(11/22-1)【基礎教学講座】326『太陽の法』を読む59「エル・カンターレへの道」臥竜の時代【回想の青春】―「幸福の科学発足にあたって」八次元如来界―『永遠の法』慈悲とは何か

『太陽の法』

66 何事も、才能だけに頼るな。人知れず努力する人を心の中で「師」と思え。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から39年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。

主のご説法は1986年11月23日の第1回目から2023年2月23日に賜りました『妖怪にならないための言葉』発刊記念対談にて、説法3500回を超えました。これは人類史に残すべき偉業です。

この聖なる日に仏弟子相集い、日暮里酒販会館にて賜った初転法輪よりこの日まで、全人類救済のために、不惜身命の覚悟で教えを説き続けてくださっている主に心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。

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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、主が初転法輪で説かれた御教えを共に振り返ってまいります。本日は1986年11月23日に東京は日暮里の酒販会館にて開催されました、主の初転法輪(最初の説法)にて説かれました御法話「幸福の科学発足にあたって」を引用して、我々弟子も原点回帰して主への感謝と報恩の誓いを新たにいたします。この御法話は経典『われ一つ立つ。大川隆法第一声』に所収されています。全国の支部や精舎・書店にてお求めいただけます。お持ちでない方はこの機会にご拝受ください。【税抜き1800円】
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■『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」
6 天上界の「次元構造」と魂の真実
〇八次元如来界―「魂のきょうだい」という存在様式を超え、表現形式に合わせて自由自在に出られる

では、八次元如来界はどうでしょうか。本体一で分身五かというと、違います。そうなっていないのです。如来界の方というのは、人間でいう、五人、六人というような存在様式がないのです。

彼らの存在様式というのは、西田幾多郎の哲学を出したら難しくて困るでしょうけれども、「一即多、多即一」で、一人だと思えば一人、五人と思えば五人、十人と思えば住人、百人と思えば百人に分かれられるのです。自由自在なのです。意識体としては一つなのですが、表現形式に合わせて自由自在に出られるのです。これが如来なのです。

『ソクラテスの霊言』を読むと、そのなかに、「カントの霊言」があります。

「カントの霊言で、カントがなんだか訳の分からないことを言っているな。『ここでコーヒーを飲むカントあり、かしこに散歩するカントあり、雌牛の乳を絞るカントあり』なんて、どうなっているのかな。この人は人格分裂ではないか」などと思うでしょうが、如来界の特色というのは、「思った通りの顕現(けんげん)の仕方ができる」ということなのです。昔で言えば、伊賀忍法の分身の術のようなものです。自由自在に分かれます。そういうことができるのです。

如来界には四百数十人の如来がいますが、そうでなければ、それだけの人間で霊界のすべての人たちを指導できないのです。そうでしょう。如来界の人間が、あなたがた一人と同じような力しか持っていなければ、指導できるわけがないのです。

地上には、今、五十億人近い人間がいます(※1986年説法当時。2020年統計ではやく七十八億人)。天上界にいくらいるか知っていますか。人口は約五百二十億人います。現在、これだけの人がいるのです。そして、如来界にはわずか四百七、八十人しかいません。これらの方が、「一対一でひざ詰めで話をしよう。あなたね、悟りというのはそんなものではないんですよ」などとやっていたら、何百年、何億年かかっても、全部の人と話はできません。そうではないのです。

ですから、最後は、思った通りにできるようになるのです。

このよい例としては、例えば、薬師如来などはそうでしょう。いろいろなところに「お薬師さん」があって、みなさんもたくさんの願を掛けているでしょうけれども、ああいうものも、一人ひとりの人間のところに出ていって願い事を聴いていたら、大変なことになります。そのため、薬師如来の念波と一致するような波動を出す人が地上にいると、その念波に対して感応していくわけです。一万人でも、十万人でも、いくらでも分かれていくのです。このような分かれ方をします。これが如来界なのです。

ですから、意識体としては一つですけれども、五人、六人といるわけではないのです。

これについて、カントもそういうことを言っています。

「例えば、カントというマリンブルーの意識体があって、マリンブルーはどこでもマリンブルーなのだけれども、分かれ方とてはいろいろとできているのだ。でも、独立して、どれがカントか分かるかと言えば、みなマリンブルーだからカントだと、こういう認識の仕方があるのですよ」と言うわけです。

