28 地獄狐のうち、悪賢いやつが、悪質な霊能者や教祖に取り憑いて、仲間を増やしているのを見た。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、教典『心眼を開く』より、霊界の裏側の世界についての学びを深めてまいります。
本経典の霊指導は、天御祖神であると言われています。大切な教えですので、教典をお持ちでない方は是非拝受ください。全国の書店・支部・精舎でお求めいただけます。【税抜1500円】
「やや宗教的な面を強く出し、天狗、仙人、妖怪、妖魔の世界にも言及し、日本で「宗教」と思われているもののなかに、世界宗教としての仏教やキリスト教の奥にある考えとの相違があることを示した。いずれにしても、心の清らかさから、物事の真実を見極める、幸福の科学の立場を説明していると思う。」―「まえがき」より―
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■『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」
3 「裏側」の霊界の諸相を明かす
〇色仕掛けで僧侶や権力者などを迷わせる「妖魔」
また、妖怪でもあるのですが、一部をくくりだしてくるものとして「妖魔」というものもあります。
妖魔にも種類がありますが、歴史的には、色仕掛けで僧侶などを迷わせたりするのを得意とする妖魔が多いのです。これは、いろいろな物語に描いてある通り、狐系の妖魔です。英語でも、「foxy」というのは「色気がある」ということです。
そして、最高の妖魔としての狐が「九尾の狐」で、尾が九本あるといわれています。
例えば、唐の時代、玄宗皇帝の後半生を狂わせ、唐の没落、いったんの滅びを招いた楊貴妃などは、この妖魔に当たると言われています。
また、日本にも、この楊貴妃についていたような九尾の狐が渡ってきたという「玉藻前(たまものまえ)の伝説」も遺っています。
本章の説法をしたときは、幸福の科学の映画「美しき誘惑―現代の『画皮』―」(製作総指揮・原作
大川隆法、二〇二一年公開予定)を撮っているところでしたが、仏弟子たちには、私の子どもたちも含めて、顔がきれいかどうかというようなことで外見に惹かれ、あとのことはすべてほっぼり出して仕事が曲がってしまったような人や、外れてしまったような人もいることはいます。そのため、こういう映画を製作しようと思ったわけです。
また、顔だけに惹かれるというのは、中国の「画皮 あやかしの恋」(Painted Skin)にもあって、「女性の美など、皮一枚」という思想です。
蒲
松齢(ほしょうれい)という人が、聊斎志異(りょうさいいき)という、日本で言えば『日本霊異記』のようなものにあたるものを書いているのですが、これはそのなかの数ページぐらいのエピソードの一つです。
【※『聊斎志異(りょうさいしい)』は、中国・清代の学者である蒲松齢(ほ
しょうれい)が著した、約500話からなる短編の怪異譚(かいいたん)集です。特定のひとつの長編ストーリーではなく、キツネ(狐狸)、幽霊、妖怪、仙人、昆虫の精などが人間と関わる不思議な出来事を集めたアンソロジー(短編集)です。科挙【高級官僚】の受験生が美人妖怪にたぶらかされるパターンが多い】
その映画では、とても美しい女性がいて、取り入っていくわけですが、あるとき、その人がお化粧直しをしている姿を見ていると、後頭部の髪の毛を手でパッと二つに分け、そのまま皮を剝いでいったのです。すると、針金のような、虫のようなものが動いていたのです。こんなエイリアンにしか見えないようなものが美しい皮を被って美女に化け、将軍の妻の座を狙ってくるというのが描かれていました。
ああいうものも多少勉強しておいたほうがよいのではないかと思い、今、そういう映画を製作しているところではあるのです。
ただ、映画の製作がなかなか上映に間に合わない“事件”も起きうるので、話だけしておきます。
要するに、「皮一枚で迷わされる」ということです。
【※玉藻前(たまものまえ)は、平安時代末期に鳥羽上皇(または近衛天皇)の寵愛を受けたとされる、伝説上の美女です。
その実体は、中国やインドを渡り歩いて国を滅ぼしてきたとされる白面金毛九尾の狐(はくめんこんもうきゅうびのきつね)(初期の物語では二尾の妖狐とも)の化身でした。
