(12/9-1)【基礎教学通信】343『太陽の法』を読む76「太陽のメッセージ」魂の世界とその真実5―「宗教選択の時代」悪の発生原因【人・時・所】―『復活の法』他人の幸福を祝福できるか

『太陽の法』

83 「老害」と言われ始めたら、五年後、十年後の「弾」を準備せよ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、降魔成道記念日を迎えて、あらためて「悪」とは何かを、主の御教えから振り返ってまいります。本日は経典『宗教選択の時代』より降魔についての学びを振り返ります。経典をお持ちでない方は、この機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『宗教選択の時代』第3章「悪とは何か」
2 悪の発生原因―人・時・所

では、悪は、いかにして起きてくる、現われてくるのでしょうか。

私は以前、「悪とは、自由と自由の相克である」「人間関係のひずみが悪である」と述べたことがあります。そうしたことから、悪は発生します。

また、「悪とは、人・時・所の三つの視点から生じてくる」とも言われています。「そこにいるべきでない人が、そこにいた場合に悪になる」「なすべきときではない時に、なした行為が悪になる」「なすべきところでない所で、なした行為が悪になる」―以上の三つですが、「なるほど」と思いあたるところがあります。

たとえば、経営能力のない方が会社の社長になると、会社を倒産させることになります。その人自身は人柄のよい人であったとしても、社長という地位に就いたということ自体が悪を生み出すのです。その結果、事業は倒産し、社員ばかりでなく、社外の人間のにも大きな迷惑をかけます。そこに悪が発生します。その人自身は、傍目から見てもいい人で、本人も善人であったとしても、その人が実は社長にふさわしい人でない場合には、そこに悪が起きてくるのです。

また、時を得ない場合にも悪は生じます。昼間、他人の家を訪問しても、それが悪であるとは言えないでしょう。その様子が、社会常識に則った訪問の仕方であれば、それは悪とは言えません。ところが、夜中の三時に他人の家を訪問し、玄関のドアをノックしたり、チャイムを鳴らし続けたら、それは悪となりうるでしょう。なぜかというと、人に迷惑をかけるからです。相手が予期していない、あるいは訪問してほしくない時に訪問しているからです。そして、その家だけではなく、隣近所にも迷惑を及ぼすことになります。このように、時を得ない場合にも悪は生じます。

また、所をえない場合にも、当然ながら悪は生じてきます。たとえば、自宅のなかで、家族と一緒に、冗談半分で誰かをからかったりすることがあると思いますが、それを家庭のなかではなく、まったく違た場所で、たとえば公衆の前でなした時には、本人が予想しない悪が現われてくることがあります。家のなかで誰かのことを冗談半分に「泥棒」と言ったとしても、それをまともに取り合う人はいません。しかし、それを電車のなかで大声で言ったら、大騒ぎになってしまい、悪になるでしょう。

あるいは、学校で、授業中にまったく違ったことをやりはじめたら、どうでしょうか。授業中に突如として立ち上がって話を始め、その授業を妨害したなら、それはまったくの悪になります。しかし、学校の外であれば、同じ話であっても悪にはなりません。そういうことは、いくらでもあります。所を得ていないと悪になるのです。

以上のように、人が違う場合、あるいは人と人との組み合わせがまずい場合に、悪が起きることがあります。その人がいるべきでない所にいた、あるいは、組むべきでない人と組み合わせたことで、人間関係にひずみが起きたことによる悪です。それから、それをなすべきでない時に、なしたことによる悪もありますし、それをなすべきでない所において、なしたことによる悪もあります。

人間として当然ななすべきでないことをなしたり、あるいは、その行為自体はありふれた行為であっても、他の人のことを配慮すべき場合なのに、それを怠ってなしたことが、結局は悪になるということです。

これが、一般的な悪の発生原因です。多数の人間が共同生活をしている限り、これは、ある意味では避けがたいものがあります。なぜかというと、すべての人間の意志の統一ができていなければ、それは、どうしても起きてくることだからです。

こうした悪の発生を防ぐために、近代社会では法律というものをつくってきました。ルールをつくることによって、それを守っている限り、それぞれの自由をお互いに許容するという社会をつくってきました。そして、そのルールそのものは、誰にでもわかるように明示されてきました。そのルールを侵せば悪であるということを、お互いの共通意識として認定し合い、そのルールの範囲内であれば自由にしてよいということを、近代の智慧としてつくってきたのです。

