11余命を悟ったら、一日一日をどう使おうかと思ってみよう。
12自分の知り合い、友人で病気になった人のことを心に思い浮かべよう。
【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】
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7月7日は70周年を迎えます。主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
7/5(日)~7/7(火)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/5(日)~7/7(火)は、連日13
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
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■『新復活』第1章「新復活」
4「非現実な妻」と「現実の子育て」との葛藤
○映画に描かれている感じに近い、イージーな結婚をした私
ただ、あのとき、夜と朝の二回、当時の家内がいろいろな物や着替え等を持ってきてくれたので、「家族がいるということは、とてもありがたいことなんだな」と感じたのを覚えています。
映画「世界から希望が消えたなら。」の最初のほうで、ややコメディタッチに描かれている部分があるのですが、実際、私は結婚のときに、普通の人がするような恋愛結婚をしてはいません。
といいますか、勤めていた会社を退社・独立したときに、「自分は、こういう人間で、こういう生涯を生きているので、もう、結婚はできなくてもよい」と考えていたのです。
もう、ほかの人に迷惑が掛からないように、自分一人でやるつもりだったので、自分の方から「結婚したい」と思うようなことはありませんでした。ただし、女性のほうが「リスクは承知で結婚したい」と言うなら、可能性はありました。
その意味では、映画ではコミカルに描かれているし、設定は変えてはありますが、実際は、あのような感じに近い、非常にイージー(安易)な結婚をしています。
というのも、「自分の方から結婚する気はなく、『したい』という人、『人身御供(ひとみごくう)になります。お布施します』という人がいるなら」というような感じだったからです。ただ、「その代わり、先は知りませんよ」というようなところは少しありました。
若いころに、私は、占い師などにも、「あなたは自分で結婚は決められないでしょう。女性のほうが決めるでしょう」ということを予言されていたのですが、結果的にそのようになってはいます。そのため、「コーヒーを一杯飲んで婚約する」という、この世ならざることがあったのです。
○本当に「非常な人」だった前妻との結婚のいきさつ
映画「世界から希望が消えたなら。」には、実際には描かれていない部分もあるものの、「こんな非現実な」という部分がたくさん出てきます。
ところが、「その非現実性こそが現実そのもの」で、映画の登場人物には非現実な人ばかり出てきますが、私の周りの家族や出会った人たちも、本当に「非現実的な人たち」だったのです。
私の家内になった人も、本当に非現実的な人で、映画では、「結婚相談所で見合いをした」というような設定にはなっていますが、実際は、そうではありません。
実は、一回目のデートのときに、コーヒーを飲んだだけで、婚約までさせられたというか、ほとんど、検事の取り調べを受けているような感じだったのです。「コーヒーのお代わりはどうですか」と訊いても「ノー」で、「それどころではない。結婚が出るまでは、もう、取り調べの手は緩めない。誘った以上は責任がある」というような感じで、トイレに行くことも許されませんでした(笑)。
そのように、返事をするまで、喫茶店で五時間、締め上げられて、ようやく結婚のことを口に出したら、「うん」と言って、それでやっと”検事”は手を緩めてくれました。
そして、彼女がカバンの中から白い紙を出してきたので何かと思ったら、「この履歴書を書いてほしい」と私に言うのです。それは、会社に就職するときに、「収入、年齢、血液型、身長、体重、家族構成」等を記入するような通常の履歴書でしたが、彼女は一回目のデートのときに、そうしたものを持ってきていたのです。
そういう意味では、もう「本当に、世の中にこんな人がいるのか」と思うほど信じられない感じはしましたが、「仕事が速い」と言えば速いのだと思います。そのように仕事が速い人が、私の病気のときに立ち会ったので、早くあの世に送ろうとしたのかもしれません。
ともあれ、私は履歴書を見て、「なんで、こんなものを?」と訊くと、「両親に送らなくてはいけないから」というようなことでした。そのように、”仕事が速かった”わけです。
その意味で私は、”非現実な結婚”をして、途中で一度、”非現実な死にかけ”になったわけです。
【大川隆法『新復活』第1章「新復活」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』の前に、「お釈迦様の八正道」を共に学んでまいります。復刻版で経典『真説・八正道』が再販されていますか、これは、主が現代の時代に合わせて再整理されたものです。その意味では八正道の現代応用ともいえる尊い経典なのですが、これを学ぶ前段階として仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。
