(10/31-2)32『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―仏は法なり、仏は教えなり―生と死の意味(10/31-2)

『永遠の仏陀』を読む

31 「善人」のフリをしている妖怪は、その人が見ていないところで、「へッ」と舌を出している。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

65 万引きを常習としていた人が死んだ、あの世では、手術台に乗せられて、臓器移植のドナーとして、いろんな臓器を取り出された。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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6「正思」のための三つのチェックポイント

したがって、「正思」の探求においては、前節で挙げた三つの点について、その思いをチェックすればよいということになります。【※①素直さ ②自助努力 ③謙虚さ】

正しい思いというものを一覧表にして考えるのは非常に難しいことですが、真に神仏に近づいていくための心構えとして、「素直さ」「自助努力」「謙虚さ」というものが必要だとするならば、これに反する思いが「正思」を妨げているというように考えてもよいわけです。

①「素直さ」を妨げるもの―自我の殻
では、第一に挙げた「素直さ」を阻害しているものはいったい何でしょうか。素直に取り組もうとする姿勢、教えを受け、学び、向上していこうとする素直な気持ちを阻害するものは何であるか、ということについて考えてみる必要があります。

そこに出てくるものは、自分が過去何十年かの間につくってきた、”殻”です。「自我の殻」がこれを妨げるのです。それまでに自分が「よし」と思って生きていた、「これでいい」と思って生きてきた生き方のなかに、自分を枠に入れている”殻”が何か付いているのです。この”殻”の部分が、自分を素直になることを妨げているのです。

それゆえに、まず、「自分は自分固有の匂い、見方、生き方といったもので、なんらかの”殻”をつくってはいないかどうか」ということを点検しなければなりません。これも、反省においては非常に大事な点です。

過去の自分の生き方を見てみると、おそらく、普通の人と違った部分、特殊な部分があるでしょう。その特殊な部分については、プラス評価できる面とマイナス評価となる面の両方があるでしょう。いずれにせよ、そうした特殊な部分があったということ自体が、すなわち、自分のものの考え方、生き方において、何らかの”殻”をつくっていることは間違いないと思ってよいのです。

したがって、過去の自分を振り返るときに、最初に取りかかるとよいことは、それまでの三十年、四十年、五十年、六十年の人生のなかで、自分と他の人とを比べてみて、いちばん変わっていたところはどこであったかを点検することです。

いちばん変わっていたところはどこであったか、その生き方がどのように自分に方向付けをしているかを考えてみると、思い当たることは必ずあります。もし、その生き方がマイナスの生き方であって、それを自力によって克服してきたとしても、それなりのものを必ずつくっているはずです。

それには、いろいろなものがあると思います。

〇肉体的なハンディがある場合
例えば、肉体的なハンディというものがあるでしょう。普通の人とは違うような肉体的ハンディがあった人もいるでしょう。それを克服しようと努力してきたかもしれないし、克服に失敗したかもしれません。どちらかは分かりませんが、その格闘の過程において、何らかの”殻”をつくっているのは間違いないと思います。これも一つの例であります。

〇家庭環境が極端に裕福だったり、貧しかったりする場合
また、別なものとしては、家庭環境が良すぎるがゆえにできる”殻”もあるでしょう。あまりにも家柄がよすぎる、両親が立派過ぎる、あるいは家が裕福すぎといったことゆえにできている”殻”もあります。

その逆に、貧しすぎるがゆえの”殻”もあるでしょう。貧乏ということを味わいすぎたゆえに、心がそこから抜け出せないというような”殻”もあります。

〇肉親にかかわる不幸があった場合
さらには、幼少時における両親の不幸ということもあるかもしません。片方の親が亡くなったり両方とも亡くなったり、あるいは離婚したり再婚したり、いろいろなことで不幸があったかもしれませんが、こうした特異な事件は、必ずその人の心に何かを投げかけています。

〇才能や勉学、学歴等に偏りがある場合
それから、才能の面でも同じことが言えます。

ある面において非常に突出した才能を持っている場合、そこにはおそらく光と影の両面が出ているでしょう。

例えば、学校の勉強ができるというところだけが突出した人にも、もちろん、プラスとマイナスの両方があるはずです。プラスの面としては、それを生かしていろいろな知識職業、知的職業をこなしていけるところがあるでしょうが、その一方では、人間関係において、いろいろなデコボコや、ギクシャクをつくってきていることがあります。ともすれば、暗く引っ込み思案の性格になったり、他の人々のことを本当にはよく思わないような性格をつくったり、人間嫌いの性格をつくったりしていることもあります。

反対に、学歴不足に悩んでいる人もいるでしょう。そのなかには、劣等感だけで生きている人もいれば、「劣等感の克服のために、これだけやってきたんだ」と頑張っている人もいるでしょうが、いずれにせよ、少なくとも何らかの”殻”はつくっているわけです。

