72 昔、一万人の講演会中で、四列目の男性が立ち上がって「嘘つけ」と叫んだ。私は宇宙語の翻訳機械の話をしていた。私の声は、もう一段大きくなった。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。
主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。
主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第5章「無我中道」
5 「無我中道」とは何か
一方において、肉体観に基づく自我思想は否定するとともに、もう一方の「真我」なるもの―霊的なる自己、また神仏と一体になろうとする自己は、求めなければいけないものであり、磨かなければいないものであり、あくまでも仏に向かって進んでいかなければならないものなのです。このように、磨くべき存在、進歩すべき存在としての「我」なるものはあります。これを「自己」言ってもよいでしょう。
否定すべきものが「自我」であるならば、求めるべきもの、伸ばすべきものは「自己」といってもよいでしょうこの自己なるもの(インドの言葉〈サンスクリット語〉では、やはり「我」と同じくアートマン〈atman〉である)はあります。
ですから、ここを間違ってはいけません。平面的に考えると、「我なるもの、自己なるものは、あるのかないのか」と、どちらしか結論はないと思うかもしれません。しかし、真理の世界においては、自我は否定されるべきものであると同時に、また真なるものとして磨き伸ばしていかねばならないものであるということです。
この一見矛盾に見えることは、立体的に考えることによって、統合されることがありえるのです。「あるかないかだけの問題でないのだ。否定すべきものであると同時に、肯定して伸ばしていくものなのだ」―これが釈迦が言いたいことの中心なのです。
無我の思想とは、肉体を中心とした我を否定する思想であると同時に、真実なる自己というものは肯定して伸ばしていくという考え方なのです。否定と肯定の両方を含んでいながら、そのどちらにも偏らずに、両者を見ながら伸ばし、成長させていくものの見方、考え方なのです。ここから発展が出てくることがわかると思います。
つまり、単純な有我説も単純な無我説も、いずれも一つの極端説であり、両説を離れた中道にこそ、釈迦の無我の思想の真意があると解釈することが大事なのです。この中道的観点から解釈する無我思想を「無我中道説」と名づけることが可能でしょう。
肉体的な自己意識のところをいくら磨いて拡張しても、本当の自分の幸福、本当の成長にはなりません。ですらか、これは否定しなければいけません。ところが、霊的存在としての自己、神仏の部分としての自己というのは、磨いてどこまでも伸ばしていくことが本人の幸福になるのです。これは伸ばさなければいけないものであるのです。
ですから、無我の思想とは、どちらかに偏る思想ではなくて、現実に、本当の自己というものを知ったうえで、自己を伸ばし、「中道からの発展」をなしていくための、きわめて大事な思想なのです。
結局、無我とは何かということを、もっとわかりやすく言うのならば、「透明になれ」ということなのです。「不純物が多く、曇りガラスになりがちな人間であるならば、それをよく磨いて透明になりなさい。限りなく透明になりなさい。透明なる自己というものを発展させていきなさい」と言っているのです。
ですから、「透明になれ」ということは、存在がなくなるということではありません。曇りはなくなりますが、しかし、存在がなくなるのではありません。
要するに、無我の思想とは、「あなたがたは、木っ端微塵に砕いて粉々にして消してしまいなさい」というような自殺の勧めではなく、「透き通った水晶のようなあなたになりなさい」ということなのです。
そして、「その水晶を限りなく結晶させて大きく素晴らしいものにしていきなさい」というのが「無我中道」、そして「中道からの発展」という思想なのです。
【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第5章「無我中道」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
今日からは『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ」を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。お持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み1980円】
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■『幸福の法』第五章「太陽の時代の到来を信じて」
