91 【前回88~90までの論点をふまえて】
こうして「妖狐」や「狸」「蛇神」「稲荷大明神」などの霊力が増して来たのではないかと思う。妖怪世界では、思いで姿を変えられるので、そうした練習の成果により、憑依された村人が騙されたり、修行者や旅の僧が変化身を霊視するようになったのではないか。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、主のマインド・セットである人生観に迫るべく『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』より第二章の「独立する精神の軌跡」を共に学びます。この経典は現在、会内経典にて頒布されている『若き日のエル・カンターレ』【※旧題「平凡からの出発」】の講義としていただいたものです。会内経典『若き日のエル・カンターレ』は1万円目安で、全国の支部や精舎にて拝受可能です。是非拝受ください。これから共に学ぶ『人を愛し、人を生かし、人を許せ』は全国の書店、支部や精舎にて購入いただけますので、ぜひこの機会にお求めください。とても重要な教えが詰まっています。【税抜1500円】
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■『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」
2 人間関係における学び
①苦手な人からも学ぶ
たとえば信条など、ある点に関して自分と考えの違う人がいたとしても、「だから、あの人はだめだ」という考え方をしないことが大事です。
人間はともすると、じぶんと価値観が合わない人や、重要な部分で意見が合わない人に対して、「この人は、私とは関係のない人、私とは合わない人なのだ」と短絡的に考えがちです。しかし、こうした判断をしていくと、人生の実りは非常に少なくなります。
人間には二分法的に流れる傾向があり、「自分と親しい人は、自分と同じ考え方をする」と思っている人がわりに多いのです。
そのため、親しく付き合っている人が、自分のきらいな人と付き合うようになると、自分の仲間ではないと考え、縁が切れてしまいます。まるで子供のようですが、大人になってからも、好きか嫌いかのレベルで考えることがよくあるのです。
私はこうした考えをしません。「イエス・オア・ノー(イエスかノーか)」「敵か味方か」「黒か白か」という見方をすると、世の中は狭くなって、学べることが少なくなります。
気に入らないと思うと、その人から何も聞きたくない、何も学びたくないということになりますが、実際は、自分が嫌いになる人や、自分と対極にある人のなかにこそ、学ぶことは多いのです。
おそらく、みなさんも、自分が最も嫌っている人や、人生の途中で、まるで敵のようにして現われた人から学んだことのほうが、味方と思う人から学んだことよりも多いでしょう。
味方と思う人というのは、ある程度、自分と考え方が似ているので、学ぶことが少ないのです。ところが、気に入らない人、自分が見て「どうかな」と思う人のなかにこそ、学ぶことがいろいろあるのです。
あるいは、そうした人のなかにも自分と同じものがあって、反省させられることがあるはずです。そうした人は先生役であり、学びの材料なのですから、そう簡単に逃してしまわず、しっかりとつかまえなければいけないのです。
しかし、このような価値観で人に接すると、誤解を受けることもよくあります。これは覚悟しなければならないことです。
たとえば、私がある人をほめると、ほめられた人は、私がその人を好きなのだと思うことがあります。そして、その人は「自分を好きだということは、他の人をそれほど好きではないのだ」考えてしまいます。
そのため、その人に対するのと同じような好意を、私が他の人に示すと、その人は「自分への評価が減ったのではないか」と解釈して、とたんに機嫌が悪くなるのです。
こうした考え方を治していかないと、放射線状に広がっていく愛は出てきません。一対一の愛の段階でとまってしまうのです。
愛の目標、愛の発展の段階は「一対一から一体多へ」であり、さらには、「多」にとどまらず、相手が分からないぐらいの広がり、すなわち、「存在の愛」になっていかねばなりません。愛は向かうべき方向が増えていくようになっています。それが愛の発展の仕方なのです。
愛の出発点は、たいてい、恋人や夫婦、親子、友人といった、限られた人たちへのものです。これはこれで尊いのですが、ここでとどまっていては、人生修行としては、非常に狭いのです。愛の方向が限られたものから、その裾野を次第に広げていく過程にこそ、魂の器は広がりがあるのです。