つまり、ここで私と同じ紺の服を着ている人がいれば、「みな大川隆法です」と言っているようなものだというわけです。そういうことなのです。そういう言い方をしているわけです。これが如来界です。

〇九次元宇宙界―時代に合わせて、必要な分量だけの光を出して、機能を果たす
ところが、九次元の宇宙界へ行くと、もっと違ってくるのです。

孔子が言っていますけれども、「そんな一万人、十万人など手ぬるい。一億人でも十億人でも、自由自在なのです。それから、地上に出るのだって、どういう出方をするかは、もう勝手です。その時代に合わせて、必要な分量だけの光を出して、ドーンと入っていきます。それでつくるのです」と、こういうことです。このような言い方をしています。

ですから、ナザレのイエスとして生まれた生命体は、実際はイエスの全生命体のだいたい五分の一ぐらいなのです。五分の一ぐらいが出ているわけです。

イエスの過去世としては、今から四千数百年前にエジプトに生まれたクラリオという名前で呼ばれている方がいます。

その前は、インドに一回生まれているのです。今から七、八千年前のことですが、クリシュナという名前を聞いたことがあるでしょう。クリシュナというインドの神様がいますけれども、これもイエスの生命体です。ただ、ナザレのイエスと同じかといえばそうではなく、やはり、イエスの生命体の五分の一ぐらいなのです。こういうものが、クリシュナとしてインドに出ているのです。

では、その前は何かというと、今から一万年から一万一千年前、アトランティスの末期にアガシャー大王という方がいました。これも、イエスの生命体です。

ですから、イエス・キリストは一人だといっても、例えば、ナザレのイエスの意識、それからクリシュナの意識、あるいはクラリオの意識、それからアガシャーの意識、これらがみなあるのです。そして、出てくれば個性のあることを言います。

ただ、個性はあるけれども、それは、例えば十一面観音というものがありますが、あのようなもので、たくさんある顔を出して言っているだけで、本当は一つなのです。ただ、個性の差はあります。そのようになっています。

そうでなければ、人間には認識できないからです。彼らの意識体は「巨大な光だ」「何の光だ」と言っても分からないのです。

本当は、九次元のなかには十人なの意識があって、そうした意識体がさまざまな機能をしているわけです。

【大川隆法『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」
9 臥竜の時代―回想の青春

さて、十代の頃のことから筆を起こしましょう。

小学校の高学年な時代の私は、小学生とは思えないほど、平気で長時間の勉強に耐えられる子供でした。黙々と勉強をつづけた成果はしだいに上がって、小学校の六年生になると、年間通算平均点が九十九・七もとるようなりました。それも、平均点が百点にならなかった理由は、ある国語の試験にケアレス・ミスで回答を記号で選ぶのを、間違えて言葉で記入して何十点を失ったからでした。
【※幼少期・小学校時代の当時の状況は、小説「竹の子の時代」にて詳しく語られています。お持ちでない方は是非全国の書店・支部・精舎にてお求めください。(税抜1400円)】

父は、その成績表を持って、知り合いのT大学付属中学の校長に進路相談に行きました。付属中学はおろか、灘中学でも合格できるのではないか、との意見ではしたが、将来、政治家にでもなる時には、地元に友人たちがいたほうがよいと父は判断し、地元の中学への進学を進めました。

結局、地元の川島中学校を受験、平均点百点で一番で合格し、総代として入学式に臨みました。中学時代は、私にとっては懐かしい黄金時代でした。生徒会長や、テニス部のキャプテン、報道委員長としての構内新聞の編集発行責任者としての仕事は、のちのち、指導力の源泉となるよい体験でした。

成績のほうも、五百点満点で二番以下をいつも五十点以上引き離した、抜群のトップを続けました。全国的なテストでも、全国で一番を何度かとり、職員室中を驚かせたことがあります。

中学三年の時の担任の先生が、「他の学年の一番の子は、同級生から反発されているのに、なぜかあなたのいうことはみんなよく聞く、鶴の一声ですぐ決まり、みんなが黙ってついてくる」と不思議そうに首をひねりながら評していたのを、つい昨日のように思い出します。単なる秀才ではなく、宗教家的魅力を秘めた懐の深さがあったようです。

