(11/5-1)【基礎教学通信】309『太陽の法』を読む42「黄金の時代」ガーナ文明―「悟りの挑戦(下巻)」悟りの高さと救済力―『永遠の法』そして愛の世界へ

『太陽の法』を読む

49 「ダム経営」は、百人に一人もできない。借金と投機は、万人がやりたがる。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。

ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、ひきつづき教典『悟りの挑戦(下巻)』を共に学びます。経典をお持ちでない方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】

―本書をていねいに精読するならば、『悟りの挑戦』が、仏陀自身の仏教解説であることがわかることだろう―上巻「あとがき」より
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■『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」
6 悟りの高さと救済力
これが、当会でいう「利自即利他」の部分です。

自分を利していくなかに、他人を利する(「利する」とは、悟りを求めてその幸福感を得るということ)、つまり他人を導いていく道を発見していきなさい、そしてそれを両立させていきなさい―これが当会の教えなのです。片方だけではだめなのです。

仏教では、よく利自(あるいは自利)と言いますが、利自だけでもよくないし、利他だけでも不十分です。やはり、今世に修行をしながら、かつ人を助けることができる、この両方ができてこそ、完成された人間と言えるし、この両方が目的であると考えていただきたいと思うのです。

悟りと救済力とは関係があります。悟りの高い人ほど、菩薩、如来と境涯が上がれば上がるほど、多くの人を説法し教化して救うことができるわけですから、実は、悟りの高さは同時に救済力の拡大を意味するわけです。悟りの低い人が、たとえば四次元、五次元の悟りで教えをいくら広げたところで、実際は多くの人たちは救われないのです。ですから、「悟りのの高さは救済力に結びつくものである」という観点を忘れてはいけません。【※日本神道など世界の民族神に対して、根本仏信仰に帰一するため、この教えはしっかりと熏習しなければいけないのではないかと考えます】

この小乗と大乗の観点というものは、宗教団体では常にぶつかり合うものなのです。常にどちらかのほうに引っ張られていって、もうひとつという感じ、中途半端な感じが出るのですが、あえてこの矛盾を克服しながら行うところに、中道の道というものがあるのです。

自分の悟りのみを求める集団であっては、この「利自」というものは、気をつけないと利己主義のほうに走っていく傾向があります。自分たちだけ救われたらいい―これが釈迦没後百年以降の小乗の在り方だったのです。戒律でがんじがらめになって出家者だけの幸福を求めている状態で、在家者をほったらかしにしていたのです。

そこで、「それではいけない」と、仏教の流れのなかで、「上座部」と根本分裂して、戒律などに寛容な人たちが多数派を形成して、「大衆部」という部門ができ、その自由な雰囲気が部派仏教の時代を経て、大乗運動を興していくのです。この両方がやはり必要なことなのです。

以上、「涅槃とは何か」ということについて、いろいろと説明しましたが、結局、三法印の
「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」は、すべて「この世的なる執着を断ちなさい」という教えなのです。

「肉体を中心とする煩悩に執われた生き方をしていては、人間としての悟りは得られない。ほんとうの意味の幸福も得られないのだ。だから、あなた方は流れ去っていくものに執着してはいけない。これが『諸行無常』である」。

「あなた方は、目に見えるもの、触れるもの、そんなものに執着してはいけない。これが『諸法無我』である」。

「あなた方は、この肉体を中心とする煩悩の炎に燃えつつまれていることを良しとしてはいけない。その炎を吹き消したときに現われる境地こそ、真なる幸福の道である。これが『涅槃寂静』である」。

このように、三つとも「執着を断て」という教えであり、「生きながらにして実相世界に参入しなさい」という勧めであるわけです。ゆえに、これが仏教の根本、中心であるわけです。「「三法印」」が、これでかなり分かったのではないかと思います。