それためには、特定の人とだけ付き合ったり、「こういう人だけが好きだ」とえり好みしたりすることを、なんとかして乗り越えねばなりません。それを乗り越えないかぎり、自分の発展はないのです。
こうした考え方は人から誤解されることも多いのですが、人生に豊かさを与えてくれることだけは確かです。
自分を評価してくれない人や、自分にとって気に入らない人は、これからも出てくるでしょうが、そうした人を全部だめだと思わないようにし、気に入らない場合であれば、その人のどこが気に入らないのかを分析することが大事です。
「この部分はどうも肌が合わない。自分としては受け入れがたい」と感じたとしても、他の部分を見て、「この人にも良いところはある。こうしたところはよい」と思っていると、その思いは相手に伝わります。
相手は「自分は全面的に否定されているのではない。この人は自分のこの部分をきらっているが、他のところはよく思ってくれている」と感じるのです。
すると、相手の人は自分を変えようとしはじめます。「この人と話すときは、ここを控えればいのだな」ということが分かるので、相手が変わってきて、そのよいところが出てくるようになるのです。
これは、知らず知らずのうちに、相手の変革を促していることになります。この人にも良いところはあるという見方をすることによって、相手を変えうるのです。
しかし、嫌いだと拒否してしまえば、取りつく島がなく、どうしようもありません。完全拒否しないことが大事なのです。
女性はこの部分が上手です。たとえば、結婚を申し込まれると、「友達としては好きなのよ」などと言って濁してしまいます。こうした逃げ方など、とても上手です。
こうした言葉を男性はなかなか言えませんが、女性はサラッといいます。「よく言えるな」とも思いますが、こうした高等技術は盗まなければいけません。
結婚を断りながら、なせ「友達としては好きだ」というのかと言えは、敵をつくるのが嫌なのだろうと思います。自分を攻撃しそうな人ができるのが、女性は本能的にいやなのです。
結婚相手は一人だけですが、結婚相手以外の男性を敵に回す気にはなりません。そのため、笑顔で防波堤をつくっておくのです。
男性はこのへんがそれほど上手ではありませんが、女性の技法を少し真似て、「親友ではないが友達だ」という付き合い方も必要でしょう。
【大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』第2部「独立する精神の軌跡」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第8章「正念」
【正念】忘れることの大切さ
〇【正念】「忘れる」という技法を大切にする
ここで、一つ大切なことを述べておきます。
それは、真の意味で「正念」ができるようになるためには、「忘れる」ということも大切な技法であるということです。これは大事なことなのです。
さまざまな思いにとらわれ、その思いに縛られるということは、実は自己実現を妨げているわけです。
したがって、「忘れる」という技法を大切にしてください。これも大切な「徳」の一つです。
「忘れる」ということは、嫌なことを忘れ、都合のよいことだけを覚えておくといわけではありませんが、例えば、他人が自分を害したような言葉等を忘れるのも、「愛の行為」の一つだということです。
【大川隆法『真説・八正道』第8章「正念」284pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
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■『仏陀再誕』
第7章 信仰と仏国土建設への道
○和合僧破壊の罪
特に、道に入りて修行せし者を迷わせ、無混乱せしめる罪は重い。
これを和合僧破壊の罪という。
仏法真理の下に集い、そして共に精進し、
信仰を共にして生きている人のなかに入って、彼らの信仰を奪い、
彼らに疑念をはさませ、彼らを攪乱(かくらん)する罪を犯したる者は、
これ和合僧破壊の罪となす。
この罪より逃るるは難(かた)し。
この罪、ひじょうに大きな罪にて、
たとい殺人、強盗、暴力を犯すとも、これほどの罪にはならず、
殺人を犯しても、
これは地上の人間の魂を、肉体から遊離させるにすぎず、
暴行もまた、
地上の人間に、肉体の痛みを起こさせる程度にしかすぎない。
しかし、道に精進し、心正しく生きている者を惑わす者は、
これは、他人の心を苦しめ、他人の魂を腐らせ、迷わせる罪となる。
この罪は重い。
人の信仰を奪い、そして迷わせる者は、
永らく地獄のなかにおいて、反省の時を待つこととなるであろう。
そのようなことは、決してしてはならないことであるのだ。
○謙虚に道を求めよ