高校進学は、当時県下随一の進学校であった、徳島城南高校に決めました。私の受験の頃から、郡部の指定の市内流入を防ぐため、東京都の学校郡制度をまねた総合選抜制度が始まりました。入試の成績上位十パーセントの生徒は希望校に入れるが、あとの九十パーセントは、自宅から通える市内の生徒優先の抽選方式になったのです。抽選で進学校を決められては、納得がいかないと考え、猛勉強しました。その結果、郡部からの受験生としてはトップの成績で城南高校に入学しました。当時、同校からは毎年十数名東大に合格していたので、明確に東大進学を意識しはじめたのもその頃です。

しかし、高校時代は、中学時代のように楽しい思い出に彩られてはいません。高校からは始めた剣道部の猛練習と往復二時間半の汽車通学の疲れから、いつも睡眠不足で眠く、けだるい感じがしていました。ガタゴトと揺れる証明の暗い汽車の中でしか、英語の勉強はしなかったように思います。右に左にと揺れる車両のなかで、立ったまま、英語の参考書を右手に、クラウンの辞書を左手に、万年筆を指のまたにはさんで、英文法や英文解釈の問題を解いている私の形相のすさまじさに、四歳の女の子が立ち上がって席を譲ってくれようとして、恐縮したこともあります。

圧倒的な勉強時間の不足は否めませんでしたが、それでも、クラスでは一番の成績でした。特に国語の勉強が好きで、高校一年の時、通信添削で六回連続全国で一番になったのが大きな自信になりました。この記録は現在でも破られていないはずです。国語の勉強そのものは、大学入試ということのみを考えるならば、そう大きな時間配分をすることは間違いであったと思いますが、後年、大量に本を読み、数多くの書物を書き、大勢の前で講演をする仕事につくための、力の源泉になったように思います。また、入試には直接関係のない教科でしたが、地理や地学、生物学も得意でした。文科系の教科は英・国・社ともよくできたので、苦手意識を克服しようと思って、高校二年の時には、数学と物理の必修時間の多い理系クラスに進み・

�した。私が東大の理科三類(医学部)に進学するのではないか、といううわさが流れたのもこの頃ですが、自分としてはつぶしのきく法学部進学を考えていました。

高校一年、二年と続いて、文化祭には劇の主役として登場しました。自分としては大変不本意な人選をされたと憤慨しましたが、あとあとまで、演劇部の女生徒から入部を勧誘され続けたことを考えて見ると、何らかの才能はあったのかもしれません。後年、数万人の前で講演するようになって、あの頃、演劇部にでも入って舞台勉強をしておいたほうがよかったかもれしないと思いましたが、後の祭りでした。

高校三年の時は、再び、国立文科系向きのクラスに変わりました。このクラスは優秀で、同級生のなかから東大文Ⅰ(法学部)五名、文Ⅱ(経済学部)一名合格しました。自分としては、もう一つ成績が伸び切らず不本意でしたが、大学入学後は、私の成績が一番良かったので気分が晴れました。こうして高校時代は松柏賞という優秀賞を受賞して無事に卒業しました。
【※中学・高校当時の状況は、小説「若竹の時代」にて詳しく語られています。お持ちでない方は是非全国の書店・支部・精舎にてお求めください。(税抜1400円)】

さて、大学受験に関しては、昭和五十年の暮れには、大手予備校の東大入試模擬試験で、東大文Ⅰ(法学部)なら、上位一割以内、文Ⅱ(経済学部)文Ⅲ(文学部)ならトップか、それに準ずる成績で合格するとの予測結果を得てホッとしました。本書では、この模擬試験より、さらに三~四十点(四百四十点満点中)高得点だったようで、秘かに一ケタ合格を期待しました。そして、昭和五十一年、春、首尾よく東京大学文科一類に入学しました。
【※高校卒業後の主の雌伏の時代、当時の状況は、小説「永遠の京都」にて詳しく語られています。お持ちでない方は是非全国の書店・支部・精舎にてお求めください。(税抜1400円)】

