(6/27-2)【阿羅漢への挑戦】178―87『真説・八正道』を読む【正定】心の平静は幸福への第一歩―「六波羅蜜多2」持戒波羅蜜多―「反省と霊能力」現実の自分を他人のように見る―『漏尽通力』心の平安―「反省の原点」誤まてる人生観の形成

『真説八正道』を読む

96 エル・カンターレのために、自己犠牲を払って、この世的に不幸に生きたように思われた者も、来世では、天使や菩薩の救済は確実に来る。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―②持戒波羅蜜多
釈迦の教えの四番目の柱は、利自即利他の教えです。【※『黄金の法』では仏教思想の一番目の柱は「空間論としての実相世界と地上世界との関わり」。二番目の柱は「時間論」。三番目の柱は「八正道」。四番目の柱が「利自即利他」。五番目の柱が「空の思想」でした。『黄金の法』p144「思想としてみた釈迦仏教」参照】これは、いわゆる六つの完成といわれる六波羅蜜多(サス・パーラミター)の思想です。波羅蜜(パーラミター)とは、内在する叡智という意味であり、多とは、その叡智があふれ出てくるさまをいいます。

二 持戒波羅蜜多(じかいはらみた・スィーラ・パーラミター)
これは、戒を保つ完成とも言われています。戒とは、いわゆる五戒であり、不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒の五つの禁止事項を守ることです。曰く、殺してはならない、他人のものを盗んではならない、不倫を犯してはならない、虚言を言ってはならない、飲酒癖によって身を持ち崩してはならない。この五項目です。

【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○持戒波羅蜜多
次なる修行方法、修行目的として、「持戒波羅蜜多」があります。これは「戒(いまし)めを保つ完成」とも呼ばれています。

修業というものに関して人びとがよく感じるのは、「戒律を必ずともなうのではないか。なんらかのストイックな生き方を意味するのではないか」ということです。こうした考えは、仏教だけではなく他の教えにもあります。

戒律で有名な宗教としては、イスラム教やキリスト教があります。イスラム教は非常に厳しい戒律を持っていますし、キリスト教においても、修道士や修道女には、それなりの戒律が与えられています。

こうした戒律が何のために与えられるのかと言えば、修行者には地上的な誘惑が多いので、それから身を守るために一定のガイドラインを設けておくということなのです。

「正しい思い」「正しい行い」と言われても、凡人の頭ではなかなか理解できません。そのため、「少なくとも、こうしたことを守りなさい。この掟は破らないように」といった防波堤として、戒律があったのです。

釈迦は戒律を非常に大切なものと考えましたが、その理由の一つは教育効果という面にあります。ある程度のルールが与えられなければ、修行者たちは毎日の修行において、みずからを律していくことが困難なのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第3章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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■『真理学要論』第3章「反省と霊能力」
5 反省の一方法
②現実の自分を他人のように見る

そういう霊界の生活を見てきたら、今度は現実の世界を見てみる。そして、こんな人はいったいどこに行くだろうかということを、多少、突き放した感じで考えていただきたいのです。

「過去いろいろな所へ行ってきたが、結局どこに行くだろうか」と考えてみると、やはりマシンガンを撃ち合っていたあの世界に自分は生きたいのだろうかとか、いろいろあるでしょうが、「どこに行きたいか」ということが出てくるはずです。

これが、反省の仕方の一つであります。まったく違った想定のもとの自己というものを知って、それから現実の自分、現実に生きている自分を他人様のように見てみるのです。

そして、こういう人は、どういう所に行くのがふさわしいかということです。みなさんも、自分自身のことを見ればわかるはずです。

「あなたはどんな人ですか」
と、私が訊くわけです。

「あなたは、どんな人ですか。どんな生活をされていますか。どんなことを考えていますか。過去、どのように生きてこられましたか。あなた自身というのを、ちょっと映像で出してみてください。そこの風景を出してみてください。どんなふうになりますか」

そして、出てきたその風景があなたがたの行く所をだいたい示しているのです。

このように、自分自身の過去および現在というものをビジョン化して、自分のよくあるライフスタイル、よくある風景、心のなかによく浮かんでくる自分自身の姿があるでしょうが、それをポッと出してみて、どんなことをしているかを見るのです。

