(11/5-2)37『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―永遠の仏陀の光、いまここに―「空」はなぜ重要なのか

『永遠の仏陀』を読む

36 妖怪はまっとうな信仰心を持っていない。
37 妖怪は、他人を騙すために、信仰心を悪用する。
38 ゆえに、妖怪は、「仏・法・僧」に「三宝帰依」できない。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

60 ある時、仏像盗んで、売り飛ばした男が、ワニの姿に変えられて、その皮からハンドバックが作られるところを目撃した。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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1言葉の影響力【正語】
〇口に出した言葉が自分と他人の幸・不幸をつくり出す

次に、「正しく語る」ということを話してみたいと思います。これは正見と並んで、共に非常に大切な修行の目標です。しかし、この正語はかなり難しいことです。それは、「八正道」の教えに基づいて自己の心をチェックしている人が、その難しさを感じているのではないでしょうか。

もし、一日が終わる時点において、自分がその日一日に語ったことを録音されていて、就寝前にもう一度それを聞かされたらどう思うか。これが「正語的発想」の出発点です。
一日を過ごし、もし、その日に自分が語ってきたことが録音されていて、それを寝る前に聞かされたとしたら、どう判断するか。自分が語ってきたことを、もう一度、他人の目で見よ。第三者の目で見てみよ。

こう言っているのです。これは、極めて難しいことです。正見も難しいことですが、正語はさらに難しいことです。

自分の語っていることが、他人にどういう影響を与えているのか。そして、その言葉を出すことによって、自分自身がどう影響されているのか。自分が出す言葉によって、自分がどう影響されているか。このことについて分からないとがほとんどです。九割以上の人がそうでしょう。そして、不幸をつくっているのは、自分自身が出している言葉に問題であることのほうが多いのです。

幸福の科学の信者であれば、いろいろな相談を受けることもあるでしょう。例えば「自分は他人から被害を受けている」というような相談です。「いつも上司に怒られている」「いつも夫の暴力で悩まされている」「いつも妻の悪口雑言で苦しんでいる。四六時中、苦しんでいる」という苦情が出されるわけですが、「本当に四六時中ですか」と訊くと、そんなことはないのです。

「よく怒る上司」というのは、実は年に二回ぐらい怒るだけとか、「一日中、朝からベットの中まで小言を言う」という妻は、実際に時間を計ってみると一日に、三十分も言っていなかったとか、そのようなことはよくあるのです。ところが、自分を害するような言葉がエンドレスで頭の中を回っている感じがするのです。

なぜそのようなことが起こるのでしょうか。それは、その事実を自分が口に出して確認していることが多いということです。「おまえは一日中、小言を言い続ける」「いつもいつも聞かされて、自分は参っている」などと自分で口に出して言うと、言葉に出すことによって、その事実が客観化してくるわけです。そうして、自分が出した言葉によって、その事実が客観化してくるわけです。そうして、自分が出した言葉によって、今度は縛られます。いったん、そういうことを言った以上、毎日毎日、妻から責められていないと気が済まなくなるのです。そのように思わないと気が済まなくなるのです。自分が言ったから、その言葉を信じる以上、そうなってくるのです。こういうことは、実に多くあります。

心に留め置かなければ、翌日には忘れられるようなことであっても、それを言葉として表現してしまった場合には、その言葉は自分の心のなかに残り、他人の心のなかに残るのです。

【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」136pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第五章 永遠の仏陀 
〇永遠の仏陀の光、いまここに

行け、
行きて、わが言葉を伝えよ。
永遠の仏陀の言葉を伝えよ。
永遠の真理を伝えよ。
永遠の法を宣べ伝えよ。
永遠の仏陀、東の国にてよみがえり、その声発するを、
この日本に、くまなく伝えよ。
全世界の人々に伝えよ。
億万の民に伝えよ。
幾十億の民に伝えよ。
来世の人々に向かっても伝えよ。
地下にある者たちにも伝えよ。
「おまえたちは、魂の牢獄から、魂の煉獄から、
いま、解き放たれたる時が来たのだ」と、
告げ知らせるのだ。
永遠の仏陀の光が、
ここに、
いまここに、
臨んでいるのだ。

信ぜよ。
見よ。
聴け。
そして、
知るのだ、この言葉の力を。
知るのだ。この言葉の意味を。
知るのだ。この希望の福音を。
すべては、ここに始まり、
すべては、ここに終わる。

永遠の仏陀を信じる時に、
あなたがたもまた、
永遠の生命として
生き続けることとなるのだ。
(完)
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あとがき(旧版)

