73 自分が好きなら、自分の嫌いな人は、同じくらい嫌いなはずだと勝手に思い込む人がいる。公平無私を忘れたら指導者ではない。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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12月8日は降魔成道記念日です。主エル・カンターレ
大川隆法総裁先生が、1985年12月8日に名古屋の地(降魔成道館)にて、救世主として法を世に説くことを決意しようとしたとき、これを何としても阻止せんと、悪魔が総攻撃をかけてきました。降魔成道記念日とは、この悪魔を打ち倒して、仏法真理の流布に立ち上がったことを記念する聖なる日です。
主は、ただ一人往くという不退転の決意によって魔を下し、降魔成道をなされ、救世主として立たれたことに心からの感謝を捧げると共に、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、「降魔成道記念日」感謝式典版「復活の祈り」を執り行います。
主のご復活を妨害する悪霊・悪魔・妖怪・妖魔・闇宇宙・唯物論の勢力といった悪しき者たちの呪いを打ち祓い、主がこの地にて「エル・カンターレの法」を再びお説きいただけるための、結界を皆様と共につくってまいります。皆様ぜひご参加ください。
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第6章 仏性と成仏
1 仏性と如来蔵
本章では「仏性と成仏」というテーマを選んでみました。このテーマは、到底一回で語り尽くせるような内容ではありません。しかし、これは非常に大切であり、また、当会としても見落とすことができない重要な問題を含んでいます。
「仏性」という言葉は、読んで字のごとく、仏の性質と書きますか、私は、「人間神の子あるいは神仏の子としての性質」という説明をしたこともありますし、「みんなダイヤモンドなのだ」「遥かなる昔より神仏の光が分光してきて、人間をはじめとするいろいろな動植物の魂になってきたのだ」という説明もしたことがあります。いずれにしても、「生命あるものの、その生命の中心には神仏の光のエネルギーが宿っている」ということは、私が一貫して語ってきたことです。その意味で、この仏性という言葉には、当会の会員のみなさんはなじみがあろうかと思います。
この仏性とほとんど同義語として使われる言葉に、「如来蔵」があります。この「蔵」とは、単なる倉庫という意味ではなく、もともとインドの言葉(サンスクリット語)では「タターガタガルバ」(tathagata-garbha-「タターガタ」〈tathagata〉とは如来、「ガルバ」〈garbha〉とは胎児のこと)、すなわち「如来の胎児」という意味なのです。
「それぞれの人は、もちろん一人前の如来、仏様ではないけれども、お母さんのお腹のなかにいる胎児のような状態なのだ。これから生まれ育って大人になれば、きちんと一人前になれるのだ。そういう可能性を持っているものだ」という意味において、この如来蔵という言葉を使うのです。
このような考え方もずいぶん流行りました。「如来の卵」と聞くと、みなうれしいですから、この言葉が歓迎されたのです。
しかし、このタターガタガルバという言葉が中国に入って、如来蔵と訳されると、ちょっと違った意味にとられました。もともとは「如来の胎児」というぐらいの意味だったのが、中国では、「もともとの如来が、覆いをかけられて見えなくされているもの」というような捉え方をしたのです。まさしく蔵の奥にしまうような感じで、如来蔵というものを、ちょうどお米に籾殻(もみがら)が被っているような意味にとるようになっていきます。
胎児という捉え方から、覆いがあって隠されているもの、包まれているものというような捉え方にニュアンスは変わっていきますが、もともとの意味としては、先ほど述べたように「如来の胎児」という意味なのです。これは仏性とほぼ同義語として用いられていたものなのです。
この如来蔵の思想は、どのようなところから出てきたのでしょうか。
第四章で述べたように、『涅槃経』では「一切衆生悉有仏性」という言葉が使われています。「一切衆生」とは「すべての生きとし生けるもの」という意味ですが、特に人間を指す場合が多いのです。つまり、「一切の人間には仏性が宿っている」という言葉が、もともとの始まりだろうと思います。
この言葉は、現在遺っているものとしては、『涅槃経』が最初です。ここに、すべての衆生、つまり、すべての人間に仏性が宿っているという思想が出てきます。
【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第6章「仏性と成仏」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。