3愛に生きる
〇幸福になるための「観の転回」
太陽の時代における、あるべき姿とは、まず「信仰」を持つことであり、さらに、「愛」に生きることです。愛のある世界をつくらなければなりません。これは、二千年前のイエスの時代にだけ言われたことではないのです。
根本的に、仏や神といわれる偉大なる存在が持っているものは、愛あるいは慈悲の心です。その心が人々を生かし、導いています。したがって、仏の子である人間もまた、愛、慈悲に生きなくてはいけないのです。
ただ、ここで間違いやすいことは、愛というものを、多くの小説などにあるような、奪うもの、「奪う愛」として考えることです。愛というものを、「人から貰えば、奪えば、幸福になるが、貰うことができなければ、不幸になる」というように理解し、「いかに自分が愛されるか。いかに自分が貰えるか。いかに自分が人からしてもらえるか」ということばかりを考えている人が数多くいます。
そして、欲しい人ばかりで、自分から差し出す人がいません。そういう世の中です。お互いに助け合うことさえできれは、幸福に生きることができるのに、奪い合うばかりで、幸福になれないのです。残念な世の中です。観の転回、念いの転回さえなせば、幸福になれるのです。
〇愛に生きることが、仏の子であることの証明
愛とは、人から奪うことでなく、人に与えることです。それは、人間がそもそも仏の子であり神の子であることに根本があります。仏や神は愛と慈悲に生きています。したがって、「愛に生きる」ということが、仏の子であり、神の子であることの証明なのです。それは与えきりの世界です。ちょうど、あの太陽のように、一円も取らずに与えきりなのです。
常に、人のためによかれと思う生き方をしなさい。常に、人々に与えなさい。「自分が何をしてもらえるか」ということではなく、「自分が何をしてあげられるか」ということを、心に思い描くことです。そこに地上天国が現れてきます。
愛のなかには、難しい理論がたくさんあります。しかし、いちばん簡単なことが、いちばん大事なことなのです。
「奪う愛」は、仏教で言う「執着」、とらわれにしかすぎません。
「奪う愛」ではなく、「与える愛」なのです。「人をいかに愛したか」ということです。「自分がいかに愛されなかったか」ということを考えるのではなく、「自分がいかに人を愛して生きてきたか。あるいは、これから生きていこうとするのか」ということを考えることです。
それが、来るべきユートピアの原動力になるのです。
4悟りを高める―心こそ魂の本質
「愛」という基本原理について語りましたが、もう一つ、どうしても知っていただきたいことは、「悟り」ということです。
悟りというと、その仏教的な響きにとらわれて、「宗教のなかの一つの考え方だ」と思う人もいるかもしれません。しかし、悟りは、やはり大事です。
悟りというものを簡単に言えば、「人間は単なる肉体ではない。肉体に宿り、肉体を支配している、魂、心というものがあるのだ」ということです。
仏教を、無神論や唯物論、あるいは無霊魂説のようにとらえる人もいますが、そういう人も、「仏教は人間に心がないと説いている」と考えているわけではないでしょう。「仏教は無我説である。無我だから魂はない」などと言っている人も、「心はない」とは言えないでしょう。その心なるものこそが、実は魂の本質の部分なのです。
あの世に持って還れるものは、その心だけです。魂というものを、三次元的に固形化したもの、固定化したものと考えるから間違うのです。「あなたは自由にいろいろなことを考えるでしょう。その考えだけが、あなたの姿になって、来世に存続するのです。その考える姿、考える機能だけが、あの世へ行くのです」ということです。
魂は、あの世でも、まだ人間的記憶を持っているあいだは、人間のような姿をとりますが、人間的記憶が薄れていくと、そういう姿を取らなくなります。考えとしてのみ、念いとしてのみ存在するようになるのです。
人間は、ぜんまい仕掛けのおもちゃのような存在であるならば、何も考えず、もともと予定されたとおりにしか動かないでしょう。しかし、実際はそうではありません。人間は、さまざまに考えることができます。どのように選ぶこともできます。自分が考え方を決めることができます。思いにおいて自由自在です。自由自在に思いを変え、決める力、それが人間の本質なのです。
その本質が、肉体が滅びたあとも、あの世に存続しているのです。「考えや思いは遺るのだ」ということです。
「魂」という言い方をすると、現代では、受け入れない人もいます。しかし、過去、何百年前、何千年前に亡くなった人であっても、その人が行った偉大な行為にともなう思いは、偉大なる大霊界において存続しています。崇高な行為をした人の、その魂の輝きと思いは、いまだに遺っていて、多くの人に影響を与え続けているのです。