(なお、有余依涅槃、無余依涅槃、無住処涅槃に、本来自性清浄涅槃〈自性清浄涅槃〉を加えて、四種涅槃ということもあります。最後の自性清浄涅槃とは、要するに、各人の持っているダイヤモンドのごとき汚れなき心を見つめ、それが自分自身の本来の姿であるとことくすることです。)

【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第3章「涅槃とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。基本三部作の『太陽の法』を引用しながら、幸福の科学の教義を共に学びます。なお、経典『太陽の法』は、愛とは何か。仏法真理とは何か。悟りとは何か。ユートピア建設とは何かという根源的な問いに答える幸福の科学の教えの基本です。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
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■『太陽の法』第5章「黄金の時代」
2 ガーナ文明

人類四億年の歴史のなかには、川を流れるあぶくのごとく、数限りない文明が生まれ、かつ消えていきました。そのすべてを語ることは、現代人にとっては、不要でしょう。とりあえず、私たちにとって必要なことは、現在および、未来社会を考えるための材料です。しかし、その材料が、過去の文明のなかにうずもれていないかどうかを確かめてみることは必要です。そこで、私は、実在界にあるアーカーシャの記録から、過去の文明の記録をひもといて四億年の歴史のなかの、近々、わずかここ百万年ぐらいの記録から、過去の文明の推移を抄述(しょうじゅつ)してゆくこととしました。

まず最初は、ガーナ文明から説明してゆきましょう。ガーナ文明とは、いまから九十六万二千年前に、海底火山の爆発の後、海底が隆起してできたものです。

現在のアフリカ大陸と南米大陸とを結ぶ海域が、その場所です。そして、いまから七十三万五千年前に、大陸の分裂、移動という前代未聞の大事件により、ひとつの大陸が消え、二つの大陸の出現を見たのです。

この大陸には、四回にわたり、文明が誕生するのですが、ここでは、最後の文明に絞り、その文明の身をガーナ文明と呼ぶことにします。

ガーナ文明が栄えたのは、いまから七十六万年ごろから、大陸消滅までの約二万五千年のあいだです。この文明は、すでに述べましたように、「超能力」を中心とする文明でした。

その当時の人間の大きさは、男性が二メートル十センチ、女性は一メートル八十センチ、それが標準でした。この時代の男性は、おもしろいことに、第三の眼があったようです。その位置は、額の中央部分、ちょうど眉間の二センチほど上の部分に、エメラルドのような、緑色をした丸い目が一つついていました。この第三の眼は、ふだんは閉じているのですが、超能力を発揮するときだけ、開いたようです。女性には、この第三の眼がありません。ですから、女性は、超能力を持つ男性の第三眼をたいへん恐れ、しだいに隷属的地位に置かれていったようです。

ガーナ文明の末期に伝わっていた神話として、「神は、人間の男女を平等につくられた。その証拠に、男性は、自分の身をまもり、一族の安全をまもるために、第三の眼が与えられ、女性は、一族の繁栄のために子宮が与えられた」というのがあったようです。

このころは、女性の子宮も、超能力の器官だと思われていたのです。なぜならば、女性は、子宮いう超能力機関により、霊天上界と交信ができ、子供となるべき霊を身に宿すことができたからです。そこで、母親となる女性は、事前に、霊天上界の子供となるべき霊と十分に話し合いをし、両者が合意したときに、子供を身に宿したようです。ですから、現代の人口流産というようなことは、あるはずもありませんでした。

また、ガーナ文明の時代には、八つの民族が入り乱れて、覇を競っていたために、人々は、つねに、外敵から身をまもる必要がありました。第三の眼は、そのための武器ともなったのです。第三の眼の色は、各民族によって異なっていました。黄、緑、紫、黒、灰色、茶色があったようで、それぞれの民族によって、超能力の発達の度合いが違っていたようです。

しかし、第三の眼の主たる力は、やはり物理的な能力であったといえます。現代でいう、いわゆるサイキック・パワー、念力というのが、その中心であったようです。しかし、民族によっては、力ではなく、主として予知能力を発達させている者もおりました。つまり、予知の能力によって、外的の攻撃を未然にキャッチし、一族をまもろうとしたのです。