人間は、本能のままに行動すると、自由を求めて、自分のやりたいように行動します。その結果、先ほどのべたように、「人・時・所」の三つの視点から他人との衝突が起き、妨害や不愉快、迷惑などを惹起(じゃっき・事をひきおこすこと。ひき出すこと。事件・問題となる事柄などをひき起こすこと)して、そこに悪が生じます。

その悪を最小限にするために、ルールというものをつくって、それを守るようにする。また、新しくルールが必要になれば、みんなの合意のもとに新しいルールをつくる。そして、それを守っている限りは悪ではないということにして、各人の自由を最大限に保証する―。それが、これほどまでに人口が多くなった近代社会において、人間が自由を保証されるための最低の条件でもあったと思えるのです。

【大川隆法『宗教選択の時代』第3章「悪とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。

今日も経典『太陽のメッセージ』を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。本書は1998年の年末に『太陽の法』の講義としていただいたものです。【現在は絶版となっています】
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■『太陽のメッセージ』Part1
第2章「魂の世界とその真実」
22 地球ドリームと教育的使命

他の惑星から地球へ肉体として渡ってきた集団が何陣かあったという話もいたしましたが、霊のなかでも、霊そのもので渡ってきた者もたくさんいます。最近であってもかなり来ており、そのために霊界人口は倍増しつつあります。肉体ではなくて、霊で移ってきているわけですから、このような霊のなかには、初めて地上に肉体を持って出てきている人がそうとうおります。具体的な地域名はあげることができませんが、人口が増加している地域で、初めて人間をやっている人はそうとうおります。このような人たちのスタート地点は低いのですが、やはり地球側としては大勢の人を受け入れて、その人たちのレベルを引き上げていくということが、それだけの実績になるのです。

たとえば、アメリカで言えばニューヨークにあたります。かの地は、あれだけ異民族をたくさん入れて、人種の坩堝(るつぼ)になりました。坩堝になってどうなったかといいますと、やはり発展をしたわけです。ニューヨークには発展・繁栄のイメージがあります。いろいろな人が、夢を持ってきたわけですから、地球もだんだんそのようになってきつつあるのです。アメリカン・ドリームならぬ地球ドリームというのがあって、地球へ行ってひと花咲かせたい、という人が大勢来ているのです。

ですから、このような移民が来ますと、当然ながら全体の文化レベルはいったん落ちますけれども、やがてそれが坩堝のような作用によって、また上がってくるのです。全体に繁栄してきます。このような感じで教育機関という器として地球を見たときに、やはりプラスの部分はだいぶあるわけです。全体のレベルとしては下がっても、また上がってくるのです。過去に修行してきた人が、引き上げていってレベルが上がってくるのです。

このように地球はだんだん学校のようになってきつつあるのです。自分たちだけよければいいというマイホーム主義から脱皮して、次第にいろいろな人を受け入れてやっていくということです。

まさしく現代の日本もそうです。先進国に追いつけ、追い越せでやっていたのが、だんだんいろいろなところに技術指導したり発展途上国の人を受け入れたりして、教えなくては通用しなくなってきました。そして自分らの教えたもので、彼ら自身が発展していくようにしなければならなくなってきた。地球もこのようなふうになってきているのです。

ですから、このように考えてください。地球も現時点での評価だけで切る、ということをしなければ、このようなプラスの面も多少はあるということです。ただ、「だから何もしなくていいか。」というすばそうでもないということです。それをなくそうとする努力のなかにもまた、魂の進歩の、あるいは進化のバネがあるのです。けっきょく、両方なのです。

また、進化の目的について言うならば、単に完成品がよいのではなくて、いろいろなレベルの意識をつくり、それを高めていくなかで喜びあう。これは、人間の家庭の考えといっしょです。結婚して、子供ができて、大きくなっていき、子供が親よりもできが悪かったりすることもよくあるわけでありますが、それでは、子供はつくらなかったほうがよかったかといえば、そうでもないわけで、たいてい子孫は残っていくのです。