さて、信仰ということを数多く説いてきた。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
現代においては、
このような信仰を陳腐なものだと思うであろうか。
時代遅れのものだと思うであろうか。
しかし、私はあなたがたに言っておく。
仏法真理において時代はない。
仏法真理は時代を超える。
仏法真理は時代を超えて、燦然(さんぜん)と輝くものである。
仏法真理のなかにおいて、最も大切なるものは、
いつの時代も同じであり、これを踏みにじることはできない。
これを蔑(ないがし)ろにすることはできない。
仏陀の時代において真実であったことは、
イエスの時代においても真実である。
そして、現代においてもまた真実である。
ということを知らなければならない。
仏の思想の根本は変わらないのだ。
したがって、あなたがたは、
まだまだ自らが小さきものであることを知らねばならない。
まだまだ自らが未熟なものであることを知らねばならない。
まだまだ、自らが、
謙虚に道を求めてゆかねばならないということを
知らなくてはならない。
ゆめゆめ慢心するなかれ。
慢心は修行者にとって、いちばん恐ろしい敵だ。
あらゆる修行も、慢心という一つの敵と出会ったときに、
これを打ち砕くことができなければ、
一夜にしてその修行は水泡(すいほう)に帰してしまうのだ。
修行者よ、よって慢心というものをいちばん恐れよ。
慢心というものを、いちばん警戒せよ。
慢心というものを、最大の敵だと思え。
慢心というのは、自分を甘やかす心だ。
自分をかわいがる心だ。
自分の思い通りにしてやりたいと思う心だ。
自分がこうありたいと思う心だ。
自分が都合のいいように、このようにありたいと思うと、
悪魔がそこに来りて、あなたがたに都合のよいことを囁(ささや)いてゆく。
そして、それを信ずるようになると、
次第に真実の法というものから遠ざかるようになってくるのだ。
あなたがたは、慢心してはならない。
あなたがたは、自らに厳しくなくてはならない。
自分に厳しくなくてはならない。
また、常に謙虚でなくてはならない。
驕り高ぶってはならない。
高慢になってはならない。
師への帰依を忘れてはならない。
師への尊崇を忘れてはならない。
そして、謙虚に確実に一歩一歩、歩みを進めてゆかねばならない。
それが、信仰ある修行者の道であるということだ。
【大川隆法『仏陀再誕』第7章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第5章 仏法真理と学習
6 人生の大目標
さて、本章を閉じるにあたって、「人生の大目標」ということに関して述べておきたいと思います。
人間を分けるのに二通りの見方があろうかと思います。それは、「大目標を持っている人」と、「持っていない人」ということです。
小さな目標というのは、どんな人間でも持っています。それは、「明日の暮らしをどうするか」というようなことであったり、「今月のわが家の家計をどうするか」というようなことであったり、「車を買いたい」といようなことであったり、「来月、進学がある」というようなことであったりします。
ただ、こうした小さな目標でとどまっているというのは、その人が平凡であることの証明になることが多いのです。そうした小さな目標を持って生きているうちに、いつの間にか大人物になったという方も世の中にはいますが、たいていの場合、九割以上はそうではないといえると思います。
やはり、大人物の大人物たるゆえんは、大目標を持っていたということなのです。しかし、大人物になる可能性を秘めた大目標を持っている若者であっても、子供たちであっても、いつしか、その大目標を忘れていくということが現実ではなかろうかとおもいます。
では、どうして、そういう現実があるのでしょうか。なぜ、大目標を忘れていくのでしょうか。それは、「志を長く引き止めておくだけの材料がない」ということではないでしょうか。「そこに人生の志を長く引き止めていられない」ということではないでしょうか。「現実に蹉跌(さてつ・物事がうまく進まず、しくじること。挫折。失敗。)し、転んでしまう」ということではないでしょうか。あるいは、その大目標そのものが、自分自身のエゴのために出た大目標ではなかったでしょうか。そうした反省基準があると思うのです。
こうしてみると、人生の大目標を立てるときに、その基準が幾つかあると思います。その基準としては、やはり「何が神近き方向、仏近き方向であるかということを、仏法真理を学ぶことによって設定し、認識している」ということが大事です。この世的に大成功しても、あの世に還ったらそれが地獄界での生活を意味しているならば、そうした大成功はまったく不毛です。「まったく意味がない」と言ってもよいでしょう。
