3 霊を否定する者こそ、金の亡者だ。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、一日一生の精神をあらたにすべく、『天御祖神 武士道を語る―現代に求められる真実の死生観』の教えを確認します。とても大切な教えですので、教典をお持ちでない方は、支部・精舎・全国の書店にてお求めください。【税抜1700円】
―今日、命がなくなったとして、おまえはそれで満足できるかどうか」ということを、日々、自らに問うということだな。そういう生き方をしなさいということだ。―天御祖神
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■『天御祖神 武士道を語る』
〇日々、「自らの生死」を問う生き方をせよ
天御祖神 だから、日本で有名な、
首を刎(は)ねられたり腹を切ったりというような作法がね、
外国には非常に特徴的なものとして見えているとは思うのだけれども、
それを、残酷なもの、残虐なものと考えるのではなくて、
「魂の本道を踏みはずさない」
「魂の本道を生き切る」、
こういうところに武士道の根本があって、
日々、自らの生死を考える。
生きること、死ぬこと―
毎日毎日、
「生きることと死ぬこと」
「自らが生きるとは、どういうことであるのか。
自らが死ぬということは、どういうことであるのか」、
あるいは、言葉を換えれば、
「今日、命がなくなったとして、
おまえはそれで満足できるかどうか」
ということを、日々、自らに問うということだな。
そういう生き方をしなさいということだ。
ある意味では、確かに、
「散り方の美学」も教えたかもしれないとは思う。
それを桜の花にたとえた方も多かろうと思うが、
いずれ、一億人いたら、一億人が一億人、必ずこの世を去らねばならない。
どれほど医学が発展しようとも、
どれほど自然災害に強い建物を建てようとも、
どれほどお金を持っていようとも、
どれほど手伝ってくれる人に囲まれていようとも、
人は、それにもかかわらず、
生死ということが起きるのである。
だから、この根本的な死生観としての、
「魂の転生輪廻に、肉体があずかっている」ということを、
決して忘れない。
中心はどちらかということだけは忘れないで、
「人間として正しく生きよ」
ということを、どうしても伝えたかったな。
私が地球に降り立ったころ、
まだ、日本の原始の民たちは、
存在していたけれども、まだまだ精神性は低く、
この世で食料を手にして、
そして、
「部族の維持あるいは繁栄」
というようなことを中心に考えていたのだと思うけれども、
もう一段の精神的高みを教えて、
「この世に生きる意味を見つけよ」
ということを言っていたと言ってもよいかな。
質問者A この世に生きる意味ですね。
【大川隆法『天御祖神 武士道を語る』より抜粋】
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ここで一日の終わりに反省をする前に、反省がそもそもなぜ大切なのかについて経典『幸福の科学とは何か』から学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜1600円】
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■『幸福の科学入門―初歩からの仏法真理』
第5章「反省はなぜ必要か」
3 心の錆(さび)落としと錆止め
以上、反省について述べてきましたが、これは、言葉を換えて言うならば、「心の錆(さび)落としが大事だ」ということと同じでしょう。
錆(さび)というものは、気がつかないうちに付いてくるものです。
現在では、あまり見られなくなりましたが、昔は、よく、トタンという材料を使って、家をつくったり、屋根を葺いたり、いろいろなことをしていました。このトタンの屋根や壁、覆いなどは、錆びてくると真っ茶色になります。
そして、この錆止めの上にペンキを塗っても、どうしても錆を止めることはできないのです。しばらくすると、錆が浮いてきて、そのペンキの効果がなくなってきます。ペンキの効果を上げるためには、錆びを落とさなくてはなりません。錆を落としてから出なければ、ペンキは塗れないものなのです。
心にも、まさしく、これと同じようなところがあります。心に曇りをつけたままで向上を目指そうとしても、なかなか、そうはいかないところがあります。
次章で述べる光明思想の考えとも絡むわけですが、自分自身、心に大きな曇りをつくり、大きな執着をつくっていながら、いっそうの発展を求めても、この発展は虚しいものとなっていくことが多いのです。【※経典『幸福の科学とは何か』の第6章は「光明思想とは何か」です】
なぜならば、間違った方向に発展していくと、それだけ害が大きくなっていくからです。また、間違った人生観の下に突っ走っていったら、もちろん、事故を起こしてしまいます。
したがって、まず、日々の心得として、「心の錆落としに努める」ということが大事です。
これは、まとめてやるということが、ほぼ不可能です。もちろん、反省を始める最初のころには、自分の何十年かの人生を、まとめて振り返ることも必要です。しかしながら、やはり、反省は日々のものであり、少しずつ少しずつ思い出していかないと、そう簡単に完成させることができるものではないのです。
ここで、私は、この錆落としの方法について述べておきたいと思います。錆落としの方法には主として二種類があります。
一つは思いの修正です。これは、『太陽の法』や『釈迦の本心』(幸福の科学出版刊)にも出ていますが、「八正道」に基づいて自分を反省してみることです。
八正道には、「正見」(正しく見たか)、「正思」(正しく思ったか)、「正語」(正しく語ったか)、「正業」(正しく行為をなしたか)、「正命」(正しく生活したか)、「正精進」(正しく道に精進したか)、「正念」(正しく念じたか)、「正定」(正しく精神統一をしたか)、こういう項目が並んでいます。