しかし、東大法学部の学生は、全国から集まった秀才ばかりで、たちまちにして私は、不安感に襲われました。猛勉強の必要を感じ、修行に関することのみならず、広く学問の世界を渉猟(しょうりょう)すべく、夜を日に継いで勉強しました。勉強の範囲は、法学、政治学のみならず、社会学、歴史学、、哲学、社会思想史、経済学、経営学、自然科学、国際関係論、さらに洋書の原書購読にまで手を出し、英語といわず、ドイツ語といわず読みふけりました。なかでも英語は、大学入試の頃、全国トップレベルの学力を持っていたのが効いたのか、教授や助教授の何倍かの速度で原書が読めることを発見しました。いきつけの喫茶店に、夜フラッと姿を現しては、四~五百ページもあるヨーロッパ政治史に関する英語本を読みふけって・

�ると、店のマスターが、私の勉強の邪魔にならないよう、来客を門前払いしている姿が目に入って、大変恐縮したこともありました。

しかし、学問ばかりをやっていたわけではありません。天気の良い人の夕暮れ時には、下宿の近所の羽根木公園をぐるっと巡ったあと、梅が丘の町を散策し、時折インスピレーションを得て詩を書いていました。黄昏時の西の空を見つめながら、ギリシャの哲学者プラトンの霊界思想や、西田幾多郎の「純粋経験」や「見性」について想いを巡らせていたのもその頃です。すでに、宗教家の卵となるための精神的目覚めが始まっていたのです。
【※東大合格から東京大学教養学部の時代、当時の状況は、小説「内面への道」にて詳しく語られています。お持ちでない方は是非全国の書店・支部・精舎にてお求めください。(税抜1400円)】

こうして幸福な駒場(教養学部)時代が終わり、本郷(法学部)へ進学しました。成績は相変わらず上位でしたが、私の記憶に残ることとしては、大学三年の春休みに政治哲学の研究論文を執筆したことが挙げられます。ギリシャ的政治思想を憧憬(しょうけい)するアメリカの女性政治哲学者、ハンナ・アーレントの研究として『ハンナ・アーレントの価値世界について』という論文を作成しました。アーレントの英語はドイツ語的で難解だというのが定評ですが、それでも全著作読破し、二週間ほど明け方の六時まで作業して論文を書き上げました。友人たちは「あまりに何回で、理解を拒絶している」と批評しましたが、教授からは「マチュアー(成熟している)ですね。君は学者になれば大活躍できるだろう。この論文も、序文を・

�き添えて、内容を倍ぐらいに引き延ばせば、法学部卒業後、助手が三年後に書く助手論文(博士論文程度)の合格レベルをすでに超えている。しかし、こういう哲学思想のできる人が、法学部のプラグマティックな実定法の勉強ができるかどうか。君は法律のほうはちゃんと勉強していますか」という言葉をいただきました。

当時二十一歳の私は、どうやら学問的天才性を見せはじめていたようです。しかし『憲法』や『民法』や『刑法』などの実用性のある学問を軽視し、形而上学に強く惹かれる傾向は、なかなか改まりません名でした。教授は私に期待をかけてくれるとともに、法学部の学生として、実社会に通用するプラグマティズムの大切さを力説しました。

こうして遅まきながら、本郷の図書館で六法全書をつかい、判例集を読み込んでいる人々の群れに加わるようになりました。正直言って、法律学が学問であるのかどうか疑問がありました。たとえば、『憲法』一つとってみても、その成り立ちと意図そのものが、果たして正しいのかどうかという根本的問題が脳裏を去らず、条文の丸暗記と学説の記憶に励んている友人たちに、一種の気の毒さを感じたのは事実です。『刑法』にかんしても、人は、何ゆえに他の人に罰を与えうるのか、罪の定義とその根拠はどこに求めるべきなのか、『刑法総論』の解説では納得がいきませんでした。『民法』に関しても「ヘーゲルの法哲学」との関連性が気になってしかたがありませんでした。『商法』に関しても『会社法』や『手形・小切手法』の・

