(11/25-1)【基礎教学通信】329『太陽の法』を読む62「エル・カンターレへの道」我を信じ、集い来よ―「悟りの挑戦(下巻)」釈迦の思想の真意―『永遠の法』完成への道

『太陽の法』

69 朝の来ない夜はない。次の一手を考え抜け。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】

―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第5章「無我中道」
2 釈迦の思想の真意

確かに、釈迦は「無我」の思想を説いており、これが仏教の旗印の一つであったのは事実です。

それまでは、バラモンという僧侶階級の思想に、「梵我一如」という考え方が伝統的にありました。「梵(ぼん)」はブラフマン、「我」はアートマンと呼んでいましたが、これは「個人のなかに宿るアートマンという霊体の核(当時の人は親指大の大きさの魂の存在を想定していたようである)と、霊天上界にあるブラフマンという神様的存在、高級神霊とは、ばらばらのようでありながら、本来は一体である」という考え方です(個人と宇宙の理法が一体とする考え)。「個人が死んであの世に還った場合に、このアートマンなるものは、ブラフマンなるものと融合する。要するに、川の水の粒子がに流れていったら、大いなる海と一体になるように、個人個人の魂は、実在界に還ったら大いなる神霊と一体になってしまうものなのだ・
・というような思想があったわけです。しかも、このアートマンこそが、転生輪廻の主体(有我)であるとするのです。

この有我説に対して、「バラモン教は現状肯定に堕し、僧侶は修行をおろそかにして腐敗しきっている」と批判しつつ出てきた新思想が仏教だったのです。このような批判を前提にしてでてきた思想であるがゆえに、捉え方によっては、梵我一如説を説くバラモンの有我説とまったく逆のように誤解される向きがあったのです。

しかし、当初釈迦が教えていた無我の思想とは、物理的な自己の不存在を言っていたのではありません。「『自分が自分が』と思う、己から発する欲望が、人間の苦しみをつくっているのであり、この欲望を去らないかぎり、幸福は来ないのである。欲望の根源にあるのは自我意識である。その欲望をつくっている自我意識を去るところに、人間の幸福は生まれるのである。よって、欲望の根源としての自我意識を滅却すべく努力しなさい」―このような教えを説いていたわけです。

これはあくまでも、心のあり方、心の統御の仕方としての無我の思想であったわけであり、我なるものが、本当に存在しない、まったくありえないということを言っているのではないのです。我なるものから発する苦しみを断つために、精神統一、精神修行をなして自己を空しくしていくところに、その苦しみというものは消えていくということを教えていたわけです。つまり、「存在としての無我」ではなく、「機能としての無我」なのです。

ところが、理解が浅いと、「要するに、存在するかしないかだ」というような誤解につながっていくことは、みなさんにもよくわかるはずです。また、現在でも、そのような理解をしがちの方が数多くいることも事実です。それは、結局、霊的存在、あの世の存在というものを信じられるか信じられないかという、この一点にかかっているわけです。

ですから、仏教も学問的に流れて、次第にこの世的な知識の集積になっていくと、それがわからなくなっていったということです。今でも宗教学者のなかで、無神論者、唯物論者は結構います。それを職業にしながら、どうしても信じることができないということは、その人の人生観の根本的なところの問題です。この一線を超えられない人にとっては、すべてが机の上、紙の上での説明に終始してしまうわけです。

このように、説一切有部でつくられた無我思想、実体論としての、物理的魂存在としての無我の考え方が、初期の大乗仏教のところまで流れてきて、また、その流れの一部が現代にまで伝わってきて、現代でも、「仏教は無我を説いているから、霊魂否定説なのだ。あの世を説いていないのだ」ということを言う方が跡を絶たないわけです。

しかし、正確に仏典を読んでいくと、あの世や魂がなかったら、到底ありえないような話ばかりが出ているわけです。あの世がないのに、なぜ成仏ということがあるのでしょうか。あの世がないのに、どうして来世の幸・不幸や、あるいは地獄に堕ちるという話が出てくるのでしょうか。また、魂の転生輪廻というものがないのに、なぜ釈迦が「過去世にも仏陀がいたのだ」という「過去七仏」の話を何度もしたのでしょうか。

【※「過去七仏」・・・釈迦牟尼仏とその以前に生まれた六人の仏、古さの順に、〈毘婆尸仏(びばしぶつ)〉〈尸棄仏(しきぶつ)〉〈毘舎浮仏(びしゃふぶつ)〉〈狗留尊仏(くるそんぶつ)〉〈倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)〉〈迦葉仏(かしょうぶつ)〉を指す。釈迦当時、ラ・ムー、トス、クラウド、ヘルメスなどの自分の過去世をインド的な名称で語っていたもの。しかし、現在では、単なる多仏信仰として伝わっている。つまり、過去にも仏陀がいて、釈尊はそのころ菩薩としての修行を積んでいたという話にすり替わっている。】

