62 派閥ができるのは、人の本能でもある。しかし、愛社心のある人は、簡単に外せない。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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本日、11月18日は、海外初転法輪記念日です。2007年11月18日に主は、ハワイ精舎において海外における初めての説法である『Be
Positive』を説かれました。全世界伝道の第一歩を生まれ、主の教えは全世界に広がっています。主の御慈悲に心からの感謝と、全世界伝道の誓いを共にさせていただきます。本日13時より海外初転法輪記念式典を開催させていただきます。皆様ぜひご参集ください。
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〇新しき福音を全世界に伝えよ
積極的でありなさい。
真理を伝え、真理を語ることを
ためらわないでください。
友人や、地域の人たちや、他の人たちに
真理の書籍を献本することを怖れないでください。
恐れてはなりません。
あなたがたは、善きことをしているのです。
善きことをするのに、ためらってはなりません。
あらゆるチャンスにおいて
積極的であってください。
人々に、この新しい宗教を教えてあげてください。
これが新しいイイシラセです。
これが「福音」なのです。
世界中の人々にとっての
イイシラセであるにもかかわらず
私や、私の教えについて知っているのは
日本人と、他の国の一部の人たちに過ぎません。
非常に悲しいことです。
ゆえに、共に他と上がり
悪の勢力やサタンと戦おうではありませんか。
我らは、神の子であるのです。
心の中に弱さを感じた時は、
「私は神の子である。私は仏の子である」と
自分自身に言い聞かせて下さい。
よろしてでしょうか。
以上が本日の、「ビー・ポジティブ(積極的であれ)」という説法です。
【2007年11月18日 ハワイ精舎にて】
〇Spread this New Gospel all over the world
Be positive.
Don’t hesitate to convey the Truth
Or to tell the truth.
Don’t be afraid to give books to your friends,
Your neighbhors and other people.
Don’t be afraid.
You are doing good things.
People who do good things.
Shouldn’t hesitate to do good things.
Be positive in every chance.
Teach people this new religion.
This is the new Good News.
It’s Good News for the people
And over the world
But only Japaneses people
And some people of other countries
Know about me and my teachings.
It’s very sad for me.
So let’s stand up together
And fight against evils and Satan.
We are children of God.
When you feel weakness in your mind.
Please say to yourself,
“I am a child of God.I am a child of Buddha.”
OK?
This is today’s lecture,”Be positive.”
【November 18,2007 Hawaii Local Branch,Honolulu,USA】
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11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から39年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。
主のご説法は1986年11月23日の第1回目から2023年2月23日に賜りました『妖怪にならないための言葉』発刊記念対談にて、説法3500回を超えました。これは人類史に残すべき偉業です。
この聖なる日に仏弟子相集い、日暮里酒販会館にて賜った初転法輪よりこの日まで、全人類救済のために、不惜身命の覚悟で教えを説き続けてくださっている主に心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、主が初転法輪で説かれた御教えを共に振り返ってまいります。本日は1986年11月23日に東京は日暮里の酒販会館にて開催されました、主の初転法輪(最初の説法)にて説かれました御法話「幸福の科学発足にあたって」を引用して、我々弟子も原点回帰して主への感謝と報恩の誓いを新たにいたします。この御法話は経典『われ一つ立つ。大川隆法第一声』に所収されています。全国の支部や精舎・書店にてお求めいただけます。お持ちでない方はこの機会にご拝受ください。【税抜き1800円】
