(7/3-1) 【基礎教学通信】184【7月3日】『正義の言葉「仏説・降魔経」を読む1悪魔との対決―「信仰の勝利」「魂の自由」こそが神から宿された最大の幸福―『宗教の挑戦』守護霊と同通した瞬間

正義の言葉『仏説・降魔教』

31 ひび割れた真珠には値打ちがない。しかし、あなたは、フェイクの真珠がそんなに美しく見えるのか。 
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】

【参考・「間違えた真珠理論」について、(『「妖怪にならないための言葉」余話』78 
頁参照)この間違った真珠理論は、「たぶん、“お面”にまでつながってくる理論だろう」とも、主は指摘されています。善悪が曖昧で、修行論がない日本神道に対し、仏教では善悪を峻別し、人間として正しく生きる道を説きます。さまざまな人生の苦しみや失敗も「人生の問題集」と捉え、反省や自己変革を通して心を正し、それらの経験を「智慧」や「悟り」に変えていくことが、仏陀が説かれた仏教の本来の教えです。したがって、「自分の中に醜いものがあっても、フェイクの真珠で覆ったり、汚いものに蓋をするようにコーティングをすれば、真珠のような素晴らしいものがつくれる」という日本神道的な考え方は、「仏教の教え」や、主が「真珠のたとえ」として示されている教えとは対極にあるものと言えます。「反省が�
�きない」、善悪や反省を説く「仏教の教えが嫌い」というのは、日本神道の裏側の霊人に共通する特徴です】
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7月7日は70周年を迎えます。主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/5(日)~7/7(火)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/5(日)~7/7(火)は、連日13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法 
東京ドーム講演集』から第1章の「信仰の勝利」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九一年七月十五日に、東京ドーム第一回大講演にて「エル・カンターレ宣言」をなされました。この聖なる日を魂のなかに刻印して、主とともに全人類救済の旅立ちの一里塚を私たち仏弟子は超えてきました。信仰の名の下に勝利以外の結果はないことを全世界に知らしめた主の救世の獅子吼です。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■『大川隆法 東京ドーム講演集』第1章「信仰の勝利」
3「魂の自由」こそが神から宿された最大の幸福

ああ、それなのに、この世に生れ落ちて数十年、

いったいいかなる人生を、あなたがたは歩んできたであろうか。
それが、神仏の子としての正しい生き方であったか。
真実に、心に誓って、あなたがたのその数十年の人生は、
神の光、わが内に宿りたるとして、恥ずることなきものであったか。

ああ、けれども、今、あなたがたが未熟であることを、私は責めはしない。
未熟ということは、限りない発展の可能性を有しているということでもある。
なれども、その発展の可能性を可能性で終わらせてしまったとするならば、
その罪は誰にある。
その罪は誰にある。
あなたがた一人ひとり以外の何者にも、何人にも、その罪はありはしない。
あなたがたが、神と同じ力をその本質において有しているということは、
あなたがた一人ひとりが、
己の全人生のすべての責任を負うということでもあるのだ。
すべての責任を負うということは、人生の途上において、
あなたがた一人びとりに巡りきたるところの、その選択は、
あなたがた一人びとりが、己の決定でもって下したということなのだ。
これが、魂の自由である。
この魂の自由こそが、あなたがたのなかに宿されたる最大の幸福であるのだ。

あなたがたのなかで、
言葉にて、理屈にて、神を否定せんとする者は、
「神がそのように完全無欠であり、われらもまた神の子であるならば、
何ゆえに人は悪を犯すか、何ゆえに人に悲しみがあるか、苦しみがあるか」
―そう問う者もある。
しかし、そのような疑問は、
あなたがた一人びとりが不完全な人生を生きることの、
何らの罪滅ぼしの証明、証拠にはなりはしない。
あくまでも、その自由は完全であるからこそ、
すべての可能性のなかで選び取ることができるのだ。

悲しみもあることを知って、喜びを得た者は、最大の幸福を手にしたのだ。
苦しみがあることを知りながら、
その苦しみを突き抜けて、栄光を手にした者には、
不幸は忍び寄る隙がない。
そう、あなたがたは、ほんとうの意味における自由ということが、
己の魂の主人公であるという名の自由が、
いかばかりの幸福であるかということを知りなさい。

