64 人のかげ口を言う癖のある人とは、常に、一定の距離をキープせよ。
【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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11月23日は初転法輪記念日です。初転法輪とは、今から39年前の1986年11月23日に、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、東京・日暮里の地(現初転法輪記念館)にて、初めての説法をされて、法輪を転じられたことです。
主のご説法は1986年11月23日の第1回目から2023年2月23日に賜りました『妖怪にならないための言葉』発刊記念対談にて、説法3500回を超えました。これは人類史に残すべき偉業です。
この聖なる日に仏弟子相集い、日暮里酒販会館にて賜った初転法輪よりこの日まで、全人類救済のために、不惜身命の覚悟で教えを説き続けてくださっている主に心からの感謝を捧げるとともに、たとえ何があろうとも、主の御名と主の教えを地の果てまでも伝えていく伝道の発願を捧げさせていただきます。
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、主が初転法輪で説かれた御教えを共に振り返ってまいります。本日は1986年11月23日に東京は日暮里の酒販会館にて開催されました、主の初転法輪(最初の説法)にて説かれました御法話「幸福の科学発足にあたって」を引用して、我々弟子も原点回帰して主への感謝と報恩の誓いを新たにいたします。この御法話は経典『われ一つ立つ。大川隆法第一声』に所収されています。全国の支部や精舎・書店にてお求めいただけます。お持ちでない方はこの機会にご拝受ください。【税抜き1800円】
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■『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」
5 時代環境や個性に応じて教えを説いた「高級霊の活躍」を俯瞰する
〇既成の教団に正しさがあっても、それだけで新しいものを否定するのは問題
今、律法者というのは、『聖書』のなかでは悪口を言われて悪役になっていますけれども、彼らのなかにも心正しい方も必ずいたはずなのです。
そして、現在、私たちも、まさしく”同じ状態”にあるわけです。
既成の教団は、キリスト教にしても仏教にしても、いろいろあるわけです。それが間違っているかといえば、必ずしも間違っているわけではないのです。【※現在、さまざまな霊査により、幸福の科学はキリスト教、仏教などの霊的な視点から見た善悪を指摘し、間違いを正している。「不成仏の原理」第2章「最長の霊言」、「ローマ教皇フランシスコ守護霊の霊言」など(共に幸福の科学出版刊)参照】
ただ、既成の考えを持ってきて、私たちが説いているものを「間違いだ」と言われると、「それはちょっと困る。もうちょっと言論の自由をください」ということになります。
〇中国古代思想や鎌倉仏教に見る、個性の違いやあの世での修行
今朝、私は、ここへ来る前に、ちょうど、八巻目の霊言集『孔子の霊言』の最終著者校正をやっていました。
今日は、私はみなさんと会わなければいけないので、何時もより早めに顔を洗って、新しく買った整髪料をつけて準備しようと思っていたのですが、しばらくウトウトしていたところで、速達が届きました。それが『孔子の霊言』の原稿だったわけです。それを読んでいたのですが、孔子もずいぶん難しいことを言っています。
この本は、おそらくクリスマスごろに出るでしょうけれども、孔孟の教え、老荘の教え、そして、墨子の教えが入っています。
〇愛の教えを説いた「墨子」、王道について説いた「孟子」
墨子は知っていますか。
墨子とは、「プリースト”Priest”(司祭)」ではないのです。キリスト教の「牧師さん」ではありません。
昔、墨翟(ぼくてき)という人が説いた「墨教」というものがありました。今から二千五百年ぐらい前のことです。
墨子という人は、イエスの生命体の一部です。その方が出て、中国では珍しく「愛の教え」を説いたのです。そうした愛の教えというのが、その『孔子の霊言』に入っています。
それから、孟子は、「真・善・美」という行動について説いています。
〇本来、宝のような心を持っているので努力は要らないと説く「老子」
「老荘思想」というのは、みなさん、読むと安心しますよ。「何もしなくていい」と言っていますから。読んでいると、「何をそんなに焦って努力しているの?ゆっくり行こうじゃないの」などと言っているのです。
「仏教系の人というのは、みんな前へ、せかせかせかせか急いで、努力ばかりしているけど、そんなに努力して草鞋(わらじ)がすり減るのを心配しないで、もう草鞋なんか心配しないで、土手に腰かけて、あなた、ぽっかり浮かんだ雲でも見なさいよ」などと、老荘思想は言っています。