この時代の真理には、残念ながら、「心」というものはなかったようです。どの方面に超能力を発揮させるかというのが主眼で、それが具体的な修行の方法だったといえます。そして、そういう人々が、ガーナ大陸の消失とともに、あの世に還り、霊天上界裏側の仙人界、天狗界、魔法界(西洋の仙人界)の増大を、もたらしていったのです。

ガーナ文明の以降は、第三の眼をもった人類は出現しておりません。しかし、ヨガなどでいわれている、眉間の部分にあるチャクラが、第三の眼の痕跡です。

【大川隆法『太陽の法』第5章「黄金の時代」より抜粋】
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続きまして、幸福の科学の基本三法の一つ、経典『永遠の法』を振り返ります。

人生の真理を網羅した、法の巨大な体系【※太陽の法】、数千年以上の視野をもって、諸如来、諸菩薩たちの活躍を語る時間論【※黄金の法】、そして、この世を去った実在界の次元構造を明確に説明し尽くす空間論【※永遠の法】、その三本柱が、エル・カンターレの法を特徴づけるものです。本書は、『太陽の法』(法体系)、『黄金の法』(時間論)に続いて、空間論を開示し、基本三法を完結する目的で書き下ろしたものです。これでエル・カンターレの法の輪郭が見えてきたことでしょう。―まえがき―
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■『永遠の法』第3章 六次元の世界
10 そして、愛の世界へ

六次元世界について概観してきました。

六次元には、縦のつながりとして、上段階、中段階、下段階という世界があります。また、横の広がりとして、表側には、光明界、中間部分には竜宮界があり、裏側には、肉体修業中心に修行した人のいる天狗界、仙人界があります。天狗界は主として力を誇示する人たちが行く世界であり、仙人界は霊的な力を専門に究めた人たちが行く世界です。こうした世界が六次元にあるという話をしました。

また、六次元には神といわれる人たちが数多くいるということも話しました。神といわれる人たちとは、主として六次元光明界の上段階の人たちのことです。

六次元の上段階には、いわゆる諸天善神(しょてんぜんしん)たちがいます。多聞天、毘沙門天、大黒天などといった人びとがいますし、そのほかにも、福の神など、神といわれる人たちが数多くいます。

こうした諸天善神たちは、六次元の悟りだけでもって仕事をしているかというと、必ずしもそうとは言えない場合もあります。如来や菩薩の悟りを得ている人が役割上、六次元の上段階において具体的な使命を担っている場合もあるからです。

すなわち、六次元光明界における諸天善神たちは、必ずしも六次元の悟りしか得ていないのではなく、菩薩や如来にあたる人が、六次元を統括し、地上の人たちを指導する指揮官として、六次元に来ている場合が数多くあるわけです。こうした人たちは、ほんとうの霊格からいって、神といわれるような高級霊であることが多いのです。

これ以外に、修行の過程として六次元の上段階にいる人たちがいます。これが阿羅漢といわれる人たちです。

阿羅漢は菩薩へ向けて修行をしている人たちであり、心の曇りを晴らし、自らの間違いを反省によって修正して、後光が出ている状態、すなわち、菩薩への登竜門、第一段階にいる人たちです。こうした人たちが六次元光明界の上段階にいます。仏教的に言えば、阿羅漢ですがキリスト教的にも、教会の牧師のような人で阿羅漢の状態にある人がいます。

阿羅漢とは自学自習的な修行が終わったものという意味です。こうした人たちは、さらに上段である七次元の菩薩になることを目指して、日々、努力精進しています。彼らは、真理の知識を獲得するために努力するとともに、どうすればそれを人びとに説くことができるかということを、主として研究しています。

そして、他人への利他行、利他の世界へと入っていく前提である、自分を磨くことがほぼ終了し、友愛と慈悲の世界、他人を助け、愛と慈悲の利他行に生きる境地へと上がっていったときに、阿羅漢が菩薩となるのです。これは、キリスト教的にいえば天使になるということです。