また、釈迦は在家の人を相手に説法する際に、やさしい話から高度な話へとつなげていく「次第説法」をしましだ、その最初に、いわゆる「三論」として「施論」「戒論」「生天論」を離しました。これはよく施しをし、よく戒めを守ったならば、来世、天国に生まれることができるという話です。悟りにおける「妄語」(うそ)を戒めている釈迦が、方便のためだけに、ウソ話をしたとは考えられません。

そういうことをつなぎあわせていくと、やはりあの世の存在、魂の存在、その転生輪廻というのは、当然のこととして教えのなかに入っていたわけです。

ところが、これを比喩的あるいは物語的、文学的にしか理解できない人は、どうしても信じることができずに、分析的な考え方にとどまっているのです。

このような考え方も分からないわけではありません。近代の西洋哲学などでも分析的な考え方が主流で、あの世があるやらないやら、魂があるやらないやら、結局どうしてもわからないままで、精神の分析、探究ということをしています。これは人間が肉体に宿るということ自体に伴う無明と言ってよいかもしれません。

結局、釈迦の思想というのは、「苦しみのもとである肉体自我から発する欲望を断つ」ということを教えたのです。そして、執着を断つことを教えるために説いた無我の思想が、実体的な自我の否定をする思想になって流れていったのです。そのような間違った流れが仏教のなかにもあったということを知っていただきたいのです。

【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第5章「無我中道」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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第6章 エル・カンターレへの道
12 我を信じ、集い来よ

第一回の幸福の科学講演会が開かれたのは、一九八七年三月八日、東京は牛込公会堂でした。聴衆は、四百人ほどでしたが、私の演題は『幸福の原理』で、当会の教義の基礎である、『愛の原理』、『知の原理』、『反省の原理』、『発展の原理』の四原理を『幸福の原理』の中に位置づけました。さらに、会の方針として、最初の三年間は学習団体として、法の基礎づくりと、講師の養成、運営方法の確立に専心し、その後は、大発展に向けての伝道に切り替える旨の基本戦略を発表しました。

同年四月からは月刊誌が発刊され、この月刊誌の論文と講演会の内容が、その後の会の流れを決めてゆきました。また、研修会やセミナーでは、質の高い会員が多数輩出し、幸福の科学の職員や講師陣の母体となりました。

また、私の獅子吼に心を揺さぶられて、講演会の参加者は、毎回増大の一途をたどりました。一九八八年には、二千人収容の日比谷公会堂であふれ出し、一九八九年には、八千五百人収容の両国国技館が満杯となり、一九九〇年には、一万数千人収容の千葉・幕張メッセ展示場が毎回、満員となりました。

そして、第一回講演会から満四年たった一九九一年三月七日、幸福の科学は宗教法人として正式に認可され、新しい出発をなすこととなりました。本尊は、釈迦大如来、すなわちエル・カンターレです。九次元最高大霊であると同時に、高級諸霊をも指導する立場にある再誕・最尊の仏陀です。

この九一年七月には、東京ドームに五万人の幹部信者が集い、『御生誕祭』が挙行されました。幸福の科学は、宗教法人取得の年に、すでに日本最大規模の宗教団体になるという、宗教界にとって、空前絶後のミラクル的存在となりました。私はエル・カンターレ宣言をし、大乗の仏陀としての使命を明らかにしました。マスコミは全世界にこの事実を伝え、日本に本物の宗教の時代が訪れました。また、同年九月に始まった『希望の革命』によって、日本のマスコミ界に垂れこめた暗雲を吹き払い、日本人全体を汚染し続けていた精神的公害を一掃する正義の戦いが開始されました。この時点が、戦後日本が、仏国土建設へ向かうためのターニング・ポイントとなりました。

一九九一年十二月、『エル・カンターレ祭』では、信者総数五百六十万人を突破、事実上、日本一の宗教団体宣言がなされました。

一九九二年、九三年は、仏教路線での教義固めがなされるとともに、衛星放送を通じて、全国同時開催の講演会が大々的に挙行されました。一方では、『希望の革命』を支援する声が全国から鳴りやまず信者数は、一千万人に向けてますます増大の一途をたどりました。

