんの話を聴いたりしていたのです。
しかし、今は、お坊さんも亡くなった人も、あの世を信じていない者同士になっているので、”意味不明の状態”になっていることがあり、かえって難しい状態にはなっています。
〇怨霊が発生する原因とは
釈尊が説いている仏教の教えを読んでみると、若いころに読んだときよりも、それから数十年たって、もう少し年齢・経験を経た今のほうが、「釈尊はよく知っていたのだな」ということが本当に分かります。
怨霊は、悪霊(あくれい)や悪霊(あくりょう)といっても構わないのですが、「怨霊」と呼ばれる以上、祟りをなす度合いがやや強くなるわけです。こういう者たちを調伏するには、やはり、その原因を探究しなければいけません。
では、その原因とは何でしょうか。
「肉体を持って生きているときの自分が、本当の自分なのだ」と思っている人は、肉体が焼かれて亡くなっている状態になると、「自分は何か不思議な世界に入っているようで、どうしていいかわからない」とか、「何でもいいから助けてくれ」という感じになることが数多くあります。それため、通りすがりの人に取り憑くこともあるのですが、それは川で溺れているようなものだと思ったらよいでしょう。
川で溺れている人がいたら、手を差し伸べて救いたいけれども、向こうの引っ張り方がすごかったら、こちらも舟ごと引っ繰り返って自分も落ちてしまいます。それと同じ状況が、現実に起きているということです。
または、迷っていることを知らせようとして、この世的にいろいろな不幸が起きたりすることもあります。家族が次々と病気をしたり、何代か続いて同じ死に方をする人が出てきたりするようなこともあるわけです。
よく自殺者が出る家の家系だと、三代も連続して同じような自殺をすることがあります。あるいは、火事で同じように死ぬとか、同じ病気になって死ぬといったことが繰り返し起きますが、医学的には、同じ病気で死ぬような場合は、あそらく、「DNAの問題だ」と言うのだろうと思います。
しかし、霊的に見ると、やはり、先に病気で亡くなった人に取り憑かれた場合に、同じ症状が出始めるのです。ガンで亡くなった人が取り憑くと、ガン細胞ができてきて、ガンと同じ症状が出てきます。それは、それ以外の病気でも同じです。長く憑依されていると、病巣ができてき始めるのです。「思い」が肉体に変化を起こし始めるので、それを取り除かなければいけなくなるのですが、今、それができる人は、かなり少なくなっています。
あの世を知らないことで、この世が楽しくて、よいこともあるのですが、不慮の事故や犯罪などで死んだ場合、あるいは、自分が思ってもみない早い時期に子供などを残して死んでしまった場合や、夫婦の片方を残して死んでしまった場合などには、知らないことにより、「よすが」がないので、どうしても迷って来てしまうところがあります。
そういう人に説教をして成仏させられるところが、今はほとんどないということです。
【大川隆法『悪魔の嫌うこと』第2章「怨霊の発生」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
今日も経典『太陽のメッセージ』を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。本書は1998年の年末に『太陽の法』の講義としていただいたものです。【現在は絶版となっています】
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■『太陽のメッセージ』Part2
第2章「真理文明の流転と黄金の時代」
5 ミュートラム文明と食文化
ここで特に発達した文明は、食生活の文明です。このあたりにきますと思いあたる人がそうとういらっしゃると思います。食物をどのように組み合わせて食べることが人間性にとって役立つかという、食生活と人間の精神生活との関連性が、徹底的に追及されていました。どういう食物を食べると人間の気質が穏やかになるか、あるいは、どういう精肉をたべると筋肉に瞬発力が憑くか、乳製品を一日に何回、どのくらい食べれば長寿が得られるか、脳細胞の活性化に役立つかということが熱心に研究されていたわけです。
