6 地獄には、犯罪者の権化のような、罰せられている鬼と、仏宝護持をしている鬼とがいるのだ。後者は仏の御使いである。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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■何を祈るべきか
「この地球の一員としての自分、
宇宙の一員としての自分、
この自分に与えられた使命を、
全うさせてください。
そして、願わくば、自らに縁のある人々に、
一筋の光明をお与えください。
一握りの愛を与えさせてください。
人々が幸福に生きられるように、
この世においても、
そして、この世を去った世界においても、
幸福に生きられますように」―
このように祈ることが大事です。
【大川隆法『祈りと希望』p61 より抜粋】
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はじめに、教典『心眼を開く』より、霊界の裏側の世界についての学びを深めてまいります。
本経典の霊指導は、天御祖神であると言われています。大切な教えですので、教典をお持ちでない方は是非拝受ください。全国の書店・支部・精舎でお求めいただけます。【税抜1500円】
「やや宗教的な面を強く出し、天狗、仙人、妖怪、妖魔の世界にも言及し、日本で「宗教」と思われているもののなかに、世界宗教としての仏教やキリスト教の奥にある考えとの相違があることを示した。いずれにしても、心の清らかさから、物事の真実を見極める、幸福の科学の立場を説明していると思う。」―「まえがき」より―
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■『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」
1 人物の外側と内側の両方を見る
〇外見はつくれるものもあるので、外見だけで判断してはいけない
あるいは、女性であっても、仕事によっては、ずいぶん変化していくことはあるのではないかと思います。
先ほどの孔雀の逆ですけれども、女性の場合、子供時代と大人になってからとでは、中身はそれほど変わっていなかったとしても、外見はそうとう変わることがあります。郷里の小学校・中学校時代の同級生の女性が、二十歳を過ぎたら、会っても分からないぐらいの外見が変わっているようなことはあります。髪型から化粧、服装まで変わるのです。そのように、ちょっと見ても分からないぐらい変わる場合もあります。
また、神様の立場から言うと、「広い世の中で男女が惹かれ合って結ばれるのに、女性に対してあまり十分な”武器”を与えてあげられなかったな」という後悔が少しあることはあり、この程度の”武器”で男を虜にするのは大変だろうなと思うことは、私もよくあります。
だからこそ、みな、「お化粧」に三十分とか一時間とかかけたり、「美容室」に行ったり、「服装」に関心があったりするのも当然かと思います。孔雀の羽の代わりに、服装に気をつけて、お化粧をして、別人になります。着ているものとお化粧で、そうとう変わるものです。そして、単純な男は騙せるわけです。
そういうわけで、「騙す力も実力のうち」と思っている女性はけっこういると思いますし、年頃の男女には、ある程度の幻想はあるものだろうと思います。
ここで、少し注意しておかねばならないことがあります。例えば、学歴偏差値のようなものも言われていますけれども、美人偏差値のようなものがあって、「美人度が高い人は霊格が高い」というように勘違いする人が、当会のなかにも多くいます。しかし、そういうものではないということは知っていただきたいと思います。かなりつくれるものもあるので、外見だけを見て判断してはいけないのです。
もちろん、仕事や身分相応にいでたちを変えていかねばならないことはあるのですが、必ずしも、「霊格」がそのまま美人度として出ているわけではありません。
もし、心の中身や心の美しさまで見て言っているなら、それはそう言えるのかもしれませんけれども、現実は少し違うだろうと思います。
【大川隆法『心眼を開く』第2章「心眼を開く②」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第1章「序論」
3反省の出発点とは
〇信仰から「正しき心の探究」は始まる
この「信仰心」というべきものは、従来使われている「信仰心」という言葉で表現される内容ではありません。ここで言う信仰とは、「事実の確認」そのもの、「真実の確認」そのものであるということです。そうした「大いなる叡智の断片を見た」ということであり、「仕組みを見た」ということの確認なのです。
「見た」という以上、それを「知る」ということ、それを「受け取る」ということ、「了解する」ということ、そして、それを「信ずる」ということ、そうした行為を信仰というのです。
信仰というのは、決して”摩訶不思議なものに対して祈ること”でも何でもないわけです。それは、「この宇宙の創造の秘密」を知り、「人間創造の秘密」を知って、それを納得のいくものとして理解することです。これが信仰というものの前提です。
この前提がない人は、このあと、いくら仏法真理の書物を読んだところで、いくら法話を聞いたところで、いくら勉強したところで、何の役にも立たないのです。
「まず、その土台を押さえよ」ということを述べておきたいと思います。
【大川隆法『真説・八正道』第1章「序論」35p】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第1章 目覚めよ
〇信仰という命綱
そして、
法を説く仏陀への、
信仰と帰依の姿勢を忘れてはならない。
帰依とは、
教えを受けとるために、
弟子としての道を知ることだ。
弟子としての態度を確立することだ。
師に対する態度を示し、弟子の道を行ずることだ。
これを帰依という。
そして、信仰とは、
師より流れ出してくる仏法真理の大河を敬い、
その法を恭(うやうや)しく受け、
究極なる仏に対して、誓いを立てることを言う。
仏弟子として、仏法真理の縁にふれて、生まれ変わったならば、
必ずや、その報恩のために生きるということを、
必ずや、その教えを人生の指針として生きるということを。
こうした誓い、誓願を立てることをもって、
あなたがたの信仰は本物となるのだ。
たとえ、千貫(せんがん)の重き岩が、
汝らの頭上より転げ落ち、その身を撃ち砕かんとしても、