その場合、もちろん結果価値ではかれば、退化したかもしれない。たとえば、親が総理大臣になったような場合には、子供はたいてい総理大臣にはなれないでありましょう。しかし、それで失敗だったのか、断絶してしまったほうがよかったのかというと、そうではないのです。やはり子供を産んで育てていくうちに、その過程での喜びが生まれてきます。親の喜び、子供の喜び、両方の喜びが生まれます。もしつくらなければ、そこには何も生まれてこないのです。

このような意味で、トータルで見たときに、結果だけでははかれないということです。ですから、神様のように、ほんとうに究極の完璧な人だけがいればいいではないか、じっと光っていればいいではないかと思ったり、あるいは、なぜそんな三次元、四次元の生きものをいっぱいつくらなければならないのだろうかと思うけれども、それぞれが、いろいろな生活をしながら進歩・向上・繁栄していくところに、素晴らしい理由があるわけです。このように見ていただきたいと思います。これもひとつの悟りであるます。

23 想念帯と後光

後光について説明したいと思います。これも「幸福の科学」に集われるみなさんが、セミナーや研修会などの行事に参加されていると、だんだんと見えてくるようになると思います。わたしの話を数多く聞いていると、想念帯に亀裂が入ってきて、だんだん心のくもりが薄くなってきます。そして、所々に少しずつ割れ目が入ってきて、このような体験をするようになってきます。

とくに、私の講演を聞いて、涙を流しやすいようなタイプの人は、ひじょうに亀裂が入りやすくなっていますから、きっかけがあれば、すぐ現象が出ます。そいしておそらく、オーラが見えるようにという不思議な経験をされることでしょう。

心と魂の関係については、私の出している本を読まれている方であればよく勉強をされているところではないでしょうか。また、『新・幸福の科学入門』などでも、詳しく説明がされていますが、みなさんだいぶ分かっていることと思いますが、大切なポイントとして、すなわち魂の中核に心があるということです。そしいて、意識・霊・魂という順序で人間的属性が強くなっているということです。もちろん、この定義でなくてもよいのですが、私はこのような使い方をしています。そして、これは通説に近いようです。基本的にこのような考え方をする人が高級霊のかなでも多いと思います。

24 思索できるタイプとは

心の作用の説明に入ります。ここでは、「おもい」というものを、三種類に分類してみたいと思います。まず、最初の「思い」は思想の「思」の部分です。日常生活のさまざまな瞬間に去来する「思い」、これだけで、一日のほとんどを終わっているという人が八割くらいいると思います。考えが浮かぶに任せているわけです。折にふれて会った人の言ったことや、偶然に目に入った看板のことを考えてみたり、というひとが、わりに大いのではないでしょうか。

私にもそういう傾向がありましたが、あるときから変わりました。一九八七年の月刊誌十一月号に「知の発展段階説」(「新・幸福の科学入門」所収)を掲載いたしましたが、明らかに変わったと思う瞬間、そのような時期がありました。それまではまさしく条件反射的な物の考えをしていたのでありますが、もうすこし観念的といいますか、道を歩きながらでも一つのことを考え続けるということができるようになってき始めました。これが思索する前段階であります。

思索できるという人が、千人の人間のなかに、いったい何人いるかと考えますと、やはり一割を切るのではないでしょうか。一つの事について十分間、考え続けられるでしょうか。その十分の間に余計な思いがよぎってくるのが、だいたい普通の人なのです。

しかし、これはまだ念いのコントロールができていないのです。すくなくとも、その余計な思いを排除して、「心の作用」なら、この「心の作用」という一つのテーマを、十分、十五分、そして一時間というように長い時間をかけて考え続けていくことができれば、その人は思想、あるいは思索のできるタイプであると言えるわけです。ほとんどの人がこのようになかなかできないと思います。千人のうちに数名、十人を切るかもしれません。しかし、これが心のコントロールのはじまりなのです。

25 「想い」と「反省」

二番目の、想像の想と書く「想い」は、多少ストーリー性を含んでいるものです。これができる人は、多少一日の間に起こったことなどもあたかもビデオに映してみるような感じで考えることができます。したがって、この思いのコントロールによって、反省の場合においても、これができるという人はそうとう進んでいるのです。これができなくて第一段階の思いのままでいると、余計な思いによって反省が途切れてしまうのです。ここにも工夫がいります。

