✨【基礎教学通信】325『太陽の法』を読む58「エル・カンターレへの道」黄金の勇気をもて―「幸福の科学の発足にあたって」天上界の「次元構造」と魂の真実―『永遠の法』法とは何か

『太陽の法』

65 渡る世間は鬼ばかりではない。必ず、あなたを助けてくれる人が、どこかで見ている。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から39年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。

主のご説法は1986年11月23日の第1回目から2023年2月23日に賜りました『妖怪にならないための言葉』発刊記念対談にて、説法3500回を超えました。これは人類史に残すべき偉業です。

この聖なる日に仏弟子相集い、日暮里酒販会館にて賜った初転法輪よりこの日まで、全人類救済のために、不惜身命の覚悟で教えを説き続けてくださっている主に心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、主が初転法輪で説かれた御教えを共に振り返ってまいります。本日は1986年11月23日に東京は日暮里の酒販会館にて開催されました、主の初転法輪(最初の説法)にて説かれました御法話「幸福の科学発足にあたって」を引用して、我々弟子も原点回帰して主への感謝と報恩の誓いを新たにいたします。この御法話は経典『われ一つ立つ。大川隆法第一声』に所収されています。全国の支部や精舎・書店にてお求めいただけます。お持ちでない方はこの機会にご拝受ください。【税抜き1800円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」
6 天上界の「次元構造」と魂の真実
〇人間の魂は、神から分かれ、転生輪廻の過程で「個性」を形成している

イエスも、もちろん、いろいろな勉強をしていますが、あの人は非常に賢い方ですから、「勉強しているところを見せたらもったいないし、やはり、イエスはイエスらしいところがいいだろう」ということで、ナザレのイエスのイメージを持ってみなさんに話しかけています。しかし、イエスの生命体というのはものすごく巨大な光で、あんなものではないのです。もっともっと大きいのです。

みなさんのなかには、生命体について、本を読んで、「本体・分身」という考え方を勉強している人もいると思います。

「本体が一人で分身が五人いて、みなん”魂のきょうだい”である。本当はひとりだけども、五人、六人に分かれているのだ」ということを本で読んだことがあると思いますが、この本体・分身の考え方も画一的なものではなく、次元によって多少は違うのです。

なぜなら、もともと人間というのは、身長百何十センチ、体重何キロというような、固まったかたちとして神様はお創りになったわけではないからです。

この生命体、肉体のなかには「光子体」というものが入っていますけれども、この光子体自体は、元は何かというと、もとは一緒なのです。みんな神様から出てきて、分かれてきているわけです。分かれてきたのですけれども、何回も転生輪廻している過程において、その人の「個性」というのがだんだん出てきて、「何回生まれても自分だな」というような感じになっているわけです。

ところが、もともとはそうではなく、大きな光がだんだん分光してきて、この現象界のほうへと降りてきているわけです。

〇霊界の次元に応じて「自己認識や魂の現われ方が違う」という秘密
・四次元幽界と―「魂のきょうだい」について知らず、「一人で生きている」と思っている。

ですから、魂のきょうだいといっても、四次元の幽界世界にいる人たちに言っても、分かる人は一人もいません。

地獄界の人も、全然知りません。「なんですか?」と言います。「きょうだいなんか、いるんですか。私は天涯孤独です」と言い張っています。「きょうだいがいます」「そんなの知りません」、「本体がいます」「本体とは何ですか。御本尊の間違いですか」などと言っています。全然知りません。

五次元の人でも、「魂のきょうだい」と言っても分かりません。全然知りません。

〇六次元光明界―「魂のきょうだい」を知っているが、個人個人で生活している
六次元ぐらいになると、少し分かるのです。みんな聞いたことがあります。多少、勉強しています。そういう世界では、多少知っています。「六人ぐらいで組になっている」というのは知っています。

七次元菩薩界でも、「魂のきょうだいのようなものがあって、グループがある」ということは知っています。ただ多少感じが違ってくるのです。

六次元光明界では、六人きょうだいがいるということは知っていても、みんなバラバラで好きなことをやっているわけです。「私はお茶がいいわ」「私はコーヒーがいいわ」「私はケーキがいいわ」などと、それぞれが別にやっていて、そして、「きょうだいだ」と言われたら、「そうかもしれないな」と思っているぐらいです。個人個人の生活をしています。

