74 頭の回転の速さだけでは不十分である。「鈍感力」も、また、指導者の資質である。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。
主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。
主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第6章 仏性と成仏
2 一闡提(いっせんだい)の問題(断善根)
確かにこの思想はよいでしょうけれども、ここにひとつの問題が出てきます。【※如来蔵の思想・生きとし生けるものすべてに仏性が宿っているという思想】それは何かというと、どう修行しても悟れると思えないような人間が、現実にはいるということです。この現実の問題をどう処理するかということが、大きな議論の種になってきて、何百年と長らく議論が続いているのです。仏性が宿っていないかに見える人が、現実にいるように思われるのです。
一つには、正しい宗教を迫害するよなう人にまで仏性があるといってよいのか、そういう人を「如来の卵」と言ってよいのかという問題が出てきます。それのように真理を妨害ような人がいます。あるいは、妨害しているわけではないのですが、素質的に見て、努力しても悟るのは無理ではないかという感じの人、すなわち、いくら法を聞けども音にしか聞こえないような人、あるいはまたく宗教心のない人が、昔も今もいるわけです。こういう問題で、過去の仏教者たちは非常に苦労したのです。
ですから、「一切の衆生に仏性が宿っている」という思想を唱えるのは非常に素晴らしいことなのですが、逆にこの思想自体は、「自分たちを迫害したり、自分たちの教えを批判したり、『釈迦も極悪の罪人も、何も区別がない』というものの見方しかできない人間でも、我々と、一緒なのだ」ということになるわけであり、ここにジレンマが生じたわけです。
これで苦しんだ結果、「一切の衆生は仏性を持っていて、成仏する可能性があるのだけども、『断根善(だんぜんこん)』といって、善の根っこが断ち切れている者、あるいは『信不具足(しんふぐそく)』といって、信を完全に持っていない者がいるのではないか。浮草のようにフワフワ浮いている者、要するに神仏のほうにつながっていないような者がいるのではないか」という思想が当然出てくるのです。このような思想によって解決しようとしたのです。これを一闡提(いっせんだい)(サンスクリット語のイッチャンティカ〈icchantika〉の音写=どんなに修行しても絶対に悟ることのできない者)といいます。ちょっと難しい言葉ですが、「一闡提(いっせんだい)の問題」としてよく言及されます。宗教活動をずっとしてくると・
・・やはり度し難い人がいると感じられる事実もあるのです。そこで、「一切衆生悉有仏性」という革命的な宣言を『涅槃経』でしているにもかかわらず、「ただし例外がある。一闡提(いっせんだい)だけは別だ」ということになるのです。
この一闡提(いっせんだい)とは、結局、「大乗仏教を批判している者は別だ」という意味なのです。「おまえたちにも仏性があるといっている、その正しい教えさえ批判するようなものは問題外であるから、これはもはや悟る縁がない」と一蹴してしまうのです。
ただ、私自身の考え方からいえば、やはり、どういう人間でも神仏の子としての性質は持っていると思うのです。小さな子供と会うとニコニコ笑ったり、好きな人と会ったらうれしそうな顔をしたりするということは、どんな人でもあるわけですから、愛や慈悲という仏の性質自体はどなたも持っていると思います。
しかし、繭(まゆ)があまりにも強くがっしりしていると、なかの蚕(かいこ)が出てこられないように、本来、仏性を持った人間(蚕)が出した煩悩(糸)でできる繭ではあるのですが、その繭があまりしっかりしすぎて、固くて中のものが利と出せないような状態までいったのが一闡提(いっせんだい)と言うべきであろうと思うのです。そのように、この世での煩悩の曇りをつくってしまったわけです。
あるいは、別の意味においては、悪霊の憑依という場合もあります。悪霊が四体も五体も憑いたような状態では、もはや正常な判断ができません。神や仏のことを考えることはできませんし、「批判するのは当然だ」という感じで、本人が言っているというより悪霊が言っているような状況もあるわけです。