これは簡単ですね。楽でいいと思いますよ。みなさん、やったらどうですか。
ただ、こういう老荘思想でやった方は、会社では絶対出世しないでしょう。(会場笑)。私はそう思います。出世したいと思う方は、どちらかといったら、孔孟の思想のほうを信奉されたほうがいいと思います。努力の教えですから。
彼らは、「努力は要らない」と言っています。「努力で人間は心に曇りをつくるから、そんな努力は要らない」などと言っています。「本来、人間というのは、宝のような心を持っているのであって」と、老子はいろいろと言っています。
「では、努力は要らないのですか」と言ったら、「全然要らない」と言っては問題があるから、「仏教系というのは、要するに、、五重の塔、七重の塔の宝塔を努力して、何とか生きているうちにつくりたいと、こういうので努力しているのが仏教系だ」と。
「ところが、わが老荘思想はそんなものではありません。トンカントンカン大工仕事をして五重の塔を建てなくても、人間というのはもともと五重の塔で出来上がっているのです。ところが、その五重の塔は、たまたま浜辺で砂のなかに埋まっているのです。ですから、”ちょちょいのちょい”で、ちょっと砂を取って出せば、五重の塔は出てくるんですよ。それだけなのですよ。それだけなのです」と。
どこかで弟橘媛(おとたちばなひめ)も言っています。そのような言葉はどこかで聞いたような感じがしますけれども、「努力は要らないのだ。ただ、砂だけ取り除けば、立派なものが出てくるのです」と、こういうことを言っています。
このように、教えがずいぶん違うわけです。
〇学者で知性高く、あの世では「宇宙の悟り」をも説く「孔子」
孔子も霊言しています。何とかして儒教の話を引き出そうと思って努力したのですが、二千五百年も前に言ったことに今さら興味はないわけです。は、ずいぶん考えが変わっていました。
孔子について、ある宗教家の本だと、「六次元神界の人」と書いてあるものだらか、孔子は”怒って”います。「よく言ってくれたじゃない」と(会場笑)。
「六次元なんてとんでもない。紫式部とか、そういう人と同じところかって?紫さんも偉いけど、いくら何でも一緒じゃないんじゃない?二千五百年間、中国の思想をリードして、ましてや日本の思想界までリードした孔子である私が、まさか、言っては悪いけど、”
弟橘媛(おとたちばなひめ)さん、紫式部さんと一緒”というのはちょっとひどいんじゃないですか。もう少し上げていただけませんか」と(会場笑)。このように言うわけです。
「では、どのへんにいらっしゃるのですか」と言ったら、「けっこういいところにいるんですよ」と。「どのへんですか」と言ったら、「昔からいうでしょう。四大聖人というでしょう」「四大聖人は誰ですか」「釈迦、イエス、ソクラテスが入ったりしますね。ソクラテスが入って、残りは誰ですか」と言うから、「残りは、もしかしたら孔子ですか」と。
すると、「今ごろ気がつきましたか」と(会場笑)。「もう世界の四大聖人ですよ。あなた、そんな下の方を這っているわけがないでしょう」と(会場笑)。ですから、やっと名乗られたわけです。
孔子という方も、やはり九次元宇宙界というところにいる方です。『正心法語』(旧版)を読まれたら、「宇宙の悟り」のなかで、孔子が出てきます。立派な方です。
ただ、彼は、どちらかというと、宗教的な指導というのはあまり得意ではなくて、学者です。学者ですけれども、非常に知性の高い方です。【※このあたりが現在中国における共産党一党独裁による唯物思想国家に利用されていると考えられています。『メシアの法』参照】
この次の本のほうに出ますけれども、孔子は「宇宙計画」とか、「地球計画」とか、そういうすごいことを言っています。私地はもう出すのが怖くて、出版社に持っていっても、カットされたらどうしようかと思っていました。『孔子の霊言』と銘打って、孔子のところをカットされたらもう終わりですから(会場笑)。どうしようかと思って、ずいぶん考えたのです。【※説法当時、「幸福の科学出版」は存在しておらず、本の出版は外部に協力を頂いていました】
どうしても、二千五百年前の儒教のことについて言ってくれませんでした。もう、そんなところに考えは止まっていないのです。
みなさんは、偉大な方が亡くなったら、その時代でみんな止まっていると思っています。現代の研究者というのは、もうそれで止まってしまっていると思っているのです。しかし、全然止まっていないのです。
〇自分に厳しい修行者であり、あの世では愛を学ぶ「道元」
道元が、今、只管打坐をまだ一生懸命にやって、あの世で一生懸命に坐っているかといったら、坐っていないのです。もう足がないから、坐っていないのです(会場笑)。
道元も、もちろん偉い方です。ある宗教家は「これも神界(六次元光明界)の人」と言っているので、道元は”怒って”います(会場笑)。いちおう菩薩界で頑張っているそうです。訂正しておきます。
