(2/13-1)【基礎教学通信】44【2月13日】「エル・カンターレへの祈り」を読む13主に祈ることを許される祈り―『沈黙の仏陀』大乗仏教の十善戒―『信仰と富』お金持ちになりたければ富を憎んではいけない

エル・カンターレへの祈り

56 自己愛人間は、他人(ひと)の評価ばかり気にしている。
【箴言集『人生への言葉』より】

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3月7日は「宗教法人設立記念日」です。1991年3月7日に「幸福の科学」は宗教法人格を取得して、その存在が公に認められ、「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。

「宗教法人設立記念日」は「幸福の科学」が宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。

「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。

そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。

ここからは、津支部にて2009年2月8日に賜りました御法話『信仰と富』を学んでまいります。本御法話は経典『日本の繁栄は絶対に揺るがない』の第4章所収されています。拠点お持ちでない方は、是非お買い求めください。【税抜1600円】
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■『日本の繁栄は絶対に揺るがない』第4章「信仰と富」
〇お金持ちになりたければ富を憎んではいけない

ただ、目の前に展開しているものについて、「これは、自分の望み、願っているものである」ということに、本人自身は気づいていないことが多いのです。

なぜかというと、心の奥底(潜在意識)では、繰り返し、それを思っているのに、表面意識では違うことを考えているため、「自分が考えているものとは違う」というように見えるからです。

しかし、周囲の人たちから見れば、「あの人は、自分が思っているようになっただけなのではないか」と思えることはよくあるのです。

例えば、「健康になりたい」と言いつつも、本当は病気のことばかりを考えていて、病気を引き寄せてしまう人は大勢います。

あるいは、「もっとお金儲けをしたい。お金持ちになりたい」と口では言っていても、歩とかの人が観察すると、そのようには見えない人も大勢います。「このひとは、本当に、お金持ちになりたいのかな。豊かになりたいのかな。そのわりには、言っていることや、やっていることが、どうも違うような気がする」と感じられるのです。

お金持ちになりたいのであれば、富を憎んではいけません。「豊かになる」ということを憎んではいけないのです。また、「成功する」ということを悪いことだと考えてはいけなのです。

成功することを悪いことだと考えたら、成功できなくなります。このことは分かるでしょうか。成功したら、自分は「悪人」になるわけですらから、成功したくなくなるのです。

口では、「お金持ちになりたい」言っていても、心の奥底で成功を否定していると、あとで「言い訳」ができるような、何らかのつまずきが起きてしまい、結局お金持ちになれないのです。

例えば、「もう少しで事業が軌道に乗る」というときに限って、病気をしたり、自己が起きたり、何らかの邪魔が入ったり、ライバルが出てきたりして、うまくいかなくなる場合があります。これは、事業が軌道に乗ることを心の奥底では願っていなかったのです。思いが徹底していないわけです。

信念が弱く、「考えは現実の力になるのだ」ということが信じ切れていないのです。このことは、そう簡単には分かりきらないため、少しは思っても、強く信じることが、なかなかできないでいるのです。

【大川隆法『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』第四章「信仰と富」】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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■『沈黙の仏陀』3章 戒律とは何か
9 大乗仏教の十善戒

以上、小乗仏教系統中心の戒律について述べてきましたが、歴史的にもう少し後に出てくる大乗仏教の戒として、「十善戒」というものもあります。これは戒律や戒のテーマとしてではなく、これまで心のコントロールの話として述べてきたものです。

この十善戒は、身(しん)と口(く)と意(い)の三つに分類されて、いくつかの項目があります。

①身三(しんさん)―不殺生・不偸盗・不邪婬
まず最初に、「身三(しんさん)」といって、身体に関する戒めが三つあります。一番目に「不殺生」、二番目に「不偸盗」、三番目に「不邪婬」です。これは「殺すなかれ」「盗むなかれ」「犯すなかれ」ということです。

「不殺生」には、生き物を殺すことが全部入っているので、これは厳密に解せばものすごく厳しくなります。ほんとうは人間だけでなく、動物や植物まで含まれ、むやみに木を折ったり草を抜いたりすることも殺生に当たります。

仏教よりもっと厳しいのがジャイナ教です。ほんとうに生き物を殺してはいけないということになっているので、ジャイナ教の人は農業ができないのです。農業をすると虫を殺したりするので、みんな商業に走っていきました。金儲けがうまいので”インドのユダヤ人”と言われていますが、生きものは殺さないのです。

また、ジャイナ教の僧侶などは、空中の生きものを吸い込んではいけないということで、口にマスクをしています。道を歩くときには、蟻などの虫を踏んではいけないので、柔らかいほうきを持っていて、掃きながら道を歩くのです。水を飲むときにも、水中に生き物がいるといけないので、鹿皮の水漉(こ)し器を持っていて、水を漉してから飲むという、ここまで徹底しているところもあります。