今日からは『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ」を引用しながら、幸福の科学の基本書である『太陽の法』の大切さを共に学びます。お持ちでない方は、ぜひ拝受ください。全国の書店や支部や精舎よりお求めいただけます。【税込み1980円】
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■『幸福の法』第五章「太陽の時代の到来を信じて」
5地上をユートピアに
〇仏の偉大なる計画とは
人類は、「愛」と「悟り」という二つの大きな武器を持って、この地上をユートピアにしていく必要があります。それは物質的なユートピアではありません。
私は、この世の利便性を否定するつもりは決してありませんし、食べ物や着る物、住居、その他のものを否定する気もありません。そういうものもまた、人間の幸福感に寄与するものであることは、十分に理解しています。しかし、主と従を間違えてはいけないのです。「心の修行のために生きているのだ」という、主なるものを忘れてはいけません。そういう心の修行の便益のために、この世的なさまざまな文明の恩恵があるのです。この主と従を間違わないことです。
結局、どのような生活形態、社会形態のなかにおいても、人々が愛と悟りを求めて生きていけるような、そういう心の社会を建設していくことが大事なのです。
私たちが求めているユートピアは、目に見える姿でのユートピアでは必ずしもありません。「こういう建物があり、こういう道路があり、こういう政治理念、経済理念で、こういう形態で生活すれば、それがユートピアである」というようなものではありません。そういうものは、さまざまに変化するものです。
人々が、変化するもののなかにあって、変化しない方向性を知り、向かうべき方向を知り、その高みを知ること、そして、この地上世界を、菩薩や如来の世界、天使の世界に近づけていくことが大切なのです。この修行のために、大勢の人々が、長い長い年月、この世において魂修行をしているのです。
これが仏の偉大なる計画なのです。
〇多くの人を救うために伝道を
こういう話は、学校や実社会で勉強した知識だけを見れば、荒唐無稽(こうとうむけい)にも思えるかもしれません。しかし、この世を去って、あの世の世界へ旅立ったときに、それが百パーセント真実であったということを、みなさんはひとり残らず知ることになります。
「それは死んでから分かることであるから、そのときに知ればよいではないか」と言う人もいるかもしれません。しかし、一日も早く知っておくことが、みなさん一人ひとりにとっても、他の人々にとっても、よいことなのです。
この世で共に生きている人々が、仮にも、地獄といわれる暗い世界で何百年も苦しまなくても済むように、助けていただきたいものです。同じ世界で、同じような情報を共有しながら生きているのに、なぜか間違いを犯す人が出てくるのです。間違った生き方というものは厳然としてあります。それを教え、助けてあげる必要があります。それは、あの世の天使の仕事でもありますが、やはり、この世に生きているうちに教えてあげるべきだと思います。
ユートピアづくりの大きな原動力は、また、伝道の力でもあります。伝道は愛です。それを忘れてはなりません。多くの人々を救うためにこそ、伝道活動が必要なのです。
その意味において、一人でも多くの人に真理を伝える必要がありますし、一人でも多くの人に私たちの仲間になっていただきたいと考えています。
まだまだ、信じる人の力が弱いように思います。もっともっと多くの人が信じるようになれば、ある水準を超えたときに、ほとんどの人がそれを真理だと思う瞬間が来るのです。
その日が一日も早く来ることを願いつつ、『太陽の法』という一冊の本が、一人でも多くの人の手に届くように、そして、まだ真理に出会っていない人たちの導きとなり、彼らにとって、真実の世界が開かれ、目から鱗が落ち、仏の子としての新しい人生が始まるように、祈りたいと思います。(完)
【大川隆法『幸福の法』の第5章「太陽の時代の到来を信じて―『太陽の法』が導く未来社会へ より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第6章 九次元の世界
4 宗教の本質
ここで、宗教の本質について考えてみましょう。
すでに、八次元の説明において、「仏の光がプリズムにかかったように分かれてきて、それぞれ特色を持った教えが説かれているのだ。それぞれの如来が『仏(神)とはこういうものだと思う』と説いてきたのが、それぞれの宗教になったのだ」という話をしました。
では、なぜそうした区別をする必要があるのでしょうか。「これこそ仏の教えだというものが、一つだけあればいいではないか。それをもとに、すべての宗教家が同じことを説けばいいではないか。そうすれば混乱も宗教戦争もないだろうし、人びとも迷わなくてすむだろう」―このように考えている人もいると思います。