たとえば、当時もビールに似た泡立ったアルコール分のある飲み物があり、それを飲むと気質がひじょうに穏やかになるということも研究されていました。アルコールにも種類によっていろいろな効用があって、ビールに近いようなものは、人間の性格を穏やかにさせていくけれども、その当時にあったブランデーに近いような飲み物は、人間を多少狂わせたりするような力があるとか、あるいは当時の、ワインに近いような飲み物は、高級な精神生活に向いているなど、このようなことをずいぶん研究していたようです。
食物でも乳製品が当時、流行っていて、農業国であったのですが、酪農に近いものが行われていて乳製品をいろいろと研究していました。現在ではミルクとして飲むか、チーズあるいはバターというように、乳製品はこの程度の種類しかないと思いますが、この時代にはもっと研究されていて、何百種類もの乳製品がありました。私たちは、まだそれほど研究心がなくて、チーズかバターくらいでよいと思っていますが、当時はひじょうに研究がなされていたわけです。
この乳製品についても、やはりどういうミルクでつくるかということが、ずいぶん課題とされていました。この当時の牛は現在よりも少し小さめでしたが、育て方、飼料の与え方などでどういうミルクを出すか、ということが熱心に追及されていました。それと牛以外のほかの動物のミルクも、ずいぶん消費されていました。
①パノアのミルク
狼に似た動物のミルクも一生懸命採取していました。その動物は狂暴で家畜にならない種類のものであったのですが、そのミルクは、ひじょうにおいしかったのです。山に棲んでいて、歯がすごい動物でした。ですから、これから乳を搾るということはなかなかの大仕事で、これをどうつかまえて乳を搾り、またそれをもとの野生の状態にどうやって戻すかということが問題でした。山に、ある程度の囲いをつくって、勇士が山に登っていき、バケツを持って絞りに行くわけです。
それはとても大変な作業で、そのための訓練も施されていまして、その狼牛からミルクを絞るために筋肉トレーニングも行われていて、格闘技の前進にあたるようなものが、そうとう開発されていました。その動物を抑え込んでいかに噛まれずに乳を絞って帰られるかという方法が工夫されていました。これは、投げ縄をつかうカウボーイのやり方に近い方法でした。武器としては縄に近いもので、長さが一メートルぐらいの仕込み棒で、中が空洞になっていて棒の先から輪がついた縄が飛び出すような仕掛けになっていたものです。飛び出す縄全体の長さは、だいたい四メートルですから、それぐらいまでは近づかなくてはならないのです。ですから、柵をつくって、音楽隊のように太鼓をたたいたりして、追い込みをするのです。その・
・のなかに狼牛を追い込んで、仕込み棒を使い投げ縄を飛ばして狼牛の首にかけます。
この投げ縄は、仕込み棒に憑いているボタンを押すことにより狼牛の首を絞めるようになっています。クビが締まって「フーフー」いっている狼牛にまたがって、もう一つの伸縮性のあるバンドのような武器をだして、それを口にかけます。ゴムのようになっていますから、「キュー」と口を縮めてしまいます。そしてそのときにもう一人が出てきてこの狼牛からミルクを絞るのです。
この狼牛のミルクはひじょうに高価で、飲めば長生きするといわれていたのです。当時、研究はいろいろありましたが、とくに、長生きの秘訣、不老長寿の薬がそうとう研究されていて、不老不死の薬が、三種類あるといわれていたのです。その一つが蜂蜜のたぐいです。現在の蜂蜜のたぐいのなかに不老長寿のエキスがあるといわれていました。
もうひとつは、この狼牛の乳に長生きする素がはいっているという研究報告がありました。なぜそう思われたのかといいますと、この狼牛はひじょうに精力的な動物であって、そのうえ動物のなかでも長寿であり、また繁殖力がたいへん強く、ものすごく生命力が旺盛であったので、それにあやかろうという考え方があったわけなのです。この狼牛の名前は、「パノア」と呼ばれていました。
このパノアのミルクは、このような危険を冒して手に入れるものですから、現在の経済原理からいっても、これがどれだけ効果になるかということがわかります。このミルクは現在でいえば、ワニ革くらいの値打ちがある貴重品でした。ですから、だいたい王侯貴族の経済力がないと、飲めないものでした。
それゆえ、一般の人は、経済力をつけて早くパノアのミルクが飲めるようになりたいとか、ある島でとれるあの蜂蜜が飲めるようになりたい、そしてもう一つの不老長寿の薬としてクロレアの祖先にあたるものを手に入れたい、という思いが強くありました。このように長寿の研究が進んでいたので、その結果、この時代にはけっこう長寿のものが多かったようです。