いつも本を読んでいるような人もいるでしょう。いつもトレーニングに励んでいたり、体操に励んでいるような方もいらっしゃるでしょう。いつも夫婦げんかをしている姿が浮かぶ方もいらっしゃいます。いつも上司に呼びつけられては叱られている自分が出てくる、そういう方もいらっしゃいます。いつも恋愛中の方もいらっしゃるはずです。

このように、「どういう自分かな」ということを思ってみて、パアーッとそこに出てくる風景、これが実はみなさんの魂の今どこにいちばん行きやすいかということを示しているのです。

逆に言えば、「自分自身は、どういう生活をしているところが、いちばん自分らしいか」ということです。「自分らしさというものを、四コママンガのようにパッと見せるとすれば、あるいはワンショットでスナップ写真を撮るとすれば、どういうことをしている自分がいちばん自分らしいでしょうか。そして、そういう人が行くところはどこでしょうか」ということです。これを知っていただきたいのです。

こうしてみると、自分が付き合える人、付き合える世界というものがだいたい見えてくるはずです。必ず見えてくるはずです。それが、みなさんが現にある心境の状態ですし、あるいはもし、本来的にもっと高いところを目指しているのであれば、このままであってはいけない世界でもあるわけです。

これは、みなさんにお教えしているだけではありません。それは、私自身もよく経験していることです。いろいろな出来事が起きてきます。このような仕事をしていますから、いろいろな情報も入ってきたり、いろいろな人と会ったりと、多くのことがあります。やはり、そのときによって、心の状態は変わっていると言っていいでしょう。

そのときに、自問自答するわけです。

「今、自分はこんな心の状態でいるが、大川隆法よ、おまえは幸福の科学の主宰者(現・総裁)ではないか。幸福の科学の主宰者のあるべき姿は、どういう姿であるのだろうか。そういう心の状態で、おまえ自身、納得がいくのか」

と自問自答します。

そうすると、「これは自分のことであってよい姿ではない」という感じがするのです。「いけない、こういう姿であってよいはずがない。自分の仕事は、自分の使命はどのようなものであったか。自分の魂の目的は何であったのか」。その自分本人の、この理想、使命というものを見たときに、「おまえはこの状態で本当にいいのか、納得するのか、それは間違った状態ではないのか」と自分に問いかけると、やはり「これはいけない」と思うのです。

これはいけないと思ったところが始まりです。そこでもう半分ぐらいは終わったようなものです。「ああ、これではいけない、これは自分の姿ではない」、こう思ったなら、これでだいたい半分は終わったようなものなのです。

そしてこれからのちの半分が、「では、どうする」というところです。では、どうするか。

【大川隆法『真理学要論―新時代を拓く叡智の探究』第3章「反省と霊能力」より抜粋】
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今日の一日を振り返り、反省を実践するために『真説・八正道』から禅定について学びます。
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■『真説・八正道』第9章 正定 
○心の平静は幸福への第一歩

「正定」に入ります。正定には極めて難しい部分があります。というのは、この世界においては、「方法論的確立」と「その結果・効果についての確認」ということが十分にできていないからです。「どのように定に入ったら、どのようになるのか」という部分が、各人の経験に任されてしまっていて、十分に追跡調査ができないからです。その意味で、極めて難しい面があると思います。

そして、「なぜ、正しく定に入るという項目があるのか」ということですが、それについて話をしていきたいと思います。

すると、結局、これも一つの「幸福のための技法」であると思えるのです。人間を不幸にする問題の一つは、「心が波立つこと」です。「苛(いら)立ち」、そして「不安定」です。

「心の安定」ということは、思いのほか大事なことです。心が波立っていて、あるいは”心に渦をつくって”いて、幸福な人はいません。不幸なのです。

ですから、「今、あなたの心はどうなっていますか」と問われて、非常に透明感があり、落ち着きがあるならば、少なくとも、「幸福への第一歩」は踏み出しているわけです。ところが、心境が上がったり下がったり、考えがあちらへ行ったり、こちらへ行ったり、揺れに揺れて夜も眠れない状況であれば、残念ながら、不幸といわれる現象になっているのです。

では、「水のように波立っている心を治めていく、静めていく方法として、どういう方法があるか」ということですが、これについては、以前、「心の針」の話をしたことがあります。