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■『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」
5 時代環境や個性に応じて教えを説いた「高級霊の活躍」を俯瞰する
〇なぜキリスト教は「善悪二元論」が強いのか
すると、今度は逆に、「では、この世に悪があるのか。やはり、地獄というものがあるのだな」という考えに、心が急に動いてきた人が、みなさんのなかにもいらっしゃるはずです。「やはり、キリスト教と一緒ではないか」と思われたかもしれません。
キリスト教では、「人間には二種類あって、地獄に行く人と、天国に行く人とがいるのだ」と言っているように見えます。
そして、イエスを通して救われる方というのは、あの世で永遠の生命を得て、蓮の台(うてな)ではないでしょうけれども、あの世の永遠の国で生活ができる。しかし、イエスを信じなくて、異教徒に走った人は、地獄のゲヘナ(GEHENNA)に投げ入れられて、永遠の業かに焼かれるのだ。こういうことを信じている人がいます。
では、そのとおりかといったら、そうでもないのです。必ずしもそうではありません。
特に、キリスト教の問題は何かというと、今度は逆に、「善悪二元論」がけっこう強いということだと思うのです。
イエスが立ったのがちょうど三十歳で、私と同じぐらいの年でした。そして、三十三歳ぐらいで十字架に架かって死んだわけで、三年間しか説く時間がなかったのてす。
そういうことで、当時、イエスはずいぶん焦りました。今、私もよく話をしていますけれども、イエスはずいぶん焦ったようです。
三年間しかないなら、私でもそうなるでしょう。あと三年で十字架が待っていたら、これは大変だと思います。もう早めにいうことを全部言ってしまわないと、これは済まないということです。
〇焦って本当のことを言いすぎて敵をつくったイエス
それで、十字架をトントンと立てて、釘を打って、「ああ、大川隆法をこれに磔にすると気持ちいいな」などと言って、それをやっている人がいたら、気持ちとしてはこういう人に「神の子」と言ってあげたくはないでしょう。これは間違っているので、「おまえたちは”下”から来たのだ」などと一つぐらいは言いたくなります。
ですから、はっきり言えば、イエスも少し本当のことを言いすぎたのです。当時の法律者には、パリサイ人やサドカイ派、あるいはヘロデ党など、たくさんいましたけれども、当時のモーセの教えを信じる法律者たちをつかまえて、彼らに対していろいろなことを言ってしまったわけです。
たとえば、こんなことも言っています。
あるときは、「おまえたちは、私の言う言葉は分からないだろう。なぜわからないか。それを言ってあげようか。分からない理由は、おまえたちは下から来たからだ。ところが、私は上から来た。上から来たけれども、おまえたちは下から来た。だから、分からないのだ」というようなことを言っています。
そんなことを言われれば、普通の人だったら怒るでしょう。「『下から来た』というのはどういう意味か」とよく考えてみると、地面より下から来るということですから、これは「地獄から来た」という意味です。
「おまえたちは地獄から這い出して来た悪鬼、鬼だけれども、私は天国から来た精霊である。だから、おまえたちは分からないのだ」など言ったら、通常の人は起こります。そういうことでしょう。
〇モーセが受けた啓示「我は在りて在るものなり」の真意
・エジプトに奴隷の子として生まれ、王女に拾われたモーゼ
ただ、彼らが信じているモーゼの教えが間違っているかといえば、間違ってはいないのです。
モーセは、今から三千二百年前に当時のエジプトに奴隷の子として生まれて、葦の舟に乗せられてナイル河に流され、王女に拾われて王宮のなかで育ちました。
そして、モーセが十八歳のときに、自分がかつては奴隷の子であり、葦舟に乗せられて流されたという事実を知りました。それを知ってモーセは、やがて、「ああ、そうか。今、身のまわりでいろいろな奴隷たちが使われているけれども、彼らと私とは本当は同じだったのだな。同じ仲間なのだな。その同じ仲間なのにもかかわらず、彼らは、今、苦役のなかであえいでいる。しかし、私はたまたま王宮で育てられて、学問もやったし、武術もやったし、教養もある。そして、おいしいものを腹いっぱい食べている。悪いことをしたな」などと思うわけです。
そういうモーセの教えがありますけれども、これも正しい教えではありました。
〇自分が奴隷の子と気づいてからも、修行を重ねる。
モーセのことをもう少し言うと、モーセは、当時十八歳で、自分が奴隷の子であるということに気づきましたけれども、彼もなかなか賢くて、すぐには立ち上がらなかったのです。十八歳のときに気がついたけれども、やはりしかるべき準備をしなければいけないということで、二十代にもずいぶん修行をしています。そして、王宮から逃れて何度もいろいろな所へ行き、魂の修行をしたり啓示を受けたりしています。
