31 入社三年目から五年目で判断業務や交渉業務に回されるのは、一部のエリートだ。まずは事務仕事を正確に片づける練習だ。
32 気配り、目配りは出世の条件。だが、ド真ん中のストライクは、仕事の成功だ。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
一昨日3月23日は45周年を迎えます「大悟祭」でした。皆様誠におめでとうございます。大悟祭とは、1981年3月23日に、大川隆法総裁先生が、霊的覚醒を経て、自らが、根本仏にして地球神であるエル・カンターレであるという大いなる悟りを得られたことをお祝いする日です。
おおいなる主よ
私たちにこのような機会を与えてくださいましたことを
心からありがたく思います。
願わくば、これを機縁とし
あなたの愛の力が地に満ちますように
あなたの光が天に満ちますように。
あなたの栄光が、すべての世界に満ちますように。
主よ、私たちを強くしてください。
私たちに無限の力をお与えください。
私たちにユートピア建設の勇気をお与えください。
大いなる目標のために
大いなる建設のために
大いなる新世界のために
そして、新しい時代のために
後れてくる青年たちのために
未来の日本人や、未来の世界の人びとのために
わたしが、あなたのお心にかなった仕事ができますよう。
そして、この私たちが始める愛の運動が、人類幸福化の運動が
後のちまで光をもって燦然(さんぜん)と輝きますように。
主よ、どうもありがとうございました。
【大川隆法『ユートピアの原理』祈り原理・「ユートピア建設の祈り」より抜粋】
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伊勢支部では、3/29(日)まで、10時・13時・19時に復活の祈りと共に「大悟祭」を開催いたします。大宇宙の根本仏であり、宇宙のマスターでもあられる主エル・カンターレ大川隆法総裁先生の「大悟の瞬間」(1981
年 3 月 23 日)に思いを馳せ、人類救済の原点である主の大悟への心からの感謝を捧げます。
信仰は、悟りの高まりと共に深みを増していくものであると教えていただいています。『永遠の仏陀』ならびに、経典『「永遠の仏陀」講義』からの学びを通して、大宇宙を創られた主の偉大さへの理解を深めるとともに、主に向かって悟りを高めていく精進を誓い、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てていく決意を固めさせていただきます。
そして、主が「エル・カンターレの法」をお説きくださる未来を心から願い、主の心と一体となる念いを込めて、「復活の祈り」を捧げさせていただきます。
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さて、ここからは2002年7月7日に説かれました御生誕祭御法話『大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『大悟の法』第4章「大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘」
2無我の思想
〇霊的存在は百パーセントある
宗教は世界各地にあります。しかも、交通手段も連絡手段もあまり発達していなかった時代から、別々の国に、同じような根拠を持った宗教が数多く存在しています。そして、それぞれの宗教において、仏や神に相当する偉大な光の存在があり、また、死後の生命や生まれ変わりの思想が数多く見られます。
これを見ても分かるように、「霊的存在が、この世を離れた世界に住んでいる。さらに、導きの偉大な光の存在がある」という世界観は、宗教そのものをすべて否定しないかぎり、永遠に生き続ける真理なのです。
私が一九八一年に悟った内容のなかで、「どうしても、これだけは外せない」と思うことは、やはり、「霊的存在は百パーセントある」という感覚です。
もちろん、私はそれ以前にも、霊的なものは信じていましたし、「人間には転生輪廻があるだろう。また、仏や神なるものは存在するだろう」と思っていました。しかし、それを、感覚的なるものとしてつかんだということ、思想的なるものから離れて、現実のものとしてつかんだということは、非常に大きな衝撃でした。
この点から二重写しにして見るかぎり、二千五百年あまり前の、釈尊の「菩提樹下の悟り」においても、霊的覚醒を抜きにしてその悟りが成り立つはずはないのです。
何十日もの反省的瞑想のなかで、ゴーダマ・シッダールタ(釈尊)は、自分の殻を取り去り、真実の自己を見つめると共に、霊的世界を確実なるものとして垣間見たのです。それも、偶然性によるのではなく、自己の主体的な考え方や判断によって、霊的世界を確認し、その世界に入っていけるようになったのです。この実体験が、極めて強い確信を生んだはずです。