生きていたときは、どちらかというと、修行を一生懸命やった方ですから、厳しい方だったのです。自分に対しては厳しいけれども、他人に対しては優しいかというと、あまり優しくなかったかもしれません。やはり厳しかったのです。修行者というのは、他人に対しても厳しかったのです。
そういうことで、道元は、生きていたときには、少し愛の気持ちが足りなかったようです。それで、あの世へ還って、今、菩薩界にいますが、゛霊界で一生懸命に愛の修行をしているそうです。
このように、彼らは、還って、まったく同じではないのです。
〇あの世では、時代の変化に合わせて、七百数十年前の教えをそのまま説かない「日蓮」
日蓮にしても、今から七百年も八百年も前の方です。
ですから、「『日蓮の霊言』が出てきたら、『立正安国論』を講義するはずだ。おかしいな。『立正安国論』を全然言ってこない。おかしいですね」と思うかもしれませんが、「蒙古が攻めてくるから早く護りを溜めて、正法に帰依しなさい」なんて、今ごろ日蓮は言えないんですよ。もう蒙古はいないから(会場笑)。蒙古とか元寇とか、こんなのはもうないわけです。
「核ミサイルを撃ってくるから、気をつけろ」というぐらいだったらいいのですが、そんなことを言ったら、「日蓮さんじゃない」などと言われるので、言えないのです。
そういうことで、あの世の人たちも、もちろん、あの世で勉強しているのです。七百年も八百年も同じ状態でいる人はいないのです。みんな勉強しています。
【大川隆法『われ一つ立つ。大川隆法第一声』第1章「幸福の科学発足にあたって」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」
7 夢をいだけ
人生には、夢が必要です。夢のない人生には、希望がありません。自らのつくった悪を反省し、善念を取り戻すことは、もちろん重要です。しかし、あなたがたの人生とは、マイナスをゼロにするだけの、プラス・マイナス・ゼロ人生だけではものたりないのではないでしょうか。
夢をいだくとは、できるだけすばらしい人生設計をするということです。たとえば、建物を建てるときには、設計士が図面をつくり、それを見て、大工さんがすばらしい家屋を建ててくれます。しかし、あなたがたの人生の設計とは、ほかならぬあなたがた自身なのです。ですから、あなたがた自身が立派な設計をしなければ、できあがった建物はでたらめなものになってしまいます。家を建てるときにには、あんなにも設計図を気にするのに、自分の人生となると、なぜ設計図をつくらないのでしょうか。それだけ無鉄砲に人生を生きているということです。ゆきあたりばったりに人生を生きている人が、あまりにも多いということです。
ところで、設計図といっても、そうむずかしく考える必要はありません。要は、いかに夢をいだくか、夢を描くかということなのです。夢を抱いている人と、そうでない人とでは、人生を生きる自信がまったくちがいます。他人に対する説得力がちがいます。
夢をいだいている人に出会った日は、一日中、とてもしあわせな気分になるでしょう。よし、自分も、ひとつ、やってやろうという気持ちと同時に、よし、この男を助けてやろうという気持ちになってくるはずです。
「夢をいだく」ということのなかには、人を酔わせる何かがあるのです。いままで、世に立って、後世に残るような偉業をなしとげた人で、夢をいだかなかった人は、おそらく一人もいないと思います。人間として生まれて、この世に生きる以上、大きく生きてみようとする気概は、非常に大切です。ミノ虫のように小っちゃくなっているからといって、それが謙虚だということではなのです。
謙虚さとは、自らが大きくなっていこうとする過程にこそ、必要だといえます。自らが自信満々に生きているからこそ、謙虚さということが必要なのです。謙虚さとは、すなわち、ブレーキです。しかし、ブレーキだけでは、自動車は前に進みません。自動車が前に進むために、いちばん大切なのは、アクセルです。アクセルがなければ、自動車は、その機能を果たせません。そして、ブレーキは、用心のためにあるのです。暴走しないように、事故防止のために、ブレーキはあるのです。
私は、地獄に堕ちることについての警告をずいぶんとしてきました。しかし、地獄に堕ちることをおそれて、毎日毎日、念仏ばかり唱え、アーメンばかり唱えていても、その人は、いっこうに立派にはならないはずです。アクセルを踏み込まなくてはだめなのです。スピードが出すぎたと思ったら、ブレーキを踏む。そのために、ブレーキがあるのです。しかし、いつも、前向きに、向上をめざしている人生ならば、ブレーキが故障してないことだけを確認しておけばいいでしょう。まちがっていたら、すぐ反省して、軌道修正ができる自分であることを、日々、点検できたなら、いさましくアクセルを踏み込んでゆくことです。それが、夢をいだき、その夢を実現してゆくということなのです。