そして、二十七歳ぐらいのころに、モーセはミデアンの知で一つの幻を見るのです。そこでは牧羊で羊を飼っていました。そこでかわいい娘を見つけて嫁にしたのですけれども、そのかわいいむすめのちちというのが、実は牧師のような感じで、ちょっとした教会長のようなものをしていたわけです。
〇モーセに臨んだ天からの声
それで、いろいろな教えを乞うたりしていたのですが、羊飼いのお手伝いをしていたモーセが、ある日、二十七歳のころ、野原に出て歩いていくと、そこは草原であるにもかかわらず、何か陽炎のようなものが立っていました。
「陽炎のようなものがメラメラと立って、よく見ると炎が燃えているようだ。何だろうか。これはすごいな」と思って、モーセは驚いたわけです。枯れ草が燃えているのなら、これは早く消さなければいけないでしょう。「困った!」といような感じでモーセが思ったわけです。
ところが、そのときにもモーセが動こうとしたら、点から声が聞こえてきました。「モーセよ、吾に対して足を上ぐるなかれ」という声が聞こえてきました。モーセは前へ進もうとして足を上げようとしたのです。モーセが足を上げようとしたら、「モーセよ。足を上げるなかれ」と言われ、モーセはびっくりしてしまってねメラメラと燃えている方を見て、「あなたはどなたですか」と尋ねます。
すると、その人は言いました。英語で言うと、「I am that I am」。「吾は在りて在るものなり」という声が聞こえました。
「吾は在りて在るものなり」ということであれば、もはや神様ではないかということです。
そういう声がモーセに聞こえてきました。「在りて在るもの」から言われたわけです。
要するに、「私はそこにいるだけで価値がある」というような神様からの声が聞こえたのです。それでモーセは、「どうやら、これはイスラエルに代々伝わるヤハウェの神に違いない。エホバの神だな」と自覚したわけです。
すると、「そのとおり、われはヤコブ・イスラエルの神」ということを、その神は名乗りました。「イスラエルの昔からの神様である」ということを言われたわけです。
日本で言えば、「われは天照大神」という感じでしょうか。こういうことをおっしゃったのです。そして、モーセは恐れおののいたわけです。
そのよなう啓示を受けて、モーセは魂学習をしました。そして、また王宮に帰って、チャンスをうかがいました。
【※その後の霊査で、「吾れは在りて在るものなり」とモーセに語ったのは主の魂のご分身オフェアリス神であることが分かっています。『アッラーの霊言』参照。またヤハウェはその後、イギリスの政治がディズレーリに転生していることがわかっています。また、エホバは九次元大霊ゼウスの分霊であり、祟り神的要素として現われたものであることが分かっています。『ヤハウェの霊言』『エホバの霊言』参照】
【大川隆法『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」
5 煌(きら)めく人生
人生には、「反省」と「進歩」が必要です。しかし、ただそれだけでは彩りがなさすぎると、私は思います。人生には、やはり「煌めき」が大切だからです。では、その煌めきとはどういうものなのでしょうか。一体なんでしょうか。それについて、考えてゆきたいと思います。
煌めきとは、光がその光彩をはなつ瞬間です。そして、その煌めきの瞬間にも、私は三つの瞬間があると思うのです。ここで、この三つの瞬間について、お話ししましょう。
第一の瞬間とは、病からたちなおったときです。病は、人生における試練のときだといえます。この試練といかに闘うかによって、その人の人間性が試されるのです。病は、二つの意味から、試練だといえます。そのひとつは、肉体的な苦しみがともなうということです。そして、いまひとつに、精神的な苦しみがあります。
まず、肉体的な苦しみについてですが、それが生じるのは、たいていの場合、規則正しい生活をしていないか、過労か、それとも、本人の念いに何か問題があるかです。ですから、病に苦しんでいる人は、その肉体と同様、その心も病んでいるということに気がつかなくてはなりません。そして、肉体が苦しんでいる理由をよく反省することです。
病気の八割までは、なんらかの憑依霊につかれた状態をおこしており、死者の霊が他人の肉体を使って、本人と同じように、脂汗を流して苦しんでいることが多いといえます。その証拠に憑依霊を取り除いた瞬間、あっというまに熱がさがり、病人が心身ともにさわやかになって、立ち上がるということがあります。これは、まさに、肉体がいかに霊的な影響を受けているかということの証左です。
憑依霊がいちばんいやがるのは、反省と感謝です。なぜならば、病気になった本人が、反省と感謝をしはじめると、その後頭部から後光がさしはじめるため、しだいに憑依霊と波長があわなくなり、憑いていられなくなるからです。この後光を、さらに強く出すためには、本人の精神的な苦しみを解決してゆかなくてはなりません。
精神的な苦しみを解決するためには、まず自分が持っている執着を、ひとつひとつ点検し、これを取り除くいてゆくことです。病人に対してはこういう言い方は皮肉ですが、執着を断って、いつ死んでもいいような心境になったときはじめて、あの世の守護・指導霊の力で、仏法真理の光が入りはじめ、病は、急速に回復していきます。これが、まさしく奇蹟の瞬間です。このように、病からたちなおるという奇跡の瞬間を体験した人は、一大廻心をし、一大新生ををなしとげたのだといえます。そして、この煌めきは、本人だけのものではなく、ほかの人々をも照らす心の光となるはずです。