何事も行き過ぎはいけないと思うのですが、この不殺生(アヒンサー)の考えを徹底すれば、そこまでいくこともあるかもしれません。

②口四(くし)―不妄語(ふもうご)・不悪口(ふあっく)・不両舌(ふりょうぜつ)・不綺語(ふきご)
それから「口四(くし)」といって、口の四つの戒めがあります。「不妄語」「不悪口」「不両舌」「不綺語」の四つです。不妄語(ふもうご)というのは噓をつかないということです。不悪口(ふあっく)というのは、悪口(あっこう)を言ってはいけないということです。不両舌というのは、Aさんにはこう言って、Bさんにはこう言って、別のことを言って仲違いさせるようなことです。不綺語というのは、いわゆる「おべんちゃら」です。相手をほめるのはいいのですが、心にもないお世辞を言って、後ろでペロッと舌を出しているというのは、僧侶としてはやはりよくないことです。

ちなみに、言葉に関して四種類にも分けて戒律を設けた宗教というのは、世界的には仏教しかなく、非常に珍しいものです。仏教が「正語」にかんしてそうとう詳しかったということが、これでわかります。他の宗教には見受けられないものです。

③意三(いさん)―無貪(むどん)・無瞋(むじん)・不邪見(ふじゃけん)
次に「意三」という、心の三つの戒律があります。「無貪(むどん)」「無瞋(むじん)」「不邪見(ふじゃけん)」の三つです。無貪というのは「貪るなかれ」ということ、無瞋は「怒るなかれ」ということです。不邪見は「邪(よこしま)な見解を持つなかれ」ということで、もともとは、因果の理法を信じない邪教徒などの考えのことです。正見と言ってもよいですが、正見というと少し範囲が広くなるかもしれません。

以上が「十善戒」という、大乗仏教をしている人たちの戒めです。これを戒めとして自主的に守っていることが、すなわち修行そのものになるので、この内容についてはよく読み込んでいただきたいと思います。

【大川隆法『沈黙の仏陀』第3章「戒律とは何か」より抜粋】
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本日も根本経典の「仏説・正心法語」と共に重要な祈りである。「エル・カンターレへの祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。

教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。

一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。

ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。

「エル・カンターレへの祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。

それでは前回の続きです。最後「エル・カンターレへの祈り」はこのように結ばれます。
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主よ
エル・カンターレへの祈りを
お許しくださり
まことに ありがとうございました
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「エル・カンターレ―の祈り」の最後は、主への感謝にて結ばれています。ただ、ここで注目すべきは、「エル・カンターレ―の祈り」を祈ることを許されていることに対して感謝を捧げている点です。地球神として、エル・カンターレの本体意識が降臨されて、その御名が地上で明らかにされたのは、現代のこの時代が地球の歴史上初めてのことです。これをもって、私たちは、今を「奇跡の時代」と呼んでいます。その主の御名を呼び、祈ることができることがとても稀なることであることを私たちは深く知る必要があるように思います。

例えば、ユダヤ教の旧約聖書に出てくる神様ヤハウェは、その名を読んではならない存在として知られています。聖書の中でも「YHWH」と記されておりますが、神の名を決して口にしてはならないとされています。神様の本当の名前は秘されていることが多いのです。

キリスト教においても、イエス様が「天の父」と呼ばれた方がどのような名前であるかはわからず、新約聖書の中でも明らかにされませんでした。イスラム教でも神の名は「アッラー」ですが、コーランでは複数形になっていて、必ずしも一人ではないことが明らかです。

また、東洋においても、中国五千年の歴史があると言われていますが、その始祖にあたる神の名前は失われており、「天帝」と呼ばれる方がいますが、その姿は謎であり、その名も明らかではありません。日本では、つい最近、日本文明の始まりが3万年前にさかのぼることができることが明らかになりました。その神の御名が「天御祖神(あめのみおやのがみ)」として、明らかにされましたが、それまでは、全くわかりませんでした。天御祖神の伝承を伝える『ホツマツタエ』はわが国の学会では、公式には認められていません。

このように、イエス様が「わが父」といった御存在、イスラムの方々か「アッラー」と呼ぶ神、東洋の「天帝」と呼ばれる御存在、そして日本において「天御祖神」と呼ばれる神様は、すべて「エル・カンターレ」に繋がっているということが現代において明らかにされています。

地球における最高責任者としての神の存在があり、その御名が「エル・カンターレ」です。この祈りがとても特別であることは、「主への祈り」に主の御名が出てこないことからも明らかです。この祈り自体が、人類に与えられた最大の奇跡であるといっても良いと考えます。

このように、「エル・カンターレへの祈り」は、私たちにとって大変特別な祈りです。

繰り返しになりますが、このように、「主への祈り」にみられる、主から光、力、知恵と、愛をいただくことを願う受動的な祈りとは全く異なり、「エル・カンターレの祈り」は、弟子が主に対して能動的に、主の光を地上に導き下ろすことを祈念する祈りとなっています。
主の御名を知ることができる奇跡
主の御名において誓い、祈ることができることの奇跡