人間の心は、ある意味で、時計の針のようなものです。そして、心が乱れているというのは、針が、振り子のように、下のほうを揺れて動いているということです。これをメトロノームのように、上のほうをゆっくりと動くようにしてやる必要があるのです。

そのために、どうするか。今までは、主として、心の内の問題、思いの問題といった中身の問題について述べてきたわけですけれども、外側から入っていこうとするのが、この「正定」なのです。つまり、技法によって、一定の心境を取り戻そうとするわけです。

【大川隆法『真説・八正道』第9章「正定」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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■『漏尽通力』
第6章 心の平静と祈り
5 心の平安

祈り本質について話をしてきましたが、祈りもあまり毎日毎日、行っていると、それがまた心の平安を害することにもなりかねません。一つの執着となるからです。

人間の願い事というものは、数限りなく出てくるものですが、たいていの人間は、そうした願い事というものを同時にそう多くはもっていません。たいてい、いちばん強い願い事が一つあり、次に「その次」ぐらいの願い事が二つ三つあるのが普通です。そして、いちばん強い願い事を、日夜、祈っていると、それがまた執着になってくることがあって、心の平安を失いがちです。

そういう意味では、「時折、自分の願望を祈る」ということはあってもよいけれども、毎日毎日、祈るよりは、日々、神仏に感謝の祈りを捧げるほうがよいと思います。日々、神仏に、「ご指導ありがとうございます。日々、私を生かしてくださってありがとうございます。今日も一日を与えてくださいましてありがとうございます」という謙虚な祈りを捧げていて、時折、自らの自己実現に関する祈りをするのがよいと私は思います。

そうではなくて、毎日毎日、「自分の思うようになってください」という祈りをするならば、これは雨乞いと同じであって、非常に騒がしい声を、毎日、天上界の霊たちは聞いているのと同じです。「雨を降らせてほしい。雨を降らせてほしい」と言ったとしても、「今はそういう時期ではない」ということもあります。

そのように、あまり、自分の欲とかかわる祈りは、毎日毎日してはいけません。たまにするのはよろしいが、普段は感謝の祈りを中心にしていくことです。

「感謝の祈り」というものは、何かを求めるものではないのです。ただお返しをしていく行為です。日ごろ、健康で生きているということ自体が、ひとつの奇跡です。健康で幸福に生きているということは、ひとつの奇跡なのです。奇跡というのは、何かを変えられれば奇跡だというわけではありません。現在ただいまが奇跡であるのです。

「非常に健康で、多くの人たちに愛されながら幸せに生きている」ということは奇跡です。こうした奇跡に接したならば、それに対するお礼が大事です。感謝が大事です。「日々、多くの人たちの恩によって生きている自分」というものを発見したならば、その根源にある神仏への感謝を忘れないことだと思います。

そうした祈りを忘れないときに、心に大きな平安が訪れます。

高級霊たちは、無所得のままに奉仕をしています。何を貰うでもなく、一生懸命、地上の人間たちの幸せを願って生きています。守護霊たちもそうです。何を得ることもなく、本人を一途に守護しています。そういう人たちに対して、やはり、大いなる感謝を持つべきです。

人に感謝をして、その人の頭が低くなったとしてもその人の地位が下がったり、その人の値打ちが下がることはありません。感謝することによって、人間は一段、二段と大きくなっていきます。多くの人のありがたさに気づくということは、それほど大事なことであるのです。

そのように、感謝の祈りを中心にした祈りを続けていくことが、心の平安につながり、神仏の思いや神仏の幸せ、神仏の光を心いっぱいに受けることとなっていきます。祈り方向性が正しいかどうかは、自らの心が平安であるかどうかを確かめてみればよいのです。心が平安であれば、その祈りは正しい祈りです。

しかし、心が常に、悩みや苦しみ、嫉妬心や猜疑心、怒りや妬み、嫉(そね)みといったものでいっぱいのまま祈っても、その祈りは天には通じないと思わなければいけません。いくら、きれいで美しい祈りの文句を唱えたとしても、「その祈りをすることによって、自分の欲を叶えてほしい」というようなことであれば、そうした祈りは虚しいのです。天国まで届きませんし、届いたとしても聞き届けられません。

「常に、心の平安を忘れないように」ということを、私は特に言っておきたいと思います。

【大川隆法 『漏尽通力』第6章「心の平静と祈り」より抜粋】
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ここで、反省の基礎を学ぶべく経典『信仰告白の時代』より第3章『反省の原点』を学びます。経典をお持ちでない方はこの機会にぜひご拝受ください。【税込み1800円】
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■『反省の原点』
3 誤まてる人生観の形成