六次元の上段階には、こうした人たちがいます。

これが魂修行の本道です。したがって、六次元光明界の修業は、菩薩の前段階である阿羅漢に至るための一つの道であるということができます。

要するに、阿羅漢とは、、一つの職業なり一つの方向なりで、自分自身を十分に確立してきた人たちであり、自己確立を終えて、次なる課題である人助けを目指している段階の人たちなのです。これが仏教的にいう阿羅漢です。こうした特徴を見てみると、結局、六次元なくして七次元はないのです。

地上の人びとの修行方法としても同じことが言えます。やはり、真理の知識を吸収し、それを自ら実践してはじめて、愛のみに生きる世界へと入っていけるのです。「真理知識の吸収なくして、菩薩に至ることはない」ということを、人びとはきちんと悟らねばなりません。

まず、知識の吸収、知力の確立が必要です。そのうえで、次に、普遍的な愛を目指して人助けをします。悟りの力でもって人を救っていきます。そうした方針で行くことが、あの世の実相、実在世界のあり方から見ても、間違いのないことなのです。

【大川隆法『永遠の法』幸福の科学出版 第3章「六次元の世界」より抜粋】
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『太陽の法』においては、七十六万年に栄えた「ガーナ文明」について学びました。
大陸の隆起から文明消滅まで、二十二万七千年という期間のなかで四回の文明の興隆があった文明です。その特徴をまとめるとこのようになります。

〇ガーナ文明とは、いまから九十六万二千年前に、海底火山の爆発の後、現在のアフリカ大陸と南米大陸とを結ぶ海域の海底が隆起してできた。そして、いまから七十三万五千年前に、大陸の分裂、移動という前代未聞の大事件により、ひとつの大陸が消え、二つの大陸が出現。

〇ガーナ文明が栄えたのは、いまから七十六万年ごろから、大陸消滅までの約二万五千年の間。この文明は「超能力」を中心とする文明。

〇当時の人間の大きさは、男性が二メートル十センチ、女性は一メートル八十センチ、それが標準。男性は額の中央部分、ちょうど眉間の二センチほど上の部分に、エメラルドのような、第三の眼・緑色をした丸い目が一つついていました。第三の眼は、ふだんはとじているが、超能力を発揮するときだけ開く。女性には、この第三の眼がなく、隷属的地位に置かれていった。ヨガなどでいわれている、眉間の部分にあるチャクラが、第三の眼の痕跡。

〇ガーナ文明の末期に伝わっていた神話として、「神は、人間の男女を平等につくられた。その証拠に、男性は、自分の身をまもり、一族の安全をまもるために、第三の眼が与えられ、女性は、一族の繁栄のために子宮が与えられた」というのがあった。

〇このころは、女性の子宮も、超能力の器官だと思われていた。なぜならば、女性は、子宮いう超能力機関により、霊天上界と交信ができ、子供となるべき霊を身に宿すことができた。そこで、母親となる女性は、事前に、霊天上界の子供となるべき霊と十分に話し合いをし、両者が合意したときに、子供を身に宿した。

〇この時代の真理には、残念ながら、「心」というものはなかった。どの方面に超能力を発揮させるかというのが主眼で、それが具体的な修行の方法だった。ガーナ大陸の消失とともに、あの世に還り、霊天上界裏側の仙人界、天狗界、魔法界(西洋の仙人界)の増大を、もたらしていった。

『永遠の法』で学んだ、天狗・仙人・魔法界などの霊界の裏側に封印されている存在の起源がこのあたりにある。けっこう歴史的には根が深いとあらためて実感しました。

また、後半の『永遠の法』では、六次元世界の締めくくりとして、六次元上段階に存在する諸天善神や菩薩の登竜門である阿羅漢について、学びを深めてまいりしました。

印象的だったのは、諸天善神のなかには、七次元の菩薩や八次元の如来の悟りを得ながら、自らの光をわざわざ落としてまで、六次元世界で仏弟子の育成・養成に力を注いでいる高級霊の姿を垣間見ることができた点です。それくらい御仏は霊界でのリーダー養成に力を注いでいることが分かります。養成・育成は主の御心なのですね。