このように、生れ落ちてからの思想や信条、教育や職業訓練などを通して、あるいは心の間違いによる悪霊の憑依を通して、正しい教えを信ずる縁がまったくなさそうに見える人もいるのですが、その根本には神仏の子としての本性を持っていると私は考えています。ただ、現象的には仏性が宿っていないかのように振る舞う人があるという事実もあることは、やはり認めなければいけないと思います。
これは、あくまでも「地獄から生まれ変わってきている人間はいない」という立場をとっていることと同じことです。さまざまな宗教では、「天国から生まれてくる人と地獄から生まれてく人が半々いる」ぐらいに思っているところが多いようですが、それだけを言うと、どうしても善人悪人の目で見てしまうので、救済という観点からいくと問題があるのです。
赤ん坊や小さな子供は、どの子もみんな可愛らしい顔をしています。将来、大犯罪人になったり、暴力団の組員になるような人でも、赤ちゃんのときからそんな傾向はありません。顔つきが悪いぐらいはあるけれども、やはりそういう狂暴な性格を一歳、二歳、三歳から発揮していくということはないようです。だんだん後に出てくるものです。そのように考えておいたほうがよいだろうと思います。
ですから、「断善根」―禅の根っこが切れていると言いたくなることもあるでしょうが、しかし、「彼らにも核の部分に仏性があるのだ」という優しいまなざしは持っておく必要があると思います。
【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第6章「仏性と成仏」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
今日からは『太陽のメッセージ』を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。本書は1998年の年末に『太陽の法』の講義としていただいたものです。【現在は絶版となっています】
また、後半では、『永遠の法』も少しずつ読んでまいります。『永遠の法』は、エル・カンターレの空間論についての教えです。
経典をお持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み2200円】
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太陽のメッセージPart1
第一章「いま真理の太陽が昇る」
1 出発点
「幸福の科学」の基本的な考え方として、真理というものが、唯一のものから出てきているということを前提にしています。諸教、諸宗派、その形は違っても、出ている源は一つであって、その現われ方が時代と地域によって変わっているのだという前提を出しているわけです。このことは、かなりの数の「幸福の科学」の本を読まれた方がたはもはや当然と思っておられるかもしれません。しかしながら、ほかのいくつかの団体や教えに属している人から見れば、これは当然のことではないのです。むしろ、意外な感じを受けているといってもよいと思います。
地上に降りた人間の認識力というものは極めて低いものであり、自分の見える範囲、聞ける範囲、接することができる範囲でしか世界をつかむことができないという悲しい現実があるのです。トータルで真理というものをとらえ、仏教も、キリスト教も、他の宗教も、元をただせば根源なる意志が、さまざまな人格的な高級霊を通して現われてきている姿にすぎないという考えか方は、世界的に見たならば、ごくごく少数派であると考えてよいと思います。このような考え方自体が、一般的には受け入れられるものではないのです。
霊的なものを信ずる人が、日本人のうちに五十%いるとして、それらの人が何らかの団体に所属しているとしても、このような考え方をストレートに受け入れられるかどうかといえば、やはり非常に難しいと言ってよいでしよう。したがって、みなさんが真理の縁に触れられて、この真理というものが唯一のものから出てきているという前提を常識と考えられて、これを当然だと思い、他の人に押し付けようと思っても、なかなかそう簡単に通るものではないということであります。
たとえば、キリスト教関係の方にこのような話をしたとしても、まずこの最初の前提からして納得がいかないと思います。彼らは、イエス様を通して述べられた教えこそが真理であって、歴史において他によいものもあったかもしれないけれども、それは教えとして認められていない、ということで頑固に頑張られるのがその筋であろうと思います。