たとえば、イエス・キリストという人が三十三年の人生を生きました。彼の活動は、肉体を失ったときに終わったのかといえば、そうではなく、その思いは、いまも活動し続けているのです。
釈尊は二千五百年前に亡くなりました。現代の日本人から見れば、釈尊は縄文時代の人であり、「縄文時代の人に、どれほどのことが言えるのだろうか」と思う人もいるでしょう。しかし、その慈悲と悟りの心は、いまも遺っています。
それが霊界の神秘です。
そのように、人間は霊的存在であり、心が自分であると思うこと、それも、迷いの心ではなく、本質的な心を自分だと思うことが大事なのです。そうした自己観の転換が必要です。自分についての見方を転換し、自分というものを違った観点から見なければいけないのです。
〇悟りを高めることは、よりよき未来設計でもある
さまざまな教えに説かれているように、その心は、「いかにして仏に近づいていくか」ということにおいて努力し、修行することによって、高度化し、純化され、輝きを増すようになります。
そして、その心の到達度は、この世に生きている人間でありながら、死後に行くあの世の世界とまったく同じなのです。この世において菩薩の心を持って生きた人が、死後に行く世界は、菩薩の世界です。それ以外の世界ではありません。
天国に行くか地獄に行くかということは、死んでからわかるのではなく、生きているうちに分かることなのです。
みなさんが、毎日毎日、考えていること、あるいは、この一年、この十年、考え続けていることは、どのようなことでしょうか。その思いの程度を見れば、みなさんは、どの世界の住人となるのか、あるいは、もともと、どの世界の住人であったのかということが分かります。
したがって、「悟りを高める」ということは、よりよき未来設計そのものでもあります。来るべき自分の人生を決めることであるし、自分の本来の使命を悟ることでもあるのです。それは非常に大事なことです。
「愛を与える」という実践の原理と、「自分自身を知る。自分自身の本質を知り、それを高める」という向上の原理を、大事にしなくてはなりません。
【大川隆法『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第6章 九次元の世界
3 九次元霊の素顔
九次元霊のいわゆる神々の素顔とは、どのようなものなのでしょうか。九次元の神々というのは、昔の物語で語られているように、宮殿のなかで、大きな肘掛け椅子をもちいて座っており、膝の下までたれる白い衣を着て、王冠をかぶっているのかといえば、決してそうではないのです。
九次元存在とは、やはり、電磁波であり、エネルギー体であり、意識体なのです。そのようにして活躍しています。そして、その意識体の一つにおいて、
豆電球を一つつけてみると、その豆電球の形と光でもって、人びとに認識されることができるのです。
たとえば、イエスは九次元存在であるといっても、十字架にかかったイエスという、やせて口髭を生やした髪の長い人物が九次元で生活をしているわけではありません。イエスの特徴を持った光のかたまりがあるということなのです。そして、必要とあらば、それが地上の人たちを指導したり、八次元以下の霊人たちを指導したりすることになるのです。
ただ、八次元の諸如来、七次元の諸菩薩を指導するために、イエスが現れるときには、生前の姿をとって現れてきます。そのほうがイエスであることを彼らに認識させやすいからです。
といっても、イエスの姿が見えるのは、八次元、七次元、せいぜい六次元ぐらいの人までです。それ以下の世界になると、イエスがイエスの姿をって現れたとしても、まぶしくて単なる光のかたまりのように見え、その姿が見えないというのが実情です。ほんとうの姿は分からないのです。
つまり、光の量がそれだけ違うということです。あの世における次元の違いの話をずいぶんしてきましたが、結局、次元が違うと、そこに住んでいる意識体の光の量が違うのです。
光といっても、単純な光ではなく、特色を持った光です。たとえば、黄色の光が束となっている。あるいは、白い色の光、赤い色の光り、緑色の光が、それぞれ束となっている。これが本当の姿なのです。
もっとも、黄色、白、赤、緑、などという色も、地上的に分かるように語っているだけであって、本来はそうしたものすらないのです。
地上においても、ほんとうは色というものは存在しないのです。つまり、青い色をしているように見えている物は、結局、太陽光線のなかの青の色を反射しているだけなのです。光を全部吸収すると、黒になります。また、光を全部反射すると、白になります。黄色い色を反射すると、黄色になります。
このように、色というものは本来ないのであって、その物質をつくっている粒子が、太陽光線のなかにある色の光を反射すると、その色に見えるということにすぎません。
