30 平気で噓が言えたり、平気で記憶をすりかえられる人は、「妖怪」か、さもなくば、地獄の悪魔候補である。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
66 ある時、守銭奴が川に金貨を落とした。彼は、水に潜って、金貨をふところに集めたが、重さのあまり、浮き上がれなかった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
5「正思」に必要な三つの姿勢
では、神仏の心に合致する正しい心を持つためには、どうしたらよいのでしょうか。このことが、次なる課題として探求されなければならないわけです。
この入り口となる姿勢として挙げられることには三つほどあります。
①素直さ
第一の姿勢は「素直さ」ということです。
より高次な教えを受けるに際しては、素直な心を持っていなければ受けることができないのです。そうでなければ、それは素通りしていってしまいます。あるいは、光が屈折していってしまうようなものです。
今、地上に生きている自分にそれなりの肩書があったり、地位があったり、学歴があったり、要望があったりしたとしても、「神仏の創られたこの偉大な空間の中では小さな点でしかない」という事実を知ったときに、自分の思いで世界を測れるはずがないのです。この前提を忘れてはなりません。
したがって、神仏の創られた世界と、その考えを知るためには、心を素直な状態に置かなければ無理です。これが第一です。
②自助努力
第二に必要なことは「自助努力」の姿勢です。
私は「自力」ということの大切さについて、だいぶ強調していますが、この考え方は、人をミスリードしやすい、すなわち誤解に導きやすい面があるとも感じています。それは、言葉の解釈によって間違いが起きやすいということです。この自力ということを、もし「自我力」というように捉えるとするならば、神仏の世界に対するアプローチは全くのゼロとなります。それは、地上に生きている三次元人間が、自分の心から湧いてくるとおりに動けばよいということを意味するので、探求・学習というものがまったくありません。ですから、この「自力」という言葉は、”自助努力”と読み替える必要があります。
また、「他力信仰」に対するものとしての「自力信仰」というものはありません。「自力」とは修行の取り組み方、姿勢のことを言うのであって、信仰ではないのです。この点を間違えないでほしいと思います。
そこで、方法論としては、「自助努力」の姿勢があるか、それとも、そういうものも煩わしいものと無視し去って、大いなるもののなかに溶け込んでいくか、この意味での「自力」と「他力」とのちがいにすぎないわけですが、幸福の科学のアプローチとしては、「自助努力」は重視したいという考え方があります。
③謙虚さ
第三に大事なことは「謙虚さ」というものです。これは、「素直さ」とも多少関係があります。
悟りには階梯(かいてい)が付きものであり、その段階を上がっていくわけですが、上がれば上がるほど謙虚になっていくという気持を持っていないと、これもまた光が通りにくくなってきます。自分が高くなると、特別な意識が出てきて、その意識が光を通さなくなっていくのです。
この「特別な意識」とはいったい何でしょうか。それは、「プライド」や「自尊心」といわれるものと非常に近いものです。あるいは、悪い表現をすれば「慢心」や「小成」という言葉にもなるでしょう。ここが次なる関門として非常に難しいところなのです。
素直な気持ちで始め、自助努力の姿勢を持って階梯を上がっていくわけですが、次第に「我」が出てきたり、「うぬぼれ」が出てきたりする段階があるので、ここでもう一つ、謙虚さというのが探求されなければならないわけです。
仏法真理の世界に身を置くためには、この三つの姿勢がどうしても必要なこととなってきます。
【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」106pより抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から38年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。この聖なる日に仏弟子相集い、心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
吾らの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
吾らを真なる幸福へと導きたまえ。』
今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第五章 永遠の仏陀
〇我は救世主以上のもの
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この、わが懐かしき声を、
魂の奥底にまで刻んでおくがよい。
おまえたちは、二千六百年の時空間を経て、
ふたたび、わが声を聴いているのである。
この地上にて生命ある時に、
わが声を聴く者は、幸いである。
すべてのものを打ち捨てでも、
この幸いなる瞬間を選び取るべきなのである。
我は、久遠の仏、永遠の仏陀である。
