(11/22-1)326経典『太陽の法』を読む 51エル・カンターレへの道―目をひらけ―光の性質

『太陽の法』を読む

61 器のある上司になりたくば、時に、部下の直言を受け止めよ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。




11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、光とは何か。仏法真理とは何か。という問いに答える幸福の科学の教えの基本です。また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】

本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。今、永遠の神秘が明らかにされました。伝説と神話のベールに覆われていた、地球系霊団の最高の秘密が明らかにされたのです。世界全宗教の統合、超越の悲願を掲げて、本書を世に送り出します。【『永遠の法』まえがきより】
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第6章 エル・カンターレへの道
1目をひらけ

みなさん、あなたがたは、一回や二回、地上に生まれてきたような存在ではないのです。第5章で、ここ百万年ほどの歴史をふりかえりましたが、あれだけの文明の興亡があり、あれだけの大陸の浮沈があったのです。それぞれの文明に生まれていた人間は、あなたがたとはまったく別の人間だったのでしょうか。降ってわいたように、人々が出てきたのでしょうか。

そうではありません。それぞれの文明に生きて、アトランティス人やムー人だったのは、実は、ほかならぬあなた方自身だったのです。あなたがた自身の魂の奥にある記憶の宝庫のなかには、過去、何十、何百の文明に生まれ変わった記憶が厳としてあります。霊能をもった特殊な人だけにあるのではありません。それは、すべての人に、平等に与えられている、魂の記憶なのです。しかし、人間は、永年の転生輪廻の過程でつちかったそうした英知を、肉体に宿ったという、ただそれだけの事実で忘れてしまったのです。

あなたがたが、自分自身だと思っているものは、あなたがたのほんものではなくて、ぬいぐるみにしかすぎません。肉体とは、魂がこの世で修行を積むためののり舟であり、自動車の運転手があなた自身であって、舟や自動車は、あなた自身ではないのです。

そこで、自分の肉体をあやつっている、もう一人の自分というものに、目覚めていただきたいのです。本当の自分自身にめぐり合っていただきたいのです。

わずか、十年や二十年の学校教育を受けた知識をもって、世界のすべてがわかったなどと思ったら、とんでもない間違いなのです。自分自身で、ほんとうの自分というものを探求しなければ、一体だれが、おせっかいにもそれを教えてくれるというのでしょうか。ほんとうの自分にめぐり合うためには、自分自身で、本当の自分とは何かを探求するしかないのです。

では、本当の自分に出会うとは、どういうことでしょうか。それは、すなわち、魂の真実に気づくことです。そして、魂の真実に気づくためには、自らの心を徹底的に探究しなくてはなりません。自分で自分の心を探求しないで、一体だれが、その真実を教えてくれるというのでしょうか。あなた自身が、あなたの真実の姿を語られずして、一体だれが、それを語ってくれるのでしょうか。「悟り」とは、ほんとうの自分自身に出会うことです。ほんとうの自分の真実なる心を自分自身で語れることです。つまり、これが「私だ」といいきれることなのです。

人間の魂は、仏からわかれて来たものであり、仏の自己表現の芸術であると、言ってよいでしょう。ところが、人間は、創造の自由と、行動の自由とを与えられたことから、孫悟空のまねをして、わがままいっぱいに生きてきました。そして、いつのまにか、親である仏のことを忘れ、仏の心を忘れ、自我我欲と煩悩のままに、地上生活を営むようになってしまったのです。実在界の天国よりも、この地上界に執着を感じはじめたときに、人間の堕落は決定的となりました。だから、地上界そっくりの欲望と闘争の世界をあの世につくり、それが地獄となってしまったのです。

自らを知るとは、自らが仏の子であることを知るということです。仏の御心を知るということなのです。そして、目をひらくとは、自らの霊性に気づき、四次元以降の実在界の存在に対して心をひらくということなのです。

もしあなたが、現在の自分に満足し、現在の人間観に満足しているならば、居眠りをしていても結構です。しかし、真実目をひらきたいならば、まず自らの心を探求することからはじめるべきです。仏の国への手がかりは、そこにあるからです。

【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、経典『永遠の法』より、空間(霊界構造)に関する教えを振り返ります。
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第五章 八次元の世界
2光の性質

八次元如来界に来ると、「光」というものを意識せざるをえなくなります。「仏は光であり、人間の本質も光である」「仏の七色の光を受けて、さまざまな高級霊たちが活躍している」というように、光という言葉がいろいろなかたちで使われています。

では、光とは何でしようか。それは太陽光線のようなものなのでしょうか。人々は光という言葉を無批判に使いすぎているようにも思えます。そこで、仏の光に対して認識を新たにし、しっかりと定義していく必要があると思います。

「仏は光なり」という場合の光とは、どのような意味なのでしょうか。光の概念を考える場合、その対極にあるものを持ってきて、光の性質を浮き上がらせるという方法もあります。

光の反対は「闇」だと言われています。そこで、闇の属性について考えてみると、まず、暗さを伴うということがあります。また、見えない、陰湿である、希望がない、生きる活力がないといったようなことも、闇の属性として考えられるでしょう。

そうすると、光はそれらとは反対のものだということになります。そこで、光の属性を考えてみると、光が光であるゆえんは、まず、「明るさを帯びている」ということです。しかも、単に明るいだけではなく、「生命のエネルギー源であるところの、さまざまな意思や意図、性格、性質が宿っている」と言えるのです。