煌めきの第二の瞬間は、信仰に目覚めたときです。信仰なき人生と信仰ある人生とでは、たとえば、闇夜に手さぐりで生きている人と、カンテラを照らして生きている人ほどのちがいがあります。
この三次元は物質中心の世界ですが、物質ばかりに心がとらわれて、唯物主義を真理だと考えるようになってくると、だんだんに、快楽のみを追い求めるか、闘争だけに熱中するようになってきます。すなわち、仏の眼を忘れた人間、もっともあわれむべき人間となってくるのです。信仰は、闇夜を照らす一条の光です。この光によってのみ、実在界に対して、盲目の人間がはじめて、目あきとなるのです。
煌めきの第三の瞬間は、「霊言現象」などの霊的啓示を得たときです。「霊言現象」とは、自らの心の扉がひらいて、潜在意識層の守護・指導霊の言葉が伝えられるようになることです。
一部の霊能系新宗教における「霊道現象」が、仙人たちの霊遊びにすぎず、たわいもないことを口走り、九十九パーセントの人が事後に人格に破綻をきたしたのに対し、幸福の科学の「霊言現象」は、悟りを得た人のみの高級霊現象であり、霊言のなかに高度な法を含んでいるのが特徴です。したがって、高級霊たちに教えをうけると同時に、彼らに守られ続けているのです。しかもそれが、法を学ぶ過程において追体験できるのです。実にすばらしいことです。こうして、高級霊の霊言を、直接、あるいは、間接に体験できることは、人生が煌めく第三の瞬間だといえましょう。
【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜き2000円】
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■『永遠の法』第5章 八次元の世界
3 空間の本質
前節では、仏の光について話をしました。本節では、光の性質をさらに探求しながら、空間の問題に入っていきましょう。
空間とは「縦・横・高さ」である。縦・横・高さでできるものは三次元である。箱のような立方体、これが空間である。
空間をこのように定義することもあるでしょう。
しかし、縦・横・高さだけを空間というのは、あたっていないのです。四次元空間、五次元空間、六次元空間、七次元空間、そして、今理論の対象となっている八次元空間が現実に存在している以上、空間とは単に縦・横・高さではないのです。そうしたことを知らねばなりません。
空間の本質とは「場」なのです。すなわち、そこに何かをあらしめようとしている意識があるということです。
場とは何でしょうか。場とは、そこを媒介として、活動の範囲として、何らかの現象が起きるところです。その分野をフィールドとして、活動の領野(りょうや)として、エネルギーが駆け巡るところです。これを場というのです。
すなわち、場とはエネルギーが充満するところであり、エネルギーが駆け抜けるところであり、エネルギーがその本来の働きをなすために必要に領域なのです。
これが本来の空間の本質です。空間とは、単に縦・横・高さからなる立方体のことではなく、仏の光が活動をし、さまざまな働きをするために必要な場のことなのです。
したがって、四次元以降の多次元空間においては、三次元的な空間の定義はあたりません。立方体ではないからです。それは、「仏の光が、さまざまな現象を起こし、さまざまな活動ができる場」という意味での意識空間であって、たんなる立方体の空間ではないのです。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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人生の煌めきの瞬間とは、
一 病からたちなおったとき
二 信仰に目覚めたとき
三 「霊言現象」などの霊的啓示を得たとき
人生に訪れるそれぞれの煌めきの瞬間には、必ず、霊的な力が加わっています。病の八割は霊的な作用によるものであることは、『太陽の法』にてすでに説かれていたことを私自身再確認させていただきました。憑依霊がとれることで、病が回復するケースが八割近くあるのにはただただ驚くばかりです。ただ経典『地獄の法』に説かれているように、現在お亡くなりになる方の大半が、死後地上に地縛霊としてとどまり続けているのが現実です。天国を信じることなく、地獄を否定して尚、死後の世界を信じることができない人は、地上に執着してはなれることができません。人間が死後、幽霊化しているといってもよいと思います。そのなかで、霊症による病の発生は、現在もっとたかくなっている可能性もあります。
また、憑依霊のとり方のヒントも教えていただきました。
『憑依霊がいちばんいやがるのは、反省と感謝です。なぜならば、病気になった本人が、反省と感謝をしはじめると、その後頭部から後光がさしはじめるため、しだいに憑依霊と波長があわなくなり、憑いていられなくなるからです。この後光を、さらに強く出すためには、本人の精神的な苦しみを解決してゆかなくてはなりません』
そして、反省と感謝の基礎としてあるのが、「謙虚さ」です。謙虚さから感謝は生まれ、そして反省も謙虚であるからこそ、自らの非を認め、それをあらためることが可能となります。主への従順さと謙虚さを大切にしましょう。