主が存在すること自体が人類に対する最大の愛です。私たちは幸いにも今世、主の御名を知ることができました。この幸福を伝え、弘げることが私たちの使命です。主からいただく幸福を自らだけのものとせず、私たちの隣人に伝えることを主に誓うのが「エル・カンターレへの祈り」です。
この祈りを大切に毎日、毎日、繰り返し主に捧げてまいりましょう。

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最後に、経典から抜粋いたします。
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〇「真・善・美」の世界を打ち立てることこそ、地上でのユートピアづくり

私の希望はやはり、
「来世以降も、この地球というものを、
多くの魂の転生輪廻の場として、
修業の場として、使えるように維持したい」
ということであり、
また、「この地球が、宇宙から見て、魂の修業の場として、
極めて好まれている場所である」ということを、
多くの人たちに理解してほしいというふうに思います。

教育の根本から立ち返って見直さなければならないのですが、
できれば、すべてのことを通して、
この地上に善なる世界を打ち立てることが大事だと思うし、
「真・善・美」の世界、
真なる世界であり、
善なる世界であり、
美なる世界を打ち立てることこそ、
地上でのユートピアづくりになるということだと思います。
ただ、この地上のユートピアは、決して、
永遠にこの地上に魂が執着するためのユートピアであってはなりません。
いずれ肉体を去り、あの世においては、食べ物もたべない、
お互いに手を握り合うこともできないような世界に移行します。
「そうした幻影のような世界に移行するが、
それが実体の世界であるのだ」ということを理解するところまで、
人間は賢くなければならないと思っています。

〇地獄界の増大と悪の蔓延のなかで、「一人ひとりの心を救う」という大きな使命を各人が果たせ

今、地獄界の増大と、
地上世界における、生きている人たちの心のあり方の、悪の蔓延に、
大変心配を重ねています。
どうか、人々に、強くあってほしいと思うし、
「目に見えない世界が本当の世界で、目に見える世界が仮の世界だ」という、
実に、この世的に足場を置いている者にとっては、
分かりにくいことではあろうけれども、
「この世で目が見ている者が実は見えていなくて、
この世のものでないものが見えている者が、
本当に目が見えている者である」という、
逆説的な真理を学んでいただきたいと思います。
これさえ分かれば、
すべての宗教の根本にあることが、その意味が分かると思います。
この世のあらゆる苦しみや悲しみも、来世以降の幸福のためにある者です。
ですから、この世の苦しみや悲しみを、
そのまま、自分の人生と同一視してはなりません。
経験は経験―。
しかし、そのから学び取ってこそ、真実は光ってくるものだということを、
忘れないでいただきたいと思います。

これから、真実への戦いの時代に入っていきます。
まだまだ、私の思いとははるかにかけ離れた現実が維持されております。
どこまで我慢できるかは分かりませんけれども、
ただ、危機は近づいているし、現に今、起きている。
今、危機のなかを走っているのだということを、
知っていただきたいと思います。

本当に尊いものを尊いものとして、尊くないものを尊くないものとして、
見分けて生きていくことを望みたいと思います。
「救世主からのメッセージ」として私から発せられることは、以上になります。
どうか、この真意を汲み取っていただきたいと思います。
数多くの書籍群が、この内容を補っているものだと思います。
どうか、「一人ひとりの心を救う」という、そういう大きな使命を、
各人が果たしてくださることを、心より祈念してやみません。

【大川隆法 『地獄の法』第五章「救世主からのメッセージ」より抜粋】
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〇「地の果てまでも伝道せよ。」
エル・カンターレとは、地球の光です。
エル・カンターレとは、天上界の光です。
エル・カンターレは、始まりであり、
エル・カンターレは、終りです。
エル・カンターレは、最後の審判です。
エル・カンターレは、最後の審判であり、
世界の人々にとっての新たな希望なのです。
どうか、エル・カンターレを信じてください。
どうか、この新しい信仰を持ってください。
どうか、この新しい信仰を地の果てまでも伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、あなたがたの使命です。
忘れないでください。
それが、あなたがたの使命なのです。

エル・カンターレを信じてください。
エル・カンターレ信仰が、いま求められているのです。
どうか、エル・カンターレ信仰を中心に据えてください。
それが、あなたがたの使命です。
そして、エル・カンターレ信仰を、世界の人々に伝えてください。
地の果てまでも伝えてください。
人々に伝えてください。
それが、あなたがたの使命です。
それが、私の願いです。
それが、すべてです。

【大川隆法 英語説法『Focusing on El Cantare-Belief』の和訳を抜粋】
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Focus on Lord El Cantare―時代は今、主エル・カンターレ―
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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