また仏教の方においても似たような考え方はありましょう。仏教で僧侶をしておられるご本職の方が、もしこのような考え方を公式に持っておられるとするならば、やはり僧侶しての仕事がやりづらいというのが現状であると思います。
しかし、真理は真理であります。世のみなさま方が、あるいは過去の人々が認めようが認めまいが真実は真実であります。ここに私たちの立脚点、およびその出発点があるということを確認していただきたいと思います。
また「神や仏があるというならば、何ゆえに宗教があれほど醜い姿をさらしているのか、争いが絶えないのか。」という無神論者、あるいは知識人たちの批判にこたえるとするならば、「真実はそうではなかった。一時期、太陽が雲の間に隠れることはあったとしても、けっして消えることはなかった。その証明として、過去いろいろな光の天使たちが現実に地上に降りてさまざまな教えを説き、数多くの偉業をなしてきたのだ。」と、言うことができます。この光の天使たちの活躍の詳しい説明は『黄金の法』のなかに述べられているとおりであります。
したがって、世界が光を欲しているときに、真理の太陽が昇らないことはなく、また、神は人びとが欲しているときに救いの手を伸ばさなかったことはない。このような前提があるということをまず押さえていただきたいと思います。
2 神を知る手がかり
神とは何かということについて述べてみたいと思います。いわゆる神の存在証明の問題についてであります。これも世の知識人あるいは、このような考え方について批判的な人々に対する、反批判あるいは強烈な一撃として出された考え方です。
無神論者たちの考え方は「神などと言っても、その存在証明ができた人はいないではないか。見たこともないものを、どうやって信じることができるのか。」というものであります。真理に触れられた方の多くも、いろいな人に真理を説こうとして、まったく同じ壁にぶつかってられたのではないでしょうか。
さて、このような考え方に対しての答えがここに一つあります。それは、「確かに直接証明として神の存在を説き、そして世に納得せしめた人はいないかもしれない。それはそのとおりであろう。しかし、神の間接証明に成功した人はかなりの数いるのです。」ということであります。
その間接証明とは、全知全能の神の存在があって、それにそば近き人間であればやはり、その神の能力に近き能力を発揮することができたという事実です。たとえば、「現象」がそうです。霊的現象を示してきた人は過去に数多くおりましたし、現在も数多くおります。私自身もそのような「現象」をお見せしていることにもなっていると思います。
そして、もう一つ、どうしても否定しがたい事実があります。釈迦、キリスト、モーゼというような三人の偉人が人類史のなかにおりますが、彼らは決してまだ伝説の人とはなっていないということです。ギリシャ神話の時代になれば、伝説の人だと思う方も多いかもしれませんが、この釈迦とキリストとモーゼは明らかに実在の人であったわけです。もちろん、あと二千年もすれば、キリストらも架空の人、伝説の人になるかもしれませんが、現時点で明らかに実在の人であったと信じられているということです。
そして、この実在の人であった三人の巨人が、いずれも神、あるいは仏と、言葉は違えども根源なるものを信じ、そしてそれを証明しようとして努力されてきました。このように数十年の人生を確かに生き、死んでいったという現実があるのです。釈迦やキリストやモーゼのような人類史の偉人たちが、今、神や仏のことを話す方々を馬鹿にしたり冷笑したりする人たちよりも、劣るような人かどうかをよくよく考えていただきたいと思うのです。
神仏や仏の実在を否定するような人たちに、「あなたは、イエス・キリスト以上の人格をお持ちですか。あるいは釈尊以上の知恵をお持ちでしょうか。もしそうならば、その証明をしていただきたい。できましょうか。」と問いかけたならば、納得がいくような説明ができる方はいらっしゃらないでしょう。逆に問いかけたならば、証明することができないわけです。人間として生きて、釈尊以上の知恵を持っていること、イエス以上の人格者であることを、証明することはできません。