〇七次元菩薩界―「魂のきょうだい」のグループとして、協力して使命を果たそうとしている。

ところが、菩薩界ぐらいに行くと、グループができてきていて、だいたい一つの目標に集まっているわけです。

系統的には、キリスト教系、仏教系、いろいろとあります。

あるいは、学者なら、科学者なら科学者の系統があり、「科学的なことで、この世を菩薩界にしていこう」というような方が一緒に協力しているのです。

こういうグループがあり、ある程度「まとまり」があります。まとまりというか、「自分たちの使命」は知っています。

【大川隆法『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」
8 黄金の勇気をもて

勇気―この言葉を聞くと、胸が高鳴るのは、私ひとりだけでしょうか。勇気という言葉を聞くと、私は、大木のなかに打ち込まれてゆく鉞(まさかり)を思い出します。カーン、カーンと、早朝の森林にこだまするあの勇ましい生命の鼓動を聞いているような気持ちにさせられます。この勇気という名の鉞があるからこそ、人間は、人生の苦難という名の大木を切り倒してゆけるのだ、と私は思うのです。

ですから、人生にくじけそうになったときには、自分には、勇気という鉞があるのだということを、どうか思い出していただきたいのです。自分がとてもみじめにうちしおれてしまったときには、仏は、あなたがたに、勇気という名の鉞を下さっているのだということを、思い出してほしいのです。

人間は、肉体をもって生れ落ちると、盲目です。つまり、自らの五官だけを頼りとして、手さぐりで生きてゆかねばならなくなるからです。だからこそ、仏は、「運命の森を切り拓いてゆけ」と、あなたがたが生まれるときに、勇気という鉞をお与えくださったのです。ですから、あなたがたのだれもが、この鉞を腰にぶらさげているのです。なぜそのことに気がつかないのでしょうか。「苦しい」といって、他人にその解決を頼んでまわる前に、「悲しい、悲しい」といって、他人に同情を求めてまわる前に、なぜ勇気の鉞で、自分をしばっている運命の糸をたちきってしまわないのですか。

禅の公案のなかに、「大力量人」(だいりきりょうにん)という話があります。これは、中国の無門慧開(むもんえかい)和尚の(一一八三年~一二六〇年)の編著の『無門関』という書物におさめられた、全四十八則の公案中第二十則にある話です。

「松源和尚云わく、大力量人の人、甚に因ってか脚を擡げ起さざる。又云わく、口を開くこ舌頭上に在らざる」

「無門曰く、松源謂つべし、腸を傾け腹を倒すと、只是れ人の承當するを缺く。たとい、直下に承當するも正に好し、無門が処に来たらば痛棒を喫せしめん。何が故ぞ、にい。真金を識らんと要せば火裏に看よ」

頌に曰く、脚を擡げて踏翻す香水海、頭を低れて俯して視る四禅天。一箇の渾身著くるに処無し。請う一句を續げ」

この公案の意味は、結局、つぎのようなことです。人間というのは、自らが大力量人であることを忘れ、この世的な、常識、世間の目、医者の言葉などに、催眠術にかかったようになって、自らを、いつ故障するかわからない唯物的な肉体人間だと思っている。しかし、ほんとうの自分というのは、仏の子であり、無限の力をもっているのだ。見よ、禅定により、解脱をしたならば、自らのほんとうの姿、霊体は、地球をも眼下に見下ろすような巨人となり、高次元大宇宙の水溜まりである、この三次元宇宙の銀河星雲(香水界)など、足を持ち上げて踏みおろせば、水しぶきになって、飛び散ってしまい、如来界や菩薩界と対比される六次元以降の人間的悟りの世界(四禅天)など、頭をたれて見おろさなければならないほどの、はるか・

�のほうの世界なのだ。

どうやら、この無門和尚といわれる方は、如来界の悟りを得ていた人のようです。如来界の悟りを得ると、人間は、自らの真の姿は、五尺の肉体に宿っているような、そんなちっぽけな霊魂ではなくて、宇宙大にひろがるエネルギー体だということがわかります。そして、禅定をしているときに、自分の体がみるみる大きくなって、地球をはるかに眼下に見おろすような体験をします。

本来、人間というものは、そういう大力量人、すなわち、自由自在、融通無碍(ゆうずうむげ)な存在なのです。その人間が、三次元的感覚にしばられ、あるいは、学校教育や世間常識にしばられ、「霊などない」「あの世の世界などないのだ」と思い込んで、自らの手足をしばっているのです。そして、病気になればなったで、「死にたくない、死にたくない」といいつづけているような、あわれむべき、小さな存在となっているのです。