したがって、真実の自己と出会うためには、まず、そういった”殻”の部分を見破らなければなりません。

〇自分の「特殊事情」を言い訳にしない
そして、素直な心になるためには、この”殻”の部分を取らなければならないです。さまざまな過去のいきさつ、自分の特殊事情というものを取り去らなければ、本当に真実の心で神仏と対面することはできません。「私は、こういう特殊事情があったために、こうなったのです」という言い訳をしているうちは、いつまでも、決して心を素直にすることはできないのです。決して心を開くことはできないのです。自分になりの特殊事情、言い訳というものを、まず取らなければなりません。これを取らないかぎり、絶対に「正しい思い」などできないのです。

ですから、まずは、誰にも必ずある”殻”を取ることです。プラスもマイナスも含めて、この”殻”の部分が自分に与えていた影響を取り去り、素直な、純粋な人間としての自分を、もう一度考えてみる必要があるのです。素直な、純粋な人間としての自分を、もう一度考えてみる必要があるのです。ここを経なければ、真実の自分というものは決して分かりません。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」111pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。

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第五章 永遠の仏陀 
〇仏は法なり、仏は教えなり

くり返し、おまえたちに告げる。
このわが教えは、
単に、おまえたちの心を救うがためにのみ、
説かれているのではない。
この教えを本として、全宇宙は統べられているのだ。
この教えを実現すべく、
人類の過去・現在・未来があり、
人類なき過去にも、
この教えは厳然としてあり、
人類なき未来にも、
また、あるであろうということを。
私は明言しておく。
このわが説く法は、
人間の出現に先立ち、
人間の消滅におくれて、
なおもあるものである。

教えとは、姿を変えたる仏そのものであるということを、
おまえたちは知らなくてはならない。
わが教えを読むは、仏を見ると同じなのである。
仏を知らんと欲せば、わが教えを見よ。
その教えこそが、姿形なき仏の実体なのである。

おまえたちは、空を見上げて、仏を見んとするか。
おまえたちは、目を閉じて、仏を見んとするか。
おまえたちは、想像のなかで、仏を見んとするか。
それとも、
おまえたちは、霊的なる目を開いて、仏の姿を見んとするか。
いずれの試みも、虚しく終わるであろう。
そう、真実の仏とは、姿形なきものである。
真実の仏とは、
この地上を超えた実在世界にある高級霊の姿をとった、
その霊的実在でもない。
その霊的実在を超えたものが、真実の仏であり、
真実の仏の姿は、教えに表れているのだ。
よくよく聴くがよい。
手で仏をさわらんとして、目で仏の姿を見んとし、
その体の大きさに合わせて仏を測ろうとする者たちよ。
仏とは、
おまえたちの五官によって捉えられるものではない。
おまえたちの想像するようなものではない。
仏とは、法であり、
仏とは、教えであるのだ。
わが説く、この法こそが、
わが説く、この教えこそが、
仏の実体の本質であるのだ。
わが教えを学ぶ時、
おまえたちは仏の姿を見たのである。
わが教えを聴く時、
おまえたちは仏の声を聴いたのである。
わが教えを理解する時、
おまえたちは仏の心を理解したのである。

くり返し、くり返し、言う。
仏とは、姿形なきもの。
仏とは、人間を超えたるもの。
しかして、霊を超えたるものでもある。
仏とは、人間的なる感覚を超越し、
この宇宙を統べるところの、
教えそのものとなっている存在なのだ。

おまえたちは、
その手にしているページの一枚、一枚に、
仏の姿を見ているのである。
仏とは、何であるかを知りたくば、
わが説く教えを、深く深く、理解せんとせよ。
そこに、
仏とは何であるかという、その問いに対する答えが、
明らかに現れてくるであろう。

【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
2 生と死の意味

次に、仏教における「生と死」の意味、死生観を考えてみましょう。

当時のインドは、戦乱が続き、隣国がいつ攻めてくるか分からない時代だったので、人びと自分の生命がどうなるかわからない状況にありした。釈迦が育った城であるカピラヴァストゥも、やがて滅び去りました。釈迦という九次元大霊が出ても、みずからが育った国や、そこに住む人びとを守りえなかったのです。そうした無常の世の中でした。

当時、「生」を保つというものは、戦に勝つことを意味していました。生きて行くためには他を犠牲にしなければならず、他を打ち倒してでも生きていく意欲のある者だけが生き残り、そうでないものは死んでいくしかありませんでした。無力であること、平和主義者であることは、すなわち「死」を意味したのです。

そうした世の中であったため、「生」への虚しさと、死後の世界へのあこがれが蔓延したとしても、不思議はないかもしれません。当時においては「生」はむしろ否定され、嫌われる傾向にあったと言えます。

実際、仏道を求める人びとのなかにも、地上で仏になろうと思うのではなく、来世における幸福を願う人が多かったことは事実です。「今世は苦しみの連続だったが、せめて来世では幸福な世界に還りたい」と願う風潮が強かったのです。

それゆえに、釈迦の思想のかなにも、来世への福音がかなり盛り込まれていました。「生」そのもののなかに、醜さや見苦しさ、悲しさがつきまとう時代には、来世への信仰を説く必要もあったのです。

これも一つの方便であることは事実です。当時の人びとに死後の世界へのあこがれを持たせることは、一時的な麻酔剤にすぎなかったかもしれませんが、地上の人々の心を、一時期、どうしようもない悩みや苦しみから遊離させるという点において、非常に役に立った面もあるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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