�強は、思想性に富んだ私にとっては、あまりにプラグマティックすぎました。

一方、『政治学』の方も、柳田国男の民俗学や山本七平の日本人論を取り込んで『政治過程論』を講義する、ある教授の論理性のなさに失望しました。多少なりとも興味を引かれていた『国際政治学』も、左翼的立場から安保反対を唱えうるある教授について、理論はよく切れているが、結論は間違っているのではないかとの感想を抱きました。その教授の東西冷戦についての見解が間違いであることは、十数年後、ソ連邦の大崩壊が現実化してはっきりしました。私の直感は正しかったのです。

かくして私は、『法律学』や『政治学』の学問性と価値論の不在・貧困に直面し、東大法学部には、自分が師事(しじ)すべき教師がいないことを悟りました。

かくなるうえは、独力で道を切り開くしかありません。経済的基礎を築き、自分の納得いく学問を見いだすか、万一、それが見つからないならば、自分自身の手で新しい学問を創り出すかのどちらかしかないと考えました。

大学四年に上がる頃、就職の一環としてとりあえず、司法試験の受験をすることにしました。

半年通った司法試験の予備校では、六回一番となり、私の論文の参考答案で勉強した人が、かなりの数、司法試験に最終合格しました。私はといえば、短答式試験は、合格点を十点(九十点満点)ほど超えてアッサリと合格しましたが、友人の多くの予想に反して、論文式試験では不覚をとってしまいました。実務家的答案ではなく、学者的答案を書いたことが原因であるように思えました。私は、あまりにも学問的に成熟していたのです。当時、すでに、学説や判例を明確に批判する自己独自の視点を持っていたからです。しかし、最高裁の判例を鋭く批判した答案に、採点官は後込(しりご)みしてしまったのです。

ただ後のち、高級霊たちの意見を聞いてみると、国家試験合格や自分の満足のいく就職実現は断固妨害して、この世的成功をあきらめさせ、宗教家への道を選ばせるつもりだったとのことですから、どうあがいても成功はさせない肚(はら)だったのでしょう。

自分としては、予想をもしていなかった道でしたが、ある総合商社の人事担当者から「『三顧(さんこ)の礼』をもって迎えるから是非とも商社に」と懇願(こんがん)され、東大の先輩で、スタンフォード大学でMBAをとった常務から、「ウチに来てくれませんか」と頭を下げられて、男の心意気で、入社を決めました。

しかし、友人たちからは悪評さくさくでした。ある友人は、「政治学科から日本銀行への推薦枠が一名あるので、教授は君を推薦するというのにどうして辞退したのか」と不満顔でしたし、ある政府系の大手銀行の人事担当者は、「東大在学中に司法試験の短答式試験に合格した人は、私学とは違い五割以上は最終合格しますね。しかも、あなたは政治学科ですから、おそらくトップでしょう」とうれしいことを言って入社を勧めてくれました。確かにその年、政治学科から、国家公務員試験(上級)に一番の成績で合格して大蔵省入りした知人は、短答式試験に落ちていましたから、相手の言うことにも一理ありました。しかし、私は、寄らば大樹の陰的発想に反発していました。ゼロから自分の実力を試してみたい衝動に駆られていた・

�です。しかし、「酒も飲めず、マージャンもできず、社交は苦手で、海外に行ったこともない君に商社マンは無理だよ」と忠告してくれる親切な友人の言葉に、「進路選択を誤ったのだろうか」という疑問は日増しに増大してゆきました。

卒業をひかえて、再び学問への未練が湧き、カール・ヒルティの『幸福論』やハイデガーの『存在と時間』を読みふけって、「ああ、やはり思想家になりたいなあ」という想いが、押さえても押さえてもこみ上げてきました。人生の疑問に答えるべく、哲学宗教の書物も数多くひもときました。

【※主の東京大学法学部の時代、当時の状況は、小説「遥かなる異邦人」にて詳しく語られています。お持ちでない方は是非全国の書店・支部・精舎にてお求めください。(税抜1400円)】

【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―

経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜き2000円】
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■『永遠の法』第5章 八次元の世界
7 慈悲とは何か

次に、法と慈悲について話をしましょう。
幸福の科学では、個人の進歩の原理と社会全体の調和の原理を踏まえて、「人間には幸福を探究する性質がある。人間が追求し、探求する幸福とは、私的幸福と公的幸福である」と説いています。