こうして、一九九一年から九三年までの『ミラクル計画』の大勝利とともに、幸福の科学は、エル・カンターレを中心とする信仰団体として確立期を迎えました。

一九九四年、いよいよ、期待の『ビック・バン計画』が開始されました。信仰から伝道へ。そしてそれは、幸福の科学が世界宗教へと飛翔することでもあります。全世界の人々に、主エル・カンターレの出現とその使命を告げ知らせなくてはならないのです。地球の歴史上、最高の仏陀、最大の救世主が降臨したのです。

世界はいま、浄化されつつあります。人類は、エル・カンターレを信ずることによって、最終にして、最高、最大の救いを得られるのです。

「我を信じ、集い来よ」―全世界の人々に、このメッセージを伝えてください。私は、あなたがたの永遠の師なのです。(完)

【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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〇『太陽の法』あとがき

本書では、とりあえず、幸福の科学が述べ伝えている仏法真理思想の輪郭と、その目的、使命を明らかにしえたと思う。

創世記や愛の段階、悟りの構造、文明の流転を明快に説明しきった点、エル・カンターレの真実の使命を明らかにした点では、全世界に、一冊きりしかない本である。

あなたはこの本を信じた方がよいであろう。いずれ、仏典、聖書として、後の世で繙くことになるからである。

本書を理解するにあたって、心得ておいてほしいことは、旧著が、「天国―地獄」関係で霊感観を形成していたのに対し、本書では、「天国にも、表側と裏側がある」という視点から説明されている点である。旧著に混じっていた裏側からの霊界観、価値観、歴史観を、かなりの部分除去し、理論的にはスッキリしたと思う。同様に、旧著では「神」という言葉を統一的に使ったが、本書では優先的に「仏」という言葉に置き換えた。仏陀の基本思想としては、この方がより正確だからだ。

また、旧著で使われていた独特の宗教用語に関しても、幸福の科学がメジャー化する過程ではやむなし、と判断し、一般的な用語に戻した。たとえば〈アラハン→アラカン〉といった具合だ。ミリオンセラーになるであろう本書の、その読者たちに無駄な神経を使わせまいとの、筆者の老婆心からである。

なお、本書だけでは、幸福の科学の基本教義の全体像が理解しにくい、とおっしゃる読者のめたに、新たな理論書の書下ろしを構想中である。こう、ご期待。

一九九四年 六月 
幸福の科学総裁
大川隆法

※本書は一九八六年九月に発刊された旧版の『太陽の法』を改訂したものです。
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第5章 八次元の世界
10 完成への道

ところで、八次元如来界にいる人たちは、魂修行を十分に終えたのでしょうか。それ以上の修業はないのでしょうか。この点について考えてみましょう。

実は、如来であっても、地上に肉体をもって出てくる過程においては、まだまだ人間としての修業を積んでいるのです。

彼らは八次元においては専門家であり、一つの霊光線を体現した大いなる存在ですけれども、地上とのあいだを何百年か何千年かの周期で転生輪廻する過程において、いろいろなものを見聞きし、さまざまな体験をしています。また、地上生活を送ることによって、自分たちがよいと思っているもの以外のものを学び、自分が所属する霊光線以外の考えにも接しているのです。

その点では、如来であっても、まだ悟りへの修業の過程にあるのだと言えます。ただ、より完成に近い存在であることは否めない事実です。

そうすると、如来が魂修行を通して目指している完成への道とは何でしょうか。この質問に対する答えは、結局、彼らは大いなる統合、総合の観点から人間を見、教えを見、地球や人類の歴史をみることができるようになるため、魂修行に励んでいるということです。

すなわち、彼らの修業の目的は、さらに高度な認識力と洞察力を得ることです。認識と洞察の力を養うために、諸如来も修行をしていると言えるのです。

転生輪廻は、人類が進化、発展していくための一つの法則として、仏より与えられているものです。そして、すべての霊はこの法則から逃れることができないことになっています。

ただ、「如来は輪廻の法則から解脱している」「如来の条件は、転生輪廻の枠組みから離脱していることである」とよく言われます。この意味について説明しましょう。

結局、如来も、何千年、何万年、何十万年ものあいだ、転生輪廻をしなくてすむわけではありません。やはり転生輪廻をしています。ただし、彼らは自らの意志でもって、計画的に様々な転生をくり返しているのです。

それに対して、菩薩界以下の人びとの場合は、必要があってこの地上に送り出されるということです。それぞれの時代に合わせて出ざるをえないような、義務教育としての転生輪廻を負っているのです。

如来はそうした義務教育がすでに終わった魂なのです。ただ、社会人の生涯学習として、さらに勉強したいのならば、自分の考えに応じた勉強をしていくことができるのだと言えます。

すなわち、彼らは、義務教育は終わっているけれども、さらに高度なものを目指して、自ら学んでいるのであり、どのようなものかを学ぶか、その学びの内容については、各人の自由意志が許されているのです。

