(6/27-2)91『真説・八正道』を読む―総論―八正道の現代的意義

『真説八正道』を読む

〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―⑥般若波羅蜜多(パンニャー・パーラミター)
智慧の完成です。この智慧こそ、釈迦の教えの中核であり、釈迦の光は、黄金色に輝く知性の光線なのです。すなわち、釈迦は知性的に法の全体像、体系を説くことを使命としている光の指導霊だからです。実在界の智慧の宝庫の扉を開く鍵を持っているのは釈迦なのです。

【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○般若波羅蜜多
六波羅蜜多の最後の徳目は、「般若波羅蜜多」です。
「般若(はんにゃ)」という言葉は、『般若心経』などによって有名ですが、これは「智慧」という意味です。それも単なる知識的な知恵ではなく、深いところから出てくる叡智のことなのです。

これは「般若の智慧」ともいわれています。深いところから、こんこんと智慧があふれ出てくるさま、湧き出て止まらないさまが、真の智者の姿です。般若の智慧を得る段階に至ると、この世的なる学問や経験は、砂と砂金にふるい分けられ、砂金のみが一層光の輝きを増すのです。

人格が完成して、ある程度の人物、偉人となるためには、確かに、数多くの読書や経験を経ることが必要であり、そうして得た知識や経験は珠玉のごとく輝いています。

しかし、そうした知識や経験も、般若の智慧が出てきたときには、もはや光を失っていくように見えます。それほど、般若の智慧は偉大なものなのです。というのは、心の窓を開かなければ、般若の智慧の智慧に至ることは決してできないからです。

八正道を中心にして、みずからの心を正していくと、やがて心の窓が開き、みずからの守護霊・指導霊たちは、地上の人間をはるかにしのぐ智慧を出す力があります。なぜなら、実在世界においては、それぞれの霊たちが、過去世で経験したことや学んだことをすべて持っているからです。

地上においては、表面意識はわずか一割程度になり、残りの九割近くは潜在化しています。しかし、霊的世界においては、反対に、潜在化していた九割の部分、すなわち過去世の知識の部分が表面意識として顕在化し、地上に生きていたときの意識が、残りの一割として潜在化していくことが多いのです。
したがって、比率だけを見ると、霊人は地上の人間の約九倍の智慧を持っていることになります。これが霊人の本質です。同じ霊格であっても、地上に下りている人間の智慧と比較して、霊人は約九倍の智慧を持っているのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへ信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に祈りで始めて、日中は主のため、世のため、隣人を救うために私たちは働きました。本日もお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』を振り返ります。
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第10章 総論―八正道の現代的意義 
何のための「新設・八正道」なのか

最後に、総論として、反省法全体を通しての締めくくりをしておきたいと思います。

「何のための『真説・八正道』なのか。いったい何のために、この『真説・八正道』はあるのか」ということです。それを三点、挙げておきたいと思います。

①八正道の現代社会への適応
「真説・八正道」の生きの第一点は、釈尊が説いた「八正道」は、二千数百年の歳月のなかに埋もれてしまって、現在、その正しい精神が伝わっていないということです。仏教学者によってさまざまに解釈されたに止まっていて、「いったい、どのように八正道を使えばよいのか」「その真意がどこにあったのか」ということが分からないままになっていたのです。

それゆえに、今、この「人類の秘宝」ともいえる八正道を、現代の社会に適応させるかたちで、また、実用性を加えるかたちで説いたということです。八正道は、決して、みなさんが使えない内容ではないはずです。それを明らかに説いたところに、「真説・八正道」の第一の意義があります。

②修行目標としての八正道
「真説・八正道」の意義の第二点は、みなさんに明確な「修行の目標」を与えたということです。

「悟り」という言葉のニュアンス、および、解釈は各人違っているかもしれませんが、この「悟り」というものに関しては限界がありません。「これで悟った」ということはないのです。「悟りの入り口に立つ」ということ、また、「悟りを、ある程度、維持する」ということはあっても、悟ったかどうかは、あの世に還ってみないことにはわかりません。生きている間中、修行は続くのです。

したがって、「自分はもう充分だ」と思ったときに、それが転落の始まりとなります。心境がある程度のレベルまで来ても、その後はさまざまです。さらに向上していく人、現状維持で止まる人、心境が下がってくる人など、さまざまな人がいます。その人の一年というものを取り出して輪切りにすると、やはり、進んだところ、後退したところがあるのです。