幾転生、幾十転生、幾百転生を通じて、
我は、
久遠の仏であり続け、
久遠の師であり続け、
久遠の仏陀であり続けた。
永遠の仏陀とは、すなわち、これ、
久遠の法そのものである。
永遠の法とは、すなわち、これ、
宇宙の根本たる仏の心、
それを、則として、教えとして、体現しているものである。
あなたがたは、よくよく、この価値を知らなくてはならない。
わが語る。この言葉の、片言隻語(へきげんせきご)さえ見逃してはならない。
(※へんげんせきご・わずかなことば、ちょっとした短いことば)
一文字、一文字に込められたる光を、
確実に読み取り、わがものとせねばならぬ。
ああ、幾星霜(いくせいそう)を経て、
久しく師と弟子の契りを結んだ者たちよ。
いまの時代が、風雲急を告げ、救世の時代であることは、
おまえたちにも、ひしひしと分かってきたことであろう。
しかし、この、わが言葉をよくよく聴くがよい。
我は、救世主として、この世に来たのではない。
我は、救世主以上のものとして、この世に来たのである。
この地上の人々を救うということは、
わが説く法が、
人々の心にしみわたり、学び尽くされた時に、
おのずと、そうなるのである。
しかし、わが説く教えは、
地上の人々を救うという、
そうした目的そのものに矮小化(わいしょうか)されてしまうものではなく、
それ以上のものであるのだ。
このわが言葉、このわが教え、それに基づいて、
この宇宙は、この世界は、創られたのだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第五章「永遠の仏陀」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第四章 空の思想
1人間とは何か
本章では、主として仏教の「空」の思想に迫ってみましょう。
「空」の思想を理解するには、仏教における人間観や死生観、世界観を明らかにする必要があります。それらを抜きにして「空」の思想を語ることは困難です。
まず、「人間とは何か」ということですが、この問いに対して、釈迦は革命的な定義を与えました。
当時のインドの思想においては、「人間は宿業を負った存在であって、生まれながらにして貴賤が決まっており、ある意味では、生まれたとき、すでに運命も決定されている」という考え方が主流でした。
ところが、釈迦は「カルマの法則などによって、人間には避けられない運命の流れがあるけれども、これを乗り越えていく方法もまたある。それが、悟りを得るための修行なのだ」と教えたのです。
当時のインドの民衆にとって、これは一つの福音でした。仏教と聞くと何かいかめしい、この世を否定するような教えを思い浮かべる人も多いでしょうが、仏教は革新的な理論であり、人びとにとっては福音そのものだったのです。
当時、インドは非常に厳しい身分制社会であり、バラモンと呼ばれる僧侶階級、クシャトリアと呼ばれる武士階級、ヴァイシャと呼ばれる商人階級、そしてシュードラと呼ばれる奴隷階級がありました。さらには、シュードラにも入らないもっとひどい階級もありました。
シュードラより下の身分のことをチャンダーラといい、この人たちはもはや人間としては扱われず、家畜同然、あるいは、家畜より汚れているとして、家畜以下の扱いをされていました。インドでは家畜は貴重な動物でしたが、これ不可触賤民たちは、家畜としても扱われないような人たちであって、人間でありながら、人間として認められなかったのです。
こうした人たちは、自力の発揮しようもない状態に置かれていました。そうした階級に生まれること自体が、その人の一生を規定していて、どうしようもなかったのです。一方、バラモンの家に生まれると、たとえ凡庸な人間であっても、祭司(さいし)階級として認められました。
こうした身分制度に対して、釈迦は非常に強い疑問を持ったのです。
「大宇宙をつかさどる叡智としての仏が、こうしたことを放置しておくはずがない。身分制社会を打破するためには、どうすればよいのか」と考えた釈迦は、釈迦教団においては、悟りに至るための努力を通して身分制社会を打ち破り、新たな価値観、新たな価値世界をつくろうとしました。
そのため、釈迦教団では、修行者であることによって、生まれ持っての身分にかかわりなく、新たな地位や生きがい、人生の目標ができることになりました。釈迦はそうしたことを理想としたのです。
これは幸福の科学がいま「真理価値」の創出に向けて努力していることと同じです。幸福の科学は、仏法真理を学び、仏法真理を悟っていることが、社会において価値あることとされるような価値システムの創出のために努力しています。
釈迦の考え方はこれと同じであり、固定化した身分制社会のなかで、新たな真理価値をつくり出し、価値観の転換を行って、それまで幸福のかなたに閉じ込められていた人びとを開放することに、釈迦は意義を見いだしていたのです。
「自助努力によって、修行によって、道が開ける」という大いなる福音を、釈迦はもたらしました。そして、その福音が成就するためには、「まず、発心、すなわち悟りを求める心、菩提心が必要である」そのあと、一定の修行が必要となる」ということを説いたのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史
■