光と闇という話をしましたが、ここで問題となるのは、古くからある一元論と二元論の問題です。「闇は本来あるのかないのか」ということです。

闇という存在は、それ自体、消極的存在であることは事実です。闇というものが放射されて夜ができるわけではありません。闇が闇であるのは、光をさえぎっているからであり、間接的な媒介を通して闇は存在するのです。一方、「光は積極的な存在であり、働きかけるものである」と言うことができます。

どれほど強い光があっても、それをさえぎるものがあれば、闇ができます。光が強ければ強いほど、濃い闇ができます。たとえ一万燭光(しょっこう)の光を持ってきても、あるいはき百万燭光の光を持ってきても、岩陰に隠れたならば、その光はあたりません。光には「直進する」という性質があるので、さえぎるものがあれば、その光は行く手を閉ざされることになります。

善と悪についても、これと同じことが言えます。すなわち、「善は積極的存在であり、悪は消極的存在であると言うことができるのです。善はあって悪はないのかというと、一概にそうとは言えません。一定の間接的媒介を通して、消極的存在ではあるけれども、悪というものの存在がありうるのです。

「本来、闇はない」と言っても、光のある所には闇が生じます。同じく、「本来、悪はない」と言っても、善のあるところには、それを引き立てる意味で、悪があることも事実です。

悪は積極的存在ではなく、善の欠如であることは事実ですが、「善の欠如を一つの媒介として、悪があるように見える」ということも、ある意味で事実なのです。

たとえば、巨大な蛍光灯や白熱灯で室内を照らしたとき、どれほど燦然たる光を放ったとしても、室内のどこかに必ず影ができます。室内を鏡の部屋のようにした場合には、もちろん影はできないでしょうが、通常の人間が生活するような室内であれば、たとえどれほど強い光を当てたとしても、食器なり家具なりにさえぎられて、影のできる部分が必ず生じます。

こうしてみると、「影、闇、悪というものは、本来はないものにもかかわらず、人間が通常に生活していく上において生ずるものだ」ということができます。 

【大川隆法『永遠の法』 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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本日前半の『太陽の法』では、悟りの第一歩である霊的人生観の大切さについて珠玉の言葉がたくさんありました。

『あなたがたが、自分自身だと思っているものは、あなたがたのほんものではなくて、ぬいぐるみにしかすぎません。肉体とは、魂がこの世で修行を積むためののり舟であり、自動車の運転手があなた自身であって、舟や自動車は、あなた自身ではないのです。』

また、以下の言葉も大変感動的な教えでした。

『では、本当の自分に出会うとは、どういうことでしょうか。それは、すなわち、魂の真実に気づくことです。そして、魂の真実に気づくためには、自らの心を徹底的に探究しなくてはなりません。自分で自分の心を探求しないで、一体だれが、その真実を教えてくれるというのでしょうか。あなた自身が、あなたの真実の姿を語られずして、一体だれが、それを語ってくれるのでしょうか。「悟り」とは、ほんとうの自分自身に出会うことです。ほんとうの自分の真実なる心を自分自身で語れることです。つまり、これが「私だ」といいきれることなのです』

『自らを知るとは、自らが仏の子であることを知るということです。仏の御心を知るということなのです。そして、目をひらくとは、自らの霊性に気づき、四次元以降の実在界の存在に対して心をひらくということなのです

もしあなたが、現在の自分に満足し、現在の人間観に満足しているならば、居眠りをしていても結構です。しかし、真実目をひらきたいならば、まず自らの心を探求することからはじめるべきです。仏の国への手がかりは、そこにあるからです』

本日の学びは、まさに、人生を変える一転語ばかりです。悟りの世界を分かりやすい言葉で教えて下さっている点においては、幸福の科学の教義を学ぶ上で、極めて重要であると考えます。繰り返し繰り返し読み返したいところです。

また、後半の『永遠の法』では、光の性質と同時に闇の性質について主の教えをいだきました。これは重要論点です。根本仏である主エル・カンターレが、闇や悪の存在をどのように考えているかを知ることができる貴重な教えです。
特に印象的だったのは、
『闇という存在は、それ自体、消極的存在であることは事実です。闇というものが放射されて夜ができるわけではありません。闇が闇であるのは、光をさえぎっているからであり、間接的な媒介を通して闇は存在するのです。一方、「光は積極的な存在であり、働きかけるものである」と言うことができます。

どれほど強い光があっても、それをさえぎるものがあれば、闇ができます。光が強ければ強いほど、濃い闇ができます。たとえ一万燭光(しょっこう)の光を持ってきても、あるいはき百万燭光の光を持ってきても、岩陰に隠れたならば、その光はあたりません。光には「直進する」という性質があるので、さえぎるものがあれば、その光は行く手を閉ざされることになります。

善と悪についても、これと同じことが言えます。すなわち、「善は積極的存在であり、悪は消極的存在であると言うことができるのです。善はあって悪はないのかというと、一概にそうとは言えません。一定の間接的媒介を通して、消極的存在ではあるけれども、悪というものの存在がありうるのです」

闇や悪存在は、光や善に付随する消極的な存在であり、光や善をより浮かび上がらせるためにその存在を許されていることがよく分かりました。

天上界の天使や菩薩そして如来は、四次元幽界の地獄領域と地上に巣くう地獄領域の解消に向けて日々精進を重ねていますが、宇宙の法が少しずつ説かれているなかで、闇宇宙や裏宇宙という存在も明らかにされています。

光と闇の存在はこのように地球の身にあるのではなく、宇宙規模において存在しています。ですから光の性質をしっかりと学び、それに付随する闇の性質を私たちはしっかり学ばなければならないと強く考えました。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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