〇心は大宇宙とつながっている
それでは、釈尊が、座禅をして、心の垢を取り除き、深い深い瞑想の内に入っていったときに見たものは、いったい何だったのでしょうか。
実は、釈尊は「この地球上に、個々の人が、小さな豆粒のような存在
として生きている」というものではない世界を見たのです。「自分のうちに、広大無辺な宇宙につながるものがある。その自分の内なる宇宙は、身長一メートル数十センチ、体重数十キロの、一個の体のなかに閉じこもっているものではない。それは無限に広がっていて、自分の目に見える、この三次元の宇宙をも包むほどの、大きな宇宙のつながっているのだ」ということを知ったのです。
大宇宙の根本仏(根本神)がつくったと思われるような、無限の多次元空間の神秘。そのなかには、自己の魂というものも当然あるけれども、それを突き抜けて、さらに霊界世界があり、霊界世界のなかに、「魂の兄弟」(拙著『太陽の法』第2章参照)や、それ以外のさまざまな光の存在がある。また、天国・地獄といわれる世界があり、その世界のなかに、幸福に暮らしている魂たちも、不幸に暮らしている魂たちもいる。そうした広大無辺な霊的宇宙が、自分の内とつながっている。こうしたことを発見したのです。
これは、「自分というものは、自分であって、自分ではない。自分という存在がないわけではなく、それはあるが、その自分は、独立した一つの存在、切り離された存在ではないのだ。近代の哲学や文学が追求しているような、実存的な自分ではないのだ」ということです。
自分の内には、大宇宙そのものとつながっているものがあるのです。その大宇宙は、三次元の星の世界ではありません。さらにそれを包み込んだ大いなる宇宙とつながっている世界が、自分の内にあるのです。マゼランの航海を待たずとも、自分の心の内を見れば、はるかなる世界まで、自由自在に行き来することができたのです。
〇自体一体の悟り
そして、釈尊は、「第一義的な霊眼によれば、自分と他人は別個の存在のようにもみえるが、もっと深い目で見たときには、自他は別のようであって別ではない。自他は別個にあらず、一体なり」ということを悟りました。「自分と他人、自分の魂と他人の魂は、別のように見えるけれども、そうではない」ということです。
これは、もちろん、霊的に近接な「魂の兄弟」とのつながりということでもありますが、それだけではありません。魂の兄弟たち以外にも、広大無辺な霊界に生きているものたちがいます。人間の魂もあれば、人間でないもの、動植物の魂に相当するものも数多くいます。これらが、ばらばらに住んでいながら、実は同時に、協力し合い、あるいは依存し合って生きているのです。そうした世界であることを、釈尊は悟ったわけです。
ちょうど、オーケストラのそれぞれの楽器を奏でる音楽が、全体として一つの曲をつくっているように、大宇宙のなかで、いろいろな生物たち、生命たちが、根本仏(根本神)の構想した曲を奏でているのです。そうした世界がそこにあるのだということを、釈尊は知ったわけです。
【大川隆法『大悟の法』第4章「大悟の瞬間―大いなる悟りが明かす多次元空間の神秘」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。
七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。
経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています
正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。
それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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自他は これ 別個にあらず 一体なり
共に 仏子の兄弟なり
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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。
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You and Other are not different.
On the contrary, both are children of Buddha,
And Brothers and Sisters.