もう一度、言いましょう。「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つから、みなさんの人生はすべてかたちづくられているのです。わずかそれだけのことで、五十年、六十年、八十年を生きた結果、地上を去ると、天国と地獄が分かれます。こんな単純なことで、天国と地獄が分かれてしまうのです。恐ろしいことです。

一人ひとりの人生のストーリーを聞いてみれば、確かに、どの人の人生も、複雑であり、難しくもあるように聞こえます。だた、人類として生きている姿を見たときには、そう大きな間違いはありません。すべての人間が、先ほど言った「生・老・病・死」のなかを生きているのです。

赤ん坊は、なすすべもなく、泣きながら生まれてきます。苦しみのなか、真っ暗闇の母の胎内から生まれてくるのです。赤ん坊が泣きながら生まれてくるのは、自由を奪われたことの悲しさの表われです。本来、天上界で持っていた自由を失ってしまったのです。赤ん坊は、「この世界は苦しみである」と感じているのです。

私が言っている「苦しみ」とは、楽(快楽)と比較して苦(苦しみ)が多いという意味での苦しみではありません。この世は自分の自由にならない世界であるという意味において苦しみがあると言っているのです。

霊界において、私たちは自由自在です。現に霊となれば、眼がなくても、ものを見ることができます。耳がなくても聞こえます。背中でも、手の先でも、どこででも聞こえ、味わえます。香りを嗅ぐこともできます。手足、眼、鼻、口、このようなものは要らないのです。すべて思いのままの世界が展開します。すべてが感覚器官であって、自由自在です。自分の身体の姿さえ変えることができます。目の前に咲いていない花があったならば、「あの花が咲けばいいのに・・・」と思った瞬間、その花が咲きます。これが霊界なのです。

このように、霊界とは、想いがそのまま自由自在に展開する世界なのです。そうした自由自在の世界から生まれてきて、五体に宿ったときの不自由さを、赤ん坊は泣いているのです。何ひとつ思いどおりにいかず、言葉さえ発することができません。「ミルクが飲みたい」ということさえ言えず、おしめひとつ「替えてほしい」と言えません。そうしたスタートを切って、この不自由な物質界のなかでの魂修行が始まっていくのです。

すべての人が、自由自在の世界から生まれてきて、不自由な物質界のなかで、不自由な肉体を使って数十年を送るのです。食事ひとつとるのにも、お金が要ります。職業を得て稼がなければ、お金は手に入りません。そうしいた、何ひとつ自由にならない世界です。眼、鼻、口、身体と、すべてを動かさなければ、この世では何ひとつ自由になりません。こうした世界のなかを生きていき、やがて本来の世界を忘れていくのです。

早い人は、小学校のころから、心の曇りをつくっていきます。他の子供と比べて、自分の家族にないものがあると、それに対して不平や不満を持つことがあります。親の職業を恥ずかしく思ったりすることもあります。あるいは、片親であったり両親がなかったりすることに対する不満もあるでしょう。自分の家が貧しいとか小さいとかいう不満もあるでしょう。

さらには、中学生ぐらいになってくると、もっと自我が芽生えてきます。他人との比較がいっそう鮮明になると共に、異性というものが現われてきて、異性の目というものを気にするようになっていきます。そして次第しだいに、心のなかに「偽我」といわれる偽物の自分が育ってくるようになります。

そして、この世での生活に溺れ、物質を手に入れて満足したり、あるいは、肉体を使って満足することに、たんだん、のめり込んでいきます。これには、眼をよろこばせる楽しみもあれば、耳をよろこばせる楽しみ、鼻や口その他をよろこばせる楽しみもあるでしょう。

こうした感覚器官は、本来、不自由な地上生活に便宜を図るために与えられたものであるということを忘れ、やがて、この六根を通して得られたものがすべてだと感じるようになっていきます。いつのまにか、魂の自由というものが根本的に見失われて、肉体の感覚から発する自由しかないと感じるようになっていくのです。

【大川隆法『信仰告白の時代』第3章『反省の原点』より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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13 自分が、この世に生命を持った時のことを、瞑想的に思い起こしてみよう。 
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

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