若くして高い学識と美貌を持ち、和歌や漢籍、仏典まであらゆることに精通して宮廷の人々を驚かせました。
玉藻前の正体を見破られて体調を崩した上皇に対し、陰陽師の安倍晴明らが祈祷を行って正体を暴きました。正体を見抜かれた妖狐は下野国(現在の栃木県)の那須野原へ逃亡し、のちに退治されて毒気を放つ殺生石(せっしょうせき)になったと伝えられています。
そのように、高貴な女性に取り憑いて乱を起こしたりしていますが、「薬子の乱」の藤原薬子に入ったのではないかともいわれているのです。
女性の場合は、「傾国の美女」と呼ばれるのがわりに好きなことが多く、男性が仕事をほっぼり出して、その女性に夢中になってしまう傾向があって、本境を忘れ“仕事”をやりすぎると、その女性は妖魔になってしまうところはあります】
【大川隆法『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」より抜粋】
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さて、ここからは、「お釈迦様の八正道」を共に学んでまいります。復刻版で経典『真説・八正道』が再販されていますが、これは、主が現代の時代に合わせて再整理されたものです。その意味では八正道の現代応用ともいえる尊い経典なのですが、これを学ぶ前段階として仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。
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〇正思(正思惟)―正しい信仰観に基づく考え方
二番目に「正思」がきます。以前、八正道の中で正思の順番を少し下げて説いたのは、現代人は心というものがよくわからないからです。(初版「新説・八正道」)現代では、自分の心の中の在り方を問われても、何のことかさっぱりわかない人が多いので、より具体的な正語を先に出していたのです。伝統的には、正信、正見があっての正思なのです。
正思というのは、思いの世界に関するものであり、具体的に言えば、心の中で考えていることです。心の中で考えていることの内容が正思なのです。それは、やはり深い洞察を含んだものでなければならないと思います。
要するに、自分自身の内側を見つめていき、一日のあいだに心の中で何を考えてきたかを見ていくのです。
正しい信仰観から見て、それは正しい考えであったのだろうか。また、縁起の理法から見て、自分は正しい考え方をしたのだろうか。そうした考え方をすれば、悪しき種を蒔いて、大変なほうに行くのではないだろうか。人に対して悪いことを考えたりもしたが、そのままだと、どのような結果になるのだろうか。
このように、一日のあいだに心の中に去来したことを振り返りながら、仏法真理にあっているかどうか、仏の教えにあっているかどうかを点検していく―これが正思です。正しい宗教信条を受け入れ、それに基づく見方を確立して、心のあり方をつぶさに点検していくことが正思なのです。難しくいえば、「貪・瞋・癡」という心の三毒や、「慢・疑・悪見」を含めた六大煩悩の反省が、正思の中心になります。
正思は、別名、「正思惟」(しょうしゆい)ともいいます。思惟とは、思考、考えることです。考えることができるだけでもたいしたものであって、世の中には、考えることができない人が大勢います。常に手先だけ動かしている方、ものごとを条件反射的にしか判断できない方が大勢いるのです。
しかし、自分の心の中を見つめられるようになれば、たいしたものです。正しい考え方があり、冷静に自分自身を見つめるという考え方があって、次に具体的な行為が続いていきます。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第2章「正見」
10植物・動物へのまなざし
いま一つ、「見る」ということに関して大事なことは、動物、植物など、人間以外の生物の見方です。これへの目を決して忘れてはなりません。動物にしても、魚もあれば、牛や豚、その他、ミツバチなど、いろいろなものがありますが、「こうしたものたちの恩恵を考えたことがあるか」ということです。大部分の人は、それを真剣に考えたことがありませんし、そうしたものは目に映ってはいるのです。いろいろなころで目には映っているけれども、それについて考えたことがないのです。目に映したままで過ぎ去っているのです。