本日の学びで特に重要なのは、六次元上段階の阿羅漢についての教えです。本日の引用ではこのようにありました。

『阿羅漢は菩薩へ向けて修行をしている人たちであり、心の曇りを晴らし、自らの間違いを反省によって修正して、後光が出ている状態、すなわち、菩薩への登竜門、第一段階にいる人たちです。こうした人たちが六次元光明界の上段階にいます。仏教的に言えば、阿羅漢ですがキリスト教的にも、教会の牧師のような人で阿羅漢の状態にある人がいます。

阿羅漢とは自学自習的な修行が終わったものという意味です。こうした人たちは、さらに上段である七次元の菩薩になることを目指して、日々、努力精進しています。彼らは、真理の知識を獲得するために努力するとともに、どうすればそれを人びとに説くことができるかということを、主として研究しています。

そして、他人への利他行、利他の世界へと入っていく前提である、自分を磨くことがほぼ終了し、友愛と慈悲の世界、他人を助け、愛と慈悲の利他行に生きる境地へと上がっていったときに、阿羅漢が菩薩となるのです。これは、キリスト教的にいえば天使になるということです。

六次元の上段階には、こうした人たちがいます。

これが魂修行の本道です。したがって、六次元光明界の修業は、菩薩の前段階である阿羅漢に至るための一つの道であるということができます。

要するに、阿羅漢とは、、一つの職業なり一つの方向なりで、自分自身を十分に確立してきた人たちであり、自己確立を終えて、次なる課題である人助けを目指している段階の人たちなのです。これが仏教的にいう阿羅漢です。こうした特徴を見てみると、結局、六次元なくして七次元はないのです』

ということで、六次元は高級霊界へとつながる菩薩・天使の学校のような場所のようなイメージを持ちました。さらにこのように言葉がありました。

『「真理知識の吸収なくして、菩薩に至ることはない」ということを、人びとはきちんと悟らねばなりません。

まず、知識の吸収、知力の確立が必要です。そのうえで、次に、普遍的な愛を目指して人助けをします。悟りの力でもって人を救っていきます。そうした方針で行くことが、あの世の実相、実在世界のあり方から見ても、間違いのないことなのです』

仏法真理の学習なくして、人助けのプロとしての菩薩には決してなれないということがわかります。素直に、教学を重ねてまいりましょう。そして私たちも必ず今世、主の御手足ととしての働きを共に必ず成し遂げてまいりましょう。

今世の私たち仏弟子の修行の目標は、まず阿羅漢の悟りに至り、それを一生を通して維持していくことです。今世は奇跡の法門が開かれ、誰にでも阿羅漢になれるチャンスが与えられています。まさに奇跡の時代です。

経典『釈迦の本心』によれば、菩薩になるためには、阿羅漢の状態をだいたい三転生分、約1000年維持できなければならないといわれていますなので、今世だけの修行で一足飛びに菩薩になれるかどうかは過去世での精進の積み重ねが必要です。しかし、今世は、主の教えによって、阿羅漢に向かう修行途中の阿羅漢向と修行の結果阿羅漢になったことを意味する阿羅漢果に至るまで、支部や精舎での信仰・伝道・植福の仏道修行の道が明らかにされています。阿羅漢は、教学と反省を通して心を浄化し、自らの守護霊との対話ができる―インスピレーションを守護霊から受け取ることができる境地です。

『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させよ』
仏陀の涅槃時のお言葉を私たちは過去世の記憶として刻んでいるはずです。
共に、精進を重ねて阿羅漢の悟りを得ましょう。そして主の御手足となりこの地上世界仏国土ユートピア建設を果たしてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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