私的幸福の追求とは、個人の幸福の追求です。公的幸福の追求とは、個人の幸福追求の結果、個人の周りにできた私的ユートピアを、社会全体に、世界全体に、人類全体に広げていくことによって、公的ユートピアを建設していくことです。そして、現に、幸福の科学ではそれを活動の原理としています。

ここで問題なのは、「なぜ私的幸福と公的幸福という二つの幸福を追求、探求していく必要があるのか」ということです。それを指導すべき何らかの原理があるのかどうかを考えねばならないでしょう。

人間には幸福を求める性質があると述べました。なぜ幸福を求める性質があるのかというと、これは仏が人間に与えた一つの慈悲だからです。

仏は人間が生きていく上において目的を与えました。その目的が人間を不幸にしていくものならば、世界は悲惨なものとなっていくでしょう。しかし、仏がそれぞれの人間の魂のなかに幸福を求める性質を埋め込んだがために、人間はできるだけ幸せになっていこうとするようになったのです。

要するに、「人間が人間であるところのもの、すなわち、人間の本質である魂自体のなかに、幸福を追い求める性格が埋め込まれている」と考えるべきなのです。

なぜ人間はもともは幸福を求めるようにできているのかといえば、結局、人間は根本仏から別れてきた「光の子」だからです。人間が光の子、仏の子である以上、人間のなかには仏と同じ性質があるのです。

仏の性質とは何でしょうか。「仏は進歩と調和によって生み出される大きな幸福感を良しとしている」と言えます。

すなわち、「仏がこの大宇宙のを統括し、支配し、貫いているエネルギーである理由は、そうした幸福のエネルギーを仏自体が内在しているからである」と考えていいのです。

したがって、仏が仏として存在している、その存在の目的自体が、幸福に立脚点を置いていると言えるのです。

では、仏の幸福とは何なのでしょうか。仏は何に対して幸福を感じているのでしょうか。生成、化育(かいく)、発展、繁栄―すべてのものが大調和のなかに大いなる発展をし、繁栄する、その途中の経験のなかに、仏は喜びを感じているのです。

仏は仏として存在を停止しているときには、なんらの喜びもありません。しかし、仏が仏として活動し、その活動内容が、「すべてのものを調和させつつ、発展、繁栄させていく」という目的を体現していくことであるならば、その途中において、仏は大いなる経験、美しい経験、喜びを伴う経験を得るのです。

そうすることによって、仏自体もまた、いちだんと大いなる存在への転化、拡大、発展を得ているのです。

「人間は幸福を求める存在である」「人間は幸せに生きられるように創られた」ということ自体が、すなわち、仏の本性(ほんせい)、仏の慈悲なのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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本日の『太陽の法』では、主の雌伏の時代である出家成道前の歴史が赤裸々に明かされました。主におかれましては、1981年3月23日、24歳の時に大悟されて、1986年10月6日に幸福の科学を立宗されるまで、さまざまに自助努力・研鑽に励まれ、自分を鍛え抜かれていたことが垣間見ることができました。人力を超えた精進の姿はまさに神の姿です。

この当時の情景は映画「夜明けを信じて」に描かれています。また、小説・鏡川竜二シリーズが説かれていますので、根本仏の精進の姿をさらに詳しく学ばせていただきたいと思います。小説・鏡川竜二シリーズは以下のとおりです。

〇竹の子の時代【幼少期から小学校時代】
〇若竹の時代【中学校から高校時代】
〇永遠の京都【京都での雌伏時代】
〇内面への道【東大教養学部時代】
〇遥かなる異邦人【東大法学部から卒業までの時代】

仏弟子必携の書となりますので、お持ちでない方は是非お買い求めください。

また、後半の『永遠の法』では、慈悲についてこのような教えをもう一度ポイントを振り返ります。本日の学びは仏法真理学上、正しき心の探究にとっては最重要な教えです。

〇幸福の科学では、個人の進歩の原理と社会全体の調和の原理を踏まえて、「人間には幸福を探求する性質がある。人間が追求し、探求する幸福とは、私的幸福と公的幸福である」と説いる。

〇私的幸福の追求とは、個人の幸福の追求です。公的幸福の追求とは、個人の幸福追求の結果、個人の周りにできた私的ユートピアを、社会全体に、世界全体に、人類全体に広げていくことによって、公的ユートピアを建設していくことです。そして、現に、幸福の科学ではそれを活動の原理としています。