これは逆の立場から見れば、かわいそうなことです。みなさんは、職場で働いていて、自分が一生懸命に働いているのに上司から認められなかったら、不満でしょう。動物や植物たちは一生懸命働いているのです。奉仕しているのです。花もまた、みなさんに美しい環境をつくるために一生懸命に成長しているのです。そのようなことをおもったことがあるでしょうか。「私たちの目を楽しませてくれるために、生命力いっぱいに頑張っている」という見方をしたことがあるでしょうか。
本当に「真説・八正道」が板についてくると、植物の気持ちまで分かってきます。よく分かるのです。伝わってくるのです。悲しんでいるのも、喜んでいるのも、すべてわかってきます。みなさんも、やがてそのようになるでしょうし、動物の気持ちまで分かってきます。そういうものなのです。
これは、「真に彼らを見る」ということができない人には決して分からないことです。こうした生命たちが、かいがいしく生きているということを思ったことのない人間、いや、正しく言えば、生命たちが一生懸命に生きている姿を見たことのない人間には、彼らの気持ちはわからないのです。そうした感情は湧いてこないのです。
感情の変化には必ず原因があります。「見る」ということも最大原因の一つです。正しき感情、あるいは崇高な感情を起こすためには、「正しく見る」という行為が不可欠なのです。
以上、入門レベルで、宗教生活のあり方を「正しく見る」という言葉に忠実に解説しました。深く仏教を勉強された方からは、「正見」とは「正信」であるとか、「正しい見解」である、「正しい観察」であるとかいう解説もされることがあります。「正しい信仰」はもとより「正見」の基礎ですが、入信時に、過去の間違った信仰や、唯物論、科学的実証主義論を捨てさせるものです。いったん信仰者となったら、日々の心の点検としての「正見」が大切です。
【大川隆法『真説・八正道』第2章「正見」85p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第3章 不滅の力
〇地涌の菩薩
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
最初に、おまえたちに私が語ったとおり、
おまえたちは、この仕事を難しいと思ってはならぬ。
おまえたちには、不滅の力が与えられているのだ。
その不滅の力は、
第一は、
本来、おまえたちが仏の子であるという事実に起因し、
第二は、
過去、幾十転生、幾百転生、幾千、幾万転生を、
仏の弟子として生き、
学んできたという事実に起因するのだ。
仏の子が、仏の教えを学び続けてきたのだ。
さすれば、その力は無限に近いものであると言ってもよいであろう。
この、湧出してくる力を楽しめ。
この、噴き出してくる叡智を悦べ。
この、噴き出してやまぬ愛の力を尊べ。
おまえたちが、その心に、聖なる使命を刻み、
そして、その使命を遂行せんとして、
強く、心に決意した時に、
おまえたち一人ひとりが、
地涌の菩薩となるのだ。
あたかも、大地から菩薩が湧いて出たかのように、
次から次へと、この地に菩薩があふれるであろう。
我は、この目にして、その姿を見たい。
地涌の菩薩が、ここにも、かしこにも、
大地から湧き出してくる姿が見たい。
そして菩薩の集団が地に満ちて、
大きな仕事をしてゆくことこそを見たいのだ。
そうであってこそ、
この地上に仏国土が建設されてゆくのではないのか。
おまえたちの使命は、仏国土の建設である。
仏国土は建設せねばならぬのだ。
しなくては許されないものであるのだ。
そうであるならば、
きょうよりの道のり、
決して、怠けることは許されぬ。
一刻一刻を、その一歩一歩を大切にして、
地上仏国土創りに邁進してゆくことこそ、
仏の弟子たちの、最も光り輝いた姿であるのだ。
これよりのち、
一切の言い訳を排除し、
一切の邪心を排除し、