そして、その学びの目標は、より高度な認識力と洞察力を養い、より地球的なより全人類的な立場で物事を見ることができるようになることです。そのために、大いなる魂修行をし、完成への道を歩んでいる人たちが如来なのだということができるのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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62日に渡り、経典『太陽の法』を共に読んでまいりました。幸福の科学の基本教義であり、全世界に伝えようとしている仏法真理がぎっしり詰まっています。日々の教学で迷うことがあるとき、常に原点回帰する経典であると改めて感じました。最後まで読んでくださりありがとうございます。

また、『太陽の法』と共に『黄金の法』と、『永遠の法』も同時並行して読み進めて幸福の科学の基本三部作を読み通しています。私たち仏弟子にとってこの三書は魂に刻むべき尊い教えであり、私たちの隣人を救い助ける伝道の原点でもあります。大切に読み続け、伝え続けてまいりましよう。

『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』の基本三部作は極めて重要な教えです。ぜひお手元にない方は、経典を拝受、購入ください。そして、願わくは経典『太陽の法』を皆様の隣人に一冊でも多く献本して差し上げてください。

主が願われているのは、『太陽の法』が一家に一冊、そして弟子である私たちは、一人一冊受持(経典を持つこと)することを主は強く望まれています。

経典『太陽の法』は『仏説・正心法語』と同じように、九次元の光がそのままに法として現象化した光です。まさに地に降りた太陽です。この経典を、私たちの愛する街に、日本中に、そして世界中に広げてまいりましょう。そして、地に巣くう闇をこの経典と共に打ち払ってまいりましょう。

また、後半の『永遠の法』では、同じく如来界の修業についての教えを頂きました。
『如来であっても、地上に肉体をもって出てくる過程においては、まだまだ人間としての修業を積んでいるのです。』

『如来が魂修行を通して目指している完成への道とは何でしょうか。この質問に対うる答えは、結局、彼らは大いなる統合、総合の観点から人間を見、教えを見、地球や人類の歴史をみることができるようになるため、魂修行に励んでいるということです。

すなわち、彼らの修業の目的は、さらに高度な認識力と洞察力を得ることです。認識と洞察の力を養うために、諸如来も修行をしていると言えるのです』

とあり、如来の修行目的についても教えていただきました。これは主でなければ分からないとても貴重な教えであると思います。

私が、とても興味を引いたのは、如来の転生輪廻についての主のお答えでした。小乗仏教では、悟りを得た如来は転生輪廻のくびきから離れ、再び地上に戻ることはないされているからです。これについても明確に以下のように教えていただきました。

『「如来は輪廻の法則から解脱している」「如来の条件は、転生輪廻の枠組みから離脱していることである」とよく言われます。この意味について説明しましょう。

結局、如来も、何千年、何万年、何十万年ものあいだ、転生輪廻をしなくてすむわけではありません。やはり転生輪廻をしています。ただし、彼らは自らの意志でもって、計画的に様々な転生をくり返しているのです。

それに対して、菩薩界以下の人びとの場合は、必要があってこの地上に送り出されるということです。それぞれの時代に合わせて出ざるをえないような、義務教育としての転生輪廻を追っているのです。

如来はそうした義務教育がすでに終わった魂なのです。ただ、社会人の生涯学習として、さらに勉強したいのならば、自分の考えに応じた勉強をしていくことができるのだと言えます。

すなわち、彼らは、義務教育は終わっているけれども、さらに高度なものを目指して、自ら学んでいるのであり、どのようなものかを学ぶか、その学びの内容については、各人の自由意志が許されているのです。』

このように、小乗仏教、上座部仏教で通説となっている「仏は、再び転生してこないのではないか」という問いに対して明確に答えを出していただいています。

菩薩と如来では、転生輪廻の意味がまったく違うという意味において大変重要な教えであると考えます。本日の引用箇所も大変重要かつ貴重な教えでした。これを説けるのは、根本仏でしかないと確信を深めることがさらにできました。

私たちにとっては途方もなく遠大な悟りの世界がございますが、とにもかくにも、私たちが目指すべきは「阿羅漢」の境地です。

今世私たち伊勢支部の信者全員が「阿羅漢」になることをめざし、主の御手足として救世運動に参加してまいりましょう。今年そして来年は、いよいよその救世事業本番の年であるということです。ともに精進を重ねてまいりましょう。

悟りの力がこの世とあの世の『地獄』を解消する大きな切り札です。『太陽の法』『永遠の法』を深く学ぶためにも、悟りへの理解を共に深めてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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