64 敵にも愛されるぐらいの「美学」を身につけたいものだ。
65 「実るほど頭を垂れる稲穂かな。」地位が上がるほどに、腰の低い人間となれ。
【箴言集『仕事への言葉』より】
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】
この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
本日からは、御法話『信仰心と国を愛する心について』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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〇霊言集は「霊界や神仏が存在する」ことの証明
そういう考え方からすれば、「数百人に上る霊人が登場する霊言集が、現在、シリーズで百五十九冊もでている(説法当時・2024年時点で600冊以上)」などというような広告を見た場合、「これは、どうせ詐欺でしょう。手分けして書いたのでしょう」ということになるわけです。
ところが、こうした霊言には、いまのところ、全部、私が話した証拠が残っています。その映像は、すべて幸福の科学の支部や精舎等で公開しており、髪型やネクタイぐらいは変わっていますが、それを語っているのが私であることは間違いありません。
また、原稿を読んでいるわけでもないですし、もし、そうした霊言を、全部、原稿に書いたものを暗記してやっているのであれば、私の頭脳はものすごく強力で優秀な頭脳ということになるでしょう(会場笑)。
私も、そのような頭脳になりたいとは思います。「違った内容の本をすべて丸暗記して、ひと言も間違わずにそのまま再現できる。誰かが書いてくれた原稿を丸暗記して、毎日のようにでも”霊言”ができる」というような頭脳には憧れますし、「そんな頭があれば、これほど苦労はしないだろう」と思います。
しかし、それは無理です。そのようなことはできないし、また、それほどの名優でもありません。日本一の俳優として認められるほど、演技力が豊かでもないのです。
やはり、真理は簡単なところにあります。結論は簡単で、「実際に、この通りのことが起きている」というだけのことなのです。
これまで、三十年近くいろいろと活動してきて、いろいろな取材を受けたり、いろいろなことを裏からたくさん探られたりしました。また、元信者や元職員なども数多く取材を受けていますが、いまだに「霊言なるものがインチキだった」という証拠は、一度も出たことがないのです。そもそも、インチキをしていないので出るわけがないのですが、そうしたものは一度も出ていません。
つまり、大きな力が働いているわけです。「このようなことができる」ということは、「天上界がある。霊界がある。神仏が存在する。ということでしょう。西洋的に言えば、「天使が存在する」ということであるし、東洋的に言えば、「如来や菩薩が存在する」ということに、ほかならないわけです。
【大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第一章「信仰心と国を愛する心について」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約40分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
真理の言葉『正心法語』は、「光」にはじまり、菩薩の誓願にて終えています。
主が「正心法語」で私たち、400億人(『太陽の法』に依る)といわれる地球系霊団の魂に共通して教えたかった、地球人として根本的に大切な教えとは、このように、宇宙創造のはじまりが「光」であったこと、光がこの地球を統治して菩薩と共に「仏国土」を建設していること。そのために、地上と天上の闇を打ち払うために「光の菩薩」が、太陽のように仏の光を広げていること。この光の菩薩になることを誓願するために、「正しき心の探求」によって仏の御教えを手本として、仏の生命である光と愛と仏法真理(悟り)を語り伝える伝道師になることを誓願しています。
「幸福の科学」理念は「愛と悟りとユートピア建設」ですが、この理念がしっかりと『正心法語』のなかに埋め込まれています。だから、この経文を読誦することで、救済の仏の助力者としての菩薩になる決意を固めるとともに、その救済業を展開するための力を、仏からいただくことができるようになります。この点において読経の習慣化はとても大切なものです。
このように正心法語では、仏国土ユートピアがメインテーマの一つになっています。仏国土
については、大乗経典の『維摩経』において、大黒天であり、熱心な仏弟子である宝積という名の菩薩が天蓋(てんがい・様々な宝飾を施した日傘)をお布施したのち仏陀を賛美したのち、仏陀が宝積を祝福して、仏国土について説く場面があります。本日は武者小路実篤さんの『維摩経』からその対話を抜粋いたします。
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〇宝積が仏を賛美し奉る歌
宝積の賛美の歌はさすがに美しい。
「目はきよくして長大なること青蓮のごとく、
心はきよくしてすでにもろもろの禅定をわたり、
久しく浄業を積んで弥無量なり、
衆を導くに寂を持てしたまう。
かるがゆえに稽首(けいしゅ)してたてまつる」