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本日の解説も、経典『信仰論』から引用させていただきます。
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これも人間の仏性に関係する部分です。「すべての人に仏性が宿っている」という考え方を持つことは大事です。ただ、ここで、自由と平等に関する非常に重要な問題が出てきます。自由と平等は昔から大きな問題とされてきました。
人間は平等を求める傾向がある反面、自由を求めます。自由を求めていくと、必然的に他者との間に差が生じます。各人の能力や環境には差があるため、自由にすると、それぞれの境界や立場に差がついてくるのです。しかし、その一方で、「他の人と同じでありたい」という、平等を求める気持ちがあります。
自由と平等―この二つが矛盾して、相克しながら、近代社会が出来上がってきたのです。
自由と平等の原点は、宗教のなかにもあり、もちろん、釈尊の教えのなかにもあります。『黄金の法』(幸福の科学出版刊)や『悟りの挑戦(下巻)』には天台宗の最澄と法相宗の徳一の論争に触れた部分があり、「一乗思想」と「三乗思想」という二つの考え方が出てきます。
一乗思想は、「すべては一乗、一つの乗り物であり、人はみな仏になれる」という考え方です。『法華経』には確かにそのように説かれています。
三乗思想は、「人間は持って生まれた器に差がある」という考え方です。要するに、「人間は持って生まれた器に差があり、下根のひとはそう簡単には仏になれない」という考え方です。
両者の論争は非常に難しい問題をふくんでおり、仏教界でもまだ解決がつかない大きな問題なのですが、実態論としては、三乗思想のほうが現実に近いと言えます。仏種、仏の種というものはすべての人に宿っていますが、この種を発芽させ、成長させ、花開かせるかどうかは各人に委ねられている面があるのです。
ひまわりにたとえると、だれもが同じひまわりの種なのですが、実際にひまわりの花をさかせることができるかどうかは人それぞれなのです。なぜなら、その人が過去における転生の過程で身につけた能力というものがあり、その能力の差によって、各人の成長にも差があるからです。
一定の法則のもとに修行すれば、菩薩や如来、そして仏になっていくシステムが、すべての人に開かれています。これは平等です。
しかしながら、過去世で何度も仏法真理にふれて勉強してきた人は、今世でも、仏法真理を一冊読んだだけで、あるいは私の法話を一回聴いただけで、すぐに分かりますが、過去でそれほど仏法真理を勉強しなかった人、あるいは仏法真理に仇(あだ)してきたような人は、今世でもなかなか分かりません。そのように、魂の学習進度の差はやはり出てくるのです。
したがって、平等と差別の両方が真理であることをよく知っておいてください。
【大川隆法 『信仰論』 より抜粋】
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私たち人間は、すべての人に仏の性質である仏性を魂に宿しています。これは、根本仏の人間に対する慈悲です。私たち一人一人が、主と同じ性質を持っていると主が保証してくださっています。しかし、ここで大きな勘違いをする人も出てきます。「仏性があるなら、人間は、誰でも、そのままで仏になれる」という間違えた考え方です【※天台本覚思想】。本日の主の解説もこれを戒める内容でした。仏になるには修行が必ず必要なのです。【※始覚思想】
仏が転生輪廻のシステムをつくったのは、すべての人間が仏になる可能性を与えるためでした。それは地上や天上界における魂修行によって人間が等しく仏になるチャンスを平等に与えられました。しかし、今世においても仏法真理の学習の速度に違いがあるのは、今世だけではなく、過去世における魂の兄弟たちの転生に大きな影響があることは事実です。主におかれましては、「(悟りを得るための)原因としての平等」と「(悟りにいたる)結果としての自由」を私たちに保証してくださっています。これは本当にありがたいことです。
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自他が一体であることについて、御法話から抜粋いたします。
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生命〔せいめい〕の大樹というのが一本あって、それがガーッと広がっていて、地球圏、それから地球圏を、飛び越えて、実は、生命が住んでいるほかの星まで実はつながってる、枝が伸びてるんですけれども、「そういう大きな一本の宇宙の大木があるんだ」ということを知っていただいて、「すべての魂は実は、つながっているんだ」と、(中略)そして「魂的にはほんとうは、一本の木につながっているんだ」、いうことを知っていただきたいんです。