さすれば、
あなたがたが忌み嫌うところの地獄という世界であっても、
その地獄の底を支えたる神の愛の手があることを知るであろう。
支えているのだ。
数十億の人が苦しんでいる、その地獄の底をも、神は支えているのだ。
抱きとめているのだ。
その事実を知らなければならない。
その苦しみが最大の幸福となる日を夢見て、
抱きかかえている存在があるということを忘れてはならない。

【大川隆法『大川隆法 東京ドーム講演集』第1章「信仰の勝利」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。

『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。

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●悪魔が勧めた伝統的宗教修行
このお経の解説に先立ち、仏典のほうから、降魔についての話をしてみたいと思います。

釈尊は、カピラヴァスツ(カピラ城)を出て、六年とも七年ともいわれる修行をしました。

釈尊は最初、アーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタ等のところで、禅定をしてみました。しかし、釈尊は短期間でそこを離れました。なぜかといえば、禅定はよいとしても、要するに、そこには法的な思想が何もなかったからです。教学にあたるものが何もなく、「単に無念無想的な修行だけをしていても進歩はない」と釈尊は見抜いたのです。【※その後の霊査で、GLAの主宰をしていた生前の高橋信次を指導していたのが、釈尊が成道前の山野での修行したときに禅定の手ほどきを少し受けた、仙人のアーラーラ・カーラーマであったことが分かっています。経典『宗教選択の時代』第五章「方便の時代は終わった」p159参照」】

釈尊はアーラーラ・カーラーマやラーマプッタの境地に、早々と達してしまいましたから、「ここに残って、教団を一緒にやらないか」と言われたのですが、その誘いを断り、そこを出て山林修行者の仲間に入ったのです。

当時、インドには、こうした自由修行者が非常に数多くいました。バラモンという伝統的な僧侶階級は、『ヴェーダ』という聖典を中心とした学習と、いろいろな祀りをしていましたが、そうではない階級の人たちが、山林で自由修行をしていたのです。

当時は、社会がかなり変わっていこうとしている時代でした。古い伝統的なものが崩れ、貨幣経済もそうとう発展してきており、それまでの階級秩序がかなり変わってきつつありました。

四姓制度からいえば、一番上はバラモンという僧侶階級だったのですが、実際には第二階級であるシャクトリア、すなわち王侯・貴族である武士階級のほうが力を持っていました。シャクトリアは、年貢、税金を集めて、実際に政治を行っていますから、シャクトリアのほうが実際には権力を持っていたのです。

さらに、シャクトリアの下に、ヴァイシャという商人階級があります。この階層は、貨幣経済の進展とともに非常に興隆して、豊かになってきていました。ヴァイシャはその豊かな経済力をもとにして、いろいろな宗教を庇護するような仕事もかなりやっていました。

それから、その下にシュードラという奴隷階級もいました。さらにその下に、「アンタッチャブル」と言われるような人たち(チャンダーラという不可触賤民)もいました。

名前と職業が、ある程度確定している人に限って、いま述べた階層で釈迦教団を分類すると、数の一番多かったのがバラモンなのです。僧侶階級が結構多いのです。シャクトリアである釈迦が起こした宗教であるにもかかわらず、僧侶階級がかなり入っています。ですから、日本でいえば、日本神道や伝統的な仏教といった伝統的な教学に関わっていた人たちがそれを投げ捨てて、釈迦教団に出家してきているのです。

もちろん、釈尊がシャクトリアであったことも反映して、武士階級のひともかなり入ってきていますし、ヴァイシャという富裕な商人階級からもかなりの出家者を出しています。

ですから、釈迦教団の構成人員そのものは、現代で言うと、「中流の上」以上の階層が中心勢力であったことは間違いありません。「中の上」以上の階層が主力です。もちろん、シュードラ等の人も受け入れていましたし、教団内では差別は何もありませんでした。ただ、インテリ階級に近い層、あるいは新興の商業階級の人々がかなり来ていたということは、知っておいてよいと思います。