ただひたすら、この道を歩み続けることだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第3章「不滅の力」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第3章 六波羅蜜多の思想
3 利自即利他
釈迦仏教を考えるにあたっては、「利自即利他」(伝統的には「利自利他」という)という考え方が非常に大きな鍵を握っています。
仏教界では、「大乗仏教はのちの世につくられたものである。釈迦没後、五百年もたってから、後世の人たちが大乗仏教の思想をつくり、大乗経典をつくったのである」と言われることがあります。
また、「竜樹菩薩が幽体離脱をして実在界に行き、大乗の思想を得てきた」というようなことが、まことしやかに言われています。そして、「釈迦が説いた教えは、小乗、すなわち己を整える教えであり、大乗、すなわち大衆救済という教えは後代のものである」と考える人が多いようです。
しかし、そうした事実があったのではありません。もちろん、大乗経典は後代に編纂されたものですが、その思想の大部分は、実は釈迦の時代にすでにあったものなのです。
すなわち、釈迦自身が「自分を磨くことによって、完全に孤立した人間となったり、人里を離れ、孤高の人として生きていくような人間になったりしたのではいけない。孤高の人となるためだけの修行ならば、今世で地上に肉体を持った意味がないではないか」と考えていたのです。
村娘のミルク粥を飲んで考えた、「苦行のなかには悟りはない。中道のなかにこそ悟りがある」という思想の延長線上には、自分を利する考え、すなわち、「自分を磨き、幸福感を増していく」という考えと、「その幸福感を他の人に広めていく」という考えの両者がありました。「中道」の思想には、こうした「利自即利他」の考え方があったのです。
人間は社会生活を営みながら生きていく「社会的動物」です。そうである以上、いたずらに自力天狗になるのではなく、「どうすれば他の人々をよくしていけるか」ということを考えながら、自らが学びえたことを他の人々に教えていくことが何よりも大事なのです。
そうした教育者としての一目面が釈迦にはあり、この部分も釈迦の思想のなかにはずいぶん色濃く投影されているのです。
「利自即利他」という言葉は、現代的には次のように翻訳できるでしょう。
「みずからを磨き、自らを偉大ならしめていく過程において、社会のユートピアを増進し、幸福の輪を広げ、自と他の大調和を完成していく。傑出した人間が出ることが周りに不調和を呼ぶのではなく、みずからが傑出していくことによって、社会のいっそうの幸福を増進していく」
すなわち、「みずからが悟りというものによって与えられた幸福感を、世の中の他の人々に還元していく」という思想なのです。
これは非常に大事な考え方であり、「利自」と「利他」とを併せ持ちながら、その順序において、「利自から利他へ」「利自であることが、すなわち利他につながっていく」という観点を忘れてはいけないのです。
ここには実に微妙な考え方があります。八正道を中心とした修行方法は、阿羅漢に到達するための修行方法なのですが、阿羅漢から菩薩に移って行くためには、多少なりとも、利他の思いと行動を起こさなければなりません。すなわち、利自と利他を単に切り離すのではなく、「自分を利していくなかに、利他の芽を植え込んでいく」ということが、菩薩になるための条件なのです。
後代、禅宗において、ひとりよがりの世界のなかで修行していた人たちが、六次元光明界よりも上の悟りを得ることができなかったのは、まさしくここに原因があります。
そして、「六波羅蜜多」の思想は、菩薩から如来へと至るための架け橋でもあります。すなわち、六波羅蜜多は八正道を実践部門に展開したものであり、菩薩、さらには次の如来へと至るための修行方法なのです。
その各論については、次節以降でくわしく説明していきましょう。
【注 仏教では、自己を利することを「自利」と呼ぶが、「利他」との平仄(ひょうそく)をあわせて(※つじつまを合わせて)「利自」と呼ぶことにする。「利自他」を「利自即利他」と呼び換えているのである】
【大川隆法『釈迦の本心』第3章「六波羅蜜多の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き