だから、私は、みなさんに愛を説いているんです。「愛し合いなさい。お互いに愛し合いなさい」と言ってるのは、あなたがた、他人じゃないんです。みんな実はつながっているんです。どこかで、どこかの時代に、もともとのエネルギーは、生命のエネルギー体としてはつながっているし、いろんな時代で、出会っている方がたくさんいるんです。今世のように、新しい法が説かれるときにも、大勢、生まれ変わっているはずです。
【御法話「真実の人生を生き切れ」より抜粋】
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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。
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■「日々の『戒め』として、読んでみましょう!」
・幸福の科学の三帰誓願者であるならば、戒めとして、一日に一回は「真理の言葉『正心法語』」を読むことや、一日に一回は自分を振り返る反省の時間を持つことを考えてもよいでしょう。
【大川隆法『信仰論』p.122より抜粋】
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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。
【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第1章 縁起とは何か
5 人生修行における縁起の思想―自己責任の原則
「縁起の思想によって、万象万物の成り立ちが説明できる」ということをのべましたけれども、もう一つは、「教えとしての法」と「縁起」が、倒置変換できるようなかたちで説明されています。要するに、「教えとは縁起のことなのだ」ということですが、これはどういうことなのでしょうか。
人間をとりまく世界には、三次元世界とあの世の世界、この二つの世界があります。あの世の世界は「実在界」とも言われますが、人間は、実在界に本籍を置いておきながら、時々、この世に生まれ変わってきて、そして魂修行をしてはあの世に還る、こういう転生輪廻をくり返しているわけです。そして、この転生輪廻の過程のなかに、縁起の理法が一本きっちりと入っている、ということを教えているわけです。どのような人間であっても、この縁起の理法から逃れることはできません。
すべてのものは、自分の播いた種をどのように育てるかによって、結果が分かれてくるのです。播いた種のことを「因」というならば、それをどのように育てるかということが「縁」であって、その刈り取りが「果」ということになります。
人間として生まれ、さまざまな諸条件のもとに育っていき、その結果、来世、行くべきところが違ってきます。地獄に行く人もいます。地獄にも非常に多くの種類があります。人間が考えつく限りの、悪夢の数ぐらいの地獄が現実にはあります。
みなさんは、一生のうちに何度も悪夢を見られるでしょうけれども、一人が見る悪夢だけではなくて、クラスメート全員が見た悪夢をかき集めたよりも、もっと多い数の地獄というのが現実にはあります。ですから、地獄の数も、百や二百というものではなくて、ほんとうは何千種類、何万種類とあります。
その人の心のあり方だけ、間違った心のあり方だけの地獄があります。その間違った心を持つ人が出たら、その人一人だけの地獄でも十分つくれます。また、数が集まれば、大勢でその同じ地獄をつくっていきます。すべてが、そうした法則のもとにあるということなのです。
こうしてみると、仏教的世界観のなかにおいては、天国・地獄は、怖い神様がいて、バツのために人びとを地獄に墜としたり、天国に引き上げたりしているわけではなくて、一定の法則のもとにすべてがなされている、ということがおわかりだろうと思います。
これはその通りで、魂の法則があるのです。魂がどういうことを経験すれば、より仏に近い方向であり、どういうことを経験すれば、より地獄に近い方向であるかということは、もうはっきりと決まっているのです。
そういう一定の法則が決まっているなかにおいて、今世の数十年を生きているときに、人間は自由意志でもって選択行動を起こします。何を選ぶか、それについては完全な自由が許されております。
もちろん、地球に住んでいるということ、人間という生物であること、あるいは人間である以上、食べないと生きていけないということ、また、他の人間関係のなかにおかれているということ、そのように条件づけられた存在であることは事実ですけれども、その一定の条件のもとで、自由に考え行動することができるのです。
たとえば、誰だって、本気でその気になれば、人の一人ぐらいは殺すことは可能でしょう。それは可能だと思います。しかし現実には、そうしようとはしません。それは、「そういうことは、してはいけない」というブレーキが心にかかるからです。なせ、「してはいけない」と思うか。それについては十分な理由が自分ではつけられないかもしれませんが、なぜか、「そういうことは、するべきではない」ということを知っております。「それをすると大変なことになる」ということを知っています。