そのような教団構成員を背景にして、釈迦は法を説いていたのです。

さて、釈迦の成道の少し前ぐらいのことですが、釈迦がナイランジャナー(ネーランジャラー)河のほとりで禅定をしていると、悪魔が現れました。その時の悪魔の名前は、経典にはナムチという名前で出ています。これはバラモンの古い経典である『ヴェーダ』によく出てくる悪魔です。のちには、マーラ・パーピヤス(パーピマン)という名前の悪魔が経典によく出てくるのですが、最初に現れた悪魔は、ナムチという名前で遺っています。

そのナムチが釈迦に対して勧めたのは、「あなたのような修行をしていたら、千に一つも生命はない。生命がなくなってしまうから、そうした修行はもうやめなさい」ということでした。そして、その悪魔は、バラモンの伝統的な宗教修行をすすめました。それは、清らかな生活をし、衣食住もきっちりし、『ヴェーダ』を学習して、聖火をもって火祭りをすることなのです。この火祭りをホーマといいます。これは現在、「護摩焚き」として、仏教のなかにも一部入っていますが、火を焚くことをしていたのは、もともとはバラモン教の宗教のほうです。そうした修行をすることを悪魔は勧めました。
(次回につづく)

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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悪魔が、新しい教えや宗教が広がることを恐れて、古い信仰形態や、形骸化して真理が説かれていない伝統的儀式に、縛り付けようとするところが大変印象的でした。

魔の障害は、いつもこの世的な名誉欲や、実生活のところの安定性などの現世利益によって、信仰者の精進を常に妨げようとしているところに、現代においても存在しています。

伝統的な風習に教団の運営が縛り付けになれば、新しい活動や運動を展開することができなくなります。これは、2000年前のイエス様の時代にもありました。モーセの教えを例外なく守ること、あくまでも地上のみの救済を願い、それを教えるユダヤ教のラビやパリサイ派の立法学者と、あくまでも、天なる父への信仰をもとに、心の王国である天国の王国を地に広げて、隣人を救い助けるために教えを説いた救世主たるイエス様と価値観のぶつかりがありました。悪魔も、当時イエス様を試し、悪魔との戦いにイエス様は勝利しています。また、現代におけるイスラム教も、古い風習に縛られてしまい、本来のアッラーの教えが正しく反映されていない現状があります。

また、日本神道においても、根本仏であるエル・カンターレの教えに日本の民族神が帰依できるかどうかも今問われています。日本民族の始祖にして、日本の神々の頂点に天御祖神がいるという事実を日本の土着の神々が受け入れられるかが現在進行形で問われています。

このように、正しい信仰へと至る道を、悪魔や、民族神がそれを阻むことが、今も昔もありえるということを学ぶことができました。主エル・カンターレへの純粋な信仰を貫くために、魔との戦い、己心の魔との戦いに私たちも勝利しなければなりません。

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心の指針108『道を求めて生きる』
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この世の世界、
この物質世界は、
欲望の渦巻く世界である。
地位、名誉、
権力、金、
異性をめぐる確執、
物質欲的なる利便性、
あれもこれもと、
心に芽生えた欲望は、
とどまるところを知らない。

この世を生き抜くためには、
欲望や野望もある程度は必要だろう。
しかし、常に忘れてはならないことは、

心の調和であり、
道の完成である。

心の調和という言葉に、
消極性を感じとる人もいるだろう。
だが心を調和させるには、
強い意志、勇気、精進が必要なのだ。
穏やかな心の持つ真のパワーに、
まだ気がついていない人が多すぎる。

利己心、自己保存欲、
自分自身の身勝手さに打ち克ち、
常に内なる道を求め、
道の完成を一生の理想とするがよい。

心の指針を忘れてはなるまい。

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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第5章「チャネリングの秘密」
○守護霊と同通した瞬間

これは実は一種の霊現象なのです。守護霊の光―守護霊はあなた自身の魂の兄弟でもあるのですが、霊界に残してきたところの潜在意識、自分の守護霊から熱いメッセージが降りてきます。「そうだ、そうだ。そのとおりなんだ。お前は、やっと目覚めたね」というメッセージが降りてきます。そして、熱い涙と、胸の鼓動、感動を伝えくるのです。このようなものは、たいてい本物なのです。