夢をいだく効用は、単に設計図をつくるだけではありません。それには、ひとつの神秘的な作用があります。夢とは、持続する心のビジョンです。それは必ず、あの世、すなわち、実在界の守護・指導霊たちに通じます。実在界の守護・指導霊たちも、つねづね、どうやって地上界の人々を守護・指導しようかと頭をいためているのです。ところが、地上生活をしている人たちは、どの人も、この人も、うたかたのごとき想いばかりが心に去来して、なんらしっかりとした人生の指針をもっておりません。どのように自分は生きたいのかについてさえ、確固としたものをもっていないのです。
こういう人に対しては、一体どのように守護・指導ができるのでしょうか。生きている人間の根本から教え込むということは、この世の人間の主体性を失わせます。あの世の守護・指導霊がやってよいことといったら、生きている人間に、インスピレーションを与えることぐらいです。通常は、それがすべてなのです。
しかし、しっかりとした夢をいだいている人ならば、その人の夢がどうやったら実現できるかを、守護・指導霊は考えていればよいし、それにそったインスピレーションを与えればよいのです。ですから、しっかりとした夢をいだき、夢を描いていさえすれば、あの世の守護・指導霊たちの援助を受けて、実現できる可能性が高いといえます。
実をいうと、これが、ほんとうの意味での自己実現なのです。つまり、自己実現のためには、まず、夢をいだく。そして、それをビジョン化し、祈りによって、守護・指導霊にお願いし、やがて具体化するというプロセスをとるわけです。自分のいだく夢が、自分の人格の向上と、人々のしあわせにつながる必要があるのは、当然です。
【大川隆法『太陽の法』第6章「エル・カンターレへの道」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。
人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
経典をお持ちでない方はこの機会に是非お求めください。【税抜き2000円】
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■『永遠の法』第5章 八次元の世界
5 人類の道標
こうして、人類を取り巻く世界の本質を知ったとき、「人類はなぜ生かされているのか。人間はどのように生かされており、どのように生きていかねばならないのか。人生の目的はどこにあるのか」ということが明らかになってきます。仏が創った世界を概観し、その本質を見抜くことは、人類が生きていくための道しるべ、人類の道標を喝破することになるのです。
人類が生きていく道しるべ、道標とは、どのようなものでしょう。それは、人類のすべてが、「光」「空間」「時間」という三要素からなる、仏の創った世界に生かしめられていることを認識し、その世界を創っている意図を見抜くことなのです。
では、「光」「空間」「時間」の三要素で、仏はいかなる世界の構築を意図しているのでしょうか。
仮に空間を一つの透明なガラス箱のようなものだと考えてみてください。この透明なガラス箱のなかに、片隅から光がさしてきて、その光は箱の中を反射しながら動いています。その光はガラス箱のなかに閉じ込められており、箱のなかをいろいろと移動して、さまざまな風景、光の芸術を作り出しています。
壁に当たった光は、反射して次の壁にあたり、また反射して次の壁にあたります。このように、透明なガラス箱のなかで、光は次々に動いているのです。
こうした世界観で、宇宙の歴史と人類の歴史を考えてみると、光が単なる偶然の産物として生かしめられているのではなく、合目的的に物事が進んでいることは明らかです。すなわち、根本仏から発せられた光が、偶然ではなく一定の目的を持って、宇宙の進化と人類の進化を司っているのです。
仏の光が活動するにあたっての目的は、大きく二つに集約することができます。
目的の第一は「進化」です。宇宙を見、地球を見、地球の歴史を見、人類の歴史を見たとき、そこには、進化という偉大なる目的、目標が潜んでいます。これは誰も否定することはできないことです。
より高次なものを求めているからこそ、人類は生かしめられているのであり、そうであるからこそ、人類は生きていく値打ちがあるのです。もし人類が堕落するためだけに生きているのならば、その存在意義自体が疑われなくてはなりません。なぜ堕落するために存在しなくてはならないのでしょうか。
たとえば、粘土からさまざまなものをつくるのは、形なきものから形あるものをつくっていくことに、素晴らしい喜びを感じるからではないでしょうか。ところが、粘土からつくった像や猿、人間などが、ただの粘土に還っていくためだけに生きているのならば、まったく意味がないことになってしまいます。
形なきものから形あるものへと変化していく―これが進化の本質ではないでしょうか。
形なきものから形あるものへと、より素晴らしいものへと発展していく進化が、人類の目標の一つならば、もう一つの目標は「調和」です。偉大なる調和、偉大なる調和、大調和です。では、大調和とは何でしょうか。
仏が、広大無辺な部屋に粘土の山を創り、この粘土から、太陽を創り、地球を創り、月を創り、植物を創り、動物を創り、人間を創り、いろいろなものを創ったとしましょう。