黄金の勇気をふるい起こし、黄金の鉞をふりあげ、迷妄という名の大木を切り倒すことです。力強く、鉞を打ち込んでゆくことです。自らの悩み、苦しみ、あるいは、運命のしがらみに、勇気をもって、うちかってゆくことです。そして、黄金の勇気をふるって、自らをしばる運命の糸を断ち切ることです。

勇気とは、大切なものです。そして、勇気をふるい起こした時、人間は自らが大力量人であることに気づくのです。しかし、ひとたび自らが大力量人であることを悟り、病床から立ちあがり、力強い人生を生きはじめた人であっても、あるいは、唯物思想の迷妄を断ち切って、真理に目覚めた人であっても、この三次元の物質界の波動を受けつづけ、三次元人間の誘惑にひっかかりはじめると、だんだんに気力がうすれてゆくときがきます。

しかし、そのときこそが、歯をくいしばって、頑張るべきときなのです。マラソンでも、同じです。その途中で放棄したくなるような、苦しいときが必ずきます。そういうときに、そこで、投げてしまったら、だれもが勝利のチャンスを失ってしまいます。つまり、その競技で、完走ということはありえなくなるのです。

しかし、その苦しい期間を通り過ぎると、なぜか、足が軽くなり、最後まで走りつづけることができます。そういう不思議を経験した人は、たくさんいるはずです。水泳でも、同じです。息が苦しくなって、泳ぐのをやめたくなったとき、まけるものかと、歯をくいしばって泳ぎ続けていると、やがて自分の体が水と一体となり、波のごとく、泳ぎ続けることができるのです。

もちろん人生は、マラソンや水泳とはちがいます。しかし、同じように、苦しくても、耐え忍ぶ時期というものがあるのです。そして、そういう時期をねばりぬいたとき、ひとつの自信を得るとともに、仏の光明を密接に感じることができるようになるのです。

【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―

経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜き2000円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『永遠の法』第5章 八次元の世界
6 法とは何か

人類の道標が進化と調和に集約されるという話をしました。

では、人びとが探求し、追及している「法」とは何でしょうか。真理とは、また、真理の体系ともいえる法とは、何なのでしょうか。そして、それはどのような役割を果たしているのでしょうか。

法のなかにも、やはり二つの要素があります。それは、すでに述べた進化と調和です。この二つの要素が法のなかに内在しています。法とは宇宙を貫く法則ルールであり、真理の体系ですが、そのなかには進化と調和という二つの目的が潜んでいるのです。

法のなかには、個人として向上を目指すという、進化の部分が確固として存在します。人間を向上させないような法は、いまがたつて、真実の法、仏法真理として存在したことはありませんし、今後も存在を許されることはありません。

法には、進歩の原理、進化の原理が内在しているのですから、少なくとも個人にとっては、人間としての成熟度、悟りを高めるための法、自分を向上させるための法がなければならないことになります。

その結果、各個人がそれぞれに向上していくこと自体はよいのですが、個人と個人の間に自由と自由の相克が現れてくることがあります。そのため、個人の集団としての共同体自体を向上させていくためにも、法が必要になってきます。

たとえば、ある会社で、ある人が「社長になりたい」と思っているとします。ところが、別な人もそう思っており、社長になりたい人が全部で三人いるとします。しかし、この三人を同時に社長にするわけにはいきません。

そこで検討が始まるのです。この三人のうち、社長として何百人、何千人という従業員を率いていける資質がある人は誰かを考え、そうした人が一人しかいないければ、その人を社長とし、それ以外の人は社長としない―こうした調整原理が必要となってきます。

あるいは、三人とも社長にふさわしい人物だったならば、次は、社長になる順序を決めるための調整の原理が必要です。A、B、Cという三人がいるならば、まずAを社長にし、次にBを社長にし、Cをその次にするといったように、順序を決める必要があります。

このように、個人が求めている向上、進歩を会社の利益のために調整する原理が必要なのです。そのために、さまざまな宗教家や道徳家、哲学者が出て、調整の原理、調和の原理について法を説いてきたのです。

中国に出て儒教を説いた孔子は、「年功序列、長幼(ちょうよう)の序をしっかりし、年上を敬わねばならぬ」という調整原理を発表しました。つまり、A、B、Cという三社がいて、その力量にそれほど差がなければ、年齢順に社長になるということです。

この年功序列という考え方は、ある程度は現代でも生きています。地上年齢でもって、その人の魂の成熟度が必ずしも測れるわけではありませんが、「素質にそれほど差がないのならば、長い経験を持っている人のほうが知恵は多いだろう」という推定が、年功序列の考え方の根拠になっているのです。