こうしたことを経験してゆくなかで、特に宗教的な使命がある方の場合には「霊道」というものが開けてくることがあります。そして、守護霊の気持ちが伝わってくるようになります。声が聞こえることもあります。

ただ、この声の聞こえ方は、耳の外から聞こえてくるというような聞こえ方ではありません。心のうちから響いてくる感じ、あるいは、頭のなかから、奥のほうから聞こえてくる感じです。このような聞こえ方が守護霊の声の聞こえ方なのです。魂全体で聞きとっている感じがするのです。逆に、常に耳の辺りに何かが被さっているようなかたちで、いろいろなものが囁くという場合には、これは憑依霊であることが極めて多いですから、気をつけなければいけません。

このように、「霊聴」といって、霊の声がこの胸の内から聞こえてくるような聞こえ方をすることがあります。

こういうかたちでの反省を通して、自分の心の透明化をはかり、そして熱い涙、あるいは熱い感激がこみ上げてきて、霊的になっていった場合には、もしその人にそれまで悪霊などが憑依していたなら、それが背中からパリッと剝(は)がれるような感じがします。壁紙を剥がすような感じで、パリッと剝がれた感じがするのです。

その悪霊が取れた瞬間は、身体がものすごく軽くなります。ものすごく軽い感じがします。自分は今までどうしてこんなに重い生活をしていたのかと思います。身体が軽くて、本当に嬉しくて、浮き浮きするような経験をします。

いつも宿酔(ふつかよい)で身体がだるいとか、煙草(たばこ)をずっと吸っている人が食事がまずいとかいうことと一緒で、悪霊がずっと憑いている人というのは、いつも何かだるくて、重くて、おもしろくなくて、辛くてという気持がずーっと続いているのです。

憑依霊が取れた瞬間はわかります。パリッといきます。そして、明るい、あたたかい、軽い感じになって、久々に雨がやんで腫れあがったときのように、飛んだり跳ねたりしたくなるような明るい気持ちになります。これが実は守護霊と心が同通した瞬間なのです。

また、「霊視」といって、霊体が見えたり、人のオーラが見えたり、憑依霊が見えたりするようなこともあります。

ただし、この霊視もほどほどにしないと、昼間から幽霊がいろいろ見えはじめると精神病院行になることも多いですから、あまりありがたがらない程度に抑えておく必要があります。霊が見えてくることもありますが、「こんなものは、見えてもしょうがないんだ」と思っていますと、あまり気にならなくなって、それほど感じなくなってきまます。

ところが、それに興味を持ち過ぎると、道ゆく人や、電車のなかで乗り合わせたすべての人に憑依霊の姿が見えたりし始めます。こうなると、人間としての生活がほとんどできなくなりますので、これはあまり歓迎しない程度にしておいたほうがよいのです。精神を統一したときにわかる程度でかまわないと思うのです。

【大川隆法『宗教の挑戦』第5章「チャネリングの秘密」より抜粋】
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■御生誕祭の宗教的意義について
〇御生誕祭は、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生のご降臨への感謝と、報恩としての伝道の誓いを捧げる、幸福の科学における二大祭典の一つです。

主のご降誕に対し、心からの感謝を捧げ、主への信仰を深める日
――根本仏にして地球神エル・カンターレの御降臨は、慈悲であり奇跡そのものです――

〇御生誕祭は、主と魂の契りを結ぶ霊的な場です。そして、主への報恩として、弟子としての使命を果たす誓いを捧げる場でもあります。誓いを立てることで、信仰は本物となります。

〇主エル・カンターレ大川隆法総裁先生は、1956年7月7日朝7時頃にご生誕されました。「7」という数字は、天上界において、「勝利」と「完成」を意味します。ご生誕の「777」の数字には、悪魔を象徴する「666」にすべての面で凌駕する「勝利の宣言」が込められています。主は、この世の一切の悪なる勢力に勝利し、地球ユートピアを建設されるために、ご降臨されたのです。