このように、形なきものから形あるものへと進化していくこと自体はすばらしいことですが、次に問題となるのは、それぞれの被造物、創られたもの同士がいかに整然と美しく存在しているかということではないでしょうか。
植物と動物と人間との均衡、太陽、地球、月、その他の惑星と、他の宇宙空間との釣り合い、昼と夜との釣り合い。海と陸との釣り合い。暑さと寒さとの釣り合い―。仏が次に考えることは、こうした調和でしょう。
結局、人類の歴史を見ると、進歩と調和、進化と調和という二大目標を中心に、時が流れてきたと言えるのではないでしょうか。
【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第5章「八次元の世界」より抜粋】
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本日の学びは、自己実現という意味においては極めて重要な教えでした。
心に描き続けたビジョン―絵―は必ず時間を経て現実化します。
心に描き続けたビジョン―絵―を夢と言います。
『夢をいだくとは、できるだけすばらしい人生設計をするということです。たとえば、建物を建てるときには、設計士が図面をつくり、それを見て、大工さんがすばらしい家屋を建ててくれます。しかし、あなたがたの人生の設計とは、ほかならぬあなたがた自身なのです。ですから、あなたがた自身が立派な設計をしなければ、できあがった建物はでたらめなものになってしまいます。家を建てるときにには、あんなにも設計図を気にするのに、自分の人生となると、なぜ設計図をつくらないのでしょうか。それだけ無鉄砲に人生を生きているということです。ゆきあたりばったりに人生を生きている人が、あまりにも多いということです。
ところで、設計図といっても、そうむずかしく考える必要はありません。要は、いかに夢をいだくか、夢を描くかということなのです。・・・しっかりとした夢をいだいている人ならば、その人の夢がどうやったら実現できるかを、守護・指導霊は考えていればよいし、それにそったインスピレーションを与えればよいのです。ですから、しっかりとした夢をいだき、夢を描いていさえすれば、あの世の守護・指導霊たちの援助を受けて、実現できる可能性が高いといえます。
実をいうと、これが、ほんとうの意味での自己実現なのです。つまり、自己実現のためには、まず、夢をいだく。そして、それをビジョン化し、祈りによって、守護・指導霊にお願いし、やがて具体化するというプロセスをとるわけです』
これは、仏が教える真なる自己実現のプロセスであり、心の力の秘密に迫る極めて重要な教えです。考える力―光―が万物を創造する心の錬金術に関する教えでした。繰り返し、繰り返し読み込み、魂に落とし込み、主の御手足となるためにこの教えを私たちの人生の応用してまいりしましょう。
また、後半の『永遠の法』では、人類の道しるべとして、このように説かれました。
『人類が生きていく道しるべ、道標とは、どのようなものでしょう。それは、人類のすべてが、「光」「空間」「時間」という三要素からなる、仏の創った世界に生かしめられていることを認識し、その世界を創っている意図を見抜くことなのです』
そして、結論としてこのようにお説きくださいました。
『仏の光が活動するにあたっての目的は、大きく二つに集約することができます。
目的の第一は「進化」です。・・・より高次なものを求めているからこそ、人類は生かしめられているのであり、そうであるからこそ、人類は生きていく値打ちがあるのです。・・・
形なきものから形あるものへと変化していく―これが進化の本質ではないでしょうか。
形なきものから形あるものへと、より素晴らしいものへと発展していく進化が、人類の目標の一つならば、もう一つの目標は「調和」です。偉大なる調和、偉大なる調和、大調和です。・・・このように、形なきものから形あるものへと進化していくこと自体はすばらしいことですが、次に問題となるのは、それぞれの被造物、創られたもの同士がいかに整然と美しく存在しているかということではないでしょうか。
結局、人類の歴史を見ると、進歩と調和、進化と調和という二大目標を中心に、時が流れてきたと言えるのではないでしょうか』
本日の教えは、根本仏から人類全体へのメッセージであるという意味において大変重要な教えであると思います。
この大宇宙を念いによって創造された根本仏の意図を汲み取り、私たちの人生修行を完成させるべく、主の救世事業に力を尽くしてまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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(11/20-1)【基礎教学通信】324『太陽の法』を読む57「エル・カンターレへの道」夢を抱け―「幸福の科学発足に当たって」既成の教団に正しさがあっても、それだけで新しいものを否定するのは問題―『永遠の法』人類の道標
『太陽の法』