なかには、「イエスは頭が狂っていて、神がいるなどという思想に取り憑かれて、気違いじみたことをやったにすぎない。」という方もいるかもしれません。このようなひとには「それでは聖書のなかに語られているこのイエスの語った言葉、これを見てあなたはどう思われますか。これがほんとうの絵空事だと思えるでしょうか。この言っていることに間違いがあるでしょうか。神とか霊とかいう言葉をはずしたとしても、その愛の教えのなかに間違いがはたしてあるでしょうか。また、釈尊が説き来たり説き去った言葉、すでに二千数百年の歴史を経ておりますが、その言っている内容に、何か常識人が見て、ほんとうに違っているということがありましょうか。思想家として見て、これ以上の思想家が出ていたでしょうか。どうでし・
・うか。」と問いかけることができるのです。
したがって、霊とか神とかいうものが信じられず、馬鹿馬鹿しいという方は、「釈尊、キリスト、モーゼといった歴史上の偉人たちは霊や神を信じていたけれども、かくいうあなた自身は、彼ら以上の認識力と知恵をお持ちであるということを証明でき、彼らを裁けるだけの人間であるということをほんとうに証明できましょうか。」と問われたときに、沈黙せざるを得ないのであります。
なぜならば、歴史の風雪に耐えた偉人の業績というものは、燦然たるものであって、少々の人々の批判では動かないからです。このような実績をつくるにふさわしい努力もまた、彼ら自身してこられたわけであります。
したがってまず、自称、無神論者、あるいは科学的と自認する人に対して問うとするならば、「歴史のなかにどれだけ偉大な人物がいたかということを知っていますか。歴史のなかの偉人たちのなかで、ほんとうに神仏を信じていた人はいくらでもいましたし、偉人の歴史を調べてみれば、その八割以上の人がやはり、なんらかのかたちで神というものとの遭遇を経験しているのです。そして、神を信じていた人は多いのです。そうした人たちが、ほんとうに物笑いにされるような人たちであったでしょうか。もしそうであるならば、人類の歴史そのものにいったい何の値打ちがあったのですか。その歴史そのものを疑ってかからねばなりません。そうではないでしょうか。」ということが言えると思います。
ですから、こういった人はまず、謙虚になる必要があります。過去の歴史において、現在の自分以上の知者も、現在の自分以上の人格者もいたという事実、これはをまず素直に認めなければいけないのです。そのような人がいて、そして神を信じているという事実がある以上、その事実について、あるいは彼らの思想について、もっと虚心坦懐に学んでみるべきではないでしょうか。学んでみて、学び尽くして、初めて批判するのはよいのですが、学んでもいないのに批判するのは甘いということであります。
「人生の探究は、どこかで必ず神の存在にぶつからざるをえません。神を知る手がかりは人生の随所にちりばめられています。」と『太陽の法』に書きましたが、そのとおりです。やはり、この問題と遭遇しないでは、本当に人生を生き切ったとはいえないのです。そこで私は、本書全体を通じて、この「神とは何か。神は何を考えておられるのか。神は何を意図しておられるのか。」ということを説明してみたいと思います。
3 釈迦の「存在と時間」
「存在と時間」についての基本的な考え方を述べてみたいと思います。
「存在と時間」と言いますと、きわめて現代的な響きでありますが、これが仏教の教説そのものなのであります。釈迦が説いていた教えは実はこういうことであったというと驚かれるかもしれませんが、実際に釈迦は、「存在と時間」について語っていたのです。これについての詳しい説明は、『釈迦の本心』のなかにも述べてありますが、(『釈迦の本心』第五章「縁起の法」)業の思想、縁起の思想、こうしたものは実はこの「存在と時間」にかかわる思想であったわけです。そして、この人類、あるいは地上に棲んでいる他の生きとし生けるもの、すべてにあてはまる法則があり、その法則こそ生々流転(しょうじょうるてん)の法則であり、それは普遍の法則であるということを説いています。
この生々流転の法則は人間であれ、動物であれ、植物であれ、鉱物であれ、微生物であり、全てそのルールのもとにあります。この地上のものには、誕生の時があり、成長のときがあり、衰退のときがあり、そして消滅のときがあるということです。人間にしても、誕生のときがあり、そして成人していく過程があり、老化する過程があり、そして必ず死去せざるをえません。物でもそうです。自動車でも、創られるときがあり、それがいろいろな人の使用に供されることもあり、そうして、やがて故障して、その姿を消していくのです。スクラップになって、ほかのものにまた変わっていくでしょう。