それが、転生輪廻の過程で学んできた「善とは何か」という知識であるわけです。それが、魂のなかに熏習(くんじゅう)されてしみ込んでいるわけです。
人間は魂のなかに、してよいことと悪いことというものを、転生輪廻の過程で得た知識として、ある程度、蓄えております。幼いうちはわかりませんけれども、人から教えを聴いたり、教科書で学んだりするうちに、そのルールが守れるようになります。それは現実に、心のなかに、すでにかなりの部分が蓄えられているからです。それが、その部分を指摘されることによって目覚めるのです。
そうではなくて、人間が自然発生的に、ちょうど天気の良い日の池に発生する蚊蜻蛉(かとんぼ)か何かのように発生するのだったら、善悪はその都度決めないと、どうにもならないと思います。生命が誕生するたびに、その都度、その生命にとっての善悪とは何かということを決めなければいけないと思います。
しかし実際には、転生輪廻の過程の経験などから、ある程度、知っているわけです。八割ぐらいは知っていて、残りの二割を、今世の修行で後天的に教えられていくのです。
そして、自分で選び取っていった結果について、来世の責任が生じる―これが人生修行における縁起の思想であるわけです。この流れから誰一人逃れることはできないわけです。
【大川隆法『心の挑戦』第1章「縁起とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。
エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。
【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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■伊勢支部 十五戒■
主のため、世のため、隣人を救うために、ユートピア建設のために、なお、一歩を進めよう。心の焦点を主エル・カンターレに合わせよう。
■信仰の五戒【毎年の戒】―エル・カンターレ信仰がわれらの全て
一、主エル・カンターレを信じきる―【戒・定・慧・教学を徹底する】
二、主を愛し、隣人を愛する―【「進歩」と「調和」を顕現するために「四無量心」と「四摂時」を徹底する】
三、三宝帰依を徹底する―【反省(八正道)を実践する】
四、四正道を徹底する―【瞑想を実践しエル・カンターレ信仰を確立する】
五、六波羅蜜多を推進する―【仏国土ユートピア実現のために祈り、伝道を習慣にする】
■伝道の五戒【毎年の戒】―主が一番喜ばれることは伝道・主の御名と御教えが世界中に広がること
一、一人を三帰信者に導く
二、二人の三帰信者を育成する(フォロー)
三、三人を入会伝道に導く
四、四人の入会者を三帰に導くために育成する(フォロー)
五、新たに出会う五人の一般の方に主の御名と主の御教えを伝える
■植福の五戒【毎年の戒】―植福は執着を断つ大切な修行・三千年先の未来の希望のために福を植える
一、「一切は空」―悟りのために、この世への執着を断つために植福する
二、主への感謝を込めて「御生誕祭」と「エル・カンターレ祭」に植福する
三、三宝への感謝を込めて「宗教記念日」に植福する
四、四正道へ感謝を込めて「支部」「精舎」「聖地」に植福する
五、主のため、世のため、隣人を救うため、3000年先の幸福の科学の発展のために、仏国土建設のために植福を習慣にする
信仰の凡事徹底に関して、戒を持つことが仏道修行の第一歩です。主の悲願である、一切の衆生を救済と仏国土ユートピア建設を成就するために、戒を持ち、阿羅漢を目指して、天使菩薩になるために毎日、仏道修行を共にしましょう。
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〇「沈黙の仏陀」の教え
戒めを守り、禅定を行い、そして智慧を得る。
智慧を得ることによって
この世的な束縛、執着というものを断ち切る力を得ていく。
そして、解脱を味わう。
解脱を味わったところで、
また、この世が神仏の偉大なる慈悲の場であることを悟る。
そしてまた、現界において努力する。
そこに、多くの人びとを此岸から彼岸へと渡していくために、
渡し守(もり)としての菩薩の仕事が現われてくる。
一人でも多くの人びとを悟りの彼岸へ導いていこうとする、
渡していこうとする、
そのような肉身の菩薩の仕事がそこから始まってくる。
すべては、己れというものの執らわれを去り、
真実の自己というものを知り、
真実の自己というものを中心として、
この世のあり方を、もう一度まったく違った目で見、
そこに感謝とよろこびを感じて、
他の人びとをも、悟りの彼岸へと渡そうとする。
一切の衆生の苦しみを救おうとする。
そのような大いなる大悲の心が沸き起こってくる。
これが私がみなさんに勧めていきたい人生修行の道です。
【大川隆法『沈黙の仏陀』より抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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