「本来、色はない」ということは、あかりを消してしまえば何の色も放たないということで分かるはずです。もし色が実在するものであるならば、闇のなかでも、その色を発するはずです。しかし、赤であろうが、白であろうが、黄色であろうが、闇のなかでは色がありません。
結局、そうした色は、その波長の色を反射しているに過ぎないのです。したがって、光がないときには色もありません。本来、色はなく、ある波長の光を反射すると、その色に見えるというだけなのです。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第6章「九次元の世界」より抜粋】
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幸福の科学は「愛と悟りとユートピア建設」を「正しき心の探究」とおして日々実践しています。その意味で、本日の学びは極めて重要な教えでした。
本日の教えで大変感動した言葉は、
『太陽の時代における、あるべき姿とは、まず「信仰」を持つことであり、さらに、「愛」に生きることです。愛のある世界をつくらなければなりません』
この部分でした。
太陽の時代を生きるに当たり私たち人間に必要なことは、「信仰」を持つことと、「愛」に生きることであると教えていただきました。
人生において、愛を人に与える側に立つか、愛を人から奪う側に立つのか。私たちは大きな選択をせまられています。幸福の科学では、与える愛の大切さを主から常に教えていただいていますが、愛を人に与えるものは幸福となり、逆に愛を人から奪うものは、自らを不幸にすることも学んでいます。
愛を奪う側から、愛を与える側に一大転換することを「観の転回」といって、私たちの人生のなかで、自分が天使や菩薩になると決意したときに、大きな変化が生まれます。
また、「観の転回」という言葉は、「マインドセットを変えよ」という言葉と一脈通じるところがあると思います。いま、自分にとって当たり前だと思うこと。それが当たり前のことではなく、仏からいただいた慈悲であると考えることができるならば、私たちは今こそ、観の転回をはかり、他から与えられっぱなしの人生から、他に与えきって見返りを求めない愛の実践が必要なのではないかと思います。
いまこそ、「観の転回」をはかり、主を信じ、主を愛し、主と一体となるために、「信仰」を持ち、「愛」に生きることの決意を新たにしてまいりたいと思います。
また、与える愛の実践こそが、見返りを求めない与えきりの愛の実践こそが、私たちがこの世に今いる意味であり、仏国土ユートピアの原動力であることを学びました。
本日の引用にはこのようにありました。
『愛とは、人から奪うことでなく、人に与えることです。それは、人間がそもそも仏の子であり神の子であることに根本があります。仏や神は愛と慈悲に生きています。したがって、「愛に生きる」ということが、仏の子であり、神の子であることの証明なのです。それは与えきりの世界です。ちょうど、あの太陽のように、一円も取らずに与えきりなのです』
仏や神は太陽のような存在であり、巨大なエネルギーを放出して見返りを一切求めていません。私たちも、その太陽を満々とあびて輝く満月のような心境をつねに整えたいものです。主の教えそのものが太陽の法です。
愛こそがすべてのはじまりであり、すべての終わりである。これは、経典『メシアの法』の英語の副題に『From Love to
Love』とあるように、主の教えは愛に始まり愛に終わります。愛がすべてであるという悟りをともにつかんでまいりましょう。
また、悟りを高めることについても重要な学びが本日ありました。
『悟りというものを簡単に言えば、「人間は単なる肉体ではない。肉体に宿り、肉体を支配している、魂、心というものがあるのだ」ということです』
悟りという言葉をこれほどまで分かりやすく説明した教えを私は知りません。自分とは心であるということが、霊的人生観の第一歩となります。
『あの世に持って還れるものは、その心だけです。魂というものを、三次元的に固形化したもの、固定化したものと考えるから間違うのです。「あなたは自由にいろいろなことを考えるでしょう。その考えだけが、あなたの姿になって、来世に存続するのです。その考える姿、考える機能だけが、あの世へ行くのです」ということです。
魂は、あの世でも、まだ人間的記憶を持っているあいだは、人間のような姿をとりますが、人間的記憶が薄れていくと、そういう姿を取らなくなります。考えとしてのみ、念いとしてのみ存在するようになるのです。