②食物と人間の精神
魚の研究もずいぶんされていました。魚の料理方法なども、現在よりかなり進んでおりましたし、それぞれの魚の味に対する好みも厳しかったのです。どういう香辛料と合わせるといちばんおいしいかということが、徹底的に探究されていました。今の西洋人はそれほどではありませんが、ギリシャなどでは現在でも魚料理の研究が盛んなようです。
この時代に高級魚とされていた魚は、鯛ではなく、イトヨリの親戚のような魚でした。それはなぜかといいますと、いろいろな分析の結果、つまりエネルギー量換算や、健康度、成分の分析、おいしさの分析というようなものからいくと総合的に一番であったためです。鯨に近いものもいましたが、大きな生物であったので、海の神というように呼ばれ恐れられていました。クジラを見た場合には、漁師は逃げていました。鯨は食用ではありませんでしたが、鯨は食べていました。ふかひれスープに近いものの研究は進んでいて調理法もいろいろありました。
そして、食生活部門ごとに長寿博士あるいは耐久力博士や、記憶力増強博士など、いろいろな博士部門がありました。ようするに、食品と精神のかかわりを徹底的に追及していたわけです。考えてみますと、あるいはそういうものかなという気もいたします。
もしみなさんが、子供のころから、人間の基礎は食品であって、これがないと人間は死んでしまうし、食べ物によって人間の発揮する能力、あるいは精神状態が左右されるのだから、食物と精神のかかわりを研究していくことが最先端の学問であり、一番の叡智者、智慧あるものが行う仕事である、と言われていたならば、ある程度説得されるのではないでしょうか。たしかに、食品は万人必要なものであるし、それでどのようなものを食べればどうなるのか、気質が穏やかになるのか、乱暴になるのか、崇高な精神になるのか、ということはだいじな問題だということです。
ですから、その当時一生懸命研究した人が、今世生まれ変わってきますと、だいたい食品の研究家や美容食研究家などというようになるわけです。食物と運命の研究家のようになって出てくるのは、だいたいこのころにやっていた博士たちがやはり出ているのです。このように、ミュートラム文明は食生活と人間の気質についての膨大な研究を残しました。
このころの研究と比べますと、やはり現代食生活の研究は、数段遅れています。また料理法などもあまり進歩しているとは言えません。ここ数千年かでみれば進歩しておりますが、人類の長い歴史、何億年の歴史からみれば料理法は決して進歩はしていません。いまでは信じられないような料理が過去にはたくさんありました。そのときに活躍した人が今、生まれていて、時どきパーニャパラミタ(※般若の智慧)を出して過去世の料理法を思い出したりしてつくるのです。
③エミューラの改革
ただこのときに、ひとつの唯物思想のはしりが出てきました。食生活に関心が移ったために、未来の使命である魂の研究、修行がおろそかにされてきたということです。このミュートラムの最盛期は十六万年前くらいになりますが、モーゼとのちに言われた人、当時の名前はエミューラという名前でありましたが、このエミューラ大師が地上に出たときに、「食生活から心の生活へ」というスローガンのもとに精神革命を起こそうとしました。
しかし、これは失敗したようです。それほど深く食生活を研究し食を愛していった人たち、いわばグルメの大群のような人たちに真っ向から「食物じゃないです。人間は心です。」と言ったところで通用するかどうかです。実際には異端視され、大変な苦労をし、迫害を受けました。ただ功績としては、食生活だけではない何か別のものが、人間性に影響があるのだというイメージだけは植えつけることはできました。この図式は現代の唯物思想とたたかう宗教のはしりに近いともいえるでしょう。
6 地球意識による極移動
このミュートラムの大陸は極移動で寒帯入りをしました。極移動は、もしかすると、私たちが生きているときにも、またあるかもしれないと予言されています。なぜこの極移動があるのか、不思議と言えば不思議なことですが、結論をはっきり申しますと、これはひとつの新陳代謝なのです。地球は生き物なのです。あるところは寒帯になり、あるところは熱帯になっていて、いつも同じように身体を太陽にさらしているわけです。