26 自己実現と「念い」

三段階目の「念い」です。念のほうが出てきます。ここまでになりますと、物理的な力が出てきます。前述で、地上の人間は、いろいろな色のついた想念が頭から出てきて、それが固まってゆき、雲のようになって、さまざまな働きかけをするという話をいたしました。この念い、念のほうも、このような力が多少あります。「ビジョンを描く」とよく言いますが、この念で、将来のビジョンを描いていきますと、自分の現在がそれに近づいていくのです。このへんに、自己実現の秘密があるのです。

幸福の科学も、一九八六年に始まってからちょうど今年で二年半ぐらいになりますが、(※説法当時1989年)そのときに私は幸福の科学のビジョンとして、いろいろなことを書きとめていたのです。それには「東京道場」などと書いたのでありますが、すでに本を売りたいという人も出てきています。そして各地に支部も現在できています。こういうものなのです。イメージを描いて念っていると、そのイメージが一つの物理的な力となって実現させるように働きます。

ただ、これは悪いほうにいけば悪く使うことも可能です。ですから、念の強い人に恨まれたりすると、ほんとうに体の調子がおかしくなったりします。たとえば、一生懸命やっているのにもかかわらず報われないようなときには、だれかに恨まれているような場合がありますので、敵をつくりやすいようなタイプの人は、それをよく反省してみてください。

このように念というものは、ほんとうに物理的な力があるのです。生霊ほどではないけれども、付着してきて、その作用に悪影響を受けている人は、けっこう多いのです。ですから、この念もよいところもあれば、怖い面もあるので、よくよく気をつけてください。同じように、この念を集めれば、ユートピア化にもそうとう役立つということなのです。

27 心の針と執着心

さて、次は、「一念三千」の話に入っていきたいと思います。これは天台大師によるものです。心の針の話は一九八七年の五月研修の、「反省の方法」の講義においてもお話ししました。これも一つの比喩ではありますが、心を針というというようにとらえると、ひじょうに分かりやすいのです。

この心の針はいつも揺れているわけですけれども、それが下の方、つまり、半分より下の地獄領域でこの針が止まってくるようになりますと、これが執着になってまいります。下に向かって針が止まると、その執着にすがって憑依が始まってくるということです。ですから、憑依霊の発生の前には、たいてい執着があることが多いのです。たいてい何か悪いことに心が止まることによって、憑依されるということです。

もちろん、本来的には善いことであっても、あまりにも分不相応なことを考えすぎることによって、執着になっていくこともあります。たとえば政治家や国会議員が何百人もありますが、そのなかのひとりの方が、自分はまだまだその器でもないのに総理大臣に絶対なりたいと念い続けているとしますと、それ自体は大志であって悪いことではないのですけれども、これが執着になっていったときには、さまざまな軋轢(あつれき)が起きるでありましょう。そして、執着は通常、悪いほうに向いていることが多いのです。

霊道などを開いてのち、執着が出ると、すぐに憑依されます。あるいは霊感体質の人も同様です。何か大きなことに執着があると、すぐに憑かれてしまいます。そういうときには、もっと心の針を動かして上に向けるように努力しなければいけません。いつも気にしている事柄があると、そのことが執着になるので、そのひっかかりを取って、心がさらさらと流れるように努力しなければ危険です。心の調和とやすらぎが大事だということです。

28 八正道と正しさの基準

「真説・八正道」については、反省法、「真説・八正道」の講義において、一九八九年の一月から四回連続でお話いたしました。総論については、一九八八年十月の講演会「反省の原理」で、説明いたしております。けっきょく、私たちの基本的な立場としてある、正しさの探究は、ひとつの課題として一生追究してほしいということです。そして、その正しさを知る材料が実は霊言集や真理の書であり、これを学ぶことによってはじめて正しさとは何かということが分かるのです。

反省などもいっしょです。自分の考えだけで、反省しようとしても、意外に何が悪いのか、何が間違っているのかがわからなくて反省のしようがないのです。ですからある程度基準が必要なのです。そういう意味で、真理の知的ベースを固めることがだいじです。知っていれば、これがいけなかったのだということがわかるのです。知らないと、それがなかなか分からないし、そこまでいくのにそうとう時間がかかるのです。それゆえに、高級霊たちに与えられていることによって、ひじょうに早く反省が進むわけです。