このような循環の法則があるということなのです。これが人生を貫き、またこの地上の様々な生物、すべての存在に対して、あてはまる法則であるわけです。別の言葉で言うならば、この三次元現象の存在はすべて変転の時間を内包しているということです。これはきわめて難しい哲学ん的な議論でありますが、存在のなかに時間が内包されている、変転の時間が内包されているということを言っているわけです。けっして静止した存在ではなく、全てのものは変転を前提として存在することが許されているのです。
この「存在と時間」に関する考え方は、ドイツの哲学者のハイデッガーという人も出しています。彼についても、『黄金の法』では述べておりますが、(『黄金の法』p90、p128)やはりこのハイデッカーに対して、インスピレーションはかなり降りていたわけで、そのインスピレーションを出していたもとはひとつで、同じ源から出ているのです。
このように、存在の定義としては、流転するという性質があり、時間を内包しているということ、このことを述べたいと思います。
4 変化するもののうちにある不変の理念
この「存在と時間」から霊魂の存在を推定させる説明が続いていくのであります。
たとえば、私自身の肉体、大川隆法と呼ばれていますが、これを構成している細胞の数は何十兆という莫大な数であるといわれております。その細胞の一つひとつは、何十日か何百日かたてば、すべて死滅して新しいものに代わっています。しかし、一年たとうが二年たとうが、私は私の個性として、実体として存在しつづけております。この実態を存在させているものがいったい何であるかということなのです。何十兆もの細胞があって、そのぞれが勝手に点滅するランプのようにできたり消えたりしているわけです。しかしながら、どのようなことがあっても、私自身は、私の個性として存在している。これはいったいどのようなことなのだろうかということなのです。
植物にしてもそうです。一本の花を花たらしているものは、いったい何でしょうか。毎日毎日、植物は伸びてゆき、やがては花が開いてゆきます。その姿は変化していきますが、やはり菊の花は菊の花として、水仙の花は水仙の花として、チューリップはチューリップとして、存在しているのであります。昨日と今日とでは姿が違っても同じ存在なのです。ここを統一しているものはいったい何なのでしょうか。
動物でもそうであります。いろいろと変化していきますが、その個性を統一しているものがあるのです。この個性を統一しているものこそ、魂といわれているものの正体であるということなのです。
【大川隆法『太陽のメッセージ』第1章「いま真理の太陽が昇る」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第6章 九次元の世界
5 七色のプリズム光
「仏の光は七色である」と言われますが、実際、そのとおりです。そして、九次元世界においては、仏の光を七色に分けており、この七色の光が、八次元以降で、さまざまな如来を通じて、十数種類、あるいは二十数種類の光に分光されているのです。
この七色の光を受け持っている九次元大如来たちの名前を挙げてみましょう。
中心光線である黄色い光線、黄金色の光線を受け持っているのは、ゴーダマ・シッダールタ、釈迦牟尼仏です。仏陀の黄色い光線は、法の色、あるいは慈悲の色です。
白色光線を受け持っているのはイエス・キリストです。イエスの白い光線は、愛としての光です。医療系の霊団はイエスの白色光線を引いています。医者や看護婦が白衣を着ているのは、偶然の一致かどうかはわかりませんが、彼らが白色光線の系列に属していることを暗示しているかのようです。
赤い色の光線はモーセが担当しています。モーセの赤色光線は、要するに指導者の光線であって、政治的指導者など、世の中を律していく指導者を導いている光線です。また、赤色光線は、別名、奇跡の光線とも呼ばれています。さまざまな現象、奇跡を起こす場合、赤色の光線が働きかけるのです。
次に、青色の光線があります。青色というのは、ひと言でいえば、哲学、思想関連の光線です。青色光線を担当している方は、一人でなく二人います。