しかしながら、ここに私は一つの危険性と考え方の誤りを発見するのです。それは、「お仕着せのような一律の教えでもって、本当に人間は満足するのであろうか」ということです。
たとえば、車で道路を走るときでさえ、さまざまな車に乗っているではありませんか。異なるメーカーの車が走っていますし、色にしても、白、赤、黄色、青など、いろいろな色の車が走っています。また、大型車、中型車、小型車といった違いもあれば、燃費がいいか悪いか、値段が高いか安いかといった区別もあります。しかも、新車もあれば中古車もあるのです。
そして、それぞれの人が、自分の家や自分の運転に都合のいい車を選んで買っているのです。
車を例にとりましたが、なぜこのようないろいろな車があるのでしょうか。それは、車というものが単に人間や物を運ぶだけの道具ではないからです。車がA地点からB地点へ移動するためだけの道具ならば、車はみな同じ形をしていてもいいのですが、車にはそれ以外の役割が付随しているのです。
では、それ以外の役割とは何でしょうか。結局、車というものは、いろいろなものを象徴しているのです。たとえば、その車を所有している人の資産状態、財産状態を象徴しています。また、趣味の問題もあります。その車を持っている人は実用的な人なのか、それとも、いわば装飾として、ステータス・シンボルとして車を持っているのかということなど、さまざまな点について考えることができます。
さらには、男性が好んで運転する車、女性が好んで運転する車といった違いがあります。それから、「車は速ければいいというものではない。レーサーが乗るような車ばかりではなく、遅い車もあっていい」という人もいます。また、「ツードアがいい」という人もいれば、「フォードアがいい」「ファイブドアがいい」という人もいて、いろいろです。
したがって、「どの車がいちばんいいか」と問われても、一概には答えが出てこないでしょう。
現在、「さまざまな宗教が乱立している」と言われています。しかし、「どの宗教がいちばん正しいのか」ということは、「どの車がいちばんいい車か」ということと同じことなのです。
もちろん、「値段がより高い車がいい車だ」ということは一般的に言えますし、「この車よりもあの車のほうが高級車だ」ということはあります。
だからといって、「全ての人が絶対にこの車でなければならない」というところまでいくかといえば、そうではありません。人によって好みの違いがあっていいのです。
仏教には、小乗、大乗という言葉があります。「乗」とは、乗り物の意味です。つまり、小乗、大乗は、小さな乗り物、大きな乗り物ということです。
小乗はいわば小型車であり、自分一人しか乗せません。ところが、大乗は言ってみれば大型車ですから、大勢の人が乗れます。
このように、宗教のなかには小型車と大型車が存在しているのです。その違いは、どれだけの数の人たちを運ぶことができるかという、その運び方によるわけです。
たとえば、バスを自家用車として使用したいと思う人はいないでしょう。バスは何十人もの人を乗せることが可能であり、人を大量に運べますが、個人の趣味には合わないからです。
結局、車には小型車、中型車、大型車があって、いわば小乗と大乗があるように、宗教の教えにも、それぞれの好みや風土、土地柄に合ったものがあるということなのです。
すなわち、砂漠地帯のように、闘争と破壊が中心である地においては、「裁きの神」というかたちで神が現れて、正義を教える必要がありましたが、東洋のように温和な地帯においては、調和を教える必要があったということです。また、西洋文明のような近代的で合理的な文明をつくるために、哲学のようなかたちをとって現れたこともあります。
どのような形をとっていても、目的は同じです。つまり、A地点からB地点に動くということです。ただ、その間を動く乗り物として、さまざまなものが用意されており、そこに人間は喜びと生きがいを見いだすことができます。こうしたことを人間は予定されているのです。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第6章「九次元の世界」より抜粋】
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本日、前半の教えでは、『人類は、「愛」と「悟り」という二つの大きな武器を持って、この地上をユートピアにしていく必要があります。それは物質的なユートピアではありません。』
このように、幸福の科学の活動理念は、「愛」と「悟り」と「ユートピア建設」の三つです。
これは大切ですので、覚えておきたい点です。
今、混とんとした世界において、大変危険なのが、地上に住む人が、信仰心を失って、唯物論・無神論が蔓延していることです。科学技術が発展して、未曽有の物質文明を迎えていますが、人間の心からいちばん尊い、神仏を信じる心が失われました。こうして、信仰心を失った方々が、死後に天上界に還ることができず、地上世界に新たな地獄をつくりだしています。この地獄領域の拡大を止めて、地上の悪想念を消していくのが主の説かれる経典『地獄の法』です。しっかりと主のみ教えを学び、救世活動のエネルギーにしてまいりましょう。