人間は、ぜんまい仕掛けのおもちゃのような存在であるならば、何も考えず、もともと予定されたとおりにしか動かないでしょう。しかし、実際はそうではありません。人間は、さまざまに考えることができます。どのよう選ぶこともできます。自分が考え方を決めることができます。思いにおいて自由自在です。自由自在に思いを変え、決める力、それが人間の本質なのです。
その本質が、肉体が滅びたあとも、あの世に存続しているのです。「考えや思いは遺るのだ」ということです』
この教えは、経典『地獄の法』を理解する上でも、重要な手掛かりになる教えではないかと思います。
「死後、すべてがなくなる」と思うことが、地獄のはじまりであるとつくづく思います。
この思いが、今の心のなかに、地獄をつくり、死後の来世において地獄に堕ちる縁をつくってしまうからです。
『そのように、人間は霊的存在であり、心が自分であると思うこと、それも、迷いの心ではなく、本質的な心を自分だと思うことが大事なのです。そうした自己観の転換が必要です。自分についての見方を転換し、自分というものを違った観点から見なければいけないのです。』
私たちの本質が魂であり、心であり、霊であることを知ることがとても大切です
「私たちが、生まれる前にも、霊界という世界があり、私たちが死んだあとにも霊界という世界があり、その世界が本当の世界なのだ」ということを知ることから、宗教的な生活は始まるのだと思います。
また、『悟りを高めることは、よりよき未来設計でもある』
この仏言自体がそのまま一転語ではなかったかと思います。
「悟り」は、八正道の八つの修行項目のうち、第二の「正思」と第七の「正念」と第八の「正定」に大変かかわりがあると改めて感じました。
とりわけ重要な教えは、以下の言葉ではないかと思います。
『みなさんが、毎日毎日、考えていること、あるいは、この一年、この十年、考え続けていることは、どのようなことでしょうか。その思いの程度を見れば、みなさんは、どの世界の住人となるのか、あるいは、もともと、どの世界の住人であったのかということが分かります。
したがって、「悟りを高める」ということは、よりよき未来設計そのものでもあります。来るべき自分の人生を決めることであるし、自分の本来の使命を悟ることでもあるのです。それは非常に大事なことです』
私たちの考えていることは、やがて時間をかけて必ず実現します。善き思いも、悪しき思いも等しく実現するのです。であるならば、やはり、日ごろから愛を他に与え続けて、心を磨き続けて、美しい思いを実現できるようすることが、心の修行であると思います。
私たちの使命は、主の御手足となってこの地上に仏国土ユートピアを建設することです。それを成し遂げるのが「菩薩」です。私たち一人ひとりが光の天使・菩薩となって主の救済の助力者としてともに活躍してまいりましょう。
本日、愛と悟りについて、重要な教えを振り返りました。繰り返し読み、少しでも実践に移してまいりましょう。「愛と悟りとユートピア建設」が幸福の科学の旗印です。
そして、後半の『永遠の法』では、『九次元存在とは、やはり、電磁波であり、エネルギー体であり、意識体なのです。そのようにして活躍しています。そして、その意識体の一つにおいて、
豆電球を一つつけてみると、その豆電球の形と光でもって、人びとに認識されることができるのです。』と教えていただき、九次元大霊は光であり、電磁波であり、エネルギーそのものであり、それは意識体であることを学びました。もはや普段は人体の形態をとどめていないことが分かります。
また、後半は光と色の関係を教えていただいたのが大変印象的でした。
色は光の反射にすぎない。仏の光をいかに反射するかで、霊的個性としての色が決まる。光なくして色なし。仏のエネルギーなくして個性無し。このように教えていただきました。
九次元大霊の10本の光の巨大な柱が、人類の未来の設計図を引いています。その責任者はもちろん、主エル・カンターレです。主が引かれる人類の設計図に従って、八次元如来がその実現における責任者として神格を与えられ、その実現、つまり仏国土ユートピア建設の担い手して菩薩が主の御手足として、救済の助力者として、その使命を果たしています。
仏国土ユートピア建設とは、同時にこの世とあの世の「地獄界の解消」も意味します。
悟りの力がこの世とあの世の『地獄』を解消する大きな切り札です。『太陽の法』『『黄金の法』『永遠の法』の基本三部作、そして『地獄の法』を深く学ぶためにも、悟りへの理解を共に深めてまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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✨(11/28-1)【基礎教学通信】332『太陽の法』を読む65「太陽の時代の到来を信じて」愛に生きる・悟りを高める―「悟りの挑戦(下巻)」「無我中道」とは何か―『永遠の法』九次元霊の素顔
『太陽の法』