そうではなくて、「この世での大成功が、あの世での大成功につながっていく」からこそ、この世も意味が出てくるのではないでしょうか。結局、大成功の目標、大目標としての成功目標を立てるときに、いちばん大切なことは、そうした神仏の心に沿わない目標を排除しておくということではないかと思います。
では、神仏の目標に合致しない、神仏の心に合致しないような人生の目標とは、いったい何でしょうか。それは、一言で言うならば、「その人の霊性の進化につながらないような目標」だということが言えるでしょう。
では、さらに個別具体的に、「霊性の進化につながるとはどういうことか、つながらないとはどういうことか」ということを考えてみたいと思います。
まず、何が霊性の進化につながらないものでしょうか。それは、「物質がすべてである」という唯物思想、唯物論です。こうした思想をいくら突き詰めても、本当の意味での人生の大目標ともならないし、神仏の心に適った生き方ともなりません。単なる唯物思想、物質万能思想というものは、断断乎(だんだんこ)として排除すべきです。こうした思想を声高に叫び、人生を生きてきた人たちは、死後、あの世で厳しい試練が待っていることが多いのです。魂の真実に目覚めなければいけません。「物がすべてである」という考え方に毒された人たちは、何らかのかたちで、あの世に還って反省を余儀なくされるのです。これは警告しておきたいと思います。
では、霊性の進化につながるものとは、いったい何でしょうか。それは、結局のところ、「愛の実践」ということであろうと思います。愛とは、人と人との間にあって、人と人とを結びつける力です。人を育む力、人を向上させる力です。人間と人間とを結びつけ合ってお互いの力を二倍にも三倍にもしていくことです。より幸福感を高めていく力です。これが愛です。結局、こうした愛への貢献、愛の発展ということを伴わない人生の大目標は、虚しいということです。なぜならば、神仏とは愛そのものであるからです。こうした、「愛の向上」というものを内包しているような大目標であってほしいと思います。
また、もう一つの観点はいったい何かというと、それは結局のところ、「多くの人々によい影響を与えうる目標であるかどうか」ということだと思います。「できるだけ多くの人たちに、できるだけよい影響を与えるということ。最大多数の人に最大の幸福を与えるということ。最大の感化を与えるということ」といったことなくして、本当の大目標とは言えません。「最大多数の最大幸福」であるということ、その幸福が仏法真理に合致した「この世とあの世を貫く幸福」であるということが大切なのです。
そのようなわけで、霊的な進化に奉仕するような大目標というのはどのようなものかというと、まず、「唯物思想ではない。物がすべてであるというような、この世的なる成功ではない」ということです。これが消極要件としてあるわけです。
それ以外に、積極要件としては、「愛の発展に寄与する」ということ、また、「大多数の人によい影響力、感化力を与えられる」ということがあると思います。
さて、それを前提として、さらに、「人生の大目標とはいったい何か」ということを考えてみたいと思います。結局、それは、「神仏近き人間になっていくこと」だと思います。この一言に尽きるのではないでしょうか。
「どれだけ神仏近き人間になるか。わずか数十年、あるいは、百年の与えられた人生において、いったいどれだけ神近き人格を築いていくか。そうした人間になっていくか」ということです。これが、「人生の大目標」と言いうるものだろうと思います。
では、みなさんは、どのように生きれば、神近き存在、仏近き存在になれるのでしょうか。そのような、自分にとっての人生の大目標を、自分自身の育った環境、教育、思想、習慣と照らし合わせ、あるいは、自分自身の性格や特性といったものと照らし合わせて発見していくことこそ、本当の意味での人間の生き方だと私は思います。
こうした本当に神仏近き自分、あるいは、神仏近き存在としての自分を発見するためにも、「仏法真理と学習」というテーマが必要なのではないでしょうか。そうしたことを特に注意して、今後とも大いに精進していきたいものだと考えています。
【大川隆法 『漏尽通力』第5章「仏法真理と学習」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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18 生命の始まりに、「愛」があったことを感謝しよう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