一人は、かつてギリシャに出たゼウスです。ゼウスとして出たときには、主として文学や芸術を司っていました。芸術の光線は緑色にも入っていますが、その一部分は青色にも属しているのです。
もう一人はマヌです。インドでは人類の始祖とも伝えられている人で、バラモンの日常生活の規範などを定めた『マヌの法典』の思想的源流に位置する人です。この方も九次元霊であり、思想系統を担当してますが、それ以外にも、さまざまな特命事項で活躍しています。現在は、人種問題など、地域を超えた、思想信条の統合を役割として持っています。
これ以外に、銀色の光線があります。これは科学の光線であり、文明の近代化の光線でもあります。この光線を分光している九次元如来としては、ニュートンがいます。
ニュートンの生命体は、かつてギリシャにアルキメデスとして出たこともあります。このように、彼は常に科学者として地上に出ているわけですが、九次元如来として、三次元や他の次元の人たちの科学進歩のために、ひとつの光線を分担しているのです。
このニュートンの流れを引いて、八次元にはエジソンやアルバート・アインシュタインなどの科学者たちがいます。
次に、緑色の光線があります。これは主として調和を司っている光線です。緑色は老荘思想の色であり、大自然の色、調和の色です。この緑色を担当しているのは、先ほども出てきたマヌと、かつて善悪二元論の拝火教を説いたゾロアスター(ツァラツストラ)という中近東の神です。彼らは、大自然のあり方、宇宙の構造、宇宙の調和、こうしたものを中心として教えを説いています。
さらに、紫色の光線があります。紫色の光線は、中国に出た孔子の光線であって、道徳の道、学問的なものの考え方、礼節、秩序、こうしたものを主として司っています。つまり、上下関係、上下の統制といったものを司るために、孔子が紫の光を分光しているのです。
また、この流れのなかに日本神道があることも事実です。
八人の方を出して、こうした大如来たちが七色の光線を受け持っているという話をしました。しかし、九次元には十人の如来がいることを、すでに話したはずです。では、残りの二人はどういう方たちで、いったい何をしているのでしょうか。これについても話しておく必要があります。
残りの二人のうち、一人はエンリルといいます。砂漠地方において、ヤハウェなどという名前でも呼ばれてきました。イスラエルの民族神の役割も果たしましたが、東洋では祟り神の元締めとして恐れられています。
それから、マイトレーヤーという調整役がいます。マイトレーヤーは光のプリズム化をしているのですが、光の強度の調整もしています。どのような光を強くし、どのような光を弱くするかということを担当しているのです。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第6章「九次元の世界」より抜粋】
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本日の『永遠の法』では、七色光線についての特徴について学びました。ここでは、直近での九次元大霊の転生をご紹介します。
〇黄金色(真理・法)【仏陀】大川隆法総裁先生
〇白色(愛・医療系)【イエス・キリスト】ジョン・レノン
〇赤色(指導者・奇跡・政治)【モーセ】・ネルソン・マンデラ
〇青色(哲学・思想・芸術)【ゼウス】スタン・リー
〇青色(思想・人権・信条の統合)【マヌ】ガンディー
〇銀色(科学・文明の近代化)【アルキメデス】ニュートン
〇緑色(調和・大自然)【ゾロアスター】ドストエフスキー
〇紫色(礼節・秩序・道徳・学問)【孔子】佐藤一斎
〇裏側(天狗・仙人・魔法・祟り神)【エンリル】高橋信次
〇調整(光のプリズム化・強度の調節)【マイトレーヤー】コロンブス
このようにしてみると、十人の九次元大霊にも個性があることがよく分かります。
そして、謎なのは仏陀の光をプリズム化しているというマイトレーヤーの存在です。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史
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(11/30-1)【基礎教学通信】334『太陽の法』を読む67「太陽のメッセージ」いま真理の太陽が昇る1―「悟りの挑戦(下巻)」一闡提(いっせんだい)の問題(断善根)―『永遠の法』七色のプリズム光
『太陽の法』