それぞれは、やはり、「正しさ」というものを測るためのフィルターであり、「こういう観点に立って、自分自身の思いを修正せよ」ということです。
八正道は、なかなか難しいかもしれませんが、私は、現代的に、簡単に説明をしてあるはずです。そういうものを参考にして、よく振り返ってみていただきたいと思います。
この「正しさ」の基準を得るためのものが、実は、私が数多く出している、仏法真理の理論書なのです。これは材料として提示しているのです。これを学ぶことによって、正しさというものの姿、性質が、だんだんに見えてくるわけです。
人間心で正しさを探っても、そう簡単には分かりません。人間は、どうしても、自分中心の考え方をして、自分の利益中心に考えてしまうからです。自分の利益中心ではなく、やはり仏の心を中心に正しさを考えねばなりません。
しかし、人間には、「仏の心とは何か」ということが具体的には分かりかねます。それゆえに、仏法真理を基準として、みずからの正しさを探究していくことが大切になります。
この正しさの探究には限りがありません。奥深く奥深く、どこまでも行くものです。それは、高級霊であったとしても努力に努力を積み重ねていることと、軌を一にすると言ってもよいのです。
もう一つの錆落としの方法は、具体的行為、実践行為です。
心の曇りというものは、たとえば、「自分の欲望のままに人から与えられたい」といような思いや、「環境さえよかったら」というような愚痴から生まれています。それゆえに、この逆の想念行為を起こしていくことが大事です。
それは、まず、感謝、あるいは報恩です。これは具体的に大切になります。また、与える愛の実践ということでもありましょう。仏の愛を感じたら、それへの感謝を行為に表わしてみることです。あるいは、人の恩を感じたら、それへの感謝を行為に表わしてみることです。あるいは、人の恩を感じたら、それに関して、お返しをしていくことです。
こういうことが足りない人には、それなりの実践行為が必要です。「自分は心清く正しく生きているのに、どうして人生が開けないのか」と思っている人も多いでしょうが、具体的行為が足りないのです。そういう人は、どうか、愛の実践行為、報恩の行為をしていただきたいと思います。
錆落としを中心に述べましたが、次に、錆止めとは、いったい何かというと大きな目標だと思います。自分が、たえまなく向上していくための大きな目標、すなわち、「悟り」という名の目標です。
また、真実の欲、すなわち、「無限に幸福になっていこう。仏の心に適った無限の幸福を手に入れよう」という願いでしょう。
「幸福は、すなわち悟りであり、悟りは、すなわち幸福である」ということなので、「悟りという名の幸福を目指して、日々、精進する」という心構えが錆止めの役割を果たすものなのです。
【大川隆法『幸福の科学とは何か―初歩からの仏法真理』第5章「反省はなぜ必要か」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第1章「序論」
1反省とは何か
〇「自分とは何か」を日々問い続けることの大切さ
転生輪廻ということが、もし単なる思想やたとえ話ではなく、真実の話であるとするならば、みなさんの今世における地上界での生活は、いったいいかにあるべきなのでしょうか。また、
なければならないのでしょうか。
それは、「はるかなる無限遠点から現在ただいまを見る」ということです。
この「はるかなる無限遠点」という視点は二つあります。
一つは「過去からみた視点」です。みなさんが、「当初、はじめて人間として生きはじめたころよりの、現在に向かっての視点」です。みなさんが、「当初、初めて人間として生きはじめたころよりの、現在に向かっての視点」です。いま一つは、やがて誰しも、このから数十年すれば地上を去っていくわけですが、「そのように地上を去り、数百年、数千年たった後の立場から現在を観た時の視点」です。
この「過去」と「未来」の二つの無限遠点から、「現在の自分自身のあり方」というものを見つめなければならないのです。
「実は、反省の根本はここにある」ということを知らねばなません。・・・
反省というのは、「みなさんが、神仏から永遠の生命をあたえられた」という事実そのものに付随するものなのです。みなさんが、そうした永遠の生命を生きているということ自体が、「はるかなる過去の彼方から現在を見る視点と」「はるかなる未来にあって現在を振り返る視点」とい両者の視点を与えるからです。
そうしてみると反省とは、結局、何を意味しているのかというと、「あなたはいったい何者であるのか。目覚めてこれを知れ」ということなのです。「自分とは何者であるのか」という問いを、常々忘れてはならないと言っているわけです。
【大川隆法『真説・八正道』第1章「序論」p29】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第1章 目覚めよ
〇魂の親を知れ
そう、当然のことでもあろう。
生まれてきた赤子は、自分の父がだれであり、母がだれであるかを、
知ろうとするではないか。
父母なるものを知ることなくして、
人間として生まれ、育つことは、
この上なく悲しい事実である。
教えられなくとも、
小さな小さな赤子は、
母を求めて泣くではないか。
そうして、父の名を呼び、母の名を呼び、
自分を庇護(ひご)するものが、いったい誰であるかを、
知るではないか。
それは教えられてではない。
生きているということ自体が、
生きてゆくという行為そのものが、
生かされているということを知ること自体が、
みずからの親がいったい誰であるかを、
知ろうとするのだ。
そうであるならば、
川に流るる流木ならばいざ知らず、
生命(いのち)ある、血のかよった人間であるならば、