私たちの使命は、主の御手足となり、「愛」と「悟り」によって、この地上に仏国土ユートピアを建設することです。それを成し遂げるのが「菩薩」です。私たち一人ひとりが光の天使・菩薩となって主の救済の助力者としてともに活躍してまいりましょう。
『幸福の法』の最終章は、『地獄の法』がなぜ説かれたかを事前に伝えるかのような教えでした。特に重要なのが、
『「それは死んでから分かることであるから、そのときに知ればよいではないか」と言う人もいるかもしれません。しかし、一日も早く知っておくことが、みなさん一人ひとりにとっても、他の人々にとっても、よいことなのです。
この世で共に生きている人々が、仮にも、地獄といわれる暗い世界で何百年も苦しまなくても済むように、助けていただきたいものです。同じ世界で、同じような情報を共有しながら生きているのに、なぜか間違いを犯す人が出てくるのです。間違った生き方というものは厳然としてあります。それを教え、助けてあげる必要があります。それは、あの世の天使の仕事でもありますが、やはり、この世に生きているうちに教えてあげるべきだと思います。
ユートピアづくりの大きな原動力は、また、伝道の力でもあります。伝道は愛です。それを忘れてはなりません。多くの人々を救うためにこそ、伝道活動が必要なのです。』
伝道は、愛です。そして『地獄の法』が救世の法である意味もよく分かりました。この地上に巣くう闇と悪想念を私たちの信仰心と『太陽の法』の教えを一人でも多くの人に伝えることで、打ち破ってまいりましょう。
主の最期のお言葉がとても印象的でした。
『まだまだ、信じる人の力が弱いように思います。もっともっと多くの人が信じるようになれば、ある水準を超えたときに、ほとんどの人がそれを真理だと思う瞬間が来るのです。
その日が一日も早く来ることを願いつつ、『太陽の法』という一冊の本が、一人でも多くの人の手に届くように、そして、まだ真理に出会っていない人たちの導きとなり、彼らにとって、真実の世界が開かれ、目から鱗が落ち、仏の子としての新しい人生が始まるように、祈りたいと思います』
私たちの使命は、主の御手足となり、「愛」と「悟り」によって、この地上に仏国土ユートピアを建設することです。それを成し遂げるのが「菩薩」です。私たち一人ひとりが光の天使・菩薩となって主の救済の助力者としてともに活躍してまいりましょう。
後半の『永遠の法』では、宗教の本質が、根本仏の視点から語られた貴重、かつ重要な教えでした。仏教の小乗と大乗の説明で宗教の本質を次のように、教えていただきました。
『仏教には、小乗、大乗という言葉があります。「乗」とは、乗り物の意味です。つまり、小乗、大乗は、小さな乗り物、大きな乗り物ということです。
小乗はいわば小型車であり、自分一人しか乗せません。ところが、大乗は言ってみれば大型車ですから、大勢の人が乗れます。
このように、宗教のなかには小型車と大型車が存在しているのです。その違いは、どれだけの数の人たちを運ぶことができるかという、その運び方によるわけです。・・・
結局、車には小型車、中型車、大型車があって、いわば小乗と大乗があるように、宗教の教えにも、それぞれの好みや風土、土地柄に合ったものがあるということなのです。
すなわち、砂漠地帯のように、闘争と破壊が中心である地においては、「裁きの神」というかたちで神が現れて、正義を教える必要がありましたが、東洋のように温和な地帯においては、調和を教える必要があったということです。また、西洋文明のような近代的で合理的な文明をつくるために、哲学のようなかたちをとって現れたこともあります。
どのような形をとっていても、目的は同じです。つまり、A地点からB地点に動くということです。ただ、その間を動く乗り物として、さまざまなものが用意されており、そこに人間は喜びと生きがいを見いだすことができます。こうしたことを人間は予定されているのです』
世界中で宗教が説かれているのは、救いに導きたいスケールとしての器の問題や、土地柄や地域の特色に違いがあることを認めながらも、救いの方向へ導く乗り物の違いを、根本仏は認めているといことを学びました。これは、さまざまな文明においても共通していることも学ぶことができます。さらに学びを深めてまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史
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(11/29-1)【基礎教学通信】333『太陽の法』を読む66「太陽の時代の到来を信じて」地上をユートピアに―「悟りの挑戦(下巻)」仏性と如来蔵―『永遠の法』宗教の本質
『太陽の法』