かくして宝積は仏陀の教えを讃嘆する。
少し長いが仏陀の賛美は同時に理想人の賛美である。仏教でどんな人間を理想人と見ているか、それを知ることは、この経を知るのに大事なことと思うから、かくことにする。
「大聖の神変力をもって、十方無量の世界を現わし、
その中のもろもろの仏法を演説したまいて、いっさいをすべて見聞させたまう。
法王の法力は群生を超え、常に法の財(たから)をもっていっさいに施し、
よくもろもろの法相を分別し、第一義において動かず。
既に諸の法において自在を得たまえり、
このゆえにこの法王を稽首(けいしゅ)してたてまつる。
万有は有にあらず、無にあらず、
因縁のゆえに万有は生ず、
我もなく、つくるものもなく、受けるものもなけれども、
善悪の業また亡びずと説きたまう。
始め仏の菩提樹のもとにあって、
力よく魔を下し、
甘露の滅を得て覚道を得たまえり。
すでに心意なく果報を受くるなく、
ことごとくもろもろの外道を摧伏して、三度法輪を転じたまい、
その輪常に清浄、
天と人と、道を得、これを証し
仏と法と僧と、世間に現わる。
この妙法をもって群生を救い、
一度受くれば退かず、常に寂然、
老、病、死を度する大医王、
法海の徳、広大無辺、礼すべし、
毀誉に動ぜざること須弥山(しゅみせん)のごとく、
善と不善とに平等に慈しみを与え、
心の平等なること虚空のごとし、
誰か人宝を聞いて敬承せざらん。
今世尊にこのささやかな天蓋をたてまつるに、
世尊憐れみて、
全世界、ことごとくその蓋(がい・ふた)にておおいたまう。
人々その稀有なるを見てみな仏を讃嘆したてまつる。
今われも三界の尊者に稽首(けいしゅ)してたてまつる。
大聖法王は衆人の帰する所、心きよくして仏を観たてまつるによろこばざるはなし。
各々世尊のその前に在すのを見る
これすなわち神変不共(じんぺんふぐう)の法なり。
仏は一音にて法を説きたまえども、衆生はその身に応じて各々悟りを得、
皆謂えらく世尊その語を同じくしたまうと。
これすなわち神変不共の法なり。
仏一音をもって法を説きたまども、衆生各々その力に応じて受けとって利を得る。
これすなわち神変不共(じんぺんふぐう)の法なり。
仏一音をもって法をときたまう。
ある者は恐畏(くい)し、ある者は歓喜す。ある者は厭離(おんり)を生じ、ある者は疑を断ず。
これすなわち神変不共の法なり。
十力(十種のすぐれた力の主、仏のこと)の大精進を稽首し、
すでに無所畏を得たまえるを稽首しまつる。
不共の法に住したまえるを稽首し、いっさいの大導師たるを稽首しまつる。
よくもろもろの結縛を断じたまえるを稽首し、すでに彼岸(さとり)に到りたまえるを稽首しまつる。
よく世間を度したまえるを稽首し、永く生死の道を離れたまえるを稽首しまつる。
ことごとく衆生来去のすがたを知り、善く諸法において解脱を得たまい、世間を著せざること蓮華のごとく、常に善く空寂の行に入る。
諸法の相に達してさわり無し、空(みそら)のごとく所依なきを稽首したてまつる」
この仏陀の境地にすべての人を導き入れたいためにこの経はかかれたと言ってもいいように思われる。
〇仏陀、宝積の請いにより説教される
だんだん話は佳境に入るわけだ。しかし本文はまだまださきだ。それだけたのしみなわけだ。この作者はどこまで深く、こまかく真理の山をわけのぼることができたか、われらはそれを知ることを楽しみにしても、損はしないと思う。
宝積は仏陀を讃嘆したあとで仏陀におたのみした。
「私たちは仏様の御心のような、無上智を得たいとおもいます。そして仏国土の清浄を得たいと思います。どうぞもろもろの菩薩の行についてお話しください」
仏陀は喜んで承知され、そして、
あきらかに聴け、あきらかに聴け、善くこれを思念せよ、まさに汝の為に説くべし」と言われた。こう言われては宝積始め、皆、注意して聞かないわけにはゆかない。
自信の強い作者でなければ、こういうきっかけをつくって、仏にしゃべらすことはできなまい。仏に下手しゃべらしたら、もの笑われだから。しかしこの作者にそんな心配は無用であろう。
仏は言うのだ。
「宝積よ。衆生―いっさいの生物は菩薩にとって仏土である。なぜなら菩薩は衆生を感化して衆生の内から仏土をとり出し、もろもろの衆生を調伏して仏土を取り出す。もろもろの衆生がその仏の智慧をうる国によって仏土を取り出し、もろもろの衆生がどこの国で菩薩の根を起こすかによって仏土をとる。なぜと言えば菩薩が浄国を取るというのは、もろもろの衆生を饒益(にょうやく)するからだ」
衆生を救うことがつまり仏土だというのだ。天国に入れるものは残らず天国に入れようとするのが菩薩の道でもあるのだ。衆生の心の内に仏土があるのだ。キリストは言う「神の国は汝らの内にあり」と、それと暗合していると見ても、そうたいしたちがいはない。人心―他の動物のことは他の動物に任せるとして―人心の内から仏土を取り出し、そこに菩薩はすむのだ。だから仏陀はつづけて言う。
「たとえば人有りて空地に空室を造立せんと欲すれば、意(こころ)に随いて無碍(むげ)なるももし虚空に造立しようとしてもつくることができないようなものだ。菩薩も格のごとく、衆生を成就せんがために仏土を取らんと願う」
衆生―僕は人間だから人と言おう―人間の生命を完成するために、菩薩は人間の心の内の仏土を取ろうと願うのだ。
よく見ている。感心する。
「だから仏土を取ろうと願うは空においてするにあらざるなり」
同感。そこで仏陀も調子にのって言う。