たとえば今、私が日なたぼっこをして光を浴びているとします。すると日の光があたっている側は暖かいのですが、陰になっている下のほうは寒いのです。そうやっていつも同じ格好でいますと、熱いところは熱く、寒いところは寒く、ひじょうにアンバランスになってきます。そこで、どうするかといいますと、杞憂に向きを変えたくなるわけなのです。
それと同じような感じで、生命体としての地球もやはりある周期でブルブルッとくるときがあるのです。これが、どのくらいの周期で起きるかは私にもよくわかりませんが、ただ、十次元意識としての地球意識が、やはり時どき変革をしたいという気持を起こすのは確かです。そのときに、このような極移動が起こることがあるのです。自分というこの地球上でいろいろな生命が生まれているけれども、現在の状況を変えたいという気持ち、また違った環境を創ってみたいという気持が起きることがあるのです。その一つの方法が極移動なのです。極移動によって、温帯と寒帯が入れ替わったり、熱帯と寒帯が入れ替わったりします。
もう一つの方法としては大陸の浮上、沈没というやり方もあります。噴火と共に隆起してきたり、大地震で沈没したり分裂したりという地表の動きです。
このように活動して何をしているのかといいますと、地球意識も何もしないでじっとしていれば退屈するということです。彼らもやはり一つの芸術家であり、何億年かけて、いろいろな環境を創ることを意図しているのです。どのような環境を創れば地球がいちばん繫栄するか人類の進化に役立ち、繁茂している植物あるいは動物たちの進化・繁栄に役立つか、このようなことをやはり意図しているわけで、そのためにいろいろな環境を創出するのです。
いつも同じであれば停滞してしまいます。ところが温帯や寒帯が入れ替わりすることによって、植物もまた新しく違ったものが出ることができるのです。そして、いろいろと変わった植物が発生し繁茂していきます。その後に、それを食物としている動物もまた変化してきたり、いろいろなことがあるからおもしろいのです。
7 大日意識による文明光線の調整
同じように大日意識という積極性の意識は、太陽神霊の光線を引いているわけでありますが、やはりどういう光線を強くしていくかをいつも調整しています。文明が変わっていく理由は、ひとつにねこの大日意識の調整によるということです。これが光度を上げて九次元をプリズム化して調整しているわけですが、この光の強度も変えたりするのです。強弱を調整したり、あるいは光の質を変えてゆきます。そしてこの時代ではどのような光線を強くしようかということを大日意識が意図すると、その方面の光線が強くなるのです。するとそれが地上に反映されてきて文明の特徴が現われてくるのです。そしてその時代が過ぎると、また次の光線を強めていくのです。
このように十次元のなかでも大日意識は、そうした光線によって調整をかけ、地球意識では環境を芸術的に変化さることで調整をかけながら、いろいろな影響を与え歴史を創ってきています。その間で、人格を持った高級諸霊たちががんばって天国創りに励み、ユートピア創りのために活躍している、このような環境であることを知ってください。
8 魂修行のためにある時代・環境の変化
このようなことは、スケールがひじょうに大きいので私たちからはよくわかりませんが、彼らにしてみればこうした何十万年、何百万年ぐらいの間での地殻変動などであれば、意外にそう悠久のことではないという感じであると思います。そのような雄大なスケールの時代の流れのなかで私たちは手の平にのせられて魂修行をしているということを知らなければならないのです。
ですから、このようなことを単なる幸・不幸の感覚でとらえるならば、みなさんは勉強不足ということになってしまいます。このように過去においていろいろな文明が生まれ、栄え、そして滅びたということを繰り返してきたけれども、そのたびに人類はいろいろな魂学習をしてきたという事実があるのです。
この現文明においても同じようなことがあるかもしれませんが、またこれも、そのような流れのなかにあるということです。収穫逓減(ていげん)の法則というものが経済学にありますが、それと同じように一つの大陸で一つの文明が栄えて固まってくると、魂修行の値打ちがだんだんと逓減していって、生まれ変わってもそんなに魂的に学ぶことがなくなってくるのです。
そうしますとやはり、どうしても環境を変える必要が出てくるのです。そのためには何か地球自体の環境を少し変えるか、あるいは違った光線を強くしていって文明の価値観を変えるのです。光線の色が変わってくると、それにつれて、人類の価値観が変わり、新しい文明が興ってくるのです。