もちろん、別な視点も必要だろうと思います。それは実力主義という観点です。試験をしたり、実績を比較したりして、最も実績を上げたものを植えに立たせる。こうした実力主義という物差しもあります。

また、「最大多数の最大幸福」という、ベンザム主義、功利主義の考え方もあるでしょう。ジョン・スチュアート・ミルもそうですが、こうした「より多くの人のためになるような選択をする」という考え方も許されるかもしれません。

結局、「個人の進歩を社会に還元し、社会全体の進歩としていくためには、調整の原理が必要である」とする考え方は、仏教にある小乗と大乗とを併せ持った法ということになります。

小乗、すなわち、個人が悟っていくための方法論としては、進歩の原理が大事であり、大乗、すなわち、世の中を仏国土にしていくための方法論としては、調整の原理が大事である。このようにいうことができます。

法の根本原理として、「進歩」と「調和」という二大原理があり、この二つの調整がうまくとれてこそ、人類全体が幸福になっていくのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日の学び、迷いや無知による暗闇を打ち破る勇気の大切さと、努力精進を継続するのに必要な忍耐の力でした。

人間は本来、偉大な使命を果たすために―つまり神仏の御手足として仏国土を建設するために―偉大な力を既に授けられていることを教えていただきました。

『本来、人間というものは、そういう大力量人、すなわち、自由自在、融通無碍(ゆうずうむげ)な存在なのです』

『その人間が、三次元的感覚にしばられ、あるいは、学校教育や世間常識にしばられ、「霊などない」「あの世の世界などないのだ」と思い込んで、自らの手足をしばっているのです』

『黄金の勇気をふるい起こし、黄金の鉞をふりあげ、迷妄という名の大木を切り倒すことです。力強く、鉞を打ち込んでゆくことです。自らの悩み、苦しみ、あるいは、運命のしがらみに、勇気をもって、うちかってゆくことです。そして、黄金の勇気をふるって、自らをしばる運命の糸を断ち切ることです』

『勇気とは、大切なものです。そして、勇気をふるい起こした時、人間は自らが大力量人であることに気づくのです』

『しかし、ひとたび自らが大力量人であることを悟り、・・・唯物思想の迷妄を断ち切って、真理に目覚めた人であっても、この三次元の物質界の波動を受けつづけ、三次元人間の誘惑にひっかかりはじめると、だんだんに気力がうすれてゆくときがきます。

『しかし、そのときこそが、歯をくいしばって、頑張るべきときなのです。・・・
苦しくても、耐え忍ぶ時期というものがあるのです。そして、そういう時期をねばりぬいたとき、ひとつの自信を得るとともに、仏の光明を密接に感じることができるようになるのです』

勇気をふりしぼり、心のなかにある黄金の鉞(まさかり)を降りおろし、自らの悩み苦しみを打ち破ってまいりましょう。そして、目の前に道がない山林を進むように、その勇気の鉞を振り続けて、自らの運命の道を、神仏につながる信仰の道を共に切り拓いてまいりましょう。私たちにはその力があります。自らの仏性を発見し、それを信じることで。私たちのなかに眠る大力量人の力に、私たちが本来持つ異次元のパワーにめざめてまいりましょう。私たちは仏の子であり、本来、大力量人なのです。異次元パワーに目覚めて主の御手足となる働きをなしてまいりましょう。

また、後半の『永遠の法』では、
『法のなかにも、やはり二つの要素があります。それは、すでに述べた進化と調和です。この二つの要素が法のなかに内在しています。法とは宇宙を貫く法則ルールであり、真理の体系ですが、そのなかには進化と調和という二つの目的が潜んでいるのです』

という結論から始まり、

『結局、「個人の進歩を社会に還元し、社会全体の進歩としていくためには、調整の原理が必要である」とする考え方は、仏教にある小乗と大乗とを併せ持った法ということになります。

小乗、すなわち、個人が悟っていくための方法論としては、進歩の原理が大事であり、大乗、すなわち、世の中を仏国土にしていくための方法論としては、調整の原理が大事である。このようにいうことができます。

法の根本原理として、「進歩」と「調和」という二大原理があり、この二つの調整がうまくとれてこそ、人類全体が幸福になっていくのです』

という言葉で締めくくられていました。―「反省と愛」、「小乗と大乗」、「上求菩提と下化衆生」、「利自即利他」、そして「無我と空」これらの仏教用語も「進歩」と「調和」という宇宙の二大原理に収れんされるところが、私にとって新たな発見でした。

ともに精進を重ねて、悟りへの道、エル・カンターレへの道を歩んでまいりましょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史 

タイトルとURLをコピーしました