(1/20-2)20『永遠の仏陀』を読む―仏の本願―正定

『永遠の仏陀』を読む

19 妖怪は、他人(ひと)をこき下ろしたり、千本ノックするのが大好きである。しかし、自分がそうされるのは、大嫌いである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

79 仏陀を誹謗中傷した者と、正しい法を迫害した者は、基本的仏性が凍結される。つまり、天上界、極楽に往く資格がなくなるのだ。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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第1章 武士道の根本―武士道の源流―
1 歴史上の偉人たちに見る「武士道精神」
〇ケネディとリンカンの生き方に見る武士道精神

アメリカで言えば、ケネディやリンカンのように暗殺された大統領のなかにも、多少、武士道精神的なるものを感じなくはありません。

リンカンも南北戦争のときに、戦うべきかどうかを悩み抜いたでしょう。

当時、南部では、「奴隷制は財産だ」という考えでした。アフリカから連れてこられた黒人奴隷は、労働力として牛馬の代わりの財産になっていたところがあったため、南部のほうは、「奴隷解放は財産没収と一緒だから、手放すわけにはいかない」と言って、シビル・ウォー(Civil 
war 内戦)になったわけです。

しかし、リンカンは、やはり、大きな目で見て、「人間を財産扱い、家畜扱いするのは間違っているのではないか」という観点を持っていたのではないかと思います。

そのように、「財産権の侵害をされたという正義の怒り」と「人類普遍の精神」との戦いではあったので、「一方が善で、一方が悪」と断罪できないところはあったと思います。しかし、そうしたときに、「バシッと判断して、生死をかけた戦いをした」というところには、やはり「武士道」があると思うのです。

それから、ケネディも、人工衛星の打ち上げや、月に探査機を送るところで、ソ連に先を越されるようなことがあり、「九年以内にアメリカも追いついてみせる」というようなことを言って、宇宙競争を挑みました。そして、見事に、月にアポロを送り込みました。

また、「キューバ危機」のときには、ソ連は、アメリカの喉元であるカリブ海の島・キューバにミサイル基地をつくっていました。ここに、核兵器、核ミサイルを運び込まれたら、アメリカは防げないわけです。当時の技術から見れば、その距離から撃たれたら、アメリカの全都市は全滅です。

とてもではありませんが、今のように、パトリオットミサイル的な迎撃などができる時代ではなかったため、ケネディは断固とした意志を示し、「もし、核ミサイルを持ち込んだら、アメリカは戦争に出る」といって、海上封鎖までしたのです。

ケネディが海上封鎖を行ったのを見て、それから来ていたタンカー等は、キューバに入らずにUターンをして帰っていきました。そして、最終的には、キューバの核ミサイル基地を撤去させるところまで行ったのです。このあたりも、決然としたところはあります。

【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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8 優しさと厳しさをブレンドして人を見る【正見】
〇イエス・キリストの最期に学ぶ『人生正しく見ることの難しさ』

この自己の責任の生じる、「正しく見たかどうかの最期の結論」を出すときには、勇気が要ります。どのような人であっても勇気が要ると思います。

イエス・キリストといわれる方であっても、そうです。ゴルゴタの丘で最後に十字架につながれ、磔(はりつけ)になったとき、彼は、周りの罪人たちにも祝福を贈りました。また、自分に対して害を与える人に対しても、「彼らは何も知らないのです。神よ、彼らの罪を許したまえ」と言っています。このイエスの見方について、「百パーセントか、九十九・九パーセントか、九十九パーセントか、いったいどれだけの正しい見方を彼は最後にしたか」と問うたときに、これはなかなか難しいところがあるのです。

というのは、置かれた状況を状況として判定する場合、彼の見方はおそらく最高限度に近いものであったでしょう。彼の教えのなかには、「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」「上着を取られたら下着も与えよ」「百里行こうと言われたら千里行け」というような教えがあります。その教えの実践の結果がどうなったか。それが、あの最後の結末になっているわけです。

「暴力を与えんとする者には与えさせよ」「ということを言っているわけですが、その結果があの最期になったわけです。十字架での最期は、他の罪人への祝福と、自分を迫害するものへの愛において終わったけれども、最後におけるその見方はよいが、それに至る途中において、「そうした行為を許した」という点で、彼自身、はたして正しく見ていたかと問うたときに、「イエス」とは言いかねるのです。

そこにいたるまでの間の見方、分析、考え方、思いを正当に評価しうるかといえば、必ずしもそうとは言えないところがあります。そこまで来るには来るだけの理由があり、過程があったはずです。要するに、「その過程において、『人をどう見るか』ということについて、もう少し上手な、あるいはレベルの高い見方ができたのではないか」ということです。