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正見―正しい信仰に基づく見解
八正道の一番目である「正見」は、正しく見るということです。正見については、以前、「スクリーンで映すように、自らの一日の生活を振り返ってみる」というような説明をしたこともあります。
しかし、一日の出来事を振り返るだけであっては、正しい見方としての価値判断が十分ではありません。それは「日記的」な作業であって、正見が反省法の中に入る以上、一日の出来事をどう見るかということには、当然、価値判断が入るべきです。そして、その価値判断は、一定の見解、正しい見解を伴うものでなければならないのです。
では、正しい見解とは、一体なんでしょうか。実は、仏法真理の初心者においては「正信」―正しい信仰というものが中心になってくるのです。初心者にとって、正見というものは正信なのです。そして上級者になってくると、正信は当たり前のことですから、「正見」―正しく見る方にウエイト(重点)が次第に移ってくるのです。
なぜ、正見には正信が必要なのでしょうか。正しい信仰とはどういうことなのかを考えてみてください。
幸福の科学には正しい信仰があります。これに基づいて、当会の会員の皆さんは、他の人を見たり、世の中のいろいろな出来事を見たり、いろいろな言論について見たりしています。幸福の科学の教え、正しい信仰というものがあって、それを通して、いろいろなものを見ています。
ところが、この信仰が間違っていたとしたら、どうでしょうか。たとえば、みなさんがオウム真理教に入っているとしましょう。オウム側の視点でもって、他人や自分を見、日本や世界で起きていることを見たら、いったいどう見えるでしょうか。それは、狂気の世界が見えているはずです。正しい信仰をもっていないと、色眼鏡がかかってしまいますから、すべてが狂って見えてくるのです。
正見に反するものを「邪見」といいます。そうした間違った信仰をもっていると、見る目が全部違ってきます。・・・
こうした「宗教的な邪見」もありますが、もう一つ、宗教的でない邪見もあります。「この世的なる邪見」とでもいうべきものです。これは主として唯物論的な考え方です。非常にこの世的な考え方をすると、これもすべてが正見の反対になります。
しかし、霊的世界は当然あります。あの世は実在するのです。人間の本質は霊であり、人間は過去・現在・未来を転生している存在なのです。ですから、そうした見解でもって、自分を見、他人を見、世界を見ている人と、その世限りの思いで見ている人、物質的にのみ見ている人とでは、見解が全然違うのは当たり前です。間違った宗教も邪見ですが、宗教と対置されるような見解、これも一種の邪見であることは間違いありません。こうしたものの見方をしている人と、正しい宗教を信じている人の見解は、全く逆になるのです。・・・
収入や知名度、学歴など、この世的なもので、すべてのものを見ると、それに反するものがおかしく見えます。しかし、それとは違うところに価値観を感じている人から見ると、そちらのほうがおかしく見えるわけです。
正見というのは、あくまでも、正しい宗教的信条に基づいたものの見方です。したがって、邪教でも駄目ですし、宗教的信条を持っていない人の見方も正反対になります。そうした人たちは基本的に正見ができないのです。
ですから、八正道の前提としては、正しい宗教的信条を持つことです。とくに、現代の日本であれば、まず幸福の科学的価値観を受け容れ、これを信じなければ、物事は正しく見えないということです。これが正見であるわけです。
もちろん、これとは正反対の地獄的な見方もあります。悪霊が入ったり、悪魔が憑いたりしていると、物の見方が見事に正反対になっていきます。
邪教の教えや唯物論でものごとを見ると、ものの見事に、まったく逆の考えをしていきます。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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続いて『永遠の仏陀』から、八正道の要点について確認をさせていだきます。
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●魂の生地の洗濯
しかし、この際に、
おまえたちに、さらに、分かりやすく話をしてゆくとしよう。
おまえたちは、偉大な考えを持つということを、
非凡な考えを持つことと捉え、
難しい考えを持つことと捉え、
他の人が考えないようなことを考えることと捉えるだろう。
けれども、私は言う。
確かに、そのように、非凡な内容のことを考え、
他の人が決して思いつかないような
偉大なことを考えることは、
重要なことであるが、
その前に前提があるということを。
それは、おまえたちの心が清らかでなければ、
どのような偉大な思想も無駄になるということなのだ。
人間の魂にとって、いちばん大切なことは、
その魂の基(もとい)が清らかであるということなのだ。
魂の根っこがよく洗われ、
不純なものがないということなのだ。
魂が透明であるということなのだ。
これがまず先決のことであり、
これを考えることなく、膨大な知識を詰め込んでも、
残念ながら、それは実りあるものとならないのだ。