〇人間には幸福を求める性質があると述べました。なぜ幸福を求める性質があるのかというと、これは仏が人間に与えた一つの慈悲。

〇仏は人間が生きていく上において目的を与えました。仏がそれぞれの人間の魂のなかに幸福を求める性質を埋め込んだがために、人間はできるだけ幸せになっていこうとするようになった。要するに、「人間が人間であるところのもの、すなわち、人間の本質である魂自体のなかに、幸福を追い求める性格が埋め込まれている」と考えるべき。

〇なぜ人間はもともは幸福を求めるようにできているのかといえば、結局、人間は根本仏から別れてきた「光の子」だからです。人間が光の子、仏の子である以上、人間のなかには仏と同じ性質がある。

仏の性質とは「仏は進歩と調和によって生み出される大きな幸福感を良しとしている」と言える。すなわち、「仏がこの大宇宙のを統括し、支配し、貫いているエネルギーである理由は、そうした幸福のエネルギーを仏自体が内在しているからである」と考えていい。

〇したがって、仏が仏として存在している、その存在の目的自体が、幸福に立脚点を置いていると言えるのです。

〇仏の幸福とは何か。仏は何に対して幸福を感じているのか。生成、化育(かいく)、発展、繁栄―すべてのものが大調和のなかに大いなる発展をし、繁栄する、その途中の経験のなかに、仏は喜びを感じている。

〇仏は仏として存在を停止しているときには、なんらの喜びもない。しかし、仏が仏として活動し、その活動内容が、「すべてのものを調和させつつ、発展、繁栄させていく」という目的を体現していく、その途中において、仏は大いなる経験、美しい経験、喜びを伴う経験を得る。そうすることによって、仏自体もまた、いちだんと大いなる存在への転化、拡大、発展を得ている。

〇「人間は幸福を求める存在である」「人間は幸せに生きられるように創られた」ということ自体が、すなわち、仏の本性(ほんせい)、仏の慈悲。

このように、本日の引用はすべてがとても重要です。慈悲とは仏の代名詞であるからです。
繰り返しですが重要なポイントは、
『人間には幸福を求める性質があると述べました。なぜ幸福を求める性質があるのかというと、これは仏が人間に与えた一つの慈悲だからです。

仏は人間が生きていく上において目的を与えました。その目的が人間を不幸にしていくものならば、世界は悲惨なものとなっていくでしょう。しかし、仏がそれぞれの人間の魂のなかに幸福を求める性質を埋め込んだがために、人間はできるだけ幸せになっていこうとするようになったのです。

要するに、「人間が人間であるところのもの、すなわち、人間の本質である魂自体のなかに、幸福を追い求める性格が埋め込まれている」と考えるべきなのです。

なぜ人間はもともは幸福を求めるようにできているのかといえば、結局、人間は根本仏から別れてきた「光の子」だからです。人間が光の子、仏の子である以上、人間のなかには仏と同じ性質があるのです。

仏の性質とは何でしょうか。「仏は進歩と調和によって生み出される大きな幸福感を良しとしている」と言えます。

すなわち、「仏がこの大宇宙のを統括し、支配し、貫いているエネルギーである理由は、そうした幸福のエネルギーを仏自体が内在しているからである」と考えていいのです。』

『ユートピアの原理』のなかで、神の三大発明として、1念いによる創造、2時間の創造、3発展に伴う幸福感の創造、を根本仏であるエル・カンターレはなされ、これを私たちの仏と同じ性質である仏性に埋め込まれました。

ですから、この神の三つの創造自体が私たち人類に対する慈悲であるとも言えます。仏は念い―すなわち光によって全てを創造されまた。そして時間を生み出すことによって結果空間も生まれました。そして、光が活動する目的として進歩と調和の原理における幸福感を私たちに与えられました。これそこが造物主から無限に与えられ続けている被造物への慈悲です。

私たちには、仏性として根本仏の光の欠片が仏性として宿されており、その力は慈悲の力です。この慈悲の力に目覚め、根本仏を愛し、その証明としての隣人愛を共に最大限に発揮してまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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100%エル・カンターレ信仰
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伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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