「宝積!まさにしるべし、直心(じきしん)はこれ菩薩の浄土なり!」
そう来なくてはならない所だ。思った通りに実にきもちよく言葉は流れてゆく、嬉しくなる。
「菩薩の浄土は人間の直心、本心、真実の心である」
仏陀は言う。
「直心はこれ菩薩の浄土なり、菩薩成仏の時、へつらわざる衆生来たってその国に生ぜん。
深心はこれ菩薩の浄土なり、菩薩成仏の時、功徳を具足する衆生来たってその国に生ぜん。
菩提心はこれ菩薩の浄土なり、菩薩成仏の時、大乗の衆生来たってその国に生ぜん」
こうなってくると、この経の作者は、余すところなくしゃべらないとおさまらない。性急な僕はもう少し遠慮してもらう方が、余韻があっていいようにも思うが、しかし余すところなく説いてくれるのは、感謝していいと思う。こっちがおちついて教えを受ける気になれば、くわしく、こまかいところまで説いてもらう方が、わかりいいから。真理をもとめるものは性急では駄目である。
菩薩の浄土は人心である。しかし人心全部が菩薩の浄土ではない。人心は悪魔の濁土にもなり得るのだ。・・・(この後、六波羅蜜多、四無量心、四摂法、方便、三十七道品、廻向、八難除、十善が菩薩の浄土であることが順に説かれる)
かく仏陀は説いてきて、言葉を換えて言った。
「かくのごとく宝積、
菩薩その直心に随いてすなわち能く行を発し、
その発行に随いて意(こころ)調伏し、
意の調伏に随いてすなわち説のごとく行じ、
説のごとく行ずるに随いてすなわち能く廻向し、(己が善根功徳を他に施与すること)
その廻向に随いてすなわち方便あり、
その方便に随いてすなわち衆生を成就し、
衆生を成就するに随いてすなわち仏土浄く、
仏土の浄きに随いてすなわち説法浄く、
説法浄きに随いてすなわち智慧浄く、
智慧浄きに随いてすなわち心浄く、
心浄きに随いて一切功徳浄し、
このゆえに宝積、
もし菩薩浄土を得んと欲せばまさにその心浄くすべし、
この心の浄きに随いて仏土も浄かるべし」
これで仏の第一の説教は終わっている。
【武者小路実篤『維摩経』角川文庫より抜粋】
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このように、仏陀は、いっさいの衆生が菩薩にとっての仏土=仏国土であると在家の仏弟子に教え伝えています。仏国土があって、衆生があるのではなく。衆生有りてこその仏国土であると伝えるあたりに、お釈迦様が衆生を愛し、いとしく思うがゆえに、その御教えを菩薩と共に広げることで、仏国土を完成させようとされていることが分かります。これは、2600年経った今現在において主の御心とも通じていると思います。お釈迦様におかれましては、人の心の中にある仏国土ユートピアを発見するために、光の菩薩を地上に派遣しているということです。
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このように、真理の言葉『正心法語』は、「光」にはじまり、菩薩の誓願にて終えています。
地球で魂の修業をしているすべての霊に対して共通する一番大事な教えが「真理の言葉『正心法語』」にて説かれています。九次元意識で説かれて言葉であるので、この地上にあるどの言葉よりも一番尊い波動を持っています。これが仏と私たち仏子である仏弟子との魂の絆であり、母と子をつなぐ紐帯ともいえる経文です。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
また、経文の前半にありました。大黒天・宝積の仏陀への賛辞は、美しい言魂でありながら、仏への限りない感謝と御仏に法をお説き頂きたいという情熱にあふれています。その賛辞の中では、
『仏は一音にて法を説きたまえども、衆生はその身に応じて各々悟りを得、
皆謂えらく世尊その語を同じくしたまうと。
これすなわち神変不共(じんぺんふぐう)の法なり。
仏一音をもって法を説きたまども、衆生各々その力に応じて受けとって利を得る。
これすなわち神変不共(じんぺんふぐう)の法なり。
仏一音をもって法をときたまう。
ある者は恐畏(くい)し、ある者は歓喜す。ある者は厭離(おんり)を生じ、ある者は疑を断ず。
これすなわち神変不共の法なり。』
とあり、同じ説法を聴いても、弟子の受け取りは、弟子の実力に応じて千差万別であることが明らかにされています。仏陀の教えは一つであっても、仏陀の思いにどれだけ迫れるかどうかは、弟子の悟りの力に委ねられています。
ですから、こうした経文は繰り返し、読み込むことによって、仏の御心を深く受け取ることが必要となります。決して一回読むだけで理解できるものでないからです。
「仏説・正心法語」は毎日、必ず読むことで、仏との縁を結びながら、仏の光をいただきましょう。そして光の力を愛の力に変えて、私たち仏弟子の使命を果たしてまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1
口 10 万円からお受けいたします。
・本植福に参加された方には、「『天御祖神
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。
・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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