そう、これもまた、砂上の楼閣の一つにしかすぎたないのだ。
見よ、
世の中で、成功したと言われる人を。
世の中で、大知識を持っていると言われる人を。
彼らは、まさに、
この砂上の楼閣を築いているのではないだろうか。
人間としての、その本性において、
清らかなものをもっているか。
無私なるものを持っているか。
そういう心を持つことなく、
自分の事業欲のために、
知識欲のために、
出世欲のために、
さまざまな思想を詰め込み、
学問をし、専門知識を吸収したとしても、
それらのものは不毛である。
一陣の風が吹いてきた時に、
やがて、砂上の楼閣は、もろくも崩れてゆくであろう。
この一陣の風とは、無常の風である。
あの世から吹いてくる風である。
どのような人間も逃れることのできない。
人生の終わりの時に吹いてくる風である。
この一陣の風に見舞われたら、
このような砂上の楼閣は、ひとたまりもないのだ。
その土台から崩れてゆかざるをえないのだ。
ゆえに、魂が跳躍する前には、土台を固めよ。
これが大事なことなのだ。
日々、己の心を振り返り、
邪悪なるものが、そのなかにいないかどうかを振り返るのだ。
みずからの心のなかに、よこしまなる思いはないか。
みずからの心のなかに、貪欲な思いがないか。
みずからの心のなかに、虚栄心に満ちたものはないか。
みずからの心のなかに、他を見下す心がないか。
みずからの心のなかに、
自分自身の魂を破滅させるようなものがないかどうか。
そうしたことを考えるのだ。
こうして、日々、己の魂の生地を洗濯するのだ。
魂の生地をきれいに洗濯し、それを乾かしてこそ、
見事な色柄をつけることも可能であるのだ。
白い生地には、さまざまな絵を描くことができるのだ。
このことを大事にしなさい。
【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍のとき」より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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■『心の挑戦』
第7章 悟りと霊能力
4 架橋の理論―信仰心を媒介とした悟り
「それでは、霊能力を持つということができない一般人は、決して悟りを得られないのか」という疑問もあろうかと思います。
原則、直接体験なくして、真実の世界、実相の世界をつかむことは困難ではあります。しかしながら、ここにひとつの架橋の理論、橋渡しの理論があります。
それは、霊的世界の真実をつかんだ人、実際に霊的能力を持って悟りを得た人を信ずることによって、つまり信仰を立てることによって、自らに経験がないものではありせんけれども、そこに架橋(※橋を架けること)が成立するということです。そこに橋を架けることが可能となり、そして悟りの世界へと渡っていくことが可能となります。
それは、あくまでも直接的な体験ではないかもしれません。しかしながら、信仰心を媒介としての悟りの経験は、あなたがたに安全というものをもたらします。魂の安全、三次元における心の平安をもたらしつつ、また、実際に悟りを得たのと同じような力を与えることが可能になります。
この悟りの結果は、どうなるのでしょうか。悟りとは、来世において間違った生存をしないことが前提です。そして、今世において、悩みを断ち切って、安らいだ生活をすることが大事です。今世において安らぎ、来世において安らぎ、そして、魂の一歩二歩の前進をめざしていく―これが悟りの道であるならば、信仰心も媒介とした悟りへの道もまた、結果的には同じようなものを手にすることが可能であろうと思います。
【大川隆法『心の挑戦』第7章「悟りと霊能力」より抜粋】
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心の指針236
『私は、人間としての義務を果たすために…』
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夏の夜は、寝苦しくて、
朝起きるのがつらい。
冬の朝は肌寒くて、
やはり朝起きるのがつらい。
私の今朝も、
そんな巡り合わせだった。
もう二十年分も、
この『心の指針』を書き続けて来た。
二〇〇四年に、
「心不全」で、病院に運び込まれ、
「今晩で、この世とお別れです。」
と医者に宣告されて、
家族と弟子三人が、
夕方六時に、ICU(集中治療室)に、
最期の別れにやってきた。
しかし、私は死ななかった。
死ぬとも思っていなかった。
別室に移されてから、
『一条の光』を皮切りに、
九年分の『心の指針』、百八回分を書いた。
信者の皆さんへの遺書のつもりだった。
私は同時に、
病室のベッドの上の机で、『成功の法』の、
まえがき、あとがきを書いて、
三百冊目の本の原稿を完成させた。
この本は、今は、アフリカのケニアで、
学校の副読本として読まれている。
だから今朝も、
「私は、人間としての義務を果たすために起きるのだ。」
と、古代ローマの哲人政治家の言葉をつぶやいて起きた。
一日、一日を、生かされている奇跡と観じよう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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