自らの生命が、だれによりて与えられたものであるかを、
知りたいと願うのが当然であるのだ。
そして、魂の親である仏を知った時に、
もはや、子供である人間は、
その親の名を呼ばずして、生きてゆくことはできなくなるのだ。
したがって、目覚めたる人間たちは、
「仏よ、仏よ」と、
毎日、その名を呼びて、やむところがない。
まるで、赤子が、毎日、父母の名を呼ぶように、
「仏よ、仏よ」と呼びて、
そして、その言葉を語ることに飽きることはないのだ。
あなたがたも、
この地球という小さな星に生れ落ちたる、
ささやかな生命(せいめい)たちではないか。
そうであるならば、
求めよ、求めよ。
あなたがたの魂の親に、
求めるがよい。
すべてのものを求めるがよい。
すべてのものが与えられるであろう。
いや、与えられているであろう。
あたえられていることに気づくには、
親の存在を知ることだ。
仏の名を呼ぶことだ。
【大川隆法『永遠の仏陀』第1章「目覚めよ」より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
3苦行
ゴーダマは師を求めることから離れ、一人静かに林のなかに入りました。そして、「自分の力で、何らかの悟りを得たい」と思ったのですが、その方法論が見つかるまで、「どうしたらよいものか」と、あれこれ考えていたのです。
毒蛇の棲(す)む林のなかで考えていたこともあれば、夜明けにナイランジャナー河(ネランジャラー河)のほとりで考えていたこともあります。眠れぬ夜もあれば、昼に汗を流して坐っていたこともあります。こうして、あるときは密林のなかで木の葉を眺め、あるときは洞窟のなかで坐禅を組み、あるときは川面を眺めながら、静かに静かに、その方法論を模索していたのです。
わずか一年足らずではありましたが、ゴータマが、「無所有処定(むしょうしょじょう)」を教えるアーラーラ・カーマーマ仙人【※現代において高橋信次を霊指導した仙人】や、「非想非非想処(ひそうひひそうじょう・非想非非想処定)を教えるルドラカ・ラーマプトラ(ウッダカ・ラーマプッタ)仙人の門をたたいて感じ取ったのは、結局、「精神統一が大事である」(目的としての精神統一)ということだったと言えます。
ただ、ゴーダマは精神統一の結果、「心の平安」という「心理的」果実を手に入れる実修方法は身についたものの、本来「論理的」性格を持つ、「真理」そのものを獲得することはできず、禅定を超えた「智慧」を求めて、二人の師のもとを去ったと言ってよいでしょう。
ゴータマは最初、「この世的なる煩いから離れる」というところに苦行の中心を置きました。そのため、なるべく人里離れた所で生活し、この世的なる欲を滅却せんと努力したのです。
いちばん困ったのは食糧でした。食糧がないことは、それを入手して食べたいという欲望を必要以上につのらせたのです。
このときに発見したのは、「人間にはいくつかの欲があるが、そのなかの一つが巨大になれば、他の欲がかすんでいく」ということです。何日間も何も食べていないというひもじさによって食欲がつのってくると、睡眠欲や性欲が薄れていくということがあったのです。しかし、どこまでいっても、欲そのものがなくなることはありませんでした。
ゴータマは森林に入って、木の実や、食用になる派などを食べて生きていましたが、次第に体力が衰え、足も弱り、洞窟のなかでただ座る日々が続いていったのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第一章「菩提樹下の悟り」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶17周年、そして御巡錫13周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。
そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。
私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。
そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。
私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。
①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】
②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】
③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】
④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】
⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】
⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】
私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。
主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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6 愛して来た人たちのことを思い出そう。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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エル・カンターレ・大好き