『永遠の仏陀』とは、永遠の真理であり、永遠の法でもある。

仏陀とは、人にして、法なり。法にして、人なり。しかして、地域を超え、時代を超えた、最大の愛の顕現でもある。

本書は人類の宝である。至宝である。

これを決して無駄にしてはなるまい。あなたがたは、このダイヤモンドの山を無駄にしてはなるまい。それをまた、自分ひとりのものにしてもなるまい。

すべては、ここにある。すべての教えの本が、ここにある。すべての悟りの本が、ここにある。

今、永遠の仏陀、あなたの前に現れ、あなたと共に歩んでいるを知ることだ。

一九九一年 七月
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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改訂新版・あとがき

ある時には、静かに淡々と語られ、ある時には、厳かに胸を打つ言葉がつづられ、仏陀の説法とはどのようなものであるかが、本書によって、あまねく人々に伝えられたと思う。

言葉の流れは、第五章『永遠の仏陀』に入って、激しく、かつ、急となる。読者は、仏陀の奥にある「エル・カンターレ」の意識と姿を、一瞬、垣間見ることができる。しかし、深くは理解しなくてよい。釈迦とキリストの奥に存在(あ)る「光体」の煌きを、かすかに、感じ取るだけでよい。それから後は、実在界の神秘のままでよいのだ。

この十数年の活動で、何かと世紀末の闇を打ち砕くことに成功を収めつつあると思う。外には、ある時には華々しく見えたことであろうが、内にあっては、真剣かつ、緻密かつ、着実な毎日の積み重ねであった。

一九九一年に語られた私の本書での呼びかけに馳せ参じ、地涌の菩薩として身命を惜しまず活躍された、幾万、幾十万の光の子たちに、心からの感謝を捧げる。

一九九七年 7月末 
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法

【大川隆法『永遠の仏陀』より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
7 「空」はなぜ重要なのか

それでは、「空」の思想はなぜ重要なのでしょう。仏教は「空」の思想をなぜ持ち出してきたのか。なぜ、目に見えぬ世界の話をするのか。なぜ、目に見えぬものが現われたり、現われたものが目に見えぬものになったりするのか。そうしたことについて考えてみましょう。

実はこの領域に、後代において禅宗が発生する源流があると考えられるのです。禅では、「禅問答」といわれる奇抜な問答をすることによって、相手に仏性や実相世界を悟らしめることが、往々にしてあります。「まったく別のものを持ってくることによって、現在の自分の立場や考え方を、鏡に映すように悟らしめる」という方法が、禅にはあるのです。

その意味で、「空」の思想は禅の源流をなしていると言えます。ただ、禅の思想そのものは、釈迦の思想から少しそれていった面があります。

結局、目に見える世界を実在だと思うからこそ、それに執(とら)われるのです。人びとは、肉体を見れば肉体に執われ、異性を見れば異性に執われ、食物を見れば食物に執われますが、執われのなかには、決して心の安らぎはありません。

心の安らぎは、執われを取り去ったときに現われます。無執着の境地にこそ、幸福感はほとばしり出てくるのです。釈迦はそれを知っていました。

それゆえ、釈迦は第一段階の否定として、「諸々の比丘、比丘尼たちよ。おまえたちの目に見え、当然のごとく実在だと思われる、おまえたちの肉体やさまざまな物質、山川草木(さんせんそうもく)などは、ほんとうは『空』であり、仮の姿にしかすぎないのだ」と、「色即是空(しきそくぜくう)」を説いたのです。そのときの仏弟子たちのショックは、どれほど大きいものだったでしょうか。

物質を電子顕微鏡で見たことがある人ならば、それが事実であることが分かります。物質という固形化したものであっても、拡大して見れば、隙間だらけの小さな粒子の集まりにかすぎません。人間の目の前に実在しているように見えているのは、目の錯覚にしかすぎないのです。

このように、釈迦はまず、この地上にしばられる心を地上世界から遊離させ、真実の価値世界に目覚めさせるために、「空」を説いたのです。この第一段階の否定は、禅の根本と相通じています。

しかし、「色即是空」を説くだけではまだ不十分であり、次に「空即是色」を説かなければなりません。そこで、釈迦は次のように説明したのです。

「地上のありとあらゆるものは、実は仏の念いによってできているのだ。仏の念いは、目に見えるものでも、手に触れることのできるものでもない。しかし、仏の念いが言葉となったとき、それはやがて具象化し、現われてきたのである。

この地球という星も、そこで生きるさまざまな動植物も、仏の念いがあってできてきたものである。そうした仏の念い、また、その念いを伝えるための高級諸霊の活動があって初めて、この世界ができてきたのだ」

ここには、釈迦の思想の特徴である、バランスのとれたところ、偏らないところが、明らかに表れています。

結局、「空」の思想とは何かと言えば、一つには、執着を取り去るための修行方法であり、もう一つには、世界や人生の成り立ちを教え、天地創造の秘密を解明するものなのです。この二つの意味合いがあるために、「空」は大切な思想とされていたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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