「真説・八正道」では、八つの基準をあげています。正しく物事を見たか。語ったか。思ったか。仕事をしたか。生活をしたか。真理を学んだか。人生計画・想いについてどうであったか。また、精神統一はどうであったか。こう考えますと、釈尊の八正道も、わりと現代的に身近で簡単になるものです。けっきょく、このことを毎日、点検すればよいというわけです。

まず正しく見たかどうかです。人に対して間違った見方をしなかったか。もちろんこの見るということは、人だけではありません。ものごと、事件・事物・事態についてでもあります。また、自分自身に対しての見方でもあります。まずこの見るということを考えてみることです。

それから、語るということです。これは反省の材料として、非常に重要でかつ、チェックしやすい項目だと思います。初心者でもひじょうに分かりやすいのではないでしょうか。

次に、思いです。思いは難しいけれど、前述の、三段階の「おもい」についての話をもう一度振り返っていただきたいと思います。そして、心の中の思いというものを点検してみるのです。

また、仕事、これも神の心にかなっていたか。楽をしなかったか。なるべく楽をしてボーナスだけをもらおうとしなかったか。こういうことです。

それから正しく生活をしたか。仮病を使わなかったか。時間を生かしたか。

そして正しく真理を学んでいるか。神仏を念う心を保っているか。

あと、正念は将来のビジョンです。この方向が間違っていないかどうかです。

そして最後の正定は、一日をふり返って、守護霊、高級神霊に感謝したり、反省したりする時間をとったかどうかということです。

基本的にこの八番目の正定をしなければ、反省はできないわけです。ここに、全部を含んでいるのでありますが、このような八正道をみなさんに期待するわけであります。

【※一九八九年説法当時、「真説・八正道」では、「正見」の次に「正語」の順で反省を進めていましたが、現在は、従来の仏教のスタイルである正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の順番での反省を進めています。】

【大川隆法『太陽のメッセージ』第2章「魂の世界とその真実」より抜粋】
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続きまして、教典『復活の法』の第3章より「天国に還る方法」を学びます。これは、1988年11月20日に上級セミナーとして、『永遠の法』講義として賜ったものです。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税抜1800円】
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■「天国へ還る方法」―死後の行き先は生前の心境で決まる―
〇最初の関門―他人の幸福を祝福できるか

「現在の自分の心境が五次元善人界以上の心境であるかどうか」ということを知りたい人は、この五次元の「愛の悟り」が分かるかどうかを考えてください。

これが最初の関門です。

また、ボーナスを例にとると、自分のボーナスが同期の人より一万円多かったならば、やはり、うれしいでしょうが、逆に、同期の人が自分より一万円多かった場合、その人に対して、どういう思いを持つでしょうか。これもチェック基準です。

そのときに、「あいつは、何も仕事をしていないくせに、なんだ、これは間違っている。この会社はおかしい。辞めてやる」などと言う人は四次元のどこかに住み分けしなければいけなくなるのです。

他の人がボーナスの多いことを喜んでいる姿を見て、その人を祝福できる気持があるならば、五次元善人界に入れます。しかし、自分を阿羅漢や菩薩だと思っていたとしても、もし他人の幸福を祝福できなかったならば、まだ五次元の関門を通っていないと言えるのです。

そして、この関門を通り、清い心の世界に入ったあとに、「どれだけ役に立ったか」という基準が出てきます。総理大臣をした人でも地獄に堕ちることがある理由は、ここにあるのです。

ボーナスの話をしましたが、出世の問題でも同じです。

あなたが課長だとすると、部長に昇進したならば、うれしいでしょう。ところが、自分は課長のままで、同僚が部長に昇進した場合、それをどう思うでしょうか。「自分が部長になったらうれしいが、他の人が部長になったときに、うれしいか、うれしくないか」ということです。

部長になった同僚に対して、「よかったね」と言えたら、その人は、そのままで少なくとも五次元善人界には確実に入れます。ところが、同僚が偉くなったことを見て、嫉妬の思いがすぐに出るようならば、「どの世界に行くか」ということは、一生終わってみないとわかりません。