〇ユダの問題は、イエスの優しさゆえに招いた悲劇とも言える
ここで、私たちは、ユダの問題を考えなければならないと思います。「イエスはユダをどう見たのか」という問題です。これは、『大川隆法霊言全集 第五巻 イエス・キリストの霊言』(宗教法人幸福の科学刊)のなかにも書かれている内容ですが、「ユダをどう見たか」「ユダの動きをどう見たか」「ユダの結末をどう見たか」ということです。

ひとことで言えば、「なぜあそこまでやらせたか」ということです。真に正しく見たのであるならば、なぜあそこまでやらせたか。あそこまでやらせる前に、なぜ一喝を与えなかったか、なぜもっと智慧を持って見てやらなかったか。なぜ智慧を持った愛をもっと与えてやらなかったか。これは考えなければならないところです。

イエスは、ユダの傾向性を見ていたでしょう。ユダの傾向性から、「結果としてこうなるであろう」ということは見えていたでしょう。しかしながら、自分のかつて愛した弟子であるがゆえに、自分の伝道の初期の頃に愛した弟子であるがゆえに、厳しさを出すことができなかったのでしょう。

イエスは、ユダについて、「現在、魂的にはよくなくなってきている。また、霊道も開きかかって、悪霊もよく入り始めている」ということは十分に知っていました。そして、他の者からも不満は出ていました。「先生、あのユダをどうにかしてください」と、他の弟子たちは言っていたのです。現実に言っていたのですが、しかし、「ユダは自分の最期の頃の弟子であって、最初のころにいろいろとずいぶん骨を折ってくれた。その愛を思うときに厳しくはできない」という遠慮があったのです。

そして、結果があのようになりました。運命と言えば、それまでです。しかし、運命ではないと言えば、それもそのとおりです。まだ選択の余地はあったのです。

これは、あのような大指導霊であっても、「正しく見る」というところにおいて、究極までは行かない部分がまだあるということなのです。イエスの魂は、過去幾転生する過程において、何ゆえに何度も悲劇の死を遂げたか。これは、「そうした運命を担っていた。役割だ」と思えば、それまでです。

彼の魂は、過去幾転生のなかで、何度もあのような最期を遂げています。アガシャーのときもそうでした。それ以外のときにも、同じようなことがずいぶんありました。アガシャーのときは、最期は処刑されて生き埋めにされるところまで行っています。そこまでさせているのです。させているのであって、されたのではないのです。その愛の見方ゆえに、させたのです。愛ゆえに、多くの人々への愛のためには、自分の命を捨てるということが最大の愛だと思うがゆえにです。

それは、一つの方法論でしょう。しかし、その甘さゆえに、優しさゆえに、あるいは増長させたがゆえに、あのような悲劇は起きているのです。

〇釈尊は、「人を見る」ことにおいて、イエスと違いがある
これと対照的なのが釈尊です。過去幾転生を見ても殺されたことはほとんどありません。

それはなぜか。
この「見る」というところにおいて、イエスと釈尊には違いがあるのです。究極的に人を生かすというところにおいて、どれだけ優しさと厳しさをブレンドできるか。ここに、本当はいちばん難しいところがあるのです。コーヒーのブレンドではありませんが、人を見る際には、優しさと厳しさのブレンドの仕方がいちばん難しいのです。そして、それによって”香り”が出てくるのです。

【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」76p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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第三章 不滅の力 
〇仏の本願
仏が地上に降りているあいだに、
その仏の教えをくまなく伝えうること、
それが僧の使命である。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
おまえたちの使命は、
これ以外にはないのだ。
そして、その、法を伝えるという仕事をしているなかにこそ、
おまえたちの真実の悟りは、また、高まってゆくのだ。
わが弟子であるならば、
おまえたちの目指すところは菩薩である。
菩薩となるということである。
菩薩の仕事で一番大切なことは、
法を布施するということなのだ。
これは、与える愛のなかで最大のものであるのだ。

おまえたちは菩薩を願う者たちであり、
いや、本来、菩薩であるならば、
本願を成就せよ。
仏の念いを成就せよ。
仏の願いを成就せよ。
仏の願いとは、一つだ。
一切の衆生を救いたいと念(おも)う心であり、
【参考※「衆生無辺誓願度」・四弘誓願】
縁ありて集いたる一切の衆生に、
仏法真理を学びつくしてほしいという願いなのだ。
【参考※「法門無量誓願学」・四弘誓願】
この宝の山を、ごちそうの山を、
一人ひとりに届けたいということなのだ。
これが仏の本願である。
この本願を遂行することが、
弟子としての最高の使命である。
【参考※「仏道無上誓願成」・四弘誓願】
これ以外に、弟子としてなすべきことも、さまざまにあろう。
それを別願という。
別願として、たとえば、
政治家になるとか、
よき医者になるとか、
あるいは学者になるとか。
あるいは芸術家になるとか、
そのような己の使命を果たして、
人類に貢献せんとする思いもある。
しかし、これはあくまでも別願である。