【大川隆法『太陽のメッセージ』part2 第2章「真理文明の流転と黄金の時代」より抜粋】
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最後に2023年に説かれました経典『真実を貫く』から未来への希望を確認致します。
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〇二〇五〇年ぐらいまでに決着はつく」と思っている
そうした設計図を引くにあたりまして、世界人口は八十億を超えたところですけれども、「西暦二〇五〇年までに―今は二〇二三年ですから、あと二十七年ぐらいです―もしかしたら四十億人ぐらいまで減る可能性もあり」ということまでいちおう考えた上で、今、世界の方向性を変えようとしております。
私が講演を始めたときには「世界五十億人」と言っていたので、三十億人も増えたわけです。松下幸之助さんの本とかを読んでいたら、「世界三十億人」と書いてあったから、彼の時はまだ三十億人でした。それからだと五十億人も増えたわけです。
この増えた人たちが、地上だけが全世界だと思って、地上の陣地取りと地上での利便性と唯物論的な繁栄だけを求めるようになったら、「転生輪廻をして魂主義用をするという神の計画と」「地球という星の持っているところの宇宙的な意味合い」としては、地球は魂の教育をする場として非常に貴重な場であるので、地球人だけの勝手にはさせないという力も働いてくると思っております。
ですから、「二〇五〇年ぐらいまでには、決着はつく」と思っております。
ただ、そのためにはもうちょっとだけ時間がかかりますので、私は、家内から尻を叩かれながら、「最低、九十歳まで現役で働いてください。できたら九十五歳まで働いてください」と言われています。九十三歳まだ働けば二〇五〇年ぐらいが来るのではないかと思うのですが、「そのあとは、存在しているだけでもいいから百歳まで頑張ってください」とか言われているのです。
もしかしたら九十代は車椅子説法とかになっている可能性があるのですが、立ってしゃべっても、座ってしゃべっても、大して変わりません。頭だけしっかりしていれば、いけます。
私が粘っていたほうがいいのではないかと思うので、できるだけ粘ります。・・・
幸福の科学としてはインディペンデント(独立した状態)でなければいけません。自分たちである程度生きていけるようにしておかないと、言いたいことが言えないので、できるだけ独立していたいと思っています。・・・
〇『地獄の法』を中心に、間違った世の中を正すべく戦い続ける
そういうことで、今年(二〇二三年)は『地獄の法』を中心にいきますが、ちょっとは世の中を変えないといけません。
地獄があるかについては、たぶん二十パーセントも支持がないでしょう。しかし、これは間違っているのです。あるものは厳然としてあるので、間違っているなら正すべきだと思います。
教科書にも書いていないし、学校の先生に訊いても多分反対するし、文部科学省にしてももう全然分かっていない状態なのです。「宗教がつくっている学校で、霊言集が出ているから、学問ではない」とか言っているのはみんな、これはもう本来なら”死刑”に当たるようなものでしょう。”死刑”にしなければいけないのでしょうけれども、現代だからできないのです。
許しがたい世の中であるので、やはり、あと三十年でも四十年でも”弾”を撃ち続けなければいけないと思っていますし、外国でも支部はできていますが、まだまだ弱いので、もっともっと強くしていく必要はあると思っています。
たとえ、新宗教を含めて、キリスト教、仏教、イスラム教、そのた、伝統宗教までが滅びようとも、幸福の科学はやはり、まだまだ戦い続けると―。そのつもりで、みなさまがたの強い応援をお願いしたいと思います。
【大川隆法『真実を貫く』第三章「地球の危機を乗り越えるために―『地獄の法』講義」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史
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(12/22-1)【基礎教学通信】356『太陽の法』を読む89「太陽のメッセージ2」真理文明の流転と黄金の時代3―『悪魔の嫌うこと』怨霊の発生原因―『真実を貫く』二〇五〇年ぐらいまでに決着はつく」と思っている
『太陽の法』