〇主エル・カンターレのご本体の御降臨は、3億年前のアルファ様、1億5千万年前のエローヒム様に続き、地球の歴史上3度目に当たります。地球神であり、根本仏でもあられる主は、天上界では光そのものであり、本来、肉体を持たれてはならないご存在です。
・今世は、大川隆法総裁先生というお姿を通して、エル・カンターレのお姿をかいま見ることができる、歴史上ほんの一瞬の、稀な機会なのです。

〇本仏が下生される時代は、人類にとって危機の時代であり、同時に、新時代の幕開けとなる希望の時代です。主のご降臨そのものが、人類に対する最大のご慈悲なのです。

〇御生誕祭は、主がご降臨された奇跡の時代に、主と共に生まれ、主と共に救世活動ができることへの感謝を捧げ、エル・カンターレ信仰を深める大切な日なのです。

■御生誕祭の霊的意義に関連する聞慧■

〇勝利の宣言
私は、昭和三十一年の七月七日、朝、潮満つるころ、七時ごろに生まれました。その数字の示すとおり、「777」という数字がならびます。《中略》「7」という数字は、天上界において、これは勝利を意味する数字であるのです。これは、ひとつには、勝利を意味し、もうひとつには、完成を意味する数字であります。《中略》この「7」の数字の意味は、もうひとつ、別の説明が可能であります。「777」の下には、「666」という数字があります。《中略》ルシフェルをあらわす文字が、数字が、「666」なのであります。これが、彼らの暗号であります。「777」とは、この6に、すべての面において、凌駕するということを意味しているのであります。すなわち、この今生において、私が生まれてくるときに、勝利へ�
�宣言をこめて生まれてきたということであります。何に対しての勝利であるか。《中略》私たちは、神のつくられた、この地上において、いっさいの悪なる勢力を一掃しなくてはならないのであります。
【大川隆法『勝利の宣言』p.11~p.14より抜粋】

〇現成の仏陀の声
私はさらに言葉を継いであなた方に言おう。私は、多くの書物に書かれているように、仏陀の魂の、その生命体の生まれ変わりではあるが、あなた方の前に大川隆法として立っているこの存在は、通常、地上には生まれることのない存在であることを。あなた方は、真の意味において今、我が名で呼ばれているところのこの魂を見ることは、今後、地上においても、天上界においてもあり得ない。それを言っておこう。通常、「法身」という名で呼ばれているのが、私の本当の姿であって、もはや人間の姿をとって出ることはない。そう思って、「幸福の科学」という名を借りての地上における今回のこの真理の活動の意味を知ってほしい。
【大川隆法『悟りの極致とは何か』p.123~124より抜粋】

〇いまはエル・カンターレの姿を見られる稀な機会
「主は、どういう存在か」ということですが、本来、エル・カンターレという存在を、あなたがたに見せることはできません。いまは、「私の姿を通して、かろうじてエル・カンターレの姿を見ることができる」という、歴史上ごく稀な珍しい機会であり、普通は、想像することしかできないのです。というのも、私は、あの世に還ったら、顔や手足などはなくなり、光そのものになるからです。《中略》いま、あなたがたは、エル・カンターレの姿を垣間見ることができますが、歴史の流れから見ると、これは、ほんとうに一瞬の出来事です。《中略》その一瞬に、あなたがたは、永遠なるものの影を見て取り、心に深くとどめておかなければならないのです。
【大川隆法『君よ、涙の谷を渡れ』p.68~70)より抜粋】

〇一回目の名は「アルファ」、二回目の名は「エローヒム」
「エル・カンターレという魂は六人の分身を持っている」というような言い方をしていますが、実は、エル・カンターレの本体としての下生は、今回が三回目に当たります。一回目の下生は、もう今から三億年以上前のことになります。そのときは「アルファ」という名で呼ばれていました。《中略》二度目に生まれたのは、今から一億五千万年ほど前に当たります。このときに呼ばれた名前は「エローヒム」で、一般的には、これを簡略化し、「エル」という名で呼ばれています。《中略》「エローヒム」という名で呼ばれているのが二回目の下生のときです。
【大川隆法『エル・カンターレ信仰とは何か』p.25~26より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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〇「沈黙の仏陀」の教え

戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。

これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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