本願はただ一つ。
この、仏の説く教えを弘めることだ。
【参考※「南無仏陀真言広宣」・「南無仏陀広宣流布」・福徳増進祈願】
そして、仏法真理の縁ができた人々に、
この教えを学びつくしてもらうことなのだ。
さすれば、彼らは、この地上界を縁として、
仏国土をつくり出すことができるであろう。
そう、仏の願いもまたここにある。
【参考※南無仏陀植福広大・南無仏陀福徳増進・福徳増進祈願】

かつて、この地上は、光に満ちた地であった。
そして、この地上を去った世界も、
光に満ちた、調和ある世界であった。
しかし、この地上での魂修行をくり返すうちに、
しだいに本来の魂の在り方を忘れ、
地上のなかで、「己かわいし」とする心が、
他の者を虐(しいた)げ、己の栄華を求める心となり、
そして、この地上界特有の欲望というものを生み出していった。
そのような欲望が生まれた時、人間の堕落が始まった。
ある者は、欲望のままに、
己を拡大し、己の力を広め、
そして、他の多くの人々を不幸に陥れた。
ある者は、その欲望がかなわぬがゆえに、
己の不幸の思いをまき散らし、
そして、暗い淵に沈んでいった。
このようにして、
欲望を限りなく追い求める者と、
欲望が成就できずして、
苦しみのうちに地上生命を終えたる者とが、
この地上界を縁として、地獄世界を創ったのだ。

さすれば、彼らは、その始めに戻り、
この地上世界を縁として、仏国土建設をなさねばならぬ。
地獄を創ったものが人間であるならば、
人間は、みずからの思いと行いを通して、
その地獄を解消する必要があるのだ。
これは尊い義務であるのだ。【参考※「煩悩無尽誓願断」・四弘誓願】

【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第二章 八正道の発見
10 正定

最後に、「正しく定に入る」ということを簡単に説明しておきましょう。

結局、これは宗教の根本にかかわるものなのです。すなわち、「どのようにして精神を統一するか。いかにして、異次元世界にある高級諸霊や、その奥にある仏の心を感じ取るか。いかにして、仏の心と自分の心とを同通させるか」ということに関係しているのです。

「正定」の部分を通過させなくては、ほんとうの意味で「精神的に目覚めた」とは言えません。また、ほんとうの意味で、「世界を実感した」とも言いかねるのです。

人間は、自分の過去世や未来世を知ることはなかなかできません。しかし、正しく定に入ることによって、高級霊たちの感応を得て、自らの心の偉大さに気づいたときには、一つの大いなる体験をするようになります。

結局、正定の最終目的は、真実の智慧の獲得と、智慧の力による、この世的束縛からの解脱にあります。

正定のもう一つの目的は、自己の内部を掘り下げていくことです。自己をどこまでも深く掘り下げていくことによって、内なる守護・指導霊たちと交流できるような境地に達するのです。

知識というものは、霊的な裏打ち、仏法真理の裏打ちがなければ、ほんとうのものとは言えません。それゆえ、さまざまなことを霊的に学んできた人であっても、正定をともなわなければ、人格が完成することはありません。また、霊的に偉大な人物となることもありえないのです。

一方、必ずしも宗教に没頭した人でなくても、偉人と言われる人は、みずからの心を見つめるための時間を、どこかでとっていたことが多いのです。ある人は散歩、ある人は思索というように、なんらかのかたちで正定に入っています。それは、大宇宙に遍満するエネルギーと交流していたということなのです。

正定に至って初めて、人間の可能性は無限となるのです。生きている人間の知力には限界がありますが、正定に至るとその限界は突破され、全宇宙の叡智を自分のものとすることができるようになっていきます。

それゆえ、正定に基づく反省の観点は、結局、「宇宙的自己、宇宙の一員としての自己、仏の創られた世界の一部としての自己を、どれほど確認しえたか」というものとなるのです。正定まで至って初めて、みなさんの修行も完成に至ると言えます。

「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」のすべてが完成されたときには、少なくとも阿羅漢の境地に達することができます。そして、次なる高度の段階において、菩薩へと進化していくことが可能となるのです。

そうした修行方法として、また、希望の原理、進化の原則として、八正道があるということを知っていただきたいと思いします。

【大川隆法『釈迦の本心』第二章「八正道の発見」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2025年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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