そういう意味では、現時点において、ある程度の心境に達している人も、「一ヵ月後にその心境にいる」ということを意味しないし、一年後は、なおさら測りがたいものです。

そのために、幸福の科学でも、試験制度などによって、ある程度「悟り」を測っていますが、これは決して誤解してはなりません。”その時点においての実力と心境”はあるかもしれませんが、それは条件が変わってきたときに、明らかに違ってくるのです。

その人に、いろいろな事件が起きてくるでしょう。いろいろな人生模様が展開してくるでしょう。そのときに、まったく同じ状態でいられるかどうかは、まだまだ、それからの修行の問題です。そのつど、そうした事件や出来事を乗り越えていくために、「真説・八正道」が与えられているのです。一度悟って、それで終わりではないのです。

したがって、「いろいろな環境の変化のなかにおいて、この真説・八正道を使って、そのつど、自分の心の曇り、垢を落としていく」ということ、そして、「正念」で語ったように、「正しい未来に向けての自己実現をしていく」ということが非常に大事なのです。やはり、その人の立場や役割に応じた現象がさまざまに起きてくるのでその中で自分の心境を維持するための全力の戦いを続けていかなければなりません。


その意味で、この「真説・八正道」の修行は、今世の修行を終えるまで、死ぬまで「終わり」ということはないし、おそらく、来世でも続くでしょう。かたちは多少変わるでしょうが、この修行は来世でも続くこととなります。

③ユートピアの原理としての八正道
「真説・八正道」の意義の第三点は、実は、「ユートピアの原理そのものである」ということです。

わたしは、ユートピアの原理を、「小さなユートピアから大きなユートピアへ」「私的ユートピアから公的ユートピアへ」という言葉で、さまざまなところで語っています。その意味は、どこにあるのでしょうか。

まず、ユートピアというのは、「心の世界」と「この人間世界、地上世界という外界」の二つの世界から成り立っています。そして、「小さなユートピア」「個人のユートピア」はどこから始まるかというと、実は、みずからの心を支配し、「心の王国」を守り抜くことから始まっていくのです。

したがって、そのために、この真説・八正道によって、各人が自らの心をユートピア化していくことこそが、「外の世界に光を点灯していくこと」にほかならないわけです。

はるかなる上空から霊的な目で見たならば、この八正道によって目の鱗を落とし、神仏の光を得ている人たちは、ちょうど、”ロウソクの炎”のようにも、”灯台の光”のようにも見えます。それは、神仏の火が、一点一点、いろいろなところから灯ってくる姿であり、「上空から見た夜景に似ている」とも言えましょう。闇に沈んだように見えた町に、一つひとつ、光が灯っていく姿でもあるわけです。

そして、これが「すべての始まり」であるということです。この「各人の心をユートピア化していくこと」から、「世界のユートピア化」は始まるのです。

これなくして、理想を一挙に実現することもできなければ、政治改革も経済改革も宗教改革もありえません。制度的なものや環境的なものに騙されてはならないし、「〇〇のような人が来れば、そうなる」とは、「□□のような環境が出れば幸福になる」とか、そのようなものではないということです。

○「悟り」という名の本当の幸福をつかむための「自己変革」
それぞれの環境において、それぞれの課題や問題を背負いながら、光を灯すことです。そして、その光を灯す方法こそが「真説・八正道」であるということを知っていただきたいのです。この真説・八正道によって、人々に、自らの”ロウソクの芯””ランプの芯”に光を灯していただきたいと思います。

そうした光を灯すのは、一人ひとりの仕事です。ランプに火をつけるのは、各人の仕事なのです。私は火のつけ方はお教えしまずか、火をつけるのはあなた自身であるわけです。火がつかなければ、それはつけようとしていないからではないでしょうか。

この「火をつける」ということが、「自己変革」ということです。「自分を変えていこう。自分の心を、より神様仏様の心に近い方向に向けていこう」という気持ちのない人は、幸福の科学に来ていただきたくないのです。

そのような人のために、私は幸福の科学を運営しているのではないからです。幸福の科学は正しい道を示し、「その方向についていきなさい」と言っていますが、やはり、その内容において、”ランプの芯に火をつけ、光を灯す”のは、それを志す一人ひとりの人に自分でやっていただきたいと思います。

それが、その人の、「悟り」という名の本当の幸福でもあるからです。

【大川隆法『真説・八正道』第十章「総論」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。

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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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