これは、わりに簡単な基準です。

たとえば、試験の成績が優秀な人を見て、嫉妬の炎が燃え上がったら、その人は四次元のどこかへ行きます。そうではなく、「あの人は、本当によく頑張って勉強したのだな。自分も見習わなければいけないな」と思う人は天国的な人です。ここからが五次元以上の世界になります。しかし、嫉妬の炎が燃え上がった人は、四次元のなかでまだ修行をしなければいけないのです。

同じような話は、他にもたくさんあります。

就職に際して、「自分よりも学校の成績がよくなかった友人のほうが、よい会社に入った」ということもあります。このときに、「おめでとう」と素直に言えるならば、少なくとも五次元善人界には入れます。ところが、悔しくて、布団をかきむしり、畳に爪を立てて、もだえているようならば、まだ五次元まで行っていないのです。

そういう人は、『永遠の法』を読んで、いくら八次元や九次元の勉強をしたとしても、五次元にも入れません。天国の門を通って、そこから上の世界へ行くことができないのです。

あるいは、主婦であれば、ご主人の出世の問題もあります。

会社の社宅に住んでいる主婦には、「どこそこの人が、ああなった、こうなった」という情報が、事細かに伝わってきますが、「自分の夫は偉くなるだろう」と思って結婚したのに、まったく偉くならない場合、昇給や人事異動の時期になると、そわそわして落ち着かなくなり、心が穏やかではなくなります。

そして、ご主人が家に帰ってきても、ご主人に対して不平不満ばかりを言い、「あなたと結婚するのではなかった」と言ったりします。

そのようなことを、いつも繰り返すことになるのです。
こういう人も五次元へは上がれません。

もし隣の家のご主人が出世したならば、「どうしてだろう」と考えてみることです。

そうすると、「そういえば、隣のご主人は、朝早くから会社に出ていって、よく働いしているし、付き合いもいいようだ。また、ずいぶんと勉強家らしい」などと思い至ることがあります。

そして、その奥さんはどうかというと、「あの奥さんなら、ご主人も偉くなるに違いない」と思える部分があるでしょう。たとえば、その奥さんは、ご主人が苦労をしないように気配りをしたり、休日には部下たちを家に呼んであげるなど、とても面倒見がよかったりします。そこで、「もしかすると、奥さんの内助の功で、ご主人の評判がよいのかもしれない」と思います。

それに比べて自分はどうかというと、ご主人に、「私は料理も洗濯も掃除も嫌いだから、会社の人は絶対に連れてこないでください」などと言い、ご主人のほうも、「分かった、わかった。おまえには無理だろう」と言っていたりするわけです。

そのように、隣の奥さんのほうは、ご主人に対するサポートがしっかりできているのに、自分のほうは全然できていない場合があります。

こういうときには、心静かに思いを巡らせて、「隣のご夫婦は、ほんとうによかったな。うちも少しは考えなくてはいけない。どうしたらよいのだろうか」と考えなくてはなりません。

他人に対しては祝福の念を送り、自分については反省して工夫しようと思える人は、五次元に行けます。こういうことが実感として分かって、行動できる人は、難しいことは分からなくても、この世界に入れるのです。

【大川隆法『復活の法』幸福の科学出版 第3章「天国へ還る方法」より抜粋】
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本日の『永遠の法』では、
『他人に対しては祝福の念を送り、自分については反省して工夫しようと思える人は、五次元に行けます。こういうことが実感として分かって、行動できる人は、難しいことは分からなくても、この世界に入れるのです』
この言葉がとても印象的でした。

嫉妬心の克服と他人の幸福を我が幸福として祝福の心を持つことが天国世界(五次元善人界)に入る鍵であることを学びました。先日に引き続き、これも重要論点です。普段の生活のなかで心がけてまいりましょう。

繰り返しますが、他人の成功や幸福に嫉妬せずに祝福できるかどうかが五次元世界に入る条件です。わかりやすい例えを織りまぜていただいていますので、分かりやすいです。入会まもない方々や、これから入会という方にもあの世のことや、霊界のことをしっかりお伝えするためにもしっかりと学んでまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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文責:蒲原宏史 

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