仏法真理のために、その岩壁をよじ登ろうとする努力を
忘れてはならぬ。
その岩壁に垂らされたるところの一本の命綱を、
決して手放してはならぬ。
この命綱こそ、信仰と呼ばれているものなのだ。
たとえ、岩に、その身、打ち砕かるるとも、
たとえ、千頭の獅子に、その身、食われ、
たとえ、万羽の鷲に、その目、えぐられるるとも、
この信仰という名の命綱を決して手放してはならぬ。
あなたがたは、その肉体を失うとも、
その名声や、地位や、金銭を失うとも、
この信仰という命綱で、仏陀につながっているかぎり、
永遠の生命を失うことはないのだ。
しかし、この命綱を放した時、
ああ、あなたがたが落ちてゆく先は、決して地面ではない。
それは無限に近い深い深い闇なのだ。
その闇にそこなく、
あなたがたは、
どこまでもどこまでも落ちてゆくことになるのだ。
これを地獄という。
信仰を失いて、地獄の底に落ちるぐらいならば、
目の前に、獅子が現れて、
内臓を食い破られるほうが、ましではないか。
鷲が現れて、その目をえぐられる痛みに耐えることのほうが、
まだましといってもよい。
地獄は、魂の死である。
魂は、生かしてこそ、仏への感謝、報恩となるのだ。
尊きダイヤモンドのごとき生命をいただいておきながら、
それを、汚泥のなかに投げ捨てんとするのか。
そのようなことは、決してしてはならない。
あなたがたは、強くならねばならない。
信ずるということを通して、強くならねばならない。
信仰は、あなたがたを強くするものなのだ。
信仰は、あなたがたを弱くするということなど、
過去、あったためしがないのだ。
真に信ずる者は強くなる。
信じても信じても、みずからが弱いというならば、
その信仰はまだ本物ではない。
あなたがたが、つかんでいる、
その命綱は、そのロープは、
私の袈裟衣であるということを知らねばならぬ。
その命綱をつかんでいるかぎり、
仏陀と仏弟子とは一つであるのだ。
仏陀がいまだ地上において、
敗れたることがないように、
あなたがたも、敗れることはないであろう。
仏陀が、いまだ地上において、
その誓願を成就せぬことなかりしがごとく、
あなたがたも、あなたがたの立てたる誓願を、
成就せぬことはない。
【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第一章 菩提樹下の悟り
6 生命への意欲
村娘スジャーターと出会ったゴーダマは、「自分を立て直していかねばならない」と強く感じました。ほおを伝う涙は、ある意味で、過去への惜別(せきべつ)だったかもしれません。
ゴーダマは、ミルク粥が胃のなかを伝っていくとき、なんともいえない力強さ、おいしさを感じ、「食物を否定することは、必ずしも真理に至る道ではない」ということを知ったのです。そして、「人間に食べられ、震源の高度な活動に昇華されていくことは、食物にとって喜びとなるのではないだろうか。人間に食べられることは、食物によって無駄ではないのではないか」と考えました。
「結局、この世のありとあらゆるものは、より偉大なるものへの奉仕の材料として存在しているのではないのか。その材料を、材料だけでは意味がないと見捨ててしまうことは、修行者の名において、傲慢の罪を犯しているのではないだろうか。確かに材料だけではどうにもならないが、材料があって初めて料理ができるのであり、素晴らしい料理をつくることを、仏神は願っておられるのではないのか」
こうしたことをゴーダマは感じたのです。「よし、もう一度、生まれ変わって生きてみよう。新生してみよう」と思い立つことができたのは、みずからのほおを伝う涙、内臓にしみわたっていく食物のありがたさ、スジャーターの歌にある、「琵琶の弦は、中ほどに締めると音色がよい」という文句でした。
「なるほど、中ほどに締めればよいのか。確かに、強く締めれば、弦を弾くと切れてしまうことがある。反対に、ゆるみすぎては音色がよくないし、音が出ないかもしれない。現在の自分は強く張った弦であり、少し触っても切れてしまいそうだ。こんなことでは、よい音はでないのだ。
自分は、悟りだとか修行だとか言って肩をいからせていたが、それは、ごく自然なふるまいのなかで生きていく少女にも見劣りするのではないか。
いま天国の門が開くとして、スジャーターと私と、どちらを迎え入れるかといえば、天国の門は間違いなくスジャーターのほうに開くだろう。私の姿は、おそらく地獄的なる容貌となっているだろう。こうしたみすぼらしい姿でもっては、天国の門は開かないだろう。
さすれば、あと数年でよい、私にいま少しの生命があるならば、もう一度、肉体を作り直し、この世について、消極的なる意味のみならず、積極的なる意味をも見いだしていこう」
こうした生命への意欲が湧き上がってきましたが、この瞬間こそが、実は悟りへの道の第一歩だったのかもしれません。「極端な修行をするだけでは悟れない。このままでは死んでいくだけであり、死んでいくために生まれてきたのならば、今世に生命を持ったことの意味がないではないか」という思いを否定することが、ゴータマにはどうしてもできなかったのです。
ゴータマはスジャーターに合掌して拝礼すると、彼女と別れました。
そして、さまざまな風景を眺めていくと、そこにもかしこにも生命があふれている姿がありました。草花も木々もすべてが生命にあふれているのに、自分ひとりだけが、「修行、修行」と言いながら、そうした生命の存在に気づいていなかったことを感じ取ったのです。
「たとえ道端に咲いている一本の花であったとしても、その花が、自分が枯れていくこと、その世から消えていくことばかりを願っていたならば、その世はどうなるのか。
また、動物たちがみな、この世で生きることを厭(いと)い、一日も早く死ぬことばかり願っていたならば、どうなるだろうか、牛や馬が、やせることばかりを願って、えさを食べなければ、どうなるのか。子供を産まなければ、どうなるのか」
そうした思いが心をかすめていったのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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3 痛みがあるということは、生きているということである。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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