そして、人生の煌めきの瞬間の第二は信仰に目覚めたときです。まさに、この瞬間に出会っていただくために、私たちは日々伝道活動を展開しています。私たちの活動は、信仰に出会っていない隣人に人名のきらめきの瞬間を与える仕事をしています。
『信仰なき人生と信仰ある人生とでは、たとえば、闇夜に手さぐりで生きている人と、カンテラを照らして生きている人ほどのちがいがあります』
煌めきの第三の瞬間は、「霊言現象」などの霊的啓示を得たときでした。「霊言現象」とは、自らの心の扉がひらいて、潜在意識層の守護・指導霊の言葉が伝えられるようになることです。
これは、菩薩の卵である阿羅漢になることを遠回しに示唆するものである考えられます。自らの守護霊からのインスピレーション・メッセージを受け取ることができるのが阿羅漢であるからです。菩薩の誓願である「四弘誓願」を打ち立て、仏道修行の基礎である「戒・定・慧」をもとに、六波羅蜜多を実践し、「四正道」を実践することが日頃の精進として大切です。
霊的啓示を受けるには、日ごろの宗教修行が必要です。その修行の基本は「教学・反省・瞑想・祈り」の四つを習慣化させる日々の凡事徹底が中心となります。
日々の宗教修行として、主の教えを学ぶことを「教学」と言います。大川隆法総裁先生が3500冊以上の経典を心の教えとして既に書籍として発刊していますので、これを毎日少しずつ読み進めていくことが「教学」の基本になります。
教学が進むと、自分の心のことが理解できるようになります。そしてそれに伴い、他人の心のことが理解できるようになります。教学で得た知恵を使って、自分のものの見方、考え方、や言葉や行動を振り返り、仏が喜ぶような自分であるかをに「反省」することが大切です。幸福の科学では、「八正道」の実践をお勧めしています。反省が進めば、他人を正しく理解することができるようになります。
反省をくり返すことで、気持ちが素直になり、心が透明になり、執着がなくなってきます。その心の状態が維持できるようになると、自らの守護霊や指導霊と対話することができるようなります。心が透明な状態で「瞑想」に入ると、天上界からのインスピレーション(霊感)を受けることができるようになります。これが智慧といわれる力の源泉です。
そして、さらに「祈り」によって、反省で得た智慧をつかって、自分を活かし、他人を救い助ける力になり、世のため、人のために、仏のお役に立つ仕事ができるようになります。主が望む仏国土を地上に築くために、祈りによって私たちは天上界からの力を引き出すことができます。主から頂く力を隣人を救い助けるために、愛を与えきることによって、愛の力を「祈り」によって循環させていきます。
本日の「太陽の法」では、愛と悟りの力によるエクソシストの原理を学びました。主の教えを伝えることが、人の魂を救い助けることにつながります。伝道こそが、私たちの隣人を救い助ける縁です。『太陽の法』を一人でも多くの方にお伝えして、人の魂を救済してまいりしまょう。
後半の『永遠の法』では、前回の光の性質に続き、空間の本質について次のように教えていただきました。
『空間の本質とは「場」なのです。すなわち、そこに何かをあらしめようとしている意識があるということです。・・・
すなわち、場とはエネルギーが充満するところであり、エネルギーが駆け抜けるところであり、エネルギーがその本来の働きをなすために必要に領域なのです。
これが本来の空間の本質です。空間とは、単に縦・横・高さからなる立方体のことではなく、仏の光が活動をし、さまざまな働きをするために必要な場のことなのです』
空間とは、三次元的な立方体のことではなく、仏のエネルギーが活動する「場」であると教えていただきました。
すると、
・四次元世界は三次元+時間
・五次元世界は四次元+善(精神性)
・六次元世界は五次元+真理知識(仏法真理)
・七次元世界は六次元+利他(愛)
・八次元世界は七次元+慈悲(存在そのものが愛・与えきりの愛)
とこのようになっていますので、仏の光がよりダイナミックに自由自在に、そして、より精妙に活動するための条件が、高次元世界になるにしたがって必要になるということが分かります。
造物主であるエル・カンターレは、この地球という、私たちの魂の成長を見守るゆりかごとして、光が活動するための場を提供しているということがすこし分かりました。
とてもレベルの高い教えです。繰り返し読んで理解を深めたいと思います。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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■□■
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文責:蒲原宏史
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(11/18-1)【基礎教学通信】322【海外初転法輪記念日2007年11月18日】『太陽の法』を読む55「エル・カンターレへの道」煌(きら)めく人生―「幸福の科学発足にあたって」なぜキリスト教は「善悪二元論」が強いのか―『永遠の